第120話 知恵の罪
「院長、僕の論文に目を通してくれましたか? これを次の発表会で提出すればこの国……いや、世界がひっくり返りますよ!」
……悪いが、この論文を世に発表するわけにはいかない。
「……理由をお尋ねしても?」
君ほどの天才がこの程度のことも理解しとらんのかね?
世間が許すはずもなかろう! 人体改造による強制的な進化など!!
この世界には、莫迦が多すぎる。
道徳、倫理、人権……そのような個人的主観による不確定なものが世に蔓延っている。
何がいけない。人々の健康寿命を延ばすために死にかけの人間を解剖することの何が。
何がいけない。莫大なエネルギーを生むために大量破壊兵器を作ることの何が。
何がいけない。人類をさらに発展させるために少数を犠牲にして、何がいけない!?
この世界には莫迦が多すぎる。
莫迦のせいで、人類は停滞に陥っている。
だからこそ、俺は―――
―――――――――
「―――よく、聞こえなかったわ。特別にもう一度だけ口を開く機会をあげる。もう一度、言ってご覧なさい」
「『降参だ』と言ったんだ。もうこれ以上、戦闘を継続する意思はこちらにない」
言葉だけでは、目の前の莫迦共は心から信用しないだろう。
だからこそ、降伏の意を示すため、武器になりそうな物を全て床に並べ、胡座をかいて両手を頭上に持ってくる。
俺の首には冷たい剣の刃が突き立てられている。ハン族の爺が持っているサーベルだ。
ここまでやっても未だ警戒を解かないとは……呆れ果てる。
「……降参の意思は理解したわ。でも、意図が解らない。“切り札”がやられたとはいえ、余りにも諦めが良すぎない?」
目の前の女―――エレーナはちらりと後ろへ視線を移す。
その先には、“狂戦士”によって肉塊に変えられた哀れなワイアームの残骸があった。
……奴はよくやったと思う。俺ができうる限りの調整をしてやったのだ。この世の全てと生物と比べても、劣っていた部分などありはしなかった筈だ。
ただ、単純に、シンプルに、バルザークの力量がそれを上回っていただけのこと。
俺の知恵をもってしても、暴虐の嵐を掻き消すことは叶わなかった。ただそれだけのことだ。
「なるほどなるほど。つまるところ、お前らは俺がすぐに身を引いたことを訝しんでいるわけか」
「ええ、そうよ」
「フハハハ。莫迦め」
「ああ゛ん!?」
「俺が降伏した理由は単純明快。これ以上戦っても勝ちの目はないし、そもそもとして戦うための手段を俺はもう持っていない」
嘘ではない。嘘を吐いたところで意味はない。
床に並べた武器になりそうな物は、全て実験用の道具ばかり。メスやシリンダーなど、割って突き立てれば傷をくらいは付けられるだけのものだ。
そこまで言って、ようやくこちらに戦闘の意思がないことを理解したようだ。エレーナは爺に剣を納めるように顎で指示する。
首の皮膚から冷たい感触が離れる。ようやく安心して腕を下ろせる。
「それよりも、さっきの話は本当? アンタたちが負けた場合―――」
「ああ。俺たち、正義以外の“七つの美徳”幹部―――節制・慈愛・信仰・希望、そしてこの俺、知恵が全滅した場合、この舟は動き出す」
―――――――――
―――目の前の扉が開かれる。隙間から溢れる光を遮るように、少年が扉から姿を現す。
激戦の後だろう。頭から被るように返り血がべっとりと、肌を、服を染めている。
片手には、その返り血の主の頭部が握られていた。
少年はその頭を私の方へと投げつける。ごとりと一回跳ねて転がり、その顔が私の方へと向けられた。
「……彼は、素晴らしい戦士だっただろう」
「……ああ。強かった。俺も本気でやらなかったら殺られてたと思う」
「当然だ。イリスから採取したハン族の遺伝子と私自らの血を混ぜ合わせたのだ。彼こそ、次世代の人類となるべき存在……だった」
