第117話 凶報
「申し上げます! 東部より侵入したシュラーヴァ班、帰還!! 七つの美徳の幹部“慈愛の徳”を撃破! 及び、内部で監禁されていたと思われる民間人を救出したとのこと!」
艦橋に報告が響き渡る。それは作戦が始まって初めての朗報であった。
艦橋内はその報告により一気に色めき立つ。
だが、朗報はこれで終わらない。
「続けて申し上げます! 西部、フルーランス班、帰還!! 同じく七つの美徳幹部“節制の徳”撃破ッ!!」
これに一番反応を見せたのは同郷のルイ王子であった。
「やってくれたか……!」
幹部二人の撃破。これらの報告に、艦橋の空気は最高潮まで昂っていた。
……この直後の報告を耳にするまでは。
「しかし、フルーランス班、被害甚大! 主に、英雄級“破壊僧”シャオ・リンが出血多量のため、危険な状態です!!」
色めき立っていた空気は、一瞬で別の緊張感へと塗り潰される。
その場にいる誰もが言葉にならない声を漏らしていた。
だが、それらは言葉にせずともこう語っていた。
『あの英雄級ですら相討ちとは』
残る幹部は三人。対し、こちらの動ける英雄級も同じく三人。
しかし、帰還したゲオルゲの消耗もあるだろう。再び突入したところで、どこまでやれるのか……。
加えて、突入したリドニック班とキャメロス班からは未だ報告は上がらない。ともすれば、返り討ちにされた可能性も……。
「負傷した戦士たちはすぐさま治療せよ! 英雄級であるシャオ・リンとゲオルゲ・バラウレスクは最優先だッ!!」
雷轟のような指示が飛ぶ。それは、今回の作戦の指揮官であるルイによるものであった。
彼の顔には一部の陰りもない。ただ、己の役割に準じると決めた瞳が光っていた。
「何をボサッとしている!? すぐに態勢を立て直し、再度突入させるのだ!! これは好機だ! 逃がす手はないと知れッ!!」
「は、ハッ!!」
「治療班のメイリィに連絡を取れ! なんとしてでもシャオ・リンを回復させ―――」
『た、大変ですぅぅう〜〜〜〜〜〜!!!』
通信を介し、気の抜けた叫びがルイの言葉を遮る。
「なんだッ!!?」
「め、メイリィ殿からの通信です!」
「丁度よい。メイリィ! 今からそちらに重傷人を―――」
『大変大変、大変なんですぅぅううう〜〜〜〜〜〜!!!』
「ええい喧しい! なんだ、何が大変だというのだ!? 我の言葉まで遮ってまでの非常事態など、そちらで起こるはずも―――」
「陛下が……アルトリウス陛下がぁぁぁ〜〜〜〜〜〜!!!」
メイリィの口から放たれた名前に、今度こそルイ王子の顔が青ざめた。
「……よもや……」
――――――――
長い廊下を疾走する。
あれから、どれほど走ったのだろう。
目的の場所には未だ辿り着けていない。
「……焦って走り出さなければよかった」
気恥ずかしさのためとはいえ、最後まで話を聞いてから駆け出すべきだったと後悔する。
これまで幾つかの分岐路があったが、勘で進んできた。
もしかすると、そのうちの一つが目的の場所へ至る道だったのかもしれない。
一度戻るべきか。そう考えて立ち止まっていたとき、背中にもぞもぞとした感触が走る。
「キュ、キューイ!」
自身のフードから飛び出してきたのは、謎の毛玉―――いや、毛むくじゃらの生物だった。
これは確か、ヒロの仲間たちが持っていた……
「名前は……確か、モフ、だったかしら?」
「キュイ!」
そうだと言っているかのように、毛玉は自信ありげに鳴く。
一体、いつ、どのタイミングで服に潜り込んでいたのだろう?
身近にいた私ですら……恐らく、ヒロや節制にすらその存在に気付いてはいなかっただろう。
「いや、それよりも、どうしてここに……?」
ヒロについていくでもなく、ヒロの仲間たちと共にあるでもなく、なぜ関係の浅い私についてきたのか……?
