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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第四章 勇気の詩〜悪鬼決闘編〜
68/120

第68話 全ては一人の為に

 パリリーの市内には、特徴的な塔と門がある。

 それは、かつてこの世界に転生したとある建築士が、『この地にはやはりエッフェル塔と凱旋門が必要だろう!』と言って数年に渡り建築されたものだ。

 その建築士というのが、このパリリーに建築革命を齎したのだが―――それはまた別のお話。


 話は戻るが、丑三つ時を過ぎ、暗闇と静寂が街を包む中、その塔の頂上に人影があった。

 展望台のさらに上、人が立ち入ることのできない僅かな足場に彼は腰掛け、瞼を閉じ静かに瞑想に耽っていた。




「このような場で眠りこけるとは、程々の命知らずよな。アレと煙は高いところを好むと言うが、よく言ったものだ」


 自身以外誰も入ってこれまいと踏んでいたところに、女性の声が飛び込む。

 男はゆっくりと閉じていた瞼を開く。

 彼の瞳に写ったのは、巨大な竜の翼を広げる金髪金眼の見目麗しい少女が宙に浮いている様だった。


「君は―――“天帝竜”ライディン」

「如何にも。貴様は……姿形こそ同じとはいえ、その魂は我が主とは異なるようだな。答えよ。貴様は何者だ?」

「何者でもないよ。私は名も故郷も捨てた、ただの鬼さ。君の主人の友人であり、彼からは紅蓮と呼ばれていた」


 赤い和装を着込んだ黒髪の少年はそう答える。

 薄い笑みを浮かべる彼をライディンはキッと睨みつける。その迫力は流石ドラゴンといったところか。常人なら息を忘れるほどの恐怖が胸から溢れ出し、押し潰されていただろう。

 しかし、少年はその肌が痺れるような気迫をぶつけられてなお、怖気付くどころかその笑みを濃くする。


「紅蓮、といったな。貴様にいくつか質問がある―――が、その前に、そこに吊るされている人間は一体何なのだ?」


 ライディンが指差した先には、一人の男性が簀巻きにされ、口には猿轡を付けられ、紅蓮の足元に吊るされていた。

 その男はバルボン公エドモン。フルーランス国王シャルルの実弟にして、七つの美徳に我が身可愛さから魂を売り渡した裏切り者である。


「ああコレ? コイツは“七つの美徳”の出資者の一人らしくてさ、こうやってお仕置きついでに尋問してるわけ。王女様が殺されたあの日、どうやっても一般人が知る由もない状況だったにもかかわらず、勇気カーレッジが行動を起こせたのか疑問に思ってね。それでフルーランス王室内を調べてみたら、コイツに行き着いたってわけさ」


 彼は摘み上げられた芋虫のように身を捩らせながら、涙目でライディンに何かを訴えようとしていた。恐らく助けを乞うているのだろう。

 しかし、ライディンは如何にも興味なさげな面持ちでこれを見ているのみ。

 それでも必死にSOSを求めていると、ふっと彼の体が上がる。紅蓮が器用に足を使って持ち上げたのだ。


「でも、コイツはただの金づるのようでさ、なーんにも七つの美徳について知っていなかったんだよ。正直がっかりだ。だからコイツは()()()()()()()


