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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第二章 誉れの詩〜騎士と魔女編〜
28/120

第28話 害蟲の楽園

タイトル通り虫が出てきます。

苦手な人は遠慮して下さい。

 ―――かつて世界は神秘に満ちていた。

 あの山の奥には何があるのか? この海を越えた先には何があるのか?

 人々は未だ見ぬ地に、恐怖と冒険心を抱いた。

 恐怖を抱いた者は、目の前にある安寧を謳歌し続けた。

 しかし、冒険心を抱いた者は、勇気を持ってその神秘に立ち向かった。


 月日は流れる。

 現在において、地上に存在する殆どの神秘は、人類一万年以上の歴史の名の元に踏み殺された。

 今はその地に残った残骸を啜るか、深淵と宇宙に想いを馳せることしか、“冒険”という浪漫を語れなくなった。


 もし、もしもこの世の全ての神秘を解明コロしたならば、人は何に冒険を求めるのだろうか?






 この異世界において、神秘は生き続けている。

 魔法が技術として成立し、竜を始めとしたモンスターが我が物顔で世界を闊歩し、何より“人類未踏の地”が数多く存在する。

 とはいえ、数十年前と比べると、やはりその数は減っているらしい。

 だが前の世界よりは断然、浪漫がある。


 このブォワホレの森も人類未踏の地、“探索地ダンジョン”に指定されている。

 その理由は中心部に巨大な蟲型モンスターが多く棲息しており、まともに調査できない為である。

 そこに暮らす蟲達はどれも、世間一般的に“害虫”とみなされているモノばかり。

 故に、ブォワホレの森奥地は“害蟲の楽園(ペスツ・パラダイス)”と呼ばれている。


 僕達はその害蟲の楽園を突き進んでいた。





「……なあ、やっぱこの道を行くしかないの?」

「それは君が一番分かっている事だろう? それに運が良ければ、出会わずに済むじゃないか」


 そう簡単に言ってくれるな。

 確かに僕の能力アビリティ“地理理解”で、この道が最短ルートなのは分かっている。

 しかし、こんないつ蟲共が出てくるか分からない所を突っ切っていくのは、やはり気が進まない。


 男らしくないとは思うが、そう思うやつは勝手に思っておけ。

 僕はそういうグロイ感じの虫は苦手なんだ。

 学校で黒光りするヤツが現れた時、女子と混ざってキャーキャー喚く事しか出来なかった。

 そんな僕がこの場を歩いている時点で、僕的には花丸をあげたいくらいだ。



「そうだ、この際だからここに生息している蟲達の中でも、特に危険なやつを教えておこう」

「結構だ。考えたくもない」

「まあそう言うな。聞いておいて損はないぞ」

「そうそう。事前に相手を知っておく事は、盗みにおいても戦闘においても大切、ってリーダーが言ってたニャ」


 シャトンの言う事は一理あるが、それでも聞きたくないものは聞きたくない。

 というか、なんでこの二人の女性はこんなにも平気でいられるんだ?

 普通、若い女性ならこんな所、意地でも通ろうとは思わない筈だが……


 そんなことを思っているうちに、エピーヌが蟲達について語り始めていた。


「先ず代表されるのは“黒王蟲”だな。ヤツらは生命力と繁殖能力が強く、極寒である場所以外ならどこでも暮らしていける。更に瞬間的な速さは生物界トップクラスで、気配察知能力も高いため、そう簡単に捉えられない相手だ」


 名前と生態からして、どう考えても害虫の王、Gさんだ。

 コイツとだけは絶対に会いたくないな。


「次に“殺戮蜘蛛サージェントスパイダー”。コイツは黒王蟲の唯一の天敵だが、逆もまた然りだ。高い運動能力で一気に獲物に近づき、毒で相手の動きを封じてくる。毒はそれほど強力なものではないが、一瞬だけでも動きを止められたなら、その蜘蛛の餌になると言われている」


