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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第六章 善と悪の詩〜決戦、七つの美徳編〜
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第114話 四徳との開戦

 細い通路を抜けた先は、地下とは思えない青空が広がる空間であった。

 だが、それが天井に塗られた偽りの空だと気づくのに、そこまでの時間はいらなかった。

 そこは、どこぞの離宮の庭園のようであり、白のフルーランス式の建築に緑の草木が視界を埋め尽くす。

 そして鼻腔をくすぐる花々の匂いと、また別の甘ったるい匂い。

 よく観察すれば、草木の陰に紛れて何かが蠢いている。何かと目を凝らした誰かが驚きの声を漏らした。


「ぅわっ!?」


 それは裸でまぐわる男女であった。

 彼らだけではない。よく目を凝らせば至るところで盛りあい、よく耳を澄ませば嬌声と濡れた肉がぶつかるような音が響いてくる。


「……悪趣味な」

「悪趣味? いいえ、これが生命のあるべき姿。人と人が愛し合う、真実の姿なのです」


 あまりの光景にゲオルゲが思わず零した感想を掬う者がいた。

 視線をその者の方に向ける。


 艶のある黒曜石の長髪。透明感のある白真珠の肌。細い腰と相対するように主張する豊満な胸。長い手足からくる抜群のプロポーションを誇る肉体に纏わるは、薄絹の衣一枚のみ。

 男ならず女までも虜とする絶世の美女。その名は―――


「……“慈愛の徳(ラヴ)”、捕捉」

「ようこそ、おいでくださいました。さて、それでは……あいし合いましょう?」


 慈愛(ラヴ)は自身の名の通り、慈愛に満ちた金の瞳をゲオルゲ達に向ける。

 瞬間、ゲオルゲはそれが攻撃だと即座に気づいた。


「皆、ヤツの目を見るな! ()()だ!!」


 ゲオルゲの忠告に合わせて同行した戦士たちが視線を逸らす。だが、半数が間に合わなかったようだ。

 自由に動けるのはゲオルゲと、最初からフードで視線を外していたのかコートの四人だけ。


(金縛りの魔眼……! それもかなり強力な代物だな。自力での解除は不能か……ならば!)


 ゲオルゲが飛び出す。術者である慈愛(ラヴ)の意識を乱せば解除の糸口となる、そう判断してのことだ。

 旋風竜の魔石を失ったとはいえ、彼の速度は以前にも劣らない。

 瞬きの隙すら与えず慈愛ラヴの眼前へと迫り、広刃槍(パルチザン)を彼女の胸元に突き立てる―――!


(覚悟―――、っ!?)


 それは、誰の目からも見ても判る異常。パルチザンの切っ先が彼女の肌に触れる寸前、ゲオルゲの動きが完全に停止したのだ。

 魔眼の影響ではない。そのような愚を、歴戦の勇士であるゲオルゲが犯すはずもない。


「こ、れは……!」

「あら、いきなり襲いかかるなんて。どうしたの? ()()()

