12 要求 12
金色の縁取りに透明な杯。美しい器には、青く柔らかい物が満たされている。黒髪の高貴な青年に勧められ、それを口にした少女は掛けられた言葉に驚愕し、大きな瞳を見開いた。
「あなたは誰ですか?名前を言えますか?」
『はい!わかります、私、美璃です!』
[・・・・]
美しい青年が頷き微笑むと、さらりと顔に黒髪が流れ落ちる。そして困ったように顎に手をやり首を傾げた。同じ様に首を傾げた少女は、青年の青い瞳にもう一度はっきりと繰り返した。
『名前は美璃、橋上です』
期待を込めた黒の瞳に困惑が返るが、青年の背後に物のように動かず待機していた少年が当然前に出ると、周囲の女たちも扉を開いて声を上げた。
[皇子*******!]
『え?王子様って聞こえた?』
騒ぎに飛び込んできた兵士達は、王子と呼ばれた青年と美瑠を背にして窓辺に注目する。全ての視線の先には、小動物のような黒い固まりが日除け布の陰に見えた。
『カラス?・・・じゃない、なんか、虫っぽい?え?、あれ?腕が、勝手に、』
抜剣して構える兵士達の後ろ、佇んでいた黒髪の少女の腕が、本人の意思とは関係なくゆったりと上がる。すると指輪を嵌めた青年の手を取り、重ねるように窓辺に持ち上げた。そしておろおろと黒の瞳は定まらないが、形良い唇は聞き慣れない言葉を発した。
ーー《灰と化せ》
[!?]
青年と少女の重なりあう手から発した光りの筋が、窓辺の異物を突き抜けた。途端にジリジリと火を吹き出して燃え始めた黒の塊は、ガシャガシャと奇妙な音を立てて崩れ落ちる。
自分の口から出た言葉と勝手に動いた腕を見て、呆然と口を開いたままの黒髪の少女を、皇子と呼ばれた青年は驚愕に見つめていた。
**
『セッキー!何処行ってたの?聞いて、私ね、言葉がわかるようになったの!!』
『・・・へー、マジで?チートじゃん。どうやって?どうやったらそれ手に入んの?』
『・・・手に入るっていうか、普通に、王子様とお話ししてたら、わかるようになったの。あと、なんか手が勝手に動いり、わかんない言葉を話したり、』
『なにそれ、なんかされたとか、勝手に動くってヤバくない?・・・美瑠ちゃん頭に入れてるのドコ社?海外製のデバイス使って、神経に誤作動するやつなんじゃねえ?』
『え、私は国産、レタルセタ社だよ、他社に乗り換えたことないし、子供の頃から誤作動なんてなかったよ。・・・本当に、話してる途中で分かるようになったから、他には特には。それに電波無くても、誤作動ってあるの?』
『あ、そうか、電波塔ないなら、誤作動なんて無いのか?無いよね、』
『・・・そういえば、セッキーは、何処に行ってたの?』
『え?俺?外に行って来たよ。出店とか、人もけっこう多かった』
『一人で?』
『なわけないじゃん。女の子と一緒だったよ。なんかサイレン鳴ってから、みんながバタバタし始めて、あの子も走って帰っちゃった』
『ふーん。サイレン?私には聞こえなかったけど』
『それよりも、美璃ちゃん言葉がわかるなら、俺らの今後がどうなるとか、聞いてみた?』
『え?・・・だって、すぐに王子様、出て行っちゃったから、』
『聞いてないの!?そこ一番重要じゃん!・・・ハァ?マジかよ、・・・王子様って、あの女みたいな、おかっぱの髪型の彼のこと?』
『そうだよ。あの人、みんなから王子様って呼ばれてるの。それよりおかっぱって、テレビの子供が刈り上げてる髪形でしょ?あれはアシンメトリーボブってゆーの!そんな話ししたら、セッキーも、茶髪が中途半端に伸びてるよ。なんか変だから切ったら?』
『知らないの?わざと二色なの。これ昔、ヘーセー時代に流行ったやつ。』
『・・・けっこう上の方、根元が黒すぎだよ。変。ねえ、ヘーセーって、何時代だっけ?メイジの前?』
『親世代、平静でしょ?原始時代から近代化した転換期。で、意味は平和に静かに暮らしましょって、有名じゃん。美璃ちゃん勉強しなさすぎだから。今から一個前だから。人に聞く前に検索かけるの常識だから』
『・・・電波が無いの。検索できないよ。・・・でも静かに暮らす時代だっけ?漢字間違えて変換してない?』
