第109話 死神の覚悟
《前回までのあらすじ》
激戦を終え、和解したヒロとイリス。その場に“七つの美徳”が姿を見せる。
満身創痍の二人に訪れた絶体絶命の危機に、そこへさらに裏切り者のグリムまで姿を現す。
奪った旋風竜の竜石をグリムが“七つの美徳”に引き渡そうとしたその時、グリムの影からシヴァステャンが現れ、首魁である正義に刃を向ける―――!
「その首、貰い受けるッ!!」
サーベルの刺突が一直線に敵の喉元へと伸びる。
完全なる不意打ち。これを視界に捉えてから動くことなど、たとえ獣の如き反射神経をもってしても不可能だろう。
そして今、切っ先が肌に触れようとしていた。
「―――鈍い」
バチり、と、音がした。
それは駆け抜けた三つの雷閃の音なのか。はたまた、サーベルが四分割に砕けた音なのか。
定かではない。定かではないが、これは……
(危―――!!)
己が飛び退くより早く、背後の存在によって自らの身が引っ張られる。
そのタイミングを見計らったかのように、自身がいた空間が無数に切り刻まれる。
何によって切り刻まれたのか、どのようにして切り刻まれたのか、一切が不明。
だがしかし、間違いなく九死に一生を得たという確証はあった。
「今のはっ!?」
「さあな……貴様が見切れぬのなら、俺では到底見切れぬだろうよ……。ともかく……」
「ああ。ともかく、奇襲は失敗のようだな」
執事服に身を包む白髪白髭の剣士―――シヴァステャン。そして、全身を黒に覆い不気味な髑髏の面を付ける男―――グリム。二人が並び立つ。
それはヒロからしたら異様な光景だった。
彼らは――ヒロたちと分断される前は――確かに相争う敵同士であったはずだ。
それが何故、肩を並べて立っている……?
「ヒロ……。無事……ではなさそうだな……。待っていろ……」
グリムがヒロの首元へと手を伸ばす。
すると重なって影になった部分が小さな黒い触手と化し、ヒロの傷を縫い合わせていく。
「ぃツっ……!」
「我慢、しろ……」
「グリム、これは一体どういうこと? なんでアナタとシヴァステャンが一緒に戦っているわけ? アナタは“七つの美徳”側じゃなかったの?」
喋る余力もないヒロの代わりに、イリスが感じていた疑問を全て言葉にする。
「…………それは……」
「姫様、コヤツの話を全て聞くには時間があまりにも惜しい。代わりに私が答えましょうぞ」
そう言い放つとシヴァステャンは腰に帯びたもう一本のサーベルを抜き、これを敵―――“七つの美徳”に向ける。
「全ては奴ら……“七つの美徳”の思惑の上! 我々ハン族が無謀にも帝国に反乱を起こしたのも、奴らの計画の上だったのです!!」
それは、余りにも突拍子のない告発であった。
ヒロにとっても、そして何より、イリスにとって余りに理解しがたい事柄であった。
「嘘かとお思いかもしれない。しかし、事実なのです! このグリムという男、その正体は東シュラーヴァの暗部の者。“七つの美徳”へは、密偵として接触していたようです。その最中、彼は知る! ここ十数年の不可解な事件事故の裏に奴らの魔の手が潜んでいたことを! そして、十年前のハン族の反乱もその一つ! 我々は……彼らによって道化を演じさせられていたのです!!」
“七つの美徳”は何も語らない。反論なども一切しない。
それは、シヴァステャンの言を暗に認めていたからであった。
「……そういう……ことだ……」
「………………嘘だ……」
ヒロの裾が強く掴まれる。
視線を上げれば、呆けたような、今にも泣き出しそうな、混乱したイリスの顔が見えた。
「イリス……?」
「嘘だ……。そんなはず、ない……。だって……遺された私たちを、彼らは拾ってくれた……救ってくれた……。私に、希望を示してくれた……。誰も苦しまない“正義に満ちた世界”、それを叶えるために、私は、私たちは……!」
裾を掴む手が震えていた。
目には大粒の雫を浮かばせ、唇がふるふると痙攣を起こしていた。
「嘘だと言ってよ! ねえ!! 正義ッ!!」
……信じていたのだろう。
たとえ、自らの行いが正しきものではないと気付いていながらも、彼の思想と心だけは正しいと、そう信じていた。
だからこそ、シヴァステャンの言葉を鵜呑みにすることはできなかった。
だからこそ、その真偽を彼の口から直接聞きたかった。
彼は―――正義は、未だ表情を崩さない。
姿を見せたその時から、冷徹なまでの無表情がその顔面に貼り付けられていた。
彼は、一つだけ息を吸うと、ようやく言葉を紡ぎ始めた。
「嘘などついてはいない」
本心であった。疑いようのない真っ直ぐな瞳で、彼は宣った。
「我々の目的は唯一つ。“正義に満ちた世界を創る”……誰も苦しまない世界もその一つだ」
「……じゃあ……」
「但し」
その一言で、彼女の希望に罅が入る。
