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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
31/122

31t19

「ロー!」


 それが彼の名前だ!

 私はローと名前を教え合う事になんとか成功した。

 私はそれが嬉しくて、身体が勝手に踊りだしそうな気分になった。


「ユリア!聞いた?彼の名前、ローだって!」


 まだ名前だけだけれど、彼はきちんと私の言葉を聞いて、私の名前を正しく認識してくれた。

 そして、私が名前を尋ねた事もきちんと理解して、こうして名乗ってくれた。

 彼に言葉を教える事は、そう難しい事ではないような気がする。


「そりゃ聞こえていたけど、それで、実際どうする気なの?」


 ユリアは微妙に冷めた表情で私を見ていた。

 すっかり舞い上がっている私にその事を気にする余裕は、今は無い。


「どうするって?」


 私は、これからローにどんな言葉を教えればいいのかを考えながら答えた。

 やはり名詞や動詞が最優先だろう。それだけでも簡単な意思疎通ができるようになるはずだ。正しい文法や、多様な表現方法は、必ずしも意思疎通には必要ではない。まずは彼がきちんと意思表示できるようにならなければ不便だろう。


「まあ、考えてないわよね。ティベリアだもんね、知ってた」

「どういうこと?」


 ユリアの私を見る目が、あまりにも残念な物を見る目になっていたので、私は一旦考え事を中止して、ユリアに尋ねた。


「じゃあ聞きますけれど、彼はどこで寝泊まりするの?彼の食事はどうするの?」

「そんなの、私たちの家に」

「巫女たちの家に?あんた気は確かなの?犬猫じゃないのよ?あそこに男を住まわせるなんて、あんたカンプス・セレイタス行きになるわよ。浮かれてないでちゃんと考えなさい」


 ユリアの冷え切った視線と言葉で、私は冷静になる事ができた。

 そうだった。

 私はバカか、巫女たちの家に男性を住まわせる、なんてありえない。

 薪の搬入や薪割りの為にテルティウスお爺さんが来たり、客人が一時的に訪れる事はあるけれど、原則男性は立ち入り禁止である。

 そんな当たり前の事すら頭から抜け落ちていたなんて、私はどれだけ浮かれていたのか。

 では、どうしよう。

 彼が住処にできる所を、まず考えなくてはならない、子猫(ルプス)とは違うのだ。どこか建物の陰に、なんて事はできない。

 集合住宅(インスラ)の一室を借りてはどうだろうか。幸い、巫女としての給金は、使い道がほとんど無いので、自由に使えるお金はそれなりにある。

 しかし、言葉がほとんど通じないローを、快く受け入れてくれる大家がいるだろうか。難しいかもしれなかった。

 もし都合よく入居可能な集合住宅が見つかったとして、ウェスタ神殿近くには集合住宅はほとんどない。距離が離れれば、単純に私の目が届かなくなる。そうなれば言葉が不自由なローは間違いなく苦労する事になる。下手をすると何か問題に巻き込まれてしまうかもしれない。彼が最低限の意思疎通が可能になるまでは、できるだけ私の目が届く範囲に常にいて欲しい。

 そもそもウェスタ神殿のある第八区は、ローマの行政中枢区であり、多くの人が訪れる場所ではあるが、人が生活する為の場所ではない。例外なのは住みこみの神官ぐらいのものだ。

 では、私の実家に預ける。と言うのはどうか。

 いや、遠すぎる。ローマ市街から外れてしまう。言葉を教えに通うのが現実的ではなくなる距離だ。何よりも、両親に手間をかけさせるのは気が引ける。

 あれ、無理だろうか。

 思っていた以上に、私にできそうな事は少ない。何の考えもなしに行動してしまったが、これでは何の役にも立たないではないか。

 あまりにも情けなくて涙が出そうになった。

 いや、泣いている余裕もない。

 無理だと諦めて、ローの事を無責任に放りだすのは絶対に嫌だ。

 もっとよく考えろ。何かできる事があるに違いないのだ。


「泣く程考えても何も出ないの?」

「泣いてないです。今考えてるからちょっと待って」

「クィントゥスさんが金貨を払うって言ってるんだから、それを持たせて、後は彼の好きにさせたらいいんじゃないの?あんたがそこまで責任を負う必要がどこにある訳?」

「だって」


 ユリアの言う事は、わかる。

 実際に私ができる事は、言葉を教える以外にはあまり無さそうだった。

 私には、実際にローのこれからを保証する能力がない。住む所も用意してあげられそうにないし、毎日食事を用意してあげられる訳でもない。


「だって、せっかく会えたのに、まだ何にも話せてないもの」


 私はローと会って、話がしてみたいと思っていたのだ。

 ローの為と言うよりも、私の為に、私が意地を張っている。

 言葉を教えるのは、その気があれば私じゃなくてもできる。

 親切な人がローを助けて、住処を用意してくれるかもしれないし、食べていく方法を用意してくれるかもしれない。その人はきっと私よりも上手くやるだろう。

 ローだって私に助けて貰おう、とは考えていないに違いない。

 でも、私が、ローと話をしてみたいのだ。

 年はいくつなのか、どこから来たのか、その服はなんていう名前なのか、家族はいるのか、どうしてあの時、笑っていたのか。

 聞きたい事は山ほどある。

 その為に、ローには私のそばで言葉を学んで貰わないと困るのだ。


「そう。もう、良い時間ね。ティベリアお暇しましょう。日が落ちる前に帰らないと」

「ユリア!まって」

「怖い顔。彼も連れていけばいいんでしょう?別に止めないわ」


 てっきり、ローは置いて行く。と言われると思っていた。

 だって私には、彼を連れていける理由がない。私はきちんと彼を助ける方法を思いつく事が出来ずにいる。


「サウロス様、ガイウス様、クィントゥス様。彼を連れて行っても構いませんね?」


 ユリアが巫女としての振る舞いで三人に尋ねた。

 尋ねられた三人は笑顔でそれに応える。


「そうですか。サウロス様、美味しいお茶を御馳走して頂き本当にありがとうございました。それと、お二人の養成所のご活躍を心からお祈りしております。本日は貴重な場に同席させていただき、本当に嬉しく思います。では失礼いたします。さ、行くわよティベリア」


 締めの挨拶を済ませると、ユリアはローに視線を一瞬だけ向け、護衛を一人引き連れてさっさと行ってしまう。


「あ、待ってユリア。皆様、今日は本当にご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」


 私も最後の挨拶を済ませて、ユリアについて行かなければ。と少し駆け足な言葉で締める。


「ティベリア様」

「はい」


 サウロスさんに声をかけられ、私は反射的に返事をする。


「何かご入り用の際は、是非、このサウロスをお頼り下さい。適正な対価さえ頂けるのであれば、大抵のものはご用意できると自負しております。ユリア様にも、是非お伝えくださいますようお願いいたします」

「はい、伝えておきます」


 全く変化のないサウロスさんの笑顔は、赤みがかった陽光で影が差し、少しだけ不気味だ。

 いや、そんな事を考えては失礼だ。

 私は、ローの手を取って部屋を出る。

 ユリアはきっと待っている。ローにあれこれ伝える時間は無いと思ったからだ。

 ローの手は、とてもごつごつしていて少し驚いた。

※フォロロマーノは第二区ではなく、第八区でした。5/11改訂

六月七日、加筆修正

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