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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第四章 勇気の詩〜悪鬼決闘編〜
72/120

第72話 さようなら、愛しき人よ

 気がつくと、そこは病院だった。


 白い天井。白いベッドにシーツ。ベッドを囲う白いカーテン。そして腕から伸びる管と、その先に繋がれた点滴。

 目から飛び込む情報から、僕はそこが病院だと勝手に決めつける。

 どうやら僕は大部屋の病室に担ぎ込まれたようだ。カーテンに遮られて周りの様子は分からないが、面会に来たであろう家族の声がボソボソと聞こえる。

 その病室の中で、僕のベッドは奥に位置していた。左に顔を向ければ、窓越しに葉が落ちて何の種類が分からなくなった木と真昼の乾いた寂しい空が見える。



 ―――あれからどうなった?


 僕の最後の記憶は、紅蓮に全力の一撃を見舞ったところで終わっている。その後のことは覚えていない。

 この通り、自分の意思で自分の体を動かせていることから、どうやら紅蓮は僕に体の支配権を譲ったようだ。

 ということは、ユーリたちは紅蓮に勝ったのか……?


「そうだ……ユーリたちは……?」


 あの紅蓮との熾烈な戦いを経て、皆、深い傷を負っているに違いない。

 もしかしたら、この病院にいるかも。


 そう思い、体をゆっくりと起き上がらせる。

 すると、僕が目覚めたことに気がついたのか、右手のカーテンの向こう側から声が飛び込んだ。


「……ん? ようやく起きたのか」


 その声には聞き覚えがあった。

 もしや、と思い右手をカーテンに伸ばし、レールに沿わせて動かす。

 カーテンが開いた先には、予想通り、ケイロンさんが僕と同じくベッドの上に腰掛けていた。


「ケイロン、さん……」

「良かった、どうやら元のお前に戻れたようだな。怪我の具合はどうだ? 一週間も寝たきりだったが……」

「あ、はい。大丈夫です。まだ起きたばっかで、しっかり動かせるか分かんないですけ、ど―――」


 心配させまいと気丈に振る舞ってみせる。

 けれど、あるものを見た途端、僕は思わず息を呑んでしまった。


 ケイロンさんの体で隠れてよく見えなかったが、彼には右腕の肘から先が()()()()

 右の袖が何の支えもなく、フラフラと揺れている。

 瞬間、ある記憶が僕の脳から引きずり出される。


 あの夜、決着がつく直前、紅蓮は彼の腕に噛み付いた。

 その咬合力は凄まじく、鎧の上から骨を噛み砕いていたことをよく覚えている。

 その後、紅蓮は腕を完全に噛み千切っていた。

 ケイロンさんは腕を失ったのだ。


「……ケイロンさん……その腕……」


 震える声で恐る恐る尋ねる。直後、僕は自分の言ったことを酷く後悔する。


 何が“その腕”だ。訊かずとも分かるだろう。

 ()()()。お前のせいで彼は腕を失ったんだ、ヒイロ。何を今更、他人事のような顔をしているんだ。


 自分を責める声がどこからか聞こえてくる。

 ああ、そうだ。僕のせいだ。たとえそれが紅蓮の行いだとしても、その責任は僕にある。

 僕のせいで…………


「ああ、これか? 気にするな。右手(こっち)は利き手ではないし、肘が残っていたらまだ使える。それに騎士団の方から特注の義手を送ってくれるようだ。不幸中の幸い、とでも言うんだろうか、この場合は」