 ポイッと、子供が遊び飽きた玩具を捨てるように、なんの感慨もなく彼を塔から放り捨てる。

 抵抗もできず、落ちていくエドモン。猿轡のせいで叫び声一つもあげれず、ただ数秒後の死に恐怖するしかない。

 近付く地面、そして鉄塔の一部。次の瞬間には鉄塔にぶつかりぐちゃぐちゃの肉人形となることを本能で察する。


 死を覚悟し走馬灯が見えかけたその時、強い衝撃がエドモンを襲う。それは衝突によるものではなく、急激な慣性の変化によるものだった。

 むち打ちに悶ながらも、未だ遠い地上に衝撃で外れた猿轡が落ちていくのを見て安堵の息を吐く。

 そして、見上げる。エドモンの視線の先には、片手で彼を持ち上げるライディンの姿があった。


「おお……おお! 感謝するぞ天帝竜! さあ! 次は早くあのふざけた若造を始末し―――」

「黙れ」


 一瞬の閃光の後、エドモンは黒い煙を上げ項垂れる。それ以降、ぱったりと彼は口を開かなくなった。

 焼き焦げた死体は投げ捨てられ、再び落下する。今度は誰にも止められることなく鉄塔にぶつかり、跳ねて、地面に激突した。


「おや? 折角助けたのに殺してしまったのかい?」

「あのまま死んでおれば、それは我が主が人を殺めたことになってしまう。主は心優しき人間だ。どのような悪人であれ手をかけたと知れば、目覚めたときに心を痛めるだろうよ」

「心を痛める、ねぇ……。フフッ」

「……何がおかしい」

「いや、なに。天帝竜ともあろうものでも、やはり心の奥底までは見えないものだな、と。確かにヒロは優しいよ。でもそれは()()()だけさ。彼にとって本当に大切な人間は、自分に危害を加えない親しい友達だけ。それ以外は死んでようと生きてようと気にしないのが彼だよ」

「知った風な口を」

()じゃない。知っているんだよ。私と彼は文字通り“一心同体”だからね」

「……我が主、センダ・ヒイロの内にドス黒い邪気が垣間見えていたが、その正体が貴様のようだな」

「ああ、そうだとも」

「……下らん問答はここまでとしようか。訊こう。我が主――()()()()()()()()()?」


 さらにプレッシャーをかける。

 まるでこの塔を平坦にしてしまいそうな重圧。今までのは威嚇――いや、ほんの挨拶程度だったのだろう。

 それを受けて、ようやく紅蓮の顔から笑顔が消えた。


「彼は眠っているよ。()()()()、ね」

「……どういうことだ?」

「そのままの意味さ。彼は心の中で深い眠りについている。とはいえ、このまま眠り続けていたら、もう永遠に起きないかもしれないけどね」

「貴様……!」


 ライディンの華奢な体から四方八方に雷撃が飛ぶ。様々なスペクトルを発し、耳が痛くなるまでの破裂音が響きわたる。

 巨大な光源へと果てたそれは神の威光を示しているかのようだ。

 彼女から発せられる光、雷、膨大な魔力、そして殺気。縦に割れた瞳孔には既に慈悲の光はなく、憎悪にも近い殺戮の眼光があるのみだ。

 それに呼応するように、紅蓮も体から吐き気を催すほどの妖気と暴風のような覇気を放出する。

 一触即発。どちらかが動き出せば、それは災害と災害の衝突のような戦闘になることは必至だ。

 空間が引き裂かれそうなまでの緊張状態。これから人智を超えた暴虐の嵐が巻き起こる。そう思われた。


 しかし、紅蓮が剣を収めることにより、これは回避された。

 再び胡散臭い微笑に戻った紅蓮を、ライディンは眉をしかめ懐疑と苛立ちを表す。


「……貴様。この我を嘗めてくれているのか。それとも往生したか」

「否、どちらとも違うよ。私は結構面倒くさがりでね。無駄な戦闘を避けたまでだ」

「無駄、だと……? この我、天帝竜ライディンを相手取る栄誉を無駄と宣うか?」

「んー……。ま、そんなとこかな。どうせ君は私を殺せるはずも無いんだからね」

「……吠えるではないか、鬼風情が。ならばその不遜、冥府にて悔い改めるが良いッ!!」


 稲妻を伴いながら、神速の貫手を繰り出す。放たれた雷の鏃は空を裂き、紅蓮の喉元へと一直線に向かう。

 紅蓮はこれを避けるでもなく、迎え撃つでもなく、ただ笑みを浮かべながら動じずにいた。

 今、ライディンの切っ先が紅蓮を捉える―――!




