第22話 空の魔導
昼は太陽の光やシャンデリアの輝きで絢爛に煌めいていた廊下も、夜になれば照らすのは月明かりとランプの灯火しか無く、その姿は昼と打って変わってどことなく不気味な印象を受ける。
そこには金属製の甲冑が二着、並べて飾られてある。
窓からは王宮自慢の庭園が月夜に映し出されている姿しか見えない。
そこへ片側から一人の近衛騎士が、反対側から数名の騎士が走ってくる。
「先程爆発が起こっていたようだったけど、現場はどこ!?」
「礼拝堂です。今は団長がその爆発犯ともう一名の侵入者を引き留めています。
ですがあと二名、侵入者がこの王宮に潜んでいるはずです。我々はこの階を捜索するよう命令されました。貴女も協力して下さい」
「分かった。徹底的に探し出そう!」
騎士達は再び二手に別れ捜索を開始する。
騎士達が廊下の闇へ消えた頃、飾ってあった二着の甲冑が動き出す。
「徹底的に、と言うのだったら甲冑の中も調べるべきだと思うけどね」
「全くでゴザル。しかし、この鎧、重くて動きにくい上に、通気性悪くて最悪でゴザルな」
「まあ、treeを隠すならforestの中って言うしね。これが一番見つかりにくい方法だよ」
ガシャンガシャンと音を鳴らしながら、二人の侵入者、バロンとゴエモンが話しながら歩いていく。
「しかし、targetは一体どこにあるのだろうね」
「さあ?拙者達も虱潰しで探すしか……しっ! 止まるでゴザル、バロン」
すぐさま二人は模型用の甲冑のフリをする。
するとまたもや近衛騎士が二人、廊下の両側から現れる。
「居た?」
「いや、居ない。本当に侵入者何ているのかな?」
「団長の命令なんだから取り敢えず遂行しないと。でもどこにいんのよ、もー」
「……そうだ! 相手は怪盗なんだから宝物庫に居るんじゃない?」
「ああ、そうかも! じゃあ宝物庫の方に行こ!」
その会話を怪盗達は聞き逃すはずも無かった。
(聞きましたねゴエモン。考えている事は同じでしょう?)
(然り。あのおなごの後を追えば、宝物庫に辿り着く。そこには恐らく拙者達の目的の品もある筈)
(決まりましたね。それでは行動を起こしましょう)
走り行く騎士達の後を甲冑の男達が付いていく。
だがフルプレートの甲冑で動けばどんなに抑えようとも音は出る。
数分もしない内に先を行く騎士の一人が違和感に気付き、後ろを振り返る。
「……?」
しかしそこには誰も居らず、甲冑が飾られた薄暗い廊下が続くのみであった。
「ん? どうしたの?」
「んー、いや、気のせいだったみたい。さ、行こ」
二人は再び進み出す。
((危ねええええええ!!))
(か、間一髪でゴザったな)
(あ、ああ。今度は気を付けていこう)
振り返る寸前でなんとか飾りのフリで乗り切った二人は、前の二人を見失わないように再び後を追いかける。
また暫くして騎士の一人が振り返る。
「……やっぱりなんか変だよね?」
だが目に映るのは先程と全く同じ風景である。
「確かになんか違和感あるよね」
「それに足音が多い気がするし」
さっきから後ろに感じる人の気配、既に真夜中という時間、薄暗い廊下、年頃の女性の恐怖を煽るには十分すぎる演出だ。
「……ちょっと急ごうか」
「そ、そうだね」
再三彼女達は動き始める。今度は走らずに小走り程度であるが。
十数歩進んだ時、間違いなく後ろから『ガシャン』という足音が聞こえてきた。
「「ッ!!」」
振り返るが全く同じ景色。そう、全く同じ。
「ね、ねえ。さっきからあの甲冑、動いている気がするんだけど」
「き、気のせいよ。早く行きましょ」
二人は再び歩みを進ませる……と見せかけ再び振り返る。
だが変わった所は見受けられない。
(あの娘達、フェイントまで使ってきたぞ!)
