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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
10/122

10

 思わず、女剣闘士の方を見た。

 彼女は何の感情も感じていないような表情で、ただ呆然と立ち尽くしている。

 確かな自信に裏打ちされた凛とした佇まいも、勇ましく剣を振るっていた面影も無い。

 勝利を確信し、獰猛に笑う生命力にあふれた表情は、俺の幻想だったのではないかと思わせるほどに失せてしまっている。

 まるで、もう死んでしまったかの様に身動き一つしない。

 彼女の変貌ぶりは俺の精神に大きな衝撃を与えた。

 彼女は殺される。

 ()()()()()()()()()()()()

 俺の体がふらつく。膝から下の骨と言う骨が全て無くなってしまっているのかもしれなかった。

 観客は先ほどから狂ったように雄叫びをあげている。

 興奮しきった調子の大声が酷く不快だ。


「うるさい」


 俺の声は誰の耳にも届いていないようだった。

 闘技場は観客の大声でびりびりと震えているような有様だから当然の事だった。


「誰か止めてくれ。おかしいだろ」


 闘技場の端から、二人の男が近づいてくる。

 一人は兵士のような格好をして、右手には抜き身の短剣を握っている。

 もう一人の男は頭から肩までを覆い隠す黒っぽい毛皮を被っていて、顔の部分には爬虫類じみた仮面をつけている。その右手では柄の部分が身の丈ほどもありそうな金鎚を引きずっている。

 二人の男が登場した事によって、観客達の雄叫びは絶叫の域に達したようだった。

 俺は何かにぐらぐらと頭を揺さぶられている。

 体の感覚がおかしい。腹の奥から何かが上がってきそうで気持ちが悪い。


「お前ら何をする気だ。やめてくれ」


 兵士のような格好をした男が彼女の後ろに立つ。

 彼女は抵抗一つせず跪いた。

 男が左足を彼女の左肩にかけて上半身を仰け反らせる。

 右手の剣を首筋のそばに添えた。

 仮面の男は大金鎚を杖のようにして、少し離れた所からその様子を静かに眺めている。

 観客は息をのんで()()()()を待っているようだった。

 気味が悪い程静まり返った闘技場内で、動く者は誰もいない。


「どうして誰も助けようとしないんだ」


 不意に右頬が痛む。

 何かと思って右手で触れる。彼女に斬られた頬からわずかに血が出ていてずくずくと痛む。

 この傷に、お前だって、助けようとしないではないか、と言われている気がした。

 なぜか右足が前に出た。

 完全に骨抜けになっていたはずの足はきちんと動く。 当たり前だ、急に骨が無くなってしまう道理はない。

 左足も前に出る。

 なぜだろう。

 分からないが動きだした足はもう止まらなかった。

 何かに揺さぶられていたと思った頭は、場の雰囲気にのみ込まれて現実逃避していただけだ。

 戻しそうになっていた胃袋は、やりもしないでできないと決めつける根性無しに対する自己嫌悪だ。

 仕方がない、できるわけがない。と、目の前で殺されそうになっている女を見捨ててまで、自身の安全を確保して何の意味がある。

 この場に居る誰もが彼女を助けようとしないなら、俺が助ければいいだけだ。

 俺の求める真剣勝負は剣闘なんていうお遊びの茶番とは物が違う。

 自身が持つ全ての知識と経験、技術を駆使してもなお劣勢にあり、不可能とすら思える難事を剣術の極致に至る事でひっくり返す。それが俺の求める真剣勝負だ。

 今、まさにこの状況こそが、俺の求めてやまない真剣勝負に相違ない。

 特異な状況と雰囲気に呑まれ、すっかり萎えた心と頭を余所に、きっと俺の体だけはその事を覚えていた。

 体はもう駆け出している。

 良い機会だ。本物の、命がけの真剣勝負と言うものを学ばせてもらおう。

 それに、女性を助けるために剣を抜くなんて、少年漫画みたいでなんだか燃える。

 物語の主人公になった気分で彼女の元へと駆けつける。

 急に俺が駆け出したせいか、観客がざわめきだし、首筋に剣を添えていた男も顔色を変えた。


「もう遅い」


 一気に距離を詰めた俺は、驚いたせいか腰の引けた剣を持つ男の手首を捻り、彼女の肩にかかった足を持ち上げ、そのまますくい上げるように投げ飛ばして背中から落とす。相手が女性でないなら、多少乱暴に放り投げても構わないだろう。頭を強打しても剣を手放さなかったのは褒めてやっても良い。

 観客が悲鳴じみた声を上げ始めた。

 そばにはもう一人、見た目からして物騒な金槌男がいる。そいつもどうにかしなければならない。

 金鎚男は呆然としていたが、すぐに動き出した。

 俺は急いで距離を詰める。待ち構えていては、彼女が巻き添えを食らいかねない。

 金槌男は大金鎚の木製らしい柄を目一杯振りあげた、俺を叩きつぶそうとしているらしい。

 大金鎚はどう見ても重い長柄武器であるから、貯めが長く、初動が遅い上に、攻撃の変化に乏しい。

 彼女の突き込みに比べれば、止まっている様な物である。

 新庄夢想流の源流は林崎夢想流だと伝わっている。

 当然、()()()()()()()()()である。普段ならば相手の技量を見極めて、確実に後の先をとる戦法を好む俺ではあるが、先の先をとる戦法が苦手という事は決してない。

 振り下ろす前に金鎚男を斬る。それが、手間も少なく、最も安全に対処する一番の方法である。が、その場合、金鎚男は無事では済まない。下手をすると死んでしまう。それは望ましくない。

 だから大金鎚を振り下ろした直後を狙う。

 何の捻りも無い威力だけを重視した真っ直ぐな振り下ろしを、体は金鎚の頭に向けながら左側へ円を描くようにかわす。

 大金鎚の威力は凄まじく、固く踏み固められた地面に大金鎚の頭が三分の一程めり込む。

 動きのある、固定されていない木材程度の固い物を断ち斬るのは、刃から伝わる力が逃げる為かなり難しい。しかし俺は固定してある丸太なら五センチの物までは無事に斬れる。それ以上になると、刀が痛む可能性が高い。

 では、金鎚男のもっている大金鎚の柄はいかほどの太さなのか、大目に見ても五センチ弱。

 体勢は大金鎚をかわすと同時に整えてある。大刀の柄を握る。鯉口を切り、鞘の中で刃を走らせ、全ての関節と筋肉とを連動させ、重心移動と相手が大金鎚を引き上げようとする力も使って渾身の居合抜きを放つ。

 深い踏み込みは大金鎚の頭を跨いで向こう側に達する。

 かかるはずの抵抗が刹那の内に失われてしまった元大金鎚男はそのまま後ろに尻もちをつく羽目になった。

 そのまま飛び掛かり、大刀の柄で鳩尾を強打すれば、悶絶しない者は無い。

 俺は立ち上がって周囲を見回した。

 これで事が済んだ。と言う事にはならないだろうと予想がついている。


「―――――!」


 観客席で口上を述べた男が立ったまま大声を上げる。

 闘技場に二つある出入り口から、続々と兵士らしき男たちが押し寄せてくる。

 それぞれが、槍や剣、それと盾を手に持っている。完全武装の集団だ。

 さて、どうしようか。


「―――――!」


 またしても大声が響く。

 今度は女性の、それも美しい声だった。女剣闘士のものではない。彼女は未だ何が起こったのかを理解してはいないだろう。

 では声の主はどこにいる?

五月二十日、加筆修正

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