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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第四章 勇気の詩〜悪鬼決闘編〜
67/120

第67話 勇気の罪

更新のペースがどうしても二週間をきってしまう。

学生との二足のワラジとはいえ、自身の執筆速度を上げたいとは思っている。

 時は夕暮れ。はるか西の地平に真っ赤な太陽は宵の明星を連れ、沈んでいく。赤い光線が死者が眠る多くの十字架を照らす。

 自然の厳格さを感じさせるその風景を、不遜にも墓石の上に腰を掛け、眺める男がいた。

 その男の瞳はどこか穏やかであり、目の前にある何もかもを慈しむかのようであった。


 太陽の灯火が地平の果に消えようとしている。その焔が小さくなっていくにつれ、男の瞳は憂いに満ちていく。

 そして完全に日が沈み、夜が訪れようとしていた。

 その時、男の背中に少年の声がかけられる。


「待たせたな、勇気(カーレッジ)


 声を聞いた途端、勇気カーレッジと呼ばれたその男は恐ろしくも嬉々とした笑顔を見せる。

 振り返れば、そこには星々が輝く夜空を背景に一人の少年が立っていた。

 金の刺繍が入った美しく朱い衣。腰の短剣。緑の黒髪。若々しさの抜け切らない端正な顔立ち。釣り上がった目尻。そして、そこに灯された恩讐の炎。

 勇気はその姿を見て、呟く。


「来たな、鬼神―――いや、センダ・ヒイロォ……!」


 座っていた墓石から降り、勇気カーレッジは少年を正面に捉える。陽光に照らされた影は長く伸び、少年をすっぽりと覆い尽くさんまでだ。

 肥大した筋肉に包まれたその大きな姿は、逆光も相まって悪魔のように恐ろしい。 

 だが、少年はそのおぞましいまでの姿を見ても、一寸たりとも臆していない。それは勇気によるものなのか、それともそれを超える復讐心からか。


 二人の間に凍えるような冬の風が駆け抜ける。

 聞こえるのは木の葉が風に揺れ、さあさあと鳴る音だけ。

 風が止み、木の葉のざわめきも止んだ時、勇気カーレッジが口を開いた。


「待ちわびてたぜぇ……センダ・ヒイロ。この瞬間をなぁ!」

「奇遇だな。僕もだ。お前がフローラちゃんを殺したあの日から、ずっと彼女の仇を取る――お前を倒すこの機会を待っていたよ」

「俺を……倒す? ……く、はは、ハハハハハハハ!!」


 勇気カーレッジの高笑いが昏き空と陰鬱な墓地に響く。

 腹を抱え、笑い続ける彼を、ヒロは無感情な瞳で見つめるだけで、止めることも怒りで震えることもなかった。

 暫くして、ようやく満足したのか、勇気カーレッジは息を整え、再びヒロを睨みつける。


「やってみろよ凡夫。お前に以前のような力がないのは調査済みだ。お前じゃ俺には勝てねぇ」

「……ああ、そうかもしれない。だけどそれはやってみなくちゃ分かんねえだろ」

「ハッ! 大口叩けるだけの度胸だけは認めてやんぜ。その度胸に免じて、最初の一発だけはノーガードで受けてやるよ」


 両手を広げ大の字になり、『ほら来い』と言わんばかりに煽ってくる。

 勇気カーレッジは防御となるような盾や鎧の類は身に着けておらず、あるのは鍛え抜かれた肉体とそれを覆う薄い服だけ。胴は無防備にガランと空いている。

 これをチャンスと見るか、それとも罠と見るか。

 ヒロの場合、それは前者であった。


 体から稲妻が迸る。

 蒼白い閃光がヒロを包んだかと思ったその時、勇気カーレッジの目の前に現れる。


(!? はや―――)

「“建雷之剣(フツノミタマ)”ッ!!」


 納刀状態の剣に手をかけ、引き抜きながら斬りかかる。“居合い切り”と言えば分かりやすいだろう。

 鞘から引き抜かれた短剣は膨大なまでの雷の魔力を帯びている。その規格外の膨大さ故か、魔力は剣の容量を超え溢れ出(オーバーフロー)しており、それはさながら“雷の剣”と形容するに値する姿をとっていた。

