第103話 動乱、騒乱、そして反乱
〜あらすじ〜
ユニオス連合帝国の四年に一度の祭典“大統合武闘祭”。
参加国の一つ“フルーランス王国”の代表として参加したヒロたちは、最後の演目“偉大なる戦い《バトル・ロイヤル》”の舞台である空に浮かぶ浮島へと降り立つ。
だが、その最中、“七つの美徳”を名乗る集団が連合帝国に対し宣戦布告を上げる。
外からの救援もない浮島で、ヒロたちの命運は如何に―――?
「ん?」
何か、聞こえた気がした。
ひゅるりという、風の通り過ぎる音……違う。
さわさわという、草の擦れ合う音……違う。
ちろちろという、遠くの川のせせらぎ……どれも違う。
その音を言語化しようにも、どうにも適切な言葉が出てこない。
「ヒロ?」
一行の最後尾で立ち止まった僕の存在にいち早く気付き、ユーリが『どうかしたのか』と聞くように僕の名を呼ぶ。
「……いや、なんか聞こえた気がして」
「そう? 何も聞こえなかったけど」
ユーリがぐるりと首を回して、辺りを観察する。それに続いて僕の方も周囲を見渡す。
見えるのは地に広がる緑と空に広がる青。他には小川だったり、一人ぽっちの樹木だったり、薄く伸びる雲ばかりだ。
「何もないわよ。こんな開けた場所で隠れられる場所なんて限られているし、それに私の“気配察知”が常に張られているんだもの。おかしな気配があったらすぐに分かるわ」
「それもそうなんだけどさぁ」
リンの言う通りだった。
ここは草原のエリア。身を隠せる場所はないが、その分外敵や不審な存在はすぐに見つけられる。
姿を隠せるスキルや魔術を持った敵がいれば?と考えるところだが、そこはリンの能力“気配察知”が上手く作動してくれる。
聞くところによると、色でも音でもなく、所謂“気”という第六感的なものを察知しているとのことだ。
漫画の表現とばかり思っていたが、鍛えに鍛えた真の武術家なら感じ取れるもの……だそうだ。
それを半径数十メートルに渡って展開している。敵意を持って動くものであれば、それが虫だろうが幽霊だろうが感じ取れると彼女は豪語していた。
話は逸れたが、とどのつまりは、この場で誰にも気付かれず僕らに近付ける者はいない、という話だ。
だが、でも、やはり耳の奥にこびりついた違和感は簡単に拭いきれなかった。
音がした(と思われる)方向へ視線を向ける。
(鬼脈紋を3%だけ展開……。目元と視神経に集中……。限定発現―――)
天 眼 通 !
元は紅蓮が体得した神通力の一つ。曰く、この世のありとあらゆるもの・場所を見通す力、なのだそう。
本来であれば、360度全方位を見渡せたり、閉じられた空間の中を見通す透視能力を有するそうだが……生憎と、借り物では遠くまで視界を飛ばせることしかできない。
とはいえ、望遠鏡もなしに遥か遠くまで見通せるのは破格の能力だ。
(さて、と―――)
音が聞こえた方に視界を飛ばす。
方角は北北東。ちょうど森林エリアの方角だ。
視界は草原を超え、川を渡り、森へと入り、樹木やシダ植物の葉を掻き分け、奥へ奥へと進む。
(何もない……か?)
