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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
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 老人の後をついて行くと、集合住宅の様な建物の前で老人が立ち止まった。

 街の中では珍しく高い石壁に囲まれたその建物は、格子門から覗き見る限りでは石造りの三階建てで、周囲の木造建物と比べるとかなり立派な建物に見える。

 老人がその建物を指さして、笑顔で飲み物を飲むような仕草を俺に見せると、門の両脇に立っていた門番が格子門を開けた。

 老人は門を抜けて建物の入り口で立ち止まると、俺にもついて来いと手招きした。

 門をくぐると、門番が格子門を静かに閉めた。

 石壁の中にはかなり広い広場と、外からも見えた建物がある。

 広場では二十人程度の腰布だけをつけた筋肉質な男たちが二人一組になって、木剣や棒を手に持って打ち合っていた。

 武術の稽古のようにも見えるし、でたらめに振り回しているだけのようにも見える。

 ここは道場なのだろうか。


「―――――」


 老人が待ちかねたのか、声を上げた。

 きっと俺を呼んでいるのだろう。

 待たせるのも悪いと思って、俺も老人に続いて建物の中に入った。

 建物の中は薄暗かった。沈みかけの太陽は窓が少ない建物の中を明るく照らすのには力不足で、蝋台にも火は灯っていないのだから、薄暗く感じるのも無理はなかった。

 老人は俺がついてくるのを確認すると、二十人近くが入れそうな大部屋に入っていった。

 そこでは壁の蝋台に火が灯っていて、少し明るい。部屋の中には木製の長テーブルが三つと、椅子が用意されている。

 老人が声を上げると、急いだ様子で男が現れる。老人がまた何かを言うと、その男はすぐに去って行く。老人が何か指示を与えたように見えた。

 老人は俺の方に向き直ると、何かを口に運び、飲み物を飲む様な素振りを見せた。

 食事を振舞ってくれると言うのだろうか?

 老人は一番奥の椅子に腰かけて、俺も座るように促したので、老人の正面に腰かけた。

 老人は忙しなく体を動かして俺に何かを伝えようとしている。しばらくの間俺は、この老人が何を伝えたいのかを観察しながら考えた。

 老人のジェスチャーを注意深く観察して、なんとなく分かった事がある。

 一つは食事と寝床を貸してくれそうだ。と言う事。

 もう一つは、俺が何かをすれば、金をくれる。と言う事。

 言葉が分からないので確信は持てないが、老人はおそらくそういう事を伝えたいのだと思う。

 そして、腰に差す大小を指さされたので、何か荒っぽい事をさせるつもりなのだろう。

 老人が何を伝えたいのかは、雰囲気だけは分かった。

 しかし、俺が分かったつもりになっているだけで、本当はまったく違う事を伝えているのかもしれない。

 言葉なしの意思疎通は本当に難しい。

 しかし、現実問題として腹は減ってきたし、寝床が無いのも事実。

 先ほど、斬らぬ斬られぬ。と心に決めたばかりで荒事には巻き込まれたくないが、命あっての物種とも言う。

 例えば、この話を断ったとして、俺はきちんと生きて行けるのだろうか。

 言葉は分からず、金も無く、寝床も無い。しかも見慣れない格好をしている俺はとても悪目立ちするだろう。謂れのない疑いを向けられたら、弁明すら満足にできない状況は酷く恐ろしい。

 そうであれば、この話を受けて、とりあえずの寝床と食べ物を確保し、言葉は分からないまでも、話の分かるこの老人の世話になった方がずっと現実的ではないだろうか。

 となると、重要な事はこの老人が信頼できる人物なのかどうか、と言う所にある。怪しい所が無い、とは言い切れない。

 と考えた所で、ぞろぞろと男たちがこの部屋に入ってきた。

 肩が緊張で跳ねる。思わず右手が柄に伸びる。

 そして男たちが陽気な様子で話をしながら入ってきている事に気がついて、肩の力も抜けた。

 男たちは老人に気がつくと声をかけて順に席につく。老人も一人ずつに返事をして朗らかに笑っている。

 警戒する必要は無かった。どうやらここは食堂で、食事の時間になったから、皆で揃って食事を取るらしい事が、先ほど老人の指示を受けたらしい男が、忙しそうにパンの積まれた籠、鍋、器などを運んでいる事から分かった。

