第44話 希望の光
ヴォルビオ火山。モーラ神国の街ニアポリの南に位置するこの活火山は、古来より畏敬の念から崇め奉られてきた。
過去何度も大きな噴火を繰り返し、歴史上においては街一つを壊滅させたこともあるという。
その恐ろしくも偉大な火山の内部で一つの戦いが終幕に入ろうとしていた。
火口から数百メートル下のマグマは煌々と輝き、火山の内部を赤で染める。ガスが混ざった灼けつくような空気が肌を撫で、通った後に数滴の雫を浮かび上がらせる。
正に死闘の舞台にはこれほどにない最高のステージ。その舞台で踊る役者は二人と一体。
敵役となる一体は獄炎竜ヴァニファール。彼は先に受けた電撃により、その身体の自由を奪われている。
そして、その敵に挑む二人はハン族の少女イリスと異世界人の少年ヒロ。一度はヴァニファールによって絶体絶命の窮地に立たされた彼らだが、その瞳に死の恐れはなく、代わりに勇気が満ちている。
獄炎竜の麻痺の呪縛が今解ける。同時に理性を取り戻したヴァニファールが声を発する。
「……先程の雷、ライディンのものか」
「ああ。それよりも正気に戻ったのなら、いい加減竜石を渡してここを通してくれないか?」
「それは俺様が決めることよ。それよりどうだ。今すぐ尻尾を巻いて逃げれば、見逃してやらんでもないぞ?」
「断る」
即答だった。まるで彼がそう発言することを見越していたかのように。
「……あのような目に遭ってもなお俺様に立ち向かうか、人間」
「当然だ。そもそも逃げ場なんてないし、あったとしても負けて逃げるのは癪だ。そして何より、俺達にはお前に勝てる策、希望がある」
「希望? 勝てる策? 俺様の前では手前らの勝利など一分一厘にも満たん微かな可能性だと何故解らん」
「たとえそうであろうとも、その微かな勝利に向かって我武者羅に歩み続ける。それが“希望”だろ?」
影の兜に覆われた彼の顔は今頃不敵な笑みを浮かべていることだろう。
そのことを察知したのか、鱗で覆われたヴァニファールの厳つい顔がより厳つくなる。
「ほう? 大きく出たな、人間。ならばその希望とやらを見せてみよ!!」
「言われずとも嫌というほど見せつけてやんよ!!」
疾風迅雷の速さで獄炎竜に近付く。
しかし、獄炎竜はその動きを完全に捉え、ヒロに向かって鋭い爪を振り下ろす。ヒロはこれに剣で応える。
二人の攻撃が今ぶつかるッ!
ガキンッ―――!
獄炎竜の爪とヒロのグラディウスがぶつかり、一瞬の膠着が訪れる。二人の力はほぼ同等、否、僅かにヴァニファールが上か。しかし、力の優劣だけでは勝敗は決まらない。
ヒロは僅かに爪の攻撃を横へずらす。爪はグラディウスと火花を散らしながら、ヒロの頬を掠め外れていく。
攻撃が外れたことにより獄炎竜に大きな隙ができる。
「ショックスラッシュ!!」
ヒロの鋭利な一撃が獄炎竜の巨腕を切り裂く。鎖帷子のように連なった鱗は敢え無く両断され、綺麗に裂けた肉の間から鮮血が迸った。
常に硬い外骨格で覆われ続けてきたヴァニファールは初めて受ける痛みに耐えず苦悶の声を上げる。
「ウッ、グウゥ……!」
「どうだ、俺の剣の切れ味は? 流石の竜でも超音波ブレードには敵わないようだな」
「ほざけ、人間風情がッ!!」
