異なるもの 02
〈空の明け、我が御頭に翼を広げます〉
豪奢な玉座に腰掛けた王の前に進み出た男は、礼を述べると一歩後ろに下がる。すると所在なさそうに隣に佇んでいた少女は、自然に前に押し出された状況に後ろを振り返った。
男が深く頷くと、自信なさげに黒髪の少女は正面の玉座を見上げる。華奢な身体に長い黒髪を結い上げた北方人にも見える美しい少女は、腰を屈めると玉座にサラリと流れる黒髪を落とした。
**
〈天上人、お名前は?〉
『・・・・?』
ガーランド竜王国第一王子であるクラメアは、王に似た巨躯を屈み込むように、背の低い黒髪の少女を覗き込む。昨年の天起祭でも王に特別謁見を申し出た少女が居たが、王族でも気軽に近寄れない特士貴族オゥストロが同伴していたことにより、クラメアでさえ気軽に声を掛ける事も出来なかったのだ。
天教院が、数百年に有るか無いかと騒ぎ立てる天上人の降臨。その奇跡がまたと続いた事に、王族貴族は次なる者を懐疑的に見ていた。
本物か、偽物か。
〈ミリー・アシュウエの巫女です。クラメア殿下〉
〈第五砦の者だな?第三の特士オゥストロに続き、今年は第五砦にも良い風が吹きそうだ〉
〈イーオート殿下!〉
第一王子に続いて現れたのは、第二王子であるイーオート。クラメアよりも線が細いが高身長はオゥストロに並び、強靱な体軀、竜刺繍を意匠とした長衣の背には編み込まれた銀色の髪が広がっている。イーオートの白銀色の涼しげな目線は、小さな黒髪の少女を捉えて、ふっと優しげに微笑んだ。
『・・・・・・・・』
第二王子の登場に黒髪の少女は頬を染め俯き、場を乱された事に苛立つ第一王子は、注目の少女を連れてきた男を初めて真面に見据えた。
〈ところで、そちらの天上人からは、我ら王族に年明けの祝福な無いのか?〉
〈いえ、あの、それが、ミリー巫女は天上人。天上の言葉を話されるのです〉
〈だが昨年の巫女は、我が父王に礼を欠いたが、年明けの祝福は述べていたぞ〉
〈それは、その、〉
『?、?、』
〈クラメア殿、特士オゥストロの巫女、メイカミナはファルド国から逃れて来たのだ。天上人と呼ばれる彼らにも、それぞれに事情があるのだろう〉
〈!!、っ、そんな事、わかっている!〉
弟の口出しに憤慨してその場を後にしたクラメアにダグエルトは怯えたが、気にした様子もなく第二王子イーオートは再び微笑んだ。
〈空の明けの祝福を〉
美しい第二王子は少女に年明けの祝福を強制せず、柔らかく告げると取り巻きと共に立ち去った。その後をミリーと呼ばれた少女は目で追っていたが、取り囲む貴族達が自然に割れると、続いて華美に着飾った女が現れた。
〈これはケイシャ様!〉
王妹である女にダグエルトが礼を取ると、隣に立ち竦んでいた黒髪の少女も慌てて深く頭を下げる。それを扇子越しに目で笑っていたケイシャだが、背後から進み出た神官服の青年にふと目配せした。
進み出た黒髪の青年は、面立ちがどことなく天上人と呼ばれるミリーに似ているが瞳は青。左右非対称な黒髪をさらりと流して首を傾げると、薄く笑う唇が開いた。
『こんにちは』
**
〈第五砦の隊長、ダグエルト・・・殿か、〉
ダグエルト聞いて思い浮かべる事は、近衛隊長である白竜騎士、姉のエディゾビアとは違い存在感が薄いこと。その第五砦という閑職地の隊長であるダグエルトが、年明けの天起祭で大注目を浴びた。
(あの人が、なぜ天上人を連れて来たのか)
華奢な身体に長い黒髪を結い上げている。北方人にも見える美しい少女は、大広間で上士貴族に取り囲まれていた。それを流し見ていたエスフォロスは、今回は第三の砦ではなく、第五砦に降臨したという天上人の少女に注目する。上士貴族、王族が次々と挨拶に訪れる中、渦中の黒髪の少女は終始儚げに微笑んでいた。
〈〔オゥストロ隊長のメイ〕では無かったんだな〉
〈??、〉
来場客の輪から離れた窓際の列柱、遠目から広間の中央を見ていたエスフォロスに、聞き慣れた嫌味な声色が投げかけられた。振り返ると、明るい朱髪で童顔、弧を描く金の瞳に人の善さそうな青年が、上官の婚約者を当たり前のように呼び捨て笑っている。
〈エミュス、上官不敬罪だぞ〉
〈隊長はここには居ない。お前は僕の上官でも無いし、貴族ですらないのだから、上士貴族の僕を敬うことは忘れるなよ〉
面倒くさい奴が来た。分隊長であるエスフォロスの直属の部下では無いが、階級的には一つ下である。センディオラの隊の副隊長であるエミュスは、根っからの上士貴族で平民を陥れる事に躊躇いがない。
〈・・・・・・・・で?、なに?〉
〈ここに〔メイ〕が居るって聞いたから来たのに、アレは違ったから困っているんだよね〉
顎で示した広間の中央。貴族達に取り囲まれた黒髪の少女を見て、エミュスは悲しげな顔でエスフォロスを振り返る。
〈だから、ソレをヤメロ。そして隊長の婚約者を、呼び捨てるなよ〉
〈ハ・ア?、お前もいつも、呼び捨てだったよね、エスフォロス。お前とアラフィアは〔隊長のメイ〕の飼育係だったのだものね?〔メイ!動くなよ!〕って大声で、砦で叫んでたの誰だっけ?〉