 白く美しい指から伸びる長く鋭い爪。凶器を彷彿させるそれは、紅蓮の首から拳一つ分だけあけて止まっていた。


「……言ったろう? 殺せるはずが無い、って。君は知らず知らずヒロに対して特別な感情を抱いている。それは忠義か、友愛か、それとももしや恋情か。その辺りは推し量れないが、君がこの体(ヒロ)を殺せないのは確かだ。理解しただろう。()()()()()()()()()

「……………」

「沈黙は肯定と受け取るよ。さあ、分かったなら放っておいてくれないか? 私は瞑想の続きをしたいんだが?」


 ライディンは射殺すかのような眼で紅蓮を睨みつける。しかし、彼は臆する様子もなく、飄々とした態度を取る。

 これにライディンもこれ以上は無駄だと悟ったのか、突き出した手を引く。そして今一度憤怒と殺意のこもった恐ろしい瞳で睨むと、何も言わず飛び去っていった。

 次第に小さくなる彼女の後ろ姿を見送ると、紅蓮は再び目を閉じ、死んでしまったかのように身動き一つせず、深い瞑想に入った。




 僅かな灯りが点在する夜の街。その上空をライディンは翔ける。


(業腹だが、確かに奴めの言う通りだ。主は脆い。我では救うどころか、壊しかねない。……ええい! 忌々しいが、()()に乞うしかあるまいか!)


 軽い舌打ちをすると、大きく翼を羽ばたかせ加速する。

 中心街を抜け、住宅が集中する地区まで飛来する。そして一つの住居に目をつけると、その入り口へと降り立つ。

 狭い路地にある石造りの七階建の集合住宅。一階は何やら店舗のようで、見たところどうやらベーカリーかなにかのようだ。窓の明かりは全て消え、人が活動している気配は無い。

 ライディンは翼を小さな背中に仕舞い込むと、そのアパルトメントを見上げる。


「彼奴が住んでいるのは確か五階の……あの部屋だったな」


 目的の部屋を探し出すと、一息に跳び上がる。

 驚異的な跳躍力をもってして目当ての部屋の窓まで跳び、窓の縁に爪先をかけ、そして窓を蹴破ると堂々と中へ侵入する。

 一室しかない簡素な部屋は雑多としており、足の踏み場は辛うじてあるものの衣類や小物が散乱している。衣服や下着の種類、そしてこの片付けの行き届いていない様から、女性の一人暮らしであることがありありと見て取れる。

 窓の正面左奥には扉、右奥には流し台が置かれてあり、調理場キッチンらしきものは見当たらない。右手にはタンスがあるが、この散乱状態ではただの置物となっていることだろう。そしてタンスの向かいには簡単な骨組みのシングルベッドが鎮座しており、その上に黒い短髪の少女ユーリが横たわっていた。彼女は眠れる姫――とはかけ離れた寝相で、大きく開けた口から涎を垂らしながら間抜けな寝顔を晒している。

