第97話 大波嵐!?
大統合武闘祭六日目。
フルーランス王子ルイとリドニック首相令嬢エレーナの試合が行われる、はずだったのだが……
彼らの提案により突如として模擬戦が開催!
参加を命令されてしまった彼らの従者、エピーヌとセバスの戦いが今まさに始まらんとしていた。
大統合武闘祭六日目、個人戦第二試合――その模擬戦。
本来の出場者であるルイとエレーナの提案……思い付き……ワガママ?により突如として始まってしまったそれは、着々と準備が進められていた。
「えーーー……それでは、第二試合前の模擬戦を始めさせて頂きたいと思います。フルーランス側、エピーヌ選手。準備はよろしいでしょうか?」
予定にはない模擬戦にいまいち乗り気ではない審判は、戸惑いを抑えられない様子ではありつつも、自身の右手にいる赤髪の女騎士に意思の有無を確認する。
「はい、いけます」
「分かりました。それではリドニック側、シヴァステャン選手。準備の方は?」
続けて審判の左手側、白髪の老騎士にも同様に意思確認を行う。
「既に終えております」
「よろしい。両者、準備完了の意を確認しました。それでは―――構えッ!!」
審判の掛け声とともに、二人は腰に差してあった剣を鞘から引き抜く。
エピーヌが持つのは愛用の刺突剣。
対するシヴァステャンことセバスが握るのは細身の洋刀。
その二振りが重なり、高い金属音が生まれた。
「「ッ!!」」
次の瞬間には、猛烈な剣技の応酬が繰り広げられていた。
並の人間ではその切っ先を目で捉えることすら難しい。
二人の足はテンポの速いタップダンスでも踏んでいるかのように素早く動き、その上半身はさらに速く、残像が残るほどだ。
金属と金属がぶつかり合う音は鳴り止むことなく、二人の間には無数の火花が生まれては消える。
(速い……それに、重い! これが初老の男の太刀筋か!? ならば―――)
(この娘、流石はあの剣聖と渡り合っただけはある。この剣さばき……何よりこの体さばき、実に見事! であれば―――)
剣戟の音が、飛び散る閃光が、一層勢いを増した。
(力で競り負けるならさらに速く、手数で圧倒するッ!!)
(受けることも躱すこともできぬほど、物量で押し潰すッ!!)
斬撃の嵐は次第に勢力を強め、その範囲はより広く、より立体的に変化する。
いつの間にか二人の左手には、マインゴーシュともう一振りのサーベルが握られ、二刀流対二刀流の様相を呈していた。
目にも留まらぬ高速戦闘。
既に二人の脳には、この試合が模擬戦であることなどとうに失せ、ただ“目の前の強者がどう攻めてくるか”ということしか無い。
始まってから、どのくらいの時間が経過したのだろう。
数分? 数十分? それとも一時間以上だろうか? その大体の時間すら答えられる人間は、この場に殆どいないだろう。
舞台で戦っている当事者含め、誰もがこの試合に意識を集中し、時間を気にする余裕すらなく虜となっているのだから。
そして今、長く続いていた金属の音色に束の間の小休止が入る。
セバスがエピーヌの攻撃を御しきれず、大きく跳び退き間合いを取ったのだ。
しかし、それは悪手。十分な間合いこそ、エピーヌの本領。
好機と捉えたエピーヌは、ここぞとばかりに大きく跳躍し、必殺の“大跳躍突き”を着地直前のセバスに見舞う。
だが―――
「甘いッ!!」
セバスは着地と同時に地面を蹴り、逃げるどころか逆にエピーヌに向かって突進してきた。
“大跳躍突き”は跳躍によって一気に間合いを詰めるとともに、跳躍の勢いをそのまま突きに乗せる技。その攻撃のタイミングは、対象の目前に至ったその一瞬。
即ち、攻撃のタイミングをずらすことにより、“大跳躍突き”は不発となり大きな隙ができる。セバスは始めからそれを狙って、わざと距離を取ったのだ。
