第122話 正義の世界
蓋を開けてみればこんなものかと、正義はため息をつく。
確かに、一部とはいえ鎧を破壊したことは評価できる。が、それまでだ。
勇気から上がってきていた情報と比較すれば拍子抜けするほどに、弱い。
原因は明白だ。この少年は勇気が相対した鬼神とは違う。こうして刃を交えることでようやく理解した。
この少年の裡には確かにあの悍ましい鬼神の魂が宿っている。だが、それも大幅に弱体化している。あの夜、奴にこの光刃を当てたのが功を奏したか。
ともかく、必要以上に警戒する必要もなかった。
だが、とはいえ……
「健闘した、と褒めるべきだな」
足元に這いつくばる少年へ、心ばかりの称賛を送る。
たかだか鬼神の器になった程度で、たかだか人とはほんの少しばかり違う力を手に入れた程度で、よくぞここまで喰らいついた。
蛮勇か。愚直か。はたまた本物の勇気か。
いずれにせよ、ただの小市民が恐れをなさずに挑み、そして僅かにでも勝負となったことには感服するより他にない。
「だが、これで終わりだ」
しかし、それでも、やはり彼には正義などない。
節制などしない。慈愛による優しさではない。信仰に基づいた行動ではない。逆転に繋げるほどの知恵もない。希望になど成れはしない。
あったのは、ほんの僅かな勇気のみだ。
故にこそ、この少年は悪だ。故にこそ、正義の前に敗れたのだ。
「貴様はこれ以上戦えない、立ち上がれない」
今、この少年の息の根を止めることは容易だ。
しかし、どのみち尽きる命。たとえ立ち上がろうとも、既に力の優劣は決まっている。
ならば介錯するまでもない。徒に命を摘むこともまた己の正義には反することだ。
「これで、我が前を阻む障害はない」
まだ、方舟の内部に複数の生体反応がある。
だがそれも、我が野望を止めるには至らない。
機は熟した。
「さあ、正義に満ちた世界を実現しよう」
目的を達するため、正義はある場所へ向かう。
そこは方舟の中枢。屋上街道の先、神殿の内部。己が座していた玉座へと。
……勇気は失われた。
節制は破られた。
慈愛は無くなり、信仰は地に落ちた。
知恵は聞き入れられず、希望は潰えた。
そのような世に、正義などあるはずもない。
「ならば、私が正義を証明しよう」
玉座へと辿り着く。正義が手をかざす。
その動きに呼応して、玉座は形を変える。
それは、操舵輪。この方舟を動かすための舵であった。
操舵輪の中央には既に四つの竜石が埋め込まれてある。
正義はその操舵輪の前へと立ち、両の手を竜石に向ける。
「―――機構、始動。これより、人類強制進化シークエンスを開始する」
―――――――――
「助かったわ、アナタ達が来てくれて」
捕まっていた人達のうちガラス管から救出した者を肩に抱えながら、エレーナは再三の謝辞を述べる。
「いえ、この程度。何より、ここにいる人達を全員避難させるためには数が必要ですから」
「そうね。でも、あの娘に任せるよりも、アナタに任せたほうが良かったかしらね。ねえ、マックス騎士団長殿」
声をかけられたマックスは背中に大柄な男性を三人も抱えながらニッコリと笑ってみせた。
「それには及ばないかと。彼女ならば、きっと正義を打ち破ってみせますよ。それに、困っている人を助けるのは騎士の宿命! ここを放置すれば騎士道の名折れです」
「そ、そう……。なら早くここを片付けて―――」
―――瞬間、空気が変わる。
「ッ! 何が……?」
マックスが異変を察知する。先程とは明らかに何かが異なる。
空間に満ちる魔力。その量、質、その全てが異質。
感じたことのない魔力に一瞬だけ気を取られるも、すぐにマックスはその他の異変に気付く。
「うっ……、く……」
「あ、……ぅあぁ……」
助け出した民間人。仲間の騎士たち。そして、今そこで会話を交わしていたエレーナ。自身以外の人間全員が苦しみ悶えていた。
「これは、一体……!?」
「マックス……団、長……!」
振り返る。そこには他とは明らかに様子の異なるケイロンの姿があった。
他の者は苦しんではいるが、それも単に体調が優れない程度のもの。
彼はそうではない。
顔色が既に土気色となっており、意識を保つのもやっとという風体だった。
「ケイロン! 何があった!?」
「分か、りません……。ただ、腕が……左手が……! グゥッ……アァッ!」
「左手……?」
マックスは急ぎケイロンの左の手甲を外す。
「……何だ、これは?」
曝け出された左の手の平の素肌。
そこには、まるで焼印を刻まれたようにくっきりと、円形の印が浮かび上がっていた。
―――――――――
「キュイ!? キューイ!!」
「ゥ……ッ、大、丈夫……! まだ、動けるから……!」
同時刻、勇者候補を助け出そうとしていたイリスにも異変が現れていた。
彼女は自身の大剣を支えになんとか立ち上がり、ゆっくりではあるが歩き続けている。
(多分、正義が何かしたんだ……! だけど、いったい何を……? これが、“正義に満ちた世界”の前触れだというの?)
