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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第四章 勇気の詩〜悪鬼決闘編〜
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第66話 拝啓、愛しき宿敵へ

ゲームのイベントとレポートを同時にしないでほしい

 ある昼下がりの午後、数ある喫茶店のその一つ。テラス席の一角に僕と彼はいた。

 傍目から見れば何の変哲もない普通の風景だろう。だが、それは彼の放った言葉により僕が机叩いて立ち上がったことで、異常へと変わる。


「ふざけるなッ!!」


 最大限まで自身の怒りを言葉に表現し、彼に投げつける。

 彼は落ち着いた様子で、『とりあえず落ち着いて座れ』と言うかのように両の手の平を上下に動かす。周りの視線が集まっていることに気付いた僕は、大きく息を吐いて彼に従う。


「……それは、本当なんですか? マシューさん」

「二度も言わせないでくれ。昨日、騎士団名義でお達しが来た。『これ以上、剣闘士タッカスの身辺を調査することは法に抵触する』とね。心苦しいが、俺は知的好奇心で身を滅ぼすような馬鹿な真似はゴメンだからね。この仕事は降ろさせてもらう」

「ッ……!」


 ふざけるな、と再び罵倒しそうになる。

 ここまで来ておいて、お前だけ逃げるのかと。何もタッカスについて情報を掴んでいないのに、役目を放棄するのかと。

 ……いや、それはもうどうでもいい。元はタッカスを騎士団に突き出すために雇ったに過ぎない、謂わば使い捨ての駒だ。僕がやつを倒すと覚悟した今、彼がいる必要はなくなった。

 しかし、もう少し働いてもらわなければ。


「報酬の件も無しでいい。本当にすまないね、ヒイロくん」

「いえ、分かりました。だけど、もう一日だけ調査を続けてください」


 僕の言葉聞いた途端、驚きの表情を見せる。

 当然だろう。これ以上は無理だと言っているのに、やれと言っているのだから。


「君は俺の話を聞いていたのか!? これ以上は騎士団沙汰になる! 逮捕されてこの後の人生を棒に振るなんてまっぴらゴメンだ!!」


 想像どおりの答えが返ってくる。ここまで予想が的中すると面白可笑しいもんだ。

 保身で必死になっているマシューを心の中で嗤いながら、どうにかやらせるように説得を試みる。


「なに、バレなければいいんですよ。それに、今度はやつの予定を探ってほしいんです。なるべくなら、やつが一人きりになる瞬間を教えてください」

「そうは言っても……」

「もう何度も調査は行っているでしょう? なら大体の行動パターンは把握しているはずだ。あとはそれを確定させるだけです。大丈夫です。あなたの腕があれば、どうとでもなるはずです」

「だが……」


 中々首を縦に振ってくれないな。このまま行っても平行線か。

 なら仕方ない。あまり使いたくなかったが、奥の手だ。


「……マシューさん。僕だってそこまで呑気なわけでもない。二体の竜を退けた僕の力、あなたも理解しているでしょう?」

「……まさか、君は……」

「率直に言いましょうか。()()()()()()()()()()()()()()。これ以上は僕も我慢の限界なので」


 僕の最後の手段。それは“脅迫”であった。

 もうこれは“交渉”なんてものではない。言葉で従わなければ、力でねじ伏せる。そんな野蛮な行為だ。

 罪悪感がないわけではない。だが、僕も手段を選ぶ余裕なんてないのだ。


「さあ、答えを聞かせてください。断ったり、逃げようとしたら……勿論分かっていますよね?」

「……脅迫これは立派な犯罪だ。それを理解してやっているのか?」

「僕がさせようとしていることも犯罪だ。今更倫理や道徳なんてものに構っていられないんですよ。騎士団に頼っても無駄ですよ。彼らより僕のほうが近いんですから」

「……君は、悪魔なのか」

「ただの村人ですよ。目的のためなら、悪魔でも怪物でもなってやりますがね。

 ……それで、どうするんです? 質問を『影に切り裂かれるのと電撃、どちらで殺されたいか』に変えましょうか? どちらを選んでも、人目につかないようにしてあげますから」

