8-1
昨日は少しやりすぎてしまったと自分でも反省している。
入部してからこの一ヶ月間、部長と朝居の関係をはっきりと確認できないまま、隙あらば二人をからかうように振る舞ってきたが、昨日ほど踏み込んだことはなかった。
私だってこの部活の雰囲気をいたずらに悪くしたいわけではないし、彼らにウザいとか思われたくもない。
言ってしまってから後悔すること、引っ込みがつかなくって進んでしまう事。人間誰しもそういう経験があるものだと自分を納得させる。思い出してしまえば恥ずかしくて、自分のことが嫌いになってきそうだから。
そんなことを考えながら歩く構内はいつもより落ち着いて見えた。
四月の初々しい空気や五月の弾けた活気は息を潜め、多くの人が新しい環境に慣れてきた故の平穏。それが毎年繰り返される流れであることを新入生は知る由もなく、「大学ってこんなものだったのか」と考え始める。
人は慣れる。
入学した当初は遠い存在だと思っていた周りが、自分の半径八十センチ、手を伸ばせば届いてしまう距離にいるのだと認識を改める。
私にとってのそれは何だろうか。
朝居か、部長か、それとも絵の中に在るあの子か。
どれにしても私にはまだ手が届かない。いや、手を伸ばすことを躊躇ってしまっている。
不用意に触ろうとして届かなかった時が一番怖いから、触るふりをして居もしない誰かに「私は行動しているんだ」とアピールする。そのための行動。
そんな臆病者が少し調子に乗ってやり過ぎてしまった。それが恥ずかしくて仕方がない。
意を決して座った彼の隣の席、その熱が私を酔わせたのだ。
「さっきからため息ばかりだね。幸せ逃げるよ。」
「逃げるほどの幸せがあれば良かったんだけど。」
「幸せなんて気づかないだけでそこにあるものだってよく言うじゃんか。朝居君と同じ部活に入って話せている。それも千夏にとっての幸せなんじゃないの?」
「それはそうだけどさ。最近、そのことで悩まされてばかりな気がして。」
何も言ってないのに幸には彼絡みの話だとバレている。いつもそうだ。
これでは私はまるで初恋乙女だ。恋と呼べるだけの恋をしてこなかったから間違いではないにせよ、そこまで純な人間ではない。
「恋に悩むなんて大学生らしくていいんじゃないの?知らないけどさ。」
「私の中の大学生はもっと上手に恋愛して、日々充実しているようなイメージだったんだけどなぁ。どうも私の大学生活は恋愛や部活に関しては前途多難な気がしてさ。」
幸いにも友人関係には恵まれ、こうして昼ご飯を食堂で一緒に食べながら相談に乗ってくれる友人は何人かできた。
昼時の盛況の中でこんな話をするなんて、本人に聞かれるリスクが、周りの会話なんて聞こえないくらいに学食は混んでいる。それに、知り合いが聞こえるような距離にいるならば、私は絶対に気づく。それくらいの注意は払っている。
「私とかといる時の千夏って本当に素直なのに、どうして部活ではそうやって意地張ってしまうんだろうね。あれか、ツンデレなのか。『好きな人の前では素直になれないの。』的な。そういうのも需要あっていいとは思うけど、彼には効かないんじゃないの?」
「誰もそんな態度取ってないって。初めて人を好きになった小学生じゃないんだから。」
「話聞いてる限りはそういう態度にしか思えないよ。好きな人に甘えられないし、ライバルの前では毅然とした態度を取りたい。そうじゃないの?」
ライバル、恋敵。そう聞いて、部長の顔を思い浮かべたのは失礼だと思う。
きっと彼らはそういう関係ではないし、部長も朝居を気にしている様子なんてない。私の猜疑心が生んだ妄想だ。
朝居が好きなのは「あの子」で会って彼女ではない。そう信じたい。
「そこまで酷い態度してるかな?少し意地悪とかしてしまってるなとは思うけど、私なりにあの人たちと話そうと思ってやってることだからさ。」
「好かれたいんじゃないの?」
「そりゃ好かれたいし、部長さんとも仲良くなりたいけど。引っ込みがつかないというか、落ち着くところが見えないというか。」
目の前の友人は麻婆茄子を頬張りながら私の痛いところをついてくる。
よくも食事しながら頭が回るものだと感心する一方で、自らの考えの甘さに嫌気がさす。
「今のままじゃ、何の発展もしないよ。彼と友達にだってなれない。千夏だってわかってるんでしょ?」
「それは―。」
二ヶ月足らずの付き合いの中で、そこまで心を読まれているとは思っていなかった。
「好きな人にはっきり好きと伝えろとまでは言わないけどさ、好きな人に好かれる努力ってのをもっとしてみてもいいんじゃないかなって思うよ。今の千夏はただ近づくことに必死で、その結果嫌われようとも構わない。そんな感じじゃない?諦めてるとか、頑張ってはいるとかそういうんじゃなくて、今こうやって行動している自分にどこか酔っているというか、失敗したくて行動しているというか、そういう風にしか見えないんだよね。」
私が答えないのを見て言葉を続ける。
私が言い返せないのはそれが当たらずも遠からず核心をついているから。
「ごめん。」
「なんで千夏が謝るのさ。何も考えずにきついこと言ったのは私なのに。」
「幸が言ってくれてることは正しいからさ。私、少し逃げてたかも。」
「千夏は千夏なりに頑張ってたじゃん。」
さすがの彼女も食べる手が止まる。
「なんとなくわかったから。」
「何が?」
「どうすればいいか。」
「それは良かった。」
「ありがとう。」
「私は何もしてないし、気づいたのも決めたのも全部千夏じゃん。」
何も遠くになんかないし、触れば壊れてしまうほど脆いものでもない。
手を伸ばすことをしなければ、思い切って触りに行かなければ届くものにも届かない。
素直になればいい。
回りくどい方法とか、演技とか、そういったものはいらない。
一気に体当たりする必要もないが、真っ向から近づくのを避ける理由もない。一歩一歩、仲良くなるために歩んでいけばいいのだと。
カツ丼を食べながら、そう決めたのだ。




