第95話 祭りの幕間
「あ゛ー……疲れた」
フルーランスの特観席へと戻ってきたリンは開口一番、文句を口にする。
先程の試合で肉体変化を維持する魔力すら尽きたのか、彼女の姿は本来の少女のそれへと戻っていた。
「おつかれ、リンちゃん。はい、これ! アリス特製の回復薬!」
「サンキュ、ユーリ。有り難く頂戴するわ」
ユーリから労いの言葉とともに渡された回復薬を一気に飲み干すと、不足していた分の魔力が充填されたのかすぐにいつもの筋骨隆々の姿へと変貌する。
自身より背の低い少女が大男のような姿になる様は同じギルドに所属しているユーリにとってもやはり物珍しいようで、その変身過程を気の抜けた表情で眺めながら「おー」と気の抜けた言葉をこぼしていた。
「ぷはーっ! 生き返ったぁ!」
「お疲れさまです、シャオ・リン殿。あの“殲滅の獅子宮”レナード相手に見事な勝利。このエピーヌ、感服しました」
「辛勝だったけどね。まあ勝ちは勝ちだし、これで私の戦歴にも箔が付いたってものよ。……そこの王子様はどう思ってるか分からないけどね」
そう言って彼女が視線を移した先には、眉を若干強張らせ不機嫌なオーラを醸しながらどしりと腰を掛けているルイ王子の姿があった。
「……別に、喜んでおらぬわけではない」
「ならなんでそんな不機嫌そうなのよ?」
「此度のシャオ・リンの勝利は実に目出度い。問題なのは……それ以前の試合の結果だ!!」
ルイが声を張り上げるとともに怒りのこもった視線をユーリとエピーヌに向ける。
怒りの矛先が自身の向けられていると分かるや否や、彼女たちは背筋をピンと正し硬直する。
「なんだこの無様な結果は!? エピーヌは引き分け、ユーリとヒロにおいては敗北を喫している! 貴様らにフルーランスの戦士であるという自覚はないのか!?」
「し、しかし殿下。私の相手は勝利の勇者にして“剣聖”であるジーク。ユーリに至りましては旋風竜の竜石保持者“竜騎士”のゲオルゲ。どちらも英雄級です。試合の結果こそ敗北ではありますが、善戦したほうかと……」
「黙れエピーヌ! 貴様に発言の許可を与えた覚えはないぞ!」
弁明をしようとするエピーヌに喋る余地すら与えず、ルイは自身の怒りをあるがままにぶつける。
こうなったルイは長い。どうにか気を逸らせないものかとリンが思案していると、この場にいるはずの人物がいないことにようやく気付く。
「ねえ。そういえばヒロはどこなの? さっきから見かけないけど」
そのような質問を投げかけると、三人は怪訝な表情をリンに向けた。
「どこって……もしかして、リンちゃんヒロに会ってないの?」
「? 当然でしょ。じゃなかったら訊いてないわよ」
その言葉聞いた途端、彼らはさらに疑問の色を強く浮かばせる。
「実は、先程の試合を終えてすぐヒロが姿を消したんだ。私達はてっきりあなたを労いにでも行ったとばかり思っていたのですが……」
「おかしいわね……。控室からここまでまっすぐ帰ってきたけど、次の選手以外、ヒロどころか誰とも会わなかったわよ」
特観席にいる全員が首を傾げる。
行き先も伝えずに姿を眩ませたヒロ。彼は一体どこへ行ってしまったのだろう。
彼の行方は知らないまま、本日の個人戦第二試合が始まった。
―――――――――
