第102話 宣戦布告
……ついに、大統合武闘祭最後の演目が始まってしまった。
勝っても負けても、笑っても泣いても、これが最後。そう思うと握る拳に自然と力が入る。
何故だろう。自身が戦う訳ではないのに、自身にできるのは選手たちに届くことのない応援をするだけなのに。何故、こんなにも胸が高鳴り、全身に力が溢れるのだろう?
フルーランスの支持者、ゴウラは思う。
それは彼らが自身の代わりにその場に立っているからだ。力のない自分たちの思いを背負い、我が国の勝利のため骨を粉にし身を砕いているからだ。
それと同時に、彼はこうとも思う。それは彼らをずっと近くで見てきたからだ、と。
ユーリ。世界を救う勇者に選ばれた―――選ばれてしまった少女。
初めて会ったときは、気概はあるものの農具しか持ったことのないただの村娘だった彼女が、今では剣の技量では全く及ばないほど強くなった。
それでも驕ることなく、自身がハンターとしてやっていけなくなったことを知ると涙を見せて悲しんでくれた。
最初はこんな小さな女の子が世界を救うだなんて冗談かと思ったが、今では根拠抜きにできてしまうのではないかと思える。
ヒロ。異世界から来た少年。
頼りなく、人の顔色ばかり見て、いつも自分は一歩引いて誰かを優先してしまうお前が、本当は嫌いだった。
だけど、お前は変わった。強くなった。
天帝竜、七つの美徳、紅蓮―――多くの強敵と戦い、修羅場を何度も生き残ってきたことで、百戦錬磨に匹敵する経験を得た。
そして多くの人と触れ、別れを知って、人としても成長した。
お前はただの村人だと自分を罵るが、それは違う。ただの村人であるお前が多くの人と縁を繋ぎ、ここまで強くなれたんだ。
俺はお前のこと、今では弟のように思っているんだぜ?
だから、二人とも―――
「……なあ。アリス、クリス」
「ん?」
「どうかいたしました?」
「アイツら、勝てるよな?」
「……当然!」
「ユーリ様が負けるはずありませんわ!」
「……だよな!」
―――負けんじゃねえぞ!
―――――――――
現在、闘技場には選手の姿は一人たりとも無い。
だがしかし、その場に集った観衆たちは興奮冷めやらぬ様子で上方を見上げていた。
闘技場の上空には、魔術によって作り出された遠隔映像が上下二段、それぞれ八方に向けて鎮座していた。
そこには、戦いの舞台である浮島に送り出された七ヵ国の代表選手たちの様子が映し出されている。
観客はこの計十六枚の映像魔術によって、選手たちの動向を事細かに観戦することができる。
状況は今、各国の代表たちがそれぞれの方針を決め、行動を開始し始めたところであった。
これからどのような激戦が繰り広げられるのか。観衆は手の平の汗を握り、一瞬たりとも見逃すまいと目を煌めかせていた。
だがしかし、その興奮は次の一瞬で崩れ去ることとなる。
空中に座すモニター、その全てが刹那のノイズともに暗転する。
当然、観衆は何事かと口々にざわめき立つ。運営側もこれは不測の事態であるようで、即座に対処に動き出してはいるものの混乱している様子は隠せていない。
混乱は次第に怒りに、ざわめきの中に怒号が混じり始めた頃、モニターに映像が映し出される。
そこには、モーラの代表であるソテルの顔が映し出されていた。
『諸君、はじめまして。我が名は“正義”。“七つの美徳”が一つ、“正義の徳”である』
映像の中で微かに笑う彼の口から、とんでもない単語が飛び出す。
“七つの美徳”。最近、ユニオス連合帝国を騒がすテロ集団の名。
五竜が一、巨巌竜グラン・ガイアスを操り、帝都キャメロスを攻めた『双竜大戦』は記憶に新しい。
ソテルは今、その“七つの美徳”の一人だと臆面もなく公言したのだ。
『我々の目的は一つ。正義に満ちた世界の構築。そのためには、今ある世界を是正―――即ち、破壊しなければならない』
