第107話 常勝の皇帝
時間は再び遡る。
剣戟の音が響いている。
見れば一人の皇帝が三人の王族諸侯を相手に立ち回っていた。
豪奢な外套をたなびかせ、その手には黄金に輝く聖剣を携える。しかし、その外套も数多の斬撃により切り裂かれ、聖剣の輝きも本来の力を抑えているようにどこかくすんでいた。
「どうした、アル? 君の力なら彼ら程度、斬り伏せられるだろう」
嘲るように、その三人の背に隠れる男が問い掛ける。
男の言う通り、皇帝アルトリウスの全力を持ってすれば、一息に三人の命を絶つことは、能る。
しかし、可ない。
彼らはただ操られているだけ。本来であれば、アルトリウスとともに目の前の裏切り者を誅さんと肩を並べているはずなのだ。
アルトリウスは内心で毒づく。
「卑怯者め……! 教皇としての威厳すら忘れたか!」
「ああ、忘れたとも。信心のない愚者に慕われる偽りの教皇としての意地など、覚えていようはずもない」
「貴様……!」
瞬間、シャルル王の剣が鋭く輝き、その剣閃がアルトリウスの眼前を通り過ぎる。
アルトリウスの額に脂汗が一気に吹き出した。
「ほら、私に気を取られてばかりではいけないぞ。老いたとはいえ、彼らの本気は君も知るところだろう?」
「……クソッ!」
皇帝に立ちはだかる三人。東シュラーヴァ共和国大統領ヴラディウス、リドニック国首相イヴァン、そしてフルーランス王シャルル。
彼らは連合帝国を支える22の首長の中でも、特に武闘派であることでも知られる。
ヴラディウスは影魔導と血液魔導の使い手であり、中遠距離からの攻撃が厄介極まりない。距離を詰めようにも、そこはイヴァンとシャルルが妨害に入る。
シャルルの剣撃は先程の通り。流石はかつて剣鬼と恐れられた男、剣の腕で言えばアルトリウスに匹敵する。
加えて、イヴァンの格闘術も恐ろしい。彼が確立した格闘術は複数の武術を混合させたもの。西の拳闘術の技術に加え、東の武術の流れも組み込まれている。気を抜けば、即座に組み伏せられそうになる。
今、イヴァンの拳による連撃が遅いくる。
これを聖剣の剣身で受けるが、一瞬の油断、剣身を掴まれた。そこへシャルルが迫る。
咄嗟に剣を手放すことでこれの斬撃を躱し、腹部へ蹴りを見舞う。シャルルが怯んだ間隙に再び聖剣を手に取り、剣ごと力任せにイヴァンを放り投げる。
だが、これによりアルトリウスに隙が生じる。この隙を狙っていたかのように、ヴラディウスが影から生み出した蝙蝠の群れを差し向ける。
これは避けられない。アルトリウスは身を固め、蝙蝠の怒涛を耐えるしかない。
「アルッ!!」
背後で自身の名を叫ばれる。
「来るな! お前たちは他の諸侯を守ることだけを専念せよ!」
共にこの場にいた騎士たちにそう告げる。
騎士たち―――カルロとアンジェラ率いる帝国騎士には巻き込まれた他の首長たちの護衛を任せていた。
中には戦う力を持つ者もいるが、当然そのような者ばかりだけではない。彼らの安全を守ることこそ帝国騎士の使命であり、彼らを率いる皇帝自身の使命でもあった。
そのことは理解しつつも、助力できないことにカルロたちは歯噛みする。
「アルトリウス! 守られるばかりでは貴様ばかりが傷ついてしまう! ここは我らも―――」
「ならぬ!!」
声を上げたのはケルティン王国の四人の王の一人、リチャード―――アルトリウスとともに剣の腕を研鑽し合った猛者であった。
彼の言う通り、このままではアルトリウスばかりが疲弊する。それでも戦闘に参加させるわけにはいかなかった。
その理由は“彼らでは力不足だった”からだ。
ただでさえ本領を発揮できぬ状況。そこへさらに庇護すべき対象が前線に出てきては、アルトリウスといえど護り切ることは困難だ。
ここは単身で相手することが最善の手であった。
「グゥッ……! しかし!」
「リチャード王、落ち着いてくだせぇ。業腹だが、ここはアル―――いや、陛下の判断に従うしかあるめぇ」
今にも駆け出しそうなリチャード王を、カルロが腕で遮りながらこれを宥める。
「ディカプラ卿! ならば卿は、このままアルトリウスが嬲られる様を指を咥えて見ていろとでも言うつもりか!?」
