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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第四章 勇気の詩〜悪鬼決闘編〜
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第71話 二つの拳

気付いたら二ヶ月も空いてました……

 ―――私は強い。少なくとも、木っ端な人間どもよりは確実に。

 それは自負などではなく、明確な現実だ。


 私が軽く腕を振れば、目の前の人間の頭は微塵に砕け散る。

 私が睨めば、心の弱い者は恐怖で縮み上がり、死ぬ者すらいる。

 駆ければ全力の虎を追い抜かし、跳べば空飛ぶ燕をも超えてみせる。

 それが私だ。


 天性の身体能力。卓越した戦闘技術。熟練の魔導士にも引けを取らぬ妖術・鬼術。

 生まれ持ったものの上に胡坐あぐらをかいていたわけではなく、様々な修行を経て培われた我が力。

 それらを有する私が人間に劣るはずがない。()()()()()()()


 だのに、なぜ、この私が押されているのだ―――!?






 あれからどれほどの時間が経過したのだろうか。

 正確な時間までは判らないが、それほど長くは経っていないだろう。


 気を失っていたハンターが一人、また一人と立ち上がる。

 しかし彼らは何をするでもなく、ただじっと目の前の戦いに釘付けとなっていた。


 それはまるで稽古に稽古を重ねたあとの殺陣たてでも見ているかのようだった。

 予定調和のように寸分の狂いなく行われる応酬は、思わず息を呑み見惚れるほどであった。

 特にその舞台の中心にいる和服の男には誰もが目を見張った。

 数人の攻撃が集中しているにもかかわらず、男はその場から一メートルも離れずにさばき返していた。

 その様は“武闘”というより“舞踏”。ヒラヒラと飛ぶ蝶のように、バレエのプリマのように、彼は華麗に舞い踊っていた。

 しかし、反してその顔に余裕はなく、なんとも悔しそうであったことを見る人々に印象づけた。




 武器が重なるごとに鋭い火花が飛び散る。剣戟の響きが夜の闇に木霊する。

 戦いの熱は冷めやらぬ事無く、それどころか時が経つにつれ勢いが増しているようにも見える。

 それでも疲労は着実にたまり、凍えるような気温にかかわらず、肌には真珠大の汗が無数に浮かんでいた。

 吐く息は白く曇り、火照った体から蒸気が溢れ、喉は血の味と乾きが支配する。

 それはユーリ達は勿論、無双の超人かのように思えた紅蓮とて同じことであった。


「クッ……!」


 紅蓮の口から苦しそうな音が漏れる。

 たとえ人外の膂力を振るおうと、たとえ無数の傷を癒やそうと、失われた体力や魔力は元には戻らない。

 紅蓮の脳裏には、“スタミナ切れで敗北する”という最悪の未来がかすめていた。


(チィ……! このままではジリ貧か。こいつ等を一掃するのは容易い。しかし―――)


 紅蓮の腕から赤黒い炎が噴き出す。

 目の前の者共を一掃せんと紅蓮が腕を突き出す。

 その時、青年の声が響いた。


「スキル“ターゲット”!!」


 放たれた黒炎は紅蓮の眼前には広からず、吸い寄せられるように明後日の方向へと飛び去っていく。

 黒炎が向かう先には、鎧の青年が身を覆うほどの盾を構えていた。

 そして今、凶悪な黒炎が青年を飲み込む。


「ゥ、グウゥ……ッ!」


 盾越しにでも伝わる熱気。圧し潰れてしまいそうなほどの魔力の圧。

 思わず歯の間から呻きが漏れ出てしまう。

 なんとか耐えきるものの、鋼でできた盾はあまりの高熱に所々歪に融解け、鉄壁の守りの後ろにいたはずのケイロンにまでも僅かばかりのダメージが及んでいた。

 火傷を負ったケイロンだが、すぐさまクリスが高位の回復魔導を行使する。

 降り注ぐ淡い光は傷付いた騎士を見る間に癒やしていった。

 その様を見て、紅蓮は小さく舌打ちをした。


(厄介なのはあの二人。強力な攻撃を引き寄せるスキルとそれを耐え切る堅さを持つ壁役タンク、広範囲・高効率といった多岐に渡る回復魔導を使う回復役ヒーラー。双方とも私を倒し切る実力は無いにしても、支援に回っているぶん面倒だ。あのどちらかを先に始末にしなければならないか。なら―――)