交差に襲い来る二振りのサーベル。宙空に浮くエピーヌの体はこれを躱す術を持たない。
南無三。防ぎようのない痛手を受けるのは必至。
誰もがそう思った。
「―――ハァッ!!」
支えもない空中で、エピーヌは己の筋肉のみで体を捻ると同時に、挟み来る刃に自らのレイピアをぶつける。
小さな閃光が刹那に煌めいた。
当然、踏ん張りの効かない空中では攻撃を―――それも左右二方向から来るものを―――弾き返すなんて芸当はできない。
しかし、エピーヌはこの踏ん張りが効かない状況を逆手に取った。水平方向に振り抜くセバスの攻撃に対し、垂直に振り下ろした彼女の剣は丁度、バットにかすった野球ボールのように彼女の肉体を進行方向斜め上へと跳ね上げる。
空に放り投げられた独楽のごとく縦回転するエピーヌの体。その真下で虚空を切り裂くセバスの挟撃。
僅か一瞬の攻防を終え、残るのは背中を向かい合わせにして屈む二人の剣士の姿だった。
「……咄嗟における機転の速さ。そしてそれを可能にする卓越した身体能力……。改めまして、お見事ですエピーヌ殿。流石は勇者候補と呼ばれるだけはある」
そう言って振り返る白髪の剣士の顔には、会心とも言える反撃を避けられてなお普段の余裕が崩れず残っていた。
その様子に若干の恐怖にも似た感情を抱きつつも、それを悟られぬよう赤髪の女騎士は気丈に振る舞う。
「セバス殿こそ。今の攻撃、私でなければ手痛い一撃を受けていたに違いありません」
「ホッホッホ、そう言っていただけるとこの老耄も喜ぶというもの。……さて、程々に体も温まってまいりましたね。それでは―――」
セバスの纏う雰囲気が、変わった。
「少しだけ、本気だ」
そう発した途端、張り詰めていた空気がさらに張り詰め、まるで喉元に刃物を突きつけられているかのような錯覚に陥る。
それだけでなく、これも錯覚なのだろうか、セバスが炎の塊にでもなったかのように、彼の方から僅かな熱が流れてくるような感覚を覚えた。
これは尋常ではない。アレをただの人間と思っていれば食われてしまう。生存本能が叫びを上げる。
だのに、同時に沸き立つ感情……否、“本能”があった。
生存本能と共に湧き上がるもう一つの本能。それは“闘争本能”であった。
圧倒的な格上。ともすれば命を落としかねない危険。それと対峙して尚、エピーヌは戦士としての本能を抑えることはできなかった。
言葉はなかった。
彼女はただ、左手に持っていたマインゴーシュを納め、レイピアを両手で構え、それを頭上高くに掲げる。
それは彼女が保有する無数のスキルの中でも、最も威力・破壊力が高い技。かの絶剣と対等に渡り合った、英雄級である狂戦士バルザークの絶技、“斬界”の構えであった。
『さあ、全力で来い。迎え撃つ用意はできている』
口にはしないものの、エピーヌの立ち居振る舞いや不敵に歪ませる口の端から、そう思っていることは明白だ。
それを受け、セバスも応えるように構えを取る。
跪くように身を低く屈め、二振りのサーベルを両脇に構える。それは先程の交差切りを放つための構えだと一目見て理解できた。
ただし、先程放った咄嗟の一撃とは違い、今度は渾身の力を込めた全身全霊の一撃。
それだけではない。必殺の技、策、いや武器だろうか……得体のしれない“何か”をセバスは秘めている。
正体こそ掴めないが、彼を包む陽炎がそれを確信させる。
二人が構えて数拍の間が空く。彼らは互いに牽制し合いながら、物言わぬ彫像となってしまった。
静寂が風の音を木霊させる。それはまるでピタリと時が止まったかのようだ。
だがついに、時が動き始める。
二人の目は裂けんばかりに見開き、前に突き出した足は大地を踏みしめる。
決着は、今―――!