 それが勇気カーレッジの脇腹を捉えた。



 瞬きをするよりも早く、まるで花火でも炸裂したかのように雷電がバチバチと音を立てて放出される。

 その閃光は墓地を昼間の時より明るく照らした。

 そして、泡沫の夢から覚めるかのように、辺りに暗闇が帰ってくる。

 夜の闇さえ払う強烈な雷撃。その中心に立っていた勇気カーレッジは―――


「……今のは、少し驚かされたぜ」


 まったくもって無傷であった。


「疾く、そして強い一撃だ。だが、俺には効かねぇ。なぜなら―――」

「“ショックインパクト”ッ!!」


 間髪入れず、ヒロの左の剛拳が勇気カーレッジの顔面を穿つ。と同時に、眩い光と轟音が拳から放たれる。

 光が消えたあとに残った光景は、ヒロの拳が勇気カーレッジの顔面にめり込んでいるものだった。

 一秒の時間がすぎる。勇気カーレッジはピクリとも動かない。

 あまりにも長い一秒という時間。その長さに耐えきれず、ヒロは肩から力を抜く。


 瞬間、お返しとばかりに巨大な拳がヒロの横顔を殴りつけた。

 まるで猛牛の突進でも食らったかのような衝撃。あまりの衝撃にヒロの体は真横に吹っ飛び、墳墓の一つに直撃する。

 ガラガラと音を立て崩れる墓石。その瓦礫からはヒロの腹から下が飛び出している。


「話は最後まで聞けよ」


 鼻をさすりながら、勇気カーレッジは瓦礫の下に埋まるヒロを睨む。

 瓦礫を押し退け、ヒロが立ち上がる。額が切れたのか、その顔には一筋の血の線がベッタリと付いていた。


「どうしたどしたぁ!? まさかこれだけでへばってんじゃねぇだろうなぁ!!?」

「チィ……。“黒漆甲(クロウルシノカブト)”!」


 僅かな月光で照らし出された影がヒロを覆っていく。

 完全に影で覆われたその姿は、まさに漆黒の甲冑だ。


「うおおおおあああああ!!」


 雄叫びを上げ、奮い立ち、走り出す。

 今まで培った戦闘の技術全てを動員させ、勇気カーレッジを倒さんがため剣と拳を振るう。

 しかし、ヒロの全力の猛攻は、まるで子供をあしらうかのように、防がれいなされる。

 それもそのはずだろう。勇気カーレッジは闘技場の英雄と持て囃されるまでの戦闘のプロ。対しヒロは修羅場を潜り抜けてきたとはいえ、戦うことを始めてまだ半年にも満たないド素人。

 一対一の戦闘において、ヒロに軍配が上がることなどまず無い。


「喰らえッ!!」


 一度飛び退き、手の平から雷撃を放つ。高電圧の稲妻が空気を裂きながら勇気カーレッジの元へ走り、そして喰らいついた。

 天帝竜から賜った一撃必殺の雷。徒手での戦いに勝ち目のないヒロには好手だ。いくら身体を鍛えようと、人体の電気伝導率を変えられるわけがない。

 通常の戦闘ならこれで決着、()()()()()()


「なんだぁ? 蚊にでも刺されたかぁ?」


 先程同様、勇気カーレッジは何事も無かったかのように、そこに平然と立っていた。


「なっ!?」

「言いたいことは分かるぜぇ、センダ・ヒイロ。『なんで僕の雷撃が直撃したのに生きてるんだ〜』とでも言いたいんだろ? 教えてやるよ。お前の身をもってなぁ!!」


 勇気カーレッジの右腕がピクピクと痙攣を起こし始める。

 次の瞬間、腕はバキバキと小気味の良い音を鳴らしながら、形を変えていく。

 五本の指は一つにまとまり、丸太のように太い腕は厚い板状に変わっていく。数秒もしないうちに、彼の肘から先は巨大な大剣へと変化した。


 尋常ならざる現実にヒロが呆気に取られていると、勇気カーレッジが大剣を振り上げ襲い来る。

 間一髪、正気を取り戻したヒロは後ろへと飛び退く。

 振り下ろされた大剣はヒロの前髪をかすり、地面を穿った。

 地面が割れ、拳大の石が宙を舞い、腹を揺らす衝撃が肌を打つ。

 なんとふざけた威力だ。あれをまともに受けていたら、と想像しヒロは冷や汗を頬に垂らす。

 しかし、これだけに留まらない。

 これ以上ないほどの笑顔で勇気カーレッジは大剣を考えなしに振り回す。

 当てるつもりなんてサラサラない。掠っただけでも大怪我必至の攻撃を、ヒロが必死こいて逃げ惑う様を楽しんでいるだけなのだから。


「俺が賜った固有能力(ユニークアビリティ)は名付けて“変型自在(メタモルフォーシス)”! 自身の体や器官を細胞レベル、遺伝子レベルで変えることができる! 腕を硬質化させて剣にすることも、人体では到達し得ない筋力を得ることも、体表面をすべてワックスに変えて雷撃を防ぐことも、全て可能! その気になれば細胞一つから復活することも不可能ではない! つまり、この俺の細胞一つ一つが万能細胞! 全ての生物の頂点に君臨する俺をォ! 倒してみろよ、鬼神オニガミィイ!!」


 ついに、大剣がヒロの腹を捉えた。

 咄嗟に盾にした短剣はいとも容易く折られ、身を守っていた影の甲冑さえも破壊される。ミシミシと身体が軋む音が聞こえてくる。内蔵が傷つき、大量の血液が喉を昇り、口から吐き出される。

 体は重力の楔から解き放たれ、気持ち悪いくらいの浮遊感が支配する。一瞬の後、思い出したかのように落下する。




 体を動かそうと足掻くが、指先一つすら動かない。黒漆甲(クロウルシノカブト)を維持することもままならない。

 朦朧とする意識の中、ただ一つの真実に辿り着く。

 ()()()()()()()()

 完敗だった。手も足も出なかった。掠り傷一つすら付けられなかった。

 だが、まだ、復讐の炎は消えていない。

 体は満身創痍。もし万全だったとしても、ただの人間の僕では完全敗北の運命は覆せない。

 なら、()()()()続行(コンテニュー)だ。




「―――そうだ。それでいい。こちらとしても、全力で向かってきてくれなければ面白くねぇ!」


 ゆっくりと、ヒロが立ち上がる。赤い羽織を自身の血で更に紅く染め上げながら。

 目元には朱の隈取が浮き出て、口は大きく裂けおどろおどろしい牙が並んでいる。それはもう“化け物”と呼んで相応しいほどに。

 再び影が彼の体を包む――否、呑み込んだ。

 影は形を変え、人のような姿を取る。その頭の先から足まで、凡そ三メートル。奇妙に筋張った体は金剛力士像のよう。腕や脚は不釣り合いなくらい太く、大きい。口は獣のように醜く裂け、そこから猪や象を彷彿させる巨大で真っ黒な牙がいくつも飛び出している。目に当たる部分は大きく見開かれており、その奥にはうろが広がっている。そして、額には異形であることを示す一対の角。