押さえている腹の表面には、ケイロンと同じく印が浮かび上がっていることを、イリスは知る由もない。
―――――――――
異変は地上の周囲一帯でも起こっていた。
地上にいた全ての戦士・兵士が、謎の体調不良を訴える。それは鯨艦内部の司令室にいた人間も同様。
同時多発的に起こった謎の不調により、何らかの呪詛などを懸念した中央は、戦況を一時停止するよりなかった。
妨害を失った舟は進む。帝都キャメロスへと。
「―――ほう。まさか、立ち上がってくるとは思わなかったぞ」
正義の瞳に、人影が映る。
ヒロの姿であった。
「既に満身創痍だろうに。無駄な足掻きなど止めて、そのままくたばるが良い。この先の世界に貴様の席などない」
「………………一体、何をした?」
「……まあ良い。冥土の土産、と言うそうだな」
正義は一呼吸を置いて、宣言するかのように語り始める。
「竜石の力を使って、人々を強制的に進化させた。より分かりやすく言うのであれば、竜の魔力を用いて無理矢理に光背を発現させている。まあ、その過程の中で発現できなかった者は高濃度の魔力に当てられて死に絶えるだろうがな」
「…………それが……お前の言う、正義に満ちた世界……」
「そうだ。正義を為すには強き力……精神力が必要だ。精神力が無いからこそ、人は悪の道に堕ちる。光背とは崇高な精神力の具現! 光背の発現を一つの基準とし、発現できなかった者を排除することによって、残った義人のみの世界を運用する! それこそが私の求めた“正義に満ちた世界”だ!!
……まあ、」
正義の瞳には、既に立ち上がる人影はない。
「悪人たる貴様には、もう関係のない話ではあったが」
「やはり、正義は一筋縄ではいかないか」
鼓膜に言葉が飛び込む。気がつけば、閉じていた視界も開けている。
目の前には先程の男―――正義ではない、別の男が小さなテーブルの上に胡座をかいて座っている。
隈取の男は頬杖をつきながら、こちらに対して猫のような悪戯な笑みを向けていた。
「紅蓮……。……すまん。やっぱ、俺じゃ力不足のようだわ」
咄嗟に、『やっぱ』なんて言葉を使ってしまった。まるで最初から見越していたかのような、そんな素振りをしてしまった。
それは、多分、強がりだったんだろう。こうして、からりと笑ってみせるのも、多分そうなんだと思う。
「だから、さ……。あとは―――」
「それはできない」
紅蓮はぴしゃりとそう言い切る。不意に彼の顔を見る―――ここで初めて、無意識に紅蓮の視線を避けていたことを知った。
視界に入った彼の顔は先程の笑みとは違い、真剣そのものといった表情でこちらを見つめ返していた。
「言ったところ、また『身体を明け渡すから奴を倒してくれ』とでも頼むつもりだったんだろ? 嫌だよ」
「っ……!」
「君さ、心のどっかで『いざとなったら自分が犠牲になったらいいや』って、そう思っていない? そんな安売りされた条件じゃ、私もやる気にはなれないね」
「……あ、ぅ…………」
図星だった。何も言い返せなかった。
紅蓮の言い分は当然のものだった。
そうだ、僕は心の何処かで『紅蓮ならなんとかしてくれる』と思っていた。そのために、自分の肉体や命なんてどうなってもいいと考えていた。
それは、紅蓮自身を軽視することだと考えもせずに。
「それに、私が代わっても勝算はないだろうしね」
「…………は?」
あまりにもさらりと言ったもんだから、聞き逃すところだった。
なんだって? 紅蓮ですら、勝てないだって?
