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矢羽には、八枚の花弁が裂けた花が焼き付けられている。それが初対面の青年との間、境界線のように地面に突き刺さった。トラーからの最大の警告に、目の前の見知らぬ青年を〔敵〕だと認識したオルディオールは、無理やりメイから身体の主導権を奪い取る。
ーー「この弓矢を目にすれば、何がなんでもその場から離れてってことだって」
エルヴィーを介してのトラー・エグトの伝言は、敵の発見と接近を警告する弓矢の印だった。それが一見無害に見えた茶髪の青年との間に、警戒線として放たれたのだ。
(さっきの男はメイと同じく、天上言葉を話していた)
少女と出会った頃には避けていたこの言葉は、月日が流れてしまえば否が応でも学んでしまう。エルヴィーと共に逃げるようになってからは、二人の言葉のやり取りを一番傍で修得していたのがオルディオールだった。
(そしてトラーは、さっきの僅かなやり取りの中で、何故あのものを敵だと判断したのか)
港内に侵入した海賊と、飛竜の謎の咆哮により、市場から離れ足早に帰る人々の波に乗った。そして思案しながら人混みに紛れて移動したのだが、どの方角に離れる事が最善か、ふと足を止めて振り返った。
(住宅街の先は王都カルシーダに繋がっていたはずだ。竜騎士以外の兵士の数も増えるだろう)
海岸沿いよりも少し内陸、住宅街に続くのは迷路のように入り組んだ露店通り。ここは未だ海賊に襲われる様子は無く、避難警報が浸透していない。船から逃げて、追っ手がかかる刻を計算していたオルディオールだが、通りの奥、悲鳴と共に走り込んできたものたちに「しまった」と吐き捨てた。
〈海賊だ!!!〉
「しつこい奴らだ」
船上で遭遇した黒い肌の魚族たちが、何故か的確に自分を追ってきた事に、黒髪の少女は内心で首を傾げる。迫り来る海賊から逃れるために足は人々の流れに乗るが、女の尋常では無い悲鳴が響き渡り振り返った。
〈やめてえ!!!〉
〈・・・母さん、母さん、〉
弄ぶ様に魚族の片手に宙吊りにされたのは、幼い小さな子供。買った魚を放り投げ人々が散り散りに逃げる中、母親や周囲のものたちは足が竦んで動けないでいる。市場ではあまり見かけない異様な風体の魚族たちに畏縮して、誰も立ち向かう事が出来ないのだ。だが逃げ惑う人々を逆行し、海賊に向かって走り出した小さな少女は、指笛を吹くと路上に転がる木箱に飛び乗った。
〈魚ども!!、陸に上がって干物になる気か?焼いて喰うぞ!!!〉
ーー〈!??〉
一瞬、何を言われたのか分からなかった瞼の無い男たちだが、言葉の意味に気がついて顔を見合わせる。
〈おいあれ、ティエリの探してるガキだ〉
〈間違いない、あいつだ、〉
〈俺たちを、喰うって?〉
再びの悲鳴は、邪魔だと言わんばかりに宙に放り投げられた子供の声。解放された子供に走り寄る人影を確認したつり目の黒目は踵を返すと、木箱を飛び降り人気の少ない路地裏に飛び込んだ。
〈逃げたぞ追えーーガッ!!〉
倒れ込む三人の魚人に次々と突き刺さる弓矢。それは全て、急所である首裏を貫かれている。矢が飛んできた後方を振り返り身を構えたもう二人には、想定外に頭上から降ってきた重たい一矢が頭頂から顎に突き抜けた。
**
「行き止まりか、次から次と、」
闇雲に突き進んだ住宅街で高い壁に阻まれる。だが来た道を戻ると大柄の魚人に道を塞がれた。
〈ティエリ!居たぞ!黒髪だ!〉
自分を直ぐには追い詰めず、呑気に仲間を呼んだ男の風体を確認する。
(相手は魚族。武器は携帯してない。更にここが陸地で水中では無い利点もある。・・・自力で仕留めるしかないが、船でも取っ組み合いは避けたからな。魚人の戦闘能力はどれほどのものか。スアハを見ていたが、体格や種族が違えば参考にはならない)
囚われた子供から自分に意識を向けさせ、事後処理をトラーに丸投げした。それにより、今はメイという少女を護る守護者は自分だけとなったのだ。周囲には転がる石も何も無い。即席で用意した農具の武器も使い果たして、頼りない空の小さな両手を握りしめる。
(メイの身体に見合った剣を造ろうと、かけた刻が徒になったな。やはりエルヴィーの中刀、携帯しとけばよかったか・・・)
護身用にエルヴィーの中刀を奪おうかと、何度か逃げる道中で考えたことがある。だが道すがら、嫌味しか言わないエルヴィーが長く手にする剣を使う気になれず、更に騎士団長であった自分が、中刀という中途半端な長さのものを帯剣するわけがないと、自尊心が邪魔をした。
〈お前、船で見たわ〉
大男の後ろから、小柄な女の魚人が現れた。だが頬に傷のある顔に、群れの頭だと船上で的にしたものだと気付いたオルディオールは、慎重に女の行動を注視する。すると突然、女の頬が不自然に膨らみ始めたことを警戒して、腰を落として身構えた。
「!?」
ボッ!!ーーダァンッ!!!