そう考えている私を尻目に、毛玉は周囲の臭いを嗅ぐような挙動を見せている。
すると、不意にある一点を見つめて動かなくなった。
その視線が指し示す先は、私が向いていた方向だった。
「……もしかして、勇者候補の……あなたの飼い主の場所が分かるの?」
「キュイ、キュイ!」
ピコピコと小さな頭を縦に振る。恐らくはそうなのだろう。
よかった、と安堵する。私の進んできた道は間違いではなかった。
頼りないほど小さな希望ではあったが、それでも安心したことには変わりなかった。
「ありがとう。それじゃ、案内、お願いできる?」
「キューーー!」
モフは跳ねながら駆け始めた。
私は、その後をついていく。
目的の場所には、驚くほど呆気なく早く着いた。
「ここが……」
長くこのアジトにいたが、目の前の扉の装飾には目覚えがない。
恐らく、正義が意図して私を遠ざけていたのだろう。
こうなることを見越してか、それとも別の意図があってのことか……いや、そんなことを考えていても仕方がない。
意を決して、私は目の前の扉を押し開ける。
扉を開いた先に待ち構えていたのは、無数のガラス管の列。その一つ一つに人が格納されている。
ガラス管に押し込まれた人の顔は、まるで赤ん坊の寝顔のように穏やかであった。
恐らく、全員正義の手によって誘拐されてきた人たち。彼のあの目的によって選ばれた人間たちなのだろう。
「……おや? 客人でありんすか」
自分とモフ以外、覚醒している存在はいないと思っていた空間に、突如としてそのような声が落とされる。
柄に手を置き、意識を警戒状態にしながら、声が投げかけられた方向へ視線をやる。
薄暗くて気が付かなかったが、通路の中央に誰かいる。
ものの数秒のうちに瞳孔が闇に慣れ始めると、ようやく声をかけた者の正体が解った。
「……なぜあなたがここにいる? イナバ」
名前を呼ばれた女剣士は直前まで続けていた酒を一献飲み干し、白兎の面を被り直して立ち上がる。
「当然、金で雇われたから、でありんす。私は傭兵の身の上でありんす故」
「ここに来て未だに金銭で仕えるか。事が済めば正義に消されることも理解できないの?」
「その程度のこと、重々承知。承知の上、この仕事を引き受けただけのこと」
「……一応、確認だけしておくわ。あなたが引き受けた仕事って?」
お面の奥から短く笑い声が漏れる。
イナバは舞うかのごとくゆったりとした挙動で、腰に差した打刀を抜く。それが質問の回答だとでも言うように。
それに応じ、手にかけた大剣の柄を強く握り直す。
「……私が引き受けた仕事。それは―――」
突如、イナバの姿が視界から消える。否、奇妙な歩法で瞬きの間に自身との距離を詰めたのだ。
ほぼ反射とも思えるほどの速さで眼球が彼女の姿を追う。だが、追いついたときには既に刃物の閃きがこちらに向いていた。
僅かに反応が遅れた、やつは既に自身の懐へと潜り込んでいる!
「―――侵入者の排除、でありんす」
―――――――――
低く、重い衝撃音が体の芯を揺るがす。それは、目の前の戦闘によるものであった。
そこで繰り広げられていたのは、ただの人と獣の争いではない。
絵画で描かれた一幕が動いているかのような、英雄と怪物との一騎打ちだ。
怪物が吠える。鼓膜を破る大咆哮に、思わず身の毛がよだつ。
その姿は古代の壁画で表す竜そのもの。蛇のように細く、長く、四肢のない躰。手足の代わりに生えているのは蝙蝠のような翼。そして厳しい面には一対の角。
長大な姿を持つその怪物の名は“ワイアーム”。既に絶滅したはずの、ワイバーンども亜竜の祖たる存在。
これに迎え撃つは一人の英雄。身を守る鎧などなく、体一つで怪物の牙に立ち向かう。
手に握るはまるで鉄の塊のような無骨な大剣。それを己の膂力に任せて怪物に突き立てる。
技ではない。それを振るう理性など、とうにない。ただ、暴力と本能に身を任せて、目の前の存在を叩き潰すまでだ。
英雄の名はバルザーク。“狂戦士”の異名を冠する、人の形をした獣である。
英雄と怪物、まるで神話の戦いのようなそれ。その戦いを間近で観戦できる幸福な者たちが三人いた。
一人はヘルメス。“七つの美徳”の一人であり“知恵の徳”の名を持つ者。
残りの二人はエレーナとシヴァステャン。バルザークとともに“七つの美徳”打倒のためこの場に来た者たちだ。
