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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第四章 勇気の詩〜悪鬼決闘編〜
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第64話 安らかなる夢を、君に

 木の葉は枯れ落ち、肌を刺す冷たく乾燥した風が駆け抜ける。太陽もこの寒さにやられたのか、夏と比べ空の低い所を渡っている。

 季節は冬。多くの生物が眠りに付き、泡沫の夢の中で暖かな春を待つ季節。

 しかし、寒空の下であってもパリリーの街は賑やかであった。


 今日は聖夜祭の前日。僕がいた世界でいう“クリスマスイブ”に当たる行事だ。

 街の至る所にはそれを祝う置物やのぼりが置かれている。いつもの通りは稼ぎ時に備え、飾り付けられ華やかな雰囲気を漂わせる。

 街の人間は普段より少ないが、それは聖夜祭では家族・親戚と共に静かに祝う事が恒例である故だ。そのため、ユーリ達は地元へ帰っている。特にユーリは一年の内でもこの日くらいしか家族と会えないため、上機嫌で故郷へと帰省していった。




 さて、僕はというと―――フルーランス王室にお呼ばれして昼食をとっていた。しかも、国王はじめ王子王女、それどころか親戚に当たる貴族の多くと一緒に。なぜこうなった。


 確かに、僕はこの別世界に飛ばされて身寄り――具体的に言えば家族――がいない。そのため、今までどおり一人寂しく聖夜を過ごそうと思った矢先、フローラちゃんから今日一日だけ一緒に遊ぶ予定を手紙で提案され僕は快く承諾した。それが一週間ほど前。

 その時の僕は前の世界の日本と同じく、この日は親しい友人と過ごすものとばかりに思っていた。

 しかし、先程も言ったように、この地では基本家族と過ごすことが通例だ。例に漏れず、王室も全員が集合し聖夜を祝う。その中に僕も加えられたのだ。

 普段なら庶民が立ち入れないような絢爛豪華な空間に、自称村人の僕が居るのはとても不自然であり、居心地が悪い。

 しかも、他の貴族をさておいて、僕のすぐ右隣にはフローラ王女が、五メートル先には国王が僕と同じものを口に運んでいる。なんというか、圧がすごい。誰か助けてください。



 いや、僕はまだ良い方かもしれない。恐らく本当にプレッシャーを受けているのは僕の目の前で食事をとっているエピーヌだ。

 不義の子として生まれた彼女は――まだ世間には公表されていないが――正式に王室の一員となった。そのことに王子たちは喜びを顕にしたが、貴族達はそうもいかないようだ。

 彼らは自身の体に王族の血が流れていることに誇りを持っている者が多い。勿論、その権力を用いて不当な行為を犯す者も少なくないだろう。

 だが、ここで王位継承権を持つ者が現れたのなら、彼らの地位が下がるのは明白。エピーヌにそんなつもりがないのは承知しているが、貴族達にとっては気持ちの良いものではない。

 刺さるような視線が至るところからエピーヌへと突き立てられている。

 しかし、流石は王国近衛騎士団の団長。涼しい顔で気にも留めていない。その胆力が羨ましい限りだ。こちとら緊張のしすぎで料理の味もわからない上に、ストレスで胃が崩壊しそうだっての。




 ここまで精神的に疲れる食事が今までにあっただろうか。そう思いつつ、食事の終わりを報せる珈琲を口にする。

 周りは楽しく談笑に耽っている。内容は自身の子に対する親バカな話や下らない不幸を笑う話ばかり。こうしてみると、庶民も貴族も大して変わらない、同じ人間だと認識させられる。

 そうやって珈琲を飲みながら日和っていると、突如左隣の男性から声をかけられる。


「―――もし、君はもしやセンダ・ヒイロ氏ではないかね?」


 男性は歳にして中年くらいだろうか。絵画で見たような無駄に豪勢なかつらと鷲鼻が特徴的な男だ。豪奢な服の上からでもわかるその醜く肥えた腹は『普段から味を優先した不摂生な食事をしています』と主張するかのよう。

 典型的な貴族だ。

 そのような輩に話しかけられ、僕は不良グループに絡まれたときのような緊張を抱く。


「え、ええ。はい。そうです……けど」


 どもりながら、辿々しく答える。常に相手より腰が低いのは自分の悪い癖だと重々承知はしているが、それでもこれだけは治せそうにない。

 そんなどうでもいいことを思いながら、怯えたうさぎの目でその貴族を見つめる。

 貴族の方はと言うと、なんの感情も読み取れない、まるでお面でもつけたかのような表情を見せている。

 しかし、それも一瞬のこと。僕の返答を聞くや、彼はぱっと笑みを見せた。


「おお! やはりそうでしたか! このような場で巨巌竜退治の立役者と出会えるとは、まさに僥倖!」


 貴族は唐突に――されど会席に集まった者に迷惑をかけない程度に――騒ぎ立てる。恐らく賛美なのだろうか。そのような言葉が僕の耳に怒涛のように押し寄せる。

 そもそもこの人は一体誰なのだ?

