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夕日  作者: 金剛力士像
19/22

忘れていた気持ち

お読みいただきありがとうございます。完結まであと僅かとなりますが、今後更新頻度がやや不定期になってしまうかもしれません。何卒御了承ください。

 日が傾き、陸上競技場の周辺は赤色に染まりつつあった。日中のうだるような暑さは随分と鳴りを潜め、涼しげな風が木々を揺らして吹き抜けていく。そんな中、自分は夕陽を見つめながら競技場近くの林の中を歩いていた。競技前のウォーミングアップの際にも走った小道だ。 

 既に大会の競技日程はほぼ全てが終了しており、あとはテントなどの荷物を片付けて撤収するのみだ。今頃、後輩たちが撤収作業を行ってくれているだろう。普段ならば自分も率先して手伝うのだが、今日だけはその気持ちが起きず、とにかく一人になりたい気分だったのだ。


 (できなかったな、入賞……)


 自分のレースが終わったあの後、計測員から記録を告げられた。結果は9分50秒。これまでの自己ベストが10分28秒だったので、それに比べれば実に40秒近く記録を縮められたことになる。これは、10秒タイムを縮めるだけでも大変な努力が伴う3000mという種目において、紛れもなく快挙だと言えるだろう。小森も、磯貝も、他の部員達も皆自分のことを祝福してくれた。それはとてもうれしかった。だが……


 (あと少しだったのにな)


 自分の順位は全体で17位。県大会に出場できる権利が与えられる16位には、あと一歩届かなかった。僅差で自分より早くゴールした磯貝が16位だったので、あと数秒でも早ければ入賞していた可能性はあった。


 (だけど、間違いなくあれが俺の全力だった。多分どんなに頑張ってもあれ以上の力は出せなかっただろう)


 そう。自分は力を出し切った結果負けたのだ。敗因は誰のせいでもなく、単に自分の実力不足。それは十分に承知している。しかし、心の中にもやもやとした感情が湧き上がるのが抑えられず、どうしても他人と顔を合わせる気になれなかった。長らく感じたことないような奇妙な気持ち。胸の奥が痛くなり、居ても立ってもいられなくなるような、そんな感情だ。これは一体何というものだったか。

 そう考えながら歩いていると、道沿いに木製のベンチが置かれているのが目に入った。瞬間、脚に重さと疲労を感じて全身を倦怠感が襲う。一日中野外で動き回っていたのだ。当然のことだろう。


 「よっこらしょっと」


 腰を下ろすと尻に木の固い感触が伝わってきた。木々の間からは夕陽が漏れており、そのまぶしさに思わず目を細める。


 (伊藤、今頃何してるかな……)


 ベンチの背もたれに寄りかかりながら、そんなことをぼんやりと考える。最後に伊藤の姿を見たのは、自分のレース中に彼女が応援に来てくれたときだ。あれ以来まだ彼女とはまだ顔を合わせていない。大会に参加する各校の部員には、種目の記録計測の手伝いやハードル等の器具の片付けといった雑務が割り当てられるのだが、比較的早い時間に競技が終わり、種目の性質上決勝戦も存在しない自分達長距離組には、そう言った仕事が優先的に回ってきたのだ。加えて、レース後のクールダウンやストレッチも行わなければならず、伊藤に会いたいという気持ちはあっても時間が作れなかった。だから、仕方がなかったのだ。


 (……いや、分かってる。そうじゃないよな。どんな顔をして伊藤に会えばいいか分からなくて、彼女のことを避けてるだけだ)


  この大会で入賞し、伊藤に良いところを見せるつもりだった。結果を出すことで自分に自信をつけて、彼女に想いを伝えるつもりだった。しかし、結局自分は何も為すことはできなかった。

 伊藤のことだ。今から会いに行けば、きっと優しい言葉で自分を慰め、必死に頑張ったことを讃えてくれるだろう。だが、もしそうなったら、自分は彼女の隣に胸を張って立てなくなってしまう気がする。頑張った挙句何も結果を出せず、最後には幼馴染の女子に慰めてもらう……。そんなことで、どのように自分に自信を持てというのか。


 (なんだろ。俺ってそんなにプライド高いのかな?)


 そう自問するが、この気持ちはプライドという類のものとは少し違うような気がした。他の人ならば別に気にならないのだが、キラキラと輝く伊藤の前に立つと何故か気後れしてしまう。彼女との間に距離を感じて、こんな自分が近くにいていいのかと不安になってしまう。それがとにかく嫌で、胸を張って彼女の隣に居たくて、自分に自信をつけようとしたのだ。

 しかし、結局自分は目標を達成できなかった。そんな今、果たして彼女に想いを伝えるべきなのか。


  「はぁ……」


 下を向いて大きなため息を漏らす。一体自分はどうするべきなのだろう……。


 「ため息なんてついてどうしたの?」

 「うわっ!」


 突然横から声がかかり、全身がビクンと震える。慌てて声のした方を見れば、そこに立っていたのは伊藤だった。


 「い、伊藤!? ど、どうしてこんなところに……?」


 あまりの唐突さに夢か幻ではないのかと一瞬疑ったが、彼女は間違いなくそこにいた。会えたという嬉しさが半分、顔を合わせてしまったという気まずさが半分。心の中で両者が混ざり合い、何とも言えない感情が胸を満たす。