見えるのは、木と、樹と、いつまで経っても森ばかりだ。
先程、この能力を“破格”と評したが、使い勝手が良いかと問われると、そうでもない。実のところ、割りと使い難い。
遠くまで視点を飛ばせること自体はすごいことなのだが、限界まで倍率を絞った双眼鏡のように、少しでも角度をずらすと見えている場所が大幅にずれるのだ。
なので何かを探す場合は、適当に当たりをつけて飛ばすしかない。
(……やっぱ、気のせい―――)
瞬間、再度鼓膜をくすぐる音がする。
声だ。呻くような、とても小さな声だった。
無意識のうちに遠くの音を聞き取る“天耳通”まで発現させていたのか……。いや、今はそれはどうでもいい。
声がした方角に目を向ける。
「! これは……!」
しまった、と思った。あまりの光景に思わず声が出てしまった。
当然の如く、周りの仲間たちは僕に視線を向ける。
「どうしたの? 何かあった?」
そして当然の質問を投げかける。
さて、僕はこの問いにどう答えるべきか。ありのままに伝えるか、それとも……。
僅かな逡巡の後、僕が下した判断は―――
「―――シュラーヴァの代表たちが、倒れてる」
―――――――――
―――同刻。北東、雪山エリア。
「お嬢様!!」
一人の老執事が、自らの主である金髪の少女を抱きかかえる。
少女の額からは雪の白に映える真っ赤な血が流れ、降り積もる雪の上に滴っていた。
「……うっさいわね。耳元で……叫ばないでくれる?」
気丈に振る舞うが、少女の声は今にも消えそうなほどに弱っている。
幸運にも致命傷となるような外傷はないが、それでもこの極寒の環境に放っておけば、一時間足らずで息の音が止まるだろう。
「お気を確かに! 今すぐ治療に―――」
「いい……いいから。アンタは……アイツを……追って」
「今はそれよりもお嬢様の御身のほうが……!」
「いいって言ってんでしょ!」
声を荒げ、少女は執事の胸ぐらをつかむ。
執事服を掴むその力は、今まさに死に瀕している少女のものとは到底思えないほど強かった。
「……今は、私一人なんかよりも……アイツらを止めるほうが……先決……。それは……貴方だって、わかってるはずでしょ……」
「………………」
ふっ、と、少女の手から力が抜け落ちる。
それは不甲斐ない従者を叱咤するために振り絞った、なけなしの余力であったことを知り、執事は何も言えないでいた。
「それに……治療できるアテは……あんのよ……。ねえ……? いつまでそうやって……くたばったふりなんてしてるの……? エゼリア」
少女がその名を呼ぶと、何やらモゾモゾと動き出す雪の塊があった。
直後、雪の膜を破り、金の髪と碧の瞳を持つハイエルフが姿を現す。
その姿は多少負傷しているものの、深手を負っている気配はない。
「……はあ。正直、このまま騒動が終わるまで大人しくしたかったのに」
「貴女……人が死にそうなときに……随分と呑気なものね」
「人の生き死になんて、私達ハイエルフから見ればカゲロウの一生と同じようなものですから」
「あっそ……。言いたいことはあるけど……とりあえず、治療してもらえるかしら……」
「私も負傷者なんですけどね。まあ、今まで付き合ってきた好です。あとで十倍にして返してくださいね」
ブツクサと言いつつも、エゼリアは少女の体に治癒魔導をかける。
流石は自然の申し子たるハイエルフというべきだろう。少女の傷は驚異的な速さで塞がり、流血と低温で失っていた血色が見る間に戻っていく。
「応急的な措置ではありますが、これで一応は命の危機は去ったはず。とはいえ、すぐに動けるとは思わないでくださいね」
「十分よ。感謝してあげるわ、エゼリア。……さて、これで後顧の憂いは無くなったわけだけど、まだそうやってメソメソしてるつもり?」
「……いいえ。醜態をお見せしたこと、ご容赦を」
「いいえ、赦さない。赦してほしくば、バルザークを連れ戻し、私からバルザークを奪い取った裏切り者のイナバを捕らえてきなさい!」
「ハッ!!」
