第106話 火葬の魔女
ヒロがグリムの襲撃を受け、そしてイリスとの戦闘に入るまでの一時間にも満たない時間。
その間に、浮島での戦況は目まぐるしく変化していた―――。
浮島の上空に七色の光が炸裂する。
魔導士の戦いを意味するそれらの花火を打ち上げているのは、魔女の郷の長たる大婆―――ではなく、その付き人の魔女であった。
彼女に相対するは、七つの美徳の一人“慈愛の徳”ブルジトル・ディアナ。
その二人の戦いをその更に上空で見守るのが、件の大婆だ。
二人の魔女は無数の魔力弾を互いに放つ。その魔力の弾の一つ一つが、掠っただけで対象を死に至らしめる呪詛が込められている。
一度喰らったら即死。故に空を縦横無尽に駆け巡り、死の弾幕を紙一重で避け続ける。
これが魔女同士の戦闘であった。
「―――ひとつ、質問いいかしら?」
前後左右に上下から襲い来る死の弾を踊るように避けつつも、少しの余裕を崩さずにディアナは質問を投げかける。
「どうして貴女がここにいるのかしら? アリーナ」
その質問は、顔をフードで覆い被した大婆の付き人に向けたものであった。
呼びかけられた魔女は黙し、様々な呪詛を込めた魔弾を放ち続ける。
「おかしいわよね。本来なら、貴女は選手の一人として、あの浮島に立っている筈だわ。それがどうして、お婆さまの護衛をしているのかしら?」
付き人の魔女の攻撃を楽々と避け、ディアナは反撃として一つの魔力弾を撃つ。呪詛を込めていない、速射に特化させた一撃だ。
非殺傷性のそれは、ゼロといっても差し支えない威力と引き換えに、瞬きと同程度の速さで付き人魔女に向かい、彼女のフードを弾き飛ばす。
そこには、やはりと言うべきか、浮島で戦っているはずのアリーナの顔があった。
「……お久しぶりですね、ディアナ。貴女が同胞殺しで郷を抜けたとき以来ですか」
顔までバレてしまっては仕方ないといった風に、沈黙から一転、まるで長らく会っていなかった故郷の友人に話しかけるような声色でアリーナが声をかける。
「もっと正確に言うなら、エイダさんの雑貨店の前ですれ違ったとき以来ね。……うふふ、貴女ったら何も変わってないわね。背丈は伸びても、何事にも靡かないその態度。愛おしいわ」
同じく数年ぶりに偶然再会した友達と話すかのような口ぶりで、ディアナも応える。
ただ一点、『愛おしい』と発言したその一瞬だけ、恍惚に似た何かが瞳の奥で輝いた。
「貴女は随分と様変わりしましたね。……いえ、貴女も変わってないのでしょう。あの時はその獣のような本性を必死に隠していたのだから」
「そうね、あの頃はずっと我慢してたから。……話がそれちゃったわね。話題を戻しましょう。貴女はどうしてここにいるの? そして貴女の代わりに出場している彼女は一体だあれ?」
まるで少女のように幼く微笑みながら問いかける。
それに対してアリーナは、不愉快になるでもなく、蔑むでもなく、ただ平坦と目の前の“敵”に注視していた。
「一つ目の質問から答えましょう。結論から言うと、私の占星術で大婆様が何者かに襲撃される予知が出たから。大婆様は我ら魔女にとって神に等しき存在。彼女をお護りするのは魔女として必然よ」
「ふーん、そう。それで、お婆さまを護衛するために入れ替わった人は誰なの? あれも魔女でしょう?」
「ご明察です。彼女もたまたまこの祭りに来ていたので、協力するように説得しました。……まあ実際は『私と入れ替わればあなたと戦える』と嘯いて協力させたのだけれど」
「まあ、まあ! それじゃあその彼女は私を殺してくれるために貴女の口車に乗せられたのね! 一体誰なのかしら? そんな愚かで愛しい魔女さんは!」
「……聡明な貴女ならとっくに気付いているんでしょう? それでも、敢えて言わせて貰います。
―――ウィザ。貴女の妹さんですよ」
―――――――――
―――浮島東部の森。鬱蒼としたその森の中で、四人の男女が倒れ伏していた。
シュラーヴァの代表選手たちだった。
彼らは同胞であるはずのグリムの裏切りに遭い、為すすべもなく瀕死の重傷を受けていた。
……一人を除いては。
「―――っひゅぁ、」
そのような音を鳴らしたのは、彼らの中で『アリーナ』と呼ばれていた女の死体だった。
既に呼吸もなく、脈も止まり、薄く開いた瞼から覗く瞳孔は開ききっている。間違いなく、死んでいた。
しかし、死体であるはずの女の胸が独りでに動く。肺を懸命に膨らませ、空気を取り込む。
直後、死体であった彼女が大きく咳き込んだ。
文字通り、息を吹き返したのだ。
「ガハッ、ゲホッ! ……ハァハァ、“黄泉返りの呪術”、成功ってとこかしら?」
彼女は懐から人形を取り出しながら、そう呟いた。
その魔女が使用したのは、異世界の東国における呪術“丑の刻参り”に似た魔術であった。
本来、呪いたい相手に体の一部を藁人形に埋め込み、その藁人形を傷付けることで対象の同じ箇所に同様の傷を付ける呪術だが、彼女が使用したのはその逆。
自身に受けた瀕死のダメージを自身を模した人形におっかぶせることで、致命的なダメージを回避する魔術だ。
「試験する暇はなかったけど効果は上々。念の為に用意しといて正解だったわ」
(とはいえ、死に体なのは変わんねえけどな。ギャハハハ!)