「「そこまでッッッ!!!!」」
ビリビリと肌を打つ、雷鳴のような声が轟く。
声は言葉の意味より先に、その声量と気迫によって二人の剣士の動きを静止させた。
人の出せる限界に近い大きな声の主は、彼らの主人たるルイとエレーナであった。
「そこまでだ、エピーヌ。充分な見世物であった。褒めてやろう」
「セバスもよ。よく闘い、よく魅せてくれたわ」
ゆったりとした拍手とともに、彼らは賞賛の言葉を口にする。
滅多に聞くことのない台詞に、剣士たちの瞳からは闘いの熱が消え、元の従者としての落ち着きを取り戻す。
紅白の髪を持つ従者らはすぐさま剣を鞘に納め、己の主人に対して低頭の姿勢を取る。
「お褒めに預かり恐悦至極」
「期待に添えられたのであれば、この上ない喜びに御座います」
跪く己が従者を尻目に、ルイとエレーナは闘技場の舞台に足をかける。
それは模擬戦の終わりを告げるとともに、本来行われるはずであった個人戦の始まりを意味するものだった。
一国の王子と首脳の令嬢が向かい合う。
嵐の前の静けさ、とはよく言ったもの。この静寂が終われば、待っているのは国を揺るがしかねないほどの大嵐だ。
その証拠に二人の間に走る静電気のような緊張が、この闘技場にいる全ての観客にも伝わっていた。
「―――改めまして、個人戦第二試合を始めさせて頂きます。フルーランス側、ルイ選し―――」
「殿下、だ」
「……失礼いたしました。ルイ殿下、準備はよろしいでしょうか?」
審判の呼びかけにルイは緋のマントを翻し、その黄金の剣を大衆の目に映るように掲げる。
「言うまでもない。我が“黄金の死”の煌めき、今一度見せてくれようぞ!」
太陽の光が刀身に反射し、黄金色の光がルイを照らす。
それに合わせるかのように大歓声が沸き起こる。
「……よろしい。それではリドニック側、エレーナせn―――」
「様、よ」
「……エレーナ様。準備はよろしいでしょうか?」
「ふっ……」
エレーナは小さく笑ってみせたかと思うと、何を思ったか、身に纏う豪奢なドレスを一切の躊躇なく破り捨てた。
その隙間から露わになったのは、首元から足のつま先まで全身を覆う黒いボディスーツだった。
「準備完了よ。いつでも行けるわ」
「承知しました。それでは、これより個人戦第二試合を―――」
「待て」
今まさに開幕せんとしていた個人戦に、ルイが待ったをかける。
「貴様、武器はどうした? 得物もなし闘うつもりか? それとも貴様は魔導士なのか?」
「武器? そんなもの必要ないわ。それに魔導士を名乗るほどの魔導も持ち合わせていない。私にはこの美しく鍛え上げた肉体さえあれば十分なの」
「……、そうか。ならば、審判、ほんの一時だけ時間を貰うが許せ」
そう言うとルイは審判の言葉を待たずして、携えていた黄金の剣を舞台へと垂直に突き刺し、更には身に着けていた黄金の鎧を上半身のみ外していく。
そして、纏っていた緋のマントを力任せに破り、帯のように細くなったそれを自身の両手に巻きつける。
そうして即席のグローブが出来上がった。
「許せ、待たせたな。さあ、始めようか」
拳を顔面の近くに構え、小刻みにステップを踏む。
それはまさしく、拳闘のスタイルであった。
「……へえ、面白いわね。王子様は剣術だけでなく、殴り合いもお得意なの」
