ある魂の打算 24
ガーランド竜王国の城の最下層。脱獄という最も緊張感の強いられる状況。だが二人の子供は、身も隠さずにバタバタと走り抜ける。
イライラ、イライラ。
(いや、バタバタと音を出しているのはこの身のみ。テハは音なんか立てていない)
訓練しても訓練しても、前に進もうとする思いが強ければ強いほど、速く走っているつもりで手足を無駄にバラバラに動かして空回りする身体。更に鼻から口から、最適な息継ぎも考えずに酸素をふんだんに取り入れる事により、ぜいはあと肺から嫌な音が零れ出ている。
そんな少女を珍しいものを見る目つきで、牢越しに佇む囚人達は見つめていた。王城の牢に収監されるのは主に政治犯なのか、身なりの整った罪人は素行悪く野次を騒ぎ立てる事はない。だが不自然に通路を走ろうとしている憐れな子供を、どこか興味津々で眺めていた。
『はあ、ふう、はぁ、ぜぇっ、ぜぇっ、』
(これだけ走り回っても、牢番どころか衛兵も見当たらない。この好機はテハによる工作だと考えられるが、何を考えているのか、この切迫感極まる状況の中、なぜこのメイを、担いで連行しないのか)
余りにも先に進まない少女を、少年は振り返り振り返り笑顔で鼓舞するだけ。
(サエグサの襲撃では、見事な走りだっただろうっ!)
異物に乗って襲来した男から逃げる為に、メイを担いで城内を駆け抜けた少年神官テハは事が落ち着くと、身体に触れた事を平伏して少女に許しを乞うていた。
(今はそんな、エスクランザの面倒なお国規則はどうでもいい! 許しを乞わなくていいからこんなチビ、肩に担いでとっとと走れ!!)
「もう少しです、頑張って! ここを抜ければ後少し! そうです! おみ足お上手です!」
(そして声が大きすぎなんだよ、なんだよ、おみ足お上手って)、
「初めて立った赤子かっ・・・!!、あ、出られたか、」
「え?」
「状況確認を。セルドライは、逃げたんだな」
突然自分の真横に追い付いた少女に驚くテハだが、直ぐに少女の目付きにオルディオールだと頷いた。
「はい。脱出に手を貸してくれています」
「奴は飛竜に乗れるよな? 脱出にそれを使うのか? オゥストロの黒い奴より速かったって、連中大騒ぎだったぞ」
「それが、彼の相棒であるプライラなのですが、人食の疑いにより殺処分の対象に。なので目立つ飛竜よりも、彼が追っ手を引き付けて、私達は地上から国外へ出ます」
「・・・人食、か。プライラ、俺たちを救った飛竜だ。・・・そういえば、何処かで人食に似たような話があったような」
「?」
「そうだ、セキャ・オンだ。確か第五砦の何処かで骨がどうとか言っていた。飛竜が人を喰ったのかと、ふと思った内容だった」
「セキャ、ですか?」
その名にテハの顔が怪訝に曇る。
「確かめてみよう」
「ですが、危険です」
ーービシンッ!!