暫くして、第二試合――アイゼンラントの軍人少女ヒルデガルト・ヴァレンシュタインとケルティンの探偵淑女シャーロット・フューリアスとの試合は佳境を迎えた。
序盤こそシャーロットが冴えた剣さばきと優れた頭脳で盤上を支配していたが、ヒルデガルトが自身の義手に仕込んだ刀剣や義足の自動小銃を顕にしたことにより戦況は一変する。
ケルティンの歴史と伝統を受け継いだ騎士と帝国一と自負するアイゼンラントの科学力によって生まれ変わったサイボーグとの戦いは白熱する。
そんな中、戦いの熱を僅かに感じるような闘技場の奥。選手控室に通じる薄暗く長い廊下を、無機質な仮面をつけた一人の少女が白い髪を揺らしながら歩いていた。
少女は自身が出場する次の試合に備え、控室へと向かっていた。
その途中、彼女の行く先を阻むかのように一人の黒髪の少年が通路の真ん中で立ちはだかっていた。
「よ。久しぶりだな、イリス」
少年は少女のものと思しき名を言い放つ。
しかし少女は気に留める様子もなく、そのまま少年の脇を通り抜けようとする。
「脚の傷はもう塞がったみたいだな」
通り抜ける瞬間にかけたその一言に、何を思ったか少女の足が止まった。
「……なんのこと?」
「しらばっくれんなよ。あのとき……一緒にヴォルビオ火山に入ったときの怪我のことだよ。僕が手当した」
「……悪いけど、覚えがない」
「隠すなって。この前の水泳競技で水着に着替えただろ。そのときに傷の痕が残ってたから気づいたんだよ。君がイリスだって」
「………………はぁ」
少女は溜息を一つ吐くと、少年の方へ向き直る。
その表情は仮面に阻まれて確認できないが、怒りに似た空気が彼女の方から流れているのは肌で分かった。
「確か、フルーランス代表のセンダ・ヒイロと言ったかしら。誰かと勘違いしているみたいだけど、私はエルピダ。『イリス』だなんて名前じゃないし、私はあなたを知らない。分かったなら早く立ち去りなさい」
声を抑えて、それでいて語勢は強くしてエルピダと名乗る少女は眼の前の少年を諌める。
それでもなお、少年の瞳には確固たるものが宿っていた。
「……そうか。そこまで否定するんなら、その仮面を取ってみせろよ」
少女の指が僅かに跳ねた。
「お前がなんで偽名なんか使ってまでこの大会に出ているのかは知らない。もしかしたら、本当にエルピダって名の別人なのかもしれない。もし、そうなら、それを証明してみせてくれ」
少女からの返答はない。
自身の素顔を曝け出すことに何らかの不都合があるのだろうか。少女は一言も発さないまま立ち尽くしていた。
「どうした? 外さないのか? それとも、外せないのか。自分の正体を明かせないから」
「……黙れ」
少女の方から強い怒気が向けられる。
彼女が放つ殺気にも近いそれを受け、ヒロは思わずたじろいだ。
「私は、あなたを斬りたくはない。だけど、これ以上邪魔をするなら、あなたには再起不能になってもらう」
少女の手が自身の持つ剣に伸びていく。
彼女は間違いなく本気だ。脅しで言っているのではなく、本気でヒロを再起不能にしようとしている。
しかし、ヒロとて黙ってやられるような真似はしない。どのタイミングで襲ってきても対応できるように、全身に力を溜め身構える。
人の気配も薄い廊下の中央、剣呑な空気が辺りを満たす。
少女の手が剣の柄に触れる。次の瞬間には彼女が剣を引き抜き襲いかかってもおかしくない。