上官の婚約者である黒髪の小さな少女メイ・カミナ。彼女が第三の砦を訪れたばかりの頃は、存在の曖昧さと見た目の危うさに子供と同じ扱いをしていた。エミュスは、直属の上官であるセンディオラが上級尋問官であった事から、彼の行く先に現れる見慣れない少女を観察していたのだ。少女が高貴な巫女としてではなく、姉弟に粗雑に管理されていた事は、砦の大半が記憶している。
〈あれは、まあ、その、隊長も許可してたし、王都の天教院だって、まだメイを巫女だって認定してなかったから、砦での事はいいんだよ。本人も、敬語で話しかけたら混乱してたしな〉
上官の婚約者だと噂されてから、何度か立場に見合った言葉で話し掛けてみた。だが聞き慣れない敬語に、言葉の拙い少女は片方の眉を上げてエスフォロスを見上げているのだ。
ーー『もう一度、お願いします。パードゥン、プリーズ』
ーー「また天上語か。いや、ですか、・・・なんかもう、面倒くせえな、敬語。」
分からない言葉を聞くと無表情で頷くか、片方の眉を上げて天上言葉を繰り返す。『マァウチド』と少女メイが繰り返すと、それが天上言葉では言葉を聞き取れなかったという意味合いなのだ。上官の前や公の場では天上人に敬意を示そうとしたエスフォロスだが、生意気な表情ですがり付くように『マァウチド』を繰り返す黒髪の子供に、いつしか敬意は自然に消え去った。
〈まあソレを、隊長も分隊長も、血眼になって探してるんだけどね〉
〈だから、ソレやアレって方が、呼び捨てより失礼だろうが!〉
〈あ、皇太子殿下だ〉
エスフォロスの注意の矛先を、エミュスは聞いていないと受け流した。そして話題の少女よりも、目の前に存在する少し背が高く儚げな印象の少女は、ガーランド竜王の妹であるケイシャと共に現れた天教院の最高神官である皇子アリアと対面している。
〈北方エスクランザは天教院の総本山。そのアリア皇太子殿下が認めたら、あの娘は巫女になる〉
〈?、だからなんだ?〉
〈そもそも天上人って、北方でも、過去に複数で発生した記憶がないんだって〉
〈発生って言うな。虫じゃねえ。〉
〈アレが皇太子殿下に巫女として認定されたら、隊長達が探してる第三の巫女、どうなるのかな?〉
〈・・・・・・・・は?〉
エミュスの家柄は王政の大臣を多く輩出し、祖父や祖母、父母は現在も国の重要な機関で働く上士貴族である。幼い頃から年上の者の顔色を見て成長した青年は、狡猾な貴族達が新たに現れた天上人の存在価値を値踏みしていることが、手に取るようにわかっていた。
〈天上人は天上人。巫女が増えたら、それは良いことだろ?年明けの祝福と重なるし〉
〈お前みたいな純粋単純生物が、何も考えずに納税してくれるから、僕ら上士貴族はありがたいよ〉
〈お前の嫌味は面倒くさい。だから暇な爺さん連中と猫しか、真面に相手にしてくれないんだぞ〉
〈単純な失敗で何度も降格されているアラフィアに育てられたお前も、はっきり意見を言える子に育って良かったね。そういえば残念だねアラフィア、オゥストロ隊長に続いて、特士貴族に選ばれなくて〉
〈!、〉
〈まあ、血を継ぐことの無いお前たち庶民が、第三で副隊長にまで上がれた奇跡を、せいぜい誇らしげに語り合えばいいよ〉
誉れある第三の砦で、貴族ではなく総副隊長に登り詰めたエスフォロスの姉のアラフィアだが、降格されて現在は砦国境に接するトライド国との調整部隊に回されている。庶民の出世頭として尊敬されるが、貴族に煙たいと目を付けられている姉。エミュスの挑発的な嫌味に、弟であるエスフォロスは本気の怒気を表した。
〈俺はアラフィアに、育てられてねえ。〉
〈それより、アラフィアよりもアレよりも、もっと重要な事なんだけど。逸れたけど、話しをメイに戻すよ〉
〈ああ、?〉
〈そもそも僕、メイを探してここに来たんだよね〉
〈・・・・・・・・だから、〔ソレ〕は、お前だけじゃなくて、俺たち皆、探してるから。王命だから。〉
〈そうじゃない。〔ソレ〕も探してるけど、僕が今探してるのは〔オゥストロ隊長のメイ〕じゃなくて〔センディオラ分隊長のメイ〕のこと〉
〈・・・・・・・・・?〉
疲れたとため息にきょろきょろと大広間を見渡し、エミュスの陽色の頭は〈居ないよね・・・〉と、傾げ項垂れた。
〈センディオラ分隊長の?〔メイ〕?・・・!、まさか、〉
〈見つけたら、僕におしえてね。くれぐれもお前の手柄として、うちの分隊長に渡さないでね〉
〈!?〉
給仕の運んで来た盆から、炭酸水を手にして優雅に歩き去る。そのエミュスは途中ですれ違った老齢な知人の大臣に、媚びへつらうように笑顔で挨拶をして回廊の奥に消えた。それを見送ってしまったエスフォロスは、その間に言われた内容を把握するのに刻を要する。
〈・・・・・・・・あいつ、猫にしか相手にされないと思ってたけど、〔センディオラ分隊長のメイ〕て、噂の分隊長が飼ってるっていう、黒長鼠のこと?〉
〈いかがですか?〉
差し出された盆の上の硝子杯。軽めの酒が並ぶその中からエミュスと同じくただの水を選んだエスフォロスは、人々の足下付近に目線を落とし、数ヵ月前に見失った黒髪の少女を思い出していた。