『あーそうかもね、どうでもいいや。で、話戻すけど、次に会ったら、さっきの一番始めにきいておいて。異世界つっても、来たからには帰れるわけだし。そういう話、大事でしょ?初めはなんか面白かったけど、言葉も通じねーし、ネットもねーし、なんかもう、飽きてきたからこの状況。美璃ちゃんはメアリー扱いだけど、俺にはボブもアレックスも、誰も居ないから。チートゲットしたんなら、交渉は、出来る人がやってよね。』
『・・・・・・・・うん、そうだね、ごめんね』
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〈空の明け、我が身に祝福を〉
〈この地に祝福を〉
〈・・・フッ、〉
意外だとの驚きか、想定内だとの嘲りか。いずれにせよ感情的な笑いが零れ出た。
〈何処から逃げているのか?・・・ファルドからかな?〉
『・・・・・・・・?』
優雅に優しく問いかけて、傾げた首から美しい銀髪が流れ落ちる。だが誰もが頬を染めるような青年の優しい問いかけを、黒髪の少女は明らかに訝しんだ。黒目は半眼に眇められ、片方の眉が侮蔑に上がっている。そんな表情を他者から向けられたことのない青年は、生意気な顔の少女を慎重に見つめると、肩を揺らして大きく笑い始めた。
『・・・・・・・・』
〈なるほど、これが黒竜騎士の巫女殿か〉
毎年の天起祭では、王族よりも注目の的となる特士貴族のオゥストロ・グールドが、昨年は黒髪の少女を腕に乗せて現れた。少女がオゥストロの婚約者だとの噂に貴族の女たちが悲鳴を上げたが、想像以上にあどけない小さな姿に、周囲は悋気を忘れて困惑していた事を思い出す。
そして突然現れた異質な少女が、誰しもが恐れる竜王に謁見した姿を、王族たちは注視していた。息子であるイーオートでさえ、王から滲み出る威圧感に常に対面の緊張を強いられる。そして砦精鋭騎士であるオゥストロも、謁見では目に見えて慎重に身を引き締める中、何故か隣に佇む頼りない姿の少女だけは、挑戦的に竜王を見上げていた。
ーー〈この地に祝福を〉
天上人は竜王に深く腰を落とさず、祝福を述べた後に軽く王に頷いた。その不遜な態度に、周囲の王族たちはあり得ないとざわめいたのだが、ガーランド竜王国の主は微笑み返した。
一年前、王宮殿の謁見の広間で起きたこの出来事は、イーオートの中で燻る思いに火を灯した。
**
一番乗りはしてこない。
そいつは、控えめに人の後を付いてまわり、虎視たんたんとその時を狙っている。
そして一度前にしゃしゃり出てしまえば、追い抜かされた人は、大抵はため息に肩を落としてがっかりしてしまうという、
したくなくても、してしまうものって、
なーんだ?
そう〔後悔〕とは、常に後からやってくるものなのだ。
たとえ抜かりなく事前準備をしていても、後悔しないように心の準備をしていても、完璧と思い込んだ心の壁の、手抜き工事部分や経年劣化部分を探し出し、コツコツと隙間を突貫しいつの間にか乗り越えてくる。そして少し忘れた頃に、突然すたっと目の前に着地するのだ。
すたっ・・・・・・・・。
奴らの嫌なところは、一幕が終了し、ほかほかに温められた現場に必ず現れるという陰湿さ。
この舞台は大きければ大きいほど、落とされる奈落の深さも深くなる。
(後悔、・・・先に立たず、)
ーー『出てって!!!』
『・・・・・・・・・・・・、』
我が国言葉を話す青年。どこかで見たことあるような、少しだけつり目の茶髪の青年を前に、逃すものかと足掻いた結果、口から飛び出したあの言葉。
それはこの異世界においては、思っても口に出してはいけない〔脱・ぷるりん〕の呪文なのである。
ぷるりんが、私とエルビーの我が国語学講座の授業中、脱ぷるりんしていない状態で行われる勉強会では、無料でリスニングされていることは分かりきったことなのだ。それにより、彼はエルビーと同じレベルの我が国の言葉の意味を理解できている事も、分かりきったことなのだ。
そしてゴー・アウェイ、またはゲッ・ラウトなどの、我が星の言語でいう〔出て行く〕は、初期の講座ですでに終了済みなのである。
つまり?