(だ、大分怪しまれているでゴザルな)
「や、やっぱり何ともないじゃん。もう、怖がらせないでよ」
「あ、あはは、ごめん」
「……じゃあ行こっか」
「……うん」
その後、幾度となく進みだしては動き出し、振り返っては飾りのフリをする事を繰り返す。
いつしかフェイントの掛け合いのようになり、その光景はまるでド○フのようであった。
振り返る、隠れる、前を向く、動き出す、振り返る、隠れる、前向くと見せかけて振り返る、動き出しそうになるが隠れる、もう一度フェイントを掛ける、隠れ続ける、前を向く、動き出す、振り返ると見せかけて進む、隠れる、振り返る、動き出す。
「「「「あっ」」」」
ついに、ついに四人が対面してしまった。
何とも言えない空気が辺りを漂う。
どちらも何も言えないまま、ただ時間だけが悪戯に過ぎていく。
「「……うっ」」
その静寂を破ったのは甲冑の男達であった。
「「うおおおぉぉぉぉおおおああああ!!!」」
「「キャアアァァァアアアアアアアア!!!」」
甲冑達は奇声を発しながら騎士達に走り寄る。
勿論そんな非日常的な光景に若い女騎士は本能的に逃げ出した。
何ともシュールな追いかけっ子がここに始まる。
所変わって礼拝堂。
ここでは先程の寸劇とは違い、真剣な戦いが起こっている。
エピーヌは多種多様な技能で、ウィザは千差万別の魔導で一進一退の攻防を続けている。
「土魔導“数多の土剣”!」
「スキル“空歩”!」
「炎魔導“火鳥”!」
「スキル“五月雨突き”!」
「風魔導“不可視の矢”!」
「スキル“エアライド”!」
「水魔導“激流の槍”!」
「スキル“火の角撃”!」
水の槍と炎の一撃は相殺され、辺りは膨大な蒸気に包まれる。
その隙をついてエピーヌは一度距離を取る。
(炎、水、風、土の四属性の魔導を使いこなすか……! それに連続して臣下級第一位“臣位魔導”並を詠唱無しで使うとはな)
突如として強風が吹き荒れる。
それによって辺りを包んでいた白い蒸気が晴れていく。
「風魔導“露払い”。休ませる暇なんて与えないわよ」
「……流石だな。四大属性を使いこなし、更には高位の魔導を使い続けているのに底の見えない魔力量。敵ながら天晴とはこのこと言うのだな」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない。じゃあ、嬉しいついでに、貴女には特別に良い物を見せてあげる」
ウィザはそう言って右手をかざす。
何やら呪文らしきものを唱えると、その前には白い煙のような球が形成されていく。
球体が直径十センチ弱程の大きさになると、エピーヌに向けて発射する。
(何だこれは……? 迎え撃つか? ……いや、何かやばい!!)
彼女の本能がそれに触れてはいけないと警笛を鳴らす。
すぐにその警告に従い大きく後ろに跳ぶ。
次の瞬間、球体は大きく弾ける。
弾けた部分に触れた衣服はたなびくことをやめ、彫刻のように動きを止める。
空気中の水分は気体から一気に固体へ変化し、床へパラパラと落ちていく。
球体が弾けた範囲、二メートル圏内が凍りついていた。
「氷雪魔導か!?」
「ご名答。熟練の魔導士にしか成せない所業、“冷”の性質の抽出よ」
改めて敵の危険度を認知したエピーヌは更に距離を取る。
それに対しウィザは気にも留めない様子で話し始める。
「魔法は基本的に四つの属性に別れており、人間にはそれぞれ向き不向きの属性がある。そこまでは貴女も知っているでしょう?」
「……ああ、“炎”“風”“水”“土”の四つだろう。炎と水は打ち消し合い、風と土は相反する」
「ええ、その通りよ。例外で光と闇の属性はあるけどね。炎を得意とする人は水を苦手とし、土を得意とする人は風を苦手とする。これには理由があるの。
この四属性はそれぞれ四つの性質、“熱気”“乾気”“冷気”“湿気”の二つを掛け合わせることで出来るの。例えば熱と乾で炎、熱と湿で風、という風にね。そして熱と冷、乾と湿は互いに打ち消し合う為、相性が生まれる。人に属性の適性があるのは、血液型同様、その人の体に二つの性質を兼ね備えているからなの。
だけど、たまに同じ性質を持つ人もいるのよ。そして私もその一人、私は冷気の性質だけ持って生まれたの。詰まる所、私の得意な属性は“氷”、氷雪魔導の使い手よ」
言い終わるとウィザの周りに霜が発生する。
それだけではない、礼拝堂の温度がどんどん下がっていく。
まるでそこだけ一足先に冬に変わってしまったかの様な寒さである。
「……なるほど、良い物と聞いて期待したが、大して嬉しくないものだな。私の得意とする属性は炎! 氷など溶かしてくれる!」
「話は最後まで聞くものよ。確かに私が得意なのは冷気。でもね、私は四属性全てを使える、いいかえると四つの性質を全て扱えるの。
ここで問題。相反する二つの性質、“熱と冷”“乾と湿”を持つものはどうなるでしょーか?」
ウィザはまるで子供にナゾナゾを解かせるような口調で問題を出題する。
その事に少し苛立ちを感じながら、エピーヌは答える。