「丸腰の、それもうら若き女に対して、完全武装で相手にするのは些か気が引けたのでな。これは我なりの配慮だ。この試合、我も素手での勝負をすると約束しよう。ついでに、その美しい顔に攻撃するのもやめておこう」
「嘗められたものね。まあいいわ。剣を捨てたこと、せいぜい後悔することね」
そう言ってエレーナはその場で腰を折り曲げ、まるで猫のように四つん這いの構えを取る。
一見、柔軟運動にも見える奇怪な構えではあるが、彼女から放たれる闘志からすでに戦闘準備は完了していることが窺い知れる。
お互い、とっくに臨戦態勢に入っている。
あとは、試合開始の合図を待つばかりであった。
「両者、“構え”は完了とみなしました。僭越ながら、私の合図で試合開始とさせていただきます。それでは、いざ尋常に―――」
審判の右手がゆっくりと真上に伸び、そして―――
「はじめィッッ!!!」
審判の手刀により闘いの幕が切って落とされた。
その次の瞬間、目映い稲妻がルイの頬を掠めた。
「ッ……!」
あまりに一瞬のことに皆が呆気に取られる中、ルイは的確に空を切り裂くような左ジャブをその稲妻に撃つ。
しかし稲妻は最速の左拳を難なく躱し、ルイから数メートルほど距離を取る。
「称賛するわ、貴方のその動体視力。私の“蹴り”に難なく対応し、避けた上でさらに反撃まで。貴方、只者じゃないわね」
稲妻の正体は、エレーナその人だった。
黒かったボディスーツには雷の魔力が走ることで金に輝く光の線が浮かび上がり、漏れ出た電気がパチパチと彼女の周囲の空気を灼く。
彼女のその指先と足元には雷の魔力を凝縮した、刃のように鋭利な爪と踵が形成されていた。
「雷魔導による身体能力の強化……!」
「然り! エレーナお嬢様は稀有な雷属性の持ち主! 雷の魔素を全身に巡らせ、肉体を活性化させることでお嬢様の身体能力は数段レベルアップする!
さらにお嬢様がお召になっているあの戦闘用スーツは、その働きを補助するもの! お嬢様はあのスーツを着ることにより、あの“竜騎士”と同等の速度を得るのだ!!」
珍しく興奮し熱弁を振るうセバスのその様子に、エピーヌは目を丸くする。
彼女の視線に気づくと、セバスは少し気恥ずかしそうに咳き込み、話を続ける。
「それだけではない。お嬢様は格闘技好きの御主人様の教育方針から、幼少の頃よりシステマやコマンドサンボを始めとした様々な護身術・格闘技を教え込まれており、並大抵の成人男性を圧倒する格闘技術を得ております。
そして、それらの集大成があの高速戦闘スタイル―――通称“雷豹”でございます」
雷豹。
舞台を縦横無尽に駆け巡るその素早さと各関節の異様なまでの柔軟さ、そして帯電したネイルとヒールによる攻撃の凶暴さは、まさしく雷を纏った豹の如し。
超高速で襲い来る雷爪の猛襲に、堅固な鎧を脱ぎ捨てたルイは躱すことで手一杯という様子であった。
「ほらほら、どうしたの!? 随分と余裕だった割には反撃の一つもないじゃない!」
事実、ルイは数多の方向から攻撃してくるエレーナの攻撃を、紙一重で避けることしかできていない。
―――否、違う。
この男は、超高速の攻撃をすべて紙一重で避け続けている。
(……待って。何かおかしい。私の攻撃はあの神速の“竜騎士”に匹敵する。なのに、なんで、私の爪はこの男の薄皮一枚引き裂けていないの……?)
