現れた少女 01
深まる藍色の空には、青い大星を隠す闇色の雲が広がる。陰鬱とした天起祭の幕開けに、第三の砦に待機する女竜騎士は晴れない気持ちで空を見上げた。
〈なんだか、妙に静かだな〉
飛竜の羽音も聞こえない、ただ空気だけが底冷えする無風の空と真っ黒な山脈。年明けの大祭が行われる王都カルシーダには行くことが出来ない、留守番となる隊士たちに許されたのは毎年恒例の酒盛りであるのだが、騒がしい声はどこからも漏れ聞こえない。それは喪に服している為でもあるのだろうが、何故かそれとは別に、得体の知れない空気が砦に満ちていた。
〈・・・・・・・・〉
不気味に静まり返った館内の廊下、侵入者の現れない正門を眺めた金の瞳は、昨年に起きた襲撃事件を思い出す。ガーランドが誇る精鋭部隊が守護する第三の砦を襲った敵は、たった二人の侵入者であった。だが被害は死者を出すほど甚大で、その傷跡は今でも完全に癒えることは無い。
事件を引き起こした敵国とは、今は和平条約が結ばれたのだが、不自然に補修された真新しい壁や、失われた仲間を思い起こす度に喉奥までどす黒い怒りがせり上がってくる。周囲の静けさにより深まった念いだが、それを打ち消す足音が廊下に響いた。
〈アラフィア上長〉
〈どうした?〉
〈それが、こんな夜更けに通達が流れまして。見て下さい〉
〈?、・・・・・・・・なんだと?〉
渡された一枚の紙は王都の通信部隊からではなく、何故か第五砦からの物だった。だがその中身に、第三の砦で留守を任されているアラフィア・クラマは驚愕に目を見開いた。
〈天上人の巫女が、第五の砦に降臨しただと?〉
***
ーーーガーランド竜王国、王都カルシーダ。
王都を見下ろすように建てられたガーランド竜王国の城は、右手に軍事施設とする城、右の翼、左手には天教院の宮殿、左の翼が横に長く広がる広大な城である。
八段に連なる階段状の庭園、両脇には彫刻の様に美しい灰色の飛竜が居並び、それは豪奢に飾られた大広間に導くのだ。毎年行われる天月の起祭の集いに、王の謁見を順番に待つ貴族達は列を成して並んでいた。その中、既に登城と共に王への挨拶を済ませていた一人の騎士は、列から離れた大広間の窓辺に、人を寄せ付けない空気を身に纏い佇んでいる。
〈空の明け、貴男に祝福を。オゥストロ〉
流れる銀色の髪は王家の血筋が流れる証。それを高く結い上げただけで編み込まない美しい女は、人々が憧れに遠巻きに目で追う第三の砦隊長オゥストロ・グールドに声を掛けた。
〈近衛隊長殿。その身に祝福を〉
〈御婚約者の巫女様の事は、聞いておりますよ。その後、賊の手掛かりは?〉
〈我が第三の領域以外は、全て専門の部隊に任せてある〉
〈そうですか・・・、・・・オゥストロ、そうだ、ドーライアは変わりないですか?〉
〈ない〉
〈・・・それは、何よりですね・・・〉
雑談も言葉少なく途切れてしまう会話に、美しい顔は悲しげに眉を顰める。背が高く近寄りがたい美しさを持つ黒竜騎士オゥストロと、銀色の華の様な白竜騎士エディゾビア。そんな二人の姿を、絵に描いたようだと周囲の者たちは溜め息に見つめるが、それを騒がしく駆け寄る二人の男が台無しにした。
〈オゥストロ隊長!聞きましたか!?〉
〈砦より、緊急です!〉
別方向から走り寄ってきた二人は第三砦の竜騎士、オゥストロの部下である。センディオラ・エルトワナとエスフォロス・クラマは事の内容に我先にと口を開いたが、オゥストロの隣に佇む女騎士に気付いてどちらともなく言い淀んだ。
〈構わない。話せ〉
機密を要する事ならば、人目を憚らずに駆け寄りはしない。公然とした緊急の内容を促すと、我に返ったエスフォロスが上士であるセンディオラに先を譲った。
〈〔メイ様〕が、見つかったそうです〉
〈!?〉
明らかに表情が変わったオゥストロ、同じ様に驚きに口を開いたエディゾビア、そしてこちらも驚愕に目を見開いたエスフォロスが、何故かセンディオラの続きを繋いだ。
〈アラフィアからも、同様の内容で報告が来ましたが、その、〉
歯切れ悪く口篭もる。エスフォロスの隣に立つセンディオラも、続けての報告に自信が無い様だった。
〈今は、どこに居る?〉
オゥストロの婚約者である天上人の巫女メイ・カミナは、二ヵ月前に天への帰還の儀式の最中に行方知れずとなった。神殿に籠もった巫女を攫った賊は、ファルド動乱という東大陸の争乱を起こした首謀者である旧オーラ一族の大聖堂院魔法士エルヴィー、そしてエスクランザ天王国の将軍位であったトラー・エグトの二人組である。
指名手配となった二人に攫われたオゥストロの婚約者がついに見つかったとの朗報なのだが、何故か二人の部下は困惑に顔を見合わせた。
〈メイが、いや、その、巫女様は、第五砦で発見されたそうです〉
〈第五砦?〉
他国と国境線を分かち合わない砦は、有事の際に迎撃部隊となった砦の防衛部隊の補佐となる。第三の砦が東領域に進撃を開始すると、自動的に隣接する第四の砦部隊が第三の防衛線に組み込まれるのだが、第四の砦に隣接する第五砦は特殊な場所に位置した。
海に面した断崖絶壁と、自国ガーランドの山脈に囲まれた陸の孤島。第五砦の役割は、有事は南方との海上国境線を見張る第六砦と、第三の砦を補佐する第四の砦の補佐である。それ以外は周辺に警備する村々があるわけでも無く、第四の砦が隣接しているトライド国農村森林区域の辺境の村々の端を、異変が無いか観察する事が仕事であった。
娯楽も無く与えられる重要任務も無い。主な役割としては、上士貴族が砦部隊に配属されたという隊歴を残すために創られた、危険度が極めて低い閑職地としての第五の砦。そこには配属された隊員しか赴くことは無く、他の砦部隊からは無き砦として扱われる場所に、なぜ天上人である少女が発見されたのか?