「……さっきも言ったように相反する性質は打ち消し合う。その者は魔導の才はなく、属性魔導は使えず低位の魔導しか扱えない」
「ピンポーン、だいせいかーい! 正解したエピーヌちゃんにはもっと良い物を披露致しまーす!」
ウィザは間隔を開けて掌と掌を向かい合わせる。
そしてそこに魔力を加えながら、詠唱を唱え始めた。
「創生と活性を司りし炎よ、変化と鎮静を司りし水よ、不変と安定を司りし地よ、循環と活動を司りし風よ、偉大なる四大元素共よ。ここに集え、ここに混ざれ、ここに溶けよ、ここに帰せ。そして呼び覚ませ、汝らの父を。彼は力なり、彼は虚無なり、彼は生命なり、彼こそ万物の祖にして成れの果て。
顕現せよ、“天界のの歪”」
手の間の空気が歪み始める。
「正解とは言ったけど、ちょっと訂正させてもらうわ。さっき貴女は“魔導の才はない”て言っていたけど、本当は違う。
彼らは四大属性より、光と闇の属性よりもっと強力な属性を使える才能を持っている。けどそれは強すぎるが故に使うことができない、それどころか他の魔導にも介入する」
それは次第に形を変え、透明なアクリルの球体のようになる。
「その属性は“空”。空間と時間に作用し、力そのものの具現でもある。“魔法”に通じる原初にして至高の第五の属性よ。
この球体は空の属性を帯びている。コレ一つだけでも“極位魔導”に認定される代物よ」
「なに!? 極位魔導だと!!?」
“魔法”には三つの階級が存在するが、“魔導・魔術”にも十の階級が存在する。
それ等は発動に必要な魔力量と会得する難易度によって分けられる。
下から数えて三つ、隷位・民位・官位はまとめて“労働級”と呼ばれ、一般的に生活の中で使われる、謂わばお役立ち程度の魔法だ。
次の三つ、士位・伯位・臣位を“臣下級”と呼び、これ等は戦闘用の魔法が多く、冒険者や騎士達には重宝されている。
そして上位の三つ、公位・王位・帝位は“君主級”と呼ばれ、魔法を志す者にとっては、君主級を習得する事が一人前と認められる証とされる。
そして、それら九つと一線を画すのが“極位魔導”。単純な威力だけでは精位魔法をも上回る物もあるという。
しかし強力無比である反面、必要とする魔力は膨大、尚且つ習得難易度は異様に高い。
それ故、体得できるのは大魔導士の中でも極少数、真に選ばれた者にしか扱えない最強の名に相応しい魔導である。
「と言っても、私がコレを完成させたのはつい先日なんだけどね。気を緩めてしまうとすぐ暴発してしまうから、あまり多用できないのがネックだし」
そう言いながら透明な球体を両手を使ってゆっくりと前へ押し出す。
「それでも威力は十分よ。避けなければ重傷程度では済まないと思いなさい」
少しずつ、確実に、微調整を繰り返しながら、照準をエピーヌの一歩手前に合わせる。
エピーヌは恐怖のためか、一歩も動かない。
「……歪よ、我が求めたるに姿を変えよ。求むるわ風。其が役割は春を告げる西風、温和なる豊穣の風。其が力、一時の破壊の為使う事を許されよ。
……極位空魔導“天界の微風”!!」
詠唱と共に球が円錐へと形を変える。
そして、その名を唱えると同時に透明な円錐が打ち出された。
発射された空魔導には“破裂”の特性が付与されている。
着弾した瞬間にそれは、上下左右四方八方に瞬間的に膨張、破裂するのだ。
それだけなら只の爆発と何ら変わらない。
しかしコレの恐ろしさは爆発とは比べる次元が全く違う。
“天界の微風”には大きく分けて三つの過程がある。
一つ目“領域確定”
着弾したと判断した瞬間、ソレを覆う皮膜のように薄い外殻が一メートル程の範囲の物体を取り込みながら膨張する。
二つ目“破裂発生”
一つ目の領域確定で膨張した外殻の内側、その範囲内にのみ内から外へ強大な“力”が働く。
単なる爆発なら外へ外へと吹っ飛ぶだけで済むが、コレの場合、外側へ働く力と外殻に挟まれ、領域内の物体や空気さえ完全に圧し潰す。
この事が“天界の微風”の恐ろしさなのである。
三つ目“外殻崩壊”
外殻が崩壊する事により、“力”は外界に晒され二次的に爆発に近い現象を起こす。
これにより万が一、対象が空魔導に触れていなくても攻撃を加えることが可能なのだ。
更には高圧で押し潰された物体が榴弾の様に飛び散り、圧縮され高温になった空気が衝撃波と熱風に姿を変え襲い掛かってくる。
これら三つの過程が三百分の一秒で発生する。
常人なら避けられても二次被害となる爆風の餌食となるだろう。
況してや“防御”という選択肢を取ったならば、生きていることはまずありえない。
当然ウィザはエピーヌがそうするものだろうと予測していた。
少しでも魔力を持つ人間は魔力の質で危険な物かそうでないか本能的に判断できるという。
黒と黄色のストライプが危険だと察知するのと同じことなのだ。
先程、ウィザの氷魔導を事前に察知できたエピーヌには、これほどの超高位の魔導の危険予知など造作もないはずなのだ。
だが、何故、彼女はまっすぐ空魔導に突っ込んでいるのか?
