水切り(2)
「それっ」
威勢のいい声を出しながら、伊藤が力強く腕を振り抜いた。投げ放たれた小石はぽちゃりと気持ちのいい音をさせながら水面を飛び跳ね、川面には次々と波紋が広がっていく。
「12、13、14……。うぉ、17回!?」
初めは勢いの良かった石も水面を跳ねていくにつれて徐々に速度を落としていき、最終的には川の中に落ちてしまう。だが、そこに至るまでに跳躍した回数はなんと17回。もう2メートルも跳ねていれば対岸まで届いていただろうというほどの距離だ。
「ふふっ。まあ、ざっとこんなもんだよ。石が良かったってのもあるけどね」
得意げな調子でそう言うと、伊藤は両手をパンパンと払う。
「す、凄いな……。伊藤、極めればこれで食べていけるんじゃないの?」
思わずそんな言葉が出てしまう。それほどに伊藤の水切りは見事であり、小さな石が水飛沫を上げながら進む光景は目を奪われるものだった。昔の彼女もすごかったが、現在では技術にさらに磨きがかかっているようだ。たかが水切りとはいえ、こんなものを見せられると自分もつい挑戦したくなってしまう。
「えー? 水切りにプロなんているの?」
「さあ? どうなんだろ……」
気のない返事を返しながら、自分の足元に散らばる小石を見つめる。その中から一番平たそうなものを拾い上げると、伊藤のフォームを真似て勢いよく腕を振るった。投じられた石はやや急な角度で水面に当たり、大きな飛沫をあげて1回、2回と跳ねるものの、それ以上は跳ばずに水に沈んでしまう。
「うーん、やっぱり難しいな」
引き続いて3投ほどしてみたが、どれも3、4回跳ねるだけですぐに水に沈んでしまった。小さい頃の自分でも5、6回は跳ねさせられたので、成長した今なら8回くらいはいけるのではないかと思ったのだが……。やはり感覚が鈍っているのだろうか。
「そうだなぁ。石選びは悪くないから、投げるときにもっと回転をかけるといいよ。腕だけじゃなくて、こう、体も使ってひねりをつける感じ」
思い悩んでいると伊藤からアドバイスが飛んだ。実際に体を動かして手本を示してくれているが、そのフォームは野球のサイドスローさながらであり、素人目から見てもかなり洗練されている。先程一投目から大記録を出したことを考えると、もしかして度々一人で練習していたのではないだろうか。
(む……)
視線が思わず伊藤の足へと向いてしまう。フォームを作った彼女は足を前後に大きく開いているが、そのスカートの裾からは太ももが覗いていたのだ。手本を示すことに夢中になっているのか、本人はそのことに気が付いていない。眼福にあずかったという気持ちと伊藤に対する罪悪感が混ざり合うが、何よりこのまま凝視していたらばれてしまいそうだという恐怖が大きくなり、思わず目をそらす。
「ちょっと、金剛寺? せっかく実演してるのにちゃんと見てるの?」
「ご、ごめんごめん」
不服そうな顔で唇を尖らせるので慌てて弁明する。やはり気が付いていなかった。普段はやたらと鋭いのに、なぜこういった部分は無防備なのだろうか。つまらない疑問が浮かぶが、彼女の動きを見て投げ方は把握できた気がする。
「よし、それじゃあもう一投いこうかな」
煩悩を振り払うようにそう言うと、足元の手頃な石を拾い上げた。でこぼことしてはいるがいい感じの平たさだ。腕を振り上げると同時に体重を右足にのせ、それから勢いよく左足を前へと踏み出す。右足にのった体重を左足に移動させつつ、体と腕の両方のねじりで石に回転を加え、勢いよく放り投げた。
「おっ!」
全身の力が上手く石に伝わったような感覚を覚え、思わず声が出た。1回、2回、3回、4回……。水面に幾重もの波紋が広がっていき、石の跳ねる間隔が徐々に狭まる。そして、石は8回の反跳の後に水中に没した。
「おー、良くなったじゃん!」
伊藤が明るい声で叫んだ。屈託のない素直な賞賛に、思わず心が躍ってしまう。
