第93話 世界を絶つ剣、世界を斬る技
吹き荒ぶ熱風。魔法や物理攻撃を弾く幾重の魔力障壁によって緩和されたとはいえ、まるで目の前に噴火口があるかのような熱気が肌を焼く。
観客席にいてこれなら、いま舞台で戦っている二人はどれほどの灼熱に苛まれているのだろうか。
二人の絶技、“万物を照らす光”と“不死鳥の嘴”がぶつかり合う。
太陽の如き黄金の光と猛火を纏った巨鳥の突撃は拮抗し、その衝撃は周囲の空気を震わせ、その熱は石造りの舞台をも溶かす。
僅か数秒の拮抗の後、二つの太陽と不死鳥の火焔は混ざり合い、そして大きく爆ぜた。
闘技場は膨大な光と熱と轟音に覆われる。
―――視界に色が戻る。煩わしい耳鳴りは消え去り、肌は熱さを過去のものとする。
五感を正常に戻した者から順に、意識を舞台に立つ二人へと向ける。
当の二人は互いの剣に左肩を貫かれつつも、頑として立ち続けていた。
傷口からは血の代わりに火が吹き出ており、体の内側から肉を灼く。その痛みは決して小さくはないものの、それを我慢し脂汗を浮かばせながらも二人は不敵な笑みを浮かべていた。
「まさか、俺の技が相殺されるとはな。随分腕を上げたじゃねえか、エピーヌ」
「それはこちらの台詞だ、ジーク。こちらは貴様を仕留めるつもりで奥の手を使ったというのに、この程度の傷しか付けられないとは」
「……クッ。奥の手、だと?」
ジークはさらに口角を上げる。
「やはり、お前の負けだエピーヌ。奥の手ってーのは最後まで秘めてこその奥の手だ。そんでもって、相手が奥の手を使ったときに使うもんだ!!」
ジークがエピーヌを蹴飛ばす。同時に互いの肩から楔代わりの剣が引き抜かれる。
剣の高熱によって傷口は焼かれたことにより出血はそれほど大したものではないが、それでも風穴がぽっかりとあいた肩からは激痛が迸る。
ジークは歯を食いしばり延々と来るその痛みに耐える。どうやら神経は無事のようだ。痛みは伴うが動かすことはできる。
治癒剣を使う暇はない。隙を見せたらエピーヌはすぐさま体勢を立て直し再び向かってくるだろう。
今しかない。エピーヌが蹴り飛ばされ体勢を崩した今しか全剣を呼び出す機会はない!
「万剣の鞘、全剣開放!! 剣聖の至高の十剣、その一! これなるは集いし名剣魔剣を束ねる剣の王なり! 剣よ、その威光をもってあらゆる敵を撃滅し給え! 全てを統べよ、王道なる剣!
―――1番! 全剣“オムニア”!!」
―――――――――
エピーヌは眼前に広がる光景を前に言葉を失っていた。
ジークに蹴飛ばされつい目を瞑ってしまっていた僅かな時間。そんな一瞬の合間に目に飛び込む風景は一変していた。
広がるは、地面に突き立てられた無数の剣、剣、剣。
長剣も、短剣も、直刀も、曲刀も、幅広のものも、細身のものも、皆一様に、さながら墓標のように、闘技場の大地という大地にその身をうずめていた。
その数、千弱。その中にはこの試合で日に晒された至高の十剣も当然含まれていた。
それら剣の墓所の中央、あたかも崇め奉られているかのように佇む一人の影。その手に持つは、今までの剣とはまるで異質な一本の白亜の剣。
その姿形から剣と呼称したものの、鍔のようなものはなく、そこに当たる部分が円形に膨らんでいることで剣身と柄を分かつのみで、誰かが打ってその形を成したものでなく最初からその形であったかのような感覚を与える一振りであった。
それを見た瞬間、エピーヌは理解した。
これが、この剣こそが、ジークが至高と呼び称える十本の剣の最後の一つであり、“万剣の鞘”の核なのだと。
「……まさか、こいつを引き抜くことになるとはな」
ジークが語りかける。数秒前までと全く同じ声なのに、なぜだろう、言葉の圧が違うように感じる。それも、あの剣の効果なのだろうか?
