第116話 慈愛の罪
……“愛”。とても素晴らしい言葉です。
恋愛。親愛。敬愛。夫婦愛。親子愛。兄弟愛。友愛。父性愛。母性愛。純愛。偏愛。情愛。そして、慈愛。
この世の全ての人が愛を持って他者と接すれば、慈しみを持って人と打ち解け合うことができたのならば、自然とこの世は平和へと導かれるでしょう。
ですが、そうではない。
それはすなわち、愛なき人間がこの世に跋扈しているから。
ああ、いけません、いけません。
だからこそ、私は―――
―――二人の魔女が睨みあっている。
一人は明確な敵意を持って、もう一人は優しげな眼差しを以て、互いを見つめあっていた。
「…………」
「………………」
「……ふふっ」
不意に、“慈愛”―――ディアナの唇から笑い声が零れる。
「……何が可笑しい」
「いえ、いいえ。決して、貴女を嘲ったわけじゃないのよ? ただ、昔に別れた貴女が随分と立派に育ったのが嬉しくて……ただ、嬉しかっただけなのよ」
その言葉に偽りはない。それは、声色からも、表情からも、視線からも、そう理解できる。
だが、この状況にあって―――自身に殺意を向けられるこの状況にあっては異常そのものであった。
「ねぇ、ウィザ、覚えている? 私達が魔女の郷で最後に会った時のこと。何について話し合って、どんなことで笑い合ったか」
「いいえ、覚えてなんかいません。私が最後に覚えているのは、自身の親を手にかけて恍惚とした貴女のあの表情だけです」
「あら、そう……。せっかくの姉妹の再会だもの、もっと昔の話で盛り上がりたいわ。そうね、例えば―――」
「いい加減になさい、ディアナ」
ウィザの体から殺気とともに濃厚な魔力が放たれる。
耐性の無い人間であれば、即座に中てられて倒れてしまいかねないほど劇しいそれ。
同じく魔女であるディアナはもちろん効きはしないが、周囲にいたディアナの術中にあった者たちは抵抗すらできず、次々と倒れ伏していく。
「……ひどいわね。彼ら彼女らに罪はないのに」
「ええ、そうね。罪深いのは貴女一人だけよ」
「もう、さっきから挑発してばっかり。そんなにも私を殺したいのね。……いいわ。だったら私も、殺してあげる♡」
空間を満たす魔力が、もう一段階濃さを増す。それは、ディアナが放つ魔力によるものだった。
二人の魔女が醸す魔力は混ざり合い、それは正に致死の毒ガスに近い危険性を孕んでいた。
「これは……いけない!」
その危険性をいち早く察したのはゲオルゲであった。
だが、彼は今、まともに動ける状態ではない。横腹に突き立てられた蹴りの影響が未だ癒えていないのだ。
しかし、動けないからといって目の前の無辜の民を見殺しにすることは、英雄級の矜持が許しはしなかった。
「お前たち、あの魔女の仲間なのだろう!? なら彼女を止めてくれ! このままでは周りの一般人や私の仲間たちまで魔力中毒で死んでしまう!!」
恥を忍び、魔女ウィザとともにこの場に参じた三人に助けを求める。
だが―――
「それは無理というものですよ、“竜騎士”殿」
「なぜ……!?」
「そもそもとして、拙者たちにはリーダーを止められるほどの力はないでゴザルしぃ?」
「ニャ。それに……私たちは仇討ちを止めるほど無粋じゃニャいのニャ」
ウィザの一派である三人は我関せずとでも言うように飄々とゲオルゲの請求を退ける。
所詮はお尋ね者の一味か。ゲオルゲは動けないまま恨めしそうに三人を睨みつける。
「まあまあ、そんなterribleな顔で睨まないでよ。僕たちだって、ただ暇で突っ立っているわけじゃないんだからさ」
マスカレードマスクを付けた男はそう言って、ちょいちょいと指を動かして視線を誘導させる。
その指先の向こう側には、一人の男が立っている。ゲオルゲを蹴り倒したあの男だ。
ウィザ一派―――“宵闇の怪盗団”は動かないわけではない。隙を見せたらあの必殺の蹴りが飛んでくるから、動けないのだ。
「あぁん? そこの猫女、どこかで見た顔だね?」
「ぉげぇー、ナンパの台詞だとしたら不合格だニャ。バロンに教わったらどうニャ?」
「ちなみにでゴザルが、バロンは108戦108敗の歴戦のナンパ師でゴザルよ」