互いの緊張が限界まで張られ、そして今、火蓋が切られようとした―――
「こら。こんなところで喧嘩なんかするんじゃない、二人とも」
その一言とともに、ヒロの頭に手のひらが置かれる。
二人は驚きながら、注目の対象を互いからその言葉の主の方へと向けた。
「……ソテル、様」
少女の口から発せられた名前は、彼女と同じモーラ代表の一人のものであった。
「アンタは……」
ソテルと呼ばれた青年を視界に入れたその時、ヒロの背筋に冷たい何かが走った。
もし、仮に、本当にこの少女がイリスだったのならば、彼女が属するモーラは“七つの美徳”の息がかかっていることになる。
そのリーダー格ともなるとその正体は、彼らのトップである“正義”ないしはその右腕である可能性が高い。
迂闊に接触して虎の尾を踏む、なんてことは何としてでも避けたい。
「悪いね、ヒイロくん。うちのエルピダが粗相をしたようだ」
ソテルは初めて会ったときと変わらない柔和な笑みをヒロに向ける。
試合の時の雰囲気と打って変わり人懐こい態度を見せるその様は、本当に“七つの美徳”の幹部であるか疑いたくなるほどではあったが、それでもなおヒロは警戒の色を保ち沈黙を続ける。
「……あー、そんなに警戒しないでくれ。ほら、私だよ。一度モーラ市街で会っているだろう?」
「……ええ、覚えています」
「そうか! なら良かった! もしかしたら忘れられているんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。……ところで、君たちは何やら揉めていたようだが、何があったのか説明してくれないか?」
「……個人的なことですので。気にしないでください」
「そうは言ってもねぇ。エルピダはウチの大切なメンバーだ。なら彼女に関わる問題はチーム一丸となって解決するのが“仲間”ってモノだろう。君のそう思うだろう、エルピダ?」
問うても歯切れの悪い答えしか返ってこないヒロに痺れを切らしたのか、質問の対象を自身の忠実な仲間へと向ける。
当然、彼女は己の思いを隠すことなく従順に答える。
「はい、そのとおりです」
「そうだろうとも。ならば何があったのか話してみなさい」
「彼が、私の仮面を取るように言ってきました」
南無三。ヒロは思わず渋い顔をする。
いくら自身が黙秘に徹していたとしても、彼女にとってはそのようなことをする必要はない。
ソテルは半信半疑といった面持ちでヒロの顔を覗き込む。
じっと彼を見つめるビー玉のような綺麗な翡翠の瞳は、まるで肉体を透かして心を見ているようで、その視線に耐え切れずヒロはふいと目を背けた。
「……どうやら、君にも何かしらの事情があるようだ。仕方ない。エルピダ、仮面を取りなさい」
信じられない一言を耳にしたヒロは、驚愕の表情を以て再び視線をソテルの顔へと向ける。
僅かに口角の上がったその面に訂正の様子はない。
彼は一体何を考えているのか。
もし本当にエルピダと名乗る彼女がイリスで、その素顔を晒すというのなら、それは自身も“七つの美徳”の一人であると正体を明かすことに変わりない。この男には正体がバレたとしてもどうにかできる何かがあるのだろうか。
それとも、本当はこの二人は“七つの美徳”とは全くの無関係で、ヒロがただ早とちりしてしまっていただけなのだろうか……?