切られた腕でヒロを薙ぐ。これをまともに受けたヒロは派手に吹き飛び、舞台である岩盤の端まで転がっていく。なんとかギリギリで踏み止まったが、真下は溶岩。背水の陣ならぬ背“炎”の陣に立たされた。
痛む体を起こし獄炎竜を睨む。奴も同様にヒロを睨みつけている。
「形勢逆転、と言うやつだな。これ以上の語りは無粋だ。貴様の勇気に免じて、直ぐ様引導を渡してやろう!」
「…………!」
膨大な魔力が獄炎竜の内に溜まっていくのを肌で感じる。獄炎竜の周りは陽炎が揺らめき、火山内の気温が上昇していく。
再び業火が来る。それは誰でも分かる帰結であった。
「と、言いたいところだが………その前に」
獄炎竜がヒロから視線を外し、顔を横に向ける。その眼に映っていたのは、自らの大剣に魔力を溜め続けているイリスの姿だった。
彼女は瞑想に入った高僧のように、静かに目を閉じ高密度の魔力を練り上げている。
「これが手前らの言っていた“勝てる策”とやらか。どのような技か計り知れんが、かなりの集中状態と見える。そのような状態では防御も回避も儘ならんだろうな」
「ッ! やめ―――」
「もう遅いッッ! 消し炭と化せッ!!」
獄炎竜が口から火球を放つ。火球は炎々と音を立て燃え盛り、イリスへと向かっていく。
彼女は熟睡時と同等の深い集中に陥っている。火球が襲い掛かっていることなど露知らず、たとえ感知しようとも避けることは叶わないだろう。
今、火球が炸裂する―――!
大きな音を立て爆発する火球。吹き荒れる熱風からその温度は非常に高いことが伺える。
爆発が起きた場所には黒煙が立ち込めている。その煙が徐々に薄くなり晴れていく。
その場所にいたのは―――ヒロだった。
彼は獄炎竜に背を向けながら、手足を大の字に広げ立っていた。
影の鎧に覆われていた彼の背中は曝け出され、大きな火傷を負っている。彼を包む鎧の上には残り火が今もチロチロと燃えている。
影の鎧は触手のような小さな影でその残火を覆い消し、無残な姿となった彼の背中を再び包んでいく。
「……速い。そして愚かだ。その娘のために身を滅ぼす気か」
「生憎と、回復力には自信があってね。このくらいの大火傷なら三日でキレイサッパリ完治する」
ヒロが獄炎竜の方に振り向く。
その表情は兜で分からないが、声の色から何かを覚悟したかのような気概は感じ取れる。
「とはいえ、こう何度もお前の火炎を受けてはいられない。こっからはお前がイリスに横槍を入れる隙も与えないくらい全力で行かせてもらう」
「……ク、ククク。随分と嘗め腐ってくれるではないか、人間。ならばこの俺様もその全力応じた力を見せるとするか!」
「……ああ、来いよ獄炎竜。俺の全力は生半可な炎じゃ火力不足だ!!」
ヒロはゆっくりと力を抜く。力を入れるのではなく、ゆっくりと、ゆっくりと自分に科した筋肉の枷を外すように脱力していく。
自身の技能“鬼人モード”により、ヒロの内からは膨大な力と狂気が溢れている。それを抑えることで、彼は理性を保ったまま戦闘を行える。
しかし、それでは力の殆どをセーブしていることと同義で、決して全力ではない。自分自身の感情に身を任せ力の全てを発揮する。それが彼の全力だ。
〔……………ヒロ〕
(紅蓮、止めてくれるな)
〔……ああ、分かったよ。君の覚悟を止めるつもりはない、我が友よ。全力で行け〕
(当っったり前だ!!)