 持ち前の怪力で周りを吹き飛ばすと、神足通で一時その場から姿を消す。

 飛んだ先はクリスの背後だった。


「まずは君からだ」


 誰かが駆け出す。一瞬遅れて、誰かが彼女の名を叫ぶ。それに気付いたクリスも咄嗟に振り返る。

 だが、間に合わない。避けることも、逃げることも、庇うことも、守ることも、紅蓮の一撃より遅い。

 高く振り上げられた、夜の闇に吸い込まれそうな程に真っ黒な金砕棒が月と星の光に照らされ、鋭く輝く。

 その恐ろしい紅蓮の姿を見て、クリスは自身の死を直感する。

 そして、その死が再現されようとした。




 〔やめろッ!!〕




 ピタリと動きが止まる。まるで金縛りにあったかのように、金砕棒を振り上げたまま一寸も動かない。

 石像のように固まってしまった紅蓮に対し、クリスを助けんがために駆け付けたユーリが懐に潜り込み、剣を一文字に切り払う。

 しかし、直前で意識を取り戻した紅蓮は大きく飛び退いて、ユーリの一撃を寸前で躱す。


「クリス! 無事!?」

「はい、お陰様で。それよりも今のは……」

「……うん、間違いない。ヒロが頑張ってくれている」


 二人は紅蓮を見つめる。

 彼は少し離れた所でユーリ達を警戒しつつも、苦しそうに身を悶えていた。


「ぅ、くっ……。ヒロ、まだ抗うか」



 ――――――――――



 ヒロの精神世界、その奥のまた奥。

 暗黒の中、ポツンと置き去りにされたかのような小さな白いステージの上で二人の男がぶつかり合っていた。

 否、ぶつかり合うというにはそれはあまりにも一方的であった。


 ヒロが必死に向かっていくも、紅蓮の前では赤子も同然。軽くいなされては、重たい蹴りを身に受け吹き飛ばされる。

 既に何度も攻撃を受けたのだろう。ヒロの体は所々擦り傷や青あざが出来上がっており、すっかりボロボロの状態。息は上がっており、剣を掴むその手もプルプルと震えていた。


 しかし、それでも彼は立ち上がる。

 挑んではあしらわれ、また挑んではまた殴り飛ばされる。何度も何度も挑んでは、何度も何度も吹っ飛ばされる。

 それでも諦めない。地べたに這いつくばる度に、ヒロはふらふらと立ち上がり、覚束ない足取りで紅蓮へと向かっていく。

 その姿に紅蓮も哀れに思ったのか、生ける屍の様なヒロに声をかける。


「……もうやめろ、ヒロ。これ以上抗って何になる」


 紅蓮の声は淡々としていたが、どこかヒロを憂いている風でもあった。

 だが、その声すら彼の耳には届いていないようだ。

 ヒロは弱いながらも一歩ずつ歩き続ける。まるでそれは何かに取り憑かれているかのように。

 そして、紅蓮の目の前までようやく辿り着くと、拳を掲げ、持ちうる全力で殴る。


 ―――トン


 決して強いとは言えない拳が鳩尾に当たる。

 それがどれだけのダメージを与えたかは、急所を殴られても平然としている紅蓮の顔から察しが付くことだろう。


 ヒロの一撃は確かに全力のものであった。

 だが、悲しいかな、満身創痍の彼が放てる全力は紅蓮の鋼の肉体には到底通じない。


 余りに滑稽。余りに愚か。そして、余りに不憫。

 どれだけ意地汚く足掻こうと、どれだけ泥をすすろうと、紅蓮には遠く及ばない。

 それは馬鹿にも分かる結論であった。

 だというのに―――


「―――何故、諦めない?」


 その瞳には未だ闘志が宿っている。その顔は無理やり作った不敵な笑みが浮かんでいる。

 もう立っていることさえ限界だというのに、彼の心はまだ折れてはいなかった。


「……僕が、ここで踏ん張れば……そのぶんユーリたちも、有利になる、だろ? 僕個人に勝機はなくても、あいつらがお前を倒したらこっちの勝ちだ」

「……なるほど、道理だな。しかし、それは悪あがきにすぎな―――」

「それに」


 紅蓮の言葉を遮り、ヒロは屈託のない笑顔を見せる。


「楽しいんだ。お前と戦えることが」


 ヒロの一言に紅蓮は困惑する。


 ―――“楽しい”だと? 何をとち狂ったことを言っているんだ?

 そんなボロ雑巾のような体を引き摺って、今にも死にそうな息遣いで、それでも()()()だと!?


「何を、言って……」

「さあ? 僕だってなんでこんな気持ちになってんのかわかんないよ。でも、お前だって楽しいだろ?」

「……世迷言を……」

「そうでもないよ。だって、ほら、顔が笑ってる」


 ヒロの言う通り、紅蓮の顔には恐ろしいまでに嬉々とした笑みが貼りついていた。

 いくら表面で取り繕おうと、いくら理性で抑えていようと、この溢れ出る戦いの本能は止められなかった。

 紅蓮はその事を自覚するとともに、恥じるように感情を隠すことを止める。

 赤い瞳は爛々と輝き、頬まで開かれた口から白の牙が覗く。ヒロに向けるその表情は実に恐ろしく、実に楽しそうであった。


「……フ、フフフ、ハハハハハ!! “楽しい”か! まったくもってその通りだな!! 私としたことが、自身の感情に気づけぬとはな!」


 元来、鬼という生き物は己の本能、欲望でのみ動く。

 腹が空けば種族を問わず糧にし、欲すれば持ち主を殺してでも奪い取る。

 そして戦場に立てば、自他の所用など気にも留めず、気の赴くまま暴虐の限りを尽くす。


 それは紅蓮とて同じこと。

 どれほど高尚な精神で律していても、その胸から溢れる闘争心は抑えきれるものではない。

 それは自身が窮地に陥るほど、熱く、激しく、猛火の如く猛る。


「礼を言うよ、ヒロ。これで気兼ねなく暴れられる」

「僕としてはもうちょい手加減してくれてもいいんだけどなー」

「ハハ。そう遠慮するな。それでは……」


 おぞましい妖気が紅蓮を中心にして渦巻き始める。

 それは、さらなる暴力が行われることを意味していた。


(身体と精神、その両方から攻撃を受けてあいつも弱ってるはず。なのに、まだこんだけの力を隠し持っていたのか……!)


 煽るんじゃなかった、とヒロは後悔とともに乾いた笑い声を零す。

 そんな感情を気にも留めず、紅蓮はさらに魔力を練り上げる。

 そして、合掌した。


(来る……!)


