03 どうやって、仲良くケンカを?
ーーアピーちゃん!!!
叫んだつもりが声は口から出なかった。上から降ってきた巨大な何かを、確認することも私は出来なかった。驚いた心を余所に、自分は横道に飛び込んで走り続けていたからだ。
「港は?」
「ここから近いのは東北に十五デギガル、北方行きの黒の港」
「南方行きの最短は、やはり赤の港しかないか」
(十五デギガルって、十五キロくらいだったはず。確かギガルがメートルで、ガルがセンチだから、デギガルは、)
「じゃあ最悪、赤、いや、プルム港ーーガアン!!!
真横を走るエルビーの言葉が、大きな音にかき消された。だけど振り返ることもしないぷるりんは、前だけ見続け走り続ける。細い路地裏の前方には、明らかに市場の様な通りが見えてくると、小さな町の住民が全て集ったような広場に飛び出た。
(祭りか?いや、朝市だ!)
〈ソートリア!!カラテテだ!!黒**!!〉
風を叩くような大きな音と、若い男の大きな声は空から広場に降り注ぐ。この暴風音と、更に男が言った言葉には聞き覚えがあった。
男が乗るのは飛竜。そして奴は、私の悪口を言ったのだ。
ーーカラテテ。
それは私をネズミだと、異世界人が揶揄る時に発する差別用語である。
人々の市場への集い、穏やかな買い物のひとときを引き裂いたドローンの強襲。住民たちは悲鳴を叫び、山盛りと並べてあった野菜や魚は辺りに散乱する。
大柄な住民たちの右往左往。その隙間を、ご指摘の通りにネズミのごとく逃げ惑う。人々が騒げば騒ぐほど、小柄な私は雑踏に紛れてしまう。
再び路地裏に飛び込んで、不法侵入した民家の庭から木々の中に飛び込んだ。私の肺から抜け出る音だけが響く森林、周囲には今は誰も居ないのだが、ぷるりんが誰かに話し掛けた。
「もう少し、耐えてくれよ」
(オッケー!)
これは、私に話し掛けたのだ。ぷるりんは、私に話し掛けるとき、態とか無意識か胸元を握る癖がある。
走りながら胸元を握った訳は、息をする度に喉から聞こえる異音のためだろう。ヒューヒューゼェゼェと、通常ではあり得ないがさついた音が聞こえる。
市場ではドローンを躱す為なのか、普段の私ではあり得ない、木箱を飛び越えの受け身前転をしてしまった。それから休むことなく何キロか、それよりもっと走ったのか、この異世界でも試したことのない長距離を走り続けている。
ぷるりんを装備中の今はこの状況を見ているだけなのだが、きっと後から強めの筋肉痛に襲われるはずだ。
そんなことくらい、なんでもないよ。
平気平気。
(だってきっと、アピーちゃんは捕まったんだ。私より、辛くて怖いにきまってる、)
ーー「ミギノー!お船だよ!大きなお船ー!」
岩場を登山中、見晴らしの良い場所に到着したあの日、碧い碧い海と遠くに見える大きな船を見て、アピーちゃんはとてもはしゃいでいた。
アピーちゃんは船が好きらしく、船を見ると喜びに尾がふりふり揺れるのだ。大きな船を見て喜んだアピーちやんと「一緒に乗ろうね」と私は約束した。
なのに、アピーちゃんが目の前で攫われた。
途中の小川で水を飲み、森を駆け抜けると畑が広がる。背の高いトウモロコシかサトウキビ畑の様な作物の広大な畑。その隙間を駆け抜けると、現れた小屋に忍び込んだ。
おそらく、農家さんが管理する草の納屋。壁にかかる農機具の中、部品を外して分解すると、手のひらに収まる鋭く尖った刃を数本、革ベルトの隙間に入れ込んだ。
「仮眠を取れ、俺は周囲を見てくる。絶対に、外には出るな」
私に短く言い付けたぷるりんが、口と鼻からズルリと抜け出た。深く沈んだ藁の中、ぷるりんが抜け出た私は全身の疲労感と節々の痛みに身動きが出来なかった。
「っ、はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ、・・・・、」
寝返りしたくても、腕も足も上がらない。長い時間を感じた後、ようやく周囲のむせ返る草の臭いに気がついた。更に時間は流れて、藁の隙間から見ていた木製の天井の隙間からぷよぷよとした物体がぽとりと目の前に落ちてきた。
「・・・・」
『・・・おかえり、ぷるりん』
返事の代わりに青い丸が口に滑り込むと、鉛のように重かった手足がふわりと動いて藁山から抜け出した。見回すと辺りは暗闇、空には散りばめられた星々と異質に青く輝く大きな星。
(もう夜なんだ、思ったよりも寝てたんだ・・・)
きょろきょろと辺りを見回したぷるりんは再び走り始める。ぷるりんとエルビーの会話の中で学んだ事に、飛竜は昼間よりも夜目がきかないと言っていた。
インコちゃんの様に暗闇が見えない訳では無いが、どうやら夜行性のフクロウの様には見えないらしい。昼よりも、空を飛んでいる数が少なかったから、みたいな曖昧判断を、ガーランド国に入った頃に二人は話していた。