運営が映像を止めようとするも、映像を投影する魔道具は既に制御を離れ、ひとりでに映像を流し続ける。
『とはいえ、我々もただ単純な破壊行為を行いたいわけではない。思うに、この世は人が多すぎる。それも、自らに正義を科さない悪人が跋扈している』
観衆は慌てるでもなく、操られたかのようにその映像を眺め続ける。
『彼ら悪人により、正しき人が虐げられ、搾取され、奪われ続けている。それは正しき世界ではない。だからこそ、我々は選別する。蔓延る悪には懲罰を。善には救済を』
誰もがソテルの演説に釘付けになっていた。
すぐ真横に、凶器を振りかざす人物がいることも気が付かないほどに。
『さあ、我らが同志よ。今ここに、我らが理想を示すのだ!』
画面の号令とともに、凶刃が振り下ろされる。
その鈍い反射光に気づいたときにはもう遅い。叫び声を上げる暇もなく、その切っ先は喉元に―――
―――――――――
―――時間は少し遡る。場所は闘いの舞台である浮島、その上方。
闘技場にてソテルの映像が流れ始めたその頃、VIP席でも同様の映像が映し出されていた。
『我らの目的は一つ。正義に満ちた世界を―――』
「……これで、裏切り者は分かったな。なあ、モーラ教皇―――いいや、ユダよ」
皇帝アルトリウスの言葉にジューダスは答えない。いや、答える自由すら与えられていない。
彼の背後には二丁の拳銃が突きつけられていた。
回転式拳銃を握るのは聖十二騎士の一人、カルロ・ディカプラ。自動式剣銃を構えるは同じく聖十二騎士の一人、アンジェラ・ツウィン。
彼らが銃口から放つ無言の圧力は、ジューダスが起こす全ての行動を許しはしなかった。
「……残念なのです、ジューダスちゃん。貴方ほどの人がまさか国家転覆を狙っていたなんて」
「同感だ。お前さんとは数十年来の馴染みだが、こんな事を起こすやつじゃなかったろ。言葉としてはなんかおかしいが、心底裏切られた気分だぜ」
「……………………」
ジューダスは沈黙を貫く。その面には、未だに薄い微笑が貼り付けられている。
「おい。なんとか言ったらどうなんだ。昔馴染みの慈悲だ、言い訳くらいなら聞いてやるよ」
「……昔馴染みの……慈悲、か……」
嘲るように小さく鼻から息を漏らすと、ジューダスは続けて言葉を続ける。
「私をこの場に拘束・捕縛するのは結構。だが、我々が無策で宣戦布告すると思うかね?」
「……何が言いたい?」
「今この場には全ての戦士・勇士が揃っている。各国の首脳を警護するための君たちも含めてね。裏を返せば、闘技場には警備用に集めた必要最低限の騎士と……あとは試合を見に集まったハンター程度しかいない。そのような状況で、もし、仮に、何かしらの不幸―――そうだな、千匹もの魔獣に襲われたら……どうなるだろうね?」
ジューダスの問いかけに、今度はディカプラたちが沈黙に徹する。
彼らの表情は見えない。だが、恨みがましい目でこちらを睨んでいることだろう。
静寂が場を支配する。
「―――ク、」
だがその静寂を、押し殺すような笑い声が引き裂いた。
「ク、クク……ク、フフ、フゥー……クフフッ」
其の者は漏れ出る笑いを抑えんと片手で口を覆い、もう片方の手で椅子の手すりをこれでもかと強く握り込んでいた。
「……アル。何がおかしい?」
「フフ、フ。これが、笑わずにいられるか。ク、フフフフフ……!」
「もう一度問う。何がそんなに可笑しい……ッ!?」
「クックック……。ジューダス、貴様、我々を嘗め過ぎだ」
指の間から覗いたその瞳は自信を表す光が宿っており、絶望など微塵も感じさせない光を放っていた。
ジューダスはこの眼光に萎縮することも畏怖することも無かったが、ただただ疑問ばかりが胸に残った。
なぜこの男はこの窮地に―――国民が虐殺されるかもしれないこの状況において、未だ笑っていられるのだ?