 目元に描かれた朱い隈取が顔を覆い尽くすように広がっていく。

 それだけではない。首や手、服から除く皮膚に朱い文様が浮かび上がる。

 恐らくこの文様は体全体に広がっているに違いない。


 普段、ヒロが鬼人モードと称する“鬼化の術”。紅蓮が用いたのはそれだ。

 しかも、いつもひろが使うような半端なものではない。

 個人の能力を100%以上引き出す、完全な状態だ。

  これこそが彼本来の力、“鬼神”と畏れられた姿だ。


「―――征くぞ」



 ――――――――――



 現実の世界では、突如姿が変わった紅蓮に対して、皆が思わず息を呑んでいた。


 体は一回り肥大しており、服の上からでも判るほどに筋肉は隆起し、熊のように大きく変化した掌には小刀のような爪が伸びている。 

 人外の角はさらにそそり立ち、黒く艶のあった髪は針山みたく逆立ち、赤く灯った目玉は飛び出さんが如く見開かれる。

 獣のように耳まで裂けた口からは収まらない巨大な牙が見え隠れし、そこから地獄にまで届きそうな低い唸り声が漏れていた。

 それは御伽噺に出てくるような、恐ろしい怪物の姿であった。


「……化け物め」


 その場に居る全員の心を代弁するように、ケイロンが小さく言い捨てる。

 だが、それを聞き取った紅蓮は不快を示すどころか、より凶悪な笑みを返す。

 その顔を見て、今日何度目かの色濃い恐怖を再び味わう。

 しかし、その度に勇者ユーリが恐怖を払い、勇気を奮い立たせる。


「皆! ここが頑張りどころだ! いくよっ!!」

『応ッ!!』


 ユーリの掛け声とともに、全員が紅蓮を囲うように散開する。


「補助魔導“オールブースト”!」

「火炎魔術“炎の障壁(ファイアウォール)”!」


 クリスが全体にバフをかけると同時に、アリスが紅蓮の周りに炎の壁を展開させる。


(目くらましのつもりか……。そのようなもの、この私には通じんぞ)


 天眼通、天耳通、他心通、そして宿命通。範囲索敵に特化したこれらのスキルを持つ紅蓮の前では、この程度の小細工は意味をなさない。


「……左」


 金砕棒を横一閃、左へ振るう。

 直後、大剣が炎を割ってその姿を現した。


 重なる鉄と鉄。二つの鉄の塊は互いに譲らないまま、動きを止めた。


「ゴウラ。いくら馬鹿力の君でも、私と比べれば足元にも及ばん。それは君も理解しているだろう?」


 問いかけに、ゴウラは食いしばった歯を即座に開くことはなかった。

 “自身の力は紅蓮の足元にも及ばない”、そう彼が言ったことを自分も理解していたからだ。


 一見すれば二人の力は拮抗しているようにも見えるが、その実違う。

 修羅が如き形相で大剣に両手で力を込めているゴウラに対して、紅蓮は涼し気な表情をしながら金砕棒を片手で支えていた。

 一流の武芸者は剣を重ねてみて、相手の力量は真に判るという。ゴウラも同じくその大剣を通じて、紅蓮という存在の大きさを知った。


 ―――コイツに、自分では敵わない。


 余りにも強大な存在。彼の目には、その姿は実際より何倍も大きく見えたことだろう。

 皮膚は炎の熱とは別に冷たい汗が吹き出し、呼吸は自然と早くなる。

 一瞬だけ「背を向けて、今すぐ逃げてしまえ」と悪魔が囁く声が聞こえた。


 だが、すぐに下らない邪念を吹き飛ばす。

 それはユーリに鼓舞されたわけでも、仲間の存在があったわけでも、ヒロを救けるという高尚な理念での行動でもない。

 戦士としての誇りが逃走を許さなかったのだ。


「……へっ。確かにテメエの言う通りだ。俺じゃあ紅蓮、テメエには勝てないだろうさ。だがな、このままおめおめと引き下がるわけにもいかねえんだよ!!」


 渾身の力を振り絞り、金砕棒を弾く。

 そうしてできた一瞬の隙きを衝き、起死回生の一手を打つ。


「スキル“ビーストソウル”!!」


 周りの炎を纏ったかのように、ゴウラから皮膚を灼くような濃密な闘志が放出される。

 その出で立ちはまさに、理性を忘れ闘争本能の赴くままに闘う狂戦士(ベルセルク)を彷彿とさせた。


 今、獣の如き雄叫びとともに、大剣を紅蓮に向ける。

 大剣を振り抜くその速さは、先程とは比べ物にならず、格段に増していた。

 しかし、これも寸前で紅蓮に受け止められてしまった。


(さっきより速く……それに重い……ッ!)