〈港も無ければ集落も無い〉
〈人目を避けるために王都や第三から外れたとしても、潜伏先としても通過点としても、考えられない場所です〉
〈そもそも、第五には飛竜でしか入場出来ないのだ。何故そんな場所に、メイ様を連れて行ったのか〉
二人の賊をよく知っている。エルヴィーと呼ばれる魔法士も、北方エスクランザ天王国で神官騎士をしていたトラー・エグトも、軍人として無意味な行動を嫌う者たちである。その二人がなんの目的で、天上人の少女を連れて逃げ場の少ない僻地に行ったのか。同じ疑問を抱いた三人の男たちを余所に、エディゾビアだけは銀色に縁取られた長い睫毛を瞬かせて、見当違いに両手を打ち合わせた。
〈第五ならば、我が弟ダグエルトが管理している場所ですね。それは良かったです〉
エディゾビアの弟、ダグエルト・アステスは姉とは違い印象の薄い男である。全てにおいて平凡で、顔の美醜の印象も薄いダグエルトは、思い出すことに刻を要してしまう。そんな彼は名家の五大貴族アステス家の長男であるのだが、家の名誉を継ぐ重責は長女のエディゾビアが担っているため、一族からは期待もされずに閑職地に留め置かれていた。
〈エディゾビア殿の、弟ですか?〉
首を傾げたセンディオラに、同僚の不遇を思い出したエスフォロスが肯定に頷く。愚直な同僚は有能だが要領が悪く、直ぐに人員が入れ替わる第五砦の副隊長の職務を今でも忠実に熟していた。
〈そういえば第五の隊長ダグエルトは、確か昨年の天起祭でメイと挨拶を交わしたな〉
天起祭で珍しくオゥストロを呼び止めたダグエルトは、明らかに巫女が目的で近寄ってきた。それを思い出し、今回の不自然な出来事に結びつける。何の事かと疑問に自分を見つめるセンディオラの薄青の瞳、そして見慣れた銀色の髪を見たオゥストロは、それとよく似た髪色のエディゾビアを見下ろした。
〈どうしましたか?〉
美しい女騎士の顔の頬が、ほんのり赤に染まっている。王族の血が一族に混ざる五大貴族には、稀に銀色の髪の者が現れる。更に自分の黒竜と同じ様に、色違いの白竜の相棒を持つ姉と常に比較されている弟だが、彼の相棒の飛竜が世間では惜しまれていることも思い出す。なぜガーランドで最速を誇る飛竜が、第五という閑職地にあるのかとの人々の嘆き。同じ事を考えたオゥストロだが、乗り手には今まで興味が無かった。
〈〔最速のフライラ〕の、相棒か〉
〈ああ、そうですね?確かにダグエルトの飛竜は、速さが自慢だと弟から聞いています。ですが制御不能に速度を上げてしまうらしく、躾けることに苦労していますよ〉
〈〈・・・・・・・・〉〉
何かを思って沈黙した二人の部下を見流したオゥストロだが、ざわざわと揺らめく王城の入り口、人垣が崩れて現れた者たちに目を留めた。
〈姉上!〉
ガーランドでは比較的多い茶褐色の髪色。特徴のない凡庸な顔つきの、平均身長の男は隣に背の低い黒髪の少女を伴っていた。
〈まさか、あれは、〉
〈メイ様を、お連れしたのか?〉
真白い華のような礼装に身を包み、不安げに見つめる黒色の瞳は、割れる人垣に導かれるように黒竜騎士と白竜騎士の元へ進み出た。
〈姉上、オゥストロ殿、空の明け、その身に祝福を〉
〈ダグエルト、まさかその方は?〉
〈はい姉上〉
驚愕に目を見開いた一同を、誇らしげに見渡した。自信に満ち溢れたダグエルトの隣、震える片手を口元に寄せた少女は、伏し目がちに潤んだ黒の瞳で、背の高い美丈夫、黒竜騎士と瞳を合わせる。
〈天上人の、巫女様です〉