第119話 信仰の罪(Ⅱ)
「なぁー。いいかげん行こうぜー、旅ー」
帝都のとある教会の中、前のチャーチベンチに足をかけながら一人の少年が気怠げにそう話す。
それは、教会の中央で熱心に祈りを捧げているもう一人の少年に向けたものであった。
「うるさいぞ。教会は騒ぐところじゃない」
祈りを中断し、声をかけた少年に戒めるように睨み返すのは、この教会の見習い神父―――名を、ジューダス。このとき、齢十六。
「そもそもとして、なんで私なんだ。世界を見る旅ならお前のところの騎士を連れていけばいいだろう、アルトリウス」
その返答に対し、あからさまに不貞腐れた態度を見せる少年。
名は、アルトリウス。後のユニオス連合帝国の皇帝にして、この時においては同じく齢十六の皇太子である。
「あいつらじゃダメだ! せっかく帝都から出る許可を貰えたのに、あんな頭でっかちの古臭いオッサン騎士なんて連れて行ったら楽しい旅が腐ってしまう!」
「お前の旅は楽しむためのものじゃないだろう……」
「目的がどうあれ、その過程が重要だという話をしてるんだ!」
「……はぁ。ともかく、お前の主義主張はわかった。それで、なぜ私なんだ? 特段、特別な出自でもない私を、修道院から出るまで待った、その理由はなんなんだ?」
「え? だって俺ら、親友じゃん?」
アルトリウスの返答に、ジューダスはあんぐりと口を開くしかなかった。
時は先帝ウーゼルの治世。東の大国からの侵攻に対して武力で抑えていた戦乱の時代。
ウーゼル帝の一人息子である若き日のアルトリウスは知見を深めるべく、連合帝国内の巡礼の旅を許されたところであった。
「仲間の当てはもう既に何人かついている。まずはお前だろ? それにキッドと、エラ! あいつら騎士の中じゃ素行が悪くて爪弾きにされてるけど、そこが気に入った!! 後はラインハルトのとこの坊かな? それと……魔術師も欲しいし、アスクラス先生にも声をかけよう! もう何人か声をかけたいところだけど、旅先で会った冒険者を仲間にするのも楽しいかもな!」
「おい。待て待て。勝手に私をカウントするんじゃない。まだ誰も行くとは言ってないだろう!」
外で掃き掃除をしていたジューダスは思わず手を止め、手に持っていた箒の先をアルトリウスに向け怒声を浴びせる。
そんなことは我関せずと言わんばかりにアルトリウスは両手を頭の後ろで組み、教会の壁に背を預けた。
「えー。別にいいだろー。パーティに僧侶は必須だと昔から言われてるし、次期皇帝の巡礼の旅の一員になれるんだぞ。光栄なことだろう?」
「それなら別の僧侶に声をかければ済む話だ。ともかく、私は行かないからな!」
「はぁあ!? なんでそんな意固地になってまで―――」
「神父様ーーー!!」
アルトリウスとジューダスの会話を遮って、高い女性の声が飛び込む。
二人して声のした方に目を向けると、駆け寄ってくる少女の姿が見えた。
「マリア!」
マリアと呼ばれたその少女は、どこぞの貴族の娘だろう。
纏う衣服、よく手入れされた艶のある髪、そして健康的な張りのある肌が、庶民の生まれであることを否定していた。
「マリア、私はまだ神父じゃないと何度も言っているだろう?」
「そうだったかしら? ……あら、これはアルトリウス皇太子様。ご機嫌麗しく」
「ああ、ご機嫌よう。あと、市井にいるときは“名無しの冒険者アル”って設定だから、そこんとこよろしく」
「?? ええ、よくわからないけれど、そういうことなのね! 分かりましたわ、アルトリウス皇太子殿下」
「……んー、まあ、可憐だから良し!!」
「いいのかよ。バレて困るのはお前だろうに……」
ジューダスは貴族の考えることは理解できないなと呆れつつも、一つ咳払いをして会話を続ける。
「それで、マリア。今日はどうしてここへ? お祈りの日はまだ三日先だよ?」
「いいえ、お祈りに来たわけではないの。今日は、あなたにこれを渡したくて」
そう言ってマリアは籠の中から三本の花を取り出した。