仰け反った女の口から、何かが飛び出て壁に打ち当たる。それはオルディオールの元居た場所の分厚い煉瓦壁を貫通し、ガラガラと土埃を舞わせた。
(魔石弾、じゃなくて水か?、あの女、口から吐き出したのか?)
立て続けに放たれる攻撃から身を躱す。気付けば戦場の様に抉れ瓦礫が散乱し、周辺は砂煙に被われてしまった。小さな姿は視界不良の中、息を潜めて気配に耳をすませるが、転がる破片に足を取られて転倒し、強かに尻を打ち付けてしまう。
(まずい、)
派手に転んだことにより、自分の位置を敵に報せてしまった。素早く膝立ちするが見えない視界、そこに異様な何かの接近を感じて右側を仰ぎ見る。
「!!、」
ーードォッ!!
力強く何かに引かれるように袖が絡め取られ、石壁に打ち付けられる。衝撃により壁は更に崩れ落ち、空き箱が散乱するどこかの室内に、小さな身体は吹き飛ばされて転がり込んだ。
(受け身はとったが、なんとか、肩は外れてないな)
素早く立ち上がり瓦礫に身を潜める。古い造りの空き家には、刻を経た乾いた煉瓦が粉塵と化しもうもうと舞い上がる。更に視界の悪くなった瓦礫の向こう側、崩れた壁から敵の様子を覗うと、大柄な魚人と女の魚人の隣にもう一人、先ほどまでは居なかったものが増えていた。
(・・・また魚の増援か、ん?・・・あれは?)
遠目に会話をするものたちに目を凝らすと、新たに現れた全身が銀色の青年と、黒髪の魚人の女の顔が重なり合う。突然始まった抱擁に片方の眉が上がったが、遠くから〈竜騎士だ!〉と誰かが叫ぶ声が耳に入った。
(竜騎士も、面倒事だ)
戯れあう魚人に背を向け、古びた倉庫の中を壁伝いに進むと、分厚い鉄の扉を発見する。背伸びに内鍵を外して押してみたが、重さに負けて少女のつま先が虚しく床をかくだけとなった。扉を開けることが出来なかったオルディオールは壁を仰ぎ見て、明かり取りのための小窓の下に走り寄る。そして転がる空き箱を重ねると、小走りに飛び付きよじ登った。
(開いた)
手入れのされていない古びた窓だが、押すだけで軽い音と共に簡単に開いた。かつての自分では考えられない脱出口、小さな窓に頭を入れて、動きの鈍い右肩もねじ込む。そして肘を掛けて半身を外に出したところで、正面に不自然に滞空している何かが目に留まった。
ビィイイイイイ・・・・。
(鳥?、いや、虫か?、でかいな、)
大きな虫は世話しなく羽根を動かし飛んでいるが、まるでオルディオールに興味があるように、少し離れた宙から逃げることもせずにその場に飛んでいる。体の大きさからは、釣り合いの取れない真っ黒な大きな二つの目。それは観察するようにこちらをじっと見ていた。
(珍しい、新種か?いや、それどころじゃない、)
振り返ると魚人が瓦礫の破片をけり飛ばし、積まれた空き箱に接近している。直ぐさま足場が叩き崩されたが、腰を引き抜くとそのまま窓の下に飛び降りた。頭上では大柄な男の腕が小窓から突き出たが、すぐ傍にある扉には気付かず窓枠に挟まった魚人を鼻で笑うと、小さな少女は住宅街の路地に滑り込んだ。
「ん?」
小道を走り出したオルディオールだが、ふと視線を感じて振り返る。
ビィイイイイイ・・・。
「・・・・?、付いてくるのか?」
**
〈発信地は第七砦。海上域の警邏から砦に戻った一隊の、全ての飛竜が天に向かって咆哮したとのこと〉