 速度が向上していれば、腕力も俄然向上している。

 金棒越しに伝わるその圧に、紅蓮はヒヤリと汗をかく。


 ゴウラの攻撃は一撃に留まらない。

 二撃、三撃。唸りを上げながら、息をつかせる間もなく何度も大剣を叩きつける。

 当然、紅蓮もこれに金砕棒で応じる。


 二人の繰り広げる光景は、闘いと言うには程遠いものであった。

 互いに防御などまともにせず、身を削りながら暴威を振るう。

 その凄まじさは彼らを覆う炎を衝撃のみで吹き散らすほどであった。

 だが、この小さな嵐も長くは続かなかった。


 それはまぐれか、それとも一瞬の油断が生んだ必然か。大剣が紅蓮の脇腹を捉える。

 冴えた一撃はメリメリと肉を裂きながら、深く沈み込む。

 これには紅蓮も堪らず血反吐とともに、噛み潰したような呻きを吐き出す。


「この……調子に、乗るなッ!!」


 脇腹に剣を突き立てられたまま、紅蓮は目の前の胸に蹴りを入れる。

 パキリ、と小気味の良い音を立てたかと思うと、ゴウラはその場で力なく倒れ込んだ。

 地に倒れ、呻くだけとなったゴウラを横目に、脇に突き刺さったままの大剣を引き抜き、鮮血が吹き出る穴を手で塞ぐ。


 受けた傷は筋肉と自前の再生力で止血できる。大した問題ではない。

 しかしこれほどの傷を、しかもただの人間と侮っていた相手に受けたことは事実。その事実のほうが紅蓮にとっては大きな問題であった。


 認めたくはないだろうが、彼は確実に疲弊している。

 身体の不完全な支配、残り少ない魔力の運用、そして精神(ヒロ)の抵抗。

 紅蓮が完全無欠であろうと、それは状態が万全であるときの話。こうも状況が不利であれば、彼の本来の力も発揮できまい。

 そのことを、紅蓮は血糊がベッタリと付いた自身の掌を見て思い知る。


「褒めてやろう、ゴウラ。君程度の人間がこの私に一太刀浴びせたのだ。誇っていい」


 ゴウラの大剣を片手で持ち上げ、その刀身を眺めながらそう言った。


「でも、やっぱり君ごときが私に楯突いたのは気に食わん。故にここで死ね」


 横たわるゴウラに向け、巨大な刃を躊躇なく振り下ろす。

 ゴウラは先程の蹴りでアバラのいくつかが折れていた。躱すどころか、呼吸さえ困難な状態であろう。


 ―――ここまでか。


 彼がそう死を覚悟したその時、一人の女性の声が轟いた。


「火炎魔術“炎の鞭(ファイアウィップ)”!!」


 すると、吹き散らされたはずの炎の残滓が集まり、ひっつき、そして一つの紐として紡がれた。

 紐は紅蓮に襲いかかり行動を牽制すると同時に、動けないゴウラに巻き付き、彼をその場から逃す。

 紅蓮は鞭の射程外まで一跳びで後退すると、横槍を入れた相手を睨みつける。


「アリス。君は実力の差を弁えないほど馬鹿ではないと思っていたんだけどね」

「御生憎様。どうやらアナタの想像以上におバカさんだったみたいね、アタシ」


 アリスは懐から液体の詰まった小瓶を取り出し、中の液体を一気に飲み干す。

 小瓶に入っていた液体は魔素(マナ)がたっぷりと溶け込んだ高純度エーテル水。アリスが大枚叩いて買ったはいいが、結局勿体なくて中々使わずにいた代物だ。

 全快とまではいかずとも、あともう一回大技を発動するくらいには魔力を回復させる効果はある。


 アリスは空になった瓶を投げ捨てると、すぐに魔力を杖に込め始めた。


「大火炎魔術“焔の嵐(フレアストーム)”!!」


 杖の先端が真っ赤に光るやいなや、そこから超高温の炎が竜巻が如く渦巻いて現れた。

 焔の嵐はそのまままっすぐと紅蓮に襲いかかる。


 だが、紅蓮もただ傍観しているわけではない。

 大剣を手放し、掌をアリスに向けると、黒炎を彼女へと放射する。


 衝突する火焔と黒炎。まるで鋼をも熔かすような高熱がその場を支配する。

 二つの炎の激突は押しあったまま拮抗状態に陥った。


(黒炎の火力が弱まっている……。それに腹の傷の治りも遅い。これ以上遊んでいる余裕はない、ということか)


 残り少ない魔力を惜しみなく黒炎に注ぐ。

 勢いを増した黒炎は均衡を崩し、アリスの焔嵐をジワジワと飲み込み始める。

 アリスも魔力を捻出して対抗するが、元より底をついている。火力の増加も微々たるもの。

 黒炎が焔嵐のほとんどを飲み込み、アリスの目と鼻の前まで迫る。

 そして、アリスが黒炎の餌食となるかと思われた。



 ―――その時、突然紅蓮が不意に体勢を崩した。


(ヒロ……! このタイミングで……ッ!!)


 集中の糸が断たれたことにより、黒炎は霞のように消え去った。

 僅か一瞬ばかりの眩暈めまいの後、紅蓮の視界を猛火が埋め尽くす。

 神足通による回避も、神腕通による防御も、魔力が十全に練れないこの状況では不可能。

 ただこのまま直撃してはいけないと腕を交差させた、その直後、紅蓮の姿は焔嵐に覆い尽くされた。


 天上まで焦がすかのような巨大な火焔の竜巻が火の粉を振りまきながら燃え盛る。

 しかし、その猛威もアリスの魔力が尽きるまで。ほんの数秒後、竜巻は勢いを失い見る間に萎んでいった。

 そこから現れた紅蓮は―――未だ二本の足で立っていた。

 とはいえ、相当のダメージを受けたようで、彼は項垂れながらピクリとも動かない。

 “ようやく明確な勝機が見えた。” そう思いアリスが無意識に喜びの笑みを浮かべた、その瞬間



「―――よくも、やってくれたな」



 腹部に強い衝撃が走る。嘔吐感と共に、全身から血の気が引いていくことがありありと分かる。

 目の前には、いつの間にか紅蓮が立っていた。彼のその拳はまっすぐと自身の腹部に繋がっている。

 体が言う事を聞かない。どうすればいいのか考えようにも、頭がぐちゃぐちゃになってまともに思考が回らない。

 ただ痛みと苦しみだけが全てを支配して、アリスは倒れる事しか出来なかった。


 吐瀉物と土で顔を汚したアリスを見下しながら、紅蓮は五本の指をピタリとくっつける。

 鋭い五つの爪が合わさったその様は、よく研いだダガーを連想させる。

 それを今、アリスの喉笛めがけ突き立てた―――!