 推測するにこちらはアシダカグモか何かだろう。

 全ての生物を人間大の大きさにした時、最も強いのは蜘蛛だと言われる。

 これにも注意しておかないと。


「あと……そうだな。“千脚蟲サウザンドレッグ”も危険だな」


 千脚蟲、多分これは百足かヤスデの類だろう。

 これもなるべく会うことは避けたいな。


 そう思っていると、左後方に何やら気配を感じる。

 二人は僕より前を歩いているためか、その気配には気付いていないようだ。

 振り向いて、その場所を確認してみる。


 ―――そこには“ヤツ”がいた。




「千脚蟲はその名の通り、脚が幾つもある、巨大な蟲だ」


 ヤツの側面には、幾つもの細長く鋭い脚がザワザワと蠢いている。

 数は正確には分からないが、その巨体から考えるに、千はありそうだ。


「体は細長く扁平で、巨体の割に案外どこへでも潜められる」


 ヤツの体は細長く平べったい。

 その醜い体を持ち上げて、僕に存分に見せつけてくる。


「頭部の下に“顎脚”と呼ばれるアゴを持っていて、そこから毒を注入する。毒は麻痺性で、一度咬まれると一日は動けないそうだ」


 持ち上げられた赤い頭の下から、二本の凶悪なアゴが展開される。

 その先からは、毒液なのだろうか、それとも涎なのだろうか、透明な液体が滴り落ちている。


「性格は“凶暴”の一言に尽きる。酷く攻撃的な気性で、怒った時などは所構わず先程のアゴで咬みまくる」


 そいつの姿を確認すると、僕の体は頭の先から爪先まで鳥肌と悪寒で包まれた。

 その姿はグロテスク、醜悪、いや、一言で言うのならば“キモい”。


 そこには俵藤太の説話に出てくるような大百足、千脚蟲サウザンドレッグがいた。





「コイツはかなり危険だから、一人でなんとかしようとせず、私達に―――」

「ィィィイイヤアアアアァァァァ!!!!!」


 話していた筈のヒロが、奇声を発しながらエピーヌの横を猛スピードで走り去っていく。

 二人が呆気にとられているうちに、ヒロの姿は森の奥へと消えていった。

 余りにも唐突なことで、二人共考えることを放棄していたが、一呼吸おいて漸く事の自体を把握した。


「……はっ! どこへ行ったんだヒロ君!? 一人で突っ走っては迷子になるぞー!」

「いや、迷子になるのは間違いなく私達ニャ。こんな所で迷ったら、命なんて無いようなものニャ! 急いでアイツを追うニャ!」

「言われずとも―――」


 瞬間、背後に何者かの気配を察知する。

 それを確認するが早いか、その場から緊急離脱する。


 直後、巨木が倒れてきたかのような衝撃が地を鳴らす

 二人がいた所には、代わりに外骨格で覆われたモンスターの胴体が寝そべっていた。


「噂をすれば影。サウザンドレッグか」

「ヒロはコイツにビビって逃げた訳かニャ。全く、男らしさの欠片もニャい」


 ヤレヤレというジェスチャーをシャトンがしている間に、再び千脚蟲は頭を持ち上げ、威嚇の体勢を取る。


「で、どうするニャ? 私は別に逃げてもいいと思うけど」

「ヒロ君を探すためにも無駄な戦闘は避けたいところだ。しかし、サウザンドレッグは一度定めた獲物を追いかけつづける習性を持つ。ともすれば……」

「さっさとブッ倒す」

「その通りだ。気を抜くなよ、戦闘開始だッ!!」






 ―――一体どのくらいまで走ったのだろう。

 酷使された体に酸素を与えるため、大きく呼吸を繰り返す。その度に喉の奥から鉄の味がする。

 脳にも十分に酸素が行き届いていないので、うまく頭が回らない。

 だが、エピーヌ達とはぐれた、この状況は危険であるという事は察知できる。


「……これからどうするか」


 “地理理解”は目的地に行くには最適な能力アビリティだが、動き回る個人を捜すことはできない。

