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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
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「ちょっと、(ツラ)貸しなさいよ」


 ガラガラとか、ズザザーとかいう凄まじい異音の少し後、勢いよく道場に飛び込んできた女は倉内勇姫(くらうちゆうき)

 幼少時から共に剣道を学んだ幼馴染と言う奴である。


「は?突然何を」

「いいから!」


 鬼も逃げ出しかねない凄まじい形相で言われれば、大人しく従うのが吉だろう。と汗みずくの道着のまま、箱っぽい形をした乗用車の助手席のドアに手をかけて気がつく。


「おい、待て!玉砂利掘れて、土見えてるじゃないか。お前、どうすんだよこれ」


 先ほどの凄まじい異音は、この小柄な乗用車が勢いよく道場前の玉砂利を敷き詰めたエリアに突撃し、ラリーカーばりの機動を見せた結果の産物であったらしい。


「ああもう!うるさいわね!後で直しに来るわよ!」


いらいらした様子の勇姫に言われるがまま車に乗り込む。


「お前、絶対だぞ。ああ、凸凹に」


 掘れたわだちから出る際に車が大きく揺れる。

 いつもなら横着せずに駐車場に車を止める勇姫にしては珍しい事だ。まあ、横着ですむレベルではない、一体どれだけ気が急いていたのか。

 車はそのまま道場があるウチの敷地内から私道を経て県道に出る。どこに向かっているのだろう。


「で?一体何があった訳?」


 勇姫が何をしたいのか計りかねて尋ねる。理由もなく訳の分からない行動をするような奴ではない。きっと何か理由がある。


「何かあったのは、あんたでしょ?」


 ふてくされたような表情をして、勇姫は辛らつな声色で言う。

 勇姫が不機嫌の極みにある事は長い付き合い故にすぐわかる。

 しかし、そうは言われても、勇姫の機嫌を損ねるようなことは、何一つした覚えがない。額からたれてくる汗を道着の袖で拭いながら、一応はあらためて考えるが、勇姫が血相を変える様な事は何もなかったはずである。


