決戦当日
照りつける日差しが肌を焼き、額から汗が滴り落ちる。すがすがしくなるほどの快晴だ。そんな中、自分たち陸上部は市の陸上競技場近くにいた。
この陸上競技場は、市が運営する総合運動公園の中にある建物の1つだ。野球場やサッカーグラウンド、プール、陸上競技場などが狭い範囲に密集しており、それらの建物の間には木々や芝生といった緑が広がっている。公園内には林の中の遊歩道や川辺のランニングコースなども存在し、自然に包まれながら様々な運動を行うことができる、市民の憩いの場となっているのだ。
「よーし、テントの設置終わったよー!」
折り畳み式のテントを設置し終え、周りに声をかける。ここは陸上競技場のすぐ隣に広がる芝生であり、周りを見渡せば、他校の生徒たちも同じようにしてテントの設営を進めていた。大会においては周りに日差しを遮れるものがないため、このようなテントが選手たちの休息、活動拠点となるのだ。
当然1つのテントだけで40人近い部員全員を収容することはできないため、第二第三のテントも設営しなければならない。本来は後輩の仕事であり、自分達三年生は見ているだけで良いのだが、いつもの癖でつい手を貸してしまった。
(でも、やっぱりこうして人のことを手伝ったりするのは嫌じゃないな)
脳裏に先日の伊藤との会話が浮かび、思わずそんなことを考えた。人助けにしか自分の価値を見出せない。そういった気持ちは未だに残っている。だが、それでも……。それでも以前よりは明るい気持ちで手伝いができるようになった気がするのだ。こういったことをするときみいつも湧いてくる自己嫌悪も、今日は鳴りを潜めていた。
「よーし。各種目の開始時刻は大会パンフレットに書かれてるから、それぞれ種目の招集時間に遅れないように! ウォーミングアップも種目ごとに抜かりなくやっておけよ! 以上、解散!」
テントの設営が完了し、顧問の小森が大声で叫ぶ。大会パンフレット、招集時間……。そういった言葉が立て続けに耳に入り、これから本当に大会が始まるのだという実感が押し寄せる。自分たちにとっては最後かもしれない大会。現実味がなくどこかふわふわとしていた感じでとらえていたが、それが急に目の前に現れたかのようだ。
「とうとう始まったんだな、金剛寺」
「……ああ」
自分と同じことを思ったのか、磯貝が隣でつぶやいた。
「えぇと、なになに……。あ。男子3000m走は12時かららしいっすよ」
パンフレットを読んでいた後輩の一人が声を上げる。
「マジか? ちきしょー、一番暑い時間じゃねえかよ」
そう言って磯貝は顔をしかめた。自分も思わず眉間にしわが寄ってしまうのが分かる。長距離走において気温はタイムに大きく影響するのだ。酷暑ならば体力の消耗が激しくなり、いつも通りのコンディションやペース配分で走れなくなる可能性もある。だが、そんなことで泣き言を言っているようでは到底勝ち上がれない。
「まぁ、午後1時とか2時になったらもっと暑いだろうし、時間が早い分まだマシだよ。それに暑さなんて関係ない。ただ全力を出すだけ。そうでしょ?」
「……ふっ。だな。いいこと言うじゃねぇか」
磯貝がにやりとした笑みを浮かべた。そう、どんなコンディションや天候であろうとも全力を出し切る。伊藤のため、自分のためにも、この大会で絶対に入賞するのだ。
そのようなことを考えていると、数名の女子部員がぞろぞろとテントの中から出てくるのが見えた。その中には伊藤もおり、顔ぶれから女子短距離の部員たちだということが分かる。
「あ、伊藤。もしかして、これからウォーミングアップ?」
「うん、そうなの。女子の100mは11時からだからさ」
その言葉を聞き腕時計に目をやった。見れば、現在の時刻は午前10時少し前。陸上の大会では競技開始から2、30分前には種目毎の招集場所にいなければならないため、今からだとウォーミングアップに使える時間は40分と言ったところだろうか。短いわけでもないが、それほど余裕のある時間でもない。心なしか伊藤たちからも焦燥感が感じられるような気がした。
「伊藤なら絶対入賞できるよ。俺も応援行くから頑張って!」
笑顔を作ってそれだけ言う。もっと色々伝えたい気持ちはあったが、時間がない中で引き留めるのは忍びない。だが、それでも伊藤はこちらに顔を向けて返事を返してくれた。
「ありがと! 金剛寺こそ頑張ってよね! 私も絶対応援行くから」
互いに微笑みあう。伊藤の声色からは競技前の緊張など微塵も感じられなかった。笑顔も作ったようなぎこちないものではなく、本来の彼女が浮かべるような自然なものだ。短距離走においては選手のメンタルも記録に影響するが、これほどリラックスできているなら心配はないだろう。
伊藤の様子を見て安心していると、横から磯貝が気まずそうな声で言葉を発する。
「……あー、言いにくいんだけどさ。11時スタートだと、男子3000mのウォーミングアップの時間と被ってるんじゃないか?」
それを聞き、慌てて競技開始時間を思い出す。自分や磯貝が出場する男子3000mは12時スタートだから、11時30分頃には招集場所に集合しなければならない。一方で女子100mは最初のスタートが11時。だが、何十組もの選手が順番で走るため、実際に伊藤が走るのは競技開始から十数分は後だろう。そんな中、自分たちは11時30分までにウォーミングアップを終える必要があるため……
「ほ、ホントだ。確かに被ってるね」
自分たちの部ではウォーミングアップは種目毎にまとまって行うことになっている。三年生と言う立場なら無理を言えば途中で抜けることは可能だろうが、自分の都合で部のルールを破る……。実害がないとはいえ、確実に周りから良い目では見られないだろう。しかし、伊藤の応援ためなら周囲の目など無視すべきだろうか。
「私のことは気にしないで。ちょっと残念だけど、自分の種目のことに専念しないと!」
思案していると、伊藤から明るい声が飛ぶ。だが、その表情には僅かに陰りが見えたような気がした。
「それじゃあ、また後で!」
自分が応援に行けなくなったのを本当に残念がってくれているのだろうか。それを確かめる間もなく、伊藤はこちらに背を向けて歩き出した。
最後の大会の直前。今日ここで入賞できるかどうかで、伊藤に想いを伝えるか、自分に自信が持てるかが決まるのだ。時間さえあれば彼女ともっと話したかった。気持ちを高めるためにも、もっと彼女の声を聞いていたかった。名残惜しそうな視線を伊藤の背中に向けていると、それに気が付いたのか磯貝が口を開く。
「金剛寺ィ。やっぱお前、伊藤と何かあっただろ」
殺気のこもった恨めしげな声だ。以前にもこれと似たような状況があったが、既にきれいさっぱり忘れたものと思っていた。もしかして、実はずっと気にしていたのだろうか。
「だからそんなことないって! ……今のところは」
慌てて弁明するが、ずっと伊藤のことを考えていたためか本音の部分がつい口をついて出てしまう。不味い……と思うよりも早く磯貝が声を荒げた。
「はぁ!? おま、それはどういうことだ? やっぱり抜け駆けか? 抜け駆けなのかぁぁぁ!?」
「落ち着けって! ほら、こんなとこで体力使うのは良くないよ!」
自分の失態が元とはいえ、非常に厄介なことになってしまった。しかも、このまま今日一日は彼と共に過ごさなければならないのだ。荒ぶる磯貝をなだめつつ、この先どうしようかと気が重くなる。
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