10 意外 10
出会ったのは、まだ幼い頃に興味半分で踏み込んだある集落の森。隠れて眺めていたのだが、いつの間にか小さな何かが自分にペタリとしがみつき、驚いて振り払うが再びしがみついてきた。
〈キャハハッ!〉
小さなものは、大きな口を吊り上げて、詰まる音を連続に出すと喜んでいるのだと親に教えられていた。逆に口端を下げて囀ると悲しんで弱っているらしい。
口を吊り上げて、甲高い声で背に何度もよじ登ってきた小さなものを、何度かトンと突き落とす。〈キャハハ、キャハハ〉と同じ事を繰り返す様子を観察していたが、遠くから何かが呼び声を張り上げた。
〈ーグエルトーー、〉
〈ここにいるよーーー!〉
小さなものがそれに答えて、それがそのものの呼び名だと理解した。
**
刻が経ち、小さなものは自分を呼ぶ合図を決めたようだ。その音を聞くと会いに行く。共に遊んで背に乗せて、巣作りの仕事を手伝ってやる。
果てのない空の旅、疲れるほど海上を飛んで遊んだ日。自分に番が現れた日。子供がなかなか卵から出て来なく、ようやく出て来た子の身体の色が、他の子と違い驚いて眠れなかった日。小さな友達が美味しい木の実を見つけてきた日。彼が番と出逢って、照れながら自分の前に連れて来た日。
その日々は、大きな〈厄災〉を鎮めるために飛んだ東の空、不気味な赤い幕が広がると、小さな友達を奪い去ってしまった。
もう、彼が背に乗ることは無いのだろうか。
良い思い出の無い、不気味な東側はたまに空が裂けている。そしてその裂け目から、ポトリと何かが落ちてくる。もしかすると、失われた友達が落ちてくるかもしれないと、それを拾い集める日々が続いた。
永い永い刻が過ぎたが、空から小さな友達は落ちてはこなかった。悲しみに沈んだ永い刻。だがある日、懐かしい呼びかけが聞こえた。
〈ーーー、ーーエルト!〉
〈!?〉
思い出したのは、彼を乗せて飛び回った空の旅。身体は、導かれるように、その名の姿を追った。
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(群衆との距離は思ったよりも遠い)
落下した直後は観客席の人々が迫って見えた気がしたのだが、今現在は、迫り来る地面しか見えない。ぐんぐん近づいて来る白色の石の地面に、命綱を付けないバンジージャンプを私の身体でしたぷるりんが、片手握りこぶしを胸に当て、そして呟いた。
「すまない、これまでだ」
(ん?)
ぷるりんが私の両目をがっちり見開いていることにより、迫り来る地面は刻一刻、だんだんと、徐々に接近しているのはリアルライブで強制視認させられているのだが、今ぷるりん、謝った。
なんかサラッと謝った。
(誰に?)
それはもちろん、ワ・タ・・・、
ーーまじか。
終わりとは、こうもあっさりしたもの?
数々の大ピンチを綱渡りで乗り越えた、
これが私の?
思い出した我が国の走馬灯は、
オーブン電子レンジで?
終わりなの?