「そのために必要な犠牲は当然あった。ハン族……彼らもまた、新たなる世界には必要な犠牲だった」
希望は、完全に打ち砕かれた。
まぶたに溜まっていた雫が零れ落ち、一筋の跡となって頬に残る。
イリスは溢れる感情を噛み殺すように、自分を奮い立たせるかのように、唇を噛み切る。
「……そう。分かったわ」
ゆっくりと立ち上がる。既に使い果たしたはずの気力を、最後の一滴まで振り絞る。
覚束ない足取りでフラフラと、しかし一歩一歩、確かに踏みしめながら前へと進む。
シヴァステャンの一歩前で立ち止まると、彼女は大剣を大きく振るう。
出来上がったのは、彼女の目前の地面に一本の線。
道は別たれた。
「よく、理解できた。貴方達の望む世界に私達の希望がないことを。ここに、“希望の徳”の名を返上させてもらう。これより私は亡族の姫、イリス・ハンとして貴殿らを誅する!」
その瞳には、しっかと闘志の炎が灯っている。
ここに裏切られ傷ついた、か弱く哀れな少女などいない。そこには一人の戦士が立っていた。
「…………」
「正義、話は済みましたカ? それでハ、改めてここからは反逆者の制裁、そしテ、邪魔者三人の排除の続きを……ッ!?」
意気揚々と前に出る節制が何かに気付き、その動きを止める。
その視線は足元に。見れば、地面に張った無数の影の触手が彼の体を絡め取ろうと待ち構えていた。
それは自身の足元だけではない。“七つの美徳”全員を囲い込むかのように張り巡らされていた。
「……今更……気付いたのか……」
(付近一帯に影の結界ッ!? なんの媒体もなイこんな開けた環境デ、このレベルの影魔導ヲ……!)
「……やりますネェ」
そうは言うものの、囲まれたはずの全員が涼しい顔で意に介さない様子でいた。
ここから抜け出す技でも持っているのか。それともハッタリか。
どちらにせよ、今すぐ行動を起こすわけでもないようだ。
シヴァステャンはこれを好機と見た。
「姫様、貴女はもう既に満身創痍のはず。ここは私とこの男に任せ、避難を―――」
「いや……ここは、俺一人で方を付ける……。お前は……ヒロとこの女を連れて、逃げろ……」
シヴァステャンの言葉を遮り、グリムが名乗りを上げる。
影から漆黒の大鎌を取り出し、既に臨戦の態勢で“七つの美徳”を睨みつけている。
「……この浮島は……もうすぐ崩壊する……」
「……なぜ貴様がそんなことを知っている?」
「元々……そういう計画だ……。それに……勘付いているだろう。先程から……地響きが、止まらない……。数分もすれば……ここも崩壊に、巻き込まれるだろう……」
そこでヒロとイリスは浮島で起こっている異常に気付く。
直前まで激しい戦闘を行っていたとはいえ、明らかに被害の規模が大きすぎる。
遠くに目をやれば、北方にあったはずの山が崩れ、そこかしこから崩落を伝える土煙が天に舞い上がっていた。
「ちょ、ちょっと待てっ……ガフ、ゲフッ!」
ヒロが慌てて身を起こす、が、体力が戻りきっていないため仰向けからうつ伏せになることしかできず、縫合したばかりの喉から出た血が口から噴き出した。
そんな彼に、グリムはちらりと心配するかのように視線を向ける。
「ちょっと待てよ……! このまま、お前一人、ここに残るつもりか……!」
「……そう、言っている」
「そんなあからさまな死亡フラグおっ立てといて、みすみす『はいそーですか』って置いていけるか!!
ッ……ゲホッゲホッ!」
「ヒロっ!」
何度も口から赤黒い血を垂れ流すヒロ。
その姿にイリスは横で支え、今できる精一杯として背を擦ることしかできない。
「……縫い合わせたから、と言って……傷が完全に塞がったわけでは、ない……。……大人しくしていろ」
「……認めねえからな。いきなり稽古をつけるとか言ってきたり、かと思ったら突然襲うは……終いには自分を犠牲にしてまで逃がそうとしてきて……お前、一体なんなんだよ……。なんで、そこまで……」
「………………」
グリムは“七つの美徳”への警戒は怠らないまま、体をヒロの方向へと向き直る。
そして、常に外すことのなかった骸骨の面を取り外した。
仮面を外したフードの下には、いかにも普通な、特段これという特徴もない痩せぎすの中年の男の顔があった。
その顔はただ申し訳無さそうに、視線をヒロから外していた。
「……俺には……息子がいた……」
「……は……?」
「生きていれば……お前くらいの、歳だろう……。名前は……いや、ここで言う話ではない……か」
「……なんだよ、それ。生きていればって……じゃあなんだって言うんだ。お前は、僕を、その死んだ息子とやらに重ね合わせていたって言うのか?」
「……ああ」
「ふっ……ざけんなよっ! じゃあ何か⁉ お前は死んだ息子に重ねて僕の面倒を見て、スパイの任務のために已む無く僕と戦って、最後には結局お前の自分勝手で助けようとしてんのか!!?」
「……ああ。お前の言う通りだ」