「ッ……!」


 瞬間、ゲオルゲは理解した。これが慈愛(ラヴ)の能力なのだと。

 今、ゲオルゲの目には慈愛ラヴの姿は写っていない。代わりに、自身の妻の姿が重なって見えていた。

 いや、姿だけではない。眼差し、声、言葉遣い、匂い、どれをとっても彼女と寸分違わない。

 目の前にいるは彼女ではない。彼女に扮する敵なのだ。そんなことは頭では理解している。

 しかし、それでも、愛する者を刺し貫くことは彼にはできなかった。


 ゲオルゲは未だ動けない。そんな無防備な彼の横腹へ鋭い蹴りが入る。


「が……ッ!」


 掠れた声が漏れる。まるで巨大なメイスで殴られたかのような衝撃。

 彼の体は抵抗できず、衝撃の勢いのまま横方向へと吹き飛ばされ、植え込みの中へと突っ込んだ。

 横腹の痛みに悶絶しそうになる。それをぐっと耐え、ゲオルゲは蹴りを入れた者を確かめるため、自身が飛んできた方向へ視線を向ける。


慈愛ラヴ様にそんな無粋なものを向けるんじゃないよ。カスゲスがッ!!」


 ゲオルゲを蹴り飛ばしたのは、白銀の髪を持った半裸の男だった。

 だが、その風貌はその一言だけで済ますには、あまりに異形であった。

 遠目から見たらただの男。しかし、右半身と左半身で与える印象が異なる。まるで別の人間同士を縦に両断し、繋ぎ合わせたかのようだ。

 そして、自身を蹴り飛ばした右脚……否、両脚、そして両腕までもが、くろがねのような鈍い黒に染まっている。


「ありがとう、カイン……いえ、アベルだったかしら?」

「どちらでもお呼びしやすい方を。()はカインであり、()はアベルでもあります。……それより、あの礼儀知らずなゴミにとどめを刺しておきましょうか?」

「いいえ。彼はもう戦闘不能……仮に動けたとしても、私たちには二度と手を上げないでしょう。それよりも―――」


 慈愛ラヴの瞳孔には、フードの四人組が写っていた。

 歪んだその目元は、斃すべき敵としてではなく、懐かしい誰かとして彼らを捉えているようであった。

 その視線に応えるかのように、四人の内の一人、先頭に立っていた女がフードを脱いだ。


「―――ようやく会えたわね? ()()()

「……お久しぶりです、お姉様。そして、もう会うことはないでしょう」



 ―――――――――



「あのハン族の娘から聞いていた特徴から、アンタが“知恵の徳(ウィズダム)”ね」

「凡俗めが。答えが自明な質問をするんじゃない」


 問答をする二人を他所に、シヴァステャンは今いるこの場について『異様な空間だ』と感じていた。

 まるで坑道のように薄暗く、松明とも魔力光とも違う、七色に移り変わる照明が空間を照らしている。

 空間の隅には無数のランプが明滅する謎の箱、見たこともない生き物が蛍光色の液に浸された巨大なガラス管、人手代わりの白い自動人形(オートマタ)。その場にある何もかもがシヴァステャンにとって初めて見るものばかりであった。


 呆気にとられていたシヴァステャンであったが、突如として空間を青い光が包んだことで意識は敵へと戻る。


「こ、これは……! 何を……!?」

「気にすんじゃねえ、障壁(バリア)を張っただけだ。そっちには狂暴な狂戦士(ベルセルク)がいるんだからな、戦闘の余波で大切な研究資材が壊れでもしたらたまったもんじゃない」

障壁(バリア)……? バカな、素人目でも理解できる。これは闘技場を覆っていた魔力壁と同等……いや、それ以上! 十数人の術師が細心の注意を払い練り上げるそれと同等以上のものを、こんな簡単に……」