数十年来の仲と自負してきたつもりではあったが、今この瞬間においてはこの男のことを全くと言って良いほど理解できない。
「表情は隠していても、動揺しているのは手に取るように判る。お前は昔から、意外と分かりやすい性格だからなぁ」
「ッ……!」
「説明してやろう。……正直、貴様が裏切り者だったことは、今でも信じ難い。しかし誰が裏切り者だったとしても、闘技場に集った観客を狙うことは読めていた! ……とはいえ、読んでいたのは私ではなく、我が優秀な騎士の一人ではあるがな」
「! 騎士団長の固有能力か……!」
帝国騎士団長、“裁定の天秤宮”マックス・フォン・ラインハルト。奴の固有能力は“判断”。常に最適・最善・最効率の判断を、瞬きの間に導き出す。
噂では、それは遥か遠くの未来すら導き出すと聞いていたが、よもや事実だとは。
「そのとおり。相手の取る手段が分かれば対策も容易。闘技場には既に! 残りの聖十二騎士を含め、我が帝国騎士の精鋭を用意してある!!」
―――――――――
―――凶刃が振り下ろされる。
その鈍い反射光に気づいたときにはもう遅い。叫び声を上げる暇もなく、その切っ先は喉元に突き刺さる―――はずだった。
―――キィンッ!と金属がぶつかり合う高い音が響く。
襲われた男は、咄嗟に瞑った瞼を恐る恐る開く。
そこには先程、自身を襲ったピエロの面をした痩躯の男。そしてピエロと自身の間には、凶刃から自身を救ってくれたであろう白銀の義手を掲げる騎士の姿があった。
その人は庶民である自身ですらよく知る人物。“聖十二騎士”が一角、“驥足の人馬宮”ことケイロン・エイジャックスだ。
「ピエロの面……。七つの美徳のメンバーだな? 貴様を捕縛する」
「……キヒヒッ!」
―――――――――
見渡せば、闘技場の各所で“七つの美徳”の構成員と見られる人間と、彼らの襲撃に備えていた帝国騎士たちとの戦闘が開始していた。
―――闘技場、東方。
「グォォオオオオーーー!!!!」
筋肉が異様に肥大化した大男が、牛の亜人に向かって自身の剛拳を真横から叩きつける。
理性や加減を微塵も感じさせないそれは、重量級の鈍器と同等。受けたらひとたまりもないだろう。
だが―――
「―――フンッ!!」
牛の亜人は大男と同じく、技術など全くない大振りの拳を大男の横っ面に叩きつける。
大男は一秒だって耐えることなく横方向に吹き飛び、十数メートル先の観客席へと飛び込んでいった。
「ブルーノ隊長! ご無事ですか!?」
「無事なわけ無いだろう。って、つつ……。お前たち! 俺だから耐えられたものの、普通なら頭蓋が砕けてもおかしくない怪力だ! 決して受けるな!!」
北方部隊隊長“金牛宮”ことブルーノ・ヴァイスシュティアの周りには、先程と姿形が同一の大男たちが取り囲んでいた。
そのどれもが姿は人間であるものの、口の端から涎を垂らし、目をギラギラと光らせ、低い唸り声を喉で鳴り響かせている。
その様は人と言うにはあまりにも野性的で、まるで人の皮を被せた熊のようであった。
「双竜大戦の折にも投入されていた人造人間共か。それも、あの時よりさらに改良されているな」
殴られた頬を撫でる。指先で軽く触れただけで、ジンジンとした痛みがぶり返す。
骨に軽く罅でも入ったか。あまり受けるのは得策ではないな。
そのようなことを頭で巡らせながら、ブルーノは最大級の警戒の構えを取る。
「……相手は猛獣が如きヒト。膂力は羆のそれ。さらには手負いの獣のように、傷を負うことに一切の恐れを持たぬときた。厄介、厄介。実に、厄介」
ブルーノは静かに、大きく、息を吸い込み、そして吐き出す。
「ブフゥゥゥーーーーーゥウウ!!!」