闘志、戦意、そして殺意。荒ぶる感情が彼の心の中で蠢く。
そうでありながらも段々と意識は朦朧としていく。
次に目を覚ませば自身は人間ではないかもしれない。目の前に広がる光景に嫌悪感で吐くかもしれない。
だが、それでもいい。イリスを守りきる、それだけで良い。そう思いながらヒロは理性を断った。
「―――ウォォオオオォォォオオッッッ!!!」
獄炎竜の咆哮に負けるとも劣らない声を上げるヒロ。兜から覗くその瞳には既に人間らしい理性はない。
野獣が如き荒々しさ、鬼を模したその黒い鎧。二つが合わさって、彼は悪魔に成り果てる。
悪魔は覚えたての異国語を話すかのように、たどたどしく言葉を発する。
「い……ぐぞ、ヴァニ……ファールッッ!!」
そう告げたかと思うと、悪魔は先程とは比較にならない速さで獄炎竜に迫る。
獄炎竜はこれに火炎で対応しようとするが、僅かに遅い。ヒロの膝がヴァニファールの顎を捉える。
「グゥッ!」
思わず呻く。だが、この程度で怯むほど竜の名に甘んじていたわけではない。
獄炎竜は大きく仰け反った頭を逆手にとり、振り上げた大槌を振り下ろすように渾身の頭突きを空中のヒロにぶつける。
攻撃後の隙を突かれたヒロは防御も回避もできず、そのまま真っ直ぐ地面へと落とされる。
しかし、ヒロもやられたままでいない。
着地の瞬間に腕をしならせ地面にぶつける。所謂、柔道の“受け身”と言うやつだ。
だが、ヒロの尋常ではない膂力は落下の勢いを殺すどころか、逆に彼の体を再びヴァニファールの目の前にまで持ち上げた。
「ウオォッ!!」
すかさず蹴りを入れる。獄炎竜は再び呻きながらも反撃に出る。
両者とも打たせてはカウンターを取るノーガード戦法。防がず、避けず、それ故退かず。肉を切らせて骨を断ち、骨を断たせて心臓を穿つ。
だが、そのような無理を聞かせた戦いなどそう長く続くはずもなかった。
「ハァァアッ!!」
「ガァァアッ!!」
二人の拳がぶつかる。彼らは歯を食いしばったまま微塵も動かない。
この光景が永遠に続くのかもしれないと錯覚しそうになるその時、拳がゆっくりと離れた。それは暗に勝敗が決したということを示していたのかもしれない。
地に膝をつけた者、それは―――
「カ…ハッ………」
ヒロだった。彼を覆っていた影の鎧は地面に戻り、目元の隈取は消え失せる。同時に彼が発していた鬼気が鎮まっていく。
彼の全身は満身創痍。各所に青痣ができ大きく腫れている。
これでは戦うことは疎か立つことすら出来ぬであろう。
「手前はよく戦った。久々に血沸き肉踊ったぞ、人間」
「ハハ……そりゃあ良かったよ」
「だが、ここまでだ。手前のことは頭の片隅に残しておいてやろう」
「それは光栄だが……勝負はまだついていない」
ヒロはボロボロの顔を引き攣らせ、不敵に笑う。
「だって僕は、ただの時間稼ぎだかんな」
その言葉を聞いた瞬間、獄炎竜は南無三とでもいうかのような表情に変わる。
その時―――
「ヒロ!!避けてッッ!!!」
少女の声が響く。声がした方を向くと、そこには白く輝く巨大な光の大剣を掲げるイリスがいた。
魔力を溜め続けたイリスの愛剣“巨神の短剣”はそれ相応の形状・サイズに変化し、眩いばかりの光を発する。
これを見た全ての者は思うだろう。これだけはまともに受けてはならない、と。
ヴァニファールが光の大剣に目を奪われた一瞬をついて、ヒロは自身の影を伸ばし安全な場所まで脱出する。
それを確認したイリスは遠慮なく発射の姿勢を取った。
「これなるは遍く全ての生命を導く希望の光。永久なる光を持って、我、敵を討ち果たさん……」
「魔力量から推察するに、帝位……いや、極位級の魔導か。しかし、甘いわッッ!」
獄炎竜も同様に口腔内に膨大な魔力を蓄積する。
溜められた魔力は高熱の焔に変換され、それは次第に青い光へと姿を変える。
獄炎竜ヴァニファールの奥義“劫火”が来る……!
空間内の魔素は大きくうねりを上げているのに対し、二人の間は実に静かだった。
だが、それも瞬き程の時間。双方とも目を見開き、自身の大技を放つ―――!