 僕の感情とは裏腹に、ケイロンさんは全く気にした様子もなく、いつもより多いくらいに話してくれる。

 僕にはそれが無理をしているように見えた。


「…………ごめんなさい」


 ベッドの上で僕は土下座する。額をシーツにこすりつけ、全身で謝罪を表現する。

 これで許されようとは思っていない。ただ、知らん顔のままではいられなかったのだ。


「……気にするな、といったはずだ」

「いえ、謝らせて下さい。これも元は僕が自分を抑えきれなかったことが原因です。本当に、すみませんでした」

「頭を上げてくれ、ヒロ。俺もそんなことは望んじゃいない」


 ケイロンさんはそう言うが、僕自身が許せなかった。

 これで何かが解決できるわけではない。目の前で謝られて戸惑うケイロンさんの気持ちも理解できる。

 しかし、これ以外できることがなかったのだ。

 自然と目頭が熱くなり、涙が溢れる。自身の不甲斐なさに、悔し涙が止まらなかった。


「……ヒロ。俺は自ら進んで、お前と相部屋にしてもらったんだ」


 彼はそっと告げる。

 その言葉に、僕は背けていた顔を彼の方に向けた。


「手術が終わった直後、俺はこの腕を見て思った。『ヒロが知ったら、自身を強く責めるだろうな』と。実際、そのとおりになったわけだが」

「だったら、なんで……?」

「別にお前を傷付けようと思ったわけじゃない。ただ、これだけは伝えたかった。

 ―――俺は後悔していない。なぜならお前を助けられたからだ」


 その瞳に一切の迷いはなかった。

 眩しいまでのその出で立ちに、ヒロの心を覆っていた黒い影は姿形もなく消え去った。


「……ごめん」

「気にするなと何回言わせるつもりだ?」

「そうじゃなくて、……謝ったりなんかして、ごめん」

「……いい。気にしていない」



 その後、病室は静寂とギクシャクした空気に包まれる。

 面会に来ていた家族もいつの間にか帰っており、病室には他の患者の寝息や外の小鳥がさえずる声しか聞こえない。


 さて、何を言ったものか……。

 気さくに話しかける雰囲気でもないしな……。「今日はいい天気ですね」だめだ。他人行儀すぎるし、今日は特段いい天気でもない。「最近調子どう?」病室にいる人間が調子もクソもないだろバカ。

 んー……。それじゃあ、


「―――ユーリたちは、」

「……?」

「ユーリたちは……どうしてる?」


 うつむきながら、なんとか言葉をひり出す。

 正直、この質問の答えを聞くのは怖い。彼らが受けた傷は、すなわち僕が付けた傷でもある。

 ケイロンさんの腕だけでも心が潰れてしまいそうなのに、これ以上の惨状を知れば、いくら懺悔しても拭えきれぬ罪の意識が一生つきまとうことだろう。


 沈黙が続く。この沈黙が痛い。

 早く答えを聞いて沈黙から抜け出したい気持ちと答えを聞きたくない気持ちがせめぎ合う。


「…………ユーリは、」


 来た―――!




「やっほー! ケイちゃん元気ー!?」

「このとおりピンピンしている」


 病院には不似合いな、威勢のいい明るい声が僕の耳を貫く。

 驚いて顔を上げてみれば、元気溌剌(はつらつ)な黒髪の少女と、優しい微笑みを浮かべた金髪の少女が並んで立っていた。


「ユーリ……クリス……」

「あ! ヒロ! 目が覚めたんだね」

「うん、今さっきね」


 よかった。二人は無事そうだ。

 安堵の息をほっと吐き出した瞬間、僕の視線はユーリの右手に吸い込まれた。

 彼女の右手には包帯が巻かれ、あからさまに怪我をしていることを表していた。


「ユーリ、右手が……」

「あ、これね、ちょっと痛めちゃって。お医者さんに見せたらなんか無駄に包帯巻かれてさ。まあ大したことないし、大丈夫大丈夫!」


 ユーリはそう言って快活に笑ってみせた。

 その笑顔は無理矢理作ったものではなく、本心からのものだと感じたので、僕はそれ以上その傷のことについて追及しようとは思わなかった。


「そう……。でも、それじゃ不便じゃないか?」

「ヒロは知らなかったと思うけど、僕は生まれつき両利きなんだ。ある程度のことなら左手でなんとかなるよ」

「そうなのか。クリス、お前はどうなんだ? 体は無事なのか?」

「心配は要りません。ワタクシは後衛で皆様の回復や補助に回ってましたし、先頭で戦っていたものほどでは―――あっ」


 クリスはそこまで言うと申し訳なさそうに口をつぐんだ。

 彼女の考えていることは理解できる。その先頭で戦っていた相手はこの僕だ。恐らくは僕がそのことを気にしていると思い、気遣ってくれたんだろう。


「大丈夫だよクリス。気にしてない」


 そう言って、軽い笑みとともに手を振ってジェスチャーを送る。

 まあ、全く気にしていないかと問われれば嘘になるが、何も言わないよりかはマシだ。


「それより、皆は? ゴウラやアリスたちの姿が見えないけど、皆は無事なの?」


 意を決して、三人に問いかける。

 依然答えを聞くことに恐怖はあるが、二人が来てくれたことで少しだけ軽減されている。

 それに、僕には聞かなければいけない義務がある。


 三人は誰が言うべきか迷っているようで、互いに視線を送りながら黙っていた。

 少し間を開けて、ようやくユーリが口を開いた。


「アリスはこの前の戦いで魔力を使い果たして、別の病室にいたんだけど、二日前に退院したよ。モフもひどい怪我だったけど、命に関わるほどじゃないから僕の家で休ませてる。リンとエピーヌは軽傷だったから、すぐに今までの仕事に戻ったよ。他のハンターたちも大きな怪我はなかったはず」