「ま、待ってくれ! ……分かった。但し、あと一日だけだ。それで良いのなら」

「ええ。決まりですね」


 わざとらしく笑顔を浮かべる。マシューはそれを恐れや怒りを孕んだ瞳で睨んでくる。最初に会ったときとはかなりの違いだ。

 彼からかなり恨みを買っただろうが、これで大きく進展した。敵の情報があるのとないのでは、大きく違うからな。



 マシューは残った珈琲を飲み干すと、『もしもの連絡用に』と伝言鸚鵡の魔石を僕に手渡して、挨拶もなしにそそくさと帰っていった。

 彼の後ろ姿が人混みに溶けていった頃、頭の中に男の声が響く。


〔あのまま行かせて良かったのかい? ヒロ〕

「紅蓮か。ああ、構わない。あいつに危険が及ぼうと、情報さえ寄越してくれればそれでいい」

〔その考えといい先程の脅しといい、随分とらしくないじゃないか〕

「そうじゃなきゃ勇気(カーレッジ)は倒せない。そう判断したまでだ。逆に聞くけど、お前ならどうした?」

〔君と同じ手をとっていただろうね。私は口は回る方だが、恐怖で支配することの方が得意でね〕

「誰もお前の得手不得手なんか聞いてないよ。僕が言いたいことは“これが僕の要望を押し通すための最適解だった”……そうだろ?」

〔然り。恐らくだが、どれ程の好条件を積んだとしても彼は動かなかっただろう。ならば無理矢理にでも動かす他あるまい〕


 ああ、そうだ。だから僕は悪くない。……いや、悪かろうと為さねばならぬのだ。

 もう覚悟したのだ。それが修羅の道であろうと、必ず勇気(カーレッジ)に復讐を果たすと。確実に追い詰め、奴の息の根を止めてみせると。

 それが殺されたフローラちゃんへの手向けであり、彼女を助けられなかった自分への贖罪だと信じて。


〔話は戻るが、本当にあの記者まがいを行かせてよかったのか?〕

「くどいな。僕が良いと言ってるんだから良いんだって―――」

〔いや、そうではなくて。彼、コーヒー代を払わずに帰っていったぞ?〕

「…………」


 マシューが座っていた席に視線を向ける。そこには空になったカップとソーサーがあるのみで、金銭の類は一銭も無い。

 よく見れば、ソーサーの下に千切られた紙切れが挟まれている。それを抜き取り、そこに書かれてあった文面を読む。


『仕事は引き受けた。代わりにコーヒーのお代払っておいてね♡』


 それは間違いなく彼の筆跡であり、端にはご丁寧に可愛らしい似顔絵が描かれてあった。

 いつの間に書いたのかと舌を巻くべきなのか、彼の剛胆さに呆れ果てるべきなのか。

 確かなことは、勇気に向けられた恩讐の炎が少しばかりマシューに飛び火したことだけだった。


「……やっぱ大っ嫌いだわ」



 ――――――――――



「―――さて、と。」


 ホテルの一室。一人で泊まるにはやや大きいその部屋には、マシュー以外に誰もいない。

 マシューは愛用のカメラの整備を終えると、カメラをベット横の机に置き、ベットに横になる。


(脅されて強制的に引き受けたものの、俺自身タッカスについて知りたいのは本心だ。『剣闘士タッカスの謎の私生活』……この情報をどこかの新聞社や週刊誌に売りつければ、カネはたんまり貰えるだろうな)


 まだ確定もしていない先の幸福を頭の中で思い描き、マシューは思わず笑みを漏らす。

 しかし、その笑顔もふと思い浮かんだ疑問によって掻き消える。


(にしても、ヒロ君は何故あそこまでタッカスに執着する……? あの態度は熱烈なファンのものではない。まるで家族や友人を殺されたかのような……恨みがこもったそんな態度だった。……もしや、本当に誰か殺されたのでは?