「うるっさいわねぇ。まさか裏切られるほど友好関係が良好じゃないとは考えもしなかったんだもの」
魔女は受けた傷を回復させ、何事もなかったかのように服の汚れを払う。
「しっかし、あのドクロ男、私が生きているの分かってて見逃したわね。そこに転がっているのもトドメを刺していないし、抹殺することが目的じゃない……?」
(んなことよりもよー、そのカッコ、いつまで続けるつもりだ?)
「ん? ……ああ、そうね。もう変装する必要はないし。どうせ騙す相手も動けないんじゃ意味ないしね」
魔女は自身の顔を右手で覆い隠し、そのまま離す。その手の動きに合わせて、彼女の顔の皮が剥がれ、煙のように霧散してしまった。
アリーナの顔面の奥から出てきたもう一つの顔。緩く巻かれた紫黒の髪。アメシストを思わせる赤紫の左目。長い髪に隠れた右目は、金の輝きを覗かせる。
その正体は、もう一人の魔女、ウィザであった。
彼女は変装を解くと、身に纏う衣服すら魔術で黒いドレスへと変え、頭に被る三角帽は人の顔のような穴が空いたものへと変化する。
「ぷはーっ! やーっとシャバの空気が吸えるぜ!」
「遮音の魔術をかけていてもずっと喋っていたくせに。私には聞こえるから耳障りで仕方なかったのよ、ハッター」
「おお、失礼失礼。でもな、俺様は喋り続けないと死んじまうんだぜ!?」
「はいはい。それじゃあ気を取り直して、っと」
ウィザがどこからか銀色の球体を三つ取り出し、それを自身の前方に投げつける。
それらは地面にぶつかるとポンッと音を立て、煙を発生させる。
その煙から、それぞれ人影が現れる。
「―――弱気を助け、強気を憎む正義のシノビ! ゴエモン!!」(ドンッ!)
「―――心をも盗む、夜に咲く一輪の赤き薔薇! バロン!!」(ドドンッ!!)
「―――闇に潜み、お金に生きるキュートな黒猫! シャトン!!」(ドドドンッッ!!!)
「「「我ら、宵闇の怪盗団! ここに参上ッ!!」」」(ババーーーン!!!)