〈止まれ!!〉
地下の牢を抜け出した直後、天上に反響した打撃音は、風を切る音と共に手に戻る。静まり返った回廊、銀色の鞭を片手に、女騎士は眦を吊り上げて二人の前に立ちはだかった。
*
天上人メイは、黒竜騎士オゥストロとイーオートの護衛騎士の影に隠れている小さな少女だ。巫女というにはミリーよりも存在感も華やかさも薄く、ただの北方風の子供にしか見えない。そして天上人であるがゆえに一般常識に欠けており、王族や貴族に対しての礼儀を弁えていない。
(メイ巫女、オゥストロ殿の婚約の話がなければ、私の記憶に残らなかったはずのもの)
婚約者だと発表されたが、それは気にはならなかった。それはあり得ない事であり、予想通り、やはり戦略的なもので直ぐに解消された。
エディゾビアは、メイ巫女という少女の存在が気に入らなかった。
少女が第三砦で黒竜騎士オゥストロの婚約者と認められた理由として、ハミア家の娘との決闘の勝利がある。だがこれは、軍部の捏造だとエディゾビアの周囲は考えていた。それを裏付けるものとして、軍は剣聖エミハールの関与を利用し、五大貴族によるメイに関する追及を巧く躱していたからだ。
だが軍部から身限られたメイという少女の価値は、もう何も無い。
天上から来たと天教院が主張するだけで、実際は家名も学歴も武力も、容姿の取り柄も何もない。そんな何も持たない存在が、エディゾビアが自分の伴侶に相応しいと認めた、オゥストロの傍に少しでも居座った事が許せなかった。
(巫女という立場を利用する、諸外国への対外的な婚約ならば、あの方の隣に立つ事をせずに、その憐れな姿を隠し通すべきだった)
オゥストロに釣り合わない小さな少女は、彼に寄り添って竜王に拝謁した。昨年の天起祭でのこの怒りを、エディゾビアは燻らせていた。
再び現れた少女は第二王子の庇護下にあり、簡単には手が出せない。そう思っていたのだが、思わぬところで恥をかかせる事が出来た。
暇潰しに白竜に覚えさせた、エディゾビアが気に食わない者に唾液をぶつけるという遊びで、メイは見事に的となった。飛竜の行った悪戯に、第二王子付き近衛兵も口を出せず、憐れな少女の姿は貧相で笑えたが、それでもエディゾビアの溜飲は下がらない。
だが今は、少女は脱獄をした罪人で、自分の手には銀色の鞭がある。
(本来ならば記憶に残るはずの無い塵芥のようなものが、オゥストロ殿の名と共に、私に纏わり付く事が不愉快だ)
北方の神官一人を供とした頼りない少女の姿に、今度こそ心の底から楽しめそうだと、エディゾビアは内心で笑った。
*
〈メイ巫女、そなたはクラメア殿下の命により、城の地下へ収監されたはずだ。何故ここにいる?〉
「・・・・」
(情けない。見れば見るほど、こんな貧相な者が、オゥストロ殿と、並んで歩いたとは)
三人の騎士が背後に回り込む。応じて少女を庇う様に前に進み出た少年神官は、腰の短刀に素早く手を伸ばす。それを抵抗だと確認したエディゾビアは、手加減はいらないと笑みを深めた。
(この好機に、この場で排除してしまおう)
オゥストロとの婚約を破棄され、ミリーに敗北したことにより第二王子イーオートの庇護は無いに等しい。更に目の前の少女は、脱獄をしたという重罪を負っている。エディゾビアは嬉々として、手にした鞭を打ち鳴らした。
ーービシンッ!!
だが一打ちで肉を削ぎ落とす打撃音に、黒髪の少女は身を竦めて怯えもせずに、ただぼんやりとその場に立っている。それに苛立ち、今度は脅しではなく小さな身体目がけて腕を振りかぶった。
〈王族近衛部隊、白竜騎士エディゾビア・アステス〉
〈?〉
振り上げた手を止めて、聞き間違いかと目を見張った。小さな少女は振り上げられた鞭を見て、身を縮めて震えているはずだった。
だが少女は、進み出ただけで自分を護る神官を下がらせ、周囲を確認する様に見回している。生意気なその姿は、まるで王族であるかのように悠然と、そしてエディゾビアを嗜め眉を顰めると、片方の眉を上げて黒目を眇めた。
〈近衛騎士、誰に向かって鞭を向けている?〉
〈なんだと?〉
小さな少女は、エディゾビアの問いかけに顎を軽く上げた。
〈お前は竜王と大神官と同じ?〉
五大貴族のエディゾビアに対して、意味の通じない片言のガーランド言葉。取り囲む騎士達は憐れみで少女を笑ったが、問われたエディゾビアは、少女の生意気な態度に激昂した。