エレーナが違和感に気付く。
しかし、もう手遅れだ。
「ほう? 反撃してよかったのか。ならば遠慮なく―――!」
ルイの蹴りがエレーナの膝を打つ。
精神的死角から打ち込まれた膝への一撃は、彼女の動きを崩し大きな隙を作った。
その隙を見逃さず、ルイの右フックがが精確にエレーナの脇腹を捉えた。
「―――くっ!」
急いでルイの攻撃圏内から離脱するエレーナ。
だが、脇腹に受けた一撃は思いのほか効いたらしく、大きく呼吸を繰り返しながら真珠の汗を顔に散りばめていた。
「なっ、これは……!?」
「幼少の頃より護身術を教え込まれていたのはそちらのお嬢さんだけではない、ということだ」
大きく口を開けて驚くセバスに、エピーヌはしたり顔で応える。
「我が国の王子もエレーナ嬢と同じく、王家の嫡子として剣術だけでなく多くの格闘術を嗜んでおられる。そして殿下が最も自身に合った技術として選んだのは、“サバット”であった」
サバット。不良間のストリートファイトを原型に、紳士の護身術として発展してきた蹴りを中心とした格闘技。
広く知られているボクシングとは違い、杖による離れた間合いでの牽制や靴底の厚いブーツでのミドルレンジの蹴りが含まれる。
元々は路上の喧嘩という実戦の中から生まれ、後に護身術として実戦を想定して進化してきた格闘技であるため、あらゆる状況に応じた実用性の高い格闘スタイルである。
さらには、ルイは上半身の鎧は外したものの、下半身……特に脛からつま先までの足甲は外していないため、蹴りの威力は数倍にも増大する。
エレーナは脇腹の痛みだけでなく、膝に受けた一撃にも苦しんでいることだろう。
「それだけではない。超高速のスピードにも付いてこられる動体視力。スウェーなど高等技術を絡めた、卓越したボクシングテクニック。この二つが無ければ、エレーナ嬢の攻撃を紙一重で躱すことはできなかったであろう」
「……初めからルイ殿下が勝つとお思いで?」
「勿論。と建前上言わせていただくが、それでも私との試合の戦績は3割2分。私が勝ったその約七割弱も、私の剣が掠ったから負けを認めたというのが大半だ」
「っ!?」
エピーヌが放ったその言葉の意味。それはつまり、『エピーヌとの試合の約三分の一は彼女の攻撃を受けずに勝利した』ということ。
多くのスキルを会得し、高い身体能力を有するエピーヌに対しこの戦績は、驚く他ないだろう。
大きく見開かれたセバスの視線はエピーヌから、舞台上で痛みに苦しみながらも立つ自身の主へと向けられる。
「なる、ほどね……。剣を捨て、拳一つで闘うその暴挙……。ただの愚行ではない、ということ」
「ふん、ようやく気付いたか。まあ、能ある鷹はなんとやら……隠すつもりがなくとも自然と隠れてしまうのは能がありすぎるからやも知れんな! フハハハハハ!!」
「あーもう喧しい。でもそうやって笑っていられるのも今だけよ。貴方は、さっきの一撃で私を倒さなかったことに後悔する」
呵々大笑していたルイも、予言めいた彼女のその一言に押し黙ってしまう。
エレーナは既に息も整い終わり、体の震えも収まりいつでも戦闘を再開できるほどに回復していた。
「……精一杯の強がりか、それとも真の言の葉か。どちらであるか甚だ判別に困るが、それは闘って見極めるとしよう」
「上等……ッ!!」
再び“雷豹”の構えを取ったかと思ったその刹那、間髪を入れずにエレーナがルイをめがけて突っ込んだ。
そのスピードは先程同様、雷の閃光と見間違うよう。だが―――
(フェイントを織り交ぜない愚直な特攻……速さで圧倒するつもりか? やはり先程の発言は苦し紛れの大言であったか)
呆れつつもルイは冷静にカウンターを狙う。
蹴りは駄目だ。先程はエレーナの心理的な隙をついて当てることができたが、予備動作が大きく避けられかねない。
加えて先の一撃で脚での攻撃は警戒されている可能性が高い。
ここはジャブで顎……いやアッパーで鳩尾を狙ったほうが得策か?