考えが頭の中を駆けずり回る。それらが整理するよりも前に再びソテルの口が開いた。
「どうした、エルピダ? 早く仮面を外すんだ」
彼の言葉に合わせて、ヒロは瞳をソテルから少女へと移す。
「し、しかし、ソテル様……」
「安心なさい。彼は君の素顔を見ても平気な人だ。私が保証する」
彼女自身もソテルの言葉に混乱していたようだ。
しかし優しく諭すソテルに少し落ち着きを取り戻すと、一呼吸の沈黙の後、意を決したかのように応える。
「……承知しました」
少女の仮面が、少女の手によって取り除かれる。
白い髪の間から覗く彼女の素顔は―――
「―――うっ、」
それは、思わず目を覆いたくなる姿だった。
顔面のほぼ全ての皮が無く、鼻に当たる部分は無く二つの穴が開いているのみで、眼球は瞼に覆われることなくむき出しのまま。まるで幼い頃に理科室で見た人体模型の半分をそのまま片方へ持ってきたかのような姿だ。
「彼女はね、幼少の時に戦火によって顔に重度の火傷を負ってしまったんだ。その後遺症のせいで周りの人間たちには不気味がられ、素顔を隠すようになってしまった」
「……すみません。そうとは知らずに……」
「いいさ。さっきも言ったが、君にも事情があったのだろう。これで納得してくれたね?」
「勿論、です。……あの、」
非礼を詫びようと少女に声をかけようとするが、それよりも早く少女は仮面を被り直して足早に控室の方へと歩き去ってしまった。
「……ソテルさん。申し訳ないですが、彼女に謝罪していたことを伝えてくれませんか」
「ああ、承った。それはそうと……」
話題の転換を切り出してきたソテルに、地面に落としていた視線を上げる。
「実は、ある人に頼まれて君を探していたんだ」
そう言って彼は自分の背後を指差す。
親指の指し示す方向に視線を沿わせて移動させると、廊下の闇に溶けるかのように黒衣の男性が立っていた。
「……グリム、さん?」
―――――――――
―――先程は、危なかった。
危うく、正体が彼に暴かれるところだった。
あの方が幻覚魔術を咄嗟に敷いてくださらなければ、今頃どうなっていたか。
今は余計な事態は避けるべきだ。
あの方もそう仰っていた。
……しかし。
なぜ彼を目の前にすると、こうも胸が騒いで落ち着かないのだろう?
初めてあの火山で会ったときは、何の感慨もなかったはずなのに……。
……闘技場の入り口が見えてきた。
今はただ、与えられた使命を全うしよう。
……“与えれた使命”……。
そうだ。今の私はモーラの戦士、エルピダ。
イリスなどという名では、ないのだ。
―――――――――
第二試合が終わり、第三試合が開始したことを示す歓声が聞こえる。
次の試合はエルピダと……確かリドニックの、イナバという名の兎面の剣士だったか。そのようなことを考えていると、目前の男の声がかかる。
「おい……聞いているのか」
「あ、すみません。少し、考え事をしてました」
「……仕方ない」
目の前の男――グリムは溜息と共に肩を落とす。
ヒロは今、闘技場の外の芝生公園へと来ていた。
話がある。グリムからそう言われついてきた先がこの場所だ。
「ところで、一体何の用なんですか? こんな所まで連れてきて」
「……お前の、影……」
「かげ?」
グリムの言葉につられ、ヒロは自身の足から伸びる黒に視線を落とす。
「そうだ……。お前の影魔導……それは俺のものと似て……しかし非なるもの……」
グリムの指摘にヒロの瞼がピクリと動いた。
彼の言うとおり、二人の影魔導は“影を実体化させ操る”という結果こそ同じ。だが、その原理は異なる。
グリムの影魔導は自身の魔力を用い、自身の意志で操っている。対してヒロのものは彼の意思を紅蓮が読み取り、それに応じて紅蓮が操作している。
同じ車を操作するにしても、自分で運転するか誰かに任せるか、といった違いだ。
(へえ? 流石はその道の熟練者、中々に鋭いね)
(紅蓮、下手に動くなよ。万が一ってこともあるからな)
(言われずとも。私としても、無用なトラブルは避けたいものだからね)
それだけ言い残し、紅蓮はグリムに気付かれないように精神の奥の奥まで潜っていく。
彼が意識の表層から立ち去ったことを確かめると、気を取り直し、注意を目の前の男に再び向ける。
「確かに、僕とあなたでは影魔導の使い方は違うかもですね。それで、それがどうしたっていうんです?」
「……お前が、どのようにしてその技を会得したのか……それは俺のあずかり知らぬところだ……。しかし……お前の影魔導は未熟。……そうとしか言えん」
未熟。グリムの口から発せられたその言葉に、ヒロは思わずムッと眉をひそめる。
「それは、一体どういう意味なんでしょうか」
「そうとしか言えん……と、言ったばかりだ。……“影の実体化”……その技術は高いものではある、と、評価している……。だが……それだけだ」
仮面の奥に潜む瞳が色を変えた。
魔力が練り上げられ、それがグリムの足を伝い、影へと送られる。
彼の影は次第に膨らみ、実体を持ち、まるで巨大な生き物のようにグリムの背後に佇む。
「影魔導の何たるか……お前はそれを理解せずに使っている……そのことが無性に腹立たしくてな。少し……稽古をつけてやろう……そう思ったのだ」
彼の体から強い闘志が放たれる。
稽古をつける、とは言うものの、とても人に何かを教える雰囲気には到底見えない。
(紅蓮、前言撤回だ。抵抗しないと死にかねないぞコレ)
(動くなと言ったり動けと言ったり、忙しがないね君は。はーあ、ヤレヤレ)
(うっせ。いいから早く!)