顔を上げ、グリムの素顔を睨みつける。
そこには先ほどの申し訳無さげな男の顔はない。ただまっすぐと、覚悟を決めた男の顔がこちらを見つめ返していた。
「っ……。……僕は、お前が謝るまで許すつもりはない」
「ああ……それでいい。これは、俺の勝手な都合―――」
「だからっ!!」
グリムは再び少年の顔をしっかりと見る。
そこには、かつての我が息子の面影ある少年がこちらを見つめていた。
目の端に僅かばかりの涙を浮かべた、まだまだ子どもの幼さが残る顔。
だが、確かに大人としての覚悟が宿った顔でもあった。
「だから、生きて謝りに来い」
「……。……シヴァステャン」
「……ここは任せました」
シヴァステャンはヒロとイリスを抱えると、早々にその場から離脱する。
ハン族の脚力によりその姿がぐんぐんと小さくなっていくも、少年の瞳は見えなくなる瞬間までずっと自身に向けられていた。
「……さて……」
グリムが仮面を再び被り、“七つの美徳”へと臍を向ける。
彼らは変わらず影に取り囲まれた状態のまま、微動だにしていない。
「三人取り逃がしちゃったけど、良かったのぉ?」
「構わない。この場で死ぬにしろ、生き延びるにしろ、来たるべきときに裁定は下される」
弄るように問いかける知恵に、正義は粛々と答える。
「さて、君の雇用仲間くんは裏切ったが、君は裏切らないだろうね?」
「わっちは傭兵。お金さえいただければどちらでもよろしんす。今の太客はそっちでありんすえ、心配せんでおし」
「ふふふ、心配しなくても良いわよ、信仰。彼女は異国のお尋ね者。変な義理立てとかないわ」
端では信仰と慈愛、そしてイナバが談笑している。
まるで窮地にいるとは思えない雰囲気だ。
舐めているのか。しかし、グリムはその挑発に乗ることもなく、自らの魔力を練り上げる。
拡がった影の沼から、コポリと、何かが膨らむ。
沼から這い出てきたそれは、彼の姿と同じく、おどろおどろしい死神の姿をしていた。
「ホウ、それで私達を足止めするつもりですカ」
「足止め……いや、違う。俺は、この場で……お前たちまとめて始末するつもりだ……!」
瞬間、周囲を取り囲んでいた影の触手が一斉に動き出す。
それらは“七つの美徳”の足元、彼らの影へとつながっていく。
「影……なるほど。おおよそ、術者と対象を動きを連動させる呪い……所謂“影繰り”という影魔導ね」
「ってことはだ。コイツ、俺達と一緒に心中する魂胆みたいだぜ?」
「……そこまで分かっているのなら……覚悟もできている、だろう?」
背後の死神が、グリムの喉元に鎌を当てる。
少し動かして皮膚を切り裂くと、あわせて連中の喉元にも同様の傷ができる。
「……流石だな。我々を一網打尽にできる確実な方法だ。そして、それを行うに当たり、貴様には一片の恐怖もない。……素晴らしき精神性だ。今からでも遅くはない、共に新しい世界を築く気はないか?」
「……命乞いなら……もっと喚くべきだな」
「そうか。この場で摘むには惜しいが、相容れないのならば仕方ない。では―――」
なにか仕掛けてくる。正義の僅かな機微、体内の魔力のうねりからそれを本能で察する。
だがしかし、死神の鎌はそれより早くグリムの首を切り落とせる―――!
(ヒロ……すまない……お前の頼みを、聞いてやらないで……)
「―――さらばだ」
ごとりと、重たい音を立て頭蓋が大地に転がる。
それを染め上げるかのように、赤い血飛沫の雨が少しの間降り続けた。
「よかったのですカ? アナタに呪いの類が通用しないコト、教えなくテ」
転がった髑髏を嘲笑うかのごとく、節制は正義に言葉をかける。
「呪い無効の固有能力に、範囲化の固有能力。まあ奴が何をしようが正義が持つ36の固有能力がありゃ、苦労はしないだろ」
「それもそうですネ、知恵さン。それでこの後ハ?」
「撤収する。目的のものは全て揃った」
そう言って、正義は地面に転がっていた旋風竜の竜石を拾い上げる。
これで“七つの美徳”が持つ竜石は四つ―――旋風竜、獄炎竜、巨巖竜、そして天帝竜の竜石が揃った。
「五竜の最後の一体―――大海竜アクアスはどうするね?」
「アクアスの行方は目下調査中だ。だが、我々の計画を進めるにはこの四体で充分。……さあ、機は熟した」
「創めよう。正義に満ちた新たな世界を―――!」
【あとがき設定公開】
グリム・リーパは元々、東シュラーヴァ共和国における表の軍事部隊“聖竜騎士団”に所属する一介の騎士でした。
彼には妻と幼い息子がいました。しかし、ハン族の反乱の折に彼の家族も被害に遭い、妻は凌辱、息子は惨殺されました。
それゆえ、ハン族には思うところがあり、一日目の個人戦でもその気持ちが出てしまっていたのでしょう。
そして何より、反乱を引き起こした“七つの美徳”に対しては深い恨みを抱いていたことでしょう。
―――次回、新章開幕。