 その姿は誰が見てもこう答えるだろう。『鬼が現れた』と。


「―――ッ―――――ッ!!」


 獣の咆哮とも、機械音とも、暴風の轟音とも、さりとて人の叫びともつかぬような、あまりにも恐ろしい雄叫びが響く。

 そこに人間としての証など一片たりとも残っていない。人間としての泉田緋色は消え去った。あるのは恐怖と暴虐を形にしたかのような、新たに生まれた名も無き鬼だけだ。


 拳を握り、振りかぶる。握りしめられた拳は見る間に肥大化し、その直径は一般的な成人男性一人だけなら余裕で包み込めるほどに成長する。

 今、その巨人の腕と見間違うような拳を突き出す。拳は二人の距離をものともせず、砲弾の如く勇気カーレッジに飛んでいく。

 常人がまともに受ければほんの僅かな抵抗もできずに押し潰されるだけであろう拳。しかし、勇気カーレッジはそれを正拳で迎え撃った。

 激突する二つの拳。その衝撃は小石を巻き上げ、木々を幹から揺らす。

 向かい合った拳はどちらも一向に譲らず、拮抗状態に陥る。勇気カーレッジも流石にこれは厳しいのか、呻き声を漏らし、三歩後退する。


「くっ………うぉぉおおおおおおおお!!!!!」


 鬼気迫る雄叫び。それは雀の涙ほどでも押し負けた自身を叱責するとともに、奮い立たせるためのものであった。

 能力を使い、筋力を倍増する。皮膚を引き千切るまでに肥大化した筋肉は唸りを上げ、徐々に、徐々に巻き返し始めた。

 大きく一歩踏み込む。そして体全体で生成したエネルギーを拳に集約するように捻らせ、渾身の一発をかます。

 それは岩をも砕く一撃。鬼の巨拳は押し負け、弾き飛ばされた。




 ―――次の瞬間、もう一つの巨拳が勇気カーレッジの脳天に鉄槌を下した。


 ゆっくりと拳を上げる。そしてもう一度叩き付ける。

 強烈な一撃で圧倒したにもかかわらず、絶対的な殺意が垣間見えるほどに、その後も執拗に叩き潰す。

 何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 そして二つの拳を合わせ、己を一つの戦槌のように扱い、振り下ろす。

 地面が縦に揺れる。ゴウッ、と砂塵を孕んだ風が吹き荒ぶ。大地そのものが呻くような重低音が鳴り響く。

 それだけでこの一撃が如何に強力であるかが理解できる。

 勇気カーレッジがいた場所は半径十メートルに渡り地面が抉られ、その範囲にあった墳墓は下の骸ごと完膚なきまでに砕かれている。

 まるで幾百の爆弾がそこで爆破したかのような惨状。まともな人間なら形も残せずミンチだろう。

 だが―――


「―――今のは、中々痛かったぞ」


 突如、巨大な岩石のようだった拳が破裂した。いや、殴り飛ばされたのだ。

 拳があった場所には、勇気カーレッジが右の正拳を突き上げ堂々たる姿で立っていた。身体の至るところから出血しているが、それも大した負傷にはならない。


 何ということだろうか。災害にも等しい圧倒的な暴虐の嵐―――手加減なしの全力の連撃を受けてもなお、この男は耐え切り立ち上がったのだ。

 もし、今のヒロに理性というものがあったのならば、間違いなく絶望していたであろう。


「知性を捨て、理性を捨て、人間であることを捨ててまで力に固執するか。―――あぁ、そうこなくちゃな。そうこなくちゃ、全力で戦えねぇもんなぁッ!!」


 勇気カーレッジの身体がさらに変容する。

 筋繊維はさらに膨張し、皮膚は鋼鉄以上の硬さを得る。紡ぎ出される肉体は機能美に富み、それは美しくも子供が考えついたような混沌とした姿だった。

 チーターの瞬発力と人間の持続力を併せ持つ脚。ゴリラや熊にも勝る腕力を誇る腕。甲殻類を彷彿させるような堅牢な皮膚の鎧。獅子に匹敵する咬合力。鷹の瞳。あらゆる音を捉える耳。鋭い爪と牙。

 まさに、全ての生物の頂点に立つと豪語するに相応しい怪物がそこには居た。


「さらにダメ押し!!」


 勇気カーレッジの手には宝玉が埋め込まれたバングルがあった。それは七つの美徳によって奪われた竜石―――巨巌竜の竜石だった。

 今、その竜石を無理やり胸に埋め込む。そして、竜石が光を放ったと思ったその瞬間、勇気カーレッジの全身は岩のように変質する。


固有能力(ユニークアビリティ)によるパワー! 巨巌竜の竜石による防御力! これが俺の全力だ。さぁ、殺り合おうぜ。ステゴロだァッ!!」

「ガァァアアアルェッッヂイイィィィイイイ!!!」


 二体の怪物が衝突する。

 それは野獣の闘争と言っても障りないほどに、野蛮で、過激で、そして命の荘厳さを感じさせるものだった。

 二人の拳が交差する。殴っては殴られ、殴られては殴り返す。殴り合いとは思えないような、酷く鈍く、重い音が墓地に木霊する。


 最初は互角に見えた拳闘も、次第に勇気カーレッジの優勢へと転じていく。

 それは本当に僅かな差であったのだろう。だがしかし、その差は時間が経過するにつれ明白になっていく。

 最終的には、ヒロだった鬼は反撃する余裕も与えられず、防戦一方となる。

 そのガードさえも、勇気カーレッジの異常な膂力の前には意味をなさない。


「どうしたどうしたどうしたどうしたぁあ!!? お姫様の仇を取るんだろ!? 俺を倒してみせるんだろ!!? こんな程度じゃまだまだ足んねぇぞッ!! もっと本気出せよ! もっと本気で抗ってみせろよ! でなきゃ俺が楽しめねぇだろうがッ!!」