「“永久の光・過重魔圧”!!」
「カァッッ!!」
二つの光が正面からぶつかり合う。
吹き荒ぶ風は嵐のように、高まる熱気は太陽のように。圧倒的な力の衝突はまるで創生と破壊の神話を再現しているかのようだった。
―――拮抗は続く。
竜と張り合えるイリスを褒めるべきか、極位魔導を相殺するヴァニファールを称えるべきか。長い呆然からその疑問に至った瞬間、その拮抗は意外にも脆く崩れ去る。
光の大剣が劫火を切り裂き始めたのだ。最初は誰の目にも気付かぬほど微妙な力の差。しかし、その勢いは指数関数的に大きくなっていく。
純白なる光は青藍なる光を切り、貫き、裂き、削り、穿ち、砕き、滅していく。
そして遂にはヴァニファールをも飲み込んだ。
「グウウウウゥゥゥォォォォオオオオ!!!」
暴力的なまでの光の奔流。それは業火を吐き、マグマの中を潜行し、世界を灼き滅ぼす獄炎竜の外殻をも砕き燃やす。
ヴァニファールはその苦しさ故に大きな呻き声を隠すことなく発し続ける。
―――次第に光は収束していく。溜められた魔力全てを使い切り、巨神の短剣は元の形に戻る。
イリスの目の前の大地は半円柱状にくり抜かれ、水を抜いた川のように成れ果てていた。
その川の先に……獄炎竜は立っていた。
体の前面、特に頭部を深く損傷していながらもその瞳には強い意志が灯り、四肢は力強くその身を持ち上げていた。
対するヒロとイリスは既に限界。体には数々の傷を負い、全力を出し切った。身体的にも精神的にも立つだけで精一杯なのだ。
断ち切れそうな意識を無理矢理繋ぎ、ガクガクと震える不安定な脚でなんとか身を保つ。
そんな彼らに獄炎竜は言の葉を発す。
「……見事! 汝らの力、認むるべきものぞ! ここに竜石の試練、合格と致す!!」
「「………………あ?」」
「クハハハッ! いや実に、実に良き戦いであった! 俺様もここまで本気を出せたのは何時以来か!」
僕達の前でそう楽しげに笑う赤毛の青年。全身赤一色のパンクな服を身に纏ったこの青年こそ、先の獄炎竜が人間に変身した姿だった。
「手前! 中々に良い拳であった! 褒めてやる!」
「あ、どうも……………じゃなくて。え? 何これどういう状況?」
「試練クリア。ヴァニファール人間化。楽しく談笑、今ココ」
「端的な説明ありがとう、イリス。でも聞きたかったのはそういうことじゃない」
ことの経緯はイリスが説明してくれたとおりだ。
無事、僕らの強さを認めてくれたヴァニファールは竜石の試練を合格としてくれた。その後、何故か彼は人間の姿になり、腰を下ろし笑いながら僕達のことを褒め称えてくれた。
しかし、何故―――
「何故、死闘を繰り広げていた相手と仲良しこよしで語り合っているのか、と言ったところか?」
僕の心を読んだかのようにヴァニファールが代弁する。
「え、ええ。なんというか、さっきの空気とあまりにも違いすぎて違和感が……」
「ククッ、そこが人間の浅はかなる部分よな。我々、ドラゴンにとって人間との戦いなど遊戯に過ぎん。遊びに本気は出そうとも、殺される心配など微塵もないのだからな」
クハハと大きく笑う。
彼らにとって僕達人間とは、少し大きめの虫と大して変わらないのだろう。襲われる心配はないが、決して無関心でいられるような存在でもない。
そう考えると多少気に障る。
「逆にきかせてもらうが、手前、何故あの時この白娘を必死に守っていたのだ? いかに勝利の要とは言え、身を挺して戦う姿は俺様を持ってしても異常であったぞ」
「ああ、えぇと、それは……」
目だけ動かしてチラリとイリスを見る。彼女はキョトンとした顔でこちらを見ている。
彼女の前でこれを話すのは少々気が引けるが……
「どうした、早く言わんか。二つ数えるうちに言わんと消し炭にするぞ。それ、ひとーつ」
