7-②
画材の散乱した部屋。その一角で、彼女は絵を眺めていた。
今から二年前―正確には一年と八ヵ月ほど前に描かれた作品。
元々は夏の展示会に出そうと思って描き始められた絵だったのだが、題材の良さを活かすにはどうすれば良いか、一目見て描きたいと思ったあの光景をどうやって残せばいいかなどと試行錯誤しているうちに秋までかかったという話だ。
やるべきことはきっちりと(ただしできるだけ手短に)こなすべきだと考える戸田の性格故か、この絵が夏の展示会までに完成しないと気づいた段階で、別の絵を展示会用に取り掛かり、仕上げて提出した。
昔から描きたいと感じた対象があるとそれに全力を注いでいた彼女が、半年近い時間をかけて、考えて、描いて、考え抜いて、描き続けて、ようやく完成した二枚の作品。
『本を読む少女と佇む女性』と戸田が名付けた作品はそれ単体で完成されるようにも描かれており、展示会ではあえて話した場所に展示されて、一対の作品なのだとわかる人だけがわかるようになっていた。
今、部室にあるのはその片方。
『本を読む少女』の方が作者自身は気に入っていたのだが、実際に評価されたのはもう片方の絵だ。他人に見せる前から彼女自身、なんとなくわかっていた。あの絵は個人的な感情が入りすぎているのだと。
どうであれ、この作品が戸田を決定付けた。
戸田が一回生にして部内でトップクラスの実力を持っていると認識されてしまったため、次の絵を気軽に描けなくなってしまった。
また、当時の部長、柊の勧めで外部のコンテストに出したため、部内外から注目される存在になってしまった
「純花は昔から注目されるのが苦手な子でした。」
きっと彼女を昔から知る人間ならそう語る。
「見た目は地味だけど、勉強もできて、あまり見せてはくれないけど絵もとても上手なんです。だから、どうしても目立っていたのです。」
大学に入ってもそれは変わらなかった。
「一人で物思いに耽って、馬鹿みたい。そう思わない?」
「全く思いません。私だってよくこの絵を眺めてますから。」
「それは君が変わってるだけじゃない。ただの絵に恋するなんて。」
戸田以外に今この部室にいるもう一人の人物、朝居が答える。
彼が年上に対して「私」という一人称を使うようになったのは大学生になってからだ。お世話になった塾の講師から最後に教えてもらったことがそれだった。
「上手さとか芸術性とか細かいところはわかりませんけど、この絵を初めて見た時、惹き込まれたんです。なんというか想いの込められた作品なんだって。この少女は意思をもって描かれた存在なんだって、そう感じたんです。まあ、『ただの絵』と先輩に言われてしまえばそこまでですけど。」
「だから君は『この絵の少女』に恋をしたと言いたいわけ?」
「もちろん、モデルとなった人物に会いたいとは思います。描かれたその時の、その情景を自分の目で見てみたかったとも思います。でも、それを見たところで私がその人を好きになるかと言われたら怪しいと思います。」
青年の真剣などこか告白じみたセリフに、戸田は笑みを零す。
事情を知らない人がこの場に居合わせたのなら、まるで彼女に向けられた告白のように聞こえてしまうほど熱を持った言葉だった。陽の明るい昼下がりではなく、夕暮れならば尚更そう思われただろう。
春の陽気というには穏やかさに欠けた日差しが絵を照らす。
「それで君の答えは何?私しかいない時にその話をした意味は?」
いつもの戸田らしからぬ持って回った言い方をする。
「この絵を描いたのは戸田先輩ですね。」
「正解。きっと燈子さんに聞いたわけでも、手当たり次第に聞いてるわけでもないんでしょうから、あれだけのヒントでその答え出せたのはすごいと思うよ。」
「先輩、いつもとキャラ違いません?」
「こっちが素かもしれないじゃない。」
フフッと笑う口元を手で隠しながらそう語る。
朝居には心無しが普段よりも彼女が笑っているように感じたのだ。普段を判断できるほどの関りがないはずなのだが、なんとなくそう思った。
手短でない会話も彼にそう感じさせた一因でもあるだろう。
「だからこの絵を描いた先輩に、私と彼女を引き合わせてくれた人にお礼を言いたかったんです。ありがとうございます。」
「私はあなたのキューピットってわけか。同時に、叶わない恋を押し付けた相手でもあるんだけど。」
「いいんです。それに、この絵を受け止められた時、私は成長できる気がしますから。」
朝居にとって戸田は「好きな人」の親であり、自らをこうまでさせるほどの絵を描いた尊敬できる先輩。
その実感を持って彼は初めて進める。
今日、この日から、朝居の恋心は満たされた。