 ほとんど無抵抗のヒロに、遠慮などまるでなく、徹底的に潰しにかかる。

 殴り潰され、叩き潰され、踏み潰され、握り潰され圧し潰され捻り潰され磨り潰され潰され潰され潰され潰され潰され―――最後には惨めに潰された瀕死の少年だけが取り残された。






 ―――まだだ。まだ、倒れるわけにはいかない。

 目の前にはあの憎き男がいる。あいつを殺すまで、死ぬわけにはいかない。

 動け、動いてくれ、僕の身体よ。僕はまだ目的を果たしていないんだ。だから、動いてくれよ。

 ……ああ、目が霞む。瞼が重い。目を、開けてられない。

 頼む、誰か、僕に力をくれ。勇気アイツを葬り去るだけの力を―――




「―――まったく、無様だね。ヒロ」


 声が聞こえる。男の声だ。勇気カーレッジのものとは違う。澄み渡るような、きれいな声だ。

 先程の瞼の重さが嘘のように、目をパチリと開く。

 視界に広がるのは、青い空と白い雲。目の端には優しい色をした草花。しかし、それらは全て絵に描いたような無機質なものだ。

 ここは……そうか。“白い世界”か。

 朧気な思考でその答えに辿り着くと同時に、一人の男が僕を覗き込む。

 僕と同じ顔。僕と同じ衣服。そう、彼の名は―――


「……紅蓮……」

「随分と手酷くやられたようだ。……どうだい? やはり強かったろ、勇気カーレッジは」


 紅蓮はいつものように薄い笑みを浮かべ、飄々と話しかけてくる。

 強かったか、だって? ああ、強かったさ。全力をもってしても、手も足も出なかったほどに。

 心が安らぐ。僕の中を支配していた激情の熱が引いていく。それとともに“僕では絶対にヤツに敵わない”という認めたくない現実を直視することになる。

 ありとあらゆる選択肢を摘み取ってみても、どれも決定的なものにはなりえない。


「……紅蓮」

「ん? どうした? ヒロ」

「僕は……どうすれば良かったんだ?」


 僕のとった方法は最良の手―――最悪の奥の手だった。多大な代償の代わりに、最も肉薄することが可能な悪手だったはずだ。

 それでも勝てないのなら、僕には最初から道なんて与えられてなかったのかもしれない。いわゆる“詰みゲー”ってやつか。

 諦念と絶望、何より悔しさが僕の胸を締め付ける。フローラちゃんの仇も討てず、紅蓮との約束も果たせなかった。そのことがとても悔しい。

 悔しさは後悔へと繋がる。

 もし、最善だと思っていた行為が裏目に出ていたのなら。もし、他の方法があったのなら。そう考えるだけで、後悔が僕の背中に指を差してくる。


「……君は、精一杯やったさ。死んだ王女様や、私のために必死に考え、必死に行動したんだろ。それ自体に善しも悪しもない」

「それでも僕は……つい考えてしまうんだ。他に方法があったんじゃないかって。勇気カーレッジを倒すための方法が」


 自分の手の平を見つめる。何もできない、誰も救うことができない、小さな手だ。

 今更どう足掻こうが、もう遅い。体は満身創痍。魔力も枯渇直前。ここから目覚めれば、勇気カーレッジが僕を殺そうと目前に立っていることだろう。

 これが僕の本当の最期か……。

 ああ、悔しいなぁ……。




「―――もし、ヤツを倒せる方法が一つだけ残っていると言ったら、君は全てをなげうってでもそれに賭けるかい?」




 紅蓮が投げかけた問いに僕は驚きの眼で答える。

 瞳に映る彼の顔は嬉しそうに微笑んでおり、しかし、どこか悲しげあった。

 勇気カーレッジを打倒する方法がある。それが本当なら、縋るしかないだろう。


「……聞かせてくれ」

「これは君にとって最悪の手段だ。代償も割に合わない。それでも聞くかい?」

「それしか道が無いのなら」


 まっすぐと、迷いなく答える。

 もう既に一度死んだ身。ならば如何な代償があろうと払ってみせる。

 それほどまでに僕はヤツを―――勇気カーレッジをこの世から葬り去りたいと願っている。


 僕の回答を聞いた紅蓮は鼻で大きく息を吐き、ゆっくり説明を始める。


「以前、この肉体は君と私、双方のものであると言ったのを覚えているかな?」

「確か……随分前にそう言っていたな。あの時はどういう意味かよく分からなかったけど」

「その言葉は比喩ではない。君が転生した際、首が折れて瀕死だった君の体と、同じく死の間際だった私の体を一つにさせたんだ。つまり、この肉体の所有権はどちらにもあるということだ。そして今は君が肉体の所有権を行使している。

 そこで君が私に()()()()()()んだ。そうすれば、私本来の―――圧倒的な鬼の力を存分に発揮し、勇気カーレッジを倒すことができる。ヤツとは二回戦って、その力の程は理解している。大丈夫だ。彼は私よりも弱い」

「その発言は心強いよ。とはいえ、元は同じ肉体だろ? そこまで能力が急激に変化するものなのか?」

「その点は問題ない。私たちの肉体は人と鬼、陰と陽、二つの側面を持っている。思うに、人としての君が表に出ている間は、肉体も人の性質が濃くなる。ならば、鬼としての私が出れば、肉体もそれに呼応してくれるだろうよ。そうすれば、体は断たれるまで動き、力もヤツを上回るだろう」