 ライディンはその少女に近付くと、心底嫌そうな表情を浮かべ、口を開く。


「目覚めよ、目覚めるのだ、勇気の勇者よ。汝の友が危機に瀕している。彼を救うには汝の力が必要なのだ」


 厳かな口調でユーリを起こそうとするが、彼女は一向に目を覚まそうとはしない。

 この調子ではいつまでも起きないと判断したライディンは、ゲシゲシと踏み付け、若干語勢を強めてもう一度挑戦する。


「……おい、起きよ。竜である我が手ずから起こしに参ったのだぞ。不敬であろう」

「ん……んー? あと、五分だけ…………グーzzz」

「……チッ」


 瞬間、強烈な閃光が部屋を包む。窓から漏れ出た光が正面の壁を強く照らす。

 一秒も経たず、光は収まる。残されていたのは感電して、海老反りになって痙攣しているユーリのみだった。


「いっだあぁ〜〜………。え? なに? 何が起こって……?」

「お目覚めのようだな、勇気の勇者よ」

「……え? ライディン? なんで? どっから?」

「寝起きで悪いが、今は一刻を争う。黙って我の話を聞け」

「ちょっと待って。頭が追いつかない。というか、窓割れてない? 割れてるよね? 割ったよね?」

「…………」

「…………」

「今回ばかりは我の手で負えるものではない。そこで貴様の助けが―――」

「聞けよオイ」



 ――――――――――



 夜が明け、朝の陽光が街を支配する。

 街の狩人組合(ハンターズギルド)の本部には、まだ朝早い時間帯にもかかわらず複数人の男女が集まっていた。その中にはユーリとライディンの姿もあった。


「―――というわけで、こうやって渋々頭を下げに来てやった訳だ」


 そう言って、足を組んで椅子に腰掛けるライディンは紅茶を一口、口に含む。


「それが頭を下げに来たやつの態度とは思えないがなぁ」

「仕方あるまい。我と貴様らの間には絶対的な格差がある。我が下手に出ているつもりでも、貴様らにとってそう見えるのは必然というものよ」

「あーそうですか。それにしても、ヒロのやつ最近顔見せねえと思っていたらこれかよ……クソッ!」


 ゴウラはやり場のない感情を拳に乗せ、片手にぶつける。

 その場にいた者たちも同様の気持ちだろう。ともに戦った仲間がいなくなったのだ。皆が皆、やるせない表情を顕にする。


「フローラ様がお亡くなりになってから、どこか様子がおかしかったですもの。ワタクシたちには与り知らぬ何かがあったのでしょう」

「それは本人から直接聞きましょう。まずはヒロの体を支配しているという“紅蓮”をどうするか。そしてどうやって彼からヒロを取り戻すのか。それが問題よ」

「……紅蓮……」


 ユーリたちはその名に聞き覚えがあった。

 それはかつて、ヒロが打ち明けてくれた秘密。彼の中に存在するもう一つの人格。

 よもやその紅蓮がヒロを取り込むなどと、彼女たちにとって夢にも思わなかったことだろう。


「……どうするんだ? ユーリ」

「相手が誰だろうと、ヒロを奪った事実は変わらない。ヒロは、僕たちの大切な仲間だ。必ず取り戻す」


 ユーリの言葉に皆が頷いて答える。その言葉を待ち侘びていたかのように。


「話は決まったようですね」


 カツカツと、ハイヒールを鳴らしながらある女性がその集団に近付く。

 女性はこの狩人組合(ハンターズギルド)の受付嬢だ。受付嬢はいつもの人当たりのいい笑顔よりさらに良い笑みを浮かべ、ユーリの目の前まで歩く。


「それでは、この場にいるハンター全員に緊急クエストを依頼します。内容は“紅蓮の捕獲もしくは撃退”及び“センダ・ヒイロの救出”。報酬は“私達の仲間”。このクエストを受注しますか?」


 受付嬢の質問に全員が期待のこもった瞳でユーリを見る。

 ユーリは迷いや怖れを感じさせない笑顔を受付嬢に見せると、彼女に自身の答えを返す。


「勿論!」


 即答。考える余地もない、当然の答えだった。

 ユーリが二つ返事で答えると、ワッと歓声が湧く。誰も異論を唱える無粋者はいない。情に厚く、仁義を尊ぶ彼らにとっては当然の行動だ。


「我が主を助ける覚悟を決めたことには感謝する。が、勇気の勇者よ、奴めは中々の手練だ。この場の者も腕に覚えはあろうが、束になっても奴めに勝てん。どうするつもりだ?」

