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テルティウスお爺さんの話を私は今一つ理解できていなかった。クラウディア様とユリアは難しい表情をしているが、二人は私のように話がわからない、というような様子ではない。なにか納得のいかない話を聞いた、と言う感じだった。
「ティベリア様、私の名前は正式には、テルティウス・ユリウス・ハエドゥイと申します。私の祖先は元々、ガリアと呼ばれる土地に住む一族でした」
テルティウスお爺さんは、唯一話を理解できていない私に向かって話しているようだった。
「我が一族はカエサル様に仕えておりました。そして私の曽祖父の代から、ウェスタ神殿に仕え、カエサル様に代わって恩を返す役目を与えられたのです」
ただカエサルと言えば、それはガイウス・ユリウス・カエサルの他にいない。
彼がまだ若かった頃、誤って処刑されそうになった際、ウェスタの巫女に命を救われた事がある。カエサル様に代わって、と言うのはおそらくその事を指している。だが彼は百年以上も昔の人物だ。テルティウスお爺さんの一族は百年も前に与えられた役目を今も果たそうとしている。
「そんな昔の事を、代を重ねてまで果たして欲しいとはカエサルも考えていない筈ですが」
ユリアの表情は苦々しいものだった。
ユリアが何を考えているのか、私にも少しわかるような気がした。
カエサル様は征服した民族に恩情を持って接した人物であった事は有名な話で、ガリアにはカエサル様が与えたユリウスの氏名を持つ異民族が多く居る。それはカエサル様に協力した対価として与えられた物だと言われていた。
テルティウスお爺さんの一族が与えられた役目も、きっと言葉通りの意味では無く、自分に仕えてくれた報酬として、一族の立場を保証する為の方便だったに違いない。
「ユリア様、ハエドゥイにとっては昔の事ではないのです。カエサル様が何を思って我が一族に役目を与えたのかは、もはや問題ではない。カエサル様が我々を救ってくれなければ、ハエドゥイは滅んでいたかもしれない程の窮地にあった。ハエドゥイは受けた恩を必ず返す誇り高い一族です。今まではその恩に報いる機会には恵まれなかった。それ自体は誰にとっても幸いな事です。ですが我が祖先にとってはどれほど心苦しかった事でしょう。そして私もハエドゥイの男だ。機会を得ておきながら恩を返せないとなれば、私は今ガリアで生きているハエドゥイに顔向けできない」
テルティウスお爺さんは、もう梃子でも動かないに違いなかった。
「だからと言ってテルティウス殿が無理に責任を負う必要は無いのです、他にもまだ選べる方法があります。わざわざテルティウス殿が身代わりになる様な方法をとらなくても良い筈です。かのカエサル様も、ここに居る者も、誰もあなたを責めたりはしませんし、四代も続けて薪を割り続けてくれたテルティウス殿の一族は、もう十分に役目を果たしていると私は考えます」
クラウディア様の言う事は私も同感だった。
「責める者ならば、ここに一人おります。それに報酬を受け取る者が仕事を果たすのは当然の事です。お願いいたします神官長様。どうか、我が一族が受けた恩をお返しする機会を私にお与えください。私には子がありません。今を逃せばハエドゥイは恩も満足に返せない不義理な一族になってしまうのです」
しかし、テルティウスお爺さんの言う事も、わかる気がするのだ。
「しかし、彼に関わる事が問題視されれば、どのような責任を負う事になるか分かりません。そんな事をやらせる訳には」
「どうか、どうかお願いいたします。私もつい先ほどまで諦めておりました、ですがこうして目の前にその機会が訪れたと思うと、居ても立っても居られないのです」
クラウディア様の説得しようとする言葉を遮って、テルティウスお爺さんが食い下がる。
どちらもそれぞれに立場があって、退けなくなっている。話は平行線だった。
「クラウディア様、私に任せて頂けないでしょうか。元々はカエサルが播いた種。その末裔である私が対処するのが正しい筋でしょう」
その時ユリアがはっきりと良く通る声で宣言した。
「どうするつもりなのですか」
少し思案する様子を見せてから、クラウディア様は難しい表情をしながら尋ねた。
「まず、テルティウスお爺さんが彼を解放奴隷にする事と、彼を養子にする事に何か問題があるか尋ねる手紙を用意します。この手紙に記入する日付は、それぞれ不自然にならない程度に偽って記入します。そしてそれを知り合いの法律家、元法務官、現職の法務官、高位の神官に、それぞれ二つとも同時に届くように手配し、個別に確認をとります。その後、我々で総合的に判断し、不可能であれば彼を解放奴隷にする手続きは中止し、別の方策を練ります。可能であればその手続きを実際に進めます。あらかじめ連絡をとって確認しておけば、万が一何者かに訴えられ裁判になる様な事があっても、彼らは勝手に我々の事情を察して、勝手に我々に有利になる様に気を使ってくれる可能性が高まります。私たちはその裁判に、あなた、あの時大丈夫だって言ったわよね?と訳知り顔で傍聴するだけで良い」
「手紙なんか出して大丈夫なの?」
裁判では証拠として手紙の内容を公表するように求められる事がある。その事が気になった。
「カエサル家が裏のやり取りで使う名前とルートをいくつか使うわ。カエサルも使った手だから気分は乗らないけど、私的な手紙で公開はできないと言えば嘘ではないし、もし強引に手紙の提出を求められても、一見しただけでは特別変な事を尋ねる手紙でもない。もちろん心得ている相手だけをきちんと選抜するから、この事が明るみに出る事は無い。それだけでも裁判を牛耳れるくらいの影響は出せる筈よ」
何それ、カエサル家怖すぎ。
「何よりこの方法ならウェスタの巫女に白羽の矢が立つ事は絶対にありません。万が一裁判になった場合は、テルティウスお爺さんに矢面に立って貰う事にはなりますが、その場合訴えた者の狙いは、テルティウスお爺さんではなく、その裏で暗躍するカエサル家の権威失墜にあるはず。そうなったとしてもカエサル家が本気で関与すれば勝訴は間違いありません。ウェスタの巫女の誰かがこの話の通りに行うなら別ですが、ウェスタ神殿に勤めているとはいえ、テルティウスお爺さんはあくまで一ローマ市民。注目されるような事とも思えません」
「そんな事していいの?その、裁判的にも、カエサル家的にも、大丈夫なの?」
そこが私としては一番心配な部分だった。
元は私の考えなしのわがままから始まっている。
明らかに真っ当で無い手段を親友の実家に使わせる。というのは嫌だ。
「なに?あんたそんな事心配してるの?いいのよ、もっとえげつない事してる人いっぱい居るから」
「そうなの!?」
「そうよ、クラウディア様の実家だって同じぐらいの事は余裕でできるわ。私と違って立場があるから言えないけど」
クラウディア様はとても綺麗な笑顔で私を見つめていた。
うそ、名家怖すぎ。私、普通の貴族で良かった。
六月七日、加筆修正