 良かった。僕の心配は杞憂で終わるようだ。

 あと一人、彼の安否さえ聞ければ、だが。


「……ゴウラは?」

「…………」


 ゴウラの名前を出した瞬間、ユーリの顔が若干曇った。

 鼓動が早くなる。全身に嫌な悪寒が絡みつく。

 ……おい、嘘だろ? まさか、もしかして―――


「……ゴウラは、」


 不意に唾を飲み込む。その音が耳の中で何度も反響する。

 手のひらにブワッと汗が吹き出す。それを抑えるがごとく手を強く握りしめる。


 まるで聴覚が研ぎ澄まされたかのように、僕の耳には多くの微かな音が飛び込んできた。

 空気の動く音。時計の針が動く音。自身の脈動。

 それほどまでに、僕の耳はユーリの紡ぐ言葉を今か今かと待ちわびていた。


 そして、ユーリの唇が動く。




「―――お見舞いの果物が腐ってて、少なくともあと一週間は……」

「いやただの食あたりかい!」


 心配をして損をした。そう思った直後、思わず大声を出してしまったこと思い出す。

 周りを見れば、病室にいる殆どの人間がこちらに視線を向けていた。

 恥ずかしさで顔が爆発しそうになりながら、話を続ける。


「とにかく、ゴウラも大事ないんだな?」

「大事ない……とは言い切れませんね。顔の色が大変なことになってましたし」

「うん、まあ、それは……不幸だったね」


 こればかりは僕がどうこうとかいう問題じゃないだろう。

 兎にも角にも、全員命に関わるような状態ではないようだ。喜んで良いものか分からないが、最悪の予想よりかは幾分マシだろう。


 ホッと胸をなでおろしていると、ケイロンさんが不意に立ち上がった。


「どこへ行かれるので?」

「トイレだ」

「あ、じゃあ僕もついてくよ」

「……ユーリ、介護は必要ないぞ?」

「そうじゃなくてさ、ヒロの目が覚めたことを看護師さんに知らせようと思って」

「そうか」


 仲睦まじく会話を交わしながら、ユーリとケイロンさんは並んで部屋から出ていく。

 その後ろ姿を見送りながら、横に座っているクリスに対して今心の中で思ったことを吐露する。


「……幼馴染とは分かってても、なんかジェラっとするな」

「ええ、ジェラジェラしますわ」


 病室に気の合った二人のハイタッチの音が響いた。






 病院の入り口(エントランスホール)。そこは健常者も、病人も、怪我人も、医者も、老若男女問わず行き交う場所であった。

 生と死の境目のような、明るくもどこか寂しさを感じさせるその場所に、ユーリとケイロンはいた。


 ユーリが受付のナースにヒロが目覚めたことを伝えたあと、二人は待合の椅子に腰掛けしばらく思い出話に花を咲かせていた。


「にしても、懐かしいね、そのハンドサイン。昔はよくこうやって冒険者ごっこしてたっけ」


 そう言って、ユーリは人差し指を横に向け、上下に揺らしてみせる。それはケイロンがベットを立つとき、ユーリにだけ見せたハンドサインであった。

 その意味は『ついてこい』。幼き日の彼らが決めた二人だけのハンドサインだ


「通じるか不安ではあったがな。なにせ随分前の話なうえ、お前はよく忘れていたし」

「む、失礼だな。僕だって大事なことはしっかりと覚えてるんだよ」

「大事なことか?」

「大事だよ。……ところで、話ってなあに? ケイちゃん」


 本題に切り込む。

 わざわざケイロンが場所移してでもユーリと話したかったこと。それはすなわち、ヒロとクリスには知られたくない話なのだろう。

 ケイロンはひと呼吸ほどおいて、ユーリに真剣な眼差しを向け、静かに言葉を放った。



「なぜ、ヒロに本当のことを言わなかった?」


 その質問にユーリは口を小さく開けたまま、言葉が出ないのか何も答えない。

 そして申し訳なさそうにケイロンから目を背け、組んだ手のひらに視線を落とす。


「……言ったよ。本当のこと」

「嘘だな。お前は嘘をつくとき、決まって目が泳いで下唇を軽く噛む。小さい頃から見てきたんだ、嫌でも分かる。

 まずその右手のことだ。お前は『大したことない』と言ったが、本当はそうじゃないんだろ? お前が紅蓮に放った“ショックインパクト”。勇者候補であるお前は光属性のその技を制御しきれずに、自身が放てる最大出力でヤツを殴った。おかげでヤツに決定的な致命打を与えることはできたが、その代わりにお前の右手は酷い火傷と骨折を負ったのは解っている。