そうなのだ。ぷるりんは『出てって』と、叫んだ私の異国語を、理解しているのである。そのためか、眼鏡の講師によく似ている、人を蔑むことにいとまの無い、氷の眼差しを持つ危険人物に接近されても、ぷるりんは現れる事はない。
〈空の明け、我が身に祝福を〉
威圧感ある氷像は、私を見下ろしドローンの国の〔明けましておめでとう〕を口にした。定型文は定型文で返すことが大人のマナーだと知っている私は、昨年マスターしたおめでとう返しを述べたのだが、これを氷像は鼻で笑う。
(眼鏡の講師によく似てる、ハスキー犬のような白い目に、銀色の髪・・・、)
そして、心底、私を蔑むような眼差し・・・。
その後氷像は私にドローン乗れと言ったのだが、もちろん乗るわけもなく、丁重にお断りしてその場を立ち去ろうとした。だがなんと、奴は大股で数歩詰め寄ると、私の了承無く私を持ち上げドローンの座席に放り上げてしまった。
(高い・・・)
覗き込んで真下なんか見れない。安全ベルトも無しに見れば、頭の重さで真っ逆さまに落ちて、パーンと化すのは想定内である。我が国の、象さんのような高さの背中に乗せられて、簡単に脱出できるほど運動能力は高くない。そしてサエグサさんにあっさりフラれた衝撃と、ぷるりんに言ってはならない禁句を口走ったことに動揺する私は、流されるままに氷像に連れられて、大きなお城にやって来た。
他とは違い、おしゃれ着を着せられたドローンから降ろされると、氷像は鷹の調教師のように私を腕に乗せたまま移動を開始した。以前にも同じようなシチュエーションで、巨人に腹話術の人形の如く腕に乗せられた事はあるのだが、巨人は仮にも婚約者だったのだ。
曲がりなりにも二十歳の大人の女性である私が、見ず知らずの男性の腕に乗ったままで移動するなど、あってはならないことである。
〈下に、下に、私は降りるぜ〉
〈・・・・・・私の腕が気に入らないのか?〉
『え?えーと、逆にどういう事でしょう?じゃなくて』、
〈周囲は、皆は、見ている、私は困っているぜ〉
〈・・・・〉
私のドローン語はレベルアップしたはずなのだが、言語とは、日々使用していないと忘れてしまう事もあるのだ。必死に思い出して繰り出した言葉なのだが、なんとか伝わり無事に地面に着地出来た。その後は、有無を言わさないウォーキングトレーニングが始まったのである。それはワンちゃんのしつけトレーニングの如く、リードは無いがリーダーウォークを強いられて、氷像の真横を小走りに付いていくものだった。
『はぁ、ふぅ、ぷるりん、居るよね?』
このトレーニングの最中に、ぼそぼそと我が身に問いかける。ようはただの独り言なのだが、様々な異世界言語で同じ問いかけを呟いても、ずるりともぽろりとも、青い異物は流れ出ず、自分の意思に反する身体の誤作動も起こらない。
『・・・はぁ、ふぅ、・・・・、』
ーー『出てって!!!』
『・・・・、・・・・、』
だって必死だったのだ。我が国の、私と同じ目にあったサエグサさんを、逃したくはなかったのだ。
だけど心の中は、後悔の渦と落ち込んだ奈落の暗闇に、現在悶絶中である。そうこうしていると、いつの間にか氷像とのウォーキングトレーニングは終了し、段差の高い、長広い階段の前にたどり着いた。
(・・・え、これ、登るの?)
別に大して疲労感は無いのだが、肩で呼吸をしているように、酸素は欠乏気味である。咽はカラカラ、おそらく身体は水分補給を求めている。そんな競歩ウォーキングの後には、見た目に心臓破りの、長い長い石造りの階段が待ち受けていた。
***
ーーーガーランド竜王国王城。
中央宮殿の庭園。
〈あれはなんだ?〉
城の中央の奥宮は、王族の生活居住区である。王族や、極限られた者しか立ち入ることが出来ないこの場所は、広大な庭園を通り抜けると、上階に続く長い階段がある。通常、竜を持つ王族は飛竜に騎乗したまま上階に降り立つのだが、この日イーオートは、整えられた美しい庭園を散策するために駐竜場を使用した。
飛竜に乗り慣れていない少女を降ろしたが、城までの距離と少女の足の長さを見比べてそのまま歩き始める。片腕に小さな少女を乗せたイーオートの姿に、来客の貴族や庭師たちは遠巻きからざわめき始めた。
〈第二王子様、何を腕に乗せてるの?〉
〈なんだろう、以前、あの光景を見たことがあるような〉
〈思い出した!第三のオゥストロ殿が、婚約者の巫女殿を腕に・・・、〉
昨年の天起祭を思い出したものたちだが、再び見せられた違和感に首を傾げてそれを見送る。だがその光景は、庭園の半ばで不自然に立ち止まった。
大人しく腕に乗せられていた少女が身動ぐと、とんとんと肩を叩いたのだ。許可も無く、王族の身体に触れるという愚かな行為。それも初めて身に受けたイーオートは、何が起きたのかと目を丸くして少女を見つめた。するとつり目の黒目は明らかに愛想笑いをし、引けた腰で地面を指差したのだ。
〈下に、下に、私は降りるぜ〉
〈・・・・・・私の腕が気に入らないのか?〉
『エ?エート、***********?ヤナクテ』、
〈周囲は、皆は、見ている、私は困っているぜ〉
〈・・・・〉
拙く片言の言葉は、素気なく親切を拒絶する。望み通り地に降ろされた少女だが、やはり余裕無く、短い足で小走りにイーオートの長い足の横を必死に走り続けていた。