ジューダスに花の知識はないが、それが人の手で管理されないと花を咲かせないであろう品種であることは一目で理解できた。
「お庭で綺麗なお花が咲いたの! それを見て欲しくて」
「……わぁ。嬉しいよ、マリア! 早速、花瓶に生けよう。……いただいても?」
「ええ、もちろんよ!」
和気藹々と話すマリアとジューダスの様子を見て、アルトリウスはニマニマとした笑みを浮かべるが、背を向けていたジューダスはそのようなことを知る由もなかった。
しばらくして、花瓶に花を移し替え、話題を一つ二つ交わした後にマリアはその場をあとにした。
彼女の姿が消えるまで手を降っていたジューダスに、待ってましたとばかりにアルトリウスは声を掛ける。
「……へえー。ほーーう。ふーーーーーん」
「……なんだ?」
「いっやーーー? 別にーーー? ただ、この街から離れたくないっていうジューダス君の気持ちが、ほんのちょーーーーーっぴり、わかった気がしまして?」
「断っておくが、お前の邪推どおりじゃないからな」
釘を刺すが、当のアルトリウスは下卑た笑みをやめるつもりはなかった。
これは言葉を尽くしても無駄だろうな、とジューダスは諦めたかのように深く息をつく。
「…………それに」
「ん?」
「私と彼女が、結ばれることは絶対にない」
「そりゃお前、信心深いのは知っているが、そこまで強く否定しなくてもだな……」
「違う。……いや、そういう理由もあるんだが、とにかく違う。……彼女は、まもなく結婚するんだ」
そう言うジューダスの瞳は、どこか嬉しさと哀しさが混ざったかのような色をしていた。
ジューダスは言い訳でもするようにポツリポツリと語り始める。
彼女は貴族の娘。しかし、貴族とは言っても下流の家。裕福な商人のほうがまだ資産を有しているような貧しい家なのだ。
このままだと家名は断絶してしまう。そこでマリアの親が取った手段は、有力な貴族へマリアを嫁に送ることだった。
なにも、珍しいことではない。貴族にとっては自分の子どもや、自分自身であっても、家を大きくするためだけの道具に過ぎない。
それは、マリアも心のどこかで覚悟していたことだった。自分には物語のお姫様のような自由な恋愛はできない。齢十四にして、彼女は夢見ることを諦めたのだ。
「―――相手は隣街の貴族の次男だ。次男とはいえ、モーラ有数の大貴族の家だ。断るような馬鹿な真似は誰もしない」
「……お前はそれで良いのかよ」
「良いも悪いも無い。これは貴族の家同士の話だ。私のような神父見習いや、お前のような権力で自由が保証されている皇太子には関係ないこと……どうしようもないことなんだ」
話し始めて、初めてジューダスの視線がアルトリウスに向いた。
その瞳は先程のどこか哀しみを孕んだものではなく、その奥底に怒りの火種を灯したものであった。
『皇太子であろうと、下級貴族の家を建て直すような贔屓はできないだろう』
『だからこそ、余計な真似をしてくれるなよ』
まるでそう告げているかのような瞳だった。
「あ……その、なんだ……すまなかった」
「………………別に、謝るようなことでないだろう」
ジューダスは背を向けて教会の扉に手をかける。
その背中から、アルトリウスは彼の気持ちを察することはできなかった。
「……なあ、お前の旅の件、少し考え直したんだが、別に付き合ってやってもいいぞ」
「……! 本当か!? なら早速―――」
「しかし、一つ条件がある」
指を立て、ジューダスがおもむろに振り返る。
その瞳にはもう哀しみも怒りもない。ただ、決意を固めた瞳が夕日に照らされていた。
「二ヶ月後、マリアの婚姻式がある。それは私が一人前の神父として認められて初めての仕事となる。それが終わってから、お前の旅に同行する。それでいいな?」
「……ああ! もちろんだ!! お前が加わってくれるのなら、俺は何ヶ月でも何年でも待ってやろう!」
「……感謝する」
―――二ヶ月後、マリアの婚姻式は滞りなく行われた。
