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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
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「夕食の時間になっても出てこないと思えば、あなた達は加減と言うものを知らないのですか?」


 すっかり暗くなってしまった室内で、私とユリアは、クラウディア様からお説教を受けていた。私が何か失敗して叱られる事は、ままあるのだけれど、ユリアも、と言うのはいつ以来だろう。


「「申し訳ありません」」

「セルウィアがあなた方の事をとても心配していましたよ。鬼気迫る表情で姉さま達が小麦を挽いている。と」


 ああ、可愛いセルウィア。私とユリアの恥ずかしい失敗を目撃してしまったのね。全く気がつかなかった。どれだけ集中していたのだろうか。

 気がつけば日が沈んでいて、残り三日分はある小麦が、全てモラ・サルサに変わっていた。作り終えた大量のモラ・サルサを見て、自分たちで作った筈なのに、信じられない物を見た気分だった。


「三日後には次の小麦が届きますから、小麦の事は気にしなくてもよろしい。できれば小さい妹たちの分は残しておいて欲しかった所ですが、別の事を教える時間が出来たと思う事にしましょう」

「「すみませんでした」」

「空いた時間にモラ・サルサを作るとは殊勝な事です。ですが物事には限度と言うものがありますね?作業に熱中しすぎて、周りへ配慮を忘れるようでは困りますよ。あなた方はまた派手な大喧嘩をするつもりですか?」


 クラウディア様は私たちを叱るときは必ず、また大喧嘩をするつもりか。と尋ねる。

 ウェスタの巫女になれる娘は、歴史ある名家の娘だけである。私は第二代皇帝ティベリウスの遠戚だし、ユリアは、あのガイウス・ユリウス・カエサルを輩出したカエサル家の直系に連なる者なのだ。クラウディア様もネロ帝と親戚だし、セルウィアは第六代ローマ王セルウィウスを祖とするセルウィウス家の一人である。

 だから基本的には皆育ちがよく、幼いながらも最低限の教養を身につけている娘が多い。つまりは身の程をわきまえた行動を取る者がほとんどと言って良い。

 そんな上品な娘たちの中で、私とユリアだけは少し違った。

 ユリアは同年代の誰よりも能力があって今よりも遠慮が無かったし、私も今と変わらず考えなしで行動する世間知らずな娘だったから、修行が始まってすぐに衝突した。何度か殴る蹴るの喧嘩もしている。今までにそんな喧嘩をした巫女は居なかったそうなので、ほとんど伝説のように語られている。

 今でこそ私とユリアは、初めて喧嘩をした時にどちらが先に手を出したのか。という、かなりどうでも良い話題で盛り上がる関係であるが、最初は険悪な関係だったのだ。


「「流石にもう喧嘩はしません」」

「よろしい。では二人とも手早く食事を済ませて、浴室で粉を落としてしまいなさい」

「「はい」」



 誰も居なくなった食堂で二人で食事をする。燭台のわずかな明かりでお互いの顔を見ると、おでこや頬に白い線が横に何本も描かれている。粉のついた手で顔の汗をぬぐった時にできた物に違いなかった。

 二人とも、妹たちには見せられないと一笑して、そそくさと食事を済ませ、誰にも顔を見られないように急いで寝間着を持って浴室へ向かう。

 浴室と言っても、テルマエのように熱い湯を沸かしている訳ではない。

 年中大量の薪を使用するウェスタ神殿の薪は、そのほとんどが心あるローマ市民の寄進によって賄われている。

 竃に使用する薪以外は、食事の用意以外に使われる事は無い。薪は消耗品であり、周囲に森の少ないローマではそれなりに高級品である。

 一般的な集合住宅(インスラ)では、浴室がそもそも無い所がほとんどで、浴室があるだけで恵まれているらしい。巫女たちの家には専用の水道管が引かれ、常に充分な水が用意でき、排水路も完備されている。