「“虎掌”ッ!!」



 突如、大きな空気の塊が砲弾となって紅蓮を襲う。

 直前で察知した紅蓮は驚異的な跳躍をもって、その場から飛び退く。

 次の瞬間、紅蓮の目の前を小さな嵐が通り過ぎていった。

 それは彼の立っていた場所をガリガリと削りながら、広場を囲う街路樹を薙ぎ倒す。


 紅蓮は思わず冷や汗を流す。

 今のが直撃したらと思うとゾッとしない。


(今のはリンの―――)


 次の瞬間、背後に気配を感じ取る。

 紅蓮は咄嗟に振り返り、手のひらを突き出す。

 振り返った先には、今まさに攻撃を繰り出そうとするリンの姿があった。


「“虎掌”ッ!!」

「神腕通ッ!!」


 相剋する二つの衝撃。二つは混じり合い、一つの空間のひずみになると、シャボン玉が割れるように弾けた。

 それが起こす余波は凄まじく、大地が小さく震え、突風が巻き起こる。


 突風により吹き飛ばされ、已む無く距離を開ける紅蓮とリン。

 だが束の間。どちらが仕掛けたか、二人は距離を詰めると怒涛の殴り合いを始めた。

 徒手格闘の実力はほぼ互角。膂力をとっても、技術をとっても、甲乙付けがたい。

 とはいえ、このままでは平行線。どちらも決め手が欠けた状態だ。

 先に仕掛けたのはリンの方であった。


「秘技の壱“空子からし”!!」


 まるで鞭が打たれたかのような乾いた破裂音が響く。刹那、紅蓮の顔面に衝撃が走った。

 紅蓮は何をされたのか一瞬理解できなかったが、少し遅れて自身が殴られたのだと把握した。


(なんだ、今の一撃は……!? ()()()()()()()……!)


 天眼通を抜きにしても、紅蓮の動体視力は常人を遥かに凌駕している。

 おそらくプロボクサーのジャブを正面にしても、難なく躱し、お返しに一撃加えることだろう。

 だが、その彼でさえ先程の一撃は視認すらできなかったのである。

 攻撃が見えなければ当然身を防ぐことも不可能。

 しかし―――


「確かに、速い。だが、()()


 リンの十二の秘技、その一つ“空子”

 リンが持ちうる技の中で最も速いこの技だが、同時に最も威力の低い技もこれである。

 この技はボクシングにおける“ジャブ”と同様、腰の回転や踏ん張りを使わずに、腕の筋肉の瞬発力のみで放たれる。力を殺して速さのみを追求した技なのだ。


「いくら速かろうと、豆鉄砲に毛が生えた程度の威力では私には効かんぞ!!」


 再び拳と拳が交わる。

 リンは何度も空子を放つ。数発見事命中するが、紅蓮の鋼鉄の肉体には通じない。


(ちょっぴり驚きはしたが、やはりこの程度。なにが“英雄級”、なにが“破壊僧(デストロイヤー)”だ。聞いて呆れ―――)


 瞬間、見据えていたはずのリンの拳が消えた。


 ―――またカラシとかいう技か。


 刹那のうちにそう判断した紅蓮は気にも留めない。

 しかし、その判断は誤りだった。


 紅蓮はいくつかの過ちを犯した。

 まず第一に、リンの攻撃ばかりに気を取られ、拳のみ注視し彼女の動き全体を見ていなかったこと。

 次に、リンの実力を見誤ったこと。

 最後に、拳が消えたことに気づいたにもかかわらず、防御をしなかったことだ。



 拳が消えた次の瞬間、またもや紅蓮の顔面に一撃が入る。先程とは比べ物にもならないほどの強烈な一撃が。

 あまりの衝撃に脳が揺れ、鼻から大量の血液が滴る。


「“闘・空子(トウガラシ)”」


 空子は最速の拳。その速さたるや()()()()()()()()ほどだ。

 つまり、紅蓮は拳が消えた時点で別の、強力な攻撃が来ることに備えなければならなかったのだ。


 空子の改良系、“闘・空子”

 空子に体全体の動きを加え、速さを削った代わりに威力を高めた、まさに“必殺の拳”である。

 速さと威力を極限にまで両立させたこの拳なら、紅蓮の堅固な肉体も破壊しうる。


(空子は前座……! この技を出すための布石だったか!!)