**
偶然に飛竜と出会えても、その背に乗ることは難しい。竜騎士を目指すものたちは長年の刻を要する。幼い頃より訓練し身体を鍛えても、飛竜の気まぐれにより背に乗れず、竜騎士とはなれない者たちは数多く存在するのだ。彼らとの絆は簡単に作れるものではなく、軍学校で学び、出会い、交流し、そして飛竜の名を呼び、それに応える相棒として、認められた者だけが竜騎士となれる。
壮絶な訓練を重ね、飛竜との交流に成功した竜騎士と呼ばれる者たちは、目の前で繰り広げられた光景に、誰しもが〈あり得ない〉と驚愕した。
ヒラリと急降下した一頭の灰色竜が、地上を駆ける男に併走すると、掴まれた背の鬣、男が飛び移る鞍の無い背中に乗せる。それに観客席の四方から響めきが起こったが、更に一騎は、先に飛ぶものたちを次々に抜き去った。
〈何者だ!!〉
〈おじちゃん、竜騎士様なの?〉
興奮と困惑にざわめく観客席の中で、肩車の娘から問いかけられた父親は、それに言葉を返せず驚愕に口を開いたまま。人々は、流れるように過ぎ去った灰色の飛影が国の英雄に並ぶのを、息を詰め、拳を握り締めて見つめていた。
**
向かい風に思うように加速出来ない黒竜の、目線の先の目的位置はあと二百ギガル程の距離。加速した飛竜では一瞬の距離なのだが、風に乗り地面に向かう少女は、それより早く地上を目指す。
届かない。
目の前に落ちてくる少女に、膝立ちで手綱を握りしめるオゥストロが怒りに歯噛み、それを追うものたちも半ば諦めを想像し焦燥したが、背後から迫り来る風切り音は、彼らの真横を通過した。
ーーゴォウッ!!
〈!!〉
黒竜騎士と並ぶのは灰色の竜。騎乗する男は東側の風体、黒髪褐色の肌に特徴的な鋭い金朱の瞳は、過ぎ去る際に怒りと嘲りを残す。
オゥストロと同じく立て膝、片手で鬣を握る男は、向かい風をものともせずに突き進むと、流れ落ちる少女に衝突するように小さな身体に突き進む。だが触れられる距離、騎乗する男は手も伸ばさずに、飛竜はくるりと少女の周囲を急旋回した。
ワアッ!!
黒竜騎士を抜き去った驚愕と、少女に追いついた歓声。人々から悲喜交々の声が漏れ出たが、飛竜の急旋回により風圧に絡め取られた小さな身体は宙に舞う。一回転した少女は、伸ばされた褐色の手の平、広げられた両腕、白い歯を剥き出しに笑う男の顔に、つり目の黒目を驚愕に見開いた。
「・・・・・・・・お前はっ、」
両手に引き寄せられるように、力強く包まれた小さな少女は、抱えられた逞しい腕の中で呆然と懐かしい顔を見上げる。
「『十九』」
巫女の少女を両手に抱き、悠然と羽ばたく灰色竜の背に座る男は、ガーランドでは目にしない金朱の瞳。少女を見て安堵に微笑んだ瞳は、上空や背後に聞こえた翼の音に振り返る。
〈俺たちの勝ちだな〉
それにプライラと呼ばれた飛竜は一声応じ、クラフィア山から次の強風が吹き抜けた。舞い上げられた黒髪に目を細めた少女は、上空に集う影、自分たちを徐々に取り囲む飛影にため息を吐いた。
**
〈速い〉
〈あれが〔最速のフライラ〕か〉
〈信じられん、そしてあの者は、一体何者だ?〉
竜騎士ではない流れ者の不審者にこの場を支配され、漏れ出る感嘆は驚愕と怒りに吐き出される。一方、楔の橋の上、もう一人の巫女の少女は白竜騎士と共に居た。決闘の勝敗が決した後に、敗者を橋から突き落とした血気盛んな勝者の少女は、何故か瞳の焦点が定まっていない。座り込み俯く巫女を視界の片隅に、エディゾビアは驚愕に地上を見下ろしていた。
〈なんてこと、オゥストロ殿を、追い抜いた。あれは、フライラではないの?〉
背に乗る男は弟のダグエルトではない。手綱で指示されることも無く、灰色の飛竜は見たことも無い異国の男を背に乗せているのだ。
突然現れた不審な男に臨戦態勢を取りながらも、どこか戸惑いと興奮を隠しきれない者たち。長槍を手にするが覇気のない兵士たちの間を、エミハルトはすり抜けてようやく少女を確認した。