 なるほど。紅蓮の言っていた理論が本当に正しいかどうかはさておき、筋は通っている。

 紅蓮の力は未知数だが、ここまで豪語するのだ。任せても問題ないだろう。

 それより、最も重要な事は―――


「…………僕が負う代償というのは?」


 彼の瞳をまっすぐと捉え、質問をぶつける。

 全てを擲ち、多大な負債を抱える覚悟はできている。とはいえ、何も知らされないわけにはいかない。

 僕の質問を受けた紅蓮は一度目を閉じ、心と伝える内容を整理する。僅か数秒でそれを終えると、軽く息を吸ってから、答え始めた。


「私と君が意識を交代するのに際して、君の精神は奥底へ沈んでいくことになるだろう。強い精神力をもってすれば今まで通りになるだろうが、下手すれば君は精神の最下層へと堕ちていく。現実との接触は断たれ、永遠に続く眠りへと誘われることだろう。最悪、私の精神と混ざり、君という存在は()()()()()()


 突きつけられた代償は、存在の消失だった。

 消失。精神の混合。それは死とどう違うのだろう。

 何もわからないが、本能でそれが恐ろしいことだと理解できる。


「ヒロ。存在の消失というのは単純な死とは違う。肉体を失っても魂は存在し、“次”が存在する。邪法によっては復活も可能だ。しかし、消滅は本当に何もかも無くなってしまうんだ。魂も、意識も、記憶も、何もかもが。それでも君は―――」

「それでも僕は、勇気カーレッジの死を願う」


 自身の消滅がなんだというのだ。その程度で僕の決意が揺らぐわけがない。

 ヤツは屑だ。弱者を虐げ、それ見て嗤う―――僕を自殺へと追いやったいじめっ子(クソヤロウ)と同じ、世界のゴミだ。

 そんなやつを野放しにしてはならない。一刻も早く始末しなければ、僕の大切な人たちにも魔の手が伸びる。

 ヤツがこの世から消えてなくなるのであれば、僕は喜んで人柱にでもなってやろう。



「君は……それを救済と受け取るのか?」

「ああ」


 辺りに咲いていた花が萎み、枯れ、白い床が露わになる。


「己の弱さを憂い、それを望むのか?」

「ああ、そうだ。望むとも」


 空を塗っていた青が色彩を失い、雲は輪郭を失っていく。


「己の全てを捨ててでも、それを望むのか?」

「望む。僕はどうなってもいい。ユーリ達や何の罪もない人たちが傷付かないのなら、フローラちゃんの仇を取り彼女の尊厳を戻すことができるなら、僕はどうなってもいい」


 地平が消え、空と地の境界が曖昧になる。

 そこはヒロと紅蓮しか存在しない、完全な白の世界へと変わってしまった。


「自身が消えると分かっていても、望むのか?」

「望む。もう未練はない。僕が消えても構わない。僕は、()()()()()()()!!」


 白い世界が崩壊する。それはガラスが割れるように。それは卵が孵るように。

 僕の下に広がっていた床も崩落し、無限の奈落へと堕ちていく。

 遠ざかる紅蓮に見つめながら、別れを伝える暇がなかったなとぼやく。

 そして、天の明かりが届かなくなり闇が濃くなってくると、僕の意識もだんだんと形を失っていった―――。






 ―――少年は動かない。だが、微かに息の音が聞こえる。

 センダ・ヒイロはまだ生きている。そのことに気付いた勇気カーレッジはゆっくりと少年に近付く。

 周りの墓地を見れば、先程の戦闘の苛烈さを物語るようであった。十字の墓石は石くれと化し、土は墓荒らしのときより手酷く掘り返され、亡者を慰める色とりどり花々は無残に散っている。

 戦場跡のようなその地を踏みしめながら、墓の下からたった今出てきたような少年を見下ろす。


「また、変に生き延びられちゃ厄介だしな。首を刎ねて正義ジャスティスへの手土産にでもするか」


 手刀を頭上に掲げる。

 振り上げられた手刀は彼の能力によって細長い刀ように変形する。

 狙うはヒロの首筋。絶対に外さない。

 狙いを定め、一息に手刀が振り下ろされる―――!




