8-2 その二
私が朝居と初めて出会ったのはこの大学に入学する前、二次試験当日のこと。
今年の2月の終わりは例年より暖かめではあったものの、まだ咲いていない桜並木を一人緊張しながら歩いていた。
試験への不安と頑張ろうという意気込みを胸に併せ持ちながら、オープンキャンパスに来た時よりも長く感じる坂道を上り、構内に入ると待っていた看板と係員に誘導されながら進む。流れに沿って少し歩くと、人が立ち止まっているポイントがあった。そこには受験番号ごとの試験教室とその行き方が案内されたボードがあった。
受験番号など覚えてもいない私は周りの受験生の例に漏れず、鞄から受験票を取り出そうとした。鞄の中で迷子にならぬように入れたクリアフォルダーを見つけ、引き出した。
この時の私は受験票に気取られ過ぎていて、当たり前のように鞄に入っている他の物に意識が向いていなかった。
フォルダーだけを取り出したつもりだったが、つられて鞄から出てきたのは受験などで持ち運ぶのに使っている筆箱だった。斜めに向けた鞄からフォルダーの上に乗って思いがけず飛び出してきたそれに反応できるはずもなく、筆箱は私の前方に飛び、落下した布製の筆箱をただ眺めることしかできなかった。
幸いにも誰かにあたることはなかったが(そもそもそれほど飛んでもいない)、前にいた男性の足元に落ちた。
私が手を伸ばすよりも先にその人はしゃがみ、筆箱を拾って、私へと差し出す。
「あなたのですか?」
「ありがとうございます。受験当日に物落とすなんて縁起悪いですよね。」
「まあ、俺が拾ったので大丈夫じゃないですか?最終的には拾ってもらえるみたいな。」
この人も緊張しているはずなのに、励ましてくれるんだ。優しい人なのかな。
そう感じた時にはもう手遅れだった。
緊張していた胸の鼓動はさらに早くなり、春には早いはずなのに顔は熱を帯びた。
少女のごとく純真で初心なわけでもないのに、ちょっと優しくされただけでそれはどうかと自分でも思うが、きっとこの瞬間、私は恋に落ち始めたのだ。
その感情に気がついたのは、試験が終わった晩、お風呂に入っている時だった。そして、深みにはまったのは入学式の時。
拾ってくれたばかりではなく、焦って失敗した私にそんなことを言った男性、それこそが朝居。名前を知ったのは入学した後だが。
もう少し、気を付けてフォルダーを取り出していれば、彼に出会うことはなかったはずだ。後悔ではない。ただ、別の形で出会っていれば、もっと彼に対してゆっくりと距離を縮めることができたのではないかと考えないこともない。
「なんか漫画みたいな話だね。」
千夏ちゃんの話を聞き終えた私はそんな感想を抱いた。
話をしている間、彼女は終始、顔に朱を浮かべながら話すものだから、可愛くて仕方がなかった。
私しか来ないだろう時間だが、部室では誰に聞かれるかわからなかったため、とりあえず私の部屋へと彼女を呼んだのだ。
実家ではなく、訳あって住んでいる下宿先であるため完全に二人きりだ。
「それくらい良くできた話ですよね。まあ、私の中で美化されてるかもしれないですけどね。」
「それでも運命の出会いなんじゃないの?」
「女の人ならそういうこと考えちゃいますよね。実際、入学式で領域ごとに座るのに、たまたま隣に座ったのが彼だった瞬間、『もしかして、これは運命なんじゃないか。』なんて思って、一気に恋に落ちたといいますか突き落とされたといいいますか。」
言いながら恥ずかしくなったのか、後半は消え入りそうな声だった。
青春を謳歌するとは一つにはこういう事なのかもしれない。
好きな人を想い、その人を追いかける。
ここまで純な恋心を見せられては、どうしても味方をしてあげたくなるというものだ。
「あぁ、もう。可愛いなぁ。」
「部長さん、笑い過ぎです。」
「正直、今までよくわからない子だと思っていたけど、こんなに初心だったなんて。お姉さん、応援してるからね。」
「私そんなふうに思われてたんですね。まぁ、自業自得なんですけど。」
知り合ってから二ヶ月弱の間、私たちの間にあったどこかギスギスした、どこか打ち解けられない雰囲気はもうない。
おそらく、彼女も色々と辛かっただろうし、悩んでいたのだろう。
「安心して。私も手伝ってあげる。」
彼女を胸に抱きせ、この子の恋を成就させることを誓う。
なのに、どこか心には曇りが残った。
それは尊敬する先輩への想いか、それとも―。