「伊藤の指導のおかげだよ。少しだけどコツが分かった気がする」
「なら良かった。でも、まだ身体全体を使えてないって感じがするな~」
そう言うと、伊藤はおもむろに石を拾い上げ、相変わらずの洗練された動作でそれを投じた。石はすべるような滑らかさで水面を跳ねていき、そして、なんと沈むことなく川の対岸まで到達した。
「18、19、20。……マジで? 22回も跳んだよ、今の」
目の前の光景を信じられず思わず目を見開いてしまう。先程の17回でも十分驚いたのに、それを軽々と超えてくるとは。文字通り開いた口が塞がらない。一方彼女はと言うと、そんな自分を見て得意げな表情を浮かべていた。
「む。お、俺だって頑張ればもう少しは……!」
「お、いいねぇ。ちなみに私の自己ベストは26回だから、頑張って目指してみて」
伊藤の顔にはからかうような笑顔が浮かんでいた。それを見てつい悔しくなってしまい、何度も石を投げる。辺りを見渡して良さそうな石を探し、それを投げ終えるとまた新しい石を探す。自分も伊藤も、ひたすらその繰り返しだ。だが、石の選び方が悪いのか、変に意識するせいでフォームが崩れているのか、自分の石は結局どれも8回以上跳ねることはなかった。
それから一体どのくらいの時間が経っただろうか。気が付けば日は傾き、夕日が辺り一帯を赤色に染めていた。流石に少し疲労を感じたので石を探す手を止める。すると、近くにいた伊藤も同じく手を止め、満足げな声でつぶやいた。
「あー楽しい。本当に昔に戻ったみたい」
そう言うと、伊藤は川のすぐ近くに腰を下ろした。それを見て、自分も彼女の方へと近づき、その隣に座り込む。夕焼けと水の流れる音。思えば、つい先日もこうして河川敷に座って二人で話した。あのときはお互いにすれ違って終わってしまったが、今は自分も伊藤も晴れやかな気持ちで川を眺めることができる。その変化がたまらなく嬉しかった。
「あの夜に金剛寺と話してからさ、昔のことを色々と思い出すようになったの」
唐突に伊藤がつぶやくので、彼女の方に顔を向ける。夕陽に照らされたその顔には柔らかで落ち着いた表情が浮かんでおり、目は川の流れをじっと見つめていた。
「ねぇ、私がどうして陸上部に入ったか分かる?」
「え? なんでだろ?」
伊藤が陸上部に入った理由……。そんなことは考えたこともなかった。頭の中であれこれと思考を巡らせるが、それらしい答えは全く浮かんでこない。
「私って運動全般が好きなんだけど、球技とかよりも鬼ごっことかかけっこをしてる時の方が楽しくてさ……。あの、風を切って走ってるって感じが大好きなんだよね」
その言葉は自分の中で腑に落ちた。
「あー、なるほど。確かに、あの頃の伊藤っていっつも走り回ってたよね」
思い返せば、小学校中学年の頃の伊藤は非常に活発な性格で、休み時間には決まって校庭や中庭を駆け回っていたという印象がある。高学年になる頃にはだいぶおとなしくなったが、それでも体育の授業などで走っているときの彼女はいつもより生き生きとしていた。
「うん。だから中学に入って陸上部を見たら、すぐにこれだって思ったの。もちろん練習は大変だけど、それよりも走ってるときの爽快感の方がずっと大きかった」
そう言う伊藤はどこか嬉しそうであり、瞳には過去を懐かしむような暖かな光が宿っていた。だが、突然その光は陰り、表情にも僅かに暗さがみられる。
「でもね、私はいい子を演じてるだけなんだって悩み始めてからは、なんか走るのが楽しくなくなっちゃって……。周りからどう見られてるんだろうってことばかりが気になって、上手く走れなくなってたんだ」
いつかの彼女のぎこちない走りが思い出される。そう、あのときも彼女は一人で苦しんでいたのだ。自分がもっと早くに彼女の悩みに気付き、相談に乗っていれば。そんな思いが頭に浮かんで眉間に皺が寄る。だが、そんな気持ちを吹き飛ばすように、伊藤が力強い声で言葉を発した。