吐き出されたそれは、ただの呼吸ではない。
獅子の雄叫びと同義の、敵対者に向ける威嚇行動であった。
ブルーノの、勇猛な雄牛の威嚇を受け、理性などないはずの人造人間共の体が、僅かに強張る。
「それが、どうした」
笑い飛ばすように、嘲るように、言い放つ。
「此方は元より、北方の荒れ狂う魔獣共を相手取る北方部隊。獣退治はお手の物よ」
ブルーノの茶褐色の毛が逆立つ。目は白く光り、その様は臨戦態勢の獣そのもの。
それはブルーノだけではない。彼が率いる亜人の騎士たちも残った人としての要素を排し、一匹の獣としてそこにあった。
「さて、語りは終わりだ。……“猛暴の金牛宮”、ブルーノ・ヴァイスシュティア。罷り通るッ!!」
―――闘技場、西方。
「さぁて、久しぶりの出番だ! 気張っていくぜ、ウルディナ!」
「うっさい。騒ぐな、カナート。……それはそれとして、イリス姉さんが任せてくれた大役。失敗は許されない……!」
白い面に白いフードを被った十数人の子供たち。だが、ただの子供ではない。
衣服で全身を覆われて肌の色は判らないが、その怪力ぶりは恐らくハン族。
大の大人ですら力負けする彼らを相手にするのは、骨が折れるに違いない。
既に彼らの足元には、彼らをただの子供と侮った数人の騎士たちが土を舐めていた。
彼らと対峙するのは、東方騎士部隊隊長である“巨蟹宮”シーザー・カルキノス。
その傍らには、副団長の二人が控えている。
「ハイドラ、ハイドラス。気を抜くな。報告にあったハン族の子供たちだ。ディカプラ殿やアンジェラ殿でさえ撤退を余儀なくされたほどの実力者だ。隣の大国が攻めてきたと思え」
「「ハッ!!」」
彼らはそれぞれの武器を構える。
ハイドラスと呼ばれた男性の騎士は、刀身が曲がりくねった水の滴る魔剣を。ハイドラと呼ばれた女性の騎士は、同じく刀身が曲がりくねった毒液の滴る魔剣を、それぞれ右手と左手に掲げる。
そしてシーザーの手には、真っ赤に染まった一対の剣が握られている。大小あるそれは、わずかに湾曲しており、鎌のように内側に刃が付いている……所謂“鎌剣”と呼ばれるものだった。
「……帝国騎士団東方部隊隊長、シーザー・カルキノス。またの名を“金―――」
「先手必勝! 死ねええええ!!!」
突如としてカナートが跳び、ウルディナの静止の一声が出るよりも早く、その棍棒がシーザーの赤い兜に振り下ろされる。
その一閃は、並の鎧では防ぎようもない必殺のもの。わずか十余の少年の一撃と言えど、それはハン族の一撃。防御すればその上から叩き潰されるのは、火を見るよりも明らかであった。
しかし―――
「ぉわあっ!?」
声を漏らしたのは、カナートの方だった。
金属のぶつかり合う甲高い音と一瞬の火花が散ったかと思うと、カナートは飛びかかってきた方向とは逆に吹き飛ばされたのだ。
その人外の身体能力で空中で体勢を立て直すものの、彼の顔には混乱がありありと見て取れる。
ハン族である自身の攻撃が受け止められるどころか弾き返されるなんて、予想だにしていなかったのだろう。
対してシーザーは、兜に隠されているものの、何事もなかったかのように涼しい顔をして直立していた。
「一体……何が……?」
痺れるような感触が肘まで響いている。まるで神話に出てくるオリハルコンやアダマンタイトの塊に武器を振り下ろしたかのような、そんな感覚だ。
確かに自身の棍棒はあの赤ダルマの頭に命中した。奴は双剣で防御することもできずに、攻撃を受けたのだ。
今頃、奴はブリキの缶詰のように兜を凹ませ絶命しているはずだ。
なのに、なぜ奴は平然とし、怪力無双である自身が吹き飛ばされているのだ?