少女―――エレーナの命を受け、執事―――シヴァステャンはすぐさまその場から離れる。
吹雪の中に消えていく主に再び目を向けること無く、シヴァステャンは彼らが向かっていった方向―――南へと目指す。
―――――――――
「貴様の弱点は、“一人しかいない”ということだ。マックス・フォン・ラインハルト」
浮島北西。遺跡エリアと岩山エリアの境目。
その場には、モーラ代表の一人―――もとい、今回の騒動の首謀者であるソテル。その横に、同じくモーラ代表のカルキが控える。
その二人に相対するのは、キャメロスの代表である聖十二騎士の面々だ。
「チッ。あのヤロー、俺たち全員を相手にたった二人で闘ろうってつもりか? ふざけやがって」
「先走らないでくださいよ、レナード。モーラ代表を騙る“七つの美徳”……特にソテルと名乗っているあの男は底が知れません。もしかすれば、マックスをも超えるかも……」
「最悪の想定だが、ありえん話ではない。どのみち、二人だけで我らを相手取るのは、それだけの策あってのことだ。気を引き締めろ」
臨戦態勢の騎士たち。
それを余所に、立ち塞がるソテルとカルキはどこまでも平静であった。
「ソテル様」
「もうその名で呼ばなくても良い」
「失礼しました。“正義”様、あちらの三人は私が相手しても?」
「構わん。最初から私の相手はマックス卿とネロ卿と決めている。残りは邪魔にならないよう、お前が相手しろ」
ソテルの瞳には、マックスとネロしか写っていない。
残りの三人は、街中の群衆と同じく、ただの風景としか写っていないことだろう。
「承知しました。……殺してしまっても?」
「構わん」
ソテルの許可が降りたその瞬間、カルキからとてつもない殺意が溢れ出す。
抑えるつもりが一切ないそれは、酷く歪んだカルキの笑みと共にレナードたちに向けられる。
騎士たちに緊張が走る。
群雄割拠の帝国騎士の中にあって、なおも勇士と称される彼らであっても、抗えない衝動―――恐怖。
―――この男は、強い。
彼らは再度、認識を改める。目の前にいるのは、大国ユニオス連合帝国を今まさに破滅させんとする大敵なのだ。
「戦闘に入る前に、一つ、いいかな?」
巨大な敵を前に恐怖に耐え奮い立つ他の騎士を置いて、最強の男マックスはいつもと変わらない調子で敵方の首魁であるソテルに問いかける。
あまりにもフランクなその物言いに彼の周りにいる騎士たちが目を丸くしている中、ソテルはというと、こちらも態度を崩さずマックスの問いかけに応える。
「……なんだ?」
「君たちは“七つの美徳”だろう? なら幹部クラスは七人いるわけだ。そうでなくとも、君たちモーラ代表は五人いる。その中で……残りの奴らはどこへ行った?」
至極、当然な質問であった。
本来であれば五人で参加しているモーラの代表。だが、この場にいるのは二人だけ。
では残りはどこへ?だなんて、子供ですら想像できるクエスチョンだ。
「貴様なら言わずとも見当がつくだろう。使命を果たしに行った。……わかりやすく言おうか? 他の代表選手たちの襲撃に行った」
当然の質問には、当然の答えが返ってくる。当然の帰結だ。
「なるほど、大幅想定通り。だとすると、君たちは我々の足止め……ということだな」
「謙遜するな。主な役割はマックス卿、貴様の足止めだ」
「貴方ほどの実力者に認められるのはどうあれ光栄だ。ついでに、今回の襲撃の目的についても教えてほしいところだけど」
「本命はそちらだろう。まあ、良い。今更秘匿にしたところで意味はない。教えてやろう」
そう言うと、ソテルの右の人差し指が静かに伸ばされる。
その指先が示した先は、緊張で一言も発せずにいた若い騎士だった。
「一つは天帝竜と旋風竜、二つの竜石の回収。そしてもう一つは、勇者候補の拉致だ」
―――――――――
―――浮島中央、砂漠エリア。その北方。
遺物を納める塔と、溶岩洞エリアに通じる入り口との、ちょうど中間地点。
そこには、塔へ行軍していたはずのアイゼンラント代表たちが横たわっていた。