〈軽々しく、我らが王を口にするな!〉
普段は温厚なエディゾビアの怒声に周囲は息を飲んだが、 取り囲まれる少女はそれを悠然と見つめるだけ。そして落ち着き払った口調で告げた。
〈この身は、天教院に席を置く天上人。大神官と同等の立場にある〉
〈笑わせる。お前の立場は対ファルド戦に天教院を利用して、軍が与えただけの偶像だ。新たにミリー巫女が現れた今、砦部隊と第二王子殿下が見限ったメイ巫女は不要。王族不敬罪で囚われた犯罪者の一人でしかないのだぞ?〉
白い丸顔、つり目の黒目を少女はひたりと女を見据えた。
〈彼らの代わりとして、それを答えたのだと、天が聞いた〉
〈まだ言うか? 天だと? 真実、天上に国などあるはずがないと、天に人など存在しないと、竜騎士である我らが一番理解しているのだ!〉
〈誓約、ガーランド人でも聞いた事はあるな〉
ーー違ったものには天が落ち、死で二人を引き離す。
地域によって解釈の違う〔誓約〕という天を介した誓いは、ガーランド竜王国では人と人では行わない。東ファルド帝国ではそれに重きを置き、騎士達は命を架けて行っていた。
国によって解釈の違う誓約。それに一族は血で縛られ、子孫の命を帝国に捧げ続ける。誇りであったその呪いを破り棄てたオルディオールは、他国の騎士に晴れやかに笑った。
〈お前は、メイ巫女は不要と言った〉
〈漸く自覚出来たか?〉
〈王族近衛部隊、白竜騎士エディゾビア・アステス、それをお前の望みとしよう〉
〈頭がおかしくなったのか? それとも、拙い言葉の間違いか?〉
エディゾビアは首を傾げながら周囲の騎士達と笑う。そして命を架ける危険な誓約を口にした少女を奇異な目で見たが、小さな少女は得たいの知れない威圧を発した。
〈この身を不要と言った。天がこの地に落ちるのは、それは王の代わりに巫女を虐げた、お前との誓約〉
〈!?〉
〈忘れるな。お前は今、竜王と同等の立場で、この身と〔誓約〕したぞ〉
天教院も巫女を利用して、信仰心は国を纏める手段の一つでしかない。だが日頃から天教院を通して国の秩序や道徳を学んできた騎士たちは、小さな巫女の宣言に気持ちの悪さを心に落とす。
その一瞬の困惑に、エディゾビアに走りよった小さな少女は、反応が遅れた白竜騎士の鞭を蹴り踏み切ると、そこから頬を回し蹴りに振り切った。
(足りた)
壁に打ち当たって倒れたエディゾビアを見て内心でほっとする。オルディオールは、メイの短い足がエディゾビアの顔に届かず、空振りになるのではないかと瞬間に過ったが、間に合って安堵に一つ頷いた。
背後では、テハが取り囲む騎士を短刀で昏倒させる。どさりとどさりと鈍い音は、直ぐに静まり返った。
「やったのか?」
「いえ。命までは」
それに同意し、軽く頷く小さな少女。
「しかし、ガーランドの近衛の割には手応えがなかったな。この女騎士よりも、俺はお前の殺気の方がひやひやしてたぞ。皆殺しにでもしそうな気配が漏れすぎだ」
「申し訳ありません・・・。その者の態度が、目に余りましたので。それより、何故〔誓約〕なのかお聞きしても宜しいですか?」
「何となく思い付いた、戦略的呪いの使用法だ。だがこの中の、何人に効果があったかは結果によるな」
「誓約は、北方では祝福を誓うものなのですが」
「そうらしいな。誓いは、ところ変われば呪いと解釈される事もあるんだ。・・・一族から受け継がれ、幼少期から心に刻まれた呪いは簡単には消えない」
つり目の黒目は、ある感慨に倒れる騎士達を見つめた。
ガーランドの国民は北方よりも、天を崇拝していない。地図に記されない、目に見えない国は意味がない。むしろ彼らは飛竜に乗る事により、天を支配しているとさえ思っているのだ。
「国によって、価値観によって呪いは変わる。ガーランドの者たちは、本当に天が落ちてでも来ない限り、誓約など、真に身に刻む事は無いだろうがな」
***
ーーーカルシーダ中央城、とある貴賓室。
『あれ、メイさんじゃん』
テハが示した客間の一つに、オルディオールが目的とした人物、三人目の天上人は居た。その部屋には、錠もなく見張りも何も居ない。それをオルディオールは訝しんだが、ふとあることを思い出した。
(そういえば、この者はミリーの付き人と呼ばれていたな。だとすると、アピーと同じ扱いか?)