彼らは、まるで小さな災害と化したこの決戦を挟んで睨み合っていた。
(……知恵はワイアームを召喚してから動きを見せていない。何もしないのか、または、何もできないのか? ……いずれにせよ、戦士ではない彼ならば近接戦では遅れを取るまい。ならば、バルザークらの戦いを抜け、斬りかかることができれば―――)
『無茶な突撃は止めておいた方がいい、シヴァステャンとやら。この暴風雨のような戦いの中、無事である自信があるのなら話は別だが』
シヴァステャンが自身の剣に手をかけたとき、突如として背後から知恵の声が響く。
驚いて視線を移すと、何やら機械じかけの物体が蠅のようにその場に浮かんでいた。
「これは……」
「……見たところ、声を届ける魔道具の一種のようね」
『その通り。あと集音機能と、念の為、小銃も付け加えてある。壊そうとしたら蜂の巣にするから、気を付けてね』
視線を知恵本体に向けると、奴の傍らにも同じ魔道具が飛んでいる。
こちらは攻撃できず、対して奴はこの魔道具で一方的に攻撃ができる。
シヴァステャンが恨めしげに睨むと、知恵は嘲笑うかのごとく手を振った。
「一体なんのつもりだ。後ろを取って勝ったつもりか!?」
『いやいや、別にそんなつもりはないよ。ただ、この戦いに活着がつくまで退屈だからね、少し話でもと気を利かせただけさ』
「貴様らと話すことなど一つもない!」
『おー、こわ。じゃあお前とは話さないでおくよ。代わりに、そちらのお姫様とは会話させてもらうけどな』
知恵はニヤニヤと下卑た笑みをエレーナへと向ける。
どのような魂胆かはいざ知らず、それでも主君に向けるものとしては到底許せるものではなかった。
「貴様―――!」
「セバス。止しなさい」
「お嬢様! しかし―――!」
「止せ、と言ったのよ。三度も同じことを言わせる気?」
バルザークの戦いから自身に移されたその瞳には、強い怒りの感情が込められていた。
下僕風情が私に逆らうんじゃない、彼女の視線はそう語っていた。
「っ、……」
こればかりはシヴァステャンも押し黙るより他になかった。
手を握りしめていた鞘から離し、静かに一歩、エレーナの後ろへ引き下がる。
『よく躾けられている』
「でしょう? 引き篭ってるだけの雑種とは違うの」
『皮肉かよ』
「嫌味よ。それより、さっさと本題に入ったらどう? まさか、この私を捕まえておいて、売女相手程度の下らない話なんてしないわよね?」
『そこは安心してほしい。今からするのは―――』
知恵が眼鏡の縁を押してかけ直す。
そのグラスの奥に映る瞳からは、先程の飄々とした雰囲気は消え失せていた。
『―――この戦いの後。俺達が敗北した後の話だ』
―――――――――
「……“節制”と“慈愛”が敗れたか。戦いとは非情なもの、彼らの魂が神の国へ赴くことを祈ろう。……さて、」
その神父はこちらへと振り向く。
見下ろす彼の表情からは何の感慨も感じ取れない。
「君たちも、そろそろ観念してはどうかね?」
酷なほどに冷たい声がこちらに向けられる。彼を取り囲む“天使”と同様に、ただ、無機質な音が鼓膜を揺らした。
仲間を討たれた憤りも、自身が優位である奢りも、彼からは感じられない。
今の彼から感じられるのは、まるで心を喪ったブリキの人形の様相だけだ。
彼の眼前に広がる光景は、地を這いつくばる惨めな我々の姿だろう。
彼―――“信仰の徳”こと、元・教皇ジューダス。その彼が喚び出した二十もの“天使”によって我々は窮地に立たされていた。
「う、ぅうっ……!」
誰かが言い返そうとしたが、その口からは呻き声が漏れ出すだけだった。
“天使”によって受けたダメージからだろう。ならば、一番被害が少ない私が返すのが道理だ。
「我々は諦めなどしない。たとえ、この身が打ち砕かれようと、帝国に仇なす悪を討つのが我々、帝国騎士の務めだ」
「そうか。流石は騎士団長殿、模範のような素晴らしい回答だ。であるのならば、我々“七つの美徳”もそれに抗おう。我々の掲げる正義と、そして信仰のために!」
ジューダスの裡に、再び魔力のうねりが生じる。“天使”たちを喚び出したときと同じ魔力のうねりだ。
だが、周囲には既に媒体となる人の姿などない。ならば、どこに―――いけない!