 しかし、彼はこの世界に来てまもない異世界人。家族は当然として、親しい友人も多くない。上げるとすれば、勇者候補の一人ユーリとその一行、英雄級“破壊僧(デストロイヤー)”シャオ・リン、聖十二騎士(ゾディアック)“人馬宮”ケイロン・エイジャックスと側近のジャン=ピエール・マルタンおよびライア・ヴィルギン。双龍大戦で共に戦った聖十二騎士(ゾディアック)たちも可能性としてはあるか。あとは不確かな情報だが、英雄級であり勇者候補ジーク、同じく勇者候補エピーヌ、宵闇の怪盗団、フルーランス王室。このあたりはガセの可能性が高い)


 自身のネットワークで得たヒロの情報と重ね合わせながら、思考を巡らせる。

 しかし、そのどれもが大きな不幸を被っていないと理解すると、すぐさま頭の中から切り捨てる。唯一、王女殺害の件を思い出し、フルーランス王室の線だけは残しておく。


(残るは、モーラで彼と一緒にいたあの少女。身元は不明だが、あの顔、やはりどこかで……)


 懐から小さなモノクロの写真を取り出す。そこにはヒロの姿と、その横に並んで歩く幼さの残る少女が写っていた。

 少女の顔は帽子や色眼鏡によって分からないが、身に着けている服や靴から裕福な家庭であることが推察できる。

 一枚の解像度の低い写真から彼女が誰かを暴き出そうと、マシューは眼を血走らせて凝視する。

 写真の少女が先日亡くなったフルーランス王女、フローラであると理解する直前、彼はふと思考を止めた。




 部屋の外から絨毯でほとんど消された微かな足音を聞き取る。そう、それこそが待ちに待ったターゲット――タッカスの足音だ。


(……来た!)


 マシューは写真を放り出し、壁に耳をつける。

 彼は“盗み聞き”というスキルを持つ。数メートルの範囲内の音を遮蔽物や音の大きさを問わず聞き分けるというものだ。


(この隣はタッカスが予約したスイートルーム。部屋と部屋の間はかなり開いているが、俺の鍛えに鍛えた“盗み聞き”の前では無意味だ)


 マシューの耳に扉が開く音が飛び込む。その後、二つの足音が重なり合って聞こえてくる。


(足音が二つ……? タッカスは一人で予約していたはずだが……友人か、それとも女だな。有名な女優とかなら嬉しい誤算だが……)


 更に注意深く自身のスキルを集中させる。

 木材が軋む音が聞こえる。恐らく椅子に座ったのだろう。続けて、二人の話し声が聞こえる。


『まぁ、楽にしてくれや。折角だ、俺が何か注いでやろうか』

『いや、控えておこう。今日は話をしに来ただけだからな』

『そう言わずによ。先日、年代物の葡萄酒ワインが入ったんだ。葡萄酒ワイン、好きだったろ?』

『……仕方ない。少しばかり頂こうか』


 聞こえてきたのはタッカスと思しき男の声と、低く威厳のある老人の声だった。

 連れてきたのは女性ではないことが解って、思わずマシューは落胆のため息を漏らす。

 トプトプと葡萄酒が注がれる微かな音。トン、と葡萄酒の瓶を置くと、二人は会話を再開する。


『ん〜、流石は年代物だ。味や喉越しもさることながら、何より香りが良い。……で? 今日はどんな要件だ?』

『分かっているはずだ。ここ最近のお前の行動は目に余る』

『俺は俺の仕事をしっかりとこなしているぜ? それにどんな不満があるってんだ』

『やりすぎだ。我が主も今は黙認しているが、これ以上は許されると思うな。それに、今回は別の任があるだろう。まずはそちらを優先しろ』


 次々と交わされる会話。その内容にマシューは些かの違和感を抱く。


()()()……? 彼は休暇中のはずだろ。それに()()()だって? タッカスはただの剣闘士。スポンサーはいようが、“主”だなんて仰々しい相手がいるものなのか? 何よりこの老人の口ぶり……タッカスが犯罪じみた何かをしているかのような―――)


