10-③
夏が近づいている。
時刻が十七時を過ぎてもなお明るい空がそう示している。
「ねぇ、朝居は何時まで私とのデートのために空けてくれてくれてたりするのかな?」
「何も予定はいれてないけど。今日は一日、夜までかなって勝手に思ってたから。」
芹沢は心の中で小さくガッツポーズをした。
彼が夜まで付き合ってくれるとは予想していなかったからだ。
夜まで空けてくれているからと言って夜を明かすようなことはするつもりは当然ない。
初めてのデートからがっつきすぎるのは印象も良くなければ、自分に向いている方法ではないと芹沢は思っている。彼女自身、人並の貞操観念を備えているため、そういった行動には踏み切れないという面もある。
「家には夕飯はいらないと言ってきてしまったから、もしよかったら一緒に夕飯でもどうかな?自分の分くらいは自分で払うし。」
「いいよ。何か食べたいものとかある?」
「難しいね。まだお腹もそんなに空いてないから思いつかない。」
嘘だ。
今日一日において全てそうであるが、芹沢は徹底的に調べたうえで今日を迎えている。当然、夕食にちょうどいいと思われる場所も何軒か考えてきてはいる。
だが、それは最終手段であり、朝居から何も提案がなかった場合に出すもの。
今の彼女は彼と話すきっかけであれば何でも利用する。それが夕食を決めるという些細な事であっても。
「じゃあ、歩きながら何か考える?」
「動いたらお腹も空くだろうからそうしよう。」
歩き始めた彼女は先ほどまでよりも少しだけ彼との距離を詰める。
違和感はない程度、それでいて相手に意識させられるような位置を考えて近づいた。
無暗に相手のパーソナルスペースに踏み込んでしまえば警戒心を抱かれたり、距離を取られたりしてしまう。しかし、芹沢はこの数ヶ月、ずっと朝居を見ていた。そんな失敗はしない。彼が彼女との距離として許すギリギリのその一歩手前。それが今の彼女の位置取り。
こういった感覚は今回のデートのために磨いたものではなく、芹沢が元々持っているもの。親しみやすいように感じるのは心理的にも物理的にも距離の取り方が上手だからだ。
そんな武器を意識して使う彼女は恋愛においても強さを発揮するはずだった。
二人は繁華街を歩く。
この辺り、木屋町や先斗町は飲み屋街と言った認識をされている。
大学の最寄り駅とは比べ物にならない店舗数。お洒落でデートに使えるような店も散見される。
男女で入って軽くお酒でも飲めば、いい雰囲気になれるだろうと雑誌にも書いてありそうな場所。
ただ、彼らは未成年。お酒の飲めるような場所は似つかわしくない。
それにも関わらず、朝居の足が自然とこの一帯に向かったのはデートっぽかったからだ。
煩わしい客引きがいて風情を壊すような部分もなくはないが、基本的には「それっぽい」場所だ。京都らしい町並みをしていて、わざとらしいくらいだ。
「来たことないわけじゃないけど、いつもより楽しいね。」
計算されたわけでもない彼女の本音。
そう言った素直な部分の方が男性に効果的だという事を彼女はまだ知らない。
「それなら良かった。」
「何が良かったの?」
「相手が楽しんでくれることが一番かなって思うから。」
彼は楽しくないのだろうか。
そんな疑問が芹沢の頭をよぎる。
ただ、それを直接訪ねることはできなかった。
結局、二人はチェーンの洋食屋に入り、食事をした。
他愛もない話をして、自分の好きなものの話をしているうちに食べ終わり、会計は芹沢の強い希望により個別となった。
デートだからと言って男が奢るという価値観を彼女は持ち合わせていなかった。その反面で、朝居は男としてお金を出すべきだという気持ちを持ち合わせてもいた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。」
「いや、こちらこそ急に誘われてびっくりしたけど楽しかったよ。」
店を出たのは午後8時にもなっていない時間。
日は暮れたがまだ活気づいている街はこれからが本番のようにも思えた。
「最後に少しだけ見たいところがあるんだけどいいかな?」
「かまわないよ。どこ?」
「付いてきて。」
芹沢は最後にそこに行こうと決めていた。行きたいと思っていた。
本当はここで彼の手を引いて誘導するつもりでもあったが、恥ずかしさを乗り越えられなかったため実行には移されなかった。
途中からどこへ向かっているのかが朝居にもわかるくらいに有名な場所へと着いた。
鴨川だ。
この四条大橋の辺りは鴨川の河川敷沿いにカップルが等間隔で座っていることが当たり前の光景で、確かにデートには最適な場所だった。
綺麗に並ぶ人たちの後ろを通りながら空いている場所へと座る。
隣のカップルの声があまり聞こえないような距離。2メートルに満たない程度の感覚で座るのは日本人の平均的なパーソナルスペースに由来するのだろうか。
心臓が口から飛び出そうなほど緊張している芹沢からすれば理由なんてどうでもよかった。
好きな人とデートスポットにいる。それだけで幸せで、これから口にしようとしている言葉がその幸せの象徴であった。
「大学生になったら男の子とここに来てみたかったんだ。」
遠回しな告白。
彼女からすればデートに誘った段階で遠回しに好きだと伝えているようなものだが、改めてこういうことを口にしたことにより緊張は高まった。
「その相手が俺でよかったのか。」
「朝居がよかったんだよ。わざわざ言わないとわからない?」
「遠回しに言われると色々考えて、間違ってたら恥ずかしい。それに―」
朝居が何を言おうとしたかはわからなかったが芹沢は遮った。
なんとなく嫌な予感がしたから。
「じゃあ、直接言う。」
宣言して彼女は大きく息を吸って、心を整えなおす。
この瞬間のために今日一日があったかのようにさえ感じる。
ぎこちなく空いてる距離を詰め、彼の耳元で伝える。
「好き。」
色々と恥ずかしい言い回しを考えてきたことさえ忘れて直球勝負。ただし、声は小さめ。
顔が熱を帯びるのを感じながら、もう一言、伝えたい言葉を放つ。
「私と付き合って。」
ぎゅっと唇を噛む。
目を閉じて待つ。
早く沈黙を破ってほしいようで、その一方でこの時が永遠になるように願っている。
心臓がテンポを上げ、息まで苦しく感じる。
「ごめん。まだ芹沢をそういう風には見れない。」
嘘でしょ。
大きく見開いた彼女の目はそう尋ねている。
さっきまでいい雰囲気だったと思ったのに、この一日の頑張りでは足りなかったというのか。
「なん―」
「まだ芹沢のことを知らなすぎるから、いきなり付き合うってのは難しい。だけど、もし、待ってもらえるなら、友達からってのはどうかな。いい加減なこと言ってるのはわかってるけど、これからも仲良くはしたいんだ。」
友達。
発展の可能性があるようで、ただの保留。諦められない距離。
「待つ。私、朝居が私と付き合ってもいいと思えるまで待つ。」
それでも彼女はそれにすがる。
「ごめん。その間に他に好きな人できたら、俺のこと気にしなくていいから。」
「わかってる。でも、そうなる前に、私が朝居を落とすから。」
ここはただの始まり。
好きな人に自分を意識させることができた。
今日の目的は達成。
だから、彼らにとってここは始まり。
芹沢千夏は恋を始めた。
朝居富貴は――。
ここで、第一部が終わりです。
次回からが第二部となります