「HAHAHA! いるかなぁその情報!? ……それはさておき、」
突然、おちゃらけていた三人の纏う空気が変わる。
それはゲオルゲもよく知るもの。戦う者の覇気、と言えるものだ。
「君には大切な仲間が世話になったようだ。三倍返しで済むと思わないことだね」
「へえ、面白い。調子に乗ってんじゃねぇぞクソがッ!!」
―――――――――
「……あの三人はお友達? 貴女のために戦ってくれるなんて慕われているのね」
―――なんて女だ。ここまで魔力のせめぎ合いをしていても、他のことに目を向ける余裕があるなんて。
「アイツ等はそんなんじゃないわよ。ただの下僕。邪魔をされたくないからそう指示しているだけよ」
「うふふ。そんなこと言っちゃって……駄目よ、嘘を吐いちゃ。いくら、私に壊されるのが嫌だとしても」
ぞくり、と脳の裏側をくすぐられる感覚に襲われる。嫌な記憶が掘り起こされる。
そうだ。この女、昔からそうだ。私が目にかけていたものは全てこの女に壊された。
初めてのお人形も、使い魔にしようと拾ってきた小鳥も、私を愛してくれた親でさえも。この女が全て奪い去っていく。
「ッ……ディアナぁッ!!」
懐に隠していた宝石を振り放つ。それは、あの時と同じく空中に魔法陣を描き、魔術の威力を底上げる。
「学ばないわね。“宝石魔術”は一度見たわ。魔女の戦いにおいて、同じ技を繰り出すのは悪手―――」
「“天空の暴風”ッ!!」
有無を言わせず、必殺の空魔導を放つ。
魔力の塊は私の手を離れ、ディアナへとぐんぐん進んでいく。
「無駄よ」
だが、当然のごとくそれは不発に終わる。
ディアナの言う通り、魔女同士の戦いにおいて同じ魔術は通用しない。
天空の暴風は空中で解かれ、ただの魔素の流れに分解される。
ここまでは想定通り。
『“爆発するオバケ南瓜”』
二の矢がディアナを襲う。
五つのオバケ火球が大口を開けて、ディアナを飲み込み、そして爆発する。
―――ドォォォオオンッッ!!!
爆炎がヤツの姿を隠す。だが、直前まで無防備だったのはこの目でしっかりと捉えている。
何の魔術障壁も張らず、咄嗟の防御態勢すら取れていなかった。直撃だ。
「……ここまで上手くハマるとはなぁ。お前のネーチャンも大したことなかったな! ギャハハハハハッ!!」
頭の帽子―――マッド・ハッターが騒ぐ。煩く思うが、その意見には同感だ。
なにも、特別な策はない。
ただ単純に、天空の暴風の陰に隠して、ハッターに爆発するオバケ南瓜を撃ってもらったというだけ。
このためのだけに、ハッターを今この瞬間まで黙らせるのには骨が折れたが。
「あーそうそう。こういう時にはこう言わなきゃな……やったか!?」
「やってないわよ。あの化け物がこの程度でやられるわけない」
「…………信頼されてるわね。でも、実の姉を化け物呼ばわりは酷くない?」
煙が晴れる。そこには肌や服に煤をつけながらも余裕を崩していないディアナの姿があった。
(……やっぱり、か)
「げぇー……爆発をモロに受けて生きているのは普通にバケモノじゃね?」
「それもお友達? 自意識を持つ魔道具なんて珍しいわね」
「はじめましてお嬢さん。質問を質問で返すのは失礼なんだぜ?」
「ふふっ。愉快な人……人? ……愉快な方なのね」
女神のような微笑みをハッターに向ける。
聖母のような笑みを向けられたハッターはと言うと、魔道具のくせして一丁前に恋に落ちたような空気を醸していた。
「ポッ……/// なぁウィザ、お前のネーチャン、実は良い人じゃね?」
「絆されてんじゃないわよ。まったく、自意し―――」
「自意識を持つ魔道具なら攻撃が通用する、そう思ったのでしょう?」
「ッ……!」
読まれていた―――いや、この程度なら誰でも思い付く。
それよりも、おかげでヤツの能力が解った。
「でもね、残念。私は命有る者も、無き物も、博く平等に愛しています。そして、私が愛した全てのものは私に愛を返してくれる……。それが―――」
「お前の固有能力なんでしょ。わざわざ説明しなくても解ってるってば」
「………………あら」
ディアナの表情は変わらない。バレるのも計算のうちだったか、それとも単に図太いだけか……?