現れたのは、“宵闇の怪盗団”のメンバー……もとい、ウィザ一派の三バカであった。
「……アレって毎回やらねーと気がすまねーのかな?」
「……やってないで早く行くわよ」
「あぁん、待ってほしいニャ! リーダー!」
バカをやっている三バカをほっときながら、ため息交じりにウィザは歩き出す。
目指す場所は既に決まっていた。まずは、先程から空中でドンパチやっている魔導士どものモトだ。
意を決し、魔術で飛行用の箒を取り出したその時、足を掴まれるような感覚を覚える。
「まっ……待って、くれ……」
事実、掴まれていた。
ウィザの足を掴んでいたのは、シュラーヴァ最強最速の男、“竜騎士”と呼ばれていた男だ。
しかし、如何に“英雄級”と持て囃された男も不意打ちを受け、今にも事切れる一歩手前。他の選手と比較して、未だに意識を保っているのは、すごいと言えばすごいのだろう。
「何? 私は今、辞世の句を聞いてあげられるほど暇じゃないんだけど?」
「……ウッ……クゥ……」
男は呻くことしかできない。もう既に言葉を紡ぐ気力すら残っていないのだろう。
足を掴んだままの手も力が込められていない。このまま振り払うことなど、水中を歩くことより容易に行えるだろう。
だがしかし、そうしない。
「……はぁ。いつの間にこんな甘ちゃんになってしまったのか……」
ウィザは首だけ振り返り、後ろに控えていた三バカに命令する。
「予定変更。まずはコイツラ、助けるわよ」
命令を受けた三人は否定せず、ただニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて応えていた。
「……なによ?」
「いや〜?」
「リーダーは慈悲深いお方だな〜と再認識したまででござるよ〜?」
「あっそ。とりあえず、帰ったらアナタたちで“黄泉返りの呪術”の練習をしようかしら」
「ニャッ!?」「そっ、それだけは!」「ご勘弁をっ!」
「じゃあ馬鹿言ってないでさっさと助ける! ほら、きびきび動きなさい!」
『ラジャー!!』
敬礼し、即座に救命すべく動き出す三バカ。
彼らを尻目に、ウィザは上空を仰ぎ見る。
(さて。どうしたものか)
彼女の視線の先には変わらず、無数の魔力弾が弾ける閃光が遠くに写っている。
―――あそこに、ヤツがいる。根拠のない確信が心の内にあった。
ウィザは逸る気持ちを視線に乗せ、遥か遠くの見えない相手に送る。
今すぐにでもその場に向かいたい心待ちではあったが、このままコイツらを放置するのも後味が悪い。
どうしたものかと決めあぐねているところに、声がかけられる。
「ニャ、リーダー! ここは任せてリーダーは先に行くニャ!」
「……いいの?」
「この方達は酷い怪我ですが、救命程度でしたら私達でなんとかなりそうです」
「リーダーから頂戴したハイポーションもあるでゴザルし、問題ないかと」
「……ん。わかった。それじゃ」
感謝の言葉すらないが、それをわざわざ言葉にするような女ではないことを三人は知っている。
ウィザは短く言葉を返すと、魔法で取り出した箒に跨り、宙を征く。
目指す先は勿論、ディアナのもとだ。
―――――――――
「―――ガハッ」
口腔に押し留められなかった血が、はるか下方の大地に向かって滴り落ちる。
何をされたのか分からない。否、こうなった原因は分かっている。自身だ。自身が自身に向かって攻撃したのだ。
しかし、何故そうなったかが一切不明なのだ。少なくとも、眼前の敵によるものであることは把握できている。
「あらあら、苦しそうね。そろそろ交代してあげたほうが良いんじゃないの? ねえ、お婆さま?」
そう言って眼前の敵は、壊れて興味を失った安物の玩具のように、自身から視線を外す。
彼女が見上げる先には、この戦いを静観していた大婆様がいる。
大婆様はいつものように不敵に笑みを浮かべるわけでもなく、ただじっと敵―――ディアナの姿を観察していた。
「『ディアナよ』」
「はい、お婆さま」
「『おぬし、悪魔とまぐわったな』」
「ッ……!?」
悪魔との契約。それは魔術・魔導を扱うものなら誰でも知っている―――我ら魔女にあっても許されざる“禁忌”だ。
