3話 もしかしてまた……
家の外から、鳥が心地よく鳴いている声が聞こえる。
この、朝の空気は嫌いではない。しかし、眠たい中布団から出るのは嫌いだ。
徐々に私の意識が確かなものになっていくと同時に、私は下半身に不快感を感じた。
このじくじくとした湿っぽい感触を私は知っている。
私は恐る恐る、布団の中に左手を入れて、私のパジャマの濡れている部分を触る。
その手を鼻の近く持ってくると、明らかにおもらしをした時と同じ臭いがする。
私は隣で寝ている千香が目を覚まさないようにゆっくりと布団をめくる。
するとそこには黄色い地図ができていた。そして、シーツと私のパジャマだけに限らず、千香のパジャマまでもが濡れていた。
「ああ、私何やってるんだろ。小学一年生の妹を二日連続で自分のおしっこまみれにするなんて」
私は屈辱感を感じていた。しかし、このおねしょを千香にバレないようにしなければならないということに突然気が付く。
さすがにこれほど盛大にやらかしては一人で処理するのは無理があるので、私は千香を起こさないようにゆっくりとベッドを降りて、お母さんを呼びに行った。
お母さんは休日のこの時間はだいたい、キッチンで朝ご飯を作っている。
階段を一段一段降りていくとともに、包丁がまな板にあたる音が大きくなり、コーヒーの匂いが強くなる。
キッチンを覗くと案の定お母さんがたっていた。
私の存在に気が付いたお母さんはすぐに私の方を向く。
「お母さん。やっちゃった」
これは我が家のルールである。
私は小学生の時に一度、おむつからおしっこがあふれ出て、シーツが汚れてしまったのを隠したことがある。
その時、お母さんは私がシーツを汚したことよりも、汚したのを隠したことを怒った。
お母さんは、私の失敗には優しく対処してくれるが、私のうそには厳しく対処する。
そんなことがあった時に、お母さんは”失敗したことは全然いいの。でも隠さないで”と私に真剣な目で言っていた。
それ以来、私はちゃんとお母さんに報告するようにしている。
しかし、私はもう高校二年生である。さすがに自分の失敗を自分の口から報告するのは屈辱である。
私は唇を強くかみしめてから言った。
「おねしょしちゃった。それに千香が私のおしっこで……」
私の声は恥ずかしさでどんどんとしぼんでいく。
するとお母さんは包丁をまな板の上に置き、私のそばへ一歩ずつ近づいてくる。
「よく言えました。えらいえらい」
お母さんはそう言いながら私の頭をなでてくれる。
恥ずかしかった、でもとても愛を感じて心がポカポカしている。
「じゃあまずは里穂から着替えよっか」
これくらい幼児のように扱われたのは久しぶりだったので、私は赤面したままこくりと一度だけ頷く。
私がキッチンで、立ったままで待っていると、お母さんが私の服を持ってきた。
お母さんは、その服を近くの床に置いて、私のパジャマに手をかける。
私のズボンが降ろされて、おしっこで黄色くなったショーツが……
私はいつも通りのそんな情景を想像していたが、今日は違っていた。
「あれだけパジャマが濡れてる割にはショーツが全く濡れてないわね。もしかしておねしょしたのは、里穂じゃなくて千香なんじゃない?」
お母さんがまるで名探偵になったかのように、素早く推理する。
私とお母さんは、急いで千香のもとへ向かう。
お母さんは、いつものように千香をやさしく揺さぶって目を覚まさせる。
「おは……よう……」
千香は私と同じで朝が苦手なようで、目をこすりながら上体をゆっくり起こす。
上体を起こすと同時に、意識が戻っていったのか、千香は突然飛び起きた。
「おねしょしちゃってる……」
千香は次に私の方を見る。
「お姉ちゃんのことおしっこまみれにしちゃった…… ごめんねお姉ちゃん」
「いいよいいよ、大丈夫だから。 それより一緒にお風呂はいろっか」
状況がすこし違ってはいるが、千香は人をおしっこまみれにしても正直に白状できる偉い子だ。
それに比べて昨日の私はなんてことをしてしまったのだろうか。
千香はいまだにおねしょをしたショックでしょんぼりしている。
毎日私とお風呂に入りたがる千香なら、すぐに元気を取り戻してくれると思っていたが、よっぽどショックが大きかったのだろう。
私たちは昨日と同じように脱衣所に行き、おしっこでぐっしょり濡れた服を脱ぐ。
昨日は私のおしっこで濡れていたが、今日は千香のおしっこである。
私は思う。小さい子のおねしょは、幼さがあり見る人からすればかわいいと思えるだろう。でも私みたいな高校二年生の女の子がおねしょやおもらしをしたところで、それはただ単におしっこが我慢できない幼稚な女性として見られるだけだ。もう少し、背も胸も小さければいいのに。
かといって私は特に背が高いわけでもなく、むしろ16歳の平均身長よりも3㎝ほど低いくらいだ。
私は千香の体を昨日と同じように入念に洗ってあげる。
しかし、未だに千香の表情はしゅんと落ち込んだ表情のままだった。
「ねえ千香、私も千香と同じぐらいの時におねしょしたことあるよ。だから安心して」
私は小学一年生の頃、毎日のようにおねしょやおもらしをしてしまっていた。
今言ったセリフでは、とらえ方によっては今日の千香のようにたまたましてしまった風にとれる。
だが、その当時におねしょをしていたかというところが問題なので、私は嘘を言っているわけではない。
私はそんな屁理屈を脳内で述べながら千香の顔を覗き込む。
千香の表情は途端に明るくなっていく。
まるでしおれていた花が、再び生き返り、華やかに咲いているかのような変化だった。
「じゃあ、千香、お姉ちゃんと一緒だ!」
「うん。そうだね」
出来ればマイナスなところまでもを一緒にはしてほしくないのだが、それよりも千香には笑っていてほしかった。
私たちがお風呂を上がり、リビングに行くと、パンとコーヒーという朝を代表する2つの匂いが広がっていた。
「おはよう! お父さん」
私と千香は声をそろえて、リビングですでに座っていたお父さんに挨拶をする。
ああ、なんて気持ちの良い休日の朝なんだろう……
私は少しの間、その雰囲気にぼーっとしていた。