「でもね、ようやく思い出したの。私は走るのが大好き。全身に風を感じてるあの瞬間だけは、面倒くさいこととか嫌なこととか全部忘れて夢中になれる。だから、きっとそれが私って人間なんだと思う」
その言葉に思わずはっとする。見れば、伊藤の顔にはすがすがしい笑みが浮かんでおり、そこには自分を見失って悩んでいた頃の暗さは微塵も感じられない。夕方の涼しげな風が吹き、彼女の艶やかな黒髪を揺らしていた。
「……良かった。もう、大丈夫そうだね」
そう言うと、伊藤はこちらを向いてうなずいた。
「金剛寺のおかげだよ。だから、その……ありがとうね」
互いに目が合うが、気恥ずかしさから思わず視線をそらしてしまう。ちらりと見れば、伊藤も少しだけ気まずそうに視線を泳がせていた。その顔が少し赤くなっているように見えるのは夕陽のせいだろうか。それとも……
「あのさ、金剛寺はどうして陸上部に入ったの? 良ければ教えてよ」
考えていると、伊藤が口を開いた。自分が陸上部に入ったのは、伊藤だそこにいたからだ。彼女が陸上部に入ると聞き、少しでも一緒に居たいと思って入部を決めた。だが、そんなことをここで言えるはずもない。
「そ、それは……。秘密かな」
「えぇ!? 教えてくれないの? 気になるなぁ。私は全部話したのに」
伊藤は眉をひそめて不満そうな声を出す。確かに、話を聞くだけ聞いておいて自分は何も話さないというのはフェアではないかもしれない。しかし、だからといって本当のことを話したら、それはもはや愛の告白になってしまう。どうすべきか思い悩んでいると、ある考えが浮かんできた。
「じゃあさ、もし俺が来週の大会で入賞出来たら教えるよ。そのときは絶対にちゃんと話す。それでいいかな?」
「え? う、うん。それなら別にいいけど」
こちらの真面目な雰囲気に圧されたのか、伊藤は若干困惑したように答えた。
(多分、俺はまだ伊藤にふさわしい人間じゃない)
彼女と接する時間が増えたおかげで、もはや以前ほどの壁は感じない。それどころか、最近の自分たちは幼い頃にもまして親密になっている気さえする。ただ、それでも自分では彼女に相応しくないのではないか。彼女と釣り合わないのではないかという考えが、心の片隅にこびりついて離れないのだ。恐らく伊藤自身はそんなことは微塵も気にしていないだろう。しかし、幼馴染としてならともかく、仮に恋人にでもなった場合、自分は胸を張って彼女の隣に立つことができるだろうか。
(多分無理だろうな……)
伊藤は自分のことを優しい人間だと言った。人のために頑張ることのできる人間だと言ってくれた。だが、それだけではまだ心にこびりついた劣等感を振り払うには足りないのだ。もっと、もっと何か具体的な成果が欲しい。
(やっぱり、大会で入賞するしかないな。想いを伝えるのはそのときにしよう)
心の中で決意を固める。
「大会まであと一週間か」
そんな言葉が思わず口をついて出た。一週間という短い時間で、自分はどれほどタイムを縮められるのだろうか。
「頑張ろうね。お互いに、最後まで」
すぐ隣で伊藤が微笑む。その顔を見ていると、心の中の不安な気持ちが溶けてなくなっていくようだった。
(そうだ。最後まで頑張るって決めたんだ)
伊藤に想いを伝えるため。そして、これまでの弱い自分と決別するために。改めて決意を固め、顔を上げて空を睨みつける。どこまでも真っ赤な夕焼け空。闘志に燃える自分の心を写しているかのような、深紅の空だった。
お読みいただきありがとうございます。読者の皆様に読んでいただけることが一番の幸せです。
評価や感想、ご指摘などございましたら何でも書いてくださるとありがたいです。
ブクマ&評価をしていただけると物凄く励みになります!