「……数人、アテがある。」



 ――――――――――



「―――というわけですの。どうか力を貸して頂けませんか、リン」


 パリリー郊外の修練場。そこに五人の男女がいた。

 一人はユーリ一行の僧侶プリースト、クリスティーナ。彼女は残る筋骨隆々の四人、中でもとりわけ強大なオーラを発する武闘家モンクリンに助けを求めていた。

 英雄級であるリンが率いるパーティは武闘派で知られている。当然、壁役や回復・支援を行う役割はある。だが、全員が達人並みの力を持っているため、世間ではそのように思われているのだ。

 彼らはユーリの属する狩人組合(ハンターズギルド)の中でもトップに君臨するパーティ。ユニオス全体で見ても、その実力は上位に存在する。

 彼らの助力が得られれば、紅蓮に太刀打ちすることもできるだろう。


「なるほど。ヒロにそんなことが……」

「……お願いです、ヒロを助けて下さい、リン」


 今にも消え失せてしまいそうな声で再び懇願する。

 もし断られでもすれば。そう考えると自身の抱いていた希望は瞬く間に絶望へと変わる。その不安故か、声や表情も弱弱しく感じる。まさしく不安に震える少女のそれだ。

 その少女の頭にポンと大きな手が置かれる。クリスが顔を上げれば、頼もしい英雄がその不安を掻き消すかのようにそこに居た。


「ええ、当然よ。アイツのことは弟子みたいに可愛がっていたもの。是非協力させて頂くわ。アンタらもそれでいいでしょ?」

「俺らは姐さんについてくぜ!」「ヒロは俺らにとっても弟みたいなもんだしな」

「……ありがとうございます、皆さま」


 言葉では言い表しきれない感謝を、頭を深く深く下げることで伝えようとする。

 リンたちはこれに親指を立てて返した。


「それはそうと、他のメンツはどうしたのよ?」

「ユーリ様たちは別の協力者に声をかけています。今のヒロ――いえ、紅蓮の力は未知数。それに断られたときのためにも、より多くの協力が必要だと考えたのです」

「納得。それで? 残りのメンバーは誰なわけよ?」

「ユーリ様が名前を上げたのはリンを含めて四人。一人はワタクシの兄上、マックス・フォン・ラインハルト。こちらは呼び寄せるのにあまりにも時間がかかるため却下。残る二人は―――」



 ――――――――――



「―――私、というわけか」

「ええ。アナタが協力してくれると助かるわ。“誠実の勇者”エピーヌ」


 場所は変わり、ここはフルーランス王宮、近衛騎士の寮のロビー。

 豪華絢爛な王宮より些か質素だが、それでも気品溢れるこの空間に魔術使アリスと赤髪の女騎士エピーヌがソファに座りながら対面していた。

 エピーヌは目の前のカップに注がれた紅茶を眺め、息を一つ吐く。


「……こうなることは、どこかで予見していたのかもしれない」

「心当たりがあるようね」

「ああ。あなた達には心配させまいと黙っていたようだがな。……アリス、彼の“鬼人モード”というスキルを知っているか?」

「ええ。と言っても、間近で見たのはたった一回だけだけどね」

「そうか。実はその“鬼人モード”が今回の事の発端かもしれない」


 アリスは声を荒げたり、驚愕する様子もなく、ただ静かに耳を傾ける。

 エピーヌはそれに答えるように、より真摯な顔つきとなって話を続ける。


「ヒロ曰く、あのスキルは実際に自身の身を“鬼”という化物に近付けるものらしい。発動の弊害として、その心さえも化物に変質すると語っていた。紅蓮という名も彼自身の口から直接聞いたことがある。己の内に潜むもう一つの人格だとな。ヒロに一体何があったのか計り知れんが、そうなるまでに追い込まれていたのだろう」