 それにゴウラのこともだ。俺も詳しくは知らんが、紅蓮の蹴りを受けたあの時、確実にいくつか肋が折れている。その状態で無事であるはずがない。違うか?」


 彼女の心を見透かしたかのように、ケイロンはズバズバと推測を口にする。

 ユーリはそれでもなお黙秘を続けていたが、観念したのかたどたどしく話し始めた。


「……右手は、ケイちゃんの言った通り。しばらくは使い物にならないってさ。でもでも、一ヶ月もしたら動かすことくらいはできるらしいよ。それで、ゴウラは―――」


 言い辛いのか、言葉が詰まる。

 しかし、すぐに迷いを振り切ってゴウラの状態を話し始める。


「……ゴウラは、さ。初めて天帝竜と戦ったときに胸に死にかけるような酷い怪我を負ったんだ。その時はクリスとアリスのおかげでなんとか一命を取り留めたんだけど、それ以来体に爆弾を抱え込んじゃったんだ。そして今回の怪我でそれが爆発しちゃったみたいでさ。折れた肋骨が肺や内臓を傷付けるわ、骨がしっかり癒着しないわ。その上、ゴウラが最後に使ったスキルあるでしょ? あれが限界以上の力を引き出したせいで、全身がボロボロなんだって」

「……それで、どうなんだ?」

「命に別状はないって。でも、お医者さんが言うには……()()()()()()()()()()()()()みたい」


 ポツリ、ポツリと言葉とともに雫が床を濡らす。


「……やだよ。僕、もっと、ゴウラと一緒に、冒険したかった……!」


 ユーリの瞳には大粒の涙が浮かんでは、頬を伝って落ちていた。

 長く戦場をともにした仲間の喪失。兄のように頼っていた彼が離脱することは、ユーリにとって大きなショックであっただろう。

 隣で声を押し殺しながら泣く彼女に対して、ケイロンはそっと寄り添うことしかできなかった。



 ―――――――――



 ―――不意に目が覚める。視界には黒で塗りつぶされた天井が映る。

 ……今は夜か。昼目覚めたときと違い、周りはひどく静かで、病室の外で看護師が動く音が微かに聞こえる程度だ。


 確かあの後、ユーリに呼ばれたであろう看護婦とともに、僕は爆発したかのような白髪と瓶底眼鏡のいかにもな老齢の医者のもとに連れて行かれた。

 触診の後、あれこれと検査を受けさせられ、下された結果は『早ければ三週間後に退院ネ』であった。

 医者が言うことには、僕の治癒速度は異常らしい。担ぎ込まれたときは、少なく見積もっても半年は入院せねばならないほどの傷であったにもかかわらず、このように僅か一週間も経たずに動けるようになるのは見たことないとのことだ。


 これはやはり―――



 〔やはり、私によるところが大きいだろうね〕


 窓から差し込む微かな月明かりによって照らされた僕の影が、僕の動きに反して自律的にうねうねと動き始める。

 影は二次元から三次元へ、池の鯉が水の上に跳ねるように飛び出し、まるでマネキンのように曖昧な人の頭の形を取る。

 アメコミの敵役(ヴィラン)にこんなのいたなー、とか思いながら、僕は彼の名を口にする。


「やっぱお前か。紅蓮」


 名を呼ばれると、影は三日月状の切れ込みを作ってみせる。笑っているのか?