今再び、投げ捨てられた頭を見下ろす。
……カルキ。遥か東方の救世主の名と“希望”の称号を与えた人造人間。
期待こそすれ、所詮偽りの人間。それに応えられなければ、私の当てが外れたということ。
「彼は、希望とはなり得なかった」
「……こいつは、最期までお前を信じていたよ」
「純粋だったのだ。その純粋さこそ、人類の“希望”となるはずだった」
「…………。……次は、お前の番だ」
逆光に落とされた影に紅い瞳が灯る。相互理解の道はない。
私の正義を認めないのであれば、それ即ち悪であるということ。
私は、その悪辣を認めはしない。
「いいだろう。我が同胞は全て墜とされた。ならば、最後に正義を示すは私をおいて他にあるまい!!」
座していた玉座に持てる魔力の半分を流す。
我が許から離れた魔力は回路にて増幅され、七色の光を放ちながら空間に満つ。
否、この部屋だけではない。魔力は流れ、この方舟全体に満たされる。
「ッ!? お前、何を……!!?」
「我が友、“知恵の徳”との盟約により、我が方舟は空へと昇るッ!!」
―――――――――
地上は混乱に満ちていた。突如出現した“愚者の天使”共が、“信仰の徳”の死亡によりこれまた突然として消失し、その直後に原因不明の地鳴りが始まったためだ。
その動揺は、空中に待機していた鯨艦の内部にも伝わっていた。
「一体何だ!? 戦況はどうなっているッ!?」
「地上に現れていた天使、通称“愚者の天使”は全数消滅! これにより、地上の敵性存在は九割まで減少しました!」
「しかし、地面から謎の鳴動が発生! 推定震源は“七つの美徳”アジトの中央部と考えられます!」
「アジトから、地鳴りだと……!? くっ、地上部隊へすぐさま撤退するよう連絡を入れろ! 嫌な予感がする……!」
ルイの予感は的中する。
撤退の指示を入れた直後、突入班から通信が入る。
『こちらリドニック班! エレーナ! すぐに地上部隊の撤退させて! 理由は後ッ!!』
「エレーナか! 代われ! こちら司令部隊、ルイッ!! 撤退は既に指示した! この揺れの正体について何か知っているのか!?」
『ルイね!? アジト内部にいる突入班に脱出指示も早く! このアジトは、もうすぐ飛び立つッ!!』
エレーナの報告に驚愕するよりも早いか、アジトを覆っていた丘に深いヒビが入る。
直後、地表を割って地下から巨大な何かが姿を現す。
巨大な、途方もなく巨大な直方体の建築物。
白亜の城壁を思わせる表面。街一つと同等のその広大さ。既存の塔を遥かに超えるその高さ。
空に浮くには到底不可能と思しき人智を超越したそれが、蒼き天空に鎮座する。
その姿はまさに、かつての大洪水から種を守ったと伝わる方舟そのものであった。
逃げ遅れた者が縁から零れ落ちていく。覆っていた丘の土砂に近くの人間が巻き込まれていく。
動いただけで多くの人命を奪った災害が如き方舟、その上部が開く。
既に空中にいた鯨艦にいた者たちだけが、その全貌を知る。
開いた上部には一つの街が出来上がっていた。通りがあり、通りの端には人が住める大小様々な住居がある。
その街の中央部、通りの突き当たり、一際大きな建築がある。
艦橋か、それとも祭壇か。その建築の中から二人分の影が出てきた。
ヒロと正義であった。
「外!? それに、何だこの街は……!?」
「これこそ我が方舟の正体だ。選ばれし人民を保護し、穢れた地上を一掃するための神の舟。私はこの舟を使い、正義に満ちた世界を実現する!」
「言ってる意味が分からねえ! けど……思い通りにはさせない!」
陽光に照らされた影が体積を持つ。
それらは瞬く間にヒロの肉体を覆い、影の甲冑と化した。
「“黒漆甲”……!」
「得意の影魔導の鎧か。なれば……!」