 紅蓮はすぐさま体勢を立て直す。

 同時に、その瞳は次の技を出す予備動作を行うリンの姿を捉えた。

 また何らかの攻撃が来る、そう考えたのだろう。紅蓮は防御の体勢を取る。

 しかし、リンの拳の軌跡は紅蓮のガードを掻い潜るように動き、再三ダメージを与えた。


「秘技の陸“壱蛇イチミ”!」


 一撃では終わらない。

 ふらつく紅蓮にさらに数撃、立て続けに殴りつける。

 そのすべてが先程同様、紅蓮の防御をすり抜ける。


「秘技の陸・改! “漆蛇シチミ”ッ!!」


 怒涛の連撃がすべて決まる。

 だが、リンの猛攻はまだ止まらない。

 息をつかせる間もなくリンは必殺の技を繰り出す。


「奥義“七連閃弾”ッ!!」


 漆蛇と闘・空子を組み合わせた絶対必中の最強奥義、それこそこの“七連閃弾”。

 英雄級であるリンが奥義と銘打つだけあって、その威力は絶大だ。

 回避不能、一撃必殺、反撃の余地すら与えない神速の七連撃が紅蓮の体に打ち込まれる。



 誰もが大小はあれど、勝利を予感した。

 英雄級“破壊僧(デストロイヤー)”シャオ・リンの秘技、その尽くが決まったのだ。

 “勝った”と喜びに酔いしれても無理はないだろう。

 実質、リンの秘技―――特に最後に放った奥義は、低位の魔物や鍛えていない人間なら確実に屠れる威力を持つ。

 それをいくつも受けたのだ。平然としている方がおかしい。


 ―――しかし、数歩後退りはしたものの紅蓮は立っていた。


「……この程度か。英雄級」


 無傷、とまではいかないものの、彼は仁王が如く堂々と立ち上がる。

 その姿に誰もが感嘆のため息を漏らしそうになる。

 素手での格闘において他に追随を許さないリンの奥義を受けてなお、立ち上がるその屈強(タフネス)さ。それは敵味方の立場を超えて讃えられるものであった。


「確かに、奥義というだけはある。避けることも防ぐこともできないその技は称賛に値する」

 だがな、と紅蓮は一区切りをつけ、ニヤリと笑ってみせる。

「避けることもできず、防ぐこともできないのならば、受け止め、ただ耐えればいい。それに、その技はもう()()()()。そう安安と当てられると思うなよ」


 リンは構えたまま、眉をピクリとも動かさない。

 まるで凍りついたかのように硬直しながら、空間が歪むほどの闘気を発する。

 その闘気に当てられた紅蓮も、同じく闘気を発し構えを取る。

 虫や鳥すら寝静まる深夜。静寂の中、空気だけが渦のように荒れていた。

 緊張が走る空間の中、リンが静かに声を出した。


「私の技はしっかり覚えたかしら?」


 それは紅蓮にではなく、()()()()()()()に送られたものだった。


「ああ、当然だ」


 とっさに振り向く。

 紅蓮は向いた先には、赤い髪をたなびかせるエピーヌの姿があった。

 先程のリンの闘気はフェイク。それで紅蓮の注意を引き、その間にエピーヌはスキル“気配遮断(ステルス)”で彼の背後に回っていたのだ。


 彼女の手にはいつもの刺突剣(レイピア)ではなく、しっかと握られた拳があった。

 エピーヌの固有能力(ユニークスキル)は“完全透写(パーフェクトトレース)”。一度見た技を再現できる能力だ。

 そして彼女は先程の二人の格闘を見ている。リンが放った技も一緒に。

 それらが導き出す答えは一つ―――“七連閃弾”が来る!


(しまった! 先手を取られた!)


 咄嗟に飛び退き距離を取ろうとした矢先、その後ろから声が聞こえた。


「逃さないわよ」


 前門のエピーヌ、後門のリン。

 いくら技を見切ろうと、いくら肉体(からだ)が強靭であろうと、挟み撃ちにされればどうしようもない。

 そして、その時は来た。


「「“七連閃弾”ッ!!」」


 前後から打ち込まれる十四の拳。

 為す術もなく全て受けた紅蓮は空中へ打ち上げられた。


(……()()……。これも……私を仕留めるためのものではない)


 満身創痍の体を空気のゆりかごに任せ、目だけを動かす。


(どこだ……? 私を確実に倒すのなら……()()を使うはずだ)


 残された魔力をフル稼働させ天眼通を発動させる。

 そして彼はようやく見つけた。矢を番えるケイロンの姿を。


 彼らが考えた策は非常にシンプルなものだった。

 ケイロン以外が紅蓮を引き止め、数秒動きを止める機会を作る。

 その機会を用いて、ケイロンが帝国最強の一撃“一角一閃(サーロスモノケロース)”を叩き込む。

 単純だが、信頼の高い策であった。


「喰らえッ! “一角一閃(サーロスモノケロース)”ッ!!」






 ―――バギンッ!!


 矢が虚空を貫く音を、そのような音が掻き消した。

 ケイロンの瞳に写ったものは、夜の闇に吸い込まれる己の矢と自身の真っ赤な血飛沫だった。

 大弓を支える右腕に視線を移せば、そこには上腕を噛み砕く紅蓮の姿があった。


「―――ぐああアァァぁアアああっっ!!!」


 激痛を叫びに変え、その場にいる全員に伝える。

 振り解こうともがくも、紅蓮は鰐のように咥えこんで離さない。


 “神足通”、紅蓮が持つ神通力の一つだ。

 その能力の概要は有り体に言えば“どこへでも立てる能力”。更に厳密に言えば“任意の場所に存在を確定させる能力”である。

 水面、針先、天井、果ては空中にまで、彼が指定した足場へと瞬間的に移動し、重力に縛られず立つことができる。

 制約はたった一つ。行動の際は()()()()()()()()()()()()()()ことだ。

 その行動が可能なら()()()()()()()その能力を行使できる。

 紅蓮は空中へと打ち上げられた状態で空気を蹴り、ケイロンの元へと現れたのだ。


 バキリポキリ、と鎧とともに中の骨肉が噛み砕かれる。その度にケイロンの悲痛な叫びが木霊する。

 このまま放っておけば彼の腕はもう二度と使い物にならない状態になるだろう。


 そのような状況であれば、誰もが逃れようと足掻くだろう。

 しかし、ケイロンは違った。彼は逃れようとするどころか、紅蓮の肩を掴み、自身に引き寄せた。

 その行動には紅蓮でさえ目を丸くして驚く。


「腕の一つや二つ! くれてやる……! その代わり、お前はここで倒れろッ!!」


 瞬間、紅蓮は背後に何者かの気配を感じる。

 見ずとも判断(わか)る。この感覚、間違いない、勇者ユーリだ。


 ケイロンの腕を噛み千切り、腹に蹴りを入れて引き剥がす。

 すぐさま影から金砕棒を引き抜くと、振り向きざまにユーリと相対する。


「“疾風連斬”ッ!!」


 疾風が如き斬撃が迫り来る。

 しかし、ただ疾いだけの連撃。紅蓮の怪力をもってすれば弾くことなど他愛もない。


 金砕棒が剣とぶつかる。

 高い音が耳を貫いた次の瞬間、ユーリの剣は彼女の手から離れ、宙を舞う。

 既に彼女から攻撃手段は奪われた。防御する術も同様だ。

 ちょいと金砕棒を振るだけで、この少女を容易く肉塊にすることができる。


 ―――勝った。


 紅蓮がそう思った瞬間、彼はユーリの瞳に未だ光が失われていないことを知る。


 ユーリは大きく一歩踏み出し、紅蓮の懐へ潜る。剣を失った右手をしっかと握り、拳を作る。

 すると拳は淡い光を放ち始めた。

 この光、この技には見覚えがある。ヒロが使っていたスキル“ショックインパクト”だ。


(今更無駄な抵抗を……!)