 ―――あの戦いの後、紅蓮は大人しく僕の中に戻ることを選んだ。

 ユーリたちの活躍によって倒されたとはいえ、コイツは僕と言葉通り一心同体。コイツに致命傷を与えれば、当然僕の方にもダメージが来る。

 故に僕が死にでもしない限り、コイツは消えることはない。

 こいつがいる限り、僕には常に乗っ取られる危険がある。

 忌避するわけではないが、どうも完全に信用できるわけではない。こうしてれば無害だし、こと戦闘においては頼れるやつなんだけどなぁ……。


「そう邪険にしないでくれよ。しばらくは乗っ取ろうなんざ思っちゃいないからさぁ」


 心臓が跳ね上がる。

 その声は確かに紅蓮のものだ。少しこもってはいるが、間違えようがない。

 問題はそれが僕の頭の中ではなく、はっきりと現実の音声で聞こえた、ということだ。


 パッと影の紅蓮に丸くなった目を向ける。

 紅蓮はさらに口角にあたる切れ込みを上へと吊り上げると、まるで生物と変わらない動きで滑らかに口を動かした。


「なに、驚くようなことではない。影魔導の応用さ。肺と声帯と舌と口、それを影で作ればある程度喋ることはできる」


 そう言って彼は大蛇のようにゆっくりと左右に揺れながら、僕に近づいてくる。

 その様に若干の気持ち悪さを感じ、自然と引きつった笑顔が出てくる。


「へ、へぇ……。随分と芸達者だな」

「元からできたわけではない。あの夜、君と私の体は一度完全な状態の鬼になった。その結果、君の体はより鬼に近いものとなり、鬼である私の魔力を通しやすくなったというわけだ」

「…………つまり?」

「……影魔導のレベルが上がった、とでも言っておこう」


 ため息を一つつき、彼は『それよりも』と一言を添えて話題を変える。


「ヒロ、君も分かってんだろ? 君の身体は人間のそれではない。今はまだセーブされている状態だが、力も、魔力も、回復速度も、私と同じ()()()()だ」

「……ああ。気づいてる」

「クク。低級とはいえ、君もこれで立派な怪物の端くれだ。歓迎ついでに今の気持ちでも聞かせてもらおうかな?」

「別に。思ってたより変わらないもんだと意外に思ってたくらいだ」

「君は一度、その魂すら鬼と化した。しかしながら、あの勇者共のおかげで、君は身体は鬼のまま再び強い人の意志を取り戻した。精神は変質せずにいるから、違和感を持たないのだろう。とはいえ、君の肉体は鬼と同等。さらには私の力の一部をその身に取り込んでいるはずだ。人間と比べ物にならない力を享受するといいさ」


 彼の言うとおり、確かな実感はないが不思議と生命力に満ち溢れている感覚がする。

 これならば、どのようなものだろうと負ける気がしない。そう考えると、何故か心の奥底から高揚感が溢れてくる。

 紅蓮は僕の精神は人間のままだと言ったが、それははたして本当なのだろうか? 以前の僕ならこの状況を嘆き、憂い、言いしれない不安に飲まれていたのではないか? 少なくとも強さに酔い痴れる神経はしてなかったはずだ。


 ―――だが今は、この異形の力が必要だ。



「ゴウラのことかい?」


 紅蓮は僕の考えていることをピタリと言い当てた。


「……勝手に人の心を読むなよ」

「君の顔を見てれば分かる。おおかた、私の神通力の一つ“他心通”を無意識に発動してしまったのだろう。ユーリの嘘を見抜き、ゴウラに何かあったことに気付いたな?」

「……少なくとも、生きてはいると思う。だけど―――」

「生きてるだけが無事とは言えない。ケイロンのように体の一部か奪われていたり、何らか酷い後遺症が残っていたり、もしかすると植物状態かもしれないなぁ」


 身を乗り出し、思わず手が出そうになる。

 何を他人事のように……! そうさせたのはお前のせいだ!

 僕の体の中に赤赤としたマグマが煮え滾る。


 しかしマグマは噴火することなく、理性の蓋で押し込められる。

 シーツを強く握り締め、歯を食いしばり、ただ噴き出す憤りを視線に乗せて紅蓮に向ける。


「殴ってくれてもいいんだよ? それで君の気が晴れるのなら」

「……いや、いい。お前を憎く思う気持ちは拭えきれないけど、それもこれも()()()()()。僕が弱いから、何も守れなかった」


 紅蓮を抑えきれずゴウラを傷付けたことも、勇気(カーレッジ)を倒すために紅蓮に体を明け渡したことも、勇気(カーレッジ)からフローラちゃんを救えなかったことも、全て僕の弱さが原因だ。