「話は最後まで聞け。バカナート」
「あアっ!?」
罵られたことにより、カナートは額に青筋を立てる。
怒りの標的を敵から自身に向けている彼を一瞥もせず、ウルディナは騎士たちに警戒しながら話を続ける。
「東方部隊長、シーザー・カルキノス。別名“金城の巨蟹宮”。その防御力・防衛力は聖十二騎士随一。鉄壁の肉体を持つ獅子宮レナードすらも超える“防御の天才”。それが彼よ」
―――ユニオス連合帝国、東部地域。そこには、大国パーシアとの国境がある。
帝国と大国の関係は決して良好とは言い難く、明確な敵対関係ではないものの、事あるごとに大国は帝国に侵攻をしようとする動きを見せている。
その侵攻を未然に防いでいるのが東シュラーヴァ共和国と、シーザー率いる東方部隊である。
過去に一度、大国による大規模侵攻があったものの、その折にはシーザーが矢面に立ち、その真紅の鎧にほんの少しの傷も付けずに大国を退却させたのは今でも語り草だ。
「よく調べている。それに子供とは思えない冷静さ。横の少年とは大違いだな」
「ハアっ!?」
「障害となりそうな強敵は事前に調べておくことが戦いの鉄則。このバカはバカだからバカみたいに突っ込むことしか能がないのよ。そんなバカと一緒にしないで頂戴」
「ウルディナ手前ッ!!」
「あっちに集中しなさい。相手は金城。城壁を崩すつもりで戦いなさい!」
「うっせ! 言われずとも!」
カナートが駆け出すと同時に、後ろで控えていた他の子供達も一斉に襲いかかる。
それらと相対してなお、シーザーは微動だにせず剣を構え直す。
「……“金城の巨蟹宮”。推して参る」
―――闘技場、南側ゲート。
「私達の役割は救護ですぅ! 戦闘は三人に任せて、私達は一人でも多くの負傷者を助けることに専念してくださぁい!」
『はい!!』
騎士団の制服の上から特徴的な白衣を纏った医療部隊の騎士たちは、部隊長であるメイリィの指示に従い、救命用魔道具がパンパンに詰まったバッグを手に、負傷者のもとまで駆けていく。
次から次へと担ぎ込まれて来る重傷者は、メイリィが鎮座する簡易テントの中へと吸い込まれる。
中では戦場よりも苛烈な現実が待っていた。響く呻き声。むせ返る血の臭い。瞳孔に染みる赤の色。まさに阿鼻と叫喚を体現したかのような地獄絵図。
だがそこに、金の光が覆っていく。メイリィの固有能力だ。
金の羊毛に包まれた人々はすぐに苦悶の表情から力みが失われていく。切り傷はたちまち塞がり、折れて青く腫れた箇所からは色が引いていった。
「すごい……。これが、メイリィ隊長の能力……」
「そこぉ! ぼ〜っとしていないで、すぐにギプスの処置をぉ! 処置を終えた人から順に安全な場所に避難させてぇ! 警備されてるからって、ここが安全ってわけじゃないんだからぁ!」
「は、はい!!」
いつもの、のんびりとした口調と表情こそ変わらないが、その鬼気迫る雰囲気に圧倒された騎士は、一瞬だけ気圧されるもすぐさま自身がすべきことに戻る。
その背中を目の端で捉えると、メイリィは目の前の対象へと意識を集中させる。
「絶対に、誰一人、死なせない……。“奇蹟の白羊宮”の名にかけて……!」
―――闘技場、北側ゲート。
「焦らず、落ち着いて騎士の誘導に従ってください! 皆様の安全は、我々が必ずや保証します!」
スコール率いる技術部隊は無辜の民を安全な場所に誘導しつつ、ピエロ面の狂人や人造人間共の魔の手が彼らに届かせまいと次から次に薙ぎ払っていた。
「隊長! 敵の人造人間共は研究のため捕らえてもよろしいでしょうか!?」
「今は人命優先です! 影響が出ない程度に数体生け捕りにしておいてください!」
部下に指示を出した一瞬、注意が敵から逸れたその一瞬に、倒したはずのピエロがスコールの背後に襲いかかる。
「隊―――!」
スコールに声をかけた若い騎士が危険を報せようと慌てて声を上げるが、言い終わる前に自身の上司が倒れる未来を予知してしまう。
―――ああ、俺のせいだ。俺がくだらない質問をしたばかりに。