「そのつもりは毛頭ない。だがしかし、俺等が何もできないのが現状でさぁ」
「ならばどうする⁉」
リチャード王の問に、カルロは即答できなかった。それは、他の騎士にあっても同じことだった。
“このまま皇帝を見殺しにする”。そんなこと、口が裂けても―――否、例えどのような状況であれ、言えるはずがなかった。
彼らにできることは―――
「……ここは信じるしかありません。この国の皇帝を……俺達の王を」
目の前で独り戦う男の背をしっかりと見つめながら、カルロは答える。
その答えに、リチャード王は異議を唱えることができなかった。ただ己の実力不足を悔いながらも、同じように希望を皇帝に捧げるしかなかった。
ジューダスは不敵に笑う。
正直、この計画で最も大きな障害は騎士団長マックスと、この男だ。
マックスの方は正義が出張り、抑え込むので心配はしていなかったが、問題はこの男の方だった。
既に全盛期は過ぎているものの、その手に握る聖剣と聖槍―――二つの聖遺物の力は厄介そのもの。加えてそれらを十全に扱える本人の力量も、衰えたとはいえ正面から相手することは考えたくもなかった。
なのでまず、十全に戦えない状況を作った。
聖槍は先の双竜大戦の折でも見せたように、巨巖竜の頭蓋を砕くほどの破壊力を持つが、巨大な大砲のように簡単に持ち出せるものではない。
そしてもう一つの聖遺物、今も振るっている聖剣だが、これの真価も広範囲高火力の代物。剣身に纏う千の松明の光を収束し、剣閃とともに放つというものだ。
しかし相手が操られた同胞ならば、無闇矢鱈に放つことはない。ダメ押しに周囲に守るべき民を配置したことも功を奏した。
聖君であるが故、誰一人として見捨てられない。ジューダスは、アルトリウスがそういう男だと知っていた。
「アル。私は今、とても心地好い気分だ。なぜだか分かるね?」
返答はない。アルトリウスは三人の攻撃に耐え、答える余裕すらない。
そもそも、耳にすら入っていないかもしれない。しかし、ジューダスはそれを気にする様子もなく続ける。
「君が、常勝の皇帝と謳われたあのアルトリウスが、何もできずに苦しんでいる。常に余裕の表情を崩さず、手を差し伸べてきた君が、私の前で為す術なく苦悶の表情を浮かべている。ああ、それが、堪らなく心地好い」
饒舌に、恍惚とした表情で、教皇だった男は語る。
今、シャルル王の一太刀が皇帝を捉える。
会心の一撃。裂かれた服の間から鮮血が飛び散り、その一滴がジューダスの頬にまで届いた。
このとき、初めてアルトリウスが膝をついた。
それを合図としたかのように、アルトリウスを襲っていた三人の動きがピタリと止まった。
ジューダスの笑みが、勝利を確信したものへと変わる。
「………………なぜ……」
「うん?」
「なぜ、それを私の前で話してくれなかった?」
息を切らしながら、アルトリウスは問う。
先程の一撃がよほど堪えたのか、顔面は蒼白の気になっている。もう既に話すことすら困難であろう。
それでも、問い質さずにはいられないのか、呼吸を乱しながらも言葉を紡いでいく。
「私が、君を、苦しめて、しまったのならば、この頭など、いくらでも、地に、付けたものを……。それで、君が、正しき道から、外れなかったのならば、いくらでも―――!」
「ああ。違う。違うのだよ、アルトリウス」
遮る声色はどこまでも平坦で、正に思い違いを指摘する以外の感情は一切こもっていないものであった。
「君はただの顔だ。この帝国、この社会、この世界における顔でしかない。私が真に恨んでいるのはこの世界そのものなのだ。そして今、君を苦しめているのは…………そうだね、うん。」
かつての友はたっぷりと間を開け、友好的な笑みを向け口を開く。
「あくまで、ただの八つ当たりだということになるね」
その時、アルトリウスの中で何かが弾けた。
最後まで保っていた一本の糸が切れた音がした。
「さて、歓談はここまでで十分だろう。……始末しろ」
ジューダスの一声で停止していた三人の諸侯が一斉に動き出す。
凶刃が、凶拳が、凶弾が、喉を、心臓を、頭蓋を、破壊せんと襲い来る。
―――剣閃が煌めいた。