 この疑問に横にいたフローラちゃんが小声で答える。


「この方はバルボン公エドモン殿下。お父様の弟君―――私にとっては叔父に当たる方ですわ」

「フローラちゃんの叔父さん……国王陛下の弟ってことは、この人まさかしなくてもとっても偉い人?」

「ええ、勿論」


 ……まあ、予想はしていたけどね。ここにいる時点で誰も彼も王族なわけなのだし。

 でも、こうはっきりと彼が殿上人と分かると、流石に緊張感が違ってくる。

 未だ僕を褒め称える彼――既に声の大きな独り言のようになっているが――に対して、どう接すれば良いか困惑していると、またもやフローラちゃんが助け舟を出す。


「ご機嫌麗しゅう、叔父様。話しているところ悪いのですけれど、ヒロ様がお困りになっております。もう少しゆっくりとお話し頂けませんか?」

「おっと、これは失礼致しました。彼の御仁に会えるこの喜びに、ついはしたない姿を見せたことをお詫びしよう」

「い、いえいえ。気にしないでください。僕がこういうことに慣れていないのも原因ですし」

「深い配慮に感謝を」


 どうも堅苦しいな。しかし、悪い人ではなさそうだ。


「ところで、センダ氏はフローラ殿下のご友人で?」

「ええ。ヒロ様は異世界から来られたため家族がおりません。ですので此度の会食にお呼びした次第です」

「なるほど、そうであったのですか。ですが、彼も友人とはいえ他者の家族とともに過ごすのは些か負担となりましょう。ここは一つ、お二人で街へと出かけるのはどうですかな? 今なら聖夜祭のために街は美しく飾り付けられていることでしょう。特に夜の街はそれはそれは幻想的になることでしょう」


 どうやら彼は人の心を読むのが上手いようだ。見事に僕が思っていることを言い当て、それに対する案を出してくれた。

 目線をフローラちゃんに向けると、ニコリと微笑んで小さく頷く。彼女も賛成のようだ。


「お気遣いありがとうございます。そうさせてもらいます」

「喜んでもらえて何より。陛下には私が伝えておきましょう。ですので、お二人は夜まで存分にお楽しみを」

「すみません。何から何まで」

「お気になさらず。それに、もしやすると来年からずっと同じ光景が眺めるやもしれませんからな」

「お、叔父様!」


 そう言ってエドモンさんは大きく笑ってみせる。対してフローラちゃんは頬を軽く赤らめ、気恥ずかしそうにモジモジとしている。

 彼の言っている意味や、なぜフローラちゃんが恥ずかしがっているのかよく分からないが、別に悪い気はしないからそこまで考えなくても良いだろう。

 僕はとりあえずエドモンさんに合わせ、感情のこもっていない笑い声を上げる。



 ――――――――――



 宮殿内の廊下に歩く影が一人。その足取りは彼の心の内に荒れる怒りを表すかのように強い。

 カツカツと音を立てて歩くその人影とは、バルボン公エドモンであった。

 彼はブツブツと愚痴をこぼしながら、用意された自室へと歩いていた。


「何が『来年から同じ光景が見れるかもしれない』だ。あんなものが王女と結ばれたのなら、王族の血が穢れるというもの。何より私と同じ王族でありながら、庶民をこの宮殿に上げるなどと……実に巫山戯ている! それに、あの不義の子が正式に王女となるなど、やはり王は頭がイカれているようだ。見ておれ、我が愚兄よ。いつしかこのエドモンが貴様の玉座を奪ってやるからな!」