凶刃がスコールの首にかかる。瞬き一つの後には、その首の皮膚は裂かれ、隙間から毒々しい赤が散るのだろう。
若い騎士が開ききった目を覆おうとした、その時、ピクリとピエロが動きを止めた。
ピエロはそのまま数秒、動きを止めたまま微かに呻くような声を漏らしたか思うと、糸を切った操り人形のようにプツンとその場に倒れ込んだ。
「……い、一体、何が……?」
「あなた。この舞台に配属されてまだ日が浅かったですよね?」
混乱を顕にする騎士とは対称に、死角から襲われたはずのスコールは冷や汗一つかかず、いつもの調子でその若い騎士に声をかける。
「え? ええ、はい。まだ、一ヶ月と少しです」
「それでしたら、私の異名も知らないわけですか。……いいでしょう、この機会に教えてあげます」
鎧の上から纏った研究者の象徴たる白衣をたなびかせ、とても騎士とは思えない恐ろしい笑みを浮かべ、片手に伴った大きな針のような武器を掲げながら、その男は語る。
「私の異名は“無血の天蝎宮”。この通り、殴る・蹴る・斬る・撃つなどの荒事は苦手ですが、技術の開発が得意でしてね。麻痺性の毒を塗布した目に見えないほど極小の針を飛ばす武器なんかも開発しています」
語っている間にも、先程のピエロと同じく、敵勢力が次々に動きを止めていく。
「『一滴の血も浴びない“無血の手”、されど敵を屠るその目に宿る“無血の瞳”』。誰に言われたか忘れましたが、それ故に私は“無血の天蝎宮”と呼ばれています。
由来が由来ですから余り気の良い異名ではありませんが、まあ……」
そうこうしている間に彼の周りに立っているのは、味方の騎士のみとなっていた。
相対していたピエロ面の狂人も、人造人間共も、皆一様に地面に伏しピクリとも動かない。
「聖十二騎士で一番残忍なのは、認めますがね」
―――――――――
「―――なるほど。これは、一本取られたな」
ジューダスは、噛みしめるようにポツリと呟く。しかしその声色は悔しさが滲み出たものではなく、ただ淡々と事実を復唱するかのようであった。
目論見が潰されたことにより呆然としているのか、背部に銃口を突きつけられていることなどさも忘れたかのように、彼はごく自然に腰を上げる。
瞬間、大きな破裂音とともに、銃弾がジューダスの顔の横を通り過ぎる。
「テメエ……馴染みだからって当てないだろうとか思ってんじゃねぇだろうな。下手に動くんじゃねえ。次は当てるぞ」
「撃つなら撃てばいい。拘束するのなら、肩でも、膝でも、致命傷にならない部位を撃つといい」
ディカプラの警告に、ジューダスはそよ風が吹くような平坦な声でそう答える。そこに一切の恐怖はない。
ディカプラの方も、ただの脅しのつもりで発砲したわけではない。次にジューダスが動けば確実に撃ち抜くと、本気で覚悟していた。それは目やその声色で明らかであった。
だが、目の前の教皇であった男には、これっぽっちも伝わっていない。彼はまるで、穏やかな昼下がりにいるかのように、平常であった。
しかし、周りからはその諦観にも似た平常さが異常に見えた。
「……ジューダスちゃん。さっきから私達のこと、嘗めているのですか?」
アンジェラは問いつつ、ジューダスとアルトリウス帝の間に身を入り込ませ、己が主君に魔の手が及ばないようにアルトリウスへ避難を促していた。
その幼子のような身の丈でありながら、アルトリウス帝を気遣いながらも常に視線はこちらから離さない様子を視界の端で捉え、ジューダスは感心と共に彼女の問に応える。
「嘗める、と言うなら君たちの方だ。先程から君たちは威嚇ばかりで、明確な敵意が感じ取れない。それでも君たちは騎士なのか? 眼前の敵を前にして、よもや怯えているのではないのか?」
「ッ……テんメェ……! だったら望み通り―――!」
「エラッ! よせ―――」
ディカプラの静止も間に合わず、引き金が引かれる。
だが、先程のような破裂音は響かなかった。
(!? 詰まった……!?)