 様々な疑問と恐ろしい予想が頭を巡る。

 彼はここ最近勃発している凄惨な事件が自分をそう思い込ませているのだと考え、無理矢理にでも払拭する。



『そっちの件は忘れちゃいねぇよ。忘れるなんてことは絶対ねぇ。アイツは―――()()()()()()()()()()()()


 身体が硬直する。

 不意に飛び込んだその言葉にマシューは驚愕し、一瞬息をすることすらままならなかった。

 まさか。ありえない。それはあくまでも考えうる限り最悪の戯言だったはずだ。

 理性でそれを否定する。しかし、心の何処かで歯車が見事にハマったかのような感覚が存在していた。


『ほう? ならば今まで殺人坊や(キラーベイブ)の名で人を殺め続けたのもそのためか?』

『それはほとんど俺の趣味―――つーか日課みてぇなもんだ。だが、あの王女だけは違う』

『王女……フローラ王女のことか』

『あぁ、そうともさ。あのガキはアイツと妙に仲が良かったみてぇだからな。折角俺が出向いてやったにもかかわらず、ヤツはつれねぇからよぉ。王女様をブッ殺して誘き出してやろうって考えたわけよ』

『随分と遠回りな……。お前ならセンダ・ヒイロのもとに直接乗り込むものだとばかり思っていたのだがな』

『今回は俺も後がねぇからな。慎重に期しているだけだぜ』

『……くれぐれも“七つの美徳”の名に泥を塗るような真似だけはするな、勇気の徳(カーレッジ)よ』

『あいあい。承知しておりますよ、信仰(フェイス)様』


 驚愕的な単語が立て続けに鼓膜を震わせる。

 殺人坊や(キラーベイブ)の正体。フローラ王女を殺めた犯人。ヒロと王女の関係。七つの美徳の勇気と信仰。

 まるで深淵に触れているかのような真実。それに直面してもなお、ジャーナリストのサガか、心の内を恐怖に支配されながらも最後まで聴き続ける。

 二人の会話が一段落ついた頃、漸く頭がゆっくりと回り始める。


「―――な、なんてことだ……。誰かにこの事を知らせないと……! まずは騎士団……いや、それより先にヒロ君に。そうだ、確か伝言鸚鵡の魔石を彼に渡している。オウム……オウムにこの事を―――」


 うわ言のようにブツブツと呟きながら、部屋の隅で毛づくろいをしている伝言鸚鵡に近づいていく。

 オウムの鶏冠とさかを立て録音状態にすると、声を吹き込んでいく。


「ひ、ヒロ君! 大スクープだ!! 剣闘士タッカスの正体は巷を騒がしている連続殺人鬼“殺人坊や(キラーベイブ)”だった!! 先日のフローラ王女殺害の犯人も彼だ! しかもヤツはあの“七つの美徳”の構成員でもあった! これを大手の新聞社にでも売りつければ、見たこともない大量の金が―――」