 鮮血が地面を濡らし、真っ赤な水溜りを作る。

 ボタボタと流れ落ちる血の滝の源は、()()()()であった。

 あまりにも一瞬、あまりにも突然の出来事に勇気カーレッジは激痛を忘れる。

 そして数秒の後、自身の腕が消え去ったことに漸く気付くと、肘までとなった腕を抱えうずくまり、叫びそうになるのを歯を食いしばり必死に抑える。


「うっ……ぐうぅっ………。テメエ……! やりやがったな、()()!!」


 勇気カーレッジが振り向いた先には、朱い着物を羽織った少年の後ろ姿があった。少年の手には、先程まで自身の肘に付いていた、異様に太い腕。

 腕からは大量の血が流れ出ていたが、しばらくするとほとんどが流れ落ちたのか、緩んだ蛇口のようにポタポタと落ちるのみとなる。

 少年はその腕を自身の口の前まで持ってくると、おもむろにんだ。


「あむ、むぐ………んぐ」


 口の周りを赤い液体で汚れることも構わない様子で、厚い皮と血の滴る肉を噛みちぎる。

 一口だけ頬張ると、十分に咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。


「……固いし、不味い。もういらないや」


 後ろに投げ捨てられた腕は、勇気カーレッジの目の前で音を立てて落ち、土で汚れる。

 自身の腕が奪われ、その上存外に扱われ捨てられた。その屈辱に勇気カーレッジは痛みも忘れ、怒りに震える。

 ぎりぎりと歯を食いしばり、顔を歪ませる。そこに今までの、闘いを愉しむ余裕は一切ない。それはどこか、怒りの中に一抹の()()を孕んでいるようでもあった。


「その速さ。その強さ。そして、その身から溢れる魔力。間違いねぇ……。テメエ、復活しやがったのか、鬼神ィ!」


 少年が振り返る。

 満身創痍だった肉体は嘘だったかのように傷が癒えている。

 その口には血がべっとりと付いており、目元にはそれと同様の色をした隈取。

 今までの勇敢な顔付きとうってかわり、その表情は微かな笑みが浮かんでいる。

 放つ雰囲気は実に落ち着いたものであり、それでいてどことなく妖艶である。

 彼が人ならざるものであることを示す牙、縦に割れた瞳孔、そして額の角。


 そこにはもう、異世界人の泉田緋色はいない。

 そこにいるのは、悪鬼。“鬼神”紅蓮だ。


 紅蓮はその赤い瞳で勇気カーレッジを捉えると、死にかけの虫でも見るかのような態度で口を開く。


「あまりその聞くに耐えない声を発するのはやめろ。今は少々機嫌が悪いんだ。虫唾が走る」


 蹲る勇気カーレッジへと歩を進める。

 途中、ヒロが使っていた短剣(グラディウス)が折れているのを視界に入れるが、気にした様子もなく歩いていく。

 歩きながら右手を開き、自身の影にかざした。すると、影の中から漆黒の金砕棒(メイス)が出現し、彼はそれを手に取る。

 金砕棒の長さは凡そ二メートル。全長の三分の一が太い八角棒でできており、鋲のようなものはなく、反対側には鉄輪が付けられている。無骨でありながら剛健な得物だ。

 それを勇気カーレッジに向けると、妖しい笑みで言い放つ。


「確か、『本気で抗ってみせろ。でなければ俺が楽しめない』だったか? ヒロにそう言っていたな。今度は私が言ってやろう。

 さあ、必死に抵抗しろ。そして私を楽しませろ」


 その言動に、勇気カーレッジは更に顔を歪ませる。


「……調子に乗るなよ、鬼神。復活したとはいえ、その身体はだいぶ疲弊しているはずだ。対してこちらは―――こうだ!」


 切断された腕から無数の触手が生え出てくる。それを鞭のようにしならせ、紅蓮に矛先を向ける。

 紅蓮は涼しい顔をしながら間一髪これを避け、大きく後ろに飛び退る。

 間髪入れずに触手が紅蓮に襲い掛かる。が、金砕棒を片手で軽々と振るい、触手を弾き飛ばす。


「言っただろ!? 俺を構築している細胞一つ一つが万能細胞! 一つでも残っていれば再生・復活可能! 腕の一本切り落とそうが無駄なんだよ!」


 見れば、断たれたはずの勇気カーレッジの腕はみるみるうちに再生しており、皮膚が覆っていないだけの状態になっている。

 確かに、彼の言うとおりいくら切断しようとこれでは無意味だろう。

 しかし、それだけに留まらない。



「お前は油断ならない相手だからな。全力全霊でぶっ潰してやるッ!!」


 勇気カーレッジの身体は更に肥大化し、異形へと変貌する。

 体長は五メートルを優に越し、身体の至る所から先端に様々な武器を備えた触手が生え、人を簡単に握れ潰せそうな腕が六本揃う。下半身はさらなる速さを求め、前足は熊、後ろ足は馬の四足となる。体中に所狭しと眼球が出現し、ギョロギョロと紅蓮を見つめる。さらに竜石の恩恵により、全身を岩石の鎧が覆う。

 それはもう人間とは呼べない代物。まさに“怪物”に相応しい何かへと変わり果ててしまっていた。


「どウだッ!? こレはおれサまでもはじメての“ちょーせん”ダっ!! こレでおまエはシンダ! シンダ! シンダ!!」


 触手がその刃を紅蓮に向ける。斬撃が、打撃が、豪雨さながらに降り注ぐ。

 だが、そのどれもが掠ることなく地面に突き刺さる。雨あられと繰り出される連撃を、紅蓮は華麗に、舞うように、次々と難なく避けていく。


「なゼダ!? なんデあたンねェんだヨォっ!!」


 しびれを切らした勇気カーレッジは触手での攻撃を止め、その巨躯での突進へと切り替える。

 巨体を用い、猛スピードでの突進は象やサイなどより遥かに強烈だろう。

 しかし、それは当たればの話だ。


 駆け出すと同時に、勇気カーレッジは間抜けにも足を絡ませ顔面からコケた。


「……? ! !!?」


 自身がコケたことを認めたくないのか。それとも、そもそもコケたこと自体に気付いていないのか。勇気カーレッジは目を白黒させて動揺している。

 すぐに立ち上がらなくてはいけないことに気付いた彼は体を起こそうとするが、またもや顔面を地面にぶつける。


「鬼神ィィイ!! なにしヤがっタ!!?」


 未だに自身の滑稽さを理解できない勇気カーレッジは、全てを紅蓮のせいだと愚かにも決めつける。

 そのザマを哀れにでも思ったのか、紅蓮は溜息を一つ吐くと仕方なさそうに説明をする。


「解らないのか? その姿がお前自身の枷になっているんだよ」

「………?? どーユーこと?」

「生物の脳には限界がある。それは“知性”の面ではなく、“処理と制御”の面においてだ。如何に天才であろうと、人間は人間の形でなくては十分に動かすことができない。それは魚類以上の生物全てに言えることだ。目の一つ、指の一つでも付けたのなら、脳は混乱し、与えられた情報を正しく処理できず、肉体全てを制御することができず誤作動を起こす。

 だというのに、お前は馬鹿みたいに感覚器官である目を増やし、触手やら手足やらの運動器官を増やした。その体に脳みそがついていってないんだよ。

 と言っても、説明を理解するぶんの容量もないだろうから、説明するだけ無駄だけどね」


 この阿呆め、と付け加えてこめかみを数度つつく。

 紅蓮の説明にサッパリ理解できない様子であった勇気カーレッジも、馬鹿にされていることだけは理解できたようだ。

 眉間に皺を寄せ、怒りの感情を顕にする。


「なにいっテンのかわカンねーが、うゴケねーんナらこの“うねウネ”でコロしてやる!!」


 再び大量の触手が襲いかかる。

 その様はヒュドラの進撃と言ったところか。

 互いにぶつかり、絡まり合いながら、太い触手は止まる気配はなく怒涛の勢いで迫り来る――!




