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私の建前上の罰則が無事完遂され、竈当番は通常に戻った。
この一か月間、私のわがままが原因で変則的な竈当番を押し付けてしまったから、人気のない夜当番を多めに請け負うことにした。
夜番の後は、日中眠ってしまうことになるけれど、迷惑をかけた分はお返しをしなければならないと思う。
もちろんローに言葉を教えるのは私の役目だが、ローは既に最低限の意思疎通が可能になっているし、姉妹たちも協力を約束してくれたので、ユリアの言う通りきちんと常識的な行いをしようと決めたのだった。
月が綺麗な晩に、一人。
ゆらゆらと立ち上る炎を見つめる。
薪の貯蔵は十二分。間違いなく、明日の昼過ぎまでに不足することはない。
今ここにある薪は、既にすべてがローの割った物になっていた。
女神ウェスタそのものと信じられているこの竈の炎は、ローが割った薪で生み出されている。
ローは本当にローマ市民になったのだ。
ティベリーナ島の下流端に流れ着いた彼を見つけてから、たった一月程度しか過ぎていないなんて、誰が信じられるだろう。
言葉を覚え、仕事を覚え、ローの立ち位置が、ローマに寄り添ったものになっていく。
すでにローは、ローマに流れ着いた人、ではない。
ローマで生活する市民になったのだ。
そう思うと、感慨深いものがあった。
それと同時に、なんとも言えない、どろりとした、まとわりつくような、ひどく嫌な感じのする思いも、自分の中にあることを痛感する。
不安、というには汚らしく汚れているような気がするし、独占欲、というのもどこか腑に落ちない。
不思議と劣等感は感じない。私とローは比べること自体ができないような、そんな感じがする。
では、この気持ちは何なのだろう。
ユリアに言われたことは、納得できた。
ローの気持ちは、ローに聞けばわかる。自明である。
それはわかる。
わかるのだけれど、それも、なんだか。
ぱちりと、小ぶりになった薪が崩れる。
考え事に没入しているうちに、ずいぶんと時間が過ぎていたようだった。
女神ウェスタがご立腹だ。お腹が空いた、薪をよこせと言う声が聞こえてきそうだった。
炎を絶やさぬよう、薪をくべる。
一つ、二つ。おまけして三つだ。
テルティウスおじいさんが割った薪と比べると、少しだけ不揃いな薪には、どこか愛嬌があるような気がした。
不格好とは言わないまでも、少しだけ拙さが見て取れる薪を、女神ウェスタは楽し気な様子で抱えていく。
女神ウェスタは、とてもおおらかな女神だから、新しくローマの子になったばかりのローの事だって、すっぽりと愛してくださるに違いない。
ローが割った薪が、炎の勢いを強めてくれることが、何よりの証拠。
女神ウェスタは新たに抱えた薪を食み、ご機嫌な様子。
しばらくは、目を離しても大丈夫だろう。
答えがわかりそうにない考え事は切り上げて、挽き臼を取りに行こうかと思い立ち上がると、足音が聞こえたような気がして、外に目を向ける。
女神ウェスタへの信仰は、日々の感謝と祈りを捧げるだけの素朴で穏やかなものだ。
夜に家を空けてまで参拝に訪れる者が居るとは思えない。
まして、何か火急の要件が飛び込んでくることなんて事も、そうあることではない。
竈の炎をずっと眺めていたせいで、夜闇が一層深く見えた。
すぐには何も見えないが、目が慣れるまでじっと待つ。
月明かりに、輪郭だけが照らされた人影が見えた。
ウェスタ神殿の敷地を囲う塀のそばに、誰かが一人で立っている。
月を見上げ、ただ立ち尽くしている。
一体、何をしているのだろうか。こんな夜中に、こんな場所で。
私は、臼を取りに行くついでに、何をしているのかを尋ねることにした。
何か、困っているのなら、私でも何かの役に立てるかもしれない。
「あの、もし?ここで何をしているのですか?」
自然に近づいて声をかけた。
驚いたのか、その人は慌てた様子で私の方に顔を向けた。
つやつやした黒髪は月明かりを反射して、どこかこの世の物ではないような、儚げな美しさを醸し出していた。
凹凸の少ない幼い顔つきには、見覚えがある。
質素なトゥニカをまとっただけのローが、そこにいた。
普段の服装もよく似合っていると思ったけれど、トゥニカも案外似合っている。
驚いた表情は、珍しいような気がした。
「泣いているの?」
でも、そんなこと以上に、ローが涙を流していることに驚かされた。
「ティベ、リア?ーーーーー!」
ローは、私には理解できない言葉を使った。
ひどく慌てた様子で、手で目元を乱暴に拭って、何事かをまくし立てた。
私は名前を呼ばれたこと以外には、ローが何を言っているのか、さっぱり理解できない。
ローはわたわたと手を振り回しながら、何かを私に伝えようとしているのだけれど、それも、よくわからなかった。
どうにか理解できないかと、ローの手振りや表情をよく観察する。というのは、この一か月で、すっかり私の新しい癖になっていた。なにせお互いに言葉が不自由だから、自然とそうなったのだ。
ローが顔を背け、まるで、私から逃げるかのように歩き出そうとしていることに気が付く。
無意識に伸ばした私の手が、運よく彼の手を捕まえることができたのは、ある意味で、必然だった。