まあ、どちらでも構わない。
「それでも、答え合わせはさせて貰うわよ。お前の能力の本質、それは“精神の支配”。無意識下で対象の精神を支配し、攻撃の無効化や対象を思い通りに動かすことができる能力なんでしょ。その発動条件は……無い」
依然、ディアナの表情は変わらない。
「無い!? マジか!? マジに言ってんのかウィザ!!?」
「頭の上で騒ぐな。……初めは“ディアナが認識した瞬間”だと思ってたけど、それだとハッターの不意打ちが通用しない理由にならない。仮に絞るとしたら、“ディアナを認識した瞬間”……ってところかしら」
「……ふふふ。惜しいわね、それだと及第点。満点には程遠いわ。珍しいわね、賢い貴女が間違えるなんて」
「…………」
「間違えているところは発動条件について。確かに強力な能力だけど、そこまで無法じゃないわよ。
正解は、“対象を愛すること”。さっきも言ったでしょう? 私は博愛主義なの。この世に存在する全てのもの……いいえ、たとえ概念だけの神や正義すらも、私は愛している。
それが私に与えられた固有能力、“聖母の愛”……!」
両の手を広げ、まるで全ての存在を受け入れるかのような姿勢を取る。
その姿は完璧な聖母そのもの。壊れることのない完全性がそこには有る。
「結局のところ、無いも同然でしょうが。……ともかく、ハッターの攻撃は無意味。攻めは私がやるから、援護に回って」
「アイアイサ!」
「……? おかしな事言うのね。私にはどのような敵意も通じない。自分でもそう言っていたでしょう? たとえ、それが世界で一番愛している貴女だとしてもね」
……そうだ。ヤツの言う通り。
この世の全てを愛する彼女にとって、この世界において彼女を傷つけられる者はいない。
正に無敵の能力だ。
だが、私の考えが正しければ―――
「無策で挑むほど直情的だと思っているのかしら? だとしたら、それがお前の敗因だ!」
ハッターから送られてきた魔力を全身に回す。
私の肉体を中心として、周囲の魔素が自然と魔法陣のような形態を取る。
魔素が回る。大気が熱を持ち始める。
傍から見れば、その景色は私を中心とした巨大な篝火のような様相となっているだろう。
これこそが、私が編み出した儀式魔術―――
「“死者の夜祭”ッ!!」
魔素を薪として自然発火した炎は、人魂や亡霊、多種多様な悪魔のような形をとり、踊るかのように私の周囲を回る。
名前の通り、死者が火炎の肉体を得て蘇り、それを祝って祭を開いているかのようだ。
私が一度号令をかければ、炎の死霊たちは領域内の一切を燃やし尽くし、全てを灰に帰すだろう。
爆発するオバケ南瓜を究極にまで突き詰めた儀式魔術、それがこの魔術だ。
ここに来て、ようやくディアナの表情が変わる。驚愕、とはまた違う。
感心したかのように目を見開きつつも、微かに吊り上がっていた口角がさらに深く刻み込まれていた。
「……凄まじいわね。貴女がここまでの魔女術を編み出していたなんてね。
そして、これも運命かしら。私と同じ領域に辿り着くなんて!」
ディアナの周囲の魔素が渦巻き始める。その動きは、私の魔術とまったく同じ。
「“魔女の夜祭”」
ディアナが纏うは、私とは対照的に無数の水滴や微細な氷の結晶。それが光を乱反射し、淡い光が彼女を包む。
周囲には、流体で造られた幾つもの魔女たち。
……やはり、感心するしかない。
私が入念な準備の元、ハッターの補助ありでなんとか繰り出した魔術を、この女は即興で編み出してみせたのだ。
だが、魔術の規模は見積もって同等。
なら勝敗を分けるのは、双方の魔力量……!
「征きなさい……!」「……逝きなさい」
火炎の死霊と流水の魔女が同時に動き出す。
それらはぶつかると同時に相殺される。やはり威力は同じ。
死霊どもが魔女に掻き消される。魔女どもが死霊に蒸発させられる。
膨大なまでの濃霧が私とディアナの間で立ち込める。
「無駄よ」
真白の幕の向こうから、ディアナの声だけが届く。
「私の固有能力だけではない。魔法勝負においても貴女は私に敵わない。たとえ、貴女が天才だとしても!」
霧の向こうから二体の魔女が飛び出してくる。
それを死霊で相殺する。高温の水蒸気が肌を灼く。
「……少し、昔話をしましょうか。ある二人の魔女の姉妹の話よ―――」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
むかしむかし、あるところに魔女の郷と呼ばれる魔女が集まった村がありました。
そこには神童と謳われた幼い魔女と、その姉がいました。
姉妹の仲は良かったですが、彼女たちの親は彼女らを平等に愛すことはありませんでした。
ですが、それはこの郷においては至って普通のこと。
魔女は優秀でなければその存在価値はありません。
姉は不出来というわけではありませんでしたが、どうしても天才の妹とはいつも比較されていました。
姉は、愛に飢えていたのです。親から与えられるはずの、当然の愛に。
なので姉の魔女は一生懸命に努力しました。両親から褒めてもらうために。両親に『よくやった。流石は私達の子だ』と、そう言ってもらえるように。
ですが、姉が成し遂げたことはすぐに妹に追いつかれてしまう。その度に両親はこう言うのです。
『流石は私達の子だ。この若さで、姉と同じことができてしまうとは』
屈辱でした。失望しました。そして、憎悪しました。
妹にではありません。愛を求め、愛を向けて、愛に報いようとしたにもかかわらず、愛を返さないその両親に対して。
なので、殺しました。
愛に、愛を返さない人間など、姉の魔女にとっては不要なのでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「その姉の魔女は郷の掟により殺されることを恐れ、郷から出奔しました。そして、愛で満ちた世界を実現するため、奔走するのです。めでたしめでたし」
……追撃が来ない。相手の方も魔力が尽きたか。
色々と準備を施してきたようだが、それも私の前では無意味だったようだ。
わざわざ得意な氷魔導も使わず、威力の高い炎魔術を使ってきたのにもかかわらず、可哀想なことだ。
だが、そんな姿も愛おしい。
さあ、出てきなさい。その哀れで愛おしい姿を見せてみなさい。
貴女だけは殺さないであげるわ。ただ一人の肉親だもの。
その細い首に輪っかをつけて、愛玩動物のように飼い殺してあげるわ。
「―――熱っ」
……? 熱い?
