親友
男子3000mに出場する自分たちは、競技場近くの林にあるランニングコースでウォーミングアップを行っていた。ランニングコースとは言っても道は舗装されておらず、林の中の小道を走っているという感じだ。しかし、道の両側に生い茂る木々が日光を遮ってくれるためか、そこまでの暑さは感じなかった。
そんな道を一列になって走るのは、自分と磯貝を含めた3年生4人と2年生3人。この7人が今日の男子3000m走に出場する部員たちだ。さほど速いペースで走っているわけではないが、それでも既に走り始めて20分ほどが経過しているため、既に全身がうっすらと汗ばんでいた。自分の前を走る磯貝も、首筋に汗が伝っているのが見える。
(磯貝、あれからなんかむすっとしてるな)
テントを立て終えた直後、自分と伊藤が親しげ話しているのを聞いてから、磯貝は何となく不機嫌だ。いつも明るくて能天気な彼らしくない。前にも似たようなことはあったが、その際は日をまたげば元通りになっていた。こんな磯貝を見るのは自分も初めてのことだった。
「ふうっ。競技開始まであと1時間か。あと少し走ったらストレッチでもしよう」
先頭を走る三年生の部員が声を上げる。競技開始まで1時間と言うことは、現在の時刻は午前11時頃……。ちょうど女子100mの競が始まる頃だ。
(伊藤、もうスタートしてるのかな)
そんな考えが頭をよぎった。今からでもウォーミングアップを抜け出して、彼女の応援に向かいたい気持ちはある。正直に話せば周りも自分を止めることはしないだろう。だが、自身の都合を優先させてウォーミングアップを抜け出すなど、後輩に手本を示すべき三年生として適切な行動とは言い難い。
(うーん、もやもやするな……)
いったい自分はどうするべきなのだろうか。応援にはいかず、このままウォーミングアップを続けるべきか、それとも……
「うわっ!」
思案にふけっていると、突然何か固いものにつまずいた。バランスを崩して地面に倒れ込んでしまう。
「だ、大丈夫っすか!? 金剛寺先輩!?」
後ろを走っていた後輩が慌てた様子で声を上げた。
「あー、大丈夫だよ。……うん、ひねったりとかもしてないみたい」
起き上がりながら足の調子を確認するが、特に痛みなどは無く、動かしてみても違和感は感じられない。
「ぼうっとしてたみたいでしたけど、何かありました?」
その言葉を聞いて思わずはっとする。後ろを走る彼からは自分の表情など見えなかったはずだ。にも関わらずそのように言ったということは、自分はそれほどまでにぼんやりとした雰囲気を出していたということなのだろうか。
そのようなことを考えていると、唐突に磯貝が口を開く。
「まぁ、念のため怪我とかしてないか確認した方がいいな。金剛寺には俺がついてるから、お前らは……あの辺りでストレッチでもしててくれよ」
そう言いながら、道の先にある木々が開けた場所を指さした。他の部員達は了解の意志を示して走り去っていき、自分と磯貝の二人だけが道に取り残される。自分は大丈夫だと言ったはずなのに、少々心配しすぎではないだろうか。そう思って磯貝の方を向くと、その顔にはいつもの彼らしくない真面目な表情が浮かんでいた。
「金剛寺。お前、伊藤のとこに行きたいんだろ」
「え!?」
磯貝の目には真剣な光が宿っている。
「どうなんだ?」
その口調からは彼らしくない凄みというか、有無を言わせぬ威圧感のようなものを感じた。怒りとはまた違った種類の気配。それに圧されるように、思わず本心を口に出す。
「……うん。正直言うと、今からでも行って応援したいよ。でも、俺個人の事情でウォーミングアップを抜けるのは……」
そう言いながら、今朝の伊藤の顔を思い出す。自分が応援に行けないと言った瞬間、彼女の表情には僅かに陰りが見えたのだ。決して見間違いなどではなかった。そして、その表情を思い出すと胸が苦しくなり、彼女の元へと行かなければという気持ちが湧いてくるのだ。
だが、その言葉を聞いても磯貝は相変わらずは仏頂面のままだった。一体その表情の裏にはどのような感情があるというのか。彼が何を考えているのかが分からない。
(一体何だって言うんだ? どうしてそんな不機嫌そうなんだよ。まさか……)
前々から思っていたことではあったが、磯貝は自分と伊藤が親しくしていると不機嫌になる傾向がある。ということは……。
「ねぇ、磯貝ってさ……。伊藤のこと好きなの?」
「はぁ?」
意を決して問いかける。すると、磯貝は眉をひそめて口を半開きにしたまま、間抜けな声を出した。
「いや。俺が伊藤と仲良さそうにしてるとなんか不機嫌になるし、もしかするとそういうことなのかなって」
磯貝の仏頂面が崩れ、代わりにばつの悪そうな表情が現れた。
「なんだ、そんなこと思ってたのかよ」
眉間にはしわが寄り、目線を気まずそうにこちらから逸らしている。そのまま居心地の悪そうな顔で少しの間沈黙を続けたが、やがて大きなため息とともに口を開いた。
「はぁ。分かったよ、正直に言うよ」
磯貝が逸らしていた目をこちらに向ける。
「別に伊藤が好きなわけじゃねえ。ただ、お前に先を越されるのが癪だっただけだ」