三条の光はアルトリウスに襲いかかる三人を捉え、そして、三人は倒れ伏した。
アルトリウスが斬ったのだ。
「……お見事」
「騎士たちよ! 即刻この者等を拘束の後、治療せよ! 急所は避けたが予断は許されぬ!」
その勅命に、すぐさま騎士たちが動き出す。
この時を待っていたと言わんばかりに淀みなく身柄を拘束し、即座に回復魔導をかけ始める。
これはアルトリウスにとって“賭け”であった。
間違えれば自らの手で仲間の命を絶つことになっていた。本来ならば乗ることすらない、危険すぎる賭け。
だが、その賭けに乗らなければ、命を絶たれていたのはアルトリウスの方である。
そして何より、彼にそうさせたのは自らの胸の内に沸き起こる激しい怒りからであった。
「これで貴様を守る者はもういない。彼らを操っていたであろうフルーランス王妃―――否、“慈愛の徳”もこの場にはいない。……今なら、降伏にも応じよう」
アルトリウスにとって、最後の恩情であった。
願わくば、自身の敗北を認め、降伏の選択肢を選んでほしい。その願いが込められた一言であった。
ジューダスには情状酌量の余地はない。極刑は免れないだろう。
それでも、かつての友とこれ以上剣を交えたくない。激しい怒りにあっても、それが本心であった。
ジューダスの反応はない。依然、優しい微笑を浮かべるのみだ。
それは暗に、“未だ戦闘継続の意思あり”と伝えているかのようであった。
「……もう一度言う。投降せよ。シャルルたちが抑えられた今、貴様に私を倒す手段はない」
「……アル。それは君の思い違いだよ」
「なんだと?」
「君は言った。私に君を倒す手段はない、と。それこそ君の凝り固まった思考から来る思い違いだ」
違和感。そう、初めから何か前提条件を間違えているような違和感が、アルトリウスの心の内にはあった。
ジューダスは本来、“教皇”―――すなわち、回復職である“僧侶”系統の最上位職。つまりは、非戦闘職業である。
かつて、冒険を伴にした際も前線には出ず、後方にて回復・支援を行っていた。
ジューダスに攻撃手段はない。
それは、本当か?
「我々、神職にある者は基本、自らの身を守る術に乏しい。中には僧兵や聖騎士など力持つ者もあるが、多くは非力だ。だが、その“守る術”が全く無いという訳でもないのだよ。そして“守る術”は“相手を傷つける術”にも成り得る」
「総員、警戒態勢! 非戦闘員は後ろへ!」
「例えばね、天使や神霊を喚び出す“降霊魔導”。基本的には回復や防御に適した天使を召喚することが多いが、敵を撃滅することに長けた天使を喚び出すことだって可能だ。そして私は、その降霊魔導が得意なのだよ」
その瞬間、拘束したシャルルたちが大きく体を跳ねさせ、苦しみによる絶叫を上げ始めた。
明らかに異常であった。彼らの回復は未だ万全でなく、痛みで呻くことすらできないはずだった。
加えて、体内の魔力が膨れ上がり続けている。その色は、彼らが本来持つ魔力の色とは異なり、神聖なるものへと変貌していく。
「ジューダス! 貴様、何をッ⁉」
「これは私が初めて編み出した門外不出の外法でね、あまりの残酷さ故に誰にも伝えていない方法だ。
本来、降霊魔導は高位の存在を顕現・維持させるのに膨大な魔力が必要になる。それこそ、終わった後に他の魔法を使えなくなるレベルにね。
だが私は、他者の肉体と魔力を媒体とすることで、自身の消費を抑え、長時間顕現させることに成功した。
デメリットとしては、媒体にした人間の生命力すら顕現させるためのエネルギーとして使うため、使用後は媒体となった者が死んでしまう、という点だけだ」
三人の肉体が拘束を外し、膨張していく。
その姿は人間から―――否、生物の枠組みから外れたものへと変化する。
それは機械のように無機質で、その神々しさはまさに天使のように―――
「“皇帝の天使”、“戦車の天使”、“隠者の天使”。さあ―――蹂躙せよ」
―――――――――
―――あれから、少しの時間が過ぎた。
ジューダスの前に偉大なる皇帝の姿はない。
あるのは、三体の天使に蹂躙され、地に倒れ伏した哀れな老体だけであった。
「ッ……! アル……!」