求められるがままに、少年の影は少年自身に絡みつき、武者のような姿を織っていく。
(いつもの姿で良かったかい?)
(ああ。戦うことよりまずは、この状況を切り抜けることが先決だ。その点で言えば、生存能力が高いこの姿は最適だよ)
(期待に添えて何よりだ。……さて、と)
一息入れたその瞬間、ヒロをまとった影の鎧は地を蹴り後ろへと飛び退る。
直後、真っ黒な触手が彼のいた地点を貫き抉った。
「うおっ、危ねぇっ!」
(ウカウカしてる暇はないぞ。そら次だ!)
冷や汗を垂らす隙もなく、グリムの影魔導が獲物を見つけた蛸よろしく連続で襲いかかってくる。
息をつかせぬ波状攻撃を、ヒロは時にいなし、時に弾き返しながらなんとか防いでいく。
とはいえ防戦一方のままでは、いずれヒロの体力が底をつく。
せめて抜け出せる穴さえあれば。そんな淡い希望を抱くが、グリムの攻撃はその希望すら消し飛ばすように、勢いを衰えさせることはない。
「…………やはり、か」
ついに避けようのない攻撃がガラ空きになったヒロの身体を貫かんとした。
しかしその瞬間、ヒロに襲いかかる真っ黒な鏃はシャボン玉が弾けるように形を失い、溶けて消えた。
(攻撃が、止んだ……?)
(敵意も失せている。もうこれ以上の追撃はないと見ていいだろう)
(なんでそんなこと分かんだよ)
(他心通と言ってね、相手の心の動きがわかるんだよ。コツを覚えれば君にも使いこなせるさ。ま、それはさておいて、まずは彼だ)
(……それもそうだな)
紅蓮に促されるまま、ヒロはグリムをじっと見据える。
「それで、これは一体全体どういうことなんですか? いきなり襲ってきたりなんかして」
「…………やはり」
「やはり?」
「お前と、俺は……似た者同士、だな」
「…………はぁ?」
質問に対する回答にもなっていない上、謎の仲間意識を向けられ、ヒロは自身の不快な感情を顔面全てを使って表現した。
歪んだ福笑いのような彼の表情に気付いていないのか、グリムは話を続行する。
「お前の影魔導は……俺と同じく、立体化に特化している……。しかし、お前はそれを攻撃に使うでなく……鎧として纏うことで……防御とともに、身体機能の向上を実現している……素晴らしい……」
ヒロに話しかけているのか、それともただの独り言なのか。どちらとも取れるような微妙な声量で、早口気味に称賛の言葉を投げかける。
称賛を受けたヒロは喜ぶでもなく、眉をひそめたままある一つの思考に至る。
(あ、コイツ陰キャだな)
かつて前の世界にいたとき、中学で最初に隣の席に座っていたクラスメイトのことを思い出す。
顔を覆うような黒髪と今どき珍しい瓶底のような度のきつい丸眼鏡が特徴の男子で、常に猫背がちであり、喋り方は目の前の黒衣の男に酷似していたのをよく覚えている。
風貌のイメージを裏切らない重度のオタクで、初めて会話したときの波濤ような語りは今思い出しても若干引いてしまう。
共通の嗜好――深夜アニメの観賞がきっかけで話が合い、十五年の人生の中で友人と言えなくもない数少ない人物であったが、学年が上がったことで疎遠になり廊下ですれ違っても挨拶するのも億劫になるほどの仲へと降格してしまった。
元々あちらから一方的に話しかけてくることが常だったため、面倒臭さを感じながらも仕方無しにつるんでいた、その程度の仲だ。未練のようなものは微かにしかない。
そうだ。こいつはその陰キャ――確か名前は竹下だったか――そいつに似ているのだ。