〈ご無事か、良かった、〉
少女を抱くのは黒髪、褐色の肌、金朱色の瞳。見慣れない異国の顔立ちに東国の騎士を想定したが、誰しもが息を飲む見事な飛竜の騎乗に、それはないと首を振る。
衝撃に身を竦ませ男の腕の中で丸まっていた少女だが、気を失っているのではないかと心配するエミハルトを余所にもぞりと身動いだ。そして長い腕から逃れるように伸び上がると、男の腕に腰掛ける。
「救われたことには感謝する。だが俺が言うのもなんだが、何でお前、この身体でこんな所に、」
オルディオールの溜め息交じりの問い掛けに、懐かしい自分の顔はきょとんと間抜けな顔をする。それにも奇妙な違和感を持つが、惚けた自分の顔に、更にイライラと苛立ちが募り始めた。
〈??、なんだ?メイじゃないのか?・・・お前もしつこい男だな、オルディオール。メイはどこだ?〉
「お前に言われる筋合いは無い」、
〈俺の身体から出て行け〉
〈お前こそ、メイから出て行け〉
褐色の肌の男の腕の中、じゃれ合う様な言い合いが続いたが、上空から〈お前は誰だ〉とイーオートの冷たい声が投げかけられた。遅れて到着した第一王子クラメアがそれに続いて同じ様に大声を張り上げたが、見上げた金朱の瞳は、銀色に流れる髪と飛竜の竜冠に敬意を示して、右手を背に隠すと敬礼をする。
〈名は無きもの〉
〈無きもの、だと?〉
〈それはどういう事か、〉
〈名を取られた、犯罪者なのでは?〉
〈逆にそれほどの名があるものならば、我ら近衛隊が知らぬはずが無い〉
意味も分からず呟く者たち。王族に敬意は示したが、取り囲む騎士を見渡して挑発的に目を眇める。この態度にクラメアが更に怒りを吐き出したが、イーオートはここで初めて男が手にする少女に目線を移した。
〈その巫女とは、縁者か?〉
敗者となった巫女に興味は無いが、不審者の腕の中で身動ぎしない少女に、イーオートにはある思いが浮かんだ。昨年の天起祭、黒竜騎士オゥストロの腕に収まっていた少女は、イーオートの腕に収まることを拒絶したが、今は得体の知れない男の腕の上に、大人しく身を寄せている。
〈・・・・〉
第二王子の問いに、男と少女はきょとんと顔を見合わせる。そして小さく首を傾けた。
〈縁者かと言われると、俺はメイの愛は受け取っているが、お前の愛は要らないな〉
「・・・・おいお前、話をおかしな方向に持っていくな。そもそも、お前は言葉の使い方が少しおかしいぞ。〈愛〉だのなんだの、気色の悪い言葉を、気軽にその口から発するな」
〈・・・・・・・・〉
バサリと強く羽ばたいた、黒竜の羽音に目をやると無表情に怒りを宿したオゥストロの視線とぶつかる。それを咳払いで誤魔化した黒髪の少女だが、見上げた銀色の髪の王子を注視した。
(〈その巫女・・・〉と言ったな、ガーランド第二王子、イーオート。メイに興味が無くなるのは良いことだが、逆に牢部屋に移動になっても面倒事だ)
巫女の決闘の敗戦により環境が冷遇される。メイへの興味が無いイーオートは、他国に求められる巫女という存在を利用しようとしたのだが、それはミリーの勝利により新たな巫女の存在を引き立てた事になった。
(オゥストロを始めとする竜騎士部隊。それに取り囲まれたこの状況は、俺の身体の十九が一人で暴れ回って、どうにかなるものではないが、・・・そういやトラーはどこだ?)
ミリーの部屋の前から逃げるように走り去ったメイ。その後の少女の向かう先、ファルド帝国には秘匿とされるガーランドの特殊部隊に踏み込んだのだが、全容を把握する前にトラーと出会った事で、メイの身体で周囲の詮索をすることはやめたのだ。
(十九が乗り込んだ混乱に乗じて、何かトラーの動きは・・・無いな)
周囲に増え続ける竜騎士を、再びぐるりと見回した。ガーランドの王城からの脱出を考えていたオルディオールだったが、それは難しいと判断する。
(ん?あれは、メイ付き監視兵か?)