「それができるんだよ。できるからこその“知恵(ウィズダム)”の名だ。それすらも予測つかないのか? 莫迦が」

「なにっ!?」


 シヴァステャンが腰に差す剣の柄に手をかける。

 今にも刃を抜き、斬りかからんとするほどの殺気。

 だがそれを受け、知恵ウィズダムは恐れるわけでもなく、逆にそれを待っていたと言わんばかりに口角を歪ませる。


 一閃、銀の剣筋が翔けようとしていた。

 しかし、それを彼の主は片手で遮って抑える。


「……お嬢様」

「ガラにもないわね」

「……申し訳ございません」

「フン。それに、今回は貴方の出番はないわよ」

「……承知しております」


 先程までの殺気が嘘のように、シヴァステャンは凪いだ水面のような平静さを取り戻していた。


「なんだ、つまらん。ハン族といえど、結局は牙を抜かれた飼い犬か」

「何とでも言うが良い。貴様を斃すのは私ではない」

「ええ、その通り! 貴方を斃すのはセバスでも、ましてや私ですらない。貴方の相手はこのバルザークよ!!」


 名を呼ばれ、ゆっくりと、一歩、足を踏み出す。

 その一挙動だけで、大地が揺れたような錯覚に襲われる。

 既に彼を拘束する封印は全て剥がされている。

 彼を抑えるものは何もない。次に顕現するのは、暴力の嵐だ。


「“狂戦士(ベルセルク)”バルザーク……。確かに、俺とは相性最悪だろうな」

「さすがは知恵者、状況把握は完璧なようね。その潔さに免じて、降伏するなら命だけは―――」

「だが、それを知ってて対策していないほど、俺は莫迦じゃない」


 知恵(ウィズダム)が腕を振り上げる。その手に収まっているのは、謎の筒。

 そして、彼はその筒に付いていたボタンを押し込んだ。


 照明が落ちる。暗黒に包まれた空間の中、知恵ウィズダムの背後にあるガラス管が妖しく光っていた。

 黄緑色に光るガラス管の中、得体の知れない影が蠢いている。

 細長い躰、頭部から伸びる一対の角。四肢は無く、代わりに胴から広がるのは蝙蝠のような恐ろしき翼……。

 その姿はまるで翼を持つ蛇……否―――


「さあ目覚めろ! ()()()()()ッ!!」


 影が今、自身を閉じ込めていたガラス管を突き破り、産まれ出る。

 凶悪さを絵に描いたようなその姿は―――まさに、竜そのものであった。



 ―――――――――



 彼らの眼前に広がるのは、世界のどこを探しても超えることのない荘厳なる大聖堂の空間だった。

 空間には優しい光が満ちており、天を仰げば遠くの天井を覆い尽くさんほどの宗教画。壁面には聖人たちの像が立ち並び、正面には天を衝くほど巨大なパイプオルガンが鎮座している。

 パイプオルガンは神を讃美する音色を奏で、その周りには純白のローブで顔を隠す二十人の男女がコーラスを響かせていた。

 その光景に彼らは一時驚愕し、あるいは見惚れ聴き惚れていたが、それも演奏が終わるまでのこと。


 オルガンの演奏台に座っていた男が腰を上げる。

 その者は、白が基調であるこの空間にあって異色を放つ黒の神父服キャソックに身を包む。

 それは一見、普通のことにも思えるが、彼の立場を知る者であれば何らかの意図……()()()そのような恰好をしているものと思い至るだろう。

 彼の名はジューダス。元・教皇にして、裏切者(ユダ)。―――七つの美徳の幹部が一人、“信仰の徳(フェイス)”と呼ばれる男であった。


「―――さて。そろそろ他の皆も戦闘に入った頃合いか。では、こちらも始めるとしよう……。ところで……君達は神を信じているかい?」

「……“信仰の徳(フェイス)”、確認。これより戦闘を開始する」


 マックスのその静かな号令とともに、彼ら―――聖十二騎士(ゾディアック)から選ばれた九人は各々の武器を抜く。


「……ふぅ、やれやれ。会話もなしに即時に戦闘態勢とは。戦闘集団であることは認めるが、騎士なら騎士らしく余裕と優雅さも持ち合わせなければならない。そうアルに教わらなかったのかね?」

「生憎とな。それに、お前も知ってんだろ。アイツは父親譲りの戦闘バカだってことはよ」


 集団の中から、一人の初老の男が身を乗り出す。

 手には馴染みのリボルバー。その銃口は信仰フェイスを捉えて離さない。


「……まさか無事だったとはね。“苦しみの杭(スタウロス)”で今も動けないものと思っていたよ、()()()