確かに、それであれば人類が未だに解明できていない魔導の習得も、この膨大なまでの魔力量も納得できる。
「ええ。私も最初は躊躇ったのですよ。ですけど精霊の皆様は気難しい方ばかりでして……。意外にも、悪魔たちは優しい方ばかりでしたのよ。契約さえ守れば従順ですし、弱い悪魔ならピッタリの魔力源にできますしね」
「『低位の悪魔すら喰らうほどに肥大化したか。このまま放置するわけにも行かぬ』」
「肥大化って……確かに最後に会ってから少し成長しましたけど、そんな目に見えて太ったわけじゃ―――って、あら?」
ディアナが自身の腹回りに視線を移したその間隙、彼女の周囲を取り巻く空気が蠢く。
気がついたときには遅い。空気は渦を巻き、鎌鼬を伴う斬撃の竜巻となり、ディアナを飲み込む。
「『焔よ』」
大婆様が唱えると、竜巻は一瞬にして業火の渦へと変わる。
空気を呑み、蜷局を巻く、岩すらを一息のうちに融解させんほどの灼熱の焔。
十分に離れたこの位置ですら肌を灼き、痛みを感じる熱量の渦。その中心にあっては流石のディアナであろうと一溜まりもないだろう。
「……すごい」
「『いや、まだじゃ』」
唇から零れ落ちた感嘆の声を拾うと、大婆様は両の手を炎の渦に向け、粘土をこねるかのように動かし始める。
その動きに合わせて、炎の渦も動きを変化させる。地から天に向かい巻き上がっていた炎は柱状の形態から短く、次第に球状へと形を整えていく。
形状の変化にあわせて、熱量も集まっていっているのだろう、赫だった炎は黄金の輝きを経て神聖さすら感じるほどの白金の光を放っている。
それはまるで、夜空に輝く一等星のよう。
「『―――炸裂せよ』」
大婆様の一言をもって、その星は終焉を迎える。
一瞬縮こまったかと思うと、次の瞬間、視界を覆い尽くすほどの閃光を放ち、その裡に宿していた熱を解放し大爆発を起こす。
咄嗟に張った魔術障壁越しにでも伝わる膨大な熱と衝撃。
これが魔法の極みに至った魔女の力なのかと改めて大婆様を敬うとともに、彼女の過剰なまでの攻撃性に思わず畏怖する。
しかし、これでディアナも―――
「―――ああ、びっくりした」
耳を、疑う。
その声は自身のものでも、ましてや大婆様のものでもない。だが、聞き慣れた声だ。
でも、だけど、ありえない。あれだけの超常の魔法を受けて、無事であるはずがない。
……私は、元々感情の変化の乏しい魔女たちの中にあっても、感情の起伏が少ないと言われている。私自身、その認識はある。
未来を観測する占星魔術を扱うこともあってか、顔を歪ませるほどの歓びも目を潤ませるほどの哀しみも、ましてや早鐘を打つような恐怖すら感じたことはなかった。
その私が、今、恐怖を感じている。
恐怖とは未知に直面したときの反応だと言う。まさにその通りなのだろう。
私は今、その存在に対して未知の恐怖を感じている。彼女は、一体、どれほどの―――
「『やはり、効いてはおらぬか』」
そこには、無傷のディアナが佇んでいた。
変わらず慈母の微笑みを浮かべ、その衣服には一片の煤すら付いていない。
「―――ありえない」
頭の中で何度も浮かんでいた言葉の一つが漏れ落ちた。
事実、その言葉通りなのだ。
ありえない。あの過剰な攻撃を浴びせかけられて、まるで何事もなかったかのように……そんなこと、絶対にありえない。
「それじゃ、次は、私の番」
ディアナのその一言に、大婆様が最大限の防御態勢を取る。
多重の魔法障壁。加えて、土魔導を応用した複数の岩盤による物理的な壁。熱や電撃に対応した完全純水のベール。過剰なまでの攻撃から一転、過剰なまでの防御姿勢だ。
こんな一切の余裕のない大婆様の姿は初めてだ。それほどまでにディアナには警戒すべき何かがある。
ならば、この戦いを外から望観するしかない私には、その何かを見極める義務がある。
加勢すらできない足手まといにとって、大婆様の役に立てることと言えばこれくらいしかない。
であれば、たとえこの身が滅びようとも、何としてでもディアナの力の正体を見抜き、大婆様に伝えなくては……!