 俺の前にも見た事が無い黒っぽいパンと、スープがなみなみと注がれた器とが丁寧に置かれた。

 やはり、人は疑って見てはならない。何か裏があるに違いない。と穿った見方をするから、無駄に疲れる羽目になる。

 男たちと陽気に言葉を交わしながら食事をするこの老人の、一体どこが怪しいと言うのだろうか、少し前の自分の頭に拳骨を落としてやりたいくらいだ。

 未だ食事に手をつけない俺に食べるよう勧める老人は、まさに好々爺然としていて毒気など微塵も感じさせない。

 見よう見まねで、思った以上に固い仕上がりの黒いパンをちぎって、スープにつけて食べる。スープには刻み野菜と、独特な臭みのある肉が入っている。塩味は控えめだが、パンとあわせて食べると具合よく腹にたまる。

 およそ丸一日ぶりと言える食事は、人の暖かさを思い出させてくれる様な素朴な味だった。

 老人の食事が終わるのを待ってから、俺は老人の話を受ける事に決めて、右手を差し出した。

 俺の考えを察したらしく同じように右手を差し出した老人は俺の手をしっかりと握りしめた。

 この老人ならば、おかしな事をやれとは言わないのではないだろうか。

 老人は立ち上がって、俺についてくるように手を招いている。

 老人の手振りから察するに、寝床に案内してくれるらしい。


 廊下には灯りが無く、小さな窓がわずかに受け入れている月明かりだけを頼りに老人の後を追った。

 流石に階段の蝋台には火が灯されている。階段を踏み外す事が無いように注意深く二階に上がる。

 二階の廊下にも火は灯されておらず、火の明るさに慣れた目では、老人の背中を追いかけるのにも難儀した。

 老人は立ち止まって、部屋の入口を指さした。

 その時には暗さに目が慣れて、だいぶ物が見えるようになっていた。

 そこは二階の一番奥の部屋で、洒落た鉄製の格子壁が特徴的な個室だった。

 寝床は簡素な木製で、薄い掛け布が用意されている。窓は小さいのが天井付近に一つだけある。青白い月明かりがわずかに差しこんでいて、どこか美しい雰囲気がある。さらに老人が指さした先には木製の桶があるが、何の為にあるのだろう?

 この木桶は何のためにあるのか、と聞こうとすると、老人はすでに部屋の外に出ていて、鉄格子製のスライドドアをがじゃり、と閉めた。


「―――――」


 老人は笑顔で短い言葉を残し、いなくなった。

 部屋の中をあらためて見てみる。全体的に埃っぽく、しばらくは誰も使用していない部屋だろう。

 位置が高く人が通れそうにない小さな窓、質素な寝具、丈夫な石壁と床、頑丈そうな鉄格子、渇いた嫌な臭いのする木桶。そして、力を込めても開かない鉄格子のスライドドア。

 人はそれを、きっとこのように表現する。

 牢屋。

 騙された。

 と悲観的に事を捉えるのは簡単な事である。

 しかし、そこで諦めてしまっては絶対に事態は好転しない。

 幸いなことに、ささやかながら月明かりが差しこんできているので、周囲はそれなりによく見える。

 何事も、まずは状況を正しく把握する事が大切だ。

 窓は高い位置にあるが、手は届く。懸垂の要領でよじ登る事も可能だろうが、俺が這いだせる様な大きさはない。

 では石壁はどうだろうか。都合よく崩れそうな所がある、訳も無い。押しても蹴飛ばしてもビクともしない。もし都合よく石壁が破れたとしても、ここは二階だから、飛び降りるにも危険だ。いや、一旦ぶら下がるようにすれば。だからビクともしない石壁をどうするのだ。

 ならば寝具の下は?床はどうだろうか。何もない。当然だ。都合よく脱走できるのは大抵フィクションだけである。

 まて、では鉄格子はどうだろう。糞尿をかけて腐食させ鉄格子を破るなんて話を聞いた事がある。痛んだ箇所があれば破壊する事も可能かもしれない。鉄格子を全て手で触って確認するが、僅かな錆がつくばかりで、痛んでいる、というような状態ではない。

 ならばスライドドアの部分はどうだ。格子部分に痛みは無い。何かの間違いで開きはしないかと期待してスライドさせようとしても多少がたつくばかりで一向に開く気配が無い。

 月に雲がかかったのか、部屋の中も一気に暗くなる。

 これは無理だ。

 そう判断して埃っぽい薄布を羽織って寝具の上で大小を抱える。こんな辛気臭い所で横になる気にはなれなかった。

 今思えば、最初に気がついた場所の寝具は、ここの物よりもしっかりとした作りで、もしかすると上等なものだったのかもしれない。なんてどうでもよい事を考える。

 このまま眠ってしまって、次に目が覚めたら我が家の古ぼけた自室で目が覚めないか、とわずかに期待して、俺は不貞寝した。

五月二十日、加筆修正

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