「ハイハイ分かりましたよ言えばいいんでしょ! ………が……ぅだったから…」
「聞こえん。燃やす」
「……! イリスが! 僕にとっての希望だったからです!!」
ああ、恥ずかしい。咄嗟とはいえ、もう少しオブラートな表現もあったのではないかと言った後で後悔する。顔が紅潮していくのが分かる。
再びイリスに目を向ける。彼女は目を丸くして白い頬を少し赤らめている。この反応が示す意味は………。
「……………」
「……………」
「なに俺様を差し置いてイチャイチャしてんだコラ。焼き殺すぞオラ」
「そ、そもそもお前が聞いてきたからこうなってるんだろ!?」
「ほう? 俺様に意見するとは……。手前、そこまでして死にたいと見える」
「理不尽だなこのドラゴン!!」
「まあそれはさて置いて」
「ホント自由だな!?」
先程、獄炎竜にとっての僕たちは虫だと表現したが、それは人の目から見たものではなかった。
どちらかと言うと“猫”だ。猫にとっての玩具に過ぎなかったのだ。
「今更だが、手前らの名を聞いてなかったな。教えろ」
「本当に今更だな……。んん、僕は泉田緋色。異世界の…村人?だ」
「……イリス・ハン。剣士」
「ふむ……センダ・ヒイロとイリス・ハンか。ふむふむ………」
ヴァニファールは僕達の名前を聞き、何やら一考する。それも束の間、思考が終わったようだ。
よし、と小さく一言ついてから立ち上がり歩み寄ってくる。そして騎士が女王に拝謁するように左膝を立て跪き、目の前の人物に告げる。
「我が名は獄炎竜ヴァニファール。今この時より我が力はイリス・ハンのために振るわれることを誓おう」
獄炎竜が決めた己の主、それはイリスだった。
当然といえば当然なのだろう。本来これは強さを試す試験。獄炎竜の大技に正面から打ち勝った彼女にはその資格がある。
それに僕には既に天帝竜の竜石がある。一人の人間が竜石を二つ以上持つことはならないとヤツも考えたのだろう。
だが………
「……あなたはこれでいいの?」
そう言ったのはイリスであった。彼女は僕の心を見透かしたように質問を投げかける。
「そもそもあなた達も竜石を求めにこの火山に来たのでしょう? それに、竜石が私の手に入れば、それはつまり我々“七つの美徳”が竜の力を得ることになる。それは避けたいことじゃないの?」
「……僕達の目的は最初から筒抜けだったのか」
「当然。騎士団が私達の存在を認識するのは予見できていた。そして、私達が竜の力を欲していることも。
その上で聞かせてもらう。あなたは今、ここで、私から竜石を奪わなくてもいいの?」
……確かに、僕達の当初の目的であり本来の目的は“七つの美徳に竜石を死守すること”であった。それは今も変わらない。
彼女の属する七つの美徳なる組織は十中八九良からぬ集団だ。そんな奴らに強大な竜の力を与える訳にはいかない。
僕が出した結論は―――
「……ああ、構わない」
僕の言葉にイリスは目を白黒させて驚愕した表情を見せる。
「ど、どうして!? あなたは私達に竜石を明け渡しても良いって言うの!?」
「良くはないさ。今だって七つの美徳に竜の力を渡したくないと思っているよ」
「じゃあなんで……!?」
「上手く言えないんだけど、理由じゃないんだ。確かに七つの美徳には渡したくない。でも、どうしてかな、君になら任せても良いと思えるんだ」
「……!」
それにヴァニファール本人が君を認めているしね、と付け加える。しかし、この言葉はイリスには聞こえていないようだ。
驚き呆れた顔は暫く続き、それは獄炎竜に話しかけられるまで変わらなかった。
「話は決まったか?」
「……ええ、あなたの主はこの私。それで異論ないわ」
「そうか。ならば受け取るがいい、この獄炎竜の力を!」