「今更あだ名で呼んでんなよ、敵前だぞ」

「それもそうだ。では―――」


 信仰フェイスが指を鳴らす。その合図とともに、讃美歌を歌っていたコーラス隊が顔を覆い隠していたローブを取り払う。

 顔が露わになった者の中、その中に一際注目を集める男がいた。


「っ! 団長、あの男……!」

「ああ。道理で捜しても見つからないわけだ。まさか、信仰フェイスの支配下に置かれているとは」


 その男は、かつて闘技場の英雄と呼ばれていた男。

 だが、その本性は残忍そのもので、多くの命を奪い、ある一国の姫をも蹂躙し、その応報として鬼神に敗れた男。

 殺人鬼“殺人坊や(キラーベイブ)”の正体であり、七つの美徳幹部“勇気の徳(カーレッジ)”でもあった男。

 名を―――


「タッカス……!!」


 タッカスは虚ろな表情のまま、名を呼ばれても全く反応を見せない。

 恐らく洗脳に近い何かをされたのだろう。そして、その何かを行ったのは、まず間違いなく信仰フェイス

 疑いの目を感じ取ってか、信仰フェイスはどことなく自慢げに語り始める。


「君達がどれだけ真実を把握しているのか知らないが、彼もまた“七つの美徳”の一員でね、かつては私と同じく“勇気の徳(カーレッジ)”と名乗ることを許されていた。しかし、度重なる失態、そして自身の正義である勇気を捨てたことで始末の対象となってしまった。とはいえ、かつての同胞だ。恩情として、精神をほんの少しだけ破壊して……失敬、失言だ。私手ずから神の素晴らしさを説き、神の下僕しもべとなることで生き永らえさせているというわけだ」

「……他の面子も同じって訳か」


 タッカスと同じくローブから顔を曝した他の人等も、同様に虚ろな眼差しで空を見つめている。

 何をしたのかまでは計り知れないが、ただ教えを説いた訳ではないのだろう。


「ああ、その通りだとも。彼らは献身的な神の徒……それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ッ! いけない―――!」