「こういうのに好かれがちなんだよな、僕……」
未だにブツブツと念仏のように話しているグリムに気付かれないように、ため息混じりに呟く。
いっそこのまま闘技場に戻ってしまおうかと考えていた矢先、グリムの話に区切りがつく。
「……すまない。話に熱が、入りすぎた……」
「あ、うん。それで、結局どういう話でしたっけ?」
仮面の奥の眼がピクリと動いた気がした。
何度も話を聞いていないことに苛立ちを覚えたが、自分の話が長かったことも一因だったのだろう、と無理矢理落とし込んだかのように。
「……先程も言ったように、お前の影魔導は立体化に特化している……。だが……それだけでは、影魔導を極めたとは……言えない」
別に影魔導を極めたいとは思ってないんだけど、と内心でぼやく。
そもそもは肉体を持たない紅蓮が己の手足の代わりとして使っているのがこの影魔導であり、彼自身としても使い勝手がいいからという理由で使っているに過ぎない。
それをグリムは、何と勘違いしたのか、数少ない影使いとしてシンパシーでも感じているのだろう。
「本来……影魔導は三つの部門がある……。
“立体化”……影を物体として実体化させ操る技……。
“操作”……他者の影を固定化することで相手を縛り付けたり……動きを思いのまま操ることができる呪術……。
そして、“影潜り”……影を四次元の空間として扱うことで……影に入り込む、影から影へ移動するなどを可能にする技……。
これらを全てマスターすることで初めて……真に影魔導を極めた、と言える」
「僕の場合、“立体化”はマスターしているけど他の二つが使えていない。だから未熟だと?」
「そういうことだ……」
なるほど、と今までのグリムの言葉が繋がり納得するとともに、僅かな苛立ちを感じた。
確かに、彼は一日目の個人戦において“操作”と思しき技を披露している。それ自体は素晴らしい技だし、自分も使うことができたなら戦略の幅も増えることだろう。
だからと言って覚えたいとは現時点では思っていない。
先ほども言ったように、影魔導を使用しているのはヒロではなく紅蓮だ。彼自身が使おうとしない限り、他の影魔導の技術は行使できないだろう。
紅蓮が覚えようしないかぎり“操作”と“影潜り”は使えない。それも会得しようとしない理由の一つだが、実はもう一つだけ理由がある。
同じ肉体、同じ魔素を使っているだけあって、ヒロも多少は影魔導を扱えたりすることはできるわけだが、高位の魔導であるために求められる集中力の度合いが桁外れだ。戦闘中で使うとなると、誰かに守られながらという状況にならない限り他の手段を取ったほうが実用的である。
それならば紅蓮に影魔導の扱いを一任し、ヒロは彼のサポートを受けながら戦う今のスタイルこそが一番合理的なのだ。
だからこそ現状以上の影魔導は不要と感じるし、それを押し付けようとしているグリムの姿勢に微かな憤りを感じるのであった。
「つまり、稽古ってのはその残りの二つを覚えさせるための稽古ってわけですか。お気持ちは嬉しいんですが、僕は現状に満足しているっていうか……まあその、お手を煩わせる必要もないっていうか―――」
ここは丁重に、なるべく刺激しないように丁寧に断ろう。
そう思い言葉を選びながらなんとかこの場を脱しようとした。が……
「何を、言っている……? 別に……他の二つを、今すぐに会得する必要はないぞ」
「……ん?」
「そもそも……影魔導は上級魔導……“君主級”にも匹敵する高難度魔導だ……。一朝一夕で身につけられる代物ではない……それは、お前も知っているはずだろう?」