天界の微風の始動から発生まではたったの三百分の一秒。
常人の足の速さなら頭と足だけを残して完全に潰される。
立ち向かうのは自らギロチンの刃を落とすようなものだ。
通過できるのは音のように速いものだけなのだ。
なら、“音のように走ればいい”。
「スキル“縮地”!!」
その一言とともにエピーヌは一気に加速する。
正に目にも止まらぬ速さだ。
天界の微風は半径一メートルの範囲を三百分の一秒で圧し潰す。
要は秒速三百メートル以上で脱出すれば問題はない。
音速は気温二十度で秒速343.5メートル。
エピーヌの縮地の最高秒速は音速に少し劣るが秒速340メートル、マッハ1である。
しかしそれまでには僅かながらでも距離と時間が必要だ。
エピーヌのこの行動は賭けであったのだ。
エピーヌと空魔導が触れ合う。
同時に空魔導が膨張を始める。“領域確定”だ。
エピーヌはまだ最高速度に達していない。
それどころか脱出に必要な秒速三百メートルにさえ達してはいない。
空魔導は領域確定を終え、次なる段階に移る。“破裂発生”が始まった。
外側へ広がる“力”はエピーヌの背を恐ろしい速さで追い掛ける。
彼女はというと、あと数十センチ、一蹴りで飛び越せそうな所まで来ている。
だがこのままでは彼女の背骨は潰されるだろう。
もっと、もっと速く走らねば。
“力”が彼女の衣服を捕らえる。
服は分子レベル、否、原子レベルで押し潰され始める。
シワとなって重なっている部分は、圧力に耐えれず一体と化していく。
(あと……もう少し…………ッ!!!)
最後の一蹴りに全力をかける。
ふくらはぎの筋肉は限界以上の力を引き出され、今にもブチブチと千切れそうな程悲鳴を上げている。
当然、彼女には相応の激痛が襲い掛かる。
だが、それに屈しれば待つのは圧死だ。
彼女は床を壊す勢いで地を蹴った―――。
“力”が彼女の背面に到達する。
彼女の表皮、薄皮の細胞が圧し潰され破壊される。
だが間に合った。
破裂発生が終わり、“外殻崩壊”が始まる。
押し固められた熱風や力がエピーヌの身体を押す。
その強烈な衝撃に背骨が折れるような感覚を伴う。
熱風が背中を押しながら肉を灼く。
余りの衝撃と痛みで、気を抜けば意識を持って行かれそうになる。
しかし、ウィザに一矢報わねば、私の何かが気絶したくてもさせてはくれないだろう。
衝撃でダメージを負った身体に鞭を打ち、レイピアの剣先をウィザに向ける。
縮地で加速された体は爆風でさらに推進力を得る。
それはまるで銃弾の様にウィザへ向かっていく。
「超・大跳躍突き!!!」
エピーヌの予想外の行動、そして音速を超えたスピードの突き、これによりウィザはすぐに反応ができない。
土魔導での防御も回避ももう遅い。
エピーヌの突きが来る―――ッ!!