 昼食の時とはうってかわり、彼の口から放たれる言葉は下々に対する侮蔑と傲慢にも近い王族としての誇り、そして王になる野心が込められていた。

 普段は人当たりの良い人格者と振る舞っているが、その本性はプライドで塗り固められた、悪い意味で一般的な貴族だ。



 愚痴を零している内に、彼は自室の前まで来ていた。

 ドアノブに手をかけ、回し、扉を開く。

 用意された部屋は彼の身分に十分に見合うものであった。―――いや、自称“未来の王”には些か物足りないものであった。

 エドモンは不満の声を漏らそうとするが、寸前で飲み込む。それは彼が自制できたのではなく、()()()()が目に入ったからだ。


 扉の反対側には美しい庭園を一望できる大きな窓がある。それが開け放たれ、窓の縁に汚らしい布で姿を隠した男が座っていたのだ。

 エドモンはその男の正体を知っている。彼が恐ろしいものであることを理解している。だからこそ緊張で文句の一つも満足に吐けない。

 緊張と驚きで強張った顔をいつもの胡散臭い作り笑顔に変えると、エドモンはその男の名を呼んだ。


「これはこれは、勇気(カーレッジ)様……」

「挨拶はいい。俺がここまで来た理由……お前なら理解できるだろ?」

「勿論でございます。今日の午後、センダ・ヒイロとフローラ王女は街へ散策に出かけます。恐らく夜まで帰ることはないでしょう。行動を起こすなら今日が良いかと」

「そっか。誘導、ご苦労さん。お前さんは七つの美徳(うち)のスポンサーの中でも一、二を争う出資者だからな。これからも贔屓にしてるぜ」

「当然のことをしたまでです」


 エドモンが深くお辞儀をする。

 再び顔を上げると、既に勇気の姿はなく、開け放たれた窓から冷たい風が入り込むのみであった。

 勇気が出ていったことを充分に理解すると、エドモンの皮膚に大玉の脂汗が浮かび、脈動は一気に速くなる。

 言い表しようのない緊張から解き放たれても、エドモンは一歩たりとも動こうとしない。

 漸く落ち着きを取り戻し、息を一つ吐くとそのまま口を動かす。


「……私は、悪魔と契約してしまったのかもしれないな」



 ――――――――――



 昼食を終えた僕とフローラちゃん、そして彼女の護衛としてお供するアイネさんとクライネさんは、エドモンさんの提案どおり聖夜祭一色に彩られた街へと馬車で繰り出していた。

 街は華やかであるにもかかわらず、人通りはいつもより少なく、馬車の往来は全くと言っていいほどない。

 大通りのカフェはその全てが休業しており、曇の天気と相まってか、寂しげな雰囲気を感じさせる。


 今日はお付きの二人が馬車の御者を担っており、僕は車内から街の様子を眺めていた。

 右から左へと流れていく風景をなんの感慨もなく見つめていると、右手から柔らかく温かい感覚が伝わってくる。

 首をそちらに向ければ、フローラちゃんがはにかみながら僕の手を握っていた。彼女の視線は前方の虚空を捉えている。

 ()()()()。彼女の横顔を見て、そう思った。誰かにそれを感じるだなんて、初めてかもしれない。

 会話こそないにしろ、僕は静かで幸福なこの時間が一生続けばいいのにと祈らずにはいられなかった。






 その日は実に有意義な一日となった。

 パリリーの観光名所から馴染みの場所まで、時が経つのも忘れるくらいフローラちゃんとのデートを楽しんだ。

 気が付けば辺りはもう薄暗く、西の空には夜の闇が迫っていた。

 街の中とはいえ、暗くなれば危険は付き物である。しかも、ここ最近は“殺人坊や(キラーベイブ)”なる殺人鬼が巷を騒がせている様だ。

 フローラちゃんの安全のためにも今日はここまでにしておこう。


「フローラちゃん。もう暗いし、そろそろ帰ろうか。今日は楽しかったよ」


 僕の言葉にフローラちゃんは名残惜しそうな瞳で応える。了承の言葉はない。

 彼女は何か言いたげにこちらを見つめては、その優しさゆえに諦めようと目を逸らす。

 その行為を何度か続けるが、漸く覚悟ができたのか、こちらをきっと見つめ、大きく息を吸い込んで、自身の思いを言葉に乗せる。


「……あの、ヒロ様!」

「どうしたの?」

「実は……伝えたい事があるので、今から“あの公園”に行きませんか?」


 “あの公園”というのは、僕と彼女が最初に会ったときに一緒に目指した馴染みの深い国立公園のことだ。迷子になっていた彼女をあの剣のモニュメントにまで送り届けたことは今でもよく覚えている。