 いくらユーリが咄嗟に技を放とうと、確実に紅蓮の金砕棒が彼女を砕くほうが速い。

 そして今、紅蓮がユーリを砕こうとした―――!




 ―――バチィッ!!


 突如、紅蓮の首から下げられた竜石から身体に電撃が迸る。それは人を殺せる威力ではないものの、彼を一時的に動けなくさせるには十分なものであった。


(これはライディンの……!)


 電撃で麻痺した紅蓮にユーリの鉄拳が迫る。

 リンと比べればいつでも避けられるようなひどく遅い拳。

 神足通を使おうにも、麻痺で足先一つ動かせない。ならば神腕通で吹き飛ばそうとするが、そのぶんの魔力の余りがない。




 ―――私は、負けるのか……?


 ―――この程度の人間どもに、鬼神たる私が敗北するのか?


 ―――なぜだ?


 ―――なぜ、どうして、私が負けるッ!!?




「簡単なことだ。お前がアイツらより弱かったからだ」


 精神世界のヒロはそう言ってのけた。


「……私が、()()? そんなわけ無いだろう。私には大岩を片手で持ち上げるほど力がある。この世のあらゆる生物を凌ぐ俊足がある。頭脳はどの知恵者とも渡り合えるほどあるし、格闘技量ならいかな達人にも比肩しよう。魔力も並大抵のものではないと自負する。その私が、弱いというのか!?」

「ああ、弱いさ」

「なぜそう言い切れる!?」


 紅蓮の問に、ヒロは微笑みとともに答える。


「知らね」


 帰ってきた答えは明確な理由などない、思考放棄にも等しいお粗末なものであった。

 これには紅蓮も開いた口が塞がらない。


「知らないけど、確かにそう感じるんだ。ユーリは必ず勝つ、ってさ。それはきっと間違いないんだ」

「……それは私の強さ弱さとは関係ないんじゃないのか?」

「それもそうか。でも、ユーリは強い。比べてお前は弱い。だから負けるんだ」


 しばらく目を丸くして呆れていた紅蓮だったが、プッと吹き出すと弾けるように笑いだした。


「ハハハハハ!! なんだそりゃ! 根拠もへったくれもないじゃないか!」

「根拠がなくちゃ不服か?」

「いや、別にいいさ。勝負事などつまるところ時の運だ。それより、今は敗因の分析よりもやるべきことがある」

「……ああ、そうだよな」


 二人の纏う空気が一変する。


 ヒロはまっすぐと手のひらを上空へと向ける。

 すると、その目印めがけ雷が落ちる。それは天帝竜からの魔力の餞別であった。

 膨大な魔力を受け取ると、ヒロは小さくありがとうと呟く。


 対する紅蓮は残る魔力を全て使い果たすかのように放出する。

 彼の力を誇示するように鬼火が噴き出し、夥しいほどの影の触手が蠢く。


 双方準備が整うと、ゆっくり、相手の出方を見るように戦闘の構えを取る。




 ―――これで、決着がつく。




「「―――いくぞッ!!」」


 白雷を纏い、まさに電光石火の駆け足で紅蓮に迫る。

 紅蓮はそれを無数の影の刃で迎え撃つ。しかし、天帝竜の雷で強化されたヒロにはかすりもしない。

 瞬きよりも早く、二人は互いの射程に入る。


 拳骨を作り、全霊をもって相手に突き出す。

 いくらヒロが韋駄天が如き走力を手に入れたとしても、間合いならば紅蓮の拳が速い。先手を打ったのは紅蓮であった。

 黒炎を纏い、岩をも穿つ紅蓮のパンチがヒロを襲う。



 その時、奇跡――と言うにはあまりに小さなものではあるが――が起こった。

 紅蓮は一流の格闘家でもある。ましてや素人相手なら攻撃を外すこともまずない。


 だが、紅蓮の渾身の一撃は命中せず、ヒロの頬を軽く切り裂き、顔の真横を通り過ぎていった。

 それは紅蓮の疲労によるものなのか、はたまたヒロが咄嗟に避けたのか。要因は確かではないが、唯一つ明快な事実はある。

 無欠と思われた紅蓮に大きな隙ができたのだ。


 この隙をヒロが逃す手はない。

 己の拳に淡い光を宿し、その上に雷電を纏わせる。


 そして、現実と精神、二つの拳が紅蓮の鳩尾を貫いた。



「ショックインパクトォッ!!」「雷鎚拳(ミョルニル)ッ!!」



 ―――ああ、満足だ






 肉が焦げる匂いがする。それはユーリの手から発せられたものだった。

 ショックインパクトの激しい熱に彼女の手のほうが耐えきれず、深い火傷を負ってしまったのだ。

 それだけではない。攻撃時に発生する衝撃波によって肉も骨を破壊され、ポタポタと血の滴が地面を濡らしていた。

 相当の痛みだろう。しかし、彼女はその痛みさえ気にしない様子で、ただ一点を見つめる。


 ユーリの視線の先には男――紅蓮が立っていた。ショックインパクトにより十数メートル吹き飛んでなお、彼の背中は土で汚れることはなかった。

 彼は気を失っているのか、それとも様子を伺っているのか、仁王立ちのまま動こうとしない。


「ユーリ様!」


 ユーリの手の傷を察して、クリスが駆け寄る。

 それに続けて、まだ動けるエピーヌとリンも側に寄る。


「クリス。僕のことはいい。それよりも怪我した皆に回復を」

「ゴウラとアリスの処置は応急ですが済ませ、今は他の冒険者の方々に預けてあります!」

「うん、それじゃケイちゃんをお願い。リン。エピーヌ。もう少しだけ付き合って」

「承知した」

「上等よ」


 鋭い視線はそのまま、淡々と指示を下す。

 その間も紅蓮は突っ立ったまま、行動を起こさない。


(頼むから気失ってくれててよ。こっちは今動けるのは三人。もう一度まともに戦ったら、こっちに勝ち目なんて無いんだから)