「―――邪魔」


 一撃、金砕棒を横一文字に振るう。

 たったそれだけの行為で、触手はその衝撃と風圧によって捩じ切られ、捻り切られ、断ち切られる。

 圧倒的な一撃のもとに細かな肉塊と化した触手はボトボトと地面へと落ちていく。

 この光景に勇気カーレッジは驚愕で目をこれでもかとひん剥き、呆れるしかなかった。


「―――うん、中々面白い()()だった。そこそこ楽しめたよ。特に、自信満々だったお前の顔が驚きに変わるさまは実に滑稽だった。

 ……さて。じゃあ次は、“本番メイン”だ」




 そこからは、一方的なものだった。

 勇気カーレッジも必死に抵抗はしたが、力も速さも紅蓮のほうが圧倒的に上。それは猫が弱った鼠を弄ぶかのようであった。

 紅蓮は、殴り潰し、叩き潰し、踏み潰し、握り潰し圧し潰し捻り潰し磨り潰し潰し潰し潰し潰し潰し、そして潰した。




 ―――墓地はさらなる惨状へと変貌していた。

 そこらには勇気カーレッジの体を構成していた肉片が飛び散っており、頭が眩むほどの血の匂いが充満している。

 地獄と呼んで差し支えないこのスプラッタな舞台に、勇気カーレッジはまだその震える足で立っていた。

 しかし、その身体は紅蓮によって徹底的に削ぎ落とされており、掠れた音を出しながら息をし、立っているのがやっとといった状態だ。


「……な、ぜだ。過去二回においても、ヤツにここまでの力は無かったはず……」

「余計な部分が減ったお陰で、考えるだけの余裕ができたようだな。答えは単純。私も手加減しながら戦っていたんだよ。そうでなければ、鬼である私とただの人間であるお前が対等に戦えるわけ無いだろう。今回は元よりお前を殺すつもりだったから、その必要は無かったわけだが」


 ゆっくりとした足取りで、勇気カーレッジに近付く紅蓮。

 彼の目の前で立ち止まると、右の拳を勇気カーレッジの顔の前まで持っていく。


「しかし、それはそれとして、お前の強さは褒められたものだ。そのことを称賛して、()()()()()()殴る。それ以上は手出ししない。お前も全力の一発を私にぶつけてみせろ。それで“決着”としよう」


 突き出された正拳。それは決闘の申し出だった。

 ()()()()()。しかし、この一発が自身の命運を左右するだろう。勇気カーレッジはそう直感した。

 紅蓮の一撃が直撃すれば、いくら全身が万能細胞といえども“死”の未来が待っていることだろう。

 今この時だけは、紅蓮が死神のように思える。本能が逃げろと囁く。

 だが―――


「……ふざ、けるなよ。俺は闘技場の英雄タッカスだ……七つの美徳の“勇気の徳(カーレッジ)”だ!! 逃げるなんてこと……するわけねぇだろぉがッ!!」


 己の右の拳を紅蓮に突きつける。これにて決闘は相成った。

 紅蓮は耳まで裂けるほど大きく口を広げ、その尖った白い牙を覗かせながら、邪悪に楽しげに笑う。この死闘を心の底から楽しむかのように。それこそが鬼の本懐と言わんばかりに。




 月が静かに彼らを照らし出す。更地になった墓地に生物の声は響かず、ただ風が吹き抜ける音がする。

 風が止み、静寂がその場を呑み込み、一拍おいた、次の瞬間―――二人が同時に右腕を振りかぶる。


(ただの力比べでは俺は勝てねぇ。だが、俺にはまだ“変型自在(メタモルフォーシス)”を使う体力が残ってんだぜ!!)