メイの付き人のアピーは弱者として認定され、ガーランドでは大して警戒されることもなく、城内を自由に歩き回っていた。再び室内を見回して、不機嫌を顕に待機するテハに目を止めたところで、椅子から立ち上がった青年から声がかかる。
『ねえ、さっきの何? あのデカイ男、マジで怖かった。今どき大声で怒鳴るとか、まじ最悪。ショウワかよって思わなかった?』
「ショーワ・・・」
『言わなかったっけ? 俺のばあちゃんの友達ショウワ生まれなんだけど、その時代の人間ってエスエヌエスに対応出来てなくて、情緒不安定で怒鳴ったり、デバイス叩いたり大変だったらしいよって話をよく聞かされて。でね、直ぐに怒鳴るとか情緒不安定な奴って、ショウワって呼ばれがちじゃない? あ、俺のばあちゃんはショウワじゃないよ』
少女は軽く頷いた。それを見た少年も満足げに『だよね』と頷く。メイを通してセキャとの会話の流れは分かったが、オルディオールに天上の世の理屈は不透明なままだった。
(何となく理解出来るが、ところどころ解らない)
とりあえずメイが人の話を真剣に聞いていない場合によくやる、頷いて聞いた振りをオルディオールは試していた。少女の理解を伴わない肯定的な頷きに、セキャは満足げに頷き返す。
『アノ・キーテ・イーテスカ?』
『え、何? 突然、』
『マエ、フォネ・オ・ミタ、・・・ドゥークツ?』
『どぅーくつ? ・・・骨? あー、洞窟の? 見た見た!』
『ホシエテ・クタサイ。パショ』
『ねえ、なんで敬語なの? そしてなんでカタコトなの?』
興味津々に目を見張る。だが刻を無駄にしたくないオルディオールは、焦りを隠さず急き立てる様に詰め寄った。
『パショ! パショ! フォネ・ノォ・パショ!』
『なんか必死だね、メイさんかわいい』
「・・・・」
身振り手振りを加えて焦りを表現しても要領を得ないセキャに、苛立つオルディオールは片方の眉を上げる。そして潰えた刻に少し宙を睨み、背後の少年神官を振り返った。
「テハ、地図は持っているか?」
「こちらに」
無表情にセキャを観察していたテハは、素早く懐から折り畳んだ紙を卓に広げる。
『おわー、まさかこれ、リアル地図? カッコイーね。 でも俺、リアル地図なんて見れないよ。音声ナビとか、マーカーが動いてくれないの使ったことないんだよね。ねーこれ、もしかして赤道? 何の線かな?』
青年が驚き覗き込んだガーランドの地図。そして発した言葉に耳を傾けていたオルディオールは、目線をセキャに落としたまま背後のテハに問いかけた。
「・・・・そもそも俺の言葉がこいつに通じているかは疑問だが、今の内容は地図が見れない、と言ったはずだ」
「はい。私も『デモ』、『ナイ』は、一部の天上言葉の否定を表すと学びました」
「無駄に刻を費やした。行こう」
会話を終わらせ、素早く地図をしまう。そして少女は挨拶もなく背を向けた。だがその背をきょとんと見つめていた青年は、慌てて縋る様に呼び止める。
『待ってメイさん! 行っちゃうの? 俺、メイさんの部屋、付いていっていい? ここ、やること無くてすごい暇なんだよね』
足は止めたが振り向かない。再び無言で歩き始めた少女に、それを追わないセキャは直ぐに諦めた様に呟いた。
『俺、骨の場所は、近くに行かないと分かんないよ』
戸口で再び足を止める。つり目の黒目は、項垂れる青年を振り返った。