死屍累々と化したその場において、ただ一人、白い肌に一切の傷を受けずに立つ少女がある。
その顔には無機質な面が被され、表情は読めない。
「―――さすが、英雄級にして勇者候補の一人。すぐに終わると思ったけど、かなり手こずったわね」
少女が掲げる、人の身長ほどもある大剣。その上には、勝利の勇者であるジークが白目を向いたまま吊り下げられていた。
「“殺さずに”というハンデはあったけど、それでもここまで私に食らいついてきた人は初めてだったわ。光栄に思いながら眠りなさい」
少女は懐から指でつまめる程度の小さなガラス質の球体を取り出し、それを指で弾いてジークに当てる。
すると、たちまちの内にガラス玉は巨大化し、シャボン玉のように柔くジークを取り込むと、見る間にジークを取り込んだまま元の大きさまで縮んでいった。
砂の上に落ちたガラス玉を、少女は三つの指で優しく持ち上げる。
「“勝利の勇者”ジーク。確保完了」
「お早いでありんすなぁ。わっちが到着する前に英雄級含め、一国を落とすとは」
少女は声のした方へ目線を向ける。
そこには、見上げるほどの巨躯を誇る大男。そしてその肩に腰掛ける白兎の面をした和装の女がいた。
「流石は、“七つの美徳”にて最強の武人。……否。最強と名高き、ハ―――」
「イナバ。“狂戦士”の確保は問題ないようね。それじゃ、早く“正義”達と合流しなさい」
「野暮なことを。せっかく会いに来たというのに」
「雇われただけのあなたと話している暇はない。傭兵は言われた命令を忠実に、口答えせずにするのが仕事。そうでしょう?」
そう言って少女は手元のガラス玉を兎面の女に投げつける。
兎面の女はそれをつかみ取り、手の上に転がす。持っていけ、ということだろうか。
その真意を問うべく再び少女の方に顔を向けるが、少女はすでに次の目的地へと足を向けていたところであった。
「どちらへ?」
「平原エリア。あそこは目的のものが集中している」
「こちらの伏兵がいるのでは?」
「そうだけど……それでも用心に越したことはない。フルーランスには英雄級もいる。あれを抑えられるのは私くらい―――ッ!!」
刹那、少女は自身の大剣を掴み、悍ましい闘気を纏い兎面の女に突進する。
その視線は未だ飄々とした態度を崩さない女ではなく、その後ろ。
ガキンッ! と、剣がぶつかり合う。
重量級の大剣に向かい合うは、細身のサーベル。しかし、重量差をものともせず、サーベルは大剣と拮抗する。
そのサーベルを操るのは、リドニックのシヴァステャン。数分前に雪山エリアから発ち、僅かな時間でここまで追いついてきたのだ。
「チィッ!」
「ク……ッ!」
「おや、こっちもお早い。お久しぶりでありんすえ、せばす殿」
拮抗は早くも崩れる。さらに一歩、少女が踏み込む。その勢いを大剣に込め、力を加える。
シヴァステャンの剣は押され、持ち主共々突き放す。
しかし、それは彼の策であった。
拮抗は崩れ去った。その影響で少女に大きな隙が生まれる。
シヴァステャンはその一瞬の隙を見逃さず、すぐさま態勢を立て直し、少女へ反撃の一太刀を浴びせかける。
だが、少女も只者ではない。反応は一手遅れたものの、すぐさま身を引き、顎から頭頂まで縦に切り開かれる事態を既のところで回避する。
とはいえ、シヴァステャンの鋭い斬撃は彼女の面を捉えた。
縦に入った僅かな亀裂は、氷河が崩れ落ちていくように面の上下へ伸びていく。
そして面は左右に分かれ、その間から少女の素顔が露わとなる。
「っ!? 貴様は―――いえ、貴女は!?」
シヴァステャンの表情は驚愕を表す。
露わになった少女の顔はどこまでもまっさらで、しかし左頬に残った裂傷痕は彼女の美しい顔を悍ましいものへと変える。
自身と同じ白い肌。自身と同じ白い髪。自身と同じ薄く青い瞳。そして自身の部族に伝わる悪習である“顔の自傷痕”。
間違いない。彼女は自分と同じハン族。
……いや、それは当然。
なぜなら彼女は、我らが部族の姫なのだから。