(エルビーは、どうなったのかな、)
奴らに襲われた後、エルビーの姿も見えなくなった。走り去る私たちの後方にも、叫び声や怒鳴り声が聞こえたから、小競り合いがあったことは間違いない。
大丈夫大丈夫。
エルビーは、見かけによらず強いのだ。
あのケモミミの親玉種族である、怖い魔人ベクトとタイマンしたことだってあるのだ。タイマンとは、不良が一対一でオラオラして戦う儀式の事である。エルビーは不良ではないが、南国でオラついた大きな怖い魔人に立ち向かった事があるのだ。
(だから、きっと大丈夫。次の港の話をしていたから、きっとそこで会えるはず)
ガーランド国の赤の港、南の国の小さな港町プルム。エルビーとの別れ際の会話は、きっと次の待ち合わせ場所になるはずだ。
彼らの会話には、必要な事が多い。
この異世界の住人たち、ぷるりんやエルビーはこの道中で無駄な会話をあまりしなかった。エルビーの小言に関しても、ぷるりんを攻撃するための悪口か、私の所作に関する注意がほとんどで意味のない世間話なんてあまり聞いたことがない。
今に活かすために過去の経験を話すことはあっても、エルビーを今の状況に落とし込んだ、魔女や魔女の娘であるほっぺパン女の悪口を長々と語ることもなかった。
全ての会話は、必要な情報交換なのだ。
私が我が国に居た頃は、自分の周囲で大きな自然災害に遭遇しなかった。各地で起こる地震、台風、洪水、それらは全て、テレビやネットで流れ映るだけ。被災地の人々の為には、出来ることとして小金を募金するだけだった。
そのうち、大きな地震が来るかもしれないという地震観測係の人たちの話、だから防災グッズを用意する。そんな情報を常に与えられてはいたが、我が身に降り掛からなければ、何も分からなかった。
だからいつ来るかわからない地震の話などせずに、当たり前の様に、防災や危機管理とは無縁の話を、毎日友達とは周辺の小ネタで笑いあっていた。
学校の先生の変なクセ。通学途中で見かけるおじさんの毛髪状況。地下鉄で二度見してしまったイケメン。あまりにも無表情なコンビニのお姉さんが気になるなど、などなど。
(そんな話、しばらく誰かとしてないなー・・・)
雑談の中にも情報を探し、今を過ごすことに集中する。わからない事を検索出来るツールもなく、使える情報は脳に記憶して、次の即戦力にしなくてはならない。
この異世界に落とされて一年間は、流れるように彼らの行動を見ていただけの私。地に足を着けると決めたからには、私も何かを頑張らなくてはならないのだ。
だがしかし、とりあえずは、ぷるりんの邪魔だけはないように、気配を消すことに集中することにする。今は未だ、私に出来る事は限られているのだから。
そうこう考えていると、うすらぼんやり空が藍色に染まってきた。私の身体で夜通し駆け抜けたぷるりんだが、ここまでの道中、川の水と酸っぱい木の実を接種しただけである。排便なんて、ここ三日間滞っている。そうでなくてもトイレらしきトイレなんてもちろんご無沙汰である。ほとんど岩陰か草陰に、さっとしゃがんで周囲をガン見の安心感の無い野トイレである。
そんな生理的不満を考えていると、潮風が辺りに満ちてきた。そしてぷるりんは木陰から周囲を見回す。
(灯りだ、民家を発見)
森から抜け出ると小さな集落の小道を駆け抜ける。更に人気の無い農道を走り抜けると、長い坂の下には家の影が黒々と密集した港町が広がった。
「赤の港だ」
ぷるりんの呟きに、私も「うん」と頷いた。赤の港はケモミミさんたちとの共有エリアなのである。そして、この港には飛竜は許可無く立ち入り禁止のはずなのだ。
(だからこの港での待ち合わせ。それにあの場所は、前にもエルビーと再会できた場所なんだ)
物々しく兵隊さんが配置された未だ薄暗い船着場、貨物船用に積まれた木箱の隙間で息を潜める。この異世界には電気が無く、暗くなると光る石を使うのだが、この石、けっこう明るいのだ。更に専用の筒を装着すると、懐中電灯の様に遠くを照らせる。
うごめく灯りは不気味に静かな港で何かを探している。背の高い彼らが、ネズミを探すかのように下方向にライトを照らす。おそらく〔黒鼠〕と呼ばれる私を探しているのだ。
ぷるりんを装備中の私は迫り来る光を躱し、たたたたっと濃紺の海に浮かぶ小舟に乗り込む。そしてさっとしゃがみ込んで主役級にスポットライトを浴びることは免れた。
(御用だ御用だ、回避回避)
神聖なる神社仏閣建造物を破壊した罪は、国際指名手配されている。更に私を捕まえた国は、もれなく巫女様争奪戦の勝者にもなれるのだ。
二度おいしい。
そんなこんなを考えていると、紺色から薄紫色の朝になり、陽が昇ると小船は沖に漕ぎ出していた。