「気付いたようだがもう遅い。そして、ここから彼らを助けるのは不可能だ」
「貴方……まさか!?」
「訊かずとも理解しているのだろう? そうだ。喚び出す先は地上。媒体は地上にいる人造人間と、助け出された民間人だ」
―――――――――
「大変なんです、大変なんですぅ〜〜〜! 陛下がぁ、陛下がぁ〜〜〜〜〜!!」
「ええい、大変なのは十分伝わったわ!! 良いから詳細を話せ! アルトリウス帝はどうなったのだ!?」
艦橋内はメイリィの『大変』の言葉で埋め尽くされていた。
彼女からの報告を受け、ルイ王子はメイリィを艦橋へと招集したが、彼女の混乱は治まらず、ただ同じ言葉を繰り返すだけであった。
そんな要領を得ない報告を聞いていたルイ王子も既に我慢の限界が近いようだ。額に青筋を立てて、メイリィに負けじ劣らじの声量で彼女を問い詰めていた。
そこへ一人の兵士が、報告のため艦橋へと転がり込んできた。
「申し上げます! 現場からの報告が―――」
「大変ですぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
「だ・か・ら、何がッ、大変なのだとッ、言うのだァーーー?!!」
「も、申し上げます! 申し上げまーーすッ!!!」
ちょっとしたカオスである。
「なんだ貴様はッ!? 取り込み中だと見て判らんかッ!!」
「も、申し訳ありません! ですが緊急事態です!」
「緊急事態ぃ? ……仕方あるまい、貴様から先に要件を話せ」
未だに大変だ大変だと騒ぐメイリィの口を片手で塞ぎ、ルイは駆けつけた兵士に報告をするよう促す。
兵士は恐る恐るといった風に、報告を始めた。
「お、恐れながら。現場からの報告です! 交戦中だった人造人間らが突如発光、その後に異形の姿へと変貌しました!」
「変貌……だと……!?」
「はい! 姿の変貌とともに攻撃力・敏捷性・防御能力も遥かに強化された模様です。しかも、目撃した者の中には、それが天使のようだと言う者も……」
「天使のような、異形の怪物……まさか!」
「間違いあるまい。ジューダスの―――“信仰の徳”の降霊魔導だろうよ」
報告に横槍を刺してきたのは、その場で話を聞いていたルートヴィヒ総統であった。
横には彼と同じく真剣な表情をしたメアリー女王も控えていた。
「ルートヴィヒ。メアリー。貴様らは“信仰”の天使召喚を目にしたのであったな」
「はい、この目でしかと。だからこそ断片的な今の情報であっても、確実にそうであると言えるのです」
「天使の恐ろしさは身を以て知っている。何しろ、あのアルトリウスさえ手も足も出なかったほどだ。……この戦い、苦戦を強いられるぞ」
二人の目には恐怖の濁りが宿っていた。それほどまでに、アルトリウス帝が天使にやられた光景が堪えたのだろう。
幹部二人の撃破に沸いていたのが遠い過去のようだ。今はまるで葬儀の後のような絶望が場を満たしていた。
それらを振り切るように、ルイは舌打ちをするとともに声を張り上げる。
「そんなこと、言われずとも分かっている! おい、そこな兵士! 変貌した天使とやらは何体か!? 数体程度であれば、ゲオルゲと回復させたリンで抑え込むことができる!」
問い詰められた兵士は体を震わせながら、顔を俯かせる。自身の報告がここまでの絶望を呼び込むものだと知らなかったからだ。
それでも兵士の勤めとして、黙り込むことも虚偽を吐くこともできない。
兵士は震える声で、小さく口を動かした。
「……っ体、です」
「聞こえんわ! 報告ならばしっかりと話さんか!」
「ッ……! 召喚された天使はっ、優に五十体を超えておりますッ!!」
瞬間、その場はより一層暗い奈落へ突き落とされた感覚に陥った。
報告した兵士の眼尻にも、微かに涙が見える。
こればかりは流石のルイも、いつもの強気を通すべくもなかった。
だが、絶望の報告は終わらない。
報告しに来た兵士の後ろから、もう一人の兵士が息を切らしながら顔を出した。
「申し上げます! 先程ゲオルゲ殿が救助した民間人が突如変貌! 戦場に現れた白い怪物と同じ姿になって暴れ始めています!」
これ以上は、どうしようもなかった。
完全に後手に回ってしまった。被害は甚大なものになるだろう。
ルイは思考を巡らせる。被害を出さない手はもう無い。ならば何を切り捨てるべきか。何を優先させるべきか。首魁の首を討ち取ったとして、それ以外の全員が死ねばそれは勝利と言えるのか。どうすれば、どうしたら、どうする、どうする、どうする―――!?
『―――司令室、司令室。聞こえているか? 応答求む』