「誇るがいい。この剣は我が“至高の十剣”の最後の一本にして、先代勇者から受け継がれた固有能力“万剣の鞘”そのものと言える剣だ。俺を前にしてこの剣を拝めた者は数える程度しかいない」
「それは、光栄だな。晴れて私もその強者どもの仲間入りを果たせたというわけか。それで、この異様な光景の説明はなんだ? まさか演出とでも言うまいな」
強がってみるものの、声は若干強張り、浮かべる笑顔もどこか引き攣ってしまう。
「それを説明するにはまずこの剣について語らなねばならん。この剣の名は全剣“オムニア”。とある遺跡で偶然手にした、俺が蒐集した武器の中でも一番と呼ぶに相応しい魔剣だ。その能力は―――」
ジークが天を衝くかのように全剣を掲げる。
するとその一連の動作に従うように、数本の剣が独りでに宙に浮かび上がった。
「全ての武具の支配!」
全剣がその切っ先をエピーヌに向ける。
浮かび上がった剣たちは命令を受けた兵士のごとく、その意を汲み彼女へと一斉に襲い掛かる!
全剣が全剣と謂われる所以、剣の王と謳われる所以。
それはたった一本で数百、数千の剣を扱えるから故。たとえ一人であろうとも一千、一万の武器さえあればその全てを支配し、武器のみの軍勢を作り上げられる故である。
エピーヌは今再び理解した。思い知らされた。
ジークはただ火蜥蜴をたった一人で討伐したから英雄級なのではない。英雄に匹敵する実力を持つからこそ英雄級なのであると。
数十、数百の剣がエピーヌ目掛け向かってくる。そのどれもがジークが選りすぐった魔剣ばかり。その能力を余さず使い、彼女を追い詰める。
岩をも融かし切断する超高熱の剣。霜を纏う極低温の剣。雷を溜め放つ剣。毒の飛沫を弾として放つ剣。見た目と実際の射程が異なる剣。蛇のようにしなり執拗に追いかけてくる剣。魔術や魔導を消し去ってしまう剣。複数の幻影を映し出す剣。竜の魔力が込められた剣。高周波振動によりあらゆるものを切り裂く剣。
その多くが最初の戦闘で一度は目にしたものや今までの小競り合いで見たものばかり。ただその時と違うことは、それらを一本ずつ相手するのではなくまとめて対処せねばならないことだ。
エピーヌは実際には数十、数百の魔剣使いを相手に孤軍奮闘しているのと同義であった。
「たとえお前が無数のスキルを持とうとも、たとえお前が人の域を超越した身体能力を誇ろうとも、圧倒的な物量の前では灰燼のごとく全て無意味!! 俺の勝ちだ!!」
降り頻る剣の雨。龍のようにうねる刃の竜巻。それを幾百のスキルで躱し、いなし、弾き返すがそれも長くは続くまい。
これまでの試合で蓄積された疲労と生傷。体力は大部分は失われ、試合が始まった頃の機敏さはなく、そして大技である“不死鳥の嘴”を使ったことにより魔力も殆ど残っていない。エピーヌの形勢が不利であることは誰の目からしても明白であった。
だというのに―――
「まだだッ!!」
エピーヌは抗い続ける。
彼女の限界はとっくに過ぎているはず。なのに彼女は剣を振り、目の前の暴虐の嵐に立ち向かい続ける。
「……なぜだ」
その肌に痛ましい傷を付けながらも、動きが鈍い体に鞭打ちながらも、なお戦い続ける女騎士に剣聖は問う。
「なぜ、どうしてそこまでして戦う? 何がお前をそこまで駆り立てる? すでに決着はついたも同然。力の差は歴然。たとえここで膝をついても誰もお前に後ろ指を立てることはないだろう。なのに、なぜだ!?」
エピーヌは不敵に笑う。ジークの問に対して彼女は自信を持って答える。
「愚問!! 私には、支えてくれる家族がいる。私の勝利を願う友がいる。彼らが私を信じてくれる! ならば私は応えなければならない! なぜなら私は誠実の勇者だからだ!!」
迫る剣のほぼ全てを弾き返し、エピーヌはジークに向かって駆け出す。
降り注ぐ剣の雨を避けながら一心不乱に走る。数多の刃が肌を切りつけても、彼女は立ち止まらず、臆せず、必死の形相で剣聖に迫る。
覚悟を決めたエピーヌにとっては剣の雨も、炎の壁も、電撃の槍も、大嵐が如き突風さえも、その進撃を止める障害にはならない。
次第に狭まる二人の距離。女騎士は獣の如き雄叫びを上げ、振り乱すその赤い髪はまさに燃え盛る火焔のようであった。
「ッ……! 爆轟剣“フラゴ”!!」
咄嗟に放った爆発を伴う剣。その着弾とともに大きな爆炎がエピーヌを包んだ。
(しまった! 煙でエピーヌの姿が―――ッ!?)