ヴァニファールが手を差し出す。すると、上に向けられた掌に焔が集まっていく。
焔は形を成し、赤橙色は銀へと煌めきを変える。炎の揺らめきは消え、獄炎竜の掌には赤い宝玉を掴んだ竜の手を模したピアスが残った。
「これこそ我が竜石だ、受け取れ」
「ありが、とう……」
ヴァニファールの竜石がイリスに手渡される。
常にほぼ無表情のイリスも、これには流石に興奮を抑えられないようだ。目をキラキラさせて喜びを顕にする。
竜が自身の主に竜石を渡す。そのことは僕自身も体験しているから普通のことだ。普通のことのはずだ。
だけど、なんだろう……。端から見てると、イケメンで少しヤンチャな感じの彼氏が年下の恋人にプレゼントを贈っているようにも見える。
そう考えるとなんか、こう…嫉妬ていうか羨望ていうか、ジェラシーみたいなもんが溢れて…………ジェラっとする。
「早速だけど、お願いしてもいい?」
「ハッ! 愚問よな。手前は俺様の主、なんでも言ってみよ。人間の願いなど忽ちに叶えてみせよう。さあ、破壊か? それとも殺戮か?」
「私達はこの火山から脱出したい。でもさっきの戦闘でまともに動けないの。だから、火口まで乗せてって」
「……俺様に馬代わりをやれと?」
「さっき“なんでも言え”って言ったよね?」
「……………すぐに変身する。待っておれ」
即刻イリスの言いなりにされるドラゴン。渋々と本来の姿に戻る彼を見て、僕は耐えず同情してしまった。
獄炎竜の背中に乗った僕達はすぐにヴォルビオ火山の火口にまで送られた。
今後、竜の背中に乗る機会などそうそうあるはずもない。しっかりとこの乗り心地の悪さとお尻の痛みを脳に刻みつけておこう。
「ありがとう、ヴァニファール」
「礼などいらん。次に呼び出す際は暴れさせろ」
「うん、考えとく」
「ったく……。主にすべき者を間違えたか?」
「大丈夫、僕でも同じことを頼んでたと思うから」
「……最近の人間は敬いも畏れも無いのか」
はあ、と一つため息をつく。
コイツも結構苦労するタイプなんだなと思った瞬間、ヴァニファールの鱗がチリチリと音を立て揺らめき始める。
「主よ、俺様は疲れたから帰らせてもらう。俺様に用事があれば、その竜石に魔力を流せ。すぐに馳せ参じよう」
「分かった。お疲れ様」
「……フン、さらばだ」
そう言うや否や、ヴァニファールは火球に姿を変え火山の内部へと帰っていった。
残された僕とイリスは何をするでもなく、ただボーッと突っ立っていた。
「どうする? お互いの竜石をかけて勝負するか?」
静寂に困った僕は、首にかかった天帝竜の竜石をチラつかせて挑発してみる。
「そうしたいのは山々だけど、生憎と満身創痍だから。今回だけは見逃しといてあげる」
「それはこっちの台詞だ」
とは言ったものの、イリス同様、僕も戦えるような状態じゃない。口惜しいが見逃すほかあるまい。
「取り敢えず、山降りるか」
「その必要はない」
「……?」
周りは既に夜の闇が覆っている。確かに無理に下山するには危険すぎる。
とは言え、ここでじっとしていても野生の動物の餌になりかねないし、ガスで衰弱死という可能性もある。
本格的な下山は無理にしても、安全な場所には移動したいものだが……
「……来た」
「え?」
きた? 来たって何が? 気になりイリスの目線の先にあるものを見据える。
見えにくい視界の中、僕の目に写ったものは、いくつもの明かりと動く白い影だった。
あれは………
「あれって、白コートの………!?」
「そう、私の仲間。若干予定は狂ったけど、火口に来れてよかった」
イリスは安堵しているが、僕は気が気でない。
ここでイリスの仲間が集まって僕に襲いかかればひとたまりもない。
どうにかして逃げたいが、今の体力じゃ追いつかれることは目に見えている。ここで一巻の終わりか……!?
