第27話 たまには昔の話でも
広大な森が夕日に照らされ、茜色に燃え上がっている。
そんな静寂な森の中、突如として轟音が響く。
その音に驚いて、鳥たちが一斉に羽搏く。
同時に森を形成する巨木の一つが、軋みながらその巨体を地に伏せた。
その轟音の中心には、二人の人間と一人の亜人二世、そして全高二メートルを優に超えそうな巨大猪がいた。
「何でこんな目に遭ってんだ!?」
「今日の晩飯の為にゃ~♪ 今日は猪肉~♪」
シャトンが鼻歌を歌っていると、巨猪は彼女に向かって突進を始める。
だが、彼女は軽い身のこなしでこれを難なく避ける。
躱された巨猪はその突進のスピードを緩めることなく、そのまま巨木に激突する。
すると、激突された巨木はまたもや音を立てながら倒れた。
自身より遥かに大きい樹木を一撃で倒すとは、なんて規格外のパワーなんだ。
「ボサっとしている場合ではないぞヒロ君! ヤツが目眩を起こしている今がチャンスだ!」
「……! ああ!」
あのようなスピードで頭からぶつかれば、いくら図体のデカい怪物でもやはりクラクラするだろう。
例に漏れず、あの巨猪も動きを止めている。
そこに三人が飛び掛かる。
「必殺! “スーパーシャトンクロー”!」
「スキル“火の角撃”!」
「ショックインパクト!」
三人の一撃をまともに受けた巨猪は、最期の悲鳴をあげながら倒れ伏し、そのまま動くことはなかった。
ウィザの家を出て暫く経ち、既に夜となっていた。
暗かった森の中は更に闇を強め、新月の夜よりも暗い漆黒の闇に染まっている。
僕達はそんな森の中の少し開けた場所に火を焚き、それを囲みながら先程仕留めた巨猪を食べていた。
今日の夕飯
巨大猪の丸焼き 〜野草を添えて〜(おいしい)
「というか、洞窟へは何時着くんだニャ?」
「明日の朝に出発して……昼前には着くかな」
既に洞窟の座標は設定してある。
ハッターが嘘をついていない限り、確実に辿り着けるだろう。
因みにバロン達は『他に方法がないか、もう一度調べてみる』と言い、今は僕とエピーヌ、そしてシャトンがこの森に来ていた。
この人数だけで行くのは多少心配だが、大きな問題にはならないだろう。
問題は……
洞窟があるであろう方角に顔を向ける。
そこにも森は広がっているが、その五十メートル先、そこは今までの空気と完全に違っていた。
今までは広葉樹が生える一般的な森であったが、そこはシダ植物などの原始的な植物が顔を覗かせる、太古の林のようであった。
それだけならまだ良い、というかそれだけの方が良かった。
「シャトン、あの話は本当の本当なのか?」
「何度も言ってるニャ。あの奥は蟲型モンスターの本拠地。世の言う“害虫”が巨大化して暮らしている、正に“害蟲の楽園”ニャ」
ああ、何度聞き返しても同じか……。
巨大害蟲の楽園、つまりはでっかいGさんとかMさんとかがわんさかと居るのだろう。
あぁ、絶対に行きたくない……。
「ウジウジすんニャよ、情けニャい。私が小さい時なんかそんなモノそこら中に居たぞ」
そんなこと言われたって嫌なものは嫌だ。
というか、それについても考えるのが嫌だ。
なんとかして意識を他の事に向けないと……そうだ!