爆発で生じた土煙の幕の奥からエピーヌの刺突剣がジークの眼を貫かんと飛んでくる。
これをジークは寸前で撥ね退ける。
(武器を手放した!? 馬鹿め、この俺に徒手で挑もうなど無謀が過ぎ―――)
―――刹那。コンマ一秒未満のその一瞬。
ジークの意識がエピーヌのレイピアに向けられた一瞬。そのレイピアを掃わんと全剣を振り切った一瞬。
それらの僅かな時間が重なる極小の瞬間、針の穴を突くかのように彼の目の前にエピーヌが飛び込む。スキル“脚力強化”で得た超スピードにより、残りの距離を一気に詰めたのだ。
ジークの反応が遅れた。一撃は免れない。
だが、武器も持たない女のただの拳ならば、すぐさま反撃に転じることができる。焦ることはない。
そう思っていた。
懐に飛び込むエピーヌ。その手に握られていたのは……
(パリ―イングダガー……!?)
失念していた。
彼女はレイピア使い。ならば利き手にレイピアを持つことは当然として、もう片方の手には防御用の短剣が握られているのが常。
先程、雷鳴槍を放った際には、この短剣を用い受け流していたことを完全に記憶の隅に追いやってしまっていた。
短剣といえど深々と突き立てれば内臓を傷付けることくらいはできる。
回避しようにもこの間合いではそれもできない。防御しようにも間に合わない。
ジークはただ歯を食いしばるよりほかなかった。
「大跳躍突きッ!!」
―――ぴたり。ぴたり。短剣を伝って赤い雫が地に落ちる。
エピーヌの決死の一撃は見事、剣聖ジークの腹部に直撃していた。
「グフッ……! ……ハハ、天晴……見事、ってかぁ?」
「あまり喋るな。急所を避けたとはいえ、すでに呼吸を繰り返すのも辛いのだろう」
「冗、談……。誰かさんが手を抜いてくれたお陰で……ピンピンしてらぁ」
エピーヌが短剣をゆっくりと引き抜くと、さらに多量の鮮血が零れ落ちる。
幸い、刃は内蔵まで至っていないようで、ジークは服の一部を破り傷口を抑える。
「……テメエ、単に同情して手加減したわけじゃねえだろ?」
「流石にわかるか。ああ、そうだ。今貴様に倒れられては困る。なぜなら私は、まだ全力の貴様と戦っていない」
彼女のその言葉を耳にした観衆は皆一様に解せぬと言わんばかりの表情を見せる。
剣聖たるジークが至高と称せし十の剣を全て相手取り、さらには彼の蒐集した千弱の剣と真っ向から対峙したというのに、エピーヌは未だこれを全力ではないと言い放つ。
当のジークはその言に対し、否定も肯定もしない。
数秒の黙秘の後、小さな笑みとともにようやく口を開く。
「……ハ。何を言い出すかと思えば。お前は俺の“至高の十剣”を全て捌き切ったじゃ―――」
「絶世の名剣“デュランダル”」
その名を口にした瞬間、ジークの顔の色が変わった。
「かつて共に挑んだブォワホレの森深奥、グハッツ洞窟の最深。そこで手に入れたというかの名剣。その絶世の剣、この死闘で未だ姿を見せていない。貴様が蒐めた至高の剣を打倒せども、その剣を前にしなければ真に勝ったとは言えぬと心得る」
エピーヌは揺るぎない眼で膝をつくジークを見据える。
そこに慢心や驕りといった感情はない。ただ純粋に名剣デュランダルと打ち合いたい、真の力を出したジークに勝ちたいという願いだけがその瞳に宿っていた。
「……まったく。とんだ生真面目ぶりだな。折角の名誉と勝ちの芽を摘むとは」
「生憎、性分でな。貴様の心根を無碍にするようで悪いが、それでも譲れぬモノがあるというもの」
「ハハハ! そうだな、お前はそういうやつだったわ」
傷の痛みも忘れ、ジークは愉快そうに笑い声を上げる。
一頻り笑うと、一転、再び剣士の顔に戻る。
「ならば見せてやる。刮目しろ! これが世界をも絶つ、“絶世の名剣”だ!!」
展開されていた998本もの剣が万剣の鞘に収納される。
代わりに一振りの剣が慎重に、慎重に、万剣の鞘から引き抜かれていく。
最新の注意を払わなければ、収納している万剣の鞘内部の亜空間すら切り裂きかねないほどの切れ味を誇る剣。そこから放たれる存在感は全剣と同等かそれ以上。
ついに、絶世の名剣と謳われる一本の剣の全貌が露わとなる。
宝石が埋め込まれた黄金の柄。陽光を受け煌めく剣身。他のものを圧倒し、追随を決して許さない剣気。
これこそ世界すら絶つ“絶世の名剣”。これぞ絶世剣デュランダル!