「無駄だ。君たちの扱う“銃”では私は傷つけられない」
「チィ……ッ!」
続けてディカプラが撃鉄を落ちる。
ジューダスが何をしたのかは分からない。だが、確実に何かをした。
一体どのような手品を使ったのか定かではないが、アンジェラの銃を詰まらせたのはジューダスの手によるものだ。
何らかの魔術で弾の装填を詰まらせた? そんな繊細な事が可能なのか? それともまた別の要因か?
様々な可能性を巡らせながら、それでいて冷静に、ディカプラは引き金を引いていた。
回転拳銃に弾詰まりはない。
たとえジューダスが拳銃内の弾を動かすことができるほどの精密な魔力操作が可能だとしても、リボルバーの構造的に詰まらせることは万が一にもない。
―――だが、またもや銃声は鳴り響かない。
「……!?」
不発だった。
火薬が湿っていたのか。元々弾が不良品だったのか。
しかし、残りは四発。問題はない。
すぐに次の銃弾に撃鉄が降ろされる。
だが、またもや不発。
次も、その次も。残り四発、その全てが不発に終わる。
「……何をした?」
「私は何も?」
「嘘を吐けッ!!!!」
銃弾の込められていない銃口をジューダスの頭に突きつける。こんなことをしても無意味だということは、自身が一番理解しているというのに。
ジューダスは変わらず平静な態度を崩さず、まるで教え諭すかのような口調で話し始めた。
「混乱しているようだから教えてあげよう。これが私に与えられた固有能力。名を“神の試練”と名付けた!」
「“試練”、だと……?」
「そうだとも。我が能力は、端的に言えば確率の操作! 私が我が主に請い、願い、崇め、信じることで! 主は我が願いに応えてくれる!!
具体的には、私が先程『主を信じる限り、銃弾が私を傷付けることはないだろう』と願ったことにより、それは弾詰りや信管の不具合という形で果たされた!
そう! 私が主を信じ続ける限り! 主は常に私に応えてくれる! それこそが我が能力なのだ!!」
「ああ……そうかい」
―――いや、違う。気にするべきは能力の名前や詳細などではない。
気にするべきは、今、この者の口から出た『与えられた』という言葉の方だ。
誰から? そんなコト決まっている。“七つの美徳”のリーダー―――あのソテルとかいう男に違いない。
(しかし、『能力の受け渡しができる能力』なんて本当に存在するのか?
能力―――特に固有能力ってのは、その者の才能や精神性によって能力の内容が決まる……。とどのつまり、『固有能力を扱えるのは固有能力を開花させた者だけ』ってのが普通だ。
それなら嘘か……いや、この状況でする意味がねぇ。……クソっ! 思考がまとまらねぇ!)