「お、いたいた! おーい、ねーちゃーん!!」
白コートの子供達もこちらの存在に気が付いたようだ。全員が一斉に走り寄ってくる。
フードで隠された素顔は皆顕になっている。数は十人ほど。その全員がまだ幼いハン族の子供だ。
「良かった……。あの溶岩洞はやっぱり火口に繋がっていたんですね」
「カナート、ウルディナ、それに他の皆も。心配かけて、ゴメン」
「謝ることないって! それよりイリスねえ、ソイツ誰?」
子供の一人に指をさされ、僕は硬直してしまう。イリスの返答次第では、僕はここにいる子供達に嬲られ、リンチされ、ボロ雑巾のようになるだろう。
なにか、何かないか!? この状況を打開する一言はッ!
……! そうだ、これだッッ!!
「や、やあ! 僕はイリスのボーイフレンドの―――」
「ああ、この人は竜石保持者。で、敵」
駄目でしたーーー!!! つーか、さっきまで共闘してたのに敵って!!
……もうダメだ、お終いだ。僕の人生、お先真っ暗だ。
子供達は急に目の前の男が敵と言われて動揺しているようだ。この動揺が収まった瞬間、僕は惨めに殺されるんだぁ……。
「て、敵って……だったら倒さないと!」
「ええ、そうね。でも、今じゃない」
「「「……………え?」」」
彼女の言葉に驚いたのは僕だけではなかった。ハン族の子供達もどうして良いかわからず慌てふためいている。
「“敵”とは言ったけど、それはまた次に出会った時の話。今の彼は私と共に戦ってくれた恩人。恩には礼で返さねばならない。分かった?」
イリスは諭すようにそう言う。
子供達は最初こそ戸惑っていたが、リーダーである彼女の話を素直に聞き入れ、落ち着きを取り戻し始めている。
「イリスねえがそう言うのなら俺はイリンはねえ!」
「異論、ね。私もイリス姉さんがそう言うのなら従います。イリス姉さんは私達の姉であり、族長ですから」
カナートとウルディナと呼ばれた男女の子供がそう発する。すると、周りの意見もそれで合致したようだ。
そのことを確認すると、イリスは狼の群れを率いるボスのように吼える。
「皆! 獄炎竜の竜石は我が手中に入った!! 我々の目的は果たされた!! これより我々は帰還する!!」
「「「「「オォーーーッ!!」」」」」
雄叫びを上げ意気揚々と帰還を開始するハン族。その後ろ姿を母が見守るような穏やかな笑みを浮かべながら眺めるイリス。
その彼女も下山しようと踏み出そうとした、その時―――
「ま、待ってくれイリス!!」
完全に無意識だった。いや、心の奥底にあったものが勝手に浮上した、と言った方がいいだろう。
名前を呼ばれたイリスは何の感情も読み取れない人形のようないつもの顔をこちらに向ける。
「どうしたの?」
「……一つ、聞きたいことがあるんだ」
心の奥で溜まっていった疑問。彼女と触れ合っていくうちに芽生えた不明瞭な違和感が、この場で漸く形を持った。あとはそれをぶつけるのみだ。
イリスは不思議そうに首を傾げている。
「聞きたいことって?」
「……どうして、君は七つの美徳なんかに属しているんだ?」
僕が感じた違和感。それは僕が抱いていた“七つの美徳”のイメージと彼女の性質が余りにも懸け離れていたことだった。
七つの美徳の奴らは目的のためなら手段を選ばない組織だ。自らの歪んだ信念のためなら人を殺めることすら厭わない異常者の集まりだ。そう思っていた。
しかし、その幹部たる彼女はそうではなかった。逆に他人を気遣える優しさや人としての温かみを有した人間だ。
そんな彼女が七つの美徳にいることが不可解でならなかったのだ。
「君達が何を企んでいるのかは分からないが、恐らくは良からぬことだろう。君達の幹部の一人、節制は集落ごと全滅させるような快楽殺人者だし、慈愛と呼ばれる女性だって自身の家族を手に掛けるような人間だと聞いた。