 突如、後方でバンと音が響く。

 何事かと振り返れば、そこには巨大な掌が迫ってきていた。

 あまりにも突然の出来事にマシューは為すすべもなく、文字通り手中に収められた。


「グワッ!!」


 体全体に骨がへし折れそうなほどの圧力がかけられる。逃げようと必死にもがくが、巨大な手はびくともしない。

 それでもなお無駄な抵抗を続けていると、部屋の入り口から男の声が飛び込んだ。


「おいおい、あまり暴れんなよ。くすぐってぇだろ」


 声をした方に視線を向ける。

 そこにはタッカスが恐ろしげな笑み浮かべて立っていた。彼の左肘から先は異形と化しており、自身を掴む腕に繋がっている。

 その姿に恐怖を感じ、マシューは身を強張らせる。


「……そう、それでいい。さて、単刀直入に訊くぜ? ()()()()()()()()()()()()()?」

「だ、誰にも―――ぐああっ!!」

「おっと! 嘘はいけないぜ。嘘をつかれると、怒りでつい手に力が入っちまう♡」


 タッカスは子供が大きめのアリを踏み潰すかのような笑顔で徐々に握る力を強めていく。

 その顔を見てマシューは直感的に理解する。どのみち彼は自分を殺すだろうと。

 直面した自身の死に絶望したその時、老人の声が部屋に響く。



「何をしている。人をいたぶるようなみっともない真似はよせ」



 タッカスの背後、部屋の入り口に彼はいた。

 黒ずくめの祭服(キャソック)。初老であることを示す顔の皺と白髪。彼の顔はこのユニオス連合帝国の者なら誰でも知っている。

 名をジューダス。モーラ神国のトップであり、教皇の位を持つ者だ。


「た、助けてください! どうかお助けを! 教皇様!!」


 何故、彼に助けを求めたのか。それは彼に対する絶対的な信仰からだろう。

 誠実で、優しく、時には父のようであり、なにより聖人君主を体で表したかのような彼は誰よりも信頼され、そして信仰されている。

 マシューも例外ではない。だからこそ絶望に直面した彼は目の前の教皇ジューダスに助けを求めたのだ。


 ジューダスは今にも握り潰されそうな哀れな記者を表情を変えずに見つめる。

 そして、ふっと彼に告げた。


「すまないね。悪いが死んでくれ」


 絶望。命を断たれることにではない。信頼していた者に裏切られたことへの絶望が、マシューを酷く傷付ける。


「―――ぷ、ハーハッハッハ!! お前さんも中々酷なこと言いなさるじゃねぇか! コイツ、本気で助けてくれると思っていたみたいだぜ?」

「信頼に応じることができないことに対して、私も心苦しくはある。しかし、この者は知りすぎた。正体が暴かれて困るのはお前も同様だろう?」

「まぁな。んじゃ、そーゆーことで、サヨナラだ」


 更に力が加わる。

 ミシミシと体が悲鳴を上げる。圧迫された内臓や肉、血が外に逃げるために皮膚を食い破ろうとしているのがよく分かる。

 これが最期か。このまま自分は死んでしまうのか。

 ……嫌だ。そんなことは、絶対嫌だ! まだ、死にたくない!!


「待ってくれ!!!」 


 最後の力を振り絞り、声を上げる。

 その大きな声に一瞬でも萎縮したのか、タッカスの手が少しだけ緩まった。

 この機が最後のチャンスだと踏んだマシューは続けて声を出す。


「待ってくれ! このことは誰にも言わない!! 決して他言しない。神に誓おう!!」

「あぁン? テメェ、何を見苦しいこと言って―――」

「そ、そうだ! 確かタッカスさんはセンダ・ヒイロについて『殺す』と言ってましたよね!? 協力します―――いえ、協力させてください! 俺は彼と知り合いなんです! 聞きたいことがあれば、何でも答えますよ! だから、ね? ね!?」


 プライドなんて下らないものを捨て去り、ただ生き抜くためだけに醜態を晒しながら命乞いをする。

 その惨めなマシューの姿にタッカスは呆れた瞳で応える。


「センダ……ヒイロだと?」

「そう! 俺は今、彼について取材していて、彼のことなら何でも知っています! 彼の行動パターンや交友関係、弱点になりうるものも全部―――」

「いらねぇよ。そんな一個人が集めた情報。コッチにはより巨大で、確かな情報網(ネットワーク)があるんだぜ。当然、お前さんについても情報を掴んでいる。マシュー・ウォッチマン。フリーの記者で、悪評の絶えない“マスゴミ”だとな」