そう決心し、ディアナに目線を向ける。
私の目線の先には、こちらに微笑む彼女の姿が―――
「よろしくね。アリーナ」
次の瞬間、片方の耳に魔導の炸裂音が響く。……大婆様がいる方向だ。
まさか、と最悪の予想に頭を支配されながら、私はディアナに向けた視線を大婆様の方へ戻す。
写った光景は、空色の穴だった。その、拳大程度の穴が、大婆様の体のほぼ中心に空けられていた。
そして、そこに伸びる自分の手のひら。
まさか、そんな、これでは、まるで―――
「……大、婆様」
「『―――アリーナや』」
「ち、違うのです。わ、私は、私はただ……!」
「『わかっておる。解っておるのじゃ』」
「私はただ! ディアナ様のために!!」
―――そうだ。私は、ディアナ様のために。ディアナ様のためだけに。
だから、ディアナ様の障害となる大婆様を排除しなくては。
幸運にも、大婆様の意識はディアナ様に向いている。防御もディアナ様に向いているため、こちらから攻撃すれば簡単に破れる。
だから、撃った。気取られぬよう視線を外して。大婆様の注意が、ディアナ様に完全に向けられたタイミングを見計らって。
そうして、私の魔導が大婆様を貫いた。
ああ、これで、あの方の“愛”に報いることが―――
瞬間、アリーナに電撃が走る。
ほんの小さな電気ショックではあるが、頭部に走ったそれは電気麻酔のように、彼女の意識を深淵へと奪い去った。
気絶したアリーナの体は、重力に従い落ちていくものと思われたが、すぐに柔らかい風が彼女を抱きかかえ、安全な陸地へと運んでいく。
「フフ。息も絶え絶え、瀕死の重傷なのに甲斐甲斐しいことですね。それも、自身を撃ち貫いた相手だというのに」
「『白を切りよって。貴様がアリーナを操ったのは目に見えておるわい』」
「あら、バレちゃった?」
テヘ、と舌を出す彼女に、大婆は怨みがましい視線を向ける。
だがしかし、わかったこともある。
「『貴様の魔導の正体。“誘惑の魔法”じゃな』」
ディアナは応えない。
ただ、目を細め、顔に貼り付けた微笑みを少しだけ蠱惑的なものにする。
それだけで肯定の意思を表すには十分だった。
―――“誘惑の魔法”。魔女が修める基礎的な魔術の一つである。
所謂“魅了”と同じものだが、ディアナのそれは一味も二味も違う。
まずは、その精密さ。
放った攻撃を本人が無意識下で拒絶し、中止する。攻撃の意志と拒絶の意志を並行して両立させ、かけられた本人すらその事実にほんの少しの違和感すら感じさせないほどの精神操作の精密性。
この時点で魔力操作においては大婆に比肩するだろう。
そして何より―――
「『魔術とは入念な前準備を行ってこそ効果を発揮する。儀式、詠唱、法陣……。それらをどれだけ簡略化し、その身一つで行使できるようになったとしても、“魔力の励起”だけは必ず発生する。お主にはそれがない』」
魔力の励起がない。それは、口にした本人でさえありえないと断じることであった。
考えうるのは、アリーナとの戦闘に紛れてかけてきたか、もしくはもっと前―――それこそ、顔を合わせたその瞬間に……。
しかし、いくら考えたところで現状は変わらない。魅了をかけられている事実は変わらないのだ。
ならば、―――
「『“解除”』」
その一言をもって、大婆にかけられたすべての異常を払拭する。
これで両者の状態は同等。次に“誘惑の魔法”を使ってきたとしても、手の内を知った今となっては恐れるに足りず、今度こそ確実に弾いてみせるだろう。
大婆は再び『ゲッゲッゲ』と勝利の確信を得た笑い声を漏らす。
「流石はお婆様。一筋縄ではいきませんね。ですが、ここらで終わりいたしましょう」
ディアナの躰の裡で魔力がうねり始めたことをしっかと感じ取る。“魔力の励起”だ。
―――来る。
大婆は加齢で垂れた瞼を大きく開き、一瞬も見逃せまいと視力に全神経を集中させる。
既に余裕の笑みはない。今このとき、大婆は眼前の若い魔女を『全力で倒すべき敵』と認識していた。
「おさらばです。大婆さま」
―――ごうごうと、炎が燃え盛っていた。
肉体を灼く、地獄の業火。
かつて、魔法を扱う誰からも怖れられた大婆の得意とした魔術だ。
―――ああ、懐かしい。
―――そうか、私と相対した者はこの苦しみを受けたのか。
―――自分で試したことは無かったな。
肉を焼かれる痛みの中、空気の代わりに肺に炎を送られる苦しみの中、大婆は穏やかにそう思っていた。
今、朽ちて萎びた老魔女の身体を薪に焚べて、獄炎が空へと昇っていく。
自身の魔力を燃料として燃えるその炎は、既に己の意志で消し去ることは叶わない。