などと思考を巡らせているうちに対象が攻撃のテリトリーに入る。ここまでの時間、実に0.12秒。
拳を打ち込む箇所をその動体視力で的確に捉え、引き絞った小弓の弦から手を放すように拳の矢を撃つ。
シパッ、と拳が空を切り裂く小気味の好い音が耳に入る。
しかし、伸ばした腕の先には何の感触もない。
(消え……どこへ行っ―――)
突如、背中に激痛が走る。
今まで感じたことのない鋭い痛み、そして熱さ、痺れ。
「グッ……ゥ!!」
混乱する頭に喝を入れ、即座によろめく脚に力を入れ直し、攻撃を与えた正体不明の何者かに裏拳を食らわせんとする。
しかしそれも無意味に空を切るのみだった。
体を半回転させたルイの瞳に映ったのは――やはりと言うか――爪に真紅の血を塗ったエレーナの姿であった。
「貴様、何を……」
「簡単なことよ。ただ、後ろに回って攻撃した、それだけよ」
「っ! ……」
閃光が瞬くような一瞬の攻防。
しかし、それを傍から見ていた熟練の剣士二人は、冷静に先の戦闘を分析していた。
「人間を含め全ての動物は認識し、判断し、そしてから行動する。カウンターとは、相手の攻撃や動作の軌跡を見て(認識)、その動きを予測(判断)し、予測した先に自身の攻撃を置く(行動)技術です。即ち、確定しない未来に対する行動とも言えます」
「その未来が予測と外れた場合、カウンターは失敗に終わる……。エレーナ嬢はそれを理解し、わざとカウンターを誘発するように直進に突撃、カウンターのタイミングを読んで背後に回り込んだのか。言うなればカウンターに対するカウンターだな。なんと卓越した戦闘センスか……」
「フッ。己が主人の称賛はいつ聞いても嬉しいものですな。ですが、それだけではありませんよ」
「? それはどういう……」
エピーヌが怪訝そうな瞳をセバスに向ける。
セバスはというと、視線を舞台から動かさず、淡々と説明し始めた。
「ルイ殿下の戦闘スタイル―――サバット、と言いましたか。それには重大な弱点がある。そして、それはお嬢様の戦闘スタイルと非常に相性が悪い」
「それは……、そうか! サバットの原型は不良間の喧嘩や貴族同士の決闘、つまりは相手を正面に置くことを前提とした戦法! その攻撃範囲は自身の正面を中心に拳や蹴りが届く箱型の範囲しかない!」
「その通り。対してお嬢様の戦法は、獣のように攻撃を加えては一度身を引くヒット&アウェイ。さらにその攻撃は対象の前後左右四方八方から襲い掛かってきます。前方のみ気を向けた対人格闘術では、獣の牙に為す術はありません」
事実、ルイの格闘術とエレーナの戦闘術の相性は最悪だった。
故にこそ、ルイは回避やカウンターなどの技術を用いてエレーナと互角に渡り合っていたものの、それももう対策されてしまった。
「形・勢・逆・転、ね」
雷豹の猛攻が開始する。
舞台を駆け巡る残光の軌跡は不規則な幾何学模様を形作り、中央の獲物をじわりじわりと嬲っていく。
ルイも必死の抵抗を見せるが、全方位からの変則高速攻撃にカウンターはかすりもせず、致命傷を受けないよう回避するので精一杯だった。
次第にルイが舞台の端のほう―――試合開始前の位置へと流れていく。
本意ではないが、エレーナに追い詰められ自然と後退を余儀なくされる。
「さっきまでの威勢はどこに行ったのかしらね!? このまま場外へ落とされて、土と屈辱の味を知るといいわ!」
さらに迅く、さらに苛烈に、エレーナの爪が切り込んでくる。
このままでは彼女の爪に切り裂かれ大きな痛手を負うが先か、場外へと足を踏み外し背中に土を付けるが先か、二つに一つだ。
(このままでは―――!)