十九を排除しようと空に集う竜騎士たちだが、不審者が巫女を救ったという事実に戸惑い揺れている。その中に、メイの監視兵の姿を見つけたオルディオールは、少女の扱いについてふと思い出した。
(こいつら、メイに触れることも規制をかけられている風だったな)
ファルド帝国で王の隣に位置していたエールダー公家、その当主であったオルディオールだが、大貴族の立場と並行に行ってきた軍事訓練により、人々の動向観察は息を吸う様に身に付いている。ガーランドでは珍しい短髪の監視兵は、メイが突然会釈をするという奇怪な行動に動揺し、部屋から自然に抜け出ようとした少女を慌てて掴んだのだが、自らの行為に蒼白になっていた。
高位貴族へ許可のない接触不敬罪は、どの国にも暗黙的に周知されている。
(軍部より独立している近衛部隊。短髪のクラウムフィスタ、奴の主はイーオート。そして一部の者たちは更に銀髪の貴族を崇めている)
第三の砦ではセンディオラ、王宮では白竜の女騎士、そして第二王子イーオート。
(五大貴族と呼ばれる上位貴族、特士と呼ばれる黒竜騎士オゥストロは別物としても、この国の連中の銀髪の者に対する態度は違う。そして王子からの部下への指示、天上人であるメイへの接触禁止は、とりあえずは上位貴族よりは上の位置だと考えられるが、ガーランドでは、分かりやすく巫女を崇め奉る北方とは違い、どこまで天上人という存在が力を持つか手探りだな。ふむ、)
第二王子は少女を〔その巫女〕と突き放した。力関係で敗北した巫女がどの位置に立っているのか。オルディオールは、それを試すことにした。
〈天はまだ、貴方の頭上には落ちてはいないか?〉
〈・・・何?〉
脈絡の無い疑問は、問い掛けた不審者からでは無く、この場では飾りのような存在から発せられた。イーオートは、無粋にも会話に割り込んできた敗者の少女に苛立ち目を眇める。不審な男の腕に腰掛けた頼りない姿。だが第二王子の冷たい瞳に射抜かれたその少女は、何故か晴れやかに笑い返すと口端を上げたまま周囲を見渡し、すうっと息を吸い込んだ。
〈空を制する者たちよ!!〉
澄んだ高い声は良く通り、地上にまで響き渡る。王城を守護する竜騎士隊だけでなく、名だたる勇猛な砦部隊隊長が集うクラフィア山で、この場を支配する指揮者のように声を張り上げた。その姿に、少女を数日護衛していたエミハルトは、衝撃に呆然と呟いた。
〈これがあの、メイ巫女様?、〉
巫女だと周囲に持ち上げられてはいたが、片言のガーランド言葉を話す、見た目にはただの北方大陸出身の子供。上官である近衛隊隊長クラウムフィスタも対応に困惑する、天上人だと呼ばれていただけの小さな少女。だが目の前の巫女の言葉は拙く頼りない片言ではなく、流暢に正確なガーランドの貴族言葉を発した。
〈ガーランド国の決闘の決裁に従い、敗者として、この身は引こう〉
〈・・・それは、どういう意味か?〉
〈天は一つ。天からの言葉も一つ。天上人の巫女は、この場には二人は要らないな〉
〈!?〉
〈この勝敗が天上の裁決だ。我が身は引こう。ガーランド竜王国の、新たなる巫女姫に、祝福を〉
小さな腕の人差し指が示す先には、橋の上に茫洋とミリーが座り込む。勝者が消沈に肩を落とし、敗者が揚々と宣言する。この奇妙な光景に取り囲む兵士たちは顔を見合わせたが、突然全ての飛竜が一方向に空を見た。何事かと身構えた騎士たちは、遅れて風に乗る異音に訝しむ。
〈なんだ、あれは!〉
青空の一部に、不自然に黒く線が引かれている。そこから発せられた耳障りな異音は、徐々に王都に近付いてきた。