 石造りの脱衣所で手早くパルラを脱いで、髪の毛を解いて、キトンを脱ぎ去る。着るのは手間がかかるのに、脱ぐのはフィブラを外せば、すとんと落ちる。一足先にユリアが浴室に入った。私も後に続いて中に入る。


「ティベリア、先に髪流してあげる」

「ありがとう、後で交代ね」


 浴室まで引いてある水道管から絶えず流れる水を桶に貯めて、小さな木製の椅子に腰をおろす。手足についた麦粉を落としてから前かがみになると、ユリアが髪の毛に水をかけてくれるので、手早く髪についた土埃や麦粉を洗い流す。


「つめたい!」

「我慢しなさい、冬じゃないんだから、まだましでしょ」


 浴室には朝から貯めておく入浴用の水甕があって、温くした水が用意されているのだが、今日は私たちが時間を忘れてモラ・サルサ作りに熱中していたせいで、すでに使い切られた後だった。

 冷水での行水は身が引き締まる思いがするけれど、好んで行いたいものではない。


「テルマエが良かった」

「本当ね、布切れ貸して、背中拭くから」

「うん。ああ、冷たい」


 二人でこうしていると、修行時代に戻ったような感じがする。

 何でも一人でできたユリアが、自分で背中を拭くことだけはできない。と知った時の驚きはかなりのものだった。私にはできて、ユリアにはできない事があるとは思っていなかった。