「どうだい? これこそが伝説に謳われし不毀の刃。“切れぬものなし”と定められた概念兵装。悪しき者、魔なる者を斬り伏せる聖剣! 999番、絶世剣“デュランダル”そのものだ!!」
ジークは絶世剣を軽く振ってみせる。
そのたった一つの所作で、頑強な舞台の石材は剣身に触れてすらいないのに溶けたバターのようにスッパリと切れ込みが入る。
驚くことなかれ。なんとこの剣は振った際の剣気の流れのみで舞台を切ってみせたのだ。
デュランダル。折れず、毀れず、切れ味勝るものなしと言わしめる剣。
その特性は『万物絶断』。すなわち、文字通り切れぬものがないことを意味する。
かつての使い手、聖騎士ローランは死の間際、この名剣が敵の手に渡ることを恐れ大理石にこれを打ち据えるが、デュランダルは折れるどころか逆に大理石を両断したと語り継がれる。
そしてこの剣がジークの手に渡る過程で、『決して折れず、何物をも切り裂く』という伝承と人々の思いを吸い込み、全ての物質・存在をも断絶する力を持つ概念兵装へと変化した。
このことにより、デュランダルはありとあらゆる固体ならず、流体や実体のないもの、果ては空間や次元の壁すらも容易に切り裂くことが可能となった。
この剣は世界に溢れる武具と比較し、言葉の通り次元が違う。ひとたび振るわれれば、エピーヌの命など簡単に奪ってみせるだろう。
「忠告しておくぜエピーヌ。この攻撃は絶対避けろ。受けようなんざ微塵も考えちゃならねえ。でなければ、お前は確実に死ぬ」
声色のみでわかる。これは脅しでも誇張でもない、真実の言葉。
防御などすれば絶世剣はその守りすら切り裂いて彼女を両断するのだろう。それはジークとしても本意ではない。
正直なところ、ジークが絶世剣を引き抜いた時点で彼の勝利は確定していた。
エピーヌにはこの剣を防ぐ術がない。
そもそも物理法則を超越し、概念に作用する“概念兵装”に対抗するには、同じく概念兵装を持ち出すかこの世の理に囚われない魔法を使うしかないのだ。
今のエピーヌにはそのどちらも持ち合わしていない。
絶望的な状況。エピーヌは次の瞬間には放たれる斬撃を避け、素直に負けを認めることしか道が残されていなかった。
何という皮肉だろうか。自身の不用意な一言で確約していた勝利を失うことになろうとは。
彼女は一言も発さない。顔色も変えなければ、感情を読み取られるような動作は一切しない。
ただ前を見据えて、堂々と立っていた。
不思議と、彼女が負けるという予感が薄らいでいく。
状況は圧倒的にジークに傾いている。それは揺るがない事実。
だが、彼は先程のエピーヌの一刺により体力は底を尽きかけ、息は上がり、顔は青ざめている。
一方でエピーヌはジークと同等の負傷を負いながらも、その精神は凪いでいる。
絶世剣という圧倒的な存在を考えなければ、人々はエピーヌが優勢だと感じることだろう。
そして、エピーヌはゆっくりと剣を頭の上に掲げ、一つの構えを取る。それは今大会において一度だけ披露された、究極の技の構えであった。
「その構えは……!」
スキル“斬界”。
“狂戦士”バルザークが放った、この世のなにもかもを斬る奥義。エピーヌが透写したのはそれだった。
「『奥の手は最後まで秘めてこその奥の手。相手が使ったときにこそ使うもの』……。貴様はそう言ったな」
「まさか……!」
「そのまさかだ。私の奥の手は二つあった! 一つは相手の高火力を相殺するためのスキル、“不死鳥の嘴”。そしてもう一つは、対デュランダル用のスキル、“斬界”! せっかくトレースした新技だ。英雄級相手に試さずして終わるなど勿体なかろう!」
全てを絶つ絶世剣に対して、同じく全てを斬る絶技“斬界”をぶつける。その着眼点は間違ったものではなかった。