「え、ちょっと、待ってくれ。今、なんて」
「勝算はない。そう言ったんだ」
「……聞き間違えじゃないんだな」
「ああ、至極残念ながらね。……事実、不意打ちとはいえ一度、彼には敗北を喫している。そして今、彼の実力を目にして確信した。私と彼の相性は最悪だ」
「そんな……じゃあ、俺達には、もう、戦う手段が…………」
「いや、それはある」
「…………は?」
またもや聞き逃すところだった。
……いやいや、何を言ってんだコイツは。今先ほど自分では太刀打ちできないことを白状したばかりじゃないか。
僕の方はというと、既にコテンパンに叩き伏せられたところだ。何度やろうが、認めたくはないが、万が一にも勝てる気がしない。
「情報を整理しよう。私達には、この精神世界がある。ここではいくらでも時間がある。そして、君の尽力により多少ですら相手の情報は得られた」
「言い方になんか含みがある気がすんだけど……まあ、いいか。まず、ヤツの武装からか?」
「そうだね。彼の持つ長剣……あれは私の心臓を貫いた雷霆の武器を変化させたものだ」
「え、アレそうだったの!?」
「ああ。どのような妖術を用いたかは不明だが、そこは間違いない。私を殺しかけた存在を、私が間違えるはずがない」
こころなしか、紅蓮の纏う雰囲気が濃くなったような気がする。
普段から飄々としている彼だが、ことこの部分に関してはかなりセンシティブなんだろう。
「おお……。そ、それと、あの鎧もだよな」
「……そうだね。あれは効果としては黒漆甲と同等のものだろう。装着者の身体能力を向上させる力があるはずだ」
「それ以外の効果は?」
「ないと見ていいだろう。いや、必要ないんだ。それは君も判っているだろう?」
「……複数の固有能力か」
「そ。特に防御に関する部分については鉄壁だ。複数の能力が複雑に絡み合い、あらゆる攻撃が無効化される。まさに無敵だ、単純なスペック差ではどうしようもない」
紅蓮は両手を肩の付近まで持ち上げて、やれやれといった風に首を横に振る。
「……能力値としては、完全鬼人化でも負けていると思うか?」
「そうだね……、通常時ならこちらが上回っていると見ていいだろう。しかし、瞬間的にはあちらが上だ」
「それも固有能力由来だよな……。発動の条件やタイミングさえ分かれば何とか……」
「そんなに難しく考える必要はないよ。今から教える“秘策”があればね」
「……その秘策ってのは?」
「それは―――」
「それは、私から伝えましょう」
二人しかいないと思っていた空間に、女性の声が飛び込む。
ふと左右に視線を動かすと、まるで最初からそこにいたかのようにアルルがテーブルに椅子を並べて座っていた。
「うん、そうだね。この件は君から説明してもらったほうがスムーズだ」
「それでは、僭越ながら。ヒイロくん」
「は、はい!」
「いつの日か、あなたに渡していたものがあったでしょ?」
その一言で記憶が呼び起こされる。
そうだ、あれは確か、勇気の徳との戦いの前……。
「そう、それよ。その手にあるもの」
視線を自身の手の平に落とす。そこにあったのは、あの時に手渡された白い六面体のパズル。
今ならなんとなく理解できる。
これは匣だ。何かを封じるために作られた細工匣なのだと。
「……コレの中身が、秘策、ってわけだな」
その問いに、紅蓮とアルルは頷いて答える。
「その匣の中にはこの男――紅蓮の力が封じ込められています。それさえあれば、逆転の一手となりうるでしょう」
「……わかった。じゃあこの封印を解いてくれ。そしたらまた―――」
「それはできません。いえ、できないのです」
「は!? なんで!?」
不意に語勢を強めた僕の問いに、アルルは目を伏せることで応じた。
悔恨に潤んだその瞳を見て、これ以上追求する気にはなれなかった。
代わりに、紅蓮が静かに事情を語り出す。
「恐れたのさ、私の元に再び力が戻ることを。その匣……というより封印自体か。それ自体が君の魂に縫い付けられている。解くには君の魂ごと引き裂いて破るか、君自身が解くしかない」
「そんな……。……いや、文句を言っても仕方ないか」
彼女にも止むに止まれぬ事情があったのだろう。
ともかく、これ以上ゴネても現状が変わるわけでもない。
「……なら、教えてくれ。この封印の解き方を」
封印の匣を視線の先まで掲げて二人に見せる。
紅蓮は促すようにアルルへと視線を向ける。
アルルはと言うと、瞼を閉じ、二、三度深く呼吸を整えてからゆっくりと瞼を開いた。
「―――ではまず、お二人にはどちらか消滅してもらいます」