正義が身に纏っていた純白の衣に手をかける。
途端、風にたなびいていたそれは、本来の硬度を取り戻す。
“任意の対象の材質を変える能力”、それにより衣服に変えられていた鎧が姿を現す。
その姿は、黒漆甲とは真反対の西洋風の全身甲冑。火葬された遺骨よりもなお白い装甲が、日の光を返し縁を七つの色に彩っている。
手には、いつの間にやら持っていたのか、聖なる力を感じさせる長剣が握られていた。
「センダ・ヒイロ……貴様の偽善、此処で断罪する」
「やってみろよ独善者! テメエの独り善がりこそ叩き直してやるッ!!」
先手を取ったのはヒロの方。爆発的な脚力で一息の間に間合いを詰め、影から取り出した金砕棒を力のままに叩きつける。
だが、一瞬の金属音、正義はこれを長剣で受け止める。
両者の間に飛び散る火花。力の押し合い。黒鉄と白金の武器は膠着して動かない。
「ぬっ……ぅぅううううううう!!!!」
「………………」
ヒロが一歩踏み込み、さらに金棒を押し込む。しかし、剣は依然として動くことはない。
拮抗した状況の中、勝負の行方は既に正義側に傾いていた。
まるで大理石の彫像と力比べをしているようだ。退かず、押さず、その場に固定されているかのような不動の姿に、黒い甲冑の奥でひやりと汗が伝った。
(な、んだコイツ!? 体に鋼鉄の棒でも入ってんのか!? ビクともしねぇッ!)「……くっ!」
ヒロが僅かに喘いだその瞬間、突如、黒漆甲の背面が割れる。否、背面を覆っていた影が、鋭い爪を持った双腕と変じたのだ。
爪は、押し合いにより釘付けにされた正義の喉元をめがけ、躊躇なく襲う。
剣を握る右腕はヒロの攻撃を受けるので必死。残った左腕だけで同時に迫りくる二つの爪を薙ぎ払うのは不可能。
(これは避けられんだろう!)
今、爪が鎧の隙間から正義の肌を切り裂こうとする!
―――瞬間、四度の剣閃が瞬いた。
一度目は、金砕棒を弾き飛ばすため。
二度目は、右の爪を切り裂き、三度目は左の爪を切り裂いた。
そして残る四度目の剣撃で、ヒロの甲冑を易易と切り裂く。
ヒロは、この一瞬の出来事をなんとか目で追えた。だが、追うことができただけだ。
脳は肉体へ回避を指示することすら間に合わず、当然、身体は為す術なくその剣撃を受け入れた。
「あ――――――」
しまった。やばい。直撃を食らった。
ヒロの脳は遅れて回転を始める。
傷の度合いはどれほどだ? 黒漆甲で致命傷は避けられたのか? 身体は動く? 動かない?
次の対処は? 治療? 回復? 回避? 防御? 反撃? 反撃……反撃!
それは殆ど反射に近かった。
正義が剣を振り切った僅かな隙を狙い、仰け反る勢いをそのままに顎に向かって鋭い蹴りを放つ。
斬られた傷は浅くなかったが、鬼化による驚異的な自己回復能力によって大事には至っていない。つまりは治療も回復も必要ない。
回避や防御を選択した場合、逆に続く第五の剣閃によりヒロの命はこの時に絶たれていただろう。
一瞬の逡巡の上で出した結論なのか。それとも、数多の戦闘によって培った経験による勘なのか。
兎も角、導き出したのは後に考える中でも最善の手だった。
ヒロの爪先が、空を切り、音を置き去りにして正義の顎先に吸い込まれる。
当たれば必殺。兜を砕き、下顎の骨を粉々にするだろう―――
―――ブォンッ!!
ヒロが繰り出したサマーソルトは、鉄や骨を砕く鈍い音を奏でず、空を切る音だけを残していった。
外した。躱された。……いや、そのどちらでもない。
ヒロの蹴りが直撃するその刹那、空間が歪んだ。
恐らく、正義が持つ複数の能力の一つ、それが発動した。
ヒロは蹴りの勢いを利用し、バック転の要領で距離を取る。
先程の能力……発動の条件は? どういう原理で回避した? 発動回数に制限はあるのか? 発動によるデメリットは?