「―――一歩、及ばず……ね」
ウィザは誰とでもなくそう呟く。
礼拝堂の窓やステンドグラスは衝撃波で粉微塵に粉砕されている。
先程の爆音と対象的に辺りは恐ろしい程の静寂が包んでいる。
見守っていた筈の聖人の像は、顔が完全に崩れ去っていた。
そんな空間の中心に彼女達はいた。
一人は地に這いつくばり、一人はその様を見下げている。
立っていたのはウィザの方だった。
「く……っ! 重力………魔、導……か!!」
這いつくばるエピーヌの下には何らかの魔法陣が描かれている。
これがエピーヌに働く異常重力の原因に違いない。
「いつの……間に…………?」
「最初からよ。初めて貴女に空魔導を披露した時、一緒に重力魔導“天界の重力”を発動させておいたのよ」
「どう、やって……!? 極位魔導の、同時発動など……“魔法使い”でなければ、不可能の筈だ!」
「……ちょっとした裏技よ。私限定のね」
ウィザは立ち去ろうとエピーヌに背を向ける。
「どこへ、行く!?」
「決まってるでしょう、三馬鹿の加勢よ。任せたものの流石に心配でね。
それに貴女はもう動けない。貴女には通常の五倍の重力がかかっている。貴女が仮に四十キロ程だとしたら、今貴女の体重は二百キロ近く。華奢な貴女なら這いずることもできないでしょう?」
「……ッ! 待……て……!」
「待てと言われて待つ泥棒がいるわけ無いでしょう」
エピーヌに言い捨て、再び背を向ける。
閉じてある入り口まで歩き、外に出る為土の壁を解除しようとする。
その瞬間、後ろから砂を踏みしめるような微かな音をウィザは聞き逃さなかった。
急いで振り返る。
そこには高重力の中立っているエピーヌの姿があった。
彼女は僅かであるがゆっくりと歩いてきている。
あと六歩程で魔法陣から出られるところまで歩いてきている。
「……まだ立ち上がれる力が残っていたのね。でももう十分よ。大人しく寝ていなさい」
“天界の重力”の出力を少し上げる。
今は六倍か七倍か、鍛えられた男性でも座ってもいられない重力である。
だというのに彼女は地に伏すことはない、膝を付くこともない。
歩く速さが大幅に遅くなったが、歩く意思を消してはいない。
あと三歩で魔法陣から出てしまう。
「な……!? いい加減に……諦めなさいよッ!!」
更に重力を高める。
これには流石にエピーヌも地に伏してしまう。
「どう!? 通常の重力の十倍、人間の自重で骨が折れるレベルの超重力よ! 可愛そうだけどそこで潰されていなさいッ!!」
もう立つことはない、そう安堵していたウィザの目に想像していたものとは違う映像が飛び込む。
人間では潰れることしかできない領域の中、ゆっくりとだがエピーヌは立ち上がろうとする。
「……ス、キル…………“瞬間超強化”!!」
あと、三歩。
衝撃波や熱風でボロボロの体が途方も無く重い。
あと、二歩。
歩みを進める度、体は大声で嘆き、意識は脱兎の如く逃げ出そうとする。
あと、一歩。
だが、私は、王を守る騎士だッ!!!
全力を振り絞り、何とか超重力圏を脱出できた。
あとはあの魔導士を捕まえ……
「……あれ? 何故私は座り込んでいるのだ?」
いつの間にか座っていた自分を不思議に思いつつ、立ち上がろうと足に力を入れる。
「何で、体が動かないんだ……?」
足だけではない。手も胴体も首も何処も動かすことができない。
動かせるのは目と口だけだ。
「……貴女の身体が限界を超えたのよ。無理もないわ、貴女が潜り抜けてきたのは、どれも普通の人間なら何回も死んでいるような事だもの」
「……ああ、そうか。そうだったのか。もう、限界だったのか」
洞穴から出る虚ろな風のように自然と言葉が溢れる。
同時に下を向いた目線の先に、水滴の付いた地面が見える。
その水滴は一つ、また一つと数を増やす。
「……ああ、悔しいなぁ。もっと強ければなぁ」
声は未だ口から漏れ続ける。
それを聞いてしまうと涙の栓が緩んできてしまう。
止めたい、止めたいのに止まらない。
悔しくて、情けなくて、惨めで、どうしようもない気持ちが止まらない。
「……貴女は十分頑張ったわ。もう休んでいなさい」
ああ、行くな。私はまだ、まだ戦える。
ああ、そんなことを言うな。情けなど欲しくもない。
くそ、くそう。何が勇者だ、何が王を守る騎士だ。
「私は、弱い」
その一言を掻き消すように、土壁が木っ端微塵に粉砕される。
壁があった部分には代わりに土煙のカーテンが掛かっている。
その中から何者かが声を発する。
「エピーヌさんは、弱くなんかない」
「そう! そこな坊主の言う通りだ! 我が近衛師団団長は強い! もしその者を弱いという輩が入るとなれば……」
煙のカーテンが開かれていく。
そこには少年が一人、近衛騎士が多数。
そして、金の衣服を身に纏い赤いマントを羽織った尊大なる王子が一人。
「我が決して許さん!!!」
そう、ルイ王子である。