絶世剣と斬界はそこに至る道筋は違えども、どちらも何かを断つことに関して極致に至った存在である。
世を絶つ剣と界を斬る技。その二つが激突したとき何が起こるのか、当事者である二人にも判らない。
ジークとエピーヌは共に自身の攻撃が届く範囲にまで摺り足で近付き、射程に入った瞬間足を止めた。
二人の周りに冷たく剣呑とした静寂が満ちる。まるでそこだけ時間が停止したかのように、お互い剣を構えた体勢のまま凍りついて動かない。
絶剣と絶技の衝突、その被害の規模がどれほどになるのかこの場の誰にしても予測はできない。
絶世剣が斬界を絶つのか、はたまた斬界が絶世剣を折るのか。その行方がいま明らかとなる―――
「“絶世剣”ッ!!」
「“斬界”ッ!!」
同時に、ジークは絶世剣を真横に薙ぎ払い、エピーヌは剣を垂直に振り下ろした―――
―――そこで記憶は断絶した。
―――――――――
結果から話そう。この試合は引き分けで幕を閉じた。
詳しく説明すると、ジークとエピーヌ両者は互いの剣がぶつかる直前で恐らく体力が限界を迎え、立ったまま気絶していたそうだ。
なぜここで“恐らく”だの“そうだ”だのと曖昧なのかというと、闘技場にいた多くの人たちが共に気絶していたからである。
個々の覚醒時間にばらつきはあるものの、約1~6秒の間、全員が気を失っていた。これも推察にはなるが、気絶していた原因は二人の放った剣気によるものだろうと人は言う。
ともかく、絶世剣“デュランダル”と絶技“斬界”がぶつかり合った瞬間は誰も――当人である二人でさえも――見ていないことになる。
もしかすると本当はぶつかって跳ね返っており、その衝撃が凄まじいもので記憶が飛んでいるのかもしれないが、真実は闇の中ということだ。
……ただ、気になる噂を小耳に挟んだ。なんでも舞台が試合前と試合後で僅かに小さくなった、とのことらしい。
これももしもの話だが、ぶつかった拍子に互いの斬撃が混ざり合い、舞台の一部を消し飛ばしたのではないか……などと妄想を膨らませてみる。
結局のところ確たる証拠もなし、真相は神のみぞ知るところ。
勝敗が変わるわけでもないのだから噂話程度に収めておくほうが良いのかもしれない。
―――――――――
「……そうか。引き分け、か……」
医務室のベッドの上で、エピーヌは少し悔しそうに試合の結果を飲み込む。
「焦ったんだぞ。気付いたら二人して立ったまま気絶していて、そんでそのまま医務室に運び込まれてさ」
「すまないヒロ、心配をかけた。それにしても損なことをしたものだ。あのとき自分を押し殺していれば勝ち点が入ったものを……」
「でもでも! 英雄級のジーク相手に引き分けはすごいよ! 一応フルーランスには3ポイントも入ってるし!」
「ありがとう、たとえ慰めでも嬉しいよユーリ」
「まあルイ王子はキレまくってたけど」
「……そうだろうな……」
ユーリの余計な一言にエピーヌの頭は再び深く垂れる。
「ところでジークといえば、奴は運び込まれていないのか?」
「先に目を覚めして自分とこの特観席に帰ってったよ。医務室の先生は後遺症があっちゃ困るからって追いかけてったけど」
今医務室にいるのはベッドに横になっているエピーヌと彼女の見舞いに来たヒロとユーリだけだった。エピーヌと一緒に担ぎ込まれたジークと医務室の主たる医師はヒロの説明通りこの場にはいない。
現在は二人の勇者候補による戦闘で荒れた舞台の補修や整地のため試合は一時中断となっており、闘技場舞台から少し離れたこの医務室は暇を持て余した観衆の雑談の声も届かず、聞こえるのは三人の話し声くらいだ。