「そういえば、さっき“小さい時”って言ってたけど、シャトンの小さい時はどんなだったんだ?」
「あー? ニャんだ急に?」
「いやぁ、ちょっと気になっただけだよ。シャトンの小さい頃とか、何時ウィザと出会ったのか、とか」
「……昔の話、か」
先程の明るい弾けるような笑顔とは違い、その顔は何かを懐かしむような柔らかい微笑が浮かんでいる。
「……大して面白くないと思うけど?」
「別に無理して話さなくてもいいよ」
「聞いておいてそれはニャいニャ! 無理矢理にでも聞かせてやるニャ!」
こうして、黒猫シャトンの回顧録が始まるのであった。
―――――――――
十年前、某国某市街の裏路地。そこは激しい社会競争に負けた者や全てを失った者が辿り着く、言うなればスラム街のようなところであった。
当時は“ハン族の侵攻”というユニオス史に残る一大事件のため、社会が安定していなかった。
当然、そのような状況においては、この裏路地に訪れる人間は増える。
元騎士、傭兵落ち、冒険者くずれ、チンピラ、指名手配犯、様々な人間がここへ集う。
そのような者が集まれば、治安が悪くなるのは火を見るより明らかだ。
喧嘩や殺人は日常茶飯事。歩けば必ず死体と出会う日々。
道端に落ちている死体は、捨てられた赤ん坊から衰弱死した老人まで様々である。
そんな死体も一週間したら、いつの間にか消えていた。
幼きシャトンはそこで暮らしていた。
力だけが物を言う超弱肉強食の世界。あらゆるものを奪い奪われる世界。明日さえ確定されていない世界。
そんな社会のサバンナとも言える世界で、彼女はかぼそく生きていた。
彼女は生きるために何でもした。
生きるために取り返しのつかないような嘘をついた。生きるために人から盗みもした。生きるために人を殺した。生きるために自ら純潔を差し出した。
神に悔い改めようとすると、半日はかかるような数の罪を犯してきた。
それもこれも“生きるため”だった。
これを諭し導いてくれる者は居なかったのか。居るはずがない。
彼女は気付いたときから孤独だった。
親と呼べる者はおらず、親となるものも居なかった。
生きる術は本能と他の者から盗んで学んだ。
このままではこの街に生きる者と同様に、生存競争に埋もれ幼くして息絶えてしまうだろう。
シャトンはそれを直感的に予感していた。そしてそれを受け入れていた。
(生きるためにあらゆるものを利用し奪ってきた。それでも死んでしまうのなら、それはそれでもう良いや)
この頃になると、既に生への執着も薄れ始めていた。
“生きるため”に行ってきた行為は、“そうやって生きてきたから”という惰性で続けていた。
そんな彼女にも最後に一つ、希望ともいえる夢があった。
(お母さんに会ってみたいな……)
いつも覗いていた窓の中、そこには母に甘える子の姿があった。
子は楽しげに母と語り合っている。
時に子は母に抱かれ、時に子は母の手料理を口に頬張り、常に子は母の愛に包まれていた。
その光景を見ているシャトンの心には一つの感情がある。
それは憧憬。少年がスター選手に抱くようなささやかで純粋な憧れ。
だがその憧れは決して叶うはずのない夢でもあった。
母はもう居ない。母となる人間も現れない。
このまま孤独の内に死ぬのだと、齢十にも満たない少女はそう覚悟していた。
とある日、シャトンはいつものように“獲物”を狙っていた。
入り組んだ裏路地には、意外にも人が行き交いする。
それはココの住人は勿論、近道しようと入ってきたマヌケもいる。
狙うはそのマヌケだ。
(アイツは身なりはいいけど、危ないやつだ。……アイツは大して何も持ってなさそうだな。……ん? アレは……)
目をつけたのは上質な衣服を身に纏い、その小さな体に不釣り合いの大きなとんがり帽子を被った、自分とそう変わらない少女だった。
道にでも迷ってここまで来たのだろうか?
まあそんなことはどうでもいい。
あの子を人質にして、親に身代金でもせしめてやろう。
そんなことを企てながら彼女にちかづいていく。
猫特有の忍び足をフルに活かし、自分の爪が届くあたりにまで近付けた。
あとは後ろから脅せば、少女は恐怖で動くことすら出来なくなるだろう。
タイミングを見計らい、満を持して自慢の爪を少女の喉元に突き立てる。
「動くな。叫んでも構わないが、誰も助けてはくれないぞ」
シャトンが予想した少女の次なる行動は、言われたとおりに叫ぶか、それとも恐怖で動けなくなるかのどちらかだと思った。
大人の男性なら抵抗するだろうが、目の前に居るのは年端も行かぬ少女だ。抵抗などするはずもない。
そう思っていた。
「……ふぇ?」
気が付いた時には彼女の体は空中に舞っていた。
なぜそのような状況に陥っているのか、理解が追い付かない。
ただ反転した地面が近づいてきている事だけは理解できた。