「そんな……なんて、惨い……」
既に立ち上がることさえ叶わない皇帝の姿を見て、その場にいた諸侯や騎士たちは口々に言葉を漏らす。
常勝の皇帝が敗れたことへの憤慨。仇討ちすらできない己の不甲斐なさ。そして彼を蹂躙した暴力が自身に向けられることへの恐怖。
様々な感情が言葉となって渦巻き、彼らを絶望の底へと誘っていた。
「あら。時間ピッタリ、というところかしら?」
何もなかったはずの宙空から声がかけられる。
声に遅れて、魔女が従者を伴ってその場に現れる。
その魔女は、大婆が相手取っていたはずの“慈愛の徳”ディアナであった。
彼女がこの場に現れる。それは大婆の敗北を意味していた。
「慈愛か。ああ、今先ほど、丁度ね。君の方も、大きな怪我もなさそうで安心したよ」
「ええ、お互いに。あと、もう一つ報告。正義から、『作戦八割完遂。戻られたし』って」
「上々の結果だね。手間取っているのは?」
「希望のところみたい。皆で行って手伝ってあげましょう?」
「ああ、そうだね」
そう言うと、ジューダスは差し出されたディアナの手を取ろうとする。
瞬間、そうはさせぬと一発の銃弾が彼らの手の間を通過した。
「待てよ。どこ行こうってんだ」
撃ったのはカルロであった。
彼の顔は憤怒に満ち満ちており、普段の聡明な彼と同じ人物とは一瞬判断できぬほどであった。
目の前で友人を、主君を貶められ、怒りが頂点に達していた。
「……そうだった。君たちの後処理もしないとね」
ジューダスの言葉に、天使たちが僅かに前に出る。
天使たちと戦わせるつもりか。それもまあ良い。
どのみち、この場で敵討ちを果たせるとはカルロは思っていなかった。
ただ黙って見逃すつもりはなかった。
アルトリウスが時間を稼いでくれたお陰で、緊急脱出用の転移術式は完成している。
そのトリガーは、アンジェラに任せてある。隙を見て、この場の人間を避難させる手筈だ。
カルロはその囮。プラスで天使たちやジューダスの攻略法を持ち帰ることもできれば御の字、という具合だ。
天使たちがジリジリと距離を詰める。無機質な見た目な割に、獣のようだと心のなかで笑う。
今、天使たちの攻撃圏内にカルロが入った。
(―――来る!)
「待て。君たちの出番はもうないよ」
ジューダスがそう告げると、天使たちは攻撃の態勢を解く。
直後、その肉体がドロリと形を失う。まるで溶けた氷のような肉体の中から、天使の媒体となっていた三人が転がり落ちる。
「何を……?」
「君たちを始末するのに天使の力は必要ない。……“苦しみの杭”」
自身の横を高速の物体が通り抜けるのを、目の端で捉えた。
その直後、何かと何かがぶつかる音とともにアンジェラの悲鳴が聞こえた。
即座に振り向くと、彼女の手の甲に十字架が突き刺さっているのが見えた。
あれは―――
「転移の術式を使おうとしたようだが、そうはさせない。“苦しみの杭”は励起に必要な魔力すらも奪う。そして、君にも」
咄嗟に腕を交差させ、防御の姿勢を取る。だが、それは悪手であったとすぐに後悔した。
腕に“苦しみの杭”が突き刺さる。その瞬間から体力と魔力がごっそりと奪われる。
失敗した。せっかくアルトリウスが作ってくれた猶予を、カルロは無駄にしてしまった。
力を奪われ動けない体に、諸侯たちの悲鳴だけが飛び込んでくる。
そして最後の悲鳴が上がると、その後は沈黙だけが響いた。
「さて、これでこちらの任務は完了だ。正義たちと合流しよう」
「ええ。それじゃあ」
空を切るような転移の音だけが聞こえた。
その後は微かに呼吸を繰り返す音のみが聞こえる。それが自身の呼吸なのか、はたまた誰かの呼吸音なのか、それすら判別できない。
(チ、ク……ショウ…………)
声にならない罵倒を最後にカルロの意識は深淵へと沈んでいった。
【あとがき設定公開】
アルトリウスとジューダスは昔馴染み、ということですが、もともと二人はパーティを組んで帝国各地を旅していた経験もあります。
そのときのパーティメンバーは、その時ごとによって変わりますが、カルロ、アンジェラ、そして現騎士団長であるマックスの父、フリードリヒも参加しています。