「なぜ……なぜ、貴女が……このような場に……なぜ、このようなことを……!?」
「……イナバ」
「うん?」
「わざとでしょう」
「はて、なんのことやら。わっちはただ、同じハン族同士、仲良くできると思いなんし、彼をここに連れてきただけでありんす」
「女狐め。……まあ良い。アイツは私がなんとかする。あなたは早く合流しなさい」
「それでは、お言葉に甘えて」
イナバを乗せたバルザークは彼らに背を向け、北西方向へ大きく跳躍する。
「待て―――」
「させない」
追いかけようとするシヴァステャンに対し、ハン族の姫は彼の懐に潜り込み、先程と同様に大剣を振るい彼を弾き飛ばす。
シヴァステャンが体勢を立て直し、頭を再び上げたときにはバルザークは輪郭すら朧気になる距離にまで行ってしまっていた。
「……お考え直しください、姫。貴女がやっていることは正しいことではない!」
「いいえ、正しいことよ。これが、我らの部族が求めたこと。牙を抜かれ、首輪に繋がれ、貴族に尻尾を振っている駄犬のあなたには分からないでしょうけどね!」
「っ……! イリス様!!」
―――――――――
―――森に入った。シュラーヴァの代表たちが倒れている地点まで、あと半分ほどだ。
「本当なの、ヒロ? シュラーヴァたちが何者かやられたってのは」
「間違いない。この目で見た」
「遺物を守る番人ってのにやられた可能性は?」
「それは彼らと直接闘ったことがあるお前が一番良く知っているだろ、ユーリ。僕はこの目で、確かに、ゲオルゲたちが倒れている様子を見たんだ! あのゲオルゲがやられているんだ。只事じゃない!」
言っていて、嫌になってきた。
あの英雄級のゲオルゲがやられたんだ。僕らが行っても返り討ちに合うだけかもしれない。
だけど今更嫌がっても、この人助けが生き甲斐のような勇者候補を止められはしない。
ああ、こうなるなら黙って見逃していれば良かった。なぜ、あのとき素直に話してしまったのか。自分のお人好しさ加減に嫌気が差す!
思わず舌打ちしそうになったその時、瞳にユーリの横顔が写る。
普段の快活な表情から一転、焦るような、恐れ慄くような―――余裕の一切が見られない、そんな表情をしていた。
(……ああ、そうか)
僕は自身を恥じる。
ユーリとゲオルゲの関係は具体的には分からない。しかし、ただの知り合いではないことは流石に理解していた。
知らんふりもできたはずなのにそれをしなかったのは、彼女に負い目を感じたくなかったのだと、今更になって己の心情の理由を見つける。
「ユーリ」
彼女の名を呼ぶ。
彼女は視線をこちらに向けるでもなく、返事すらしない。ただ、僅かに顔を傾けて、耳の穴をこちらに向けた。
「ゲオルゲたちは満身創痍だ。だけどまだ息はある様子だった。すぐに手当すれば助かるかもしれない。急ごう」
ユーリの視線は未だこちらに向けられない。
だけどその横顔からは切羽詰まったような緊張が薄れ、代わりに瞳に宿る光が強まった気がした。
「……うん!」
「いいえ。あなたは、ゲオルゲたちとは合流できません」
瞬間、何かが僕の横を通り抜け、ユーリに襲いかかる。
獣。赤い毛の獣だ。どのような種の獣かまでは判別できないが、銀色に輝く爪か牙をユーリの背中に向けて突き立てようとしていた。
「ユ―――」
危険を報せようと彼女の名を叫ぼうとした、その一瞬。
目の端に金色の輝きを見た。と同時に、体を強く引っ張られるような感覚に襲われる。
事実、何者かによって服を引っ張られたのだろう。進行方向とは垂直に、僕の体は吹き飛び、木々の間を縫って地面に叩きつけられる。
「痛ッ……!?」
なんとか受け身を取れたものの、背中には鈍い痛みが残っている。けれど動けないほどじゃない。
すぐに体を起こし、自身が元いた場所に視線を向ける。
まず初めに、巨大な背中が視界に入る。
「これは一体、どういうつもりかしら?」
声とともに背中が僅かに揺れる。
声の質から、その背中がリンのものだと遅れて理解する。