まだ幼い子どもだというのに、純白のドレスに身を包んだ彼女の姿は見る者全てに息を呑ませるほどであった。
婚姻式を終えたマリアとジューダスはその後、一言も交わすことなくその日を終えた。それは、ジューダスなりのケジメでもあった。
何か話せば、己の奥底に埋めて殺したはずの気持ちが顔を覗かせると思ったからであった。
ジューダスはその日の翌日にはアルトリウスと共に旅立った。マリアと言葉を交わすことは、ついぞ無かった。
旅に出た後のジューダスは、仲間たちとともに帝国全土を渡った。
一年以上に及ぶその旅は、確かに楽しかった。出会い、別れ、敵対、和解。様々なことがあった。
だが、その思い出が彼の人生に影響を与えることはなかった。
……否、学ぶことはあった。彼の信念に影響も与えていた。
だがそれも、帰郷とともに報せがあったマリアの訃報によって、掻き消されてしまった。
彼女が亡くなったのは、ジューダスが教会に戻るほんの三日前。
彼が戻った頃には既に葬儀を終え、遺体は暗い土の下に埋められてしまっていた。
教会の神父からは病による急逝とだけ告げられた。
ここまでがアルトリウスらも知る事実だ。
ジューダスを知る者は、マリアの死が彼を歪めたのだと言うのだろう。
だが、真実はそうではない。
ジューダスが彼女の死に顔を見れなかったのは、ある意味幸福だったのかもしれない。
亡くなったマリアの顔は婚姻式の時の美しさを保っていなかった。
何度も打たれたように腫れ上がっており、片目は光を失っていた。歯は何本も折られ、鼻も曲がっていた。
葬儀も盛大なものではなく、何かを隠すようにひっそりと執り行われていた。
それも全て、マリアが嫁いだ先の男によるものであった。
ジューダスがこの真実を知るのはこの十数年後のことだが、嫁いだ先の次男は非常に乱暴者で、酒など飲んだ日には特段の理由もなく彼女を殴っていた。
夜の方もかなりの無理を強いていたようで、マリアは若くして子どもを持つ夢を絶たれてしまっていた。
それでも、マリアは何度も逃げようとした。助けを求めようとした。毎日、神へ祈りを捧げ、救いが訪れる日を待った。
だが、その声が届くことはなかった。
彼女の家も、男の家に援助してもらうどころか、逆に搾取され潰れてしまった。
マリアの両親は失意の上、自ら命を絶った。
幸福は、あの婚姻式の日に終わっていたのだ。
それを知らずに、ジューダスは気楽に旅を続けていた。
マリアの苦しみを知らずに、日々の平穏を神に感謝していた。
神父が賄賂を受け取り死の真相を隠蔽したことを知らずに、彼が老衰するその時まで敬意を持って接し続けていた。
そして、マリアを辱めたその男を疑うことすらしなかった!
―――神よ。ああ、神よ!
何故、純粋で信心深い彼女に試練をお与えになったのですか!?
何故、信仰なきあの男に天罰をお与えにならないのですか!?
何故、貴方より金を選んだ神父に安らかな眠りをお与えになったのですか!?
何故、何故!
「……私には、罰も、救いも、お与えにならないのですか……?」
「それは、人の心に正義がないからだ」
目の前の少年は、私の問いにそう答える。
まだ年若い……十かそこらの歳だろう。
だが、その風格は見た目にそぐわない。歳の差は三十を余裕で越しているはずなのに、その言葉の重みは王のそれ。アルトリウスにすら匹敵するカリスマを放っていた。
「……正義、だと……」
震える舌を抑えつけてなんとか言葉を放つ。
それに、目の前の少年はフッと微笑んで答える。
不意に見せたその義母のような表情に、私の背筋は巨大な蜈蚣が這ったような感触に襲われた。
「ああ、そうだ。正義だ。正義がないから、その男は暴力を振るった。正義がないから、その神父は金に心を奪われた。正義がないからこそ、マリアとかいう女は死んだのだ」
……違う
「違わない。この世の悪行、この世の不幸は世に蔓延る正義なき人間によって引き起こされる」
違う、違う違う違う!
