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まだ、かな。
そろそろ、二人が戻ってきてもおかしく無いのでは。
私は、一向に落ち着く気配のない気分を持て余しながら二人を待っていた。
ルキウス様は、彼が私に危害を加えない人物だと確認できるまでは、決して私と彼を会わせない。と言ったのだから、そんなにすぐ戻ってくるとは思えない。
目を覚ました彼の顔色をさっと見て、よし、大丈夫。と言う話にはならないだろう。
彼から話を聞くにも、それなりに時間がかかるはずだった。
分かってはいても、そわそわする感じは時間が過ぎる程に強くなっていくのだから、もはや私にはどうしようもない。
試しに、勧められた椅子に再び座ってみても、数度瞬きをした後には立ち上がって、うろうろと部屋の中を好き勝手に歩き回ってしまう。
なんて堪え性のない事だろう。
どのくらい時間がたったのだろう?
もうそろそろ?
なんて事をきっちり三度繰り返した所で、二人が部屋に戻ってきた。
「どう、したのですか?」
私はたまらず二人に駆け寄って、問いかけた。
二人の表情が暗い。何かがあったに違いなかった。
「ティベリア殿、まずは座ってくだされ。説明が必要じゃ」
「何かあったのですか!?彼はどうしているのです」
「ティベリア。座りなさい、父上はきちんと説明してくださいます。説明が必要なのです」
コルネリア様は聞き分けのない子供に対してするように、私の肩を掴んでゆっくりと座らせ、そのまま私の隣に腰を下ろした。
嫌な想像が次々と湧く。
彼はルキウス様が言った通り、私に危害を加えるような人だったのだろうか。今も治療院の中で暴れまわっていたりするのだろうか。
私はすっかり怖くなってしまった。
私が彼を助けようとしたせいで、ルキウス様を始めとした治療院の人々に迷惑をかけている。
「まずは落ち着いて、わしの言う事をきちんと聞きなさい」
ルキウス様は私の前に座り、優しい声色で言ってくれている。
私が取り乱したせいに違いなかった。
「はい」
二人の様子につられるようにして、いくらか落ち着きを取り戻した私は、隣に座ってくれたコルネリア様の手を掴み、なんとか話を聞く姿勢を整えた。温かいコルネリア様の手が無ければ、真っ直ぐに座っていられる自信が持てなかった。
「まず、一番の心配事について答えようかの。彼は危険な人物ではないとコルネリアは言っている。すまんが、わしは彼の様子を見る事が出来なかったから、何とも言えん」
「ルキウス様は彼の様子を見ていない?」
「順を追って説明しよう」
彼が目を覚ました事に気がついたのはコルネリア様で、コルネリア様は普段患者に対してするように『どこか痛む所はありませんか?』と尋ねた。
その時に、ルキウス様からの言いつけを思い出したが、彼がぽかんとした様子をしていたから、耳が聞こえにくいのかと思って、ルキウス様への報告よりも、彼の状態を確認する事を優先し、もう一度『どこか痛む所はありませんか?』と尋ねた。
彼は何か言葉を発して返事をしたのだが、コルネリア様にはその言葉がまるで理解できなかった。
コルネリア様は言葉が通じない事を理解して、言いつけ通りにルキウス様へ報告する為に、この部屋に向かった。ルキウス様を連れ彼の居た大部屋へ戻ると、彼は居なくなっていた。
その場で他の患者を見ていた神官医師たちに話を聞くと、彼は寝台の上で自分の顔を叩いたり、自分の服を確認して、立ち上がって二本のグラディウスを腰紐に差し、あちこちに視線を向けながら、外に行ったらしい事が分かったので、ルキウス様とコルネリア様が手分けして周囲を探す事にした。
ルキウス様は彼の顔を見ているはずのリクトル二人に声をかけたが、神殿に背を向けていた二人は彼が外に出た所を見ていなかった。
コルネリア様は一足先に治療院の周りを探して歩いていると、治療院の裏手側、つまり二本の橋の近くで彼を見つけ、『待ってください』と声をかけた。彼は言葉が分からないようなので、身振り手振りを交えて引きとめたが伝わらず、彼は丁寧に一礼して、第十四区に繋がる橋を指さして、そちらに歩いて行ってしまった。
説明を受けて、私は長く息をはいた。
ほっとした。彼は何か良くない事をした訳ではなかった。
緊張して説明を聞いていた反動か、どっと力が抜けてコルネリア様を慌てさせてしまった。
「すみません、大丈夫です。安心しました。私はもしかして彼が何かしたのではないかと」
「何かされた訳ではないが、言葉も分からん相手を安全な人物だ。と判断する事は、わしには出来んの」
「そうでしょうか?」
コルネリア様が思案顔で呟いた。
「私には、彼が危険な人物には見えませんでした」
「わしは目を覚ました彼を直接見てはおらん。どのような理由でそう判断したのじゃ?」
「彼は私と目が合うと、驚いた様な表情をしました。初め私の言葉を聞いても何の反応も無かったのですから、余程驚いたのでしょう。グラディウスを探す素振りも見せませんでしたし、立ち上がったり、腰が引けたりする事もありませんでした。父上もよくご存じかと思いますが、意識を失って目を覚ました者が、周囲の環境の変化を見て驚いた時、その人の本性が強く現れます。彼は実にあどけなく私の顔を見ていました」