「私はもう大丈夫だ。暫くしたら医師も帰ってくるだろう。次はあのマックス騎士団長殿の試合だろう? いつまでもこんな静かな場所に長居していないで、お前たちも特観席に戻ったらどうだ」
「本当にもう良いのか?」
「何度も言わせるな。なに、医師の許諾が降りたらすぐに私も戻るさ」
「エピーヌがそこまで言うなら。ユーリ、僕たちは先に戻ろう」
ヒロとユーリはエピーヌに軽く言葉をかけてから部屋を後にする。
一人残されたエピーヌは耳鳴りがしそうなほどの静寂の中、もの寂しさと二人を早々に返した後悔を感じながら体重をベッドに任せる。
どう寂しさを紛らわそうか、そう思った矢先に仲間が出ていった扉から小さなノックの音が入ってきた。
「どうぞ」
医師が返ってきたのだろう。そう考えたエピーヌは特に警戒することもなく扉を叩いた者を部屋に入るように促す。
返事の言葉はなく、扉は軋む音を呻きながらゆっくりと開いた。
―――――――――
同刻。闘技場、舞台。
破壊された舞台の補修はすでに終わっており、観客は次の試合をまだかまだかと待ち侘びていた。
そんな彼らの要望に応えるように、舞台にはすでに一人の戦士が登壇していた。
黄金の髪に碧い瞳、白亜の鎧と一振りの長剣を携える一人の騎士。
ユニオス連合帝国において“最強”の名を冠する英雄級の中でもさらに“最強”と謳われる聖騎士。国中に散らばる帝国騎士の頂点である十二人の騎士“聖十二騎士”の筆頭にして帝国騎士団の長。
彼こそ“裁定の天秤宮”ことマックス・フォン・ラインハルトその人である。
彼の実力・知名・人気のほどは今までとは比較にならないほどの応援ぶりから嫌というほど理解できる。
マックスはそれらの声援に手を振り笑顔で応えながら、対戦相手の登場を待つ。
最強の存在たるマックスに挑むは開催国モーラの代表、ソテル。
一日目の団体戦では惜しくもマックスに敗れた彼だが、あのマックスをあと一歩まで追い詰めた実力者である。今回はそのリベンジマッチということもあってか、観客は興奮の渦へと巻きこまれていた。
しかし……遅い。
マックスが舞台に上がってから十分が過ぎようとしていた。
大会の規定上、予定していた時間になっても選手が現れない場合、試合放棄とみなし相手側に無条件で勝ち点が与えられることになっている。
相手は最強の騎士マックスだ。棄権してもおかしくない。
とはいえ一度はその彼を苦しめたソテルが棄権するとは考えにくい。
歓声が次第に不安の声で騒めき始めた頃、ようやく対面の入場口から一人の男の影が出てきた。
しかしそれはソテルのものではなかった。
出てきたのは同じくモーラ代表のヘルメス。彼はニヒルな笑みを浮かべ、舞台へまっすぐと歩いていく。
どうしたことだろうか。この土壇場になって選手交代ということだろうか。闘技場はさらに疑問と不安の声で満ちる。
「ヘルメス=ソフィア・ホエナイム殿、今回の試合はソテル殿が出場するはず。彼はどうしました?」
当然の質問をかけるマックス。それに対してヘルメスは怪しい薄笑いを浮かべたまま、わざとらしく大きなジェスチャーをつけて答える。
「いやー、ねぇ? なんでも急用ができたとか何とかでさー。『後のことは任せる』とか何とか言っちゃったりしてー。どっか行っちゃったんだよねー」
闘技場の騒めきがさらに騒々しくなる。
ざわざわとうるさい観客を放置してマックスは続けて問いかける。
「それで、貴方が彼の代役というわけですか」
「まあ? 俺もお国のために代わりに出場してやりたいのは山々なんですけどね? 相手は英雄級でも最強のマックスさんじゃないですか? それにこの大会じゃあ代役は認められないみたいだしー……ってことで」