 エピーヌは力強く拳を握りしめ、紅茶の水面に写る自分の姿を睨みつける。


「……私は、フローラ様だけでなく、ヒロまで失うのか……!」


 眉間にシワを寄せ、歯を食いしばる。なんとも悔しそうな表情だ。

 何もできない己の不甲斐なさに、エピーヌは肩を小さく震わせる。

 “紅薔薇の騎士シュヴァリエ・ド・ラ・ローズルージュ”を束ねる才覚はあろうと、彼女はまだ十七、八の少女。親しい者が消えて平然としていられるほど成熟した精神は持ち合わせていない。

 今にも泣き出しそうな彼女に、アリスはゆっくりと、だが揺るぎない意思を持って話しかける。


「エピーヌ。ヒロはまだ助けられる。そのためにはアナタの力が必要なの」


 非情に思われるかもしれない。励ましや安心させる言葉をかけるべきだったのかもしれない。

 しかし、泣いているだけでは、希望に縋りつき安堵しているだけでは、ヒロは助けられない。

 そのことをエピーヌは承知していた。

 震える握り拳をそっと撫で、大きく一回呼吸をする。息を吐き終えた頃には、強張っていた全身から余計な力は抜け、顔から迷いや憂いは消え去っていた。


「……ヒロは私にとっても大切な友人だ。是非とも協力したい。だが、()()()()