浮かんでは消えていく可能性の泡沫を、ヒロは頭を振って消し去る。
どのように考えても、結局のところ『考えたところで無駄』という答えに行き着くばかり。
ならば、持ちうる全てを使って挑むのみだ。
目線は相手に。横隔膜をゆっくりと動かし、肺に空気を目一杯に満たす。一瞬の静寂。吸い込んだときと同様にゆっくりと、体中の空気を抜くように窄めた唇の先から息を吐く。
出血は既に治まっている。痛みは脳内麻薬によって感じない。まだ、戦える。
「……さあ。第二ラウンド、始めようか!」
「…………」
―――――――――
「―――この振動……、まさか本当に飛び立ったって言うの?」
「だからそうだと言っただろう、莫迦が。わざわざあの場で嘘を吐くとでも思っていたのか?」
「セバス、そいつもう一回殴っておいて」
シヴァステャンは小脇に抱えた簀巻きの知恵を強めに小突いた。
「痛ッテ! おい、こっちは拘束されて反抗できないんだぞ! お前らに良心は無いのか!?」
「首が繋がっているだけ温情があると思いなさい。それより、ここまで走らせておいて、どこへ連れて行くつもりなのよ? それに、一体どういう心変わりなわけなのよ? いきなり、私達の味方になるだなんて!」
エレーナたちは捕縛した知恵を連れ、既に空中へと浮かび上がった方舟の中を駆けていた。
行き先は誰も知らない。ただ、知恵に指示されるがまま、角を曲がるか直進するかしていた。
「次の角を右だ」
「質問に答えなさいよ!」
「行けばわかる。俺が味方だっていう証明も、そこでできるだろう」
「このっ……! バルザーク、次、右!」
ベシベシと自身を背に乗せたバルザークの肩を叩いて、進行方向を誘導する。バルザークは猪の突進並みの速度を維持したまま、ドリフト走法で角を曲がる。一拍遅れて、知恵を担いだシヴァステャンが軽やかなステップでその後を追う。
かれこれ、この速度のまま十数分。未だに目的の場所には到着できていない。
エレーナの胸に、僅かな疑心が燻った。
(この男、何が目的なわけ? このまま走り続けさせて消耗させることが狙い……? いえ、そんなまどろっこしい手を使うとも思えない。それに、あの話……本当だとしたら―――)
「本当だ」
「っ!?」
心臓が跳ねた。脳内の言葉を拾われたからだ。
「別に、読心能力があるわけじゃない。お前の目の動き、表情筋の僅かな変化、これまでの会話から思考パターンを解析し、推測しただけだ」
「……嫌な特技ね」
「ま、そろそろ疑われてもおかしくないくらいには時間が経っているからな。だが、安心しろ。目的地はもうすぐそこだ」
知恵はそう言うと顎をクイと動かしてみせる。
その先―――進行方向の正面に、人が一人通れる程度に開いた大きな扉が見えた。
あそこが、知恵が導いた目的の地……。その先に何があるのか。
もしやすると、ここまでが知恵の策略なのかもしれない。そんな不安が胸のうちに広がる。
だが、一度はこの男の話を信じた。その判断を自分自身が曲げるわけにはいかない。
「バルザーク! このまま直進ッ!! あの扉を粉々にぶち破りなさい!」
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
バルザークが雄叫びを上げ加速する。腕で顔面を庇わない。このままの体勢で突撃するつもりだ。
小さく見えていた扉が時間経過とともにグングンと視界に広がっていく。エレーナは身を屈め、バルザークの頭蓋の裏へと隠れる。
そして、―――激突する。
―――ゴォウン!!!!
近くで爆発でもしたかのうような轟音が耳を劈く。一瞬の衝撃と、背中に降りしきる小さな瓦礫と砂の感覚。
悶えながらも身を起こし、目に砂粒が入らないように片手で傘を作ってから瞼を開く。
そこには、知恵が待ち構えていた部屋によく似た空間が広がっていた。
少し違うのは、並べられた大きなガラス管の中には謎の生物ではなく、人間が入れられていたことだ。
ここが何かと問を言葉にする前に、空間の奥から金属がぶつかる音が響く。目をやれば、暗闇に赤い火花が何度も散っているのが分かる。
誰かが戦闘している。しかし、誰が?
暗闇に目を凝らしているうちに、戦っていた双方もこちらの侵入に気がついたようだ。
火花が止んだ。
戦っていた二人のうち、一人の正体はすぐに分かった。破壊した扉からの光を受け、白い髪と服、両手に携えた大剣がそれを反射する。
ハン族の姫。元・七つの美徳。“希望の徳”と呼ばれていた少女、イリスであった。
そして、その相手もようやく視認する。それはよく見知った相手。そして、次に会ったら絶対にぶん殴ろうと決めていた者だった。
「おんや、お久しく。お二人さんとも、生きていたでありんすか」
「イナーヴァ……!」