持ち前の身体能力でなんとか着地できたが、考えを改めないといけないだろう。
ただのか弱い幼気な少女だと思っていたが、間違いなく自身を吹き飛ばしたのはその少女だ。
「もういいかしら? それじゃあ私は急いでいるから、またね黒猫さん」
「調子乗ってんじゃねえぞクソガキッ!!」
そうだ、さっきのは自分が油断していたからだ。何も出来ない子供だと油断していたからだ。
今度は油断なんかしない。泣くまで痛めつけてから連れ去ってしまおう。
心の中でそう決め、再び襲い掛かる。
「……ったく、鬱陶しいなぁ」
少女は振り返り、その金色の右目をシャトンに見せる。
するとどうだろう、まるで蛇に睨まれたかのように体が固まってしまう。
「な、何をした!?」
「ちょっと“金縛り”にあってもらっただけよ。大丈夫、暫くしたら自然と解けるわよ。その頃には私はここには居ないけどね。
……あら、貴女もオッドアイなのね。私もなの、お揃いね」
そう言いながら微笑を浮かべる。
何が“お揃いね”だ、調子に乗りやがって。
くそ、この私がただの子供に負けるなんて―――
ぐうううぅぅぅぅううううう~~~~~……
突如としてその場に間抜けな腹の虫が鳴る。
そうだ、もう何日も何も口にしていない。
そもそもコイツを襲ったのも食料の為だった。
しかし腹が減ってやる気がもう起きない。
「……貴女、お腹が減っているの?」
「見たらわかるだろ。減りすぎて痛いほどペコペコだよ」
ていうか、なんでコイツと話なんかしてんだ。
折角助かったんだからどこへでも行けってんだ、このクソガ―――
「はい、これ」
「……何だこれは?」
「見ての通りパンよ。知らないのかしら?」
「知ってるよ。そうじゃなくて、なんでパンを目の前に出してきてんのか、理由を聞いてんだよ」
「なんでって、アンタお腹がすいてるんでしょ?だったら食べればいいじゃない。金縛りも解いてあげるから、自分で食べなさいよね」
そう言われると、急に体が動くようになった。
しかし馬鹿じゃないのか?さっきまで襲おうとしていた奴を自由にさせて、あまつさえ食べ物を恵むとは。
やはり表の人間は腑抜けているな。
「何? 食べないの? 食べないんだったら私が貰うけど?」
「……! 食べるよ! よこせ!!」
少々手荒に彼女の手からパンをとる。
特段変な臭いはしない。それどころか食欲を誘う良い匂いだ。
毒などは入っていない、ただのパンのようだ。
恐る恐るそれを口に含む。
「……!!!」
おいしい。今まで食べたどのパンより遥かに美味しい。
パリッとした表面を破ると、中にはふわふわの中身が詰まっている。
口の中には自然本来の麦の味が広がる。その中には味を邪魔しない程度のささやかな甘みも含まれている。
残飯のカサカサとしたパンとは大違いだ。
一口、また一口とパンが口の中に入っていく。
気が付けばもう全て食べてしまっていた。
「ふぅ、おいしかった……」
「お粗末様。おかわりもあるけど、要るかしら?」
「いるっ!!」
その後、同じパンを五つも食べてしまった。
その時間は生まれてきた中で一番幸福な時間だった。
「……ところで貴女、親は?」
「親? いないよ。気が付いたときからずっと一人だったからね」
「そう、私と同じなのね……。よし、決めた!」
その一言ともにスックと立ち上がる。
そしてシャトンに指を指して、言い放つ。
「貴女、私と一緒に暮らしなさい!」
「……はあ?」
「お互いに一人ぼっちなんだし、助け合った方がいいじゃない。それに魔女の使い魔といえば黒猫だしね」
急な提案に思わず首を傾げる。
一緒に暮らす? 私とコイツが?
それは今までの生活からは想像もできないことだった。
シャトンはその言葉に混乱してしまう。
そのためか、少女の頭に乗っている帽子が動いた気がした。というか実際動いた。
「少なくともテメーは一人じゃねーだろーがッ!」
「うわぁ!! 帽子が喋った!!?」
余りの事で後ろにひっくり返ってしまう。
その事を気にも留めていないのか、少女は友人と談話するかのように帽子に話しかける。
「急に喋りだすんじゃないわよ。驚いちゃうでしょう」
「これはこれは失礼ッ! ギャハハハ!」
帽子が動いていることもそうだが、何よりもその奇怪な帽子と普通に話し合っている少女に“奇妙である”という感想を抱いた。
さらに混乱してしまった脳内を無理やり落ち着かせて、なんとかして一つの疑問を口にする。
「な……なんだソレ……!?」
「ん? コレ? コイツは“マッド・ハッター”、意思を持つ狂った帽子よ」
「よー。ヨロピクー」
ハッターは縁を上手く動かし、まるで手を立てるかのように縁を立てる。
“意思のある帽子”、そう説明されたが、到底信じられる訳がない。
シャトンは眼前に晒された不可解な現実に、目を丸くして応えることしかできなかった。
「……オーイ。俺様が折角挨拶してやったんだから、テメーも名前くらい言っても良いんじゃねーか!?」