「どうもこうも、解った上での先の行動だろう」
続けてルイ王子の声が響く。
よく見れば、リンを挟んで向こう側に、自慢の黄金の剣をこちらに向けて立つ王子の姿があった。
相対して立つ二人の雰囲気から、只事ではないことはすぐに察せられる。
だが、なんなんだこの状況は? これじゃまるで、王子が裏切―――
「リンちゃん、気をつけて! この二人、なんか様子がおかしい!」
「ユーリ! 無事だったのか!? それに、二人ってのは……?」
「うん、僕は大丈夫。あと、二人っていうのは―――」
カサリ、と、小さいながらも存在を主張する音がユーリの言葉を遮る。
カサリ。カサリ。続けて二度。それは足音だ。人、ないしは二足歩行の生物が、草を踏みしめる音だった。
足音は続く。それはルイ王子の背後から聞こえてきており、まっすぐとこちらに向かってきていた。
そして、木陰の闇からその足音の主が姿を現す。
「……申し訳ありません、殿下。不意を取ったつもりでしたが、仕留め損ないました」
「貴様ほどの猛者が失態を犯すとはな。まあ、良い。一筋縄ではいかぬことなど、初めから判っていた。そうだろう、エピーヌ」
そこで、ようやく理解した。先程のユーリを襲った獣の正体についてだ。
あの獣の赤い体毛。それはエピーヌの赤い髪だったのだ。
牙か爪と誤認していたものは、彼女の細剣だ。
つまりは、ユーリを襲ったのは、同じ勇者候補であるエピーヌだったのだ。
「さっきから妙に静かだなとは思っていたけど、まさか私達を騙し討とうとしていたとはね。それで? なんでこんな卑劣な真似をするわけ?」
「卑劣? 卑劣とは心外だな、シャオ・リン。我々はただ、主人の命を全うしているだけだ」
「はい確定」
エピーヌの返答に、何かを確信したかのような口ぶりでリンは言い放った。
「ユーリ、ヒロ、こいつら操られてるわ。それも、かなり高度な催眠ね」
「なんで今のでそんなこと分かんだよ」
「まず考えられる可能性その1。“何者かが二人に化けている可能性”。それは私の“気配察知”でも、いつもと同じ挙動をしていたから薄かったけど、エピーヌの『卑劣』って言葉への反応からして本人に間違いないわ。
そして2つ目の可能性。“乱心または彼らの自由意志による叛逆の可能性”。まあこれはやるメリットも動機もないから一番薄い線だけど、否定できる根拠もなかったから保留にしてた。
最後に一番濃厚な3つ目の可能性。“何者かの催眠魔術により操られている可能性”。これもさっきのエピーヌの発言で確定した。そもそも彼女のご主人さまは基本的にあそこの金ピカ王子だけ。いたとしても王族関係だけど、それはさっきの『我々は』って言葉が否定している。エピーヌはともかくとして、あのルイ王子が自分以外に従うなんてあり得るはずがないじゃない」
「……(処理中)。つまり、二人は操られてるんだな!?」
「そう言ってんじゃん。……但し、二人に催眠をかけた相手はとてつもない術者よ。浮島に着いてから彼らに接触する人間は当然いなかったし、遠隔から催眠をかけるような魔力の動きもなかった。ということは、競技が始まる前に催眠にかけられていたということ。かけられた本人にも周囲にもこの時点まで気づかれないんだから、大したものだわ」
「つまり、二人を操ってるやつは只者じゃない……ってコト!?」
「だからそう言ってんでしょーが。ヒロ、ちょっと黙ってなさい」
怒られた……。
「リンちゃん、操られてるのは分かったけど、問題はどうやって二人を正気に戻すかだよ」
「そうねー。定石通りなら、操っている本体を叩いて治すところだけど、確実にこの付近にはいないでしょうしね」
「じゃあどうやって?」
ユーリの質問に、リンは不敵に笑い、拳を突き合わせる。
「当然。ぶん殴って目を覚まさせる!」
なんと脳筋な……。まあ、これが一番確実な方法なのだろう。
ユーリも既に戦闘準備に入っている。ルイ王子やエピーヌは言わずもがなだ。
戦闘は避けられない。ならば、仕方ない!