「……そう」

「なにも、聞いてこないのだな」

「なんとなくそんな気がしてたからね。アナタは他の何よりこの国を――フルーランス王室をお護りするだろうって」


 まあ残念っちゃ残念だけどね、と軽く笑って付け加えながらアリスは紅茶を口に含む。

 その様子にエピーヌも多少呆れながら、小さく笑みを浮かべる。


「流石はヒロが頭脳担当(ブレイン)と言っていただけあるな」

「あら、褒めたって軽い炎魔術しか見せられないわよ」


 多少の恥ずかしさを冗談で紛らわせると、アリスは手に持っていたカップをソーサーの上に戻し、席を立ちあがる。


「さて、これ以上長居しても迷惑だろうし、お暇させてもらうわ」

「迷惑だなんてそんな。私の方こそ力になれず、申し訳ない」

「まったく“誠実の勇者”の名に違わぬ生真面目っぷりね。そんな気に病む必要はないのに」

「しかし、ヒロが―――」

「いいのよいいのよ。アイツにはアタシたちが一発お灸をすえとくから。アナタの分も、ね」


 ウィンクをすると、アリスは足早にその場を後にする。これ以上話していては、エピーヌが勝手に自分を苛むだろうと思った故だ。

 エピーヌはまだ言い足りないような顔でその背中を見送る。

 扉の奥へ彼女の姿が消えてもまだ心にしこりが残った表情を浮かべていたが、何かを決心したか、頬を数度軽く叩く。


「……私は、私のできることを」


 騎士然とした凛々しい顔に戻ると、立ち上がり、アリスが消えた扉へと向かう。

 向かって右の扉のドアノブに手をかけ、開き、一歩進んだところで突然彼女は足を止めた。


「……聞いていらしたのですか」


 ぽつりと小さく質問を投げかける。

 その答えは開いた扉の向こうから返ってきた。


「盗み聞いていたことは我も雀の涙ほどだが悪く思っている。許せ」

「私があなたを弾劾するはずも無いことは承知の上でしょう。ルイ王子」

「今は我と貴様、二人しかおらぬのだ。畏まらず、いつものように話すことを許す」

「……はあ。相変わらずですね、兄様」

「うむ。そういう貴様に兄と呼ばれるのは中々どうして心地よい」

「それで、なぜこのような場所に?」

「我がどうしようと我の勝手であろう」


 扉を挟んで笑い声が聞こえてくる。

 顔が見えないことを良いことに、エピーヌは彼の傍若無人さに呆れ返した顔をして、気付かれないように小さく息をつく。


「それはそうと……貴様、ヒロを助けに行かぬとはどのような了見だ?」

「私は、この国と王族をお護りする騎士(シュヴァリエ)です。身勝手な理由でその任から離れる訳にはいきません」

「先程の魔術使も言っておったが、ほとほと呆れた真面目さよな」

「私も時たまにこの性格が嫌になります。しかし、これは私が生まれて持った性分。変えようとは思いません」

「だが、その性分とやらで苦しんでいるのは事実であろう」


 痛いところを衝いてくる、とエピーヌはバツの悪そうな表情を浮かべる。

 それを察したのか、ルイは一区切りをつけるように軽く咳き込むと、改まって彼女に話しかける。


「そうそう。ここに来た理由だったな。今しがた思い出した。エピーヌ、貴様に任務を与えに来たのだった」

「任務……ですか?」

「なんだ? 文句でもあるのか?」

「いえ、滅相もございません」

「ならよい。まあ、それで任務というのがだな、()()()()()だ」


 ルイの口から放たれた言葉にエピーヌは目を丸くさせる。

 一瞬、茫然自失とするが、すぐさま我を取り戻し様々な疑問を投げかけようとする。

 が、そうはさせまいとルイは続けざまに話しだした。


「此度、我の耳に亡き妹の友が窮地にあるとの報せが飛び込んだ。面識は浅いとはいえ、なにかのえにしだ。王としてこれを助けなければならぬと判断した。しかし、我も多忙の身。そう簡単に赴くわけにはいかん。そこで、我が従順たる騎士を一人送り込もうと思ったのだ。信頼に厚く、高い実力を持つ近衛騎士の団長をな。抜けた穴は大きいだろうが、副団長であるロザリーがいれば事足りるだろう。奴めも中々に気が利くのでな。……さて、エピーヌよ。この任、受けてくれるな?」