その声色からは、先程までの気まずい感じとは違う、観念したような気配が感じられた。
「お前ってさ、勉強もスポーツも顔も普通~って感じだろ。俺って、一応成績はお前よりいいし、長距離のタイムだって俺の方が上だし……。だから、そんなお前に彼女ができそうになってるのを見て、なんでお前にできて俺にはできないんだーって思っちまったんだ。羨ましかったっていうか、自分が置いてかれてるみたいな感じがしてさ」
全身に殴られたような衝撃が走る。磯貝が自分と伊藤の仲を羨んでいるのだろうということは、何となく予想がついていた。だが、それよりも彼が自分のことを下に見ていたということがショックだったのだ。
「今までのお前って、なんか自信なさげだし、なんでもすぐに諦めちまうし……。友達としてつるむ分には楽しかったけど、正直に言えば、いつも根性ねぇ奴だなって思ってたよ」
ほぼ悪口を言われているようなものだが、怒りは一切湧いてこない。ただ衝撃が走ったのみ。磯貝の言うことは全て正論だ。諦めることに慣れてしまった自分。何事にも自信が持てない自分。そんな自分が自分でも大嫌いだった。
「……けどな、最近になって考えが変わったんだ」
何も言えずに押し黙っていると、唐突に磯貝が口を開く。見れば、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「最近のお前、なんかかっこいいぜ。伊藤のためだかどうかは知らねぇけど、お前は全力で練習に取り組んでた。強くなろうって必死に頑張ってた。見てるこっちまで気迫が伝わってきて、俺も負けちゃいられねぇって思ったよ」
そう言い終えると、歯をむき出しにしてにかっとした笑みを浮かべた。いつもの彼が見せるような、能天気で明るい笑顔。暗く澱んだ心の中に光が差し込んだかのようだった。先程まで胸を満たしていた冷たい感情が、暖かなものに溶かされていくのがが感じられる。自分のこの数週間の努力は、決意は、確実に無駄ではなかったのだ。
「それにな、俺たち友達だぜ。友達の恋路を応援できない奴なんざ、男としてカッコ悪いだろうがよ」
そう言って少し照れくさそうな顔を見せる。友達、という言葉にこちらも気恥ずかしくなってしまうが、それ以上に嬉しさの方が心の中で勝っていた。自身の努力が無駄ではなかったとい嬉しさ。そして、彼のような友達を持てたことの嬉しさだ。
「お前が伊藤の応援に行くのは、お前自身のためだけじゃないだろ? 伊藤を力づけてやりたい。そう思ってるからじゃないのか?」
「……うん」
彼の言う通りだ。伊藤の好感度を稼ぎたいとかそういった感情は不思議なほどに湧いてこない。ただ彼女の傍で声援を送ってあげたい。今の自分の心の中にあるのはそれだけだ。
「あいつのことだから、俺の応援なんてなくてもいいタイムは出せるかもしれない。それでも行ってあげたいんだ。行って、応援してあげたいんだ」
「なら後ろめたく思うことはねぇよ。行って、おっきな声で応援してやんな。他の奴らには上手いこと言っとくから」
磯貝が親指を立てながら笑顔を見せる。心の奥から何かが込み上げてきて、思わず目頭が熱くなった。
「……ありがとう磯貝。本当にありがとう」
泣き出しそうな声だというのが自分でも分かる。
「礼はいいからさっさと行けって! もたもたしてると伊藤の順番が終わっちまうぞ!」
その言葉に押されるように、磯貝に背を向けて走り出す。流れそうになる涙をこらえ、鼻をすすりながら来た道を戻ろうとした。……だが、少し進んだところである感情が心の中に浮かび、思わず磯貝の方を振り返る。
「磯貝は俺のライバルで、親友だよ!」
それだけ言うと、すぐにまた磯貝に背を向けて走り出した。照れくささが半分。急がなければならないという気持ちが半分。あえて磯貝の反応を確認するようなことはしない。だが、振り返る瞬間に一瞬だけ見えた彼の顔には、照れくさそうな笑みが浮かんでいたように見えた。
「あれ、磯貝ー! 金剛寺はどこ行くんだ?」
後ろから他の三年生の部員の声が聞こえる。自分が突然走り去っていったことに気が付き不審に思ったのだろう。
「あー。なんかウンコが漏れそうだとか言ってたぜ! なんでも、15年の人生の中で最大級のブツが来そうだとか」
(おい、変なこと言うなよ……)
これが磯貝の言う上手く言っておくということなのだろうか。とにかく、結局後で自分がフォローを入れることになりそうだ。
(でも、それでもありがとう。磯貝)
親友への感謝を胸に、林の中の小道を駆け抜ける。道の両端には木々が立ち並び、青々と茂った葉の隙間からは明るい木漏れ日が差していた。
読者の皆様にお願いがあります。
少しでも『おもしろい』、『続きが気になる』と思っていただけましたら、↓のボタンからブックマークや評価をお願い致します! ブクマ&評価数が増えると作品がより多くの方に見ていただけるようになり、作者のモチベーションも上がります!
お読みいただきありがとうございました! 読者の皆様に読んでいただけるのが1番の幸せです!