ヘルメスは体の正面をマックスから側に立つ審判に向け、片腕を上げて宣言する。
「この試合、モーラ代表ソテルは棄権する!」
―――――――――
「なぜ、貴方がここに……!?」
場所を戻して再び医務室。
扉を開けて出てきたのはジークを追って出かけた白い癖っ毛の医師ではなく、今頃試合に出ているはずのソテルであった。
意外な人物の突然の来訪にエピーヌは思わずベッドから身を起こし警戒の態勢を取る。
そんな彼女を鎮めるかのようにソテルは両の手の平を彼女に向ける。
「落ち着いてくれ、誠実の勇者よ。私は君と話がしたいだけだ」
その彼の言葉に嘘偽りの色や敵意などはこもっていない。ただ本当に話をしに来ただけなのだろう。
エピーヌは警戒を解かないまでも、持ち上げていた肩を下ろす。
「……貴方は今、試合に出場しているはず。このような場所で油を売っている暇があるのですか?」
「試合の勝敗など私にとっては些事。そう、勇者である君たちと言の葉を交わせるこの瞬間と比べれば」
「何を言っているのだ。試合のほうが大切だろう」
「それはその他大勢の共通認知による優先度だ。その価値基準は私には当てはまらない。……ところで、君にとっての正義とは何だ?」
話が通じているのか、いないのか。どうにも噛み合わない。
とはいえ質問には答えを返すもの。生真面目なエピーヌはそう思い至って自分なりの回答を示す。
「自分に正しくあること。義に正しくあること。それが私にとっての正義だ」
迷いなく、はっきりとエピーヌは自身の答えを告げる。
それを聞き、ソテルは満足そうに頷いた。
「流石は誠実の勇者。気持ちがいいほどまっすぐとした価値観だ」
「聞きたいことはそれだけか? なら早く試合に出たらどうだ」
「生憎だが試合は棄権した。ここからでは聞こえなかったようだが、すでに次の試合の準備が進んでいる」
「は!? ちょ、待て!」
言いたいことを言うとソテルはすぐさま踵を返し、入ってきた扉へと戻ってしまった。
エピーヌは彼を追いかけんとベッドから飛び起き、急いで閉じられた扉のノブに手をかけるが―――
「きゃっ!?」
「おっと!?」
扉のすぐ裏側にいたのはソテルではなく、ジークを追いかけ出ていたはずのこの医務室の主である白髪の医師であった。
廊下を見渡すが、驚いて目をパチクリとさせている医師の彼女以外の人影は見当たらない。
「先生、今この部屋から男が出ていったと思うのだが、見かけてはいないか!?」
「い、いえぇ。私も今来たところですがぁ、それらしい人とはすれ違っていませんよぉ?」
「なに……? そんな馬鹿な……」
再び廊下を見渡すが、一本の長い廊下には身を隠せるような障害物も空間も見当たらない。
彼は一体どこへ消えてしまったのだろうか? 首をいくら傾げてもその答えは闇の中だ。
大統合武闘祭四日目の個人戦第二試合はキャメロスの不戦勝というなんとも煮え切らない結果で幕を終えた。
続く第三試合、ケルティン代表セタンタとシュラーヴァ代表ドラガンの試合はつつがなく進行し、ケルティンの辛勝によってこの日のすべての試合は終了となった。
そして闘技場は五日目の朝を迎える。
―――
四日目 総合戦績
一位 キャメロス 33pt
二位 モーラ 28pt
三位 ケルティン 20pt
四位 フルーランス 18pt
五位 アイゼンラント 16pt
六位 シュラーヴァ 13pt
七位 リドニック 8pt
―――
概念兵装
長い歳月をかけ、人々の概念が結集した結果生じる神話級武具の総称。そのどれもが通常の武具の性能を凌駕し、概念に干渉する力を持つ。
名前のモチーフは某きのこさんの世界観のアレと神姫が絶唱する作品のアレから。