 しかし、何故あの公園なのだ? 言いたい事があれば、今この場で言えばいいだろう。

 そのような雑念は彼女の真剣な眼差しによって掻き消される。


「……うん、いいよ。でも、その前に片付けたい用事があるから、先に行っててもらえるかな?」

「は、はい。でも、無理強いするつもりはありません。忙しいのであれば、また次の機会に……」

「いや、別にすぐ終わるからさ。心配しないでよ」

「ヒロ様がそう言うのであれば……」


 フローラちゃんの了解を得ると、今度は何歩か遅れてついてきている侍従の二人に目線をやる。あるお願いを乗せて。

 二人もこれを了承し一度深く頭を下げると、フローラちゃんに駆け寄り公園に行くように促す。


「フローラ様。それではこちらに」

「ヒロ様もすぐに来られます。その間に今一度心の整理をなされては?」

「……ええ、はい。そう致しましょう。それではヒロ様、また後ほど」

「ああ。すぐ行くからさ」




 三人を見送り姿が見えなくなると、すぐさま僕も足を動かす。

 人通りが少ないと言っても、完全にゼロなわけではない。しかし、裏路地に一度足を踏み入れれば人気は途絶える。

 裏路地へ入りそのまま奥へと進み続けると、小さな広場に出る。広場は入り口が二つで、その他は二階建ての建物で囲まれている。噴水もあり小綺麗としているが、人通りがなく、それどころか鳥の一羽でさえも見当たらないために哀愁が漂っている。

 その広場で足を止める。


「……出てこいよ。ずっと付けてきてるのは分かってる」


 そう言うと、()()は観念して姿を現す。

 目の部分だけ開いた布で顔を隠し、服は一般人と紛れるためか地味で動きやすいものを身に着けている。両腕には袖に隠すタイプの仕込みナイフがギラギラと夕日に当てられ輝いている。どうやら殺し屋(アサシン)のようだ。

 それが僕の後ろに二人、もう一つの通路に二人、屋根の上に三人の計七人。一人相手に随分と大勢な。


「誰の差金だ? ……と言っても、僕を殺したいだなんて考える奴、そうそう居な―――」


 言い切る前に殺し屋が一斉に動き出す。

 前後左右に加え上方。寸分の狂いなく同時に襲いかかる。

 常人ならば捌ききれずに串刺しだろう。

 だが―――


「舐めるなッッ!!」


 胸飾りから天帝竜の魔力を開放し、一気に放電する。

 雷撃に打たれた殺し屋共はバタバタと地面に倒れていく。

 僕だってのんびりと過ごしていたわけじゃない。この日のために自身の力を研鑽してきたんだ。そう簡単に殺されるもんか。

 蜥蜴のように地面に這いつくばる無様な殺し屋。雷撃の威力を控えて、ギリギリで死なないように調整はしておいた。殺してしまうのは夢見が悪いし、何よりこいつ等からは色々聞いておきたいからな。