 「金剛寺こそこんなところで何やってるの? 結構探したんだよ」


 探した? 伊藤が自分のことを? 探されるような心当たりがなく怪訝そうな顔をしていると、それを見てか伊藤が口を開いた。


 「ほら。私が予選で走ってた時に応援に来てくれたでしょ? そのお礼を言いたくって」

 「あ、そのことか」


 その言葉を聞いて合点がいった。同時に、自分の声援はやはり彼女に届いていたのだという安堵感が身を包む。


 「あのときの伊藤の走り、本当にすごかったよ。周りを引き離してて正に独走って感じだった。決勝でも1位だったんでしょ? 言うの遅れちゃったけどおめでとう!」


 笑顔を浮かべながらそう言うと、彼女も微笑みを返してくれた。


 「ありがとう。でもね、決勝では予選ほどのタイムは出なかったんだ。だからきっと、私が力を出せたのは金剛寺のおかげだよ」


 お世辞なのだろうか。正直、自分の声援がそれほどまでに彼女に影響するとは思えない。だが、彼女の口調や表情からは嘘を言っているような気配は感じられず、本心を口に出しているように思えた。


 「ね。隣座ってもいいかな?」


 そう言うと、伊藤はこちらの了承を得るより早く隣に腰を下ろした。花のような香りとともに僅かな汗の匂いが漂ってきて、思わずどぎまぎしてしまう。


 「あのとき金剛寺が来てくれて、結構嬉しかったんだよ? 声を聞いて、何て言ったらいいか分からないけど、やってやるぞーって感じになってさ。いくらなんでもタイミングギリギリすぎでしょとは思ったけどね」


 伊藤は冗談めかしたような笑みを浮かべる。自分の声援が彼女の力となっていた。それがたまらなく嬉しく、報われたような幸福感が身を包む。


 「タイミングについてはごめん……。ちょっと色々あって。でも、伊藤こそ、決勝戦の準備とかで忙しかっただろうに俺の応援に来てくれたよね。本当にありがとう」


 自分が最後まで走りきることができたのは伊藤の声援のおかげだ。彼女がいなければ自分は最後の最後でペースを落とし、記録はもっと悪くなってしまっていただろう。


 「気にしないでよ。ただ、何となく応援しなくちゃなって思って」


 そう言うと、伊藤はこちらを見ていた目線を前へと向け、静かな口調で言葉を発した。

 

 「その……。金剛寺、すごく惜しかったね」

 「うん」


 そう、自分は負けたのだ。伊藤の声援を受けながらも、結局成果を残すことはできなかった。もやもやとした感情が再び心を覆い、気持ちが沈んでいく。


 「でも、物凄く頑張ってたよ。気迫が見てるこっちまで伝わってきた」

 「……うん」


 こちらを慰めるような優しい声。やはり自分が思っていた通りの状況になった。結果を出せなかった自分と、それを慰める伊藤。惨めさと嬉しさ、暖かさが混ざり合い、心の奥から何かが込み上げてくるようだった。目頭が熱くなり何も言えなくなってしまう。同時に、もやもやとした感情が一層強さを増して胸の中にわだかまりをつくった。

 しばしの沈黙の後、伊藤は再び口を開く。

 

 「あのさ、もし抱え込んでる気持ちがあるなら、吐き出しちゃった方が楽だと思うよ」


 その言葉を聞き、思わず伊藤の方を見つめる。相変わらずこちらの考えを見透かしているような鋭さだ。自分の心の中にあるもやもやとした形にならない感情。もし胸の内を誰かに話せば、気持ちの整理がついてその感情の正体が分かるような気はする。しかし、だからと言って伊藤に甘えてしまっていいものだろうか。

 思案していると、伊藤はそんな自分に語り掛けるように言葉を発した。

 

 「私はね、あのとき金剛寺に話を聞いてもらって本当に救われたの。だから、同じように私も金剛寺を助けてあげたい。ダメかな?」


 頭の中に、伊藤と二人で河川敷で話したときの光景が浮かんだ。伊藤が悩みを相談すべきか悩み、自分がその背中を押そうとしていたときのことだ。あの時の自分はただひたすらに伊藤の力になりたくて、悩みを話してほしい一心だった。もしかすると、今の彼女も同じ気持ちなのだろうか。

 そう思い、ふと伊藤の顔を見つめる。彼女はこちらを心配そうな表情でじっと見つめており、その瞳には優しさが宿っていた。そんな彼女を見て、悩みを聞いてもらいたい、この気持ちを分かってもらいたいといった感情が抑えられないほど大きくなる。そして、気が付いた時には既に口が動いていた。