 勇気カーレッジの腕が変形する。

 その前腕は太く、硬く、大きく、それは巨大なハンマーの先端のようであった。肘部には三つの噴出孔が出現し、そこから魔力を含んだ暴風が噴出される。


「岩砕鉄壊拳ッ!!」


 撃ち出された鉄拳はまさに砲弾さながらであり、紅蓮の会心の一撃が放たれるよりも先に、彼の顔を捉えた。

 紅蓮の足元がひび割れ、大きく凹む。その事実はそれほどまでに強烈な一撃であったことを裏付ける。

 しかし、勇気カーレッジの全力であるこの一撃を受けてもなお、紅蓮は倒れなかった。額から血を流しつつも、その顔から笑みが失われることはなかった。


「なん―――ッ!?」


 驚愕する間も与えず、紅蓮の拳が迫る。


「斉ッッッ!!!!!」


 今、渾身の正拳が勇気カーレッジの胸を穿つ。

 その拳は凄まじく、そして恐ろしいものであった。

 まっすぐと突き出された拳。その一撃は、勇気カーレッジの強靭な肉体に大きな風穴を開けた。


「―――――カフッ」


 血を吐きかけ、そのまま後ろへ倒れ込む。

 風穴は勇気カーレッジの胴体の六割を奪っており、心臓や肺、内臓をごっそりと持ち去っていた。傷口は血を吐き出し続けるのみで、再生する兆しはない。

 紅蓮の勝利だった。




 動かなくなった勇気の姿を紅蓮はじっと見つめる。

 そして、返事など返ってこないことは承知しているはずであろうに、話しかけるように言葉を吐く。


「一発は一発。これにて“決着”だ。この後は野垂れ死ぬなりなんなり好きにしろ」


 吐き捨てると、踵を返し、異常な跳躍でどこかへ飛び去っていく。

 そこに残されたのは、一向に動かない勇気カーレッジの体と見るも無残な墓石の残骸だけ。

 紅蓮が見えなくなってからしばらく経つ。すると、突如死んだかと思われていた勇気カーレッジがモゾモゾと動き始めた。


「ぢぐ、じょう……ッ! この俺が、またもやあの鬼神に敗れるとは……!」


 肉体の再生が始まる。

 しかし、傷口を塞ぎ流血を抑えることができても、腹に開けられた巨大な穴までは塞ぐに至らない。

 細胞一つから復活可能とはいえ、それには膨大な時間がかかる。受精卵が成人になるまで二十年の歳月がかかるのだ。いくら特殊な能力(アビリティ)と言えど、それを一日二日でなすのは難しいだろう。

 加えて炉心である心臓と魔力変換器である肺が潰されたのだ。今は原始生物のような単純な機構で生き永らえてはいるが、再生を補助する魔力の制御は行えない。空気中に漂う僅かな魔素(マナ)で代用するしか方法はない。


 仕方なく勇気カーレッジは動かない下半身を切り離し、惨めに地を這いずりながら移動を開始する。


「くぞっ!! なんでこんなことに……。一先ずどこかに身を隠して回復しなければ。肉……なんでもいい、肉を喰って魔力の回復と肉体の再生を―――」


 勇気カーレッジが硬直する。その視線の先には一つの人影があった。

 その正体は、モーラ神国のトップ、教皇ジューダス―――いや、七つの美徳の一人“信仰の徳(フェイス)”だった。


信仰(フェイス)……」

「ふむ。随分とコテンパンにやられたようだな、勇気カーレッジよ」

「テメエ……今更何しに来やがった?」

「言わずとも分かるだろう。ヒントをやろう。我が主は貴様に最後のチャンスを与えたもうた。しかし、貴様はその期待に反した。それは背信に等しい行いだ。加えて、ここ最近の貴様の行動には我が主も頭を抱えていたところだ。あとは……分かるな?」


 瞬間、勇気カーレッジの顔に真珠玉の汗がいくつも溢れ出る。

 信仰フェイスは自分を()()()()()()。それを瞬時に察したのだ。


「そうそう。あとそれと……ああ、あったあった。()()の回収も頼まれていたんだった」


 怯える勇気カーレッジに目もくれず、彼はどこかへ歩き始めた。

 そして、勇気カーレッジから十数メートル離れた地点で立ち止まると、屈んで何かを拾い上げる。

 信仰フェイスが拾った()()。それは巨巌竜の竜石だった。

 勇気カーレッジの胸に埋め込まれていたものが破壊されずに吹き飛ばされていたのだ。


「流石巨巌竜の竜石と言ったところか。鬼神のあの一撃を受けてもなお、傷一つ付かずに残っているとは」


 勇気カーレッジに背を向け、竜石に見惚れる信仰フェイス

 その隙をつき、勇気カーレッジはゆっくりと後退する。

 足を失ったせいで、早く逃げたくても逃げられない。心臓や肺が無いせいで、すぐに体力が切れる。

 それでも黙って死を待つほど、彼は潔くはなかった。


「どこへ行くつもりだ?」


 突然、右肩に激痛が走る。

 叫びそうになるのを堪え肩を見ると、そこにはどこから現れたのか、十字架が楔となって自身を地面に磔にしていた。


「こ、これは……」

「君も幾度か見たことがあるだろう。私のスキル“苦しみの杭(スタウロス)”だよ。磔にした者の体力と魔力を奪い瀕死の状態で生かし続ける―――最も残忍なスキルだ」


 動けない勇気カーレッジのもとへ、ゆっくりとした足取りで赴く。

 その間も勇気カーレッジはどうにか逃れようと藻掻くが、紅蓮との戦いの疲弊と信仰フェイスのスキルによって、数秒もしないうちに身悶えすることすらできなくなってしまった。

 周り込みその顔を覗くと、恐怖に歪んだ顔があった。大人気なく涙や鼻水を垂れ流し、歯をガチガチと鳴らし、怯えた子供の目で信仰フェイスを見上げる。それは、“勇気”とは最もかけ離れた表情であった。


「私としても、同じ志を持っていた仲間を手にかけるのはとても心苦しいよ、勇気カーレッジ

「た、頼む……。殺さないでくれ……次こそ必ず………」

「そういえば、君にはまだ聞いていなかったな」




「君は、神を信じるか?」




 ――――――――――




 時計の針が真上を示す。同時に真夜中を知らせる鐘の音が響く。

 パリリー市街を一望できる丘の上に一つの寺院が建っている。その屋根の上に紅蓮はいた。


「……四ヶ月弱か。思えば長いようで短かったな。しかし、ようやくこの肉体を取り戻せた。……ああ、ようやくだ。ようやく、私は我が野望を―――“純然にして燦爛たる悪の道”を歩むことができる……!」


 月が妖しく彼を照らす。それは、彼を祝福するように。

 月明かりに照らし出された美しい街並みを見据え、彼は笑う。その笑顔が邪悪に見えたのは、決して気のせいではないのだろう。

 なにしろ彼こそは、人の世を乱す鬼神なのだから。

ヒロと勇気の決闘は小説を書き始めた時点で書きたかったストーリーの一つです。

なので今回はそれが書けて少し満足。

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