「コイツの言うことに賛同するのも癪だけど、そうね、名前くらいは知っておきたいわ。貴女、名前は?」
「名前……」
名前、そんなものは無い。
物心ついたときから自分をさす名前はなかったし、そもそもこの裏路地においてそんなものなんの意味も成さない。
交友関係など成立するはずもないし、例え互いに名前を見知ったとしても、すぐにどちらかは死んでしまうのだ。
だからシャトンにとって、名前など持つ必要もなかったし、持つ道理もなかったのだ。
「……ない」
「ない?」
「名前なんか無い。好きに呼べばいいさ」
「好きに、ってそれじゃあ何かと不便じゃない。……そうだ! 良いこと思いついた!」
少女はパンッと手を叩いて、顔を輝かせる。
その姿は今までの大人びた妖しい雰囲気とは違い、年相応の可愛らしい少女のそれだった。
「私が名前をつけてあげる!」
「は?」
「おー、それは良い! ならば、ポポテック=グルディアド・ヘカテー・プルプル・娘々・キノウノ=バンメ・シハカレー・ガヨカッ―――」
「“シャトン”なんてどう? フルーランスの言葉で“仔猫”って意味なのよ」
「シャトン……」
“シャトン”。それが私につけられた名前。
今まで散々、“小賢しい黒猫”やら“泥棒猫”と罵られ続けたが、少女からつけられた名前はそれらとは違う感覚を覚えた。
初めて他者から貰った意味のある名前。
それを思うとなんだかこそばゆいような、温かいような気持ちに包まれて、自然と笑みが溢れる。
「気に入ってくれたようね。じゃあ改めて、私はウィザ、ブルジトル・ウィザよ。シャトン、私に付いて来てくれるかしら?」
再度行動を共にする勧誘をかけながら、その少女、ウィザはシャトンに手を差し出す。
その時、丁度斜光がシャトン達がいる所を照らした。
斜光を背に浴びたウィザの姿は、シャトンに自然とある者を重ねさせた。
(お母……さん……)
そう、見たこともない自身の母の姿を目の前の少女と重ねたのだ。
気がつくと既にウィザの手を握っていた。無意識だった。
自身が何を思ってかその提案に乗ったのか。そんなことはどうでもいい。
だって、今の私には、この人に付いて行くことだけしか心に無いんだもの。
「勿論ニャ、おかあ、……リーダー!」
「リーダー? それに何なのその喋り方?」
「リーダーはリーダーニャ! あとこの喋り方は元からニャ!」
「流石に“ニャ”はねーぜ、“ニャ”はよー」
「うるさいニャ、笑い方汚いくせに!」
「なっ!?」
「あはは、私もそれは思っていたわ」
「ウィザぁ! テメー!!」
「「アハハハハハ」」
その日、珍しく裏路地に二人の女の子の笑い声が響いたという。
―――――――――
「―――その後にバロンとゴエモンが加入して、今の“宵闇の怪盗団”ができたのニャ」
「そうか、貴様にとってウィザは親友であり、恩人であり、そして母でもあるのだな」
「うっ……。他人からバッサリ言われると、流石に恥ずかしいニャ……」
おー、あのシャトンが顔を赤くしてしおらしくなっている。
これはいいものを見れたかもしれないな。
「うにゃーー!! 私が話したんだから、お前らも何か話せニャ!」
「さあ、明日は早い。ヒロ君、私達はもう寝よう。あ、シャトン、貴様は火の番と見張りを頼む」
「こら待て逃げんニャーーー!」
その場に、当時の二人に負けないくらいの明るい空気が流れる。
怪盗とは言え、やはり笑ったり、泣いたり、慈しんだりできる心があるのだ。
そんな人は見殺しはできない。
渋々見張りに行こうとするシャトンを呼び止める。
「シャトン!」
「ん? 何ニャ、クソガキ?」
一、二回、呼吸を整える。
そして伝えるべきことを彼女に投げかける。
「必ず、ウィザを助けよう」
拍子抜けしたのか、シャトンは目をぱちくりさせている。
だが、すぐにいつもの勝気な顔に戻ると、僕の言葉に応える。
「おう! 当たり前ニャ、ヒロ!」
先の尖った歯を存分に見せつけながら、そう言う。
これで僕達の目的は再確認する。
さあ! ウィザのため、ブォワホレの洞窟へ行こう!!
ヒロ達の宿泊地、そこから数十メートル離れた所に、もう一つ火を焚いてある場所がある。
そこには一人の青年がいた。
その背後には、ヒロ達が仕留めた猪より数倍巨大な怪物猪が倒れている。
「超巨大猪“キング”討伐完了っと。にしても、ここらの野獣相手だとちと物足りないな」
そう言うと森の奥地を見つめる。
奥には野獣より凶暴な巨蟲が蠢く魔境である。
「何度も探索隊を追い払った“害蟲の楽園”……か」
そうボソリと呟くと、口の端が切れるくらい、大きな笑顔を見せる。
「ワクワクしてきた……!」
ダンジョンのモンスターを相手に興奮を抑えきれないこの青年。
この青年とヒロ達は出会うことになる。
しかし、彼らはこの運命を、まだ知らない。