それが真実なら神とはなんだ!? 神こそ正義ではないのか!?
神が正義でないのなら、私達僧侶とは……私達の信仰とは……一体何だったのだ……?
「……信仰か」
……そうだ。そうだ! 我々は祈る! 我々は信仰する!
神こそ、この世の絶対的な正義であり、正しきを導き、悪しきを糺す存在!
我らは神を信じ、愛し、神の言葉を守ることによ、り……
「なんだ、理解しているじゃないか。そうだ、正義たる存在を信じる、その“信仰”こそ“正義”だ。」
……なら、ならば! 神とは何のために在る!?
人の持つ信仰こそ正義であるのならば、その信仰を受けて人を救い人を罰するはずの神は只のハリボテか!?
「いいや、それこそ違う。神は正義そのもの。但し、人を救うのも人を罰するのも、行うは神ではなく人だ」
……………………
「神は人を救わない。神は人を罰しない。だが、人を救えと、人を罰せよと神は言う」
……お前は、神の代弁者なのか?
「それも違う。私こそ、その神に使わされた人だ。そして、私は私の意思に賛同する人を募っている。……神父ジューダス。君も、私とともに神の使徒となろう」
手が、差し伸べられる。
小さく、白く、柔らかな手のひらが、私に向かって伸びる。
これは、悪魔の手のひらか。それとも、本当に、私を救うための天使の手か。
分からない。何も。
ただ、彼との邂逅で悟ったことが、ただ一つ。
『信仰とは正義である』
『正義なき人間が悪行を為す』
『悪行を為した人間に神は裁きを下さない』
故に
『信仰なき人間には裁きを!!』
それが私の命題となった。
そこから先は、語るべくもない。
私はその少年と共に“正義に満ちた世界”の実現に奔走した。
まず手始めに行ったのは、マリアを殺した男の誅殺。
そうして次に手を付けたのは、新たな同志を集めること。
郷から逃げ出した親殺しの魔女。魔法協会から爪弾きにされた倫理なき研究者。素性の知れない犯罪者集団。殺戮に歓びを見出す落ち零れの剣闘士。
集められた者はどれもこれも、現在の社会においては悪人と呼ばれる者たち。
しかし、その信念は燦然と輝いていた。
“慈愛―――人を愛さぬ者には死を”
“知恵―――愚かな者には死を”
“節制―――浪費する者には死を”
“勇気―――勇気なき者には死を”
そして―――正義なき者には死を。
信仰なき者に、死を!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「―――そう、だ。わた、しは……裁きを、与えねば……。この、信仰なき、世に……私が……!」
うわ言を呟きながら、今にも千切れそうな体を引き摺りながら、信仰は―――ジューダスは目の前の天使の残骸へと這っていく。
これ以上は何もできない。それは、誰の目から見ても明らかであった。
しかし、無駄だからといって彼の行動を止める者は一人たりとていなかった。
憐憫からかもしれない。敬意からかもしれない。
ただ、命の灯火が消える直前の必死の行動を邪魔する無粋さを持ち合わせる者は、この場に一人もいなかった。
「……神よ、……神よ……。どうか、私に、最後の、力を……!」
右腕を伸ばす。
ピンと張った指先が、震えたその指先が、今にも崩れ去ろうとしていた天使の白い頬に触れる。
「―――ああ、」
瞬間、ジューダスの顔から厳しさが消えた。
彼の目には何が写っているのだろう。いや、そもそも光を認識しているかすら怪しい。
だが、それでも彼は何かを見たのだろう。
今の彼の顔には、憤慨も、憎悪も、苦悩も、何もない。
まるで懐かしい友人に会ったかのように、まるですやすやと寝息を立てている赤子を慈しむように、目元の皺を深くする。
「……久しいね、マリア……。今日も、花を、持って……きて…………」
―――天使が、完全に光へと還る。
その光とともに、彼の魂も天へと昇ったのだろう。
斃れたその老人の顔は、穏やかに眠っているかのようであった。
―――“信仰の徳”、完全撃破。