 そもそも、こういった遭難した状況下において、無闇に動くのは得策ではない、と何かで聞いたことがある。

 無駄に体力を使うばかりか、捜索する人から離れる危険性があるそうだ。

 ここはひとつ大人しく待つとしよう。



 そう思い、丁度腰掛くらいの高さの倒木を見つけ、そこに腰掛ける。

 座った瞬間、濡れた感触が尻の皮膚に伝わったが、四の五の言ってられない。

 まだ息が上がっている。だというのに、足は思い出したかのように倦怠感が滲み出てくる。


「明日は筋肉痛だな……」


 そう呟きながら、小さく笑う。




 ……ヒマだ。とにかく暇だ。


 試しに前の世界でのお気に入りの曲を歌ってみたり、この世界でのヒットソングを口遊んでみたりしたが、退屈は紛らわせない。

 昼寝でもするかと考えもしたが、寝てるときにヤツらが来たらと思うとゾッとする。

 そうなると何もやることがない。ただ空を見上げ、葉の隙間から見える雲を眺めることしかできなかった。



「……紅蓮、聞いているか?」


 ふと、問いかけてみる。返事は無い。

 何故問いかけたのか? それほど暇だったのだろう。

 僕はうわ言のように、聞いているかすら分からない相手に話しかける。


「この際だから謝っておくよ、ごめん」


 紅蓮に対し何を謝っているのか。

 それはエピーヌとの決闘の後、“白い世界”で彼に罵詈雑言を吐いた事であった。


「あの時は僕も混乱していたんだ。急に僕が化物になるかもしれないって聞かされて、それで、ついカッてなっちゃって……。許してほしいなんて言わない。ただ謝りたくって……」


 返事は無い。

 だが、僕の言葉は堰き止めた水が溢れるように、次々と出てくる。


「いつもは君の事を『鬱陶しい』なんて思っていたけど、いざ声を聞かないとなると、それはそれでちょっと寂しいんだ。可笑しいよな、多分また声を聞けば鬱陶しく思うだけなのに。

 だから、さ、もういいんだ。僕は気にしていない。だからまた僕の前に現れてよ」


 返事は無い。

 覚悟はしていたが、やはり応えてくれないと辛く感じる。



 感傷に浸っていると、後ろの茂みから物音がした。


「紅蓮……!」


 淡い期待を込め、振り返る。

 だが、その期待は当然の如く打ち砕かれる。


 そこに居たのは蟲だった。

 油に塗れ、黒光りした外骨格。長い一対の触覚。僕の体より遥かに大きいグロテスクな巨体。あらゆる環境下において長期間生存できる生命力。

 そこに居たのは害虫の王、“黒王蟲”ゴキブリだった。


 その姿は前にいた世界のちんけでおぞましい姿とは少し違い、どちらかというとエイリアンのような風貌だ。

 そのためか、不思議とそこまでの嫌悪感はない。それどころか怒りさえ沸いてくる。


「……紅蓮かと思ったのに、お前(ゴキブリ)かよ……。ったく、その気持ち悪い姿を見せんじゃねえッ!!」


 完全に逆切れだった。だがそれでいい。

 今僕は無性にイライラしている。コイツには駆除対象と一緒に怒りのはけ口とさせてもらおう。




 剣を抜く。ヤツに動きはない。


(先ずは“解析アナライズ”で敵の情報を掴む。そして影魔導で拘束して……)


 そこで気付く。そうだ、今は紅蓮の協力を得られない、つまりは影魔導も使えないということだ。

 これが僕にとって、初めての一人きりの戦闘というわけだ。

 それを再確認すると、嫌な汗が吹き出してくる。


 今まで、様々な敵と戦ってきたが、そのどれも紅蓮ありきの戦いだった。

 影魔導も鬼人モードも紅蓮あってのスキルだ。

 それらが使えないとなると、状況は更に悪化する。




(ッ……。取り敢えずアナライズだけでも……)