「…………んん?」
おかしい。話の流れが変わってきた。
「確かに……お前に稽古をつけてやるつもりではいた……。そして……そのために、影魔導とはどのようなものか……それを理解してもらうための説明もした……。だからといって……今この場で影魔導を極めてもらおうとは……思っていない」
なら最初からそう言えよ。突然未熟だなんだと言ってきたり突然襲いかかってきたり、コミュニケーション下手くそ過ぎか。
などと、喉から溢れそうになる愚痴の数々をヒロは舌で抑え込む。
「初めにも言った……俺とお前の影魔導は、似て非なるもの。俺は影魔導を主軸として戦うが……お前は、小癪にも近接戦闘の補助として影魔導を使う……。どちらが正しい……などと言うつもりはない……。ただ……お前の影魔導を見て、俺は感心し……感動した。影魔導には、まだこれだけの可能性を秘めていると……!」
「あー、そのー、またこの手の話長くなります?」
「……失礼した。話を戻すが……お前の場合、“立体化”の技術は十二分に備わっている……が、それを影による単純攻撃と影の装甲化のみに使っているのは……あまりにも、勿体ない……」
なるほど、話の大まかな形が見えてきた。
要はただのお節介なのだ。同じ影使いとしてヒロの持つ資質に気づき、それを十全使いこなせていないヒロに憤りを感じると同時に、同業として後進がこのまま潰れるのも見たくないといったところだろう。
まったくもってありがた迷惑極まりない話だ。
「そういうことだったんですね。ありがたい申し出です。でもやっぱり、遠慮しておき―――いや、喜んでその稽古とやらを受けさせていただきたい」
「おお……そうか……!」
再び断ろうと口を動かしていると、その口は主人の意思に反して勝手な言葉を紡ぎ出す。
驚くべく事象だが、ヒロにはこの原因に心当たりがあった。
以前にもこんなことがあったな、と滲む懐かしさと自身の自意識を数秒でも奪われていたことに若干の恐怖を覚えながら、先程の身勝手な言葉の主へと意識を向ける。
(紅蓮。お前勝手に……!)
(まあまあ、落ち着きなよ。それに、悪い話でもないよ。さっきの戦闘でも感じただろう? 彼の影魔導の技術は疑いようもなく一流だ。そんな彼から学ぶ点は多いはずさ)
(む、う……)
確かにそうだ。というか、ヒロも一度はその考えに至った。
じゃあなぜこんなにも頑なに断ろうとしているかというと、ただ単純に面倒なだけだ。
努力することは嫌いではあるが、特段苦手というわけではない。そうでもなければ、リンの地獄ともいえるような組手などできるはずがない。
しかしそれは努力に見合う結果が得られるとわかっている時だけだ。努力したところで腐るようなものを渡されても意味がないだろう。
ならば今は?
断る理由の一つだった紅蓮はなぜか乗り気だ。
稽古の内容にしても、“操作”や“影潜り”などの新たな技術の習得ではなく、“実体化”の戦略の幅を広げるということであれば後々の役にも立つだろうし、何より苦労するコストも低い。
(……わかったよ。今回はお前の口車に乗せられてやる)
(やあ、それはありがたい。光栄の極みだ)
(お前やっぱり僕のことおちょくってるだろ)
かくして、ヒロは大統合武闘祭の最中にしてグリムに影魔導の師事を受けることと相成った。
その日の最初の稽古は、光源である太陽が西の地平に消えるまで続いたという。