 身体が固いのか、ユリアは腕を背中にまわす事ができない。だから、ユリアはテルマエに行く事を好んだし、一人で身体を清める事はほとんど無い。


「次私ね」


 場所を変わって今度は私がユリアの行水を手伝う。


「うん、冷たいから覚悟するように」

「あれ、そうでもないかも、ちょっと!背中にかかってる冷たい!」

「はいはい、我慢我慢」

「あー、冷たい。ティベリア冷たい」


 ユリアが冗談めかして言うから、私もつられて悪戯心を発揮する。

 この程度のじゃれ合いは何時もの事なので気にもならなくなった。


「背中拭いてあげないよ?」

「ちょっと、ちゃんとやってよ、あせもになったら困るじゃない」

「はいはい、敏感肌だもんね。香油は持ってきた?」

「あ、忘れた」

「じゃあ、冷えるし早く戻ろうか」


 背中を拭き終えた布切れを水を貯めた桶でざぶざぶ洗って、お互いに身体の水気をとってから浴室を出る。

 私は寝間着のトゥニカを着る。

 ユリアは素肌にパルラを纏っただけ。

 パルラは上着として使う物だ。


「ユリア、素肌にパルラはどうかと思うの」

「どうせ脱ぐもの!寒いから、先に部屋で待ってるわ」

「ああ、部屋でまた脱ぐのが面倒くさいのね」


 ユリアは周りに誰も居ない事を確認して慎重に部屋に戻っていった。流石に素肌にパルラ姿を見られるのは嫌なのだろう。

 キトンとパルラは大きな布だから、きちんと畳まないと地面にすって汚してしまう。二枚を畳みながら、洗濯は日中やろうと決める。今は少し寒いし、ユリアが待っている。

 キトンとパルラを汚さないように気をつけながら、かなり攻めた格好をした親友の後を追うのはなかなか骨が折れた。


 肌が弱いユリアは実家から定期的に香油を分けて貰っている。今あるのは花の香りがしっかりと移った高級品だ。

 それを間違ってもこぼさないように気をつけながら手の上で軽く伸ばす。

 寝具の上でうつ伏せになっているユリアの横合いから、背中に薄く薄く塗りつけていく。

 あまりたっぷり塗りつけると、ユリアにべたべたする。と文句を言われるので手を抜くことはできない。

 とはいえユリアの手が届かない位置は背中ぐらいなのですぐに終わる。


「ありがと」


 背中に香油を塗り終わると、ユリアはさっと起き上がって全身くまなく香油を塗りつけ始める。手慣れたもので、それもすぐに終わる。

 私が手に残った香油を自分の手や腕に薄くのばし終わるのと、ユリアが寝間着のトゥニカを着るのはほとんど同時だった。


「で?何を落ち込んでたわけ?」


 ユリアは寝台に腰かけて、何でもない事を尋ねるように言う。

 見て見ぬふりをしてくれる相手ではない事は分かっていたので、特別驚いたりはしない。


「ちょっと、上手くいかない事があって、私はダメだなーって」

「なんだ、いつもの弱虫が騒いだのね。座ったら?」


 途端に興味を失ったような声色でユリアが言ったので、私もユリアの隣に座らせてもらう。


「ユリアが聞いたんじゃない」

「まあ、そうだけどね。今回はちょっと重症かしら」

「うん」

「話してみたら?聞いてあげるわ」


 上から目線の言い様がユリアらしくて少し笑えた。

 性格なのか、照れくさいのか、ユリアはいつもこういう言い方しかできない。

 妹たちも十歳以上年上のユリアにこういう言われ方をすると、初めはびっくりして泣きそうになってしまう子もいる。するとユリアは途端におろおろと慌て始めてボロを出し始める。そうすれば、ユリアは怖い人ではないとすぐに知られてしまう。

 本人は威厳と頼りがいのある姉貴分を目指しているらしいのだが、妹達からすれば、頼りがいは感じても威厳などは欠片も感じ取ってはいないだろうなと思う。

 だから私も、この頼りがいのある親友を頼ってしまおう。

 今日一日を思い出してみれば、何度子供じみた事をしたのか数え切れないほどだ。

 もう一度、子供みたいに誰かに頼っても、ユリアは怒らないだろう。

 そう思って、今日あった事をユリアに聞いてもらった。

 私がどう考えて、どう行動して、どう失敗したのかを。



「私ね、ティベリアのそういう所が嫌いよ」


 話を終えて、真面目な表情をしたユリアの言葉を聞いて、私は絶句した。

 まさか、嫌い。と言われるとは思ってもいなかった。


「だって羨ましいもの」


 少し間をおいてユリアが言う。

 不敵な笑顔が月明かりに照らされている。


「何が?」


 羨ましい。と言われても全く心当たりが無い。

 羨ましいと思うのは私の方だ。

 今日の出来事を私ではなくて、ユリアがやったなら、きっと結果は同じじゃない。


「私って、なんにでもそれなりに才能があるし、頭も良いじゃない?」

「それを自分で言うの?」


 確かに巫女としての勤めを覚えるのが一番早かったのはユリアだし、教養があるのも知っているから、それは否定できない。でも一言言わずにはいられなかった。


「まあね、事実だし。だから、自分が上手にできる事は、やる前から分かるのよ」


 それがどうして、羨ましい。に続くのかは、やはり分からない。

 私は覚えが悪い方だったし、一応は名家の娘であるけれど、ティベリウス・リイヌム家は一度没落していて、祖父の代で持ち直した経歴があるから、教養もユリアやクラウディア様に比べれば、庶民と大差ない程度の物でしかない。暮らしぶりだって、他の巫女たちの実家とは比べる事も出来ないような慎ましいものだ。

 どう考えても、ユリアが私を羨む事があるとは思えなかった。


「自分にできない事もわかっちゃうのよ。どんなにそうしたいと願っても、できないから諦めるの。だってできないんだから。仕方ないじゃない?私は何でもできる訳じゃない、できない事は初めからやらないから、できるように見えるだけ」


 ユリアは本当に嫌そうな顔で言っている。いつもの冗談めかした表情ではない。

 見た事のない表情に驚いて、私は何も言えなかった。

 私が何でもできると思っていたユリアは、自分の事をそういう風に思っていたなんて信じられなかった。


「あんたが昔拾ってきた猫いたでしょ、ルプスだっけ?あいつが今どうしてるか知ってる?」


 ルプスは私が昔拾ってきて、こっそり育てていた子猫だ。

 親とはぐれたのか、寝床がわからなくなってしまったのか、ティベリーナ島の帰りにセルウィウス城壁傍の路地裏で弱々しく鳴いている所を見つけ、思わず拾って帰った。可愛い見た目だったのはもちろんだが、あまりにも悲しそうに鳴くので放っておけなくなったのだった。