でも君は違う! 君は困っていたら助けてくれる、正義感の強い人間だ! 人の痛みを分かち合える優しい人間だ! なのにどうして、あんな奴らの―――」
「何も知らないくせに私達を語るなッッ!!!」
イリスが叫ぶ。それは獄炎竜との戦いですら見せなかった感情のこもった表情と声だった。
歯を食いしばり、眉間に皺を作り、肩を大きく上下させる彼女の姿を見ると、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「……確かに、その二人は過ぎた行動を起こしたかもしれない。しかし、それはより素晴らしい世界を構築するために必要な犠牲。謂わば人柱のようなもの。当然、それは多くない方が良い。それは私も願っている。でも、大いなる変革には大いなる代償はつきもの。仕方のないことだと思う」
「……そんなことあっていいはずがない」
「何も知らない人ならそう言うだろうね。でもね、私達が生きるにはどう抗っても糧は必要なの。家畜を屠殺して食べるように。何が正しいかなんて、その人のエゴにしか過ぎない。それに………」
いきなり顔を伏せ言い淀むイリス。彼女の言葉の続きを僕はただひたすらに待つ。
「……私達には、ここしか居場所がないの」
面を上げた彼女の瞳には大粒の涙が溜まっていた。それを見ると、僕の心臓が針金で締め付けられたような錯覚に陥った。初めて味わう感覚に僕は何も出来なくなってしまった。
イリスが山を降りていく。僕から遠ざかっていく。
僕は追い掛けることも、呼び止めることも出来ず、ただジッと遠のく背中を眺めることしかできなかった。
「―――それで、そのイリスという少女を取り逃がしたのですか」
「……はい」
ここはニアポリの街、その中で最も大きいホテルの一室。
あの後、僕は一人ヴォルビオ火山に残り、日の出とともに山を降りた。そこで丁度捜索に来ていたユーリ達と鉢合わせになり、ホテルへ帰還。
火山で何があったかを粗方話し、今に至る。
「ったく、ウダウダして敵に竜石渡してんじゃねえよこのクズッ!………と言いたいところなのですけれど、そうは言える空気ではなさそうなのですね」
「……………………」
山で一晩過ごした心労もあるが、僕の頭にはあの夜の光景が何度もフラッシュバックしている。イリスの言葉、イリスの顔、イリスの感情、それが頭の中で何度も反響する。
彼女は元々敵だ、僕には関係ない。そんな言葉で誤魔化そうとするが、どうしても心に凝りが残る。
「まあ、過ぎちまったもんはしょうがねえよ」
とディカプラさんが会話に入ってくる。
彼は部屋の隅の椅子に腰掛け煙草を吹かしている。
「それに、どのみち竜探しはこれで打ち切りだ」
「……? それはどういう……?」
僕が疑問を提示すると、二人は少し困ったかのように顔を見合わせる。
ディカプラさんが顎を軽く動かす。恐らく“言え”という意味だろう。
アンジェラさんがそのサインに了承の意味がこもった相槌を返すと、再び僕の方に顔を向ける。
「……ヒロちゃん、落ち着いて聞いてほしいのです。実は、今朝方、連絡が入ってきて………」
アンジェラさんから聞いた内容は陰鬱だった僕の心を掻き消すほど衝撃的だった。
その内容とは―――
巨巌竜捕獲に動いていたケイロン率いるニリペオス山脈探索部隊が壊滅状態。
加え巨巌竜が覚醒。現在、帝都キャメロスに向かい驀進中。
入れたい内容を詰め込みすぎて、後半のスピード感が異常……orz
あと最後の一行の“驀進”ですが“ばくしん”です。自分のパソコンで見たら潰れていたので、ここに書いておきます。