〈なお、この咆哮を伝え聞いた各砦の飛竜たちが、臨戦態勢に空を周回し始めています〉
王城の右側、右翼で開かれた軍会議にて、突然の飛竜の咆哮に様々な報告が飛び交う。円筒の大会議室には、天起祭により各地から招集されていた砦隊長が集い、初めての緊急事態に怪訝な顔をしていた。
会議も終わりそれぞれが席を立つ中、議長席を上段から見下ろしていた第三の砦隊長オゥストロ・グールドに、遅れて議場に入った部下が背後に進み出る。
〈関係するかはわかりませんが、先ほど、王城見回り部隊が巡回中に妙な虫を見つけたそうです〉
〈虫?〉
〈捕らえると、直ぐに動かなくなったそうです。実物は特殊部隊に回収されましたが、これを〉
エスフォロスが差し出した、透明の転写石に映し出されたものは両手の平では収まりきらない大きな虫。だが生き物の死骸とするには奇妙な点があった。
〈この虫の目には、見覚えがあるぞ〉
編み込まれた灰色の髪は背で一つに括られている。異性同性を魅了する顔貌、薄い唇は珍しく楽しげに歪んでいた。別部隊のものたちは通りすがりにオゥストロに見とれるが、同意を頷いたエスフォロスは緊張に顔を引き締める。
〈はい、これはメイ、天上人の巫女、メイ・カミナが天上よりグルディ・オーサ領に持ち込んだ、〈スマホ〉の一部分と酷似しています〉
〈ならばこの虫は、天上から来たのか、〉
〈・・・・〉
〈それとも天上人の私物の様に、人工物であるのなら、それは一体、何処の国のものであろうな?〉
***
ーーーガーランド赤の港町、中央地区。
住宅街に続く路地。
魚人の追っ手は背後に見えない。抜け出した古びた空き家から走り続けて再び住宅街にやって来たオルディオールは、右肩の違和感に足を止めた。
(骨は外れなかったが、少し筋を捻っているかもしれないな。それに水分補給もしていない。メイの疲労が限界かもしれん)
船上から今まで、殆ど休むことなく動き続けている。肩から胸元に手を滑らせると、どきどきと鼓動が早鐘を打ち続けていた。
(・・・温かい。・・・・・・・・、)
脈打つ胸の内に安堵し、ため息が漏れ出る。だがそれも束の間、地面に落とされた大きな闇に素早く空を見上げた。薄暗い空には、街の灯りを遮る黒い陰。何故かそれを、不思議そうに窓辺から人々が見上げている。魚人の急襲により通りを歩く人陰は疎らだが、立ち止まる彼らも空を指さして歓声を挙げ始めた。
(・・・そうだ、何かが引っ掛かったんだ。赤の港町では、飛竜は飛行禁止のはずが、さっきどこからか〈竜騎士〉だと叫び声が聞こえた)
〈イーオート殿下だ!〉
〈殿下が海賊を追い払ってくれたの?〉
窓から身を乗り出して、空を指さした女の一人が甲高い声を発した。それに目を凝らすと、紫色に染まる薄暮の中を滑るように飛ぶ一騎の飛竜は、他の竜騎士とは違い、白く長い飾り帯を冠している。
(イーオート?って確か、ガーランドの第二王子か)
昨年の天起祭では、オゥストロと共に見世物にされているメイを横目に、オルディオールはアピーの肩に乗り王族をしっかりと観察していた。
(オゥストロや第二砦のものたちが、故意に騒いで面倒な王族を遠ざけていた大広間。あの場で見た銀色の髪は、第二王子とセンディオラだけだった。ガーランドでは、あの色は過去の王族の先祖返りとして注目されていたはずだ。・・・が、それよりも俺が気になったのは、王子の目つき)