「肝が太い者、理解の鈍い者もいる。それだけでは何とも言えん」
「もちろんそれだけではありません。私が彼を引きとめようと声をかけ、身振り手振りでなんとか伝えようとしている間、彼は注意深く私の事を見ていました。その後に彼も私に何かを伝えようとしていました。これは、なんとか意思疎通が出来ないだろうか。という理性的な考えがあった。という事以外には考えられません」
「コルネリアが言うように彼が本当に理性的であったとしても、危険が無い。と判断する材料にはならん」
「しかし彼はただの一度も、腰のグラディウスに手をかけませんでした。理性的な判断をし、暴力を振るう素振りを見せない者である事は疑いようがありません。彼を危険であると判断するのは無理があります」
「危険であると判断できないからと言って、安全であると判断する事はできんと言っているのだ」
「危険であると言えないならば、それは安全であるのと同じ事ではないですか」
「全く違う!」
「どう違うと言うのです!」
私はずっとこの部屋にいたので、彼の様子は一つも分からない。だから二人の会話に口を挟む事が出来ずにいた。
彼が安全かどうかの議論は、気がつけば親子喧嘩の様相を呈している。
このままでは、ただ親子喧嘩を誘発しただけになってしまう。それではあまりにも申し訳ないので、話を進めるため、私にとって重要な事を簡潔に尋ねた。
「では、彼は一人で第十四区に向かったのですね?」
「ええ、彼は第十四区に向かって歩いて行きました」
答えを聞いた私は、掴んでいたコルネリア様の手をそっと離して、立ち上がった。
「それはならん!わしの話を忘れたか!」
慌てた様子のルキウス様も立ち上がって、叫んだ。
どうも、私が彼を追いかけて第十四区に向かうつもりだと思っているらしかった。
「第十四区には異民族が多く住んでいる。ローマの神々を認めないおかしな宗教を広めている者たちも多い。そんな所にウェスタの巫女を行かせる事などできん!」
「別に彼を追いかけようなどとは思っていません」
「それを本心だと信じろというのか、そこまで耄碌してはおらんぞ」
「ウェスタの巫女の発言は証文と同じ、嘘などつける訳がありません」
ルキウス様は興奮した様子だったが、私が、ウェスタの巫女。という言葉を持ちだしたからか、途端に押し黙ってしまった。
ウェスタの巫女の発言が証文と同じだけの効力を持つのは本当の事で、例えば裁判で発言する時も、神に宣誓する事なく言葉を発して良い事になっているし、発言の内容を疑ってはならない。と定められている。
その事はローマ人であれば、誰でも知っている。
当然、ウェスタの巫女として発言する際は、絶対に嘘をついてはならないと厳しく教えられる。さらに言えば、ウェスタの巫女の信頼を損なうような事をすれば自殺用地下房に送られる。と、先輩巫女たちに脅されながら教わるのだ。
この脅しの恐ろしい所は、それが事実である。と言う所にある。
罪を犯した巫女がカンプス・セレイタスに送られた事が実際にあったのだ。
ウェスタの巫女の肩書は、絶対に安易な嘘をつく為に持ちだして良いものでは無い。
「巫女としての言葉だと言うのであれば、信じる他ないの」
「ありがとうございます。ルキウス様、コルネリア様、今日は私のせいで多大なご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。私はこれからウェスタ神殿に戻り、今日の事を振り返って、自身の行いの至らなさを反省しようと思います」
ルキウス様とコルネリア様に簡単な別れの挨拶をし、治療院の前で待っていたリクトルの二人に声をかけ、私は大人しく帰路についた。
なんだか、楽しい夢から覚めてしまったような感じがした。
彼は一人で第十四区に向かって行った。
言葉の通じない場所で、誰も何も教えてくれない場所で、彼はたった一人きりだったのに、誰の助けも必要とせず、自分だけで考え、自分だけで決め、自分だけで行動した。
まるで神話の中の出来事のようだ、なんて舞い上がっていたのは私一人だけで、他の誰もが現実的に物事を捉えて行動していた。
ルキウス様が心から私を心配してくれた事は嬉しかった。
コルネリア様が彼の事を安全だと擁護してくれたのも、私がされた事のように嬉しかった。
彼が無事に目を覚ました事も嬉しい事だ。
でも、きっと彼なら、私が助けようとしなかったとしても、一人でどうにかしてしまったに違いない。
では私がした事は一体何なのだろうか。
自分の立場を忘れ、自分勝手な行動をして、リクトルの二人と、ルキウス様やコルネリア様に迷惑をかけただけではないだろうか。
彼は私の助けを必要とするはずだ。きっと私は彼の役に立てる。なんて考えは、傲慢にも程がある。
何より、誰だって頼る相手は選びたいはずなのだ、なにもできない私をわざわざ頼る人がどこに居ると言うのだろう。
五月二十二日、加筆修正