 誰も責めるわけにはいかない。責められるべきは僕なのだから。


 だからこそ、僕は強くならなければならない。

 ゴウラの代わりになれるように。紅蓮に支配されないように。倒すべき敵を倒せるように。そして、誰も傷つけられないように。

 僕は強くなる。それが僕の贖罪だ。



「……もっと自分のために生きれば良いものを……」


 紅蓮が何かをボソリと呟いたかと思うと、カーテンで隔たれた隣のベッドからシーツがこすれる音とともに寝起きと思しき声が飛び込んだ。


「ヒロ……? 起きていたのか……?」

「……! え、ええ。ちょっと目が冴えちゃって……」


 言葉にせず、紅蓮に引っ込むよう指示を送る。

 紅蓮はその要求を素直に飲み、僕の影へと静かに溶けていった。


「ちょっと独り言を言ってたんでけど、起こしちゃいましたか?」

「いや。俺も目が覚めただけだ」

「そう、ですか……」


 その後、しばらく夜本来の静寂が病室に満ちる。

 気まずさとはまた違う、嫌な感覚がこの身に纏わりつく。

 それは多分、夜という非日常への畏れなのだと思った。闇に溶けていくような不安。闇から人ならざるものが現れ出るのではないか、という恐怖。

 ベッドに潜り込み、目を閉じて、いつか訪れる眠りに身を任せれば、この嫌な感覚から逃げられるだろう。

 だけど僕はそうはしなかった。


「あの……ケイロンさん。起きてます、か……?」


 勇気を持って、夜の静寂を切り拓く。

 とはいえ、その声は周りに気を遣った、小さく、か細いものだった。


 このまま返事がなければ、僕も寝てしまおう。

 そう思ったとき、僕とほぼ同じ声量で声が投げ返された。


「……どうした?」

「あ、いえ。……ケイロンさんにちょっとお願いがあって」

「それは俺じゃなきゃだめなのか?」

「いえ、嫌でしたら断って構わないんですけど」

「冗談だ。まずは言ってみろ。決めるか決めないかはその後だ」


 つっけんどんな態度だが、その奥には確かに優しさがあった。


「ありがとうございます。実は―――」



 ―――――――――



 ―――数週間が過ぎた。

 街はあいも変わらず平和を謳歌していた。

 “殺人坊や(キラーベイブ)”やそれより恐ろしい鬼の存在など知らなかったかのように。



 ゴシック風の大聖堂の一角、花束で彩られたとある大理石の棺の前に彼はいた。

 黒い髪に黒で統一された服。手には純白の菊が握られている。

 ホコリも被っていないその真新しい棺の上に、少年は菊の花を添えた。


「……遅くなって、ごめんね。フローラちゃん」


 少年――ヒロは小さく謝ると、合掌して瞼を閉じる。

 ほんの五秒ばかりの短い黙祷を終えると、彼は再び瞼を開き、その棺に向かって話しかける。


「こっちのお見舞いの作法が分からなかったからさ、僕のところのやつでやったんだけど、これで良かったのかな?」


 彼の質問に棺の上に彫られた少女の像は答えない。

 まあ答えないか、と小さく笑うと、彼は瞳に悲しみの色を濃くする。


「…………言いたいことが、いっぱいあるんだ。君の仇を討てたこととか、その後ちょっと大変なことになったこととか……あ、これは僕の自業自得なんだけどね。でも、今日は時間がないんだ。ケイロンさんに頼んで、無理矢理この大聖堂を貸し切ってもらったんだ。だから最後にこれだけは言っておこうと思う」


 微笑みを作りながら、少年の目尻には涙が溜まっていく。

 溜まった涙は溢れ出し、零れ落ちた。


「……僕は、君が、大好きだった……」


 嗚咽混じりに、冷たい棺に愛を告げる。

 途端に感情が破裂し、笑顔を作ることも忘れ、彼は静かに泣いた。

 すすり泣く声が大聖堂の中を何度も木霊する。

 ただ孤独だけが彼を慰めた。



 しばらくして、ヒロが落ち着き始めた頃、見計らったかのように大聖堂の扉が開く。


「ヒロ。時間だ。もう行くぞ」

「……はい。今行きます、ケイロンさん」


 涙を拭い、最後に一言、別れを告げる。


「……じゃあね、フローラちゃん」


 棺に背を向け、扉に向かって歩く。

 数歩歩いた、その時―――



 ――― 私も 大好きでした ヒロ様 ―――



 咄嗟に振り向く。

 ステンドグラスから日の光が射し込む。その光の中に白いドレスを身に纏った少女が手を振っている姿を少年は見た。

 しかし、一瞬のまばたきの後にその姿は泡沫のように消え去った。


 今のは夢か幻か。……いや、どちらでもいい。

 ヒロは優しい笑みを浮かべ、再び扉へと歩いていった。

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