瞬間、ルイの目の端に稲光とはまた違う、黄金の光が差し込んだ。
―――ザンッ。
金の斬撃が、横一閃、空を裂く。
それは、エレーナの爪によるものではない。逆に彼女のブロンドの髪の先が斬撃によって切られてしまっていた。
エレーナは飛び退き、自慢の髪に傷を入れた正体を網膜に焼きつける。
「……“黄金の死”」
斬撃を放ったのは、その名の如く黄金の輝きを灯す一振りの剣。
そして、それを振るうは一国の王子―――ルイであった。
「……これで、喧嘩ごっこもおわり、というわけね。いいわ、かかっていらっしゃい! 貴方の全力を打ち破ってこそ、本当の勝利と―――」
「審判。やめだ。この試合、我の負けだ」
「……………………は?」
ひどく、ひどく永い静寂が闘技場を包み込んでいた。
その氷の世界を壊したのは、その場にいた全員の気持ちを代弁したかのようなエレーナの一言であった。
途端、堰が決壊したかのように、闘技場のあちらこちらから『ふざけるな!』と怒涛のブーイングがルイに浴びせかけられる。
「な、納得できないわ! なんでよ? どうしてよ!? これからが本番って感じだったじゃない!!」
「初めに言ったであろうが。『この試合、我も素手での勝負をすると約束しよう』とな。ああ、そういえば『その美しい顔に攻撃するのもやめておこう』とも言っていたか。どのみち約束を破り勝利したところで、我の気が収まらん。よって、我は自ら負けを認めた、というわけだ」
「……は、ハァーーーーーー!? ちょ、まっ、ありえないんだけど!?」
「まあそういうことだ。勝利オメデトウ。エピーヌ、帰るぞ」
降り注ぐ罵声など歯牙にもかけず、ルイは踵を返し舞台から去ろうとする。
その横暴さにエレーナは恩情をかけられた悔しさや怒りに顔を赤く染め、長い髪は逆立ち、そして食いしばった白い歯の間からふとある言葉がすり抜けた。
「審判! 降参よ!!」
飛び出た言葉に審判も、怒り狂った観客も、そして舞台から足を下ろそうとしていたルイでさえも、目を丸くして彼女のほうに顔を向ける。
「……貴様、何を言っている?」
「当然でしょう? 私は貴女に三度も攻撃を受けている。それ即ち私の敗北ってことじゃない。だから降参。貴方の勝ちよ、王子様」
この発言に、ルイは当然キレた。
「ふざけるな!! 貴様、事もあろうに我が授けた勝利を放棄し、あまつさえ我に情けを与えるつもりか!?」
「ハァ? それは貴女も同じでしょうが! 私に恩を売ろうだなんて百年早いのよ!!」
「それはこちらの台詞だ! 王子たるこの我に勝ちを譲るなど千年……いや、一万世紀早いわ!!」
また始まった。同じ性格の二人、通じ合うところがある思ったのだが、やはり水と油、こうなってしまうのも運命か。
当の二人はというと、『与えられたダメージが多いからこちらの負けだ』『戦いが長引いた際はこちらの負けだ』などと、自身の敗北を主張しあうというおかしな言い争いを続けていた。
これは無理矢理にでも二人を引き剥がさないと次の試合が始まらないと判断した従者たちが、大きな溜息をつきながら二人に近づこうとした。
だが、その矢先、従者たちより早く二人の間に入る者がいた。
「この試合、両者敗北として勝者なしとなります。また、“引き分け”ではなく“両者敗北”ですので、両チームには得点は加算されません。ご理解の程、宜しくお願い致します」
審判だった。
彼は疲れていた。
思えば、初めから一番の被害者は彼であった。ルイとエレーナの我儘で始まった模擬戦に巻き込まれ、制止しようともいうことを聞いてくれない。
さらには勝敗を決める自身の役職すら無視され、勝手に勝敗をつけようとする二人に、審判の限界が来てしまった。
「しかし―――!」「でも―――!」
「両者敗北、です。これならお二人ともご不満はないでしょう?」
暗く濁った視線の奥には、『はよ帰れ』という心の声がありありと見て取れる。
彼の静かな怒りを察知したのか、二人は口を噤み、急にしおらしくなってしまった。
「次の試合がありますので、早々にご退去願います。ほら、そこの従者の二人も早く連れて行ってください」
二人の従者は慌てて、すっかり覇気を失ってしまった己の主人を出口へと連れ出していく。
それを見送る観客たちもどう反応して良いかわからず、第二試合は気まずい空気の中、幕を閉じた。
フルーランス王国代表ルイ=ジョルジュ・ド・フルーランス VS リドニック国代表エレーナ・イヴァノヴナ・アレクサンドロヴァ
試合結果:審判の判断により、両者敗北
得点:双方ともに0