 そう思いアナライズを展開させる。

 しかしそれも途中で中断せざるを得なかった。


 黒王蟲が突進をかましてきたのだ。


 ノーモーションからの超高速の突進。

 その為、常に気を張っていたにも関わらず、避けることすら叶わなかった。


 咄嗟に剣と左腕を交差させ、防御の体制をとる。

 次の瞬間、ガードの向こうからとてつもなく強い衝撃が伝わってくる。

 同時に“パキン”と小気味のいい音が聞こえた。恐らく左腕が折れたのだろう。

 そう思った時には、僕の体は後方の樹木に激突していた。



 ……一瞬、気を失っていた。

 それにしても凄い加速力だ。まるで砲弾を思わせる。

 流石はゴキブリと言った所か。


 ぼやける視線を黒王蟲に合わせる。

 ヤツは長い触角を少し動かすだけで、行動を起こす気配はない。

 とはいえ、先程の急突進の事を踏まえると、安心してはいられない。


「く……そ、があぁっ!!」


 何を焦ったのか、僕はヤツにショックを撃ち出してしまった。

 虫が光に集まることを思い出したのは、ショックが炸裂してからの事だった。




 辺りが閃光と轟音に包まれる。それは一瞬の事で、周りはすぐに暗く静かになる。


 やってしまった。虫が光に集まるなんてことは、考えればすぐに分かる事じゃないか……!

 どうする!? また、あんな突進を食らったら、只じゃ済まないぞ!


 脳内をフル回転させて、この状況の打開策を考える。

 その間も僕の瞳はヤツの姿を捉えていた。

 そのお陰で一つの事実に気付けた。


(……? 黒王蟲が、()退()()()()()?)


 そう、ヤツが後ろに下がっていたのだ。

 しかし何故だ? 何故退く必要があったのだ?

 もう一度知能を結集させる。その結果、ある一つの可能性を見出した。


(もしかして、ヤツは()()()()()()()()んじゃないか……?)


 試しに再びショックをヤツ目がけて撃つ。

 今度は音を抑え、光も眩しいと感じる程度にしてある。


 それが今、黒王蟲の目の前で炸裂する。

 するとどうだろう、ヤツは光から逃れるように後退るではないか。


 思った通りだ。先程から頭を動かし続けていたためか、今日は冴えているぞ。

 こんなジメジメとした陰気な場所に居るから、強い光には嫌悪感を示すのだろう。



 再三ショックを撃つ。次は長時間照らし続けるように調整した。

 ソレがポンという音と共に辺りを照らし始める。

 ヤツはそれから逃げるように、陰の部分へ隠れてしまう。


 だが、完全に逃げたわけではない。

 木の陰から未だ僕の事を狙っているようだ。

 ヤツからしてみれば、『獲物を狙っている最中に、突然光が発生したから一時避難した』程度の事なのだろう。

 それに、光が照っていても百パーセント安全というわけでもない。

 そもそも光が弱点というのならば、真昼間からゴキブリの姿など見る筈もないのだ。

 その気になれば、すぐにでもまた襲い掛かってくるだろう。

 それより早く何か策を講じないと……




 先ずは現状を確認するため、自身の両手を見る。

 剣は折れていない。

 良かった。折角バルカさんが僕のためだけに作った剣だ。

 折れていては申し訳が立たない。


 次に左腕を見る。

 前腕部が丁度真ん中から歪んでいる。その部分からじんわりした痛みも広がり始めている。

 やはり骨折していたか。

 そのことに不快感を覚えながらも、取り敢えずそこらに落ちていた丈夫そうな木の枝と服を破って作った即席の包帯で応急処置を施す。

 よし、これで暫くは大丈夫だろう。


 さて、この次は僕の攻撃手段カードを確認しよう。

 先ず目くらまし用の“ショック”、そしてそれを応用した“ショックインパクト”と“ショックスラッシュ”。

 あとは炎魔導“着火イグニッション”くらいか。

 この炎魔導は名前こそカッコイイが、効果がライター代わりという名前負けしている隷位魔導だ。

 野宿などで役立つだろうと習得したが、今この場ではなんの意味も成さない。

 一体どうしたものか……。



 もう一度ゴキブリを見やる。まだ動きはない。

 しかし、毛繕いのつもりだろうか、長い触角を丁寧に舐めている。気持ち悪い。


 それにしても見れば見るほど気色の悪い生物だ。

 体が大きい分、細部までよく見えてしまう。

 どうして同じ昆虫でも、カブトムシなどと違いここまでキモいのか。

 とげとげした肢、薄い翅、そしてなにより黒光りしたあの体。

 油虫という別名に違わず、全身を油が覆っている。そのためあの悍ましい光沢を出せるのか。


(直接攻撃したら、あの油塗れになるだろうな。うへぇ、気持ちわるっ! なんで体中を油でギトギトにさせる必要があるのか? あの油さえなければ……油?)