 マックスが叫ぶが早いか、タッカスを始めとした男女らの身体が強く眩き始める。

 それは、人の肉体から神に近しい存在へと引き上げる時に放たれる光―――。


 “天使化の光”であった。



 ―――――――――



 大剣を、力いっぱいに振るう。

 手のひらに伝わるのは、肉が引き裂かれる感覚と硬い骨が砕ける感覚、あと人間一人分の重みだ。


「ぉぉおおおおおおお!!!」


 腕を伝って迫りくる不快感を払い除けるように雄叫びをあげ、大剣を真横に振り抜く。

 感じていた重みは抜け落ち、残ったのは胴体の厚みの半分まで斬り裂かれた哀れな残骸のみだった。


 顔は知らない。縫い止められたかのように貼り付いたピエロの面は激しい戦闘にあってもずれることなく、その顔は今後永久に知ることはないだろう。

 当然、名前など知りようもない。そして、笑いながら殺そうとした、その真意すらも。

 ……考えたところで仕方がない。どうせ、何も分からない。

 それより今は、役目を果たしたことを報告するのが優先だ。


「こっちはこれで最後だ! まだ残っているところはあるか!?」

「大丈夫! こっちもこれで……ラストッ!!」


 リンの返答のすぐ後に、鈍い打撃音が響く。

 音のした方に目をやれば、顔面を陥没させたピエロが倒れているところだった。


「雑魚はこれで全員。残すは、大本命だけよ」


 リンはそう言いながら、拳に付いた粘度の高い血液を振り払う。

 オーガの如きその威容に仲間として安心を感じるとともに、恐ろしくも感じてしまう。

 周りを見渡す。他の仲間たちも大きな負傷は無さそうだ。

 しかし、リン以外の消耗が激しい。それもそうだ。

 リンは雑魚と一蹴したが、それでも戦闘に慣れた成人が相手だ。

 それを、一人当たり五、六人相手にしなければならなかった。

 ……まあ、そこんとこは一人で十数人相手にしたリンに不満は言えないが。


 ともかく、今現状で十分に戦えるのはリン一人。

 直接戦闘が不可能な俺たちは、彼女のサポートに徹する他ない。

 対して、相手は―――


「いやはヤ、オ見事。実ニ見事な奮戦ぶりでしタ。ワタクシ、思わず涙がちょちょ切れるかト」


 演劇もかくやというほど大振りな感情表現で嘘の悲しみを演じる。俺達を嘲ってのことだということはすぐに分かった。


「随分と余裕ね。数では不利なくせに」

「エエ。デスガ、小蠅ヲいくら集めてモ小蠅の群レ。アナタほどノ大物ヲ相手にするなラともかク、有象無象なド、物の数にハ入りませン」

「っ……」


 言い返してやりたかった。だが、実際に何を言い返そうが、俺達ができることは限られている。

 今はただ、リンと節制テンパランスの戦いを邪魔せずに見届けるしかできない。

 その事実に、自身の不甲斐なさに、怒りしか沸かない。


 そうこうしているうちに、二人はどちらからともなく戦闘の態勢を取る。

 ……戦いが始まる。張り詰めた空気がそう物語っていた。


「…………ッ!」

「ッ……!」


 最初に動いたのは、コンマの差で節制の方だった。

 しかし、リンはこれにすぐ対応する。節制が手に持つ手鎌を振り上げた直後、最速の打撃――秘技“空子”を放ったのだ。


「うオッ!」


 見えたのはそこまでだった。突然の破裂音とともに吹き荒れた突風に思わず目を瞑ってしまう。

 衝撃波ソニックブームがビリビリと肌を打つ。リンの拳が音速を超えた証左だ。

 これには流石の節制といえど無事では済まないだろう。

 ……風が止んだ。俺は勝利を確信し、吹き飛ばされた節制の姿を見てやろうと閉じていた瞼をゆっくりと開く。


 開いた視界の先には、拳を突き出したまま微動だにしないリンの姿。

 その拳の先に、節制の姿はなかった。


「……ごフッ」


 突如、リンの口の端から赤黒い液体が滴り落ちる。

 それが吐血だと気付いたその時、リンの腹部から真っ赤な鮮血が噴き出した。


「リン!!!」


 膝から崩れ落ちるリン。

 一体、いつ攻撃された? リンの“空子”は音速すら超える最速の一撃。それを躱し、あまつさえ反撃するなど、通常なら不可能なはずだ!


「オヤオヤ、腹ヲ捌いテ内臓まデ到達していタはずなのですガ」


 節制の声が響く。それはリンの背後からだった。


「……なるほド、そノ鍛え抜かれタ腹筋デハラワタガまろび出なイよう二押さえていルのですカ。コレはすごイ! 流石ハ英雄級デすネェ」


 姿を見せた奴は、リンとは対照的に全くの無傷だった。その事実が謎を加速させる。

 なぜ空子を受けて無傷でいられた? いつリンの背後に回った? 何らかの魔導か……いや、そんな素振りは見せなかった。じゃあ、一体どうやって?

 それらの謎は、事前に伝えられていた一つの情報に帰結する。


()()()か……!」


 時止め。時間の停止。双竜大戦終結の後、ヒロから共有されていた、その情報。

 なぜ、この瞬間まで忘れていた!? 確か、一瞬のうちに何回も斬り裂かれたとヒロは言っていた。

 その場で一撃で仕留めなかったのは奴の嗜好か。それとも、()()()()()()()()()()()()()()。現時点でそれは定かじゃない。

 一先ずは、奴は時を止められる、ということは分かった。


 だが、それでどうする?

 時を止めることができると分かったところで、止められたらどうすることもできない。防御も回避も反撃も不可能だ。

 そして何より、停止のタイミング――何を起点スイッチにして時を止めるのかが分からない。これじゃあ、奴の思うがままだ。

 どうする……? 一体、どうすれば―――!?