 彼の持つ唯一の長所も、まともな取引材料にもならない。

 既に彼に残された道はない。再三死の絶望に晒された、その時―――。




「待て。その者は私に任せてもらおうか」


 ジューダスが待ったをかける。


「あぁ!? いきなり横槍入れんじゃねぇよ!」

「彼は()()()()と言ったのだ。ならば彼は私の管轄だ。それともなんだ。この私とここで一戦交えようというつもりかね?」

「……チッ。しゃあねぇか」


 タッカスがマシューを放す。マシューの体は力なく床に落ちる。大きく呼吸繰り返し、その合間合間にえずく。

 まるで獣のように四つん這いになり頭を垂れる彼にジューダスはしゃがみこみ、優しく声をかける。


「大丈夫かい?」

「ハアー、ハアー……エホッエホッ! ……はい。助けてくれて、感謝します」

「助けたつもりはないのだがね。それよりこれを見給え。君にはこれが何に見える?」


 ジューダスがそう言いながら差し出してきたものは、帝国で一般的に使われている硬貨であった。

 マシューは硬貨とジューダスの顔を怪訝そうな瞳で交互に見ると、恐る恐るといった風で質問に答える。


「コイン……でしょうか?」

「そのとおり。なんの変哲もない、ただのコインだ。なんの変哲もないただのコインだが、これが()()()()()()()()

「それは、一体どういうことで―――」

「まあ、見てくれ」


 コインを親指に乗せ、それを勢いよく上空へと弾く。

 コインはクルクルと回転しながら上昇し、頂点に達する。


「裏」


 ボソリと呟く。そして落ちてきたコインをジューダスは左手の甲で受け止める。

 上を向いていたのは、()()()()()()だった。


「…………」

「次も、裏だ」


 再びコインを弾き、受け止める。

 またもやコインは裏を向いていた。


「………………」

「次は連続で当ててやろう。……表、表、裏」


 ジューダスは三回連続してコイントスを行う。

 そして出た面は、()()、そして()だった。


「……!」

「君はこれが偶然だと思うかね? 否。これは天のお導きだよ。神を本当に信仰しているのなら、神もそれに応じてくれる。それが如何な小さなことであれ、世界を揺るがす大事であれ、()()()()()()()()()!!」

「貴方は、一体何を―――」

「そこで()()だ! マシューくん。今から君には私と同じようにコイントスを行ってもらう。そこで君の予想が当たったのなら、それは神が君を生かそうとしていると解釈し、君を助けよう! だが、もしも、君の予想が外れたのなら、君が背信者である判断し、私自ら手を下そう」

「……ハア……ハア……」

「さあ、コインを受け取り給え。……君は、()()()()()()?」


 コインを手の平に置き、差し出す。マシューはそれを見つめながら荒い呼吸を繰り返すのみ。

 こんなもの、ただの遊戯でしかない。それを理解していても、どうしてもマシューはコインを受け取ることはできなかった。

 それは自身が神など信じていないことを熟知しているからだ。もし、教皇の言うとおり神がコインの面を操作できるのであれば、自分の予想とは反対の面が出ると理解してしまったからだ。