 油、ゴキブリの体は油分で覆われている。

 ゴキブリは意外にもきれい好きな昆虫で、体の油分によって清潔を保っているらしい。

 また、気門という人の鼻に当たる部分も油分で覆われており、それによって呼吸を可能としている。

 それ故、洗剤などで油分を落とすとゴキブリは呼吸ができずに、窒息死してしまうらしい。


 だが今の僕にはそんな雑学は知った事ではない。

 僕の頭にある事は、()()()()()という事だけだ。



(ヤツに近付き着火イグニッションでヤツの油に火を点す。実際、点くかどうかは分からないが、試すほか方法がない。そのためにもまずヤツにどうやって近付くかだ……)


 ゴキブリは素早い生物として知られている。

 その速さたるや、人間大の大きさにして時速320キロ。新幹線並み、いや、それ以上のスピードだ。

 実際は自重などの要因で、そこまで速くなることはないだろうが、それでも驚異的な速さを出せることには違いない。

 たとえ近付こうとしても、その速さで逃げられるか、または突進で先手を打たれるかのどちらかだ。

 攻撃するどころか、接近さえできないとは。

 八方塞がりだ、どうする?



 ……いや、一つだけ手がある。

 もうこれしか方法がない。やるしかない。


 そのために僕は立ち上がる。

 僕の動きを察知したのか、黒王蟲は毛づくろいもとい触角づくろいを止めた。


 ―――緊張感が走る。

 ショックの光球が消えかけている。

 あと一分か二分か、いや数秒も無いかもしれない。

 光球が消えた瞬間が作戦開始の合図だ。




 光球が消えた。同時に僕は動き出す。

 踵を返し、黒王蟲に背を向け、全速力で走り出す。


 そう、僕に残された最後の一手、それは“逃げる”ことッ!


 脇目も振らず悪路を走り抜ける。

 蟲といえど突然のことで虚を衝かれたのか、後ろから追ってくるような音はしない。

 このまま追ってこなければ万々歳なのだが……


 その思いも通じず、暫くしてから後ろから『カサカサカサ』とヤツの代名詞的な音が聞こえてくる。

 やはり簡単に逃してはくれないか。


 その音はみるみるうちに、近く、大きくなっていく。

 想像はしていたが、やはり速い……!

 だが……ここだっ!


 自分の足に無茶を言わせ、進行方向を直角に曲げる。

 曲がった直後、僕の後ろを猛スピードで通り過ぎていく黒王蟲を目の端で捉える。

 危なかった……。あと少し遅れていたら、轢かれていただろう。


 だが、これで分かった。ヤツは急には止まれない。

 それもそうだ、小さいときならいざ知らず、体が大きく重いのにあの速さで走っていたら、そう簡単には止まれないだろう。


 再び追ってくる音が聞こえる。

 まだ諦めてないのか。

 ならば……


「ショックスラッシュ!!」


 大木の一本を剣で深々と切りつける。

 切られた大木はバランスを崩し、自重に耐えれず倒れ始めた。

 後方で地震のような振動と轟音が響く。


「これで足止めくらいになら……」


 と思い走りながら後ろを見る。

 黒王蟲の姿はない。やっと撒けたか……


 などと思ったのも束の間、ヤツが倒木から頭を覗かせる。


「マジかよ!? しつこいなあ!!」


 巨木を倒しても、黒王蟲の追跡から逃れることはできない。

 しかし、確実に足止めはできている。

 それが分かっただけでも十分だ。


「ショックスラッシュショックスラッシュショックスラッシュショックスラッシュショックスラッシュショックスラッシュショックスラッシュショックスラッシュゥゥウウッッッ!!!」


 連続して大木を切りつける。

 当然、先程同様、巨木は黒王蟲の進路を塞ぐように倒れていく。

 これでは俊足を持つ黒王蟲も簡単には追いつけまい。



 こうやって僕は時に進路を変えたり、時に障害物を設けたりしてヤツから逃げる。

 しかし、ヤツも諦めが悪い。

 このままでは、いつか追いつかれてしまう。そうなったら一環の終わりだ。

 そもそも僕は逃げ切って助かろうなんて思ってはいない。

 戦って勝つ、そして生きる。その為に走っているんだ!