「答えろ。お前らは勇気の刺客だろう。奴はどこに居る?」


 問う。しかし、殺し屋の返答はない。

 こいつ等は間違いなく“七つの美徳”の構成員。その目的は僕の暗殺。依頼者は勇気――タッカスのやつだろう。

 まあ、ここまではあくまで推察なわけだから、今まさにこいつ等から確証を得ようとしているのだが。


 試しに殺し屋の一人に軽い電気ショックを加える。

 打たれた男は小さな呻き声を上げるも、一向に口を割ろうとはしない。

 他の者も同様だ。剣や影魔導で四肢を軽く切りつけられようとも、決して白状することはなかった。

 流石にこれにはこちらが折れるしかなかった。

 諦めようとしたその時、僕は人間の奇跡を見る事となる。


 動かせない体を動かそうと奮起し、必死の抵抗を見せる。

 人間というのは気合さえあれば本当に何でもできるのか。殺し屋たちは未だ痙攣するはずの筋肉を動かし、見事僕の目の前に立つ。

 目的のために立ち上がる不屈の精神は称賛に値するが、その目的が“自分の暗殺”なら話は違ってくる。ただの厄介な敵だ。

 殺し屋は再び暗器を携え、強い殺気を放つ。


「……なら仕方ない。お前らが情報を吐くのが早いか、それとも全滅するのが早いか。試させてもらおうか」


 ―――ああ、これじゃ僕の方が悪者だ。



 ――――――――――



 日はだいぶ沈み、今は黄昏時たそがれどき

 茜さす花の公園には一人の少女と側に立つ二人の侍従がいる。

 彼女たちは一人の少年を待っていた。


「……遅いですね、ヒロ様」

「こればかりは仕方ありません」

「ヒロ様にも都合がございます。暫しのご辛抱を」

「分かっています。分かっていますけど……」


 やはり待ち焦がれることは苦痛だ。待ち遠しくて、楽しみで、辛くて、暇で、胸の中がかき混ぜられているみたいだ。

 早くこの気持ちを伝えたい。この愛を言葉にしたい。待ち受ける結果が如何なものだろうと構わない。それが彼の出した答えなら納得する、してみせる。

 瞼を閉じ、幾度となく未来の姿をその裏に創造しては塗り潰す。どう告白しようか。彼はどのように答えるのだろうか。それを受けて私はどうするのだろうか。想像する度に小さな胸は踊り、クリクリとした眼はしっとりと潤む。


 その行為は、砂利を踏みしめる音で中断される。


「! ヒロさ―――」




 雲の切れ間から差す夕日を背に浴びる彼は、かれか。

 少なくとも、待っていた少年ではない。


 二メートルを越すかという長身巨躯。髪はゆらゆらと逆立ち、はち切れんばかりの筋肉が赤い光に縁取られる。ギラギラとした恐ろしい瞳がこちらを睨み、大きく開かれた口が笑っている。それはもう悪魔のような恐怖を少女に与えた。

 侍従の二人が己が主を護らんと前へ出て、太腿に隠されたダガーを取り出す。アイネとクライネは元“紅薔薇の騎士シュヴァリエ・ド・ラ・ローズルージュ”の団長と副団長。実力は申し分ない。

 しかしその二人であっても、恐怖の感情を隠し切ることはできない。口は強く結ばれているが、その瞳は怯えた子猫のようだ。ダガーを握る手は震え、息遣いが荒くなっている。

 男がゆっくりと近付く。

 二人はなにか叫び、アイネが少女の腕を強く引っ張り走り出した。残されたクライネは決死の覚悟でその男を止めようと立ち向かう。


 今は逢魔が時、大禍時。悪しき者共の時間なり。



 ――――――――――



 しまった。殺し屋(アレ)は単なる足止めだ。

 ああ、今思い出してもむかっ腹が立つ。最後に生き残った殺し屋の余裕に満ちた顔。マヌケがまんまと罠にかかった時のあの顔だ。そしてその口から告げられた今回の概要。

 ……クソッ! 自分の馬鹿さ加減にはほとほと嫌になる!

 いや、嘆いていても仕方がない。今は一秒でも早く、フローラちゃんを助けに行かなくては……!


 既に日は完全に沈み、地平の彼方がほんのりと赤みを帯びるのみだ。彼女と別れてから結構な時間が経っている。

 僕は彼女たちの無事をただただ祈り、走り続ける。


 国立公園の入り口が見える。入り口には、今までどこに潜んでいたのかというほど群衆が集まっていた。その事実は更に不安を煽る。

 人混みを掻き分け、奥へ奥へと押し進む。

 剣のモニュメントがその先端を覗かせる。そうだ、あれはフローラちゃんと一緒に目指したモニュメント。あそこまで行けば、彼女はひょっこりと現れる。そんな根拠のない自信を頼りに、足を大きく強く踏み出す。


 やっとの思いで人混みを抜けると、無慈悲な現実が僕を出迎えた。




 その光景を見た瞬間、僕は愚かにも“美しい”と思ってしまった。

 いつの間にか振り始めていた雪と植えられた色とりどりの花々は彩られた赤を更に際立たせる。

 巨大な剣のモニュメントの周りには多種多様な花が生けられており、その上に血の気の引いた二人の女性が眠っている。そして剣の先には神への供物のように、一人の少女が掲げられていた。


「―――――」


 怒り、悲しみ、後悔、憤慨、怨恨。身体の内で膨大な感情がうねりをあげる。それはまるで嵐のように、それはまるで地震のように、それはまるで津波のように、外に溢れ出ようと暴れまわっている。

 そしてそれは今、慟哭となって放たれる。



「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

命というのは、儚いからこそ、尊く、厳かに美しいのだ。


  ~ドイツの小説家 トーマス・マンの言葉~

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