(紅蓮!)
(分かっている)
体に“鬼脈紋”を巡らせると同時に、影が立ち上り僕の肉体を覆っていく。
二人とも十分に強敵だ。特にエピーヌには一度、敗北している。催眠を覚ますという大義名分の下、あのときの仕返しをしてもいいかもしれない。
そんな不埒なことを考えていたバチが当たったのか、僕は背後から遅い来る魔の手に気付くことができなかった。
(ッ!! ヒロ! 後ろだ!!)
いち早く、紅蓮が警告を放つ。
だが、もう遅い。
「なっ!? こいつ……!?」
黒く、細い、何本もの植物の蔦や軟体動物の触手のようなものが、僕の四肢、僕の肉体に絡みつく。
それらは“黒漆甲”を形成しようとしていた影を取り込み、一体化し、より強く僕の体を縛り上げる。
こんな芸当、できるのは―――
「―――ぅおぁ!?」
引っ張られる。踏ん張りも虚しく、体は宙に浮き、触手が来た方向へと運ばれていく。
見る間にユーリたちの姿が小さくなっていく。
引っ張られる寸前、ユーリとリンは僕の状況に気付き助けようとしてくれたが、それより早くエピーヌたちが彼女たちに襲いかかるのが見えた。
その後は鬱蒼とした木々の葉が彼女らを覆い隠し、どうなったのかは分からない。
(とにかく、脱出しなきゃ!)
腕部に“鬼脈紋”を集中させ、拘束を引き千切ろうとする。
ミチミチと音を立てて千切れていく黒い縄。
あともう少し……。そんなところで触手は僕を湿った地面へと放り投げた。
「痛っつ! ……ああもう! 今日は投げ飛ばされてばっかだな!」
今日の星の運に悪態を吐き、素早く体勢を立て直す。
ここで止まった、ということは、ここに僕を連れてきた本体がいる、ということだ。
周囲を警戒し、目と耳に全神経を集中させる。
だが、その甲斐虚しく、この場に召喚した本人が真正面から現れる。
「……最初に、シュラーヴァの代表を見たとき、アンタの姿だけ無かった。初めは特に気にしてなかったけど、『誰がシュラーヴァ代表を倒したのか』を考える中で、アンタの存在が浮かび上がった」
そいつは何も発さない。
いつも通り無口なやつだ。
「さっきの触手で確信した。あれは影魔導だ! だからこそ、影で作った“黒漆甲”を取り込むことができた! 僕が知る中で影魔導使いなんて一人しかいない。……そうだろう」
息を吸い、敵として倒す覚悟とともに、その者の名を叫ぶ。
「――――――グリム!!!」
目の前に立ちはだかるのは、漆黒の衣服を身に纏った、髑髏面の男。
彼こそは、東シュラーヴァの代表。
名を、グリム・リーパ。