……ああ、攻撃の余波で少し火傷を―――火傷?
おかしい。私は正義からいただいた能力のおかげで、あらゆる攻撃から守られているはず。
それが、たとえ余波だとしても、傷つくような威力にならないはず。
いや、そもそも、どうして私の全力に対応できている……?
まるで、最初から私を殺す気で―――
―――その時、ウィザが霧の向こうから現れる。
身体を高温の水蒸気で焼かれながら、必死の表情で。
手には、氷でできた短刀。高温の中でも溶けず、その鋭い切っ先を、私の心臓に向けて。
「ディアナぁぁぁあああああ!!!!!」
……ああ、そうか。そうなのね。
私の愛を防ぐ術はない。
なのだとしたら、能力は効いたまま……私を愛した上で、殺そうとしていたのね。
ああ、そんなの、防ぎようもない。
その短刀が、私への愛なのだから―――
―――私は、それを受け入れるわ。
『おねーちゃん!』
これは、走馬灯?
不格好な魔女の装束に身を包んだ幼い女の子が、はにかんだ笑顔をこちらに向けている。
手には氷で作った一輪の花。
……そうだわ。これは、あの子が初めて氷魔道で作った、私への初めての贈り物……。
『えへへ……おねーちゃん! おたんじょうび、おめでとう! ずっと、だいすきだよ!』
………………ええ。ありがとう。
……私も、
「愛しているわ。ウィザ」
頬を伝う雫をそっと指で掬う。
それを最後に、彼女の腕は力なく落ちた。
「…………………………」
「……、リーダー」
「シャトン、そっちも終わったようね」
「……ニャァ」
シャトンはそっと自身の背後に目を向ける。
そこにはバロンとゴエモンによって捕縛されたカインの姿があった。
「慈愛様……慈愛様ぁ……! ぅぅ……ぅわぁぁ……!」
彼は涙と鼻水、涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら、うわ言のように慈愛の名を繰り返していた。
ディアナが死んだことを理解したのか、心を喪った廃人のように抵抗もせずに泣き続けている。
カインに戦う意志は既にない。脅威は、もう無い。
「……魔女、ウィザ」
二人に声をかけたのはゲオルゲであった。
彼は体を引き摺りつつも、歩ける程度には回復したようだ。
「今回の助力、感謝する。貴女がいなければ、この悪女を倒すことは―――」
「悪いけど、今、話す気分じゃないの。あっち行っててくれる」
「……。失礼した」
ゲオルゲはそれ以上語ることなく、ウィザの下から離れる。
金縛りに遭っていた仲間たちの状態を確認し、問題がないことを認めると、仲間たちとともに“七つの美徳”に捕らえられていた民間人の救助に専念し始めた。
民間人を救助している間も、ウィザの近くには近寄らないように気を回しながら。
そうして、暫くした後に残ったのはウィザの一派と一人の遺体のみ。
シンとしたその空間に、ようやく啜り泣く声が静かに響き始めた。
―――“慈愛の徳”、撃破。
【裏設定】
本編で触れる機会がなかったカインについてですが、グハッツ洞窟での一件の後、弟アベルの顔に深い傷が付いたことで“二人で一つの美青年”としてのアイデンティティが崩壊し、『慈愛に見捨てられるのでは』と不安に駆られるようになります。
そこでカインは弟であるアベルを手にかけ、知恵の徳に頼み込んで、顔と臓器の半分、両腕をアベルのものと取り替えます。
このことに慈愛は『兄弟愛より私への愛を取った』と感激しますが、執刀した知恵は大いにドン引きしたそうです。