「はあ?なにも無いけど」

「何で嘘つく訳!?」

「ええ?心当たりが無いんですが」


 勇姫は真剣な表情でこちらを睨みつけた。それに合わせてか、僅かにハンドルが左に傾いて、車がふらつく。


「いや、バカ!事故る!前見ろ!カーブだから!」


 山間に向かう県道はほとんど一本道であるが、カーブが多い。自分の命と、この車をとても気に入っていた勇姫の為を思って、必死に声をあげる。


「お見合い!したんでしょ?今日」


 勇姫は大声を出したかと思えば、いくらか落ち着いた様子で視線を前に戻した。

 車は、道路を走り続けている。

 緑に囲まれた県道を進み、北上しているようだ。市街とは全く逆方向、このままだと国道に出て、隣の県に行ってしまう。

 とにかく勇姫が前を見て運転を再開してくれたので、心臓をなんとか落ち着かせてから答える。


「したよ?だって倉内のおじさんが段取り付けてくれたんだから、知ってるだろ?」

「さっき聞いたのよ」

「は?知らなかったの?」

「知らなかったのよ!さっきまで!」


 また車がふらつく。

 俺は目的不明の謝罪を連発させて、どうにか勇姫を落ち着かせる。寿命が縮む思いがした。

 気の強そうな外見の割に、不安定な所があるのは理解しているが、俺が見合いをした。と言う事が、そこまで興奮する様な事とは思えない。


「父さん今朝からそわそわしてたから変だなって、思って。それで聞いてみたら」

「秘密にされてた事にムカついたと?」

「まあ、うん。だからちょっと本気でシバいたわ」

「お前、実の父親になんて事を」


 普段優しい父親に、何か隠し事をされた。と言うのが勇姫の不機嫌の原因らしかった。なるほど、俺はそのとばっちりを受けている最中らしい。


「しばらくは口聞いてやらない事にした」

「親父さん泣くぞ」

「泣けばいいのよ」


 どうやら本当に頭にきている様子で、これは相当長引くに違いない。

 昔から良くしてくれている優しげな倉内のおじさんに心の中で合掌する。

 少しでも愚痴を聞いてやれば、おじさんの助けになるだろうか。


「で?結婚するの?」

「さあ?」

「さあ、って何」

「いや、相手次第じゃないのか?」

「なにそれ?もう会ったんでしょ?」

「うん、午前中に済ませてきた」

「は?済ませたって何。あんたはどうしたいのよ?」

「俺はどうでも、別に結婚したい訳じゃないし」

「ちょっと待って、混乱してきた。私がバカなの?よくわからないんだけど」


 特に考えもなく質問に答えていると、勇姫の手を震わせるほどの激しい怒りは、一旦どこかへ行ってしまったらしかった。

 勇姫は、このお見合いの事をおじさんから聞かされておらず、きっとおじさんが事情を説明する間もなくシバいたのだろうから、話が分からないのも無理はない。

 事の始まりは、俺の母親が常々言っている『死ぬ前に良一郎のお嫁さんが見たい』と言う言葉が現実味を帯びてきた所にある。

 母は生来病気がちで、体調を崩して入院する事も多かった。一か月程前にも肺炎をこじらせ入院したばかりだが、その時に癌が見つかったらしいのだ。余命一年であるらしい。

 その話を父から聞いた俺は、みっともないくらいにうろたえた。

 訳も分からず混乱している俺を余所に、母の願いを叶えるために動いてくれたのが、母の従兄妹である倉内のおじさんだったのである。

『良一郎、もし、結婚が嫌じゃないんだったら。見合いしてみないか』

 と話を進めてくれたのだ。

 結婚自体には興味が無い。と言うのが一番しっくりくる。

 異性の事よりも、父から受け継いだ流派の事を俺は大事に思っていた。

 だからと言って、余命一年を宣告された母親の願いを無視できるほど非情でもないつもりの俺は、相手がそんな考えの男でも良いと言うなら構わない。とおじさんに答えた。

 そうして倉内のおじさんは、実の娘にシバかれる未来など想像もせずに、素早くお見合い話を一つまとめてきてくれたのだった。


「とまあ、そんな訳だ。おじさんもかなり急いでくれたみたいだから、話す余裕も無かったのかもしれない。あんまり辛く当らないでやって欲しい」

「なにそれ」


 車はいつの間にか路肩に寄って止まっている。助かった、今は落ち着いているとはいえ、さっきまでのように急に車が暴れだしては、寿命が何年分あっても足りない。

 ハンドルに頭をつけ前かがみになっている勇姫の表情は、つやつやした長い黒髪に隠されて全く見えない。しかしハンドルを握る手は、血の気が失せて白っぽくなっていた。かなり力がこもっている。

 込み入った事情を秘密にされていた事が、勇姫の怒りを再燃させたのかもしれない。

 もし水くさいと責められたら、その通りだ。と謝ろう。

 勇姫とは、生まれてからずっとの付き合いだ、勇姫が俺の母さんを実の母と同じように慕っていた事も、俺はよく知っている。

 おじさんが知っているなら、当然勇姫も知っていると勝手な勘違いをして、今日まで何も話さなかった俺にも、勇姫を怒らせた責任はあるだろう。


「じゃあ、あんたは結婚して、お嫁さんが来ればそれで良い訳!?」


 勇姫の言葉は、俺が想定していた言葉と違っていて、若干面食らいながらも答える。

 勇姫は無視されるのが大嫌いだ。小さい頃にそれで大泣きさせた事がある。だから、勇姫には正直に答える。


「あ?まあ、相手がそれでいいなら」


 隠し事も、嘘も、無視されるのも勇姫は大嫌いだ。なんて手間のかかる幼馴染だろうと笑ってしまうが、俺の大切な幼馴染である。

 強くなりたいと言って始めた剣道も、今では俺より上の段位を持っている。やると決めたら頑固で、決して努力を怠らない所を俺は本当に尊敬している。


「相手は誰でも良いって言っている様なものよ!?」

「まあ、そうだな」


 相手に対して不誠実である。と言われればその通りだから、俺としても好んで人に話した事は無かったが、結婚なんてしなくても良い。もしするにしても相手なんか誰でも良い。それが俺の持つ結婚観であった。

 元々育ちのいい勇姫には、俺のこの考え方が気にくわないのかもしれない。今時にしては珍しいのであろうキチンとした貞操観念を持っている事を、俺は勇姫の口から直接聞いた事があった。

 勇姫は勢いよく顔をあげた。

 シャンプーのCMみたいにつやつやの黒髪が振りあげられて、なんとなく面白い。

 そして、勇姫は見た事も無いくらい良い笑顔で言った。


「じゃ、じゃあ!相手が私でも良いってことじゃない!?」




「は?」


 俺は酷く、混乱した。

五月十九日、加筆修正

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