 抑えきれぬ不安を心の中で吐露する。いつも前向きなユーリであるが、このときばかりは不安で押し潰されそうな気分であった。


 突然、紅蓮の肩がピクリと動く。

 その動きを感じ取ったユーリたちはすぐさま戦闘態勢を取り、体全体に力を込める。


 反撃が来る。そう思った次の瞬間、紅蓮は大きく笑い始めた。

 突然の奇怪な行動にユーリたちは思わず呆気にとられている。

 十秒ほど経った頃、笑い声の残響を残しながら、紅蓮は背中から倒れ込んだ。

 巨大で歪だった身体は萎んでいき、すぐに少年の形を取り戻す。



「……私の負けだ」



 遠く、小さい声ではあったが、その言葉はユーリたちの耳にしっかと届いた。

 敗北宣言。紅蓮が、負けを認めたのである。


「……今、なんて……?」

「聞こえなかったのか? 負けだよまーけ。もう無理だ。一歩も動けん。魔力も完全に底をついたし、それに最後のが効いた。もう声張るのすら億劫だ」

「それじゃあ……ヒロは……?」

「返すよ。彼とも決着がついたし。……君たちの()()だ」


 一拍、二拍おいてその場が沸いた。

 あの化物に勝った。流石は勇者だ。そのような言葉が歓喜するハンターたちの上を飛び交う。

 リンも、エピーヌも、クリスも、そして意識を失いかけているケイロンも、その喜びを甘受する。


 その中でただ一人、ユーリだけは依然厳しい表情で紅蓮に近付く。


「……お前はこのあとどうするつもりだ?」

「ま、どうせまたヒロの中に戻るんだろうよ。他に行くところもないだろうし」

「そしてまたヒロを乗っ取ろうとする」

「かもね。でも、あいつももう弱くない。そう簡単に奪われることもないだろう」


 それでもやるけどね、と一つ付け加えてニヤリと笑う。


「……僕はお前を許さない」

「そうしてくれ。私も君のことはなぜだか気に食わないからね」


 ふと紅蓮は目の端であることに気付く。

 それは光。明けの明星とともに、朝日が東の果から顔を覗かせていたのだ。


「見ろよ。朝だ。一夜丸々戦ってたんだな」


 紅蓮は残りの力を振り絞り、手のひらを太陽に向ける。


「……あの先に、あの日の下に、私の故郷がある。今は遠き昔、捨て去ったはずの懐かしの故郷が……」

「……何が言いたい?」

「独り言さ。私だって感傷に浸ることくらいある。……さて、話はここまでだ。ヒロを頼んだ」

「言われずとも」


 フ、と小さく笑みを浮かべると、紅蓮は静かに瞼を閉じた。

 まるで冬眠した獣のように、微かな呼吸を繰り返し深い眠りにつく。

 もう邪悪な気配はない。鬼神紅蓮はもういない。


 こうして一夜限りの、それでいて世界を揺るがしかねない戦いは幕を閉じたのであった。






「―――どうやら、鬼神の完全なる復活は勇気の勇者候補たちの手によって阻まれたようだな」


 玉座の男はそう呟く。彼の手に収まる光り輝く小さな道具は、少し不服そうにその光を消していく。

 その玉座の男を含めた数人は、暗い空間の中空に座す巨大な水晶のような球体のオブジェクトを見上げていた。

 そのオブジェには、喜ぶユーリたちの姿が映し出されていた。


「まあ、良かったじゃないか。君が“ソレ”を使う必要も無かったわけだし?」


 眼鏡をかけ白衣を身にまとった青年が、男の持つ道具を指さしながらそう言う。


「貴様の最新作の使い心地を試してみたかったんだがな。前回のは命中こそはすれ、あの鬼神を一撃で葬ることはできなかったのでな」

「その件については重ねて謝ろう。この天才である俺が君の要望通りのものを用意できなかったことは、今でも悔やんでいるからな」

「気にせずとも良い。なにせ初めての試みだ、失敗もしよう。しかし、その度に乗り越えていくのが貴様だろう? 知識(ウィズダム)よ」


 知識ウィズダムと呼ばれたその男は、自信満々の笑みを浮かべながら玉座の男――七つの美徳のリーダー、正義ジャスティスに応える。


「ああ、当然だ。俺を誰だと思っている? ユニオス連合帝国元老院“七賢”が一つ錬金院の若き天才にして院長、ヘルメス=ソフィア・ホーエンハイムだぜ? この俺にかかれば不可能など存在しない」

「フフ、それは頼もしいな。……さて、」


 玉座の男が立ち上がる。

 そして大きな声で宣った。


「同志よ!! 最大の障壁であり、最大の“悪”である鬼神の邪魔はもうない!! 今こそ我らが目的を果たすとき!! 時は三ヶ月後!! ユニオス建国を記念した祭典“大統合武闘祭”!! そこで最重要作戦を決行する!! 各々、その時までに完全な調整をしておけ!!」


 七つの美徳五人はそれぞれの心境を胸に、正義ジャスティスの意に応える。

 そのうちの一人、“希望の徳(ホープ)”イリスも自身の思いをしっかりと胸に刻む。


(ヒロ……。あなたの無事は喜ばしいけど、邪魔をするなら別。もし、あなたが私の行く道を阻むのならば、そのときは―――躊躇しない)


 イリスはじっとオブジェに映るヒロの寝顔を見て、深く決意する。





「さあ、始めよう!! 正義に満ちた世界のために―――

 ―――戦争だ」

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