 世話をしてみるとルプスは、顔つきこそ狼に似ているのにどんくさい猫で、なぜかと思えば、右前脚が不自由な様子だった。暇を見つけては世話をして、二年過ぎた頃に姿を見せなくなったから、旅立ったのだと思っていた。でも何で、急にルプスの話になるのだろう。


「待って、なんでルプスの事を知っているの?誰にも言ってないのに」

「みんな知ってるわよ?あんな大きな声で姉さま達に突っかかって。あんた、隠せてると思ってたの?」


 五年以上隠し切れていると思っていた秘密が、すでに皆の知っていた事だと言われて、私は無性に恥ずかしくなった。


「あいつ、ここら辺の裏路地で偉そうに昼寝ばっかりしてるわ。何で家の倉庫の小麦が鼠に一切かじられないのか考えた事ある?あのデブ猫、奥さんと自分の子供たちに鼠捕らせて運ばせてるのよ!良い御身分よね!」

「うそ、元気なの?」

「あのままだと太り過ぎで死ぬかもしれないけど、まあ、元気なんじゃない?」

「探しても見つからなかったのに!」


 ルプスは元気にやっている。それに子供までいると言う。嬉しい知らせだった。

 楽しげに笑うユリアにつられて、私も笑ってしまった。


「でも、私なら、猫は拾ってこない。姉さま達に怒られるのは分かりきってるし、上手く世話できるか自信が持てない。かわいそうだな、どうにかしたいな。とは思うわ。それでも私は猫を拾わない。拾いたいけど拾わない」


 ユリアは、真面目な顔をして、自分の言っている事が絶対に正しいのだ。と確信している様子で言った。


「でも、あんたは拾ってきた。姉さま達にしこたま怒られて、子猫の世話なんかした事ないくせに、必死になって世話をした」


 ユリアは私のした事は間違っていた。と責めるような口ぶりで言った。


「ムカついたわ。私にできない事が、なんでこんな奴にできるのかって」


 もうユリアの言葉を聞いているのが辛かった。なんでもっと早くに耳をふさいで逃げださなかったのだろう。

 でも、もう手をあげる気力も失せてしまった。


「あんたは私にはできない事ができる。私が無理だとか無茶だとか思う事だって平気な顔して勢いだけで挑戦する。私はそれが羨ましい。しかも、やればできる子だから余計に腹が立つわ。そのくせに私からしたらつまんない事でうじうじ悩む。嫌いにならない方が無理ってものよ」


 涙があふれた。

 いつもの冗談だと思っていた。嫌いだなんて、本当は欠片も思っていないって信じていた。

 真剣なユリアの表情が、今までの言葉全てが冗談ではない事を何よりも雄弁に語っている。

 その事に気がついてしまえば、もうダメだった。

 体中から力が抜けていくような感覚がして、自然と視線が自分の足元に来る。


「ちゃんと話は最後まで聞きなさい、ティベリア」


 ユリアは私の前に立っているらしかった。ユリアの膝から下だけが見えている。

 恐ろしくて、ユリアの顔が見られない。

 ユリアの少し冷えた掌が、私の両頬を捕まえて上を向かせる。

 香油の良い香りがする。


「でもね、すごい人だなって思った。覚えが悪くて、どんくさくて、失敗もするけど、なんにでも一生懸命で。あなたはそのままで良いの。もっと自信を持ちなさい。あなたは、私にはできない事ができる人なんだから」


 涙が止まらない。

 急に優しい顔をしたユリアのせいだ。

 きっとそのせいで目がびっくりしたのだ。


「何泣いてんのよ、面倒くさい女はもっと嫌いよ」

「ユリアが泣かせたぁ!」

「ああ、うるさい。ごめんごめん私が悪い。そうね私が悪かったわ、はいはいごめんごめん」

五月二十二日、加筆修正

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