王族を始め、周囲のものたちがオゥストロとその腕に腰掛けた小さな黒髪の少女を、羨望や嫉妬の眼差しで見つめていた。その中で、第二王子の白銀の瞳だけは、違う意図を持っているとオルディオールは見ていた。
「?、」
その白銀の瞳と、目が合った気がした。だが遥か上空に居る彼ら竜騎士の表情など分かるはずも無く、身体であるメイの視力では、辛うじて肌の色がぼんやりと確認出来る程度だ。
(いや、捉えられたかもしれん。奴らの目の良さは、並大抵ではないからな。念のためここから離れ、移動するか、)
『メイさん!』
「!?」
気を取られていたオルディオールは、突然の呼びかけに身体が大きく身構えた。それは、空を見上げる数人の通行人の合間から、まるで待ち合わせでもしていたかのように現れたのだ。
(あり得ない)
この状況にオルディオールは驚愕し、大きく距離をとろうと身を引こうと思ったが、何故か身体が全く動かない。地に縫い止められた両足に、本人の強い意思を感じ取った。
(魚人の急襲の現場にも間に合わなかった。トラーでさえ、今の俺たちの位置の把握に刻をかけている)
『待ってって、言ったのに、』
「・・・・・・・・、メイ、今は駄目だ、」
動かない足に焦れ、本人に慎重に言い聞かせる。だがゆっくりと近づいて来る茶色の髪の青年を前にして、足は全く動かない。オルディオールとメイは互いを譲らないまま、遂にそれは目の前にたどり着いた。
「絶対に、出て来『出てって!!!』
「!」
『どっか行って!!!』
甲高い少女の叫びに周囲は何事かと目を向けたが、ただの子供の癇癪だと、興味を無くして背を向け歩き去って行く。その中、目の前で大声で叫ばれた青年は、きょろきょろと周囲を見回し困惑したように首を傾げていた。
『そうだね、突然は迷惑だよね。また今度にするね』
『え、』
メイが顔を上げると、茶色の髪を揺らして青年は去って行く。同郷の青年と再び出会えた焦りと、オルディオールに支配されて動かない身体への苛立ち。それにより迸った自分の声に驚いていた本人は、去って行く青年を引き留めることも出来ずに立ち竦む。
『・・・待って、あの、待って下さい、』
背を向けられたという拒絶に、直ぐに追うことが出来ずに動かない足。それをメイはオルディオールの所為だと再び苛立つが、縋るような気持ちに従って、左手だけは遠離る背を追いかける。続いてふらふらと前に出た足は、段差もない乾いた道に躓いた。
『っ、た、』
大して痛みを感じないが、両腕をつくと右肩に鈍さを感じる。四つん這いになって再び顔を上げたが、求めた青年の姿はすでに何処にも見当たらなかった。
『待って、サエグサさん、待って、待って、』
頼りなく零れ出た言葉は、自分の不安げな声の震えにより悲しみを増していく。何故かすぐに追い縋る事が出来なかったメイは、後悔してその場にがくりと俯いた。
〈天上人、巫女様メイ・カミナ〉
『・・・・、?』
外套に照らされた薄暗い道は、周辺住民の近道として使われる旧道である。そこに蹲る小さな少女がようやく振り返ると、中央に長身の男が立っていた。古びた通りには不釣り合いな、竜意匠を施した長衣には銀色の髪が流れ落ちている。そして白銀色の瞳は、薄暮では見落としてしまいそうな小さな黒髪の少女を、涼しげな眼差しで見下ろしていた。