「……お断りすることは、お許しにならないのでしょう?」

「無論だ」

「でしょうね。……このエピーヌ、謹んで拝命いたします」

「ならば良い。さあ、疾く備えろ。……必ず取り戻せよ」

「はい!!」


 大きく返事をすると、エピーヌは憂いの色一つ見せず走り出した。

 走り去っていく彼女の後ろ姿を眺めながら、ルイは口を開く。


「これで良いのだろう? 魔術使よ」

「ええ。感謝します、王子様」


 ルイの言葉に、隣にいたアリスが応える。


「しかし、あの頑固者を動かすためにわざわざ我を利用するとは……とんだ肝の据わった女よな」

「正直、諦めて帰るつもりでしたけどね。丁度殿下が通ったものですから、是非協力願おうかと愚考いたしまして」

「不敬だが、良い判断だ。強かな女は嫌いではない。どうだ? 我が妻となってみないか?」

「光栄ですが、先約がいるので。丁重にお断りしますわ」

「それは残念だ。さておき、聞けばエピーヌの他に英雄級シャオ・リンともう一人、助けを求めるらしいな。そのもう一人とは一体誰だ?」

「頼れる人ですよ。まあ、協力できたら、の話ですけどね」



 ――――――――――



「―――拒否する」

「何でっ!?」


 騎士団西方部隊の司令室。そこに最後の協力者の予定であるケイロンと彼に食ってかかるユーリ、そして彼女を宥めるゴウラの姿があった。


「今は公務中だ。悪いが、センダ・ヒイロを助けることはできない」

「困っている人を助けるのが騎士団の役目じゃないの!? 今助けに行かないでいつ行くっていうのさ!」

「ヒロが誰かに被害を及ぼしたのなら、それは我々騎士団の職分だ。だが、“人格が入れ替わった”というのは当人の問題。頼むなら俺ではなく、精神科医でも呼ぶんだな」

「この……!」


 二人の間を遮るように置かれた机を強く叩き、今にも殴りかかる勢いでユーリはケイロンに顔を寄せる。

 鬼気迫る眼光で睨みつけるユーリ。

 しかし、ケイロンは一歩も臆することもなく冷淡な表情で見つめ返す。


「何か言いたげな顔だな。言ってみろ」

「……お願い。ヒロを助けて」

「分からんやつだな。既に言っただろう。今回は騎士団の出番はない」


 冷酷に告げられた答えにユーリは思わず片腕を上げる。

 これは流石に危険だと判断したのか、ゴウラは間一髪彼女の拳がケイロンに届く前にユーリを羽交い締めにして引き離した。


「おいおいおい! 気持ちは分かるが落ち着け! 熱くなりすぎだ!」

「離してゴウラ! この堅物には一発ぶん殴って分からせなきゃ!!」

「それでお前が捕まっちゃ元も子もねえだろ! 今回はケイロンの方が正しい。ここは諦めて帰るぞ」

「でも……!」

「でももへったくれもねえ! ……落ち着けって。最初から望み薄なのはお前も分かってただろ。こんなとこでうだうだしてても仕方ねえ。そんなことしててもヒロが戻ってくるわけじゃないんだからよ」


 ゴウラの説得を聞いてか、ユーリの顔から怒気が抜けていき、代わりに憂いが塗りつぶす。

 抵抗しなくなったことを確認すると、ゴウラは拘束を解く。

 すっかりしおらしくなったユーリは自分の足元を悲しげな眼差しでじっと見ていた。


「落ち着いたか?」

「……うん。ごめんゴウラ、迷惑かけた。それに……ケイちゃんも、ごめん」

「俺は別に気にしていない。お前の性格は知っているからな」

「はは、そうだね。……うん。まだちょっと納得できないけど、しょうがないや。僕たちは一回戻って作戦を立てるよ。じゃあね、ケイちゃん」


 無理に笑顔を作り、ユーリは足早に司令室を立ち去った。その目尻を小粒の雫で濡らしながら。

 彼女の足音が十分に聞こえなくなった頃を見計らい、ゴウラは茶化すかのような顔つきでケイロンの方を向く。


「あーあ。なーかせた」

「アイツはわがままで、俺以上に頑固者だ。自分の思い通りにならなければ、すぐに感情的になる。だがアイツも子供のままではない。理解しているはずさ」

「よくおわかりで」

「付き合いだけは長いからな」



 素っ気なく返すと、ケイロンは机に置かれた書類に目を向ける。

 ペンと書類を動かす彼を見つめながら、ゴウラは微かに笑って口を開く。


「集合は明日の朝、午前十時。場所はヒロの居場所が分かり次第連絡する。それまでに連絡がなかったら、俺たちの狩人組合(ハンターズギルド)前に集合。そこで一日かけて全力でヒロを捜し出す」

「……なぜ俺に言う? 同じことを二回も三回も言わせるつもりか?」

「なにも騎士団を引き連れてこいなんて言ってねえだろ。お前が来てくれりゃそれだけ十分な戦力だ。期待しているぜ、人馬宮のケイロン」


 親指を立てニカッと大きく歯を見せて笑うと、ゴウラは踵を返し部屋の出口へと向かっていく。

 ケイロンはその背中を鋭い視線を向けたかと思うと、観念したかのようにため息を吐き、聞こえるかどうかといった声量で返す。


「……考えておこう」


 その言葉が確かに耳に入ったのか、ゴウラは右手をヒラヒラと振った。


 扉が閉まり、静かになった司令室に一人ケイロンだけが残った。

 黙々と書類の処理を済ませながら、誰にともなく独り言が垂れ流される。


「……まったく、明日は折角の公休だから読書でもしようと思っていたというのに。だが―――たまには幼馴染のお願いを聞いてやるのも、悪くないか」


 珍しく微笑を浮かべ、ケイロンは最後の書類に力強く判子を押した。






 かくして、役者は揃った。

 誰もがたった一人の、別世界から来た友のために立ち上がろうとしている。

 ヒロは、そして紅蓮は、深い意識の奥でこれを待つ。


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