 もう一本、巨木を切る。

 それが倒れたことを確認し、その裏に身を潜める。


 遠くからヤツの足音が聞こえてくる。

 その足音が近づくにつれて、僕の焦りも加速する。

 これでもし失敗などすれば、僕の命はない。

 そう考えると手が震えてくる。



 カサ……カサ……


 まだ、まだ遠い。


 カサカサ……


 落ち着け、落ち着くんだ。


 カサカサカサカサ


 もう少し、あともう少しだ。


 カサカサガサガサガサガサッ!


 ……今だッ!!



 僕が隠れている巨木の上を、黒王蟲が勢い良く通り過ぎる。

 狙うは一瞬、僕とヤツが最大限に近付けるこの瞬間ッ!


着火イグニッション!!」


 呪文とともに指先から火花が散る。

 それが今、ヤツのグロテスクな腹に当たる。


 火花はヤツを覆う油分に引火し、黒王蟲は火達磨と化す




 ―――ことはなかった。


「な……んで、なんで火がつかないんだ!?」


 油に火を近づければ、その“全て”が燃える。これがヒロの犯した間違いだった。



 そもそも、油、もとい油脂というのは――燃えることは燃えるが――どれも燃えやすいわけではない。

 確かにガソリンは燃えやすいし、揚げ物中に油が発火という事故もある。

 その為、油=燃えやすいというイメージがある。


 だが実際に燃えるのは、“引火点”に至った油のみである。

 引火点とは、可燃性のガスを油脂が発生させることのできる最低温度である。

 火はそのガスに引火しており、あたかも油に引火しているように見せているのだ。

 因みにガソリンの引火点は−43℃、70%のエタノールで16.6℃、植物油だと327℃となる。


 そしてゴキブリを覆う油分も、常温では引火しない。

 ヒロの行動は、黒王蟲を火傷させることもなく、ただ自身の場所を教えたに過ぎないのだ。




 ヒロは今、何もできずにいる。

 目の前には巨大な殺人ゴキブリ、それに対する作戦も効果なし、逃げようとしても確実に追い付かれ食われてしまう。

 ヒロはただ恐怖に晒されることしかできなかった。


 黒王蟲がジリジリとヒロに迫る。

 ヒロはそれを見て、震えることしかできない。


 ついに目の前まで黒王蟲が迫る。

 その醜悪な口を開き、歯とも顎とも脚とも取れるような何かを展開させる。


(ついに、ここまでか……)


 ヒロは自分の死を悟っていた。

 脳裏には走馬灯がかける。


 初めてこの世界に来て、ユーリ達やフローラちゃんと会ったこと。

 初めて同行したクエストで、天帝竜と戦ったこと。

 領主の邸宅でウィザ達、そして節制の徳(テンパランス)と名乗る者に出会ったこと。

 テッセンでの皆に会い、炭坑の地下でフェルさんを助けたこと。

 フルーランス王宮でフローラちゃんの家族と会い、エピーヌさんと決闘をしたこと。

 そして……紅蓮と出会ったこと。


「……まだ、だ」


 右手に持っていた剣を黒王蟲に向ける。


「まだ、終わらない……! 終わってたまるかッ!! そうだろ!? 紅蓮!!!」


 黒王蟲が襲いかかる―――!