「……どうした? コインを投げることが怖いのか? ならば私が代役を務めよう。君はどちらの面が出るか、口に出すだけで良い。さあ、それではやろうか」

「待って―――」


 マシューが止めるより早く、コインが空中へ弾かれた。

 “賽は投げられた”とでも言えばいいのだろうか。既に運命の輪は動き出した。

 時間がひどくゆっくりに感じられる。投げ出されたコインは頂点に達すると落ちていき、ジューダスの手の甲と平に消える。


「さあ、答え給え。裏か? 表か!?」

「……お、表……。表、表だ!!」


 ジューダスはニッコリと笑うと、手を開ける。

 彼の手の甲に乗っていたコインの面は―――“裏”だった。


「そ、そんな……」

「私も悲しいよ、マシューくん。君を殺さねばならないことにではない。君が神を信じていないのにもかかわらず、軽々しくその名を呼んだことに対してだ」

「まっ、待ってくれ! もう一度だ! もう一度チャンスをくれ! どうか、どうか御慈悲を!!」

「神よ。その御元へ向かうこの不信の徒をどうか許し給え。そして今から行う我が蛮行から目を逸らし給え。アーメン」

「嫌だアアアアアアアアア!!!!!」






 その部屋に、もう既にマシューの姿はない。

 居るのはタッカスとジューダス―――否、七つの美徳の勇気(カーレッジ)信仰(フェイス)のみだ。


「相変わらず、エグいなお前さん」

「我が神を信じぬ不埒者に手心を加えて何になる? 背信者は他の無垢なる者も裏切り、いつしか大罪を犯す。我らが目指す正義に満ちた世界には不要なものだろう」

「否定はしねぇけどよぉ。……ん? ありゃあ……」


 勇気カーレッジの視線の先には、未だ録音を続けている伝言鸚鵡の姿があった。

 すると勇気カーレッジは何かを思いついたのか、あくどい笑みを浮かべながらオウムに近づいていく。


「何をしている?」

「いやな、確かあの記者、俺が入ってくる前にセンダ・ヒイロに連絡を寄越そうとしていたのを思い出してな。つまりこのオウムはセンダ・ヒイロに飛んでいくはずだ。ならコイツを使って決闘を申し込もうかと」

「……まったく、物好きめ」

「好きに言え。俺はな、勇気ある闘い、そして勇気ある死が最も尊いと信じている。だからこその決闘なんだよ」


 勇気カーレッジ信仰フェイスにそう言い捨てると、声を吹き込む。


「よう、聞こえているか? 俺は……いや、言わずとも分かるか。聞け、センダ・ヒイロ。中々お前さんが出向いてくれないから、こちらもそろそろ痺れを切らしていたところだ。そこで、俺はお前に決闘を申し込む―――」



 ――――――――――



『―――時は明日の夕刻、日が沈む頃。場所は……そうだな、最後に戦ったあの墓地にしよう。……いいか、決して逃げるんじゃねぇぞ? もし定刻までに姿を表さなかったら、もう一人大切な友達が棺桶に入ることになるぜ』


 長い、長い再生がようやく終わる。

 仕事を終えたオウムは嘴で羽の手入れを始める。その姿を少年は恐ろしいほど気迫のこもった瞳で静かに見つめていた。


〔……どうするつもりだいヒロ?〕

「決まってるだろ。この決闘、引き受ける」


 もとより殺す腹。わざわざあちらから来てくれるのなら好都合だ。


〔勇気は手加減できる相手ではない。いざとなれば、鬼人モードを使わざるを得なくなるだろう。だが、そうなると、君は―――〕

「構わない。たとえ僕が人間でなくなったとしても、勇気を倒せれば遺恨はない」

〔……本気、のようだな。なら止めはしない。ただ、一つだけお願いがある。これは君の戦いでもあると同時に、私と奴との因縁を断ち切る戦いだ。私の意思の表れとして、私の衣を着て挑んでほしい〕


 紅蓮の要望に小さく頷くことで応えると、箪笥タンスへとつま先を向ける。

 箪笥の一番下の段。そこには普段着ることはない和装が眠っている。それは森で倒れていた僕が着ていたもので、元は紅蓮のものだ。

 白の和服、赤黒い袴、黒の帯、そして金の刺繍が施された丈の長い朱色の一紋羽織。それらの袖を通し、帯を強く締める。

 鏡に映るその姿は、そこに紅蓮がいるようであった。


〔服はその者を表し、時に着ている者の心に作用する。その衣は以前から私が愛用していたものだ。これで私と君は一心同体だ。さあ、勇気を打ち倒そう〕

「……ああ」




 明日の夜、全てが終わる。紅蓮の因縁も、フローラちゃんの仇も、自身の胸に溢れる怒りや恨みも、勇気の死によって終わるだろう。

 もたらされる代償は大きいに違いない。生きて帰れぬかもしれない。それより酷い現実が待ち受けているかもしれない。

 それでも逃げることは許されない。否、僕自身が許さない。


 怒れる鬼は、静かに待つ。

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