火炙りの魔女は残された僅かな生の時間の中で、自身の勘違いを悔やむ。
ディアナの“魅了”は任意発動型の魔術ではなく、常時発動型の“固有能力”なのだと。
道理で。道理で“魔力の励起”が見えないはずだ。道理で解除したにも拘らず即座に魅了をかけられた訳だ。
先程の魔力の励起はブラフ。小賢しいことを考える。
「アアア、ウゥ、アアッ―――」
自身が発した声なのか、自然と肺から漏れ出た風鳴りなのか、もう自分ですら判らない。
理解していることはただ一つ。この体はもう死ぬ。
これが自身の最期なのか。怨嗟の言葉一つも遺せず、自身の最も得意とした魔術で殺されるのか。
(……已む無し、か)
大婆はその最期を受け入れた。
最後に、怨敵の顔を冥土でも忘れまいと瞼を開く。
視界を覆う赫の奥で、怨敵ディアナが貼り付けた微笑を向けている。
そして、そのさらに向こう。ディアナによく似た年若い魔女が、こちらに、飛ん、で―――
―――――――――
ぐずりと、炭化した何かが崩れながら残り火とともに落下していく。
「あら、遅かったのね」
声をかけた女はこちらを振り向かない。
「お婆様、燃えちゃった」
女はあるがままの事実を、なんの感慨もなく告げる。
「貴女は小さい頃よく面倒見てもらってたものねぇ。ね、懐かしいわよね、ウィザ」
女が振り返る。昔と変わらない、あの笑顔を浮かべて。
父と母を殺したあのときの笑みをこちらに向ける。
「………………ディアナ」
「なぁに?」
「ディアナ……!」
「んもう。昔みたいに“お姉ちゃん”って呼んでよ」
「ディアナァッ!!」
懐に用意していた宝石を周囲にばら撒く。それらは魔法陣の軌跡を描き、陣の中央にいるウィズの魔力を増幅させる。
両の手の平を突き出す。己の詠唱に合わせて魔女の帽子が二重詠唱を開始する。
両手の間に空間の歪みが発生する。空属性の極位魔導、“天空の歪”だ。
発生したソレは、宝石の魔法陣と二重詠唱によって急速に成形と魔力の上昇が行われる。
「“天空の暴風”!!」
ウィザが行使できる空魔導のうち、最も高い破壊力を持つ技が放たれようとしていた。
進路上に存在するありとあらゆるものを呑み込み、破壊する一撃。どのような防御をもってしても、ソレは簡単に孔を開けることだろう。
その恐ろしさを、ディアナも本能で察知する。
そして―――
「そう、そこまでして……。ああ、貴女は本気で―――
―――本気で、私を愛してくれるのね!」
笑っていた。
嬉々として。頬を紅潮させ。蕩けた声で。
―――笑っていた。
「っ……! この―――」
「でも残念。今日はここまでだわ」
ぞぶり。胴体に衝撃が走る。背中から腹にかけて熱い感覚が拡がっていく。
意識が点滅し、集中が途切れる。なんとか“天空の暴風”を発射させるが、魔力は解け霧散していく。ディアナのもとにたどり着く頃には、ただの魔素の流れにまで威力を落としていた。
己の腹部に目をやる。黒曜石のような黒の刃が伸びている。
飛びかける意識に鞭を打ち、背後へと視線を移す。そこには自身の体を貫いた仮面の男の姿があった。
男の腕は二の腕のあたりから黒く変色し、自身の背中へと向けられている。黒曜石の槍と思っていたものはこの男が突き立てた腕であった。
「ク、ッソ……」
男の腕がゆっくりと引き抜かれる。抜けたそばから真っ赤な鮮血が滝のように流れ出る。
流れ出る血とともにウィザの意識も消えていく。限界であった。
彼女の体は自然と下へ落ちていき、その姿はどんどんと小さくなっていった。
「慈愛様。援軍が遅れ、申し訳ありません」
「いいえ、謝ることはないわ。目的は果たされた。この浮島も残留するお婆様の魔力でしばらく保つでしょうけど、一時間もすれば崩壊するでしょう。その前に、皆と合流―――あら?」
ディアナは手を己の頬に伸ばす。
肌と肌が触れ合う感覚の他に、生温かく湿った感覚が指を伝う。
そっと離し、自身の手を見やると、赤い染みが小さく残っていた。
「…………へぇ」
「慈愛様!」
「大事ないわ。ちょっと頬を切ったみたい。この程度すぐに治るわ。それより、移動するわよ」
「仰せのままに」
魔女は男を連れ、テレポートのような魔術を用い、その場を去る。
後には、なにもない空が残っていた。
【あとがき設定公開】
大婆は若い頃、得意の炎魔術で気に入らないやつを片っ端から燃やしていました。火炙りにして殺していく様から“火葬の魔女”と呼ばれていました。
なお、当時の大婆を知っている者からすると、ディアナとウィザは昔の大婆にそっくりだそうです。