〔――ああ、そうだとも。我が友よ〕


 正直、今度こそ死んだと思った。


 目の前には黒王蟲が大口を開けて迫っている。

 だが、その体は黒い平面的な縄のようなもので縛られている。

 何度も見た光景。紅蓮の影魔導だった。


「……全く、遅いんだよ。バカヤロー」

〔それは済まないな。それでは、その借りは戦闘で返すとしよう〕


 そう言うと紅蓮は黒王蟲を投げ飛ばす。

 その巨体が大木にぶつかると、間髪入れずに影が黒王蟲を串刺しにする。

 黒王蟲は苦しそうに、その六本の肢を動かす。


「まだ生きてんのかよ。なら……紅蓮」

〔分かった、これを作ればいいのだね〕


 影が集まり、黒いあるものが形成されていく。

 それは対ゴキブリ用決戦物理兵器“スリッパ”だ。

 それも黒王蟲を簡単に潰せそうなほど巨大なものだ。


「ブッ潰れろ」


 合図とともに、巨大スリッパがしなりながら黒王蟲へ向かう。


「キイイイィィィィィ―――!!」


 最期の断末魔だろうか、甲高い鳴き声を出す。

 だがそれも虚しく、いとも呆気なくスリッパに潰されてしまった。


 ゆっくりとスリッパをどける。

 そこには語るも無惨な黒王蟲の死骸がある。

 肢や触角が痙攣している。もう動くことはないだろう。




「ふぅ、なんとか倒せた……。ありがとな紅蓮。お前が居なかったら、僕は今頃―――」

〔悪いがヒロ、礼を言うのも、安心するのも、後にした方がいい〕

「……?」


 どうしたというのだろう。いつになく真剣だ。

 久々に出てきて、キャラを忘れたか?


「どうしたんだよ紅蓮。あ、もしかして黒王蟲アイツがまだ生きているのか!? それならもう一度―――」

〔違う。あの蟲なら死んでいることを確認した。私が危惧しているのは、もっと恐ろしいことだよ。取り敢えずここから離れた方がいい〕

「はあ? なんだって言うんだよ?」

〔それは離れながらでも教えられる。今は一刻も早くここから離脱するんだ!〕


 いつもながら回りくどい言い方するな、と感じつつも、緊迫した雰囲気の紅蓮に圧迫され、ここから離れようとする。




 だが時既に遅し。


 周りから大量の気配を感じる。

 いや気配というより音だ。周りから茂みを掻き分ける音が聞こえる。

 それはまるで街の喧騒のように騒がしい。


 暫くして茂みから音の正体が現れる。

 黒光りした躰、長い触覚、薄い翅、トゲトゲとした肢。

 それは正しく先程倒したはずの黒王蟲であった。

 それが数十匹といる。


「……紅蓮、まさかさっき言っていた“もっと恐ろしいこと”っていうのは……」

〔このことだよ。さっき最初のゴキブリが死の淵で鳴いていただろう。アレが他のゴキブリを呼び寄せたのだろう〕

「マジかよ……」


 一匹倒すだけでもあれほど苦労した黒王蟲。

 それを今度は何十匹も駆除しないといけないのか。

 紅蓮が居るとはいえ、真面にやりあうのは愚かな行為だ。

 隙を見て逃げ出したいところだが、こうもわらわらといてはそんな隙間さえない。

 ……絶体絶命、だな。





「坊主! 伏せてな!!」


 突如、どこから男性の声が響く。

 一体どこの誰が言っているのかは分からない。

 だが、藁にもすがる思いでその忠告に従う。


「19番! 凍結剣“ジェリダ”!!」


 掛け声とともに辺りが一瞬で凍り付く。

 それは木も、草も、そして黒王蟲の群れでさえ、氷の彫刻へと姿を変えさせる。

 氷漬けにされた黒王蟲共は、春の日差しに当てられた氷河の如く、音を立てて崩れ去った。





「危なかったな坊主。俺が来なけりゃ間違いなく死んでたぞ」


 呆気に取られている僕の背後から、先程の声が聞こえる。

 振り返り確認すると、そこには一人の青年が立っていた。


「……あ、貴方は……?」

「俺か? 俺はジーク。英雄級の一人“剣聖”であり、勇者候補の一人“勝利の勇者”だ!」

丁度、対黒王蟲戦を書いているとき、というか“着火イグニッション”が失敗に終わった所を書いていた時に、ゴキブリが原因の火災の記事を見て、「うわぁ、タイムリーだなぁ」と思いつつ書いていました。

ゴキブリは確かに燃えにくくはあるらしいのですが、アルコールを掛けて燃やすと大惨事になります。

絶対にやらないでください。


話は変わりますが、今回が書いていて一番大変だった回ですね。

まず調べるとヤバい画像ばかりという・・・

しかも黒王蟲が強すぎて、僕自身「どうすんだコレ」と思いながら、構想を練っていました。


最後に、ゴキにはゴキ〇ェットが一番です。

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