 「俺さ。何でもすぐに諦めちゃう自分が嫌いだったから、そんな自分を変えたくて……。最後に大会で結果を残したいと思って、短い間だったけど物凄く練習頑張ったんだ。ここまで全力で何かに打ち込んだのって、多分人生で初めてだと思う」


 頭で考えて喋っているわけではない。心の中の想いがそのまま言葉となって口から出てきているのだ。伊藤は何も言うことなく、ただ隣で話を聞いてくれている。


 「でも、それでもあと一歩届かなかった。ゴールインの直前、気持ちはあっても身体がそれに追いつかなかったんだ。考えてみれば当然だよね。実力が上の磯貝に、たった数週間頑張っただけの俺が勝とうだなんて無理な話だと思う。でもさ、それでも……」


 先程からずっと抱えていたもやもやとした気持ちが、今口元まで出かかっていた。


 「本気で勝負して負けるのって、こんなに……こんなに悔しいんだね……」


 そこまで言って、ようやく自分の中の感情の正体に気が付いた。そう、これは悔しさという感情だ。磯貝に、ライバルに負けたことが悔しい。全力で挑んで、それでも目標を達成できなかったことがたまらなく悔しい。諦めることに慣れすぎて久しく忘れていた感情。それが今、自分の心の中に雪崩のように押し寄せていた。


 「 ……分かるよ。いくら努力しても届かない壁はある。頑張れば頑張ったほど、負けたときは悔しい。そういうものだよね」


 そう呟く伊藤の目はどこか遠くを見つめているようだった。短距離の才に恵まれた彼女だが、これまで陸上を続けてきた中で、きっと彼女なりの葛藤や挫折、敗北があったのだろう。だからこそ、これほどまでに言葉に重みを感じるのだ。


 「でも、そうして積み上げた努力が無駄になることって、絶対にないと思うの。苦しんだ時間も、悩んだ時間も、そして喜んだ時間も、全部自分を成長させてくれる。私はそう思うな」


 辛かった練習の日々が思い出される。あの日々は、自分の想いは、努力は、無駄ではなかったのだろうか。自分は、それらから何かを得ることができたのだろうか。


 「だからね、その涙は……。金剛寺が今流してるその涙は、必ずあなたのためになる。全力で頑張ったっていう証そのものなんだから」


 その言葉を聞きハッと我に返る。気が付けば、瞳から流れ落ちた涙が筋となって自分の頬を伝っていた。慌てて手の甲で顔をぬぐうが、涙は次から次へとこぼれ落ちてきて止まる気配を見せない。しかし、そんな自分の様子を見ても伊藤は優しげな顔で微笑んでいるだけだ。それを見ると、必死に涙を隠そうしている自分が何だか馬鹿らしくなり、顔をぬぐう手を止めて涙が流れるままに任せた。

 二人で夕陽を浴びながら、しばし沈黙が続く。流れる涙とともに心の中のわだかまりも一緒に流れていくように感じられ、少しずつ気持ちが軽くなっていくのが分かる。先程まで心を覆っていた悔しさが薄まり、代わりに清々しく晴れやかな気分が胸を満たしていった。

 

 「俺さ、元々陸上に興味があって入部したわけじゃなかったんだ。そんなんだから普段の練習にも何だか身が入らなくて、本気になりきれずにいたんだと思う」


 今更本音を言うことに抵抗はなかった。気が付けば、いつの間にか流れていた涙も止まっている。

 

 「でも、ようやく少し分かったんだ。全力で走ることの楽しさが。本気で何かに打ち込むことの尊さが」


 そうだ。3000mを走り終えたあの瞬間に感じたのは、決して悔しさだけではなかった。やりきったという感触、全てを出し切ったという清々しさ……。そういった感情が胸を満たし、感じたことのないような高揚感が身を包んでいた。あのとき、自分はとても心地よかったのだ。


 「それに気が付けただけでも、俺の3年間は無駄じゃなかった。もう何かを簡単に諦めたりしたくない。今なら心からそう思えるんだ」


  結果は残せなかったが、確かに得られたものはあった。自分のしてきた努力は無駄ではなかったのだ。身体中に暖かさが広がり、乾いた砂漠に雨が降るように自分の心を潤していった。


 「ありがとう、伊藤。話を聞いてくれて」


 そう言うと、伊藤は穏やかな笑みを浮かべながら無言でうなずく。伊藤がいなければ、自分は気持ちを抱え込んだままずっと1人で悩んでいただろう。だからこそ、隣に座ってくれている彼女の存在がとても愛おしく大切なものに思えた。自分は伊藤が好きだ。だが、それ以前に彼女は大切で……かけがえのない幼馴染なのだ。それだけで十分なのではないか。無理をして想いを伝える必要などないのではないか。そんな思いが頭を駆け巡る。


 「あ。そういえばさ、大会で入賞したら金剛寺が入部した理由を教えてくれるって言ってたよね?」


 思案していると、唐突に伊藤が口を開いた。


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