「―――“炎の球(ファイアボール)”ッ!!」



 背後から、高熱の火球が頭上を通過して節制に襲いかかる。

 だが、それは当たらなかった。危険を察知した節制が飛び退き、回避したからだ。

 だが、その一瞬の隙をリンは見逃さなかった。


「秘技の、参! “虎掌”ッ!!」


 彼女の掌底は空気の塊となり、着地間際の節制に迫る。

 だがこれも、節制の眼前で両断され、奴に命中することなく脇を素通りする。

 節制が着地する。リンの追撃はない。一瞬の静寂がこの場に訪れた。


「……小蠅ガ。鬱陶しいデスネ」

「あら、その小蠅を物の数にしなかったのはアナタ自身でしょう? だったら小蠅は小蠅なりに、必死に抗ってみせるわよ」


 大見得を切って見せたのは、まさかのアリスであった。

 先程の炎の球(ファイアボール)は、アリスが放ったものだったのか。

 呆けていると、目の端で何者かが素早く動いているのを捉える。それは、敏捷強化を受けたクリスだった。

 彼女は戦闘の合間の僅かな隙をつき、節制の標的にならないよう大回りでリンの下へ駆けつけ、即座に治療に当たっていた。

 彼女に敏捷強化をかけたのは、紅薔薇の騎士団のいずれかだろう。

 俺がリン達の戦闘に怯んでいたその間に、彼女らは自身ができることを考え、行動していたというのか。


「あと、アンタの時止め。遠目から見ていたおかげで色々と分かることがあったわよ」

「……ナニ?」

「その1、『時止めは連続して行えない』。私が炎の球(ファイアボール)を撃ったとき、時を止めずに回避したことから、これは間違いない。

 その2、『時止めは空中では使えない』。まあ、考えたら妥当よね。自分以外の全ての時が止まっているのなら、自分に働く重力すら止まっているんだもの。加えるのなら『攻撃は近距離の直接攻撃のみ』『投擲などの自分から離れたものには作用しない』も入るのかしら?

 あと、時間制限もあるのでしょう? 制限がないのなら、リンに何回でも攻撃もできたでしょうし、距離の開いたアタシ達にも今この瞬間にでも攻撃できているのだから」


 自信満々に推論を立てるアリス。だが、これは胸のうちから湧き出る恐怖を抑えてのものだろう。

 その証拠に、杖を握る手が小刻みに震えている。

『距離がある自分に攻撃できない』と豪語はしているものの、それはあくまで推測。実際に攻撃される可能性を、彼女自らが捨てきれていないのだ。


「……クク。オ見事でス。よクこの短イ時間デそこまで把握できましタネ。デスガ、把握しタところデどうだト言うのでス? 貴方がたガ時止めニ対応できル訳ガ―――」

「その3。『時止めの起点はその手鎌を振り抜くこと』」


 節制が黙った。それは、アリスの推測を肯定するものだった。


「……ヨク、見抜きましタネ」

「アンタの反応を見るまで半信半疑だったけどね。

 教養ってのは大事なものね。アンタが持っている短剣……“神斬りの鎌アダマンティンハルペー”って言うそうね。それって確か、異国の大神が自らの父を討つために使った剣と同じ名前じゃない。そして、その大神が司っていたのが農耕と、()()()()。それが、“時間”。

 そこに、時を止めるアンタの能力。繋がっていないって言うほうが無理があるわよ」

「……ンフ、ンフフフ。ゴ名答!! 実に見事ナ推理でしタ! ンフフフフフフフフ!!」


 節制が不敵に笑う。図星をつかれて焦った上の誤魔化しでは断じてない。

 心の底から。恐らく、今まで対話してきた中で一番本心を曝け出している……そう感じた。


「ソレデェッ? 手品のタネが割れタところデ、アナタ達ニ何ができルト言うのでス?!」

「っ……!」

「ソウでしょうとモ、そうでショウとも! ワタクシの時止めノ原理ヲ解明シヨウとモ! アナタ達にデキルことナド! 余りにモ少なイィ!!!」


 節制が高らかに笑う。対し、俺達は唇を噛み、恨みがましくその様を睨むことしかできない。


「アァ、アアッ、()()! トテモ、トテモイイ!! 過分ナ力などナクッ、分相応な無力ヲ身を持ッテ知るソノ表情ッ!

 ソウ、コレこそがワタクシの追い求める世界ィッ!! 一片のムダが排除された()()()()()()()()デス!!!」


 ―――悪魔が、笑っている。

 他者の欲望も、意思も、希望も、尊厳さえをも無駄と嘲笑い、抑圧し、削ぎ落とす。節制を司る悪魔が笑っていた。

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