彼の二つ名“慧眼”は、ディカプラの深い洞察力と長年の経験からあらゆる事象を解き明かすことから付けられたものだ。
だがしかし、その“慧眼”をもってしても解き明かせない事実に、ディカプラは僅かに困惑の色を見せる。
「おやおや。“慧眼の磨羯宮”ともあろう者が、随分余裕がなさそうではないか」
「……へっ。確かに、面食らったがよぉ……テメエの“神の試練”とやら、既にその弱点の一端は見え始めてるぜ」
不敵に笑ってみせるディカプラに、ジューダスの慈悲深い微笑みは崩れない。
「ほう? それは何かな?」
「余裕かましやがって。教えてやるよ。テメエの固有能力、飛び道具に対しては無敵な能力だが、近接攻撃には無力だろ!? エラッ!!」
「応さッ!!」
ディカプラの背を蹴り、アンジェラが跳び上がる。その両手には鋭い刃がついたガンブレードが二振り。
ディカプラの背後に隠されたハーフリンクの騎士の動きは、当に不意の一撃。後手を組んで余裕綽々の態度を取っていたジューダスに、対応の術はない。
「おっと。確かに、これは避けられないな。それでは、助けてくれ。
シャルル王」
一閃。ジューダスの喉元まで迫っていたアンジェラの双刃を、天に昇るような鋭い剣閃が弾き返す。
「んなっ!?」
「なんで、貴方が……!? フルーランス王!!」
ジューダスの窮地を救ったのは、フルーランス国王シャルル陛下その人であった。
到底、素早い動きのできないような病魔に侵された身重の身でありながら、刹那の間隙に丸々と肥えたその身体を、舞う木の葉のようにアンジェラとジューダスとの間に滑り込ませ、弾き返したのだ。
その一連の動きは、剣鬼と恐れられた現役時代となんら遜色はなかった。
「驚いているところ申し訳ないが、我らに味方してくれるのは彼だけではない。そら、後ろ」
ディカプラとアンジェラの項に冷たい感触―――殺気を感じ取る。
咄嗟に振り返ろうとした瞬間、黒い霧状の攻撃が怒涛となってアンジェラを吹き飛ばし、鋭い打突がディカプラの腹を穿つ。
「ギャアアア、ギッ……! この黒い霧……シュラーヴァ公ッ!」
「グ、フ……ッ! 貴方まで……リドニック首相!」
二人に襲いかかったのは、シャルル王と同じく、この場に集った七国の首脳が内の二人。
東シュラーヴァ共和国の大統領ヴラディウス・ドラクリア、そしてリドニック国の首相イヴァン・アレクサンドロフであった。
三人は主君を守護するかのように、ジューダスを取り囲み、鋭い殺意をディカプラ達に向ける。
「クソ……っ! おい、キッド、どうなってんだこの状況。まさか……四人も裏切り者がいたとかじゃねぇだろうな?」
「安心しろ、エラ。多分だが、あの三人は操られている」
「御名答ですわ、カルロ様」
パチ、パチ、と、ゆったりとしたテンポで手を鳴らしながら、怯える各国の主要陣の集団から声の主が姿を現す。
彼女は、まるで自分のために用意された道を歩くかのような足取りで、見せつけるかのようにジューダスの隣まで歩んでいく。
「……よもや、アンタだったのか。フルーランス王妃!」
長く艶めく黒の髪。対象的に、纏うドレスは穢れを知らぬ純白。衣服の上からもありありと見て取れる豊満な胸に、抱けば折れてしまいそうな華奢な腰。透き通った肌に映る、艶めかしく濡れた唇。心すら見透かすかのような紫水晶の瞳。
まさに絶世の美人と言うに相応しき魔性の女が、そこにはいた。
「名前は確か……マリア、だったか」
「嫌ですわ。それは宮中に入るための偽名。本名はブリジトル・ディアナ……魔女の郷出身の、魔女、ですわ」
なるほど、合点がいった。
魔女――それも魔女の郷の出身なら、その身から醸す魔性の美しさも、人並み以上の精神力を有する各国の首長たる三人が簡単に操られた訳も、納得できる。
眼の前の魔女は地面這いつくばる二人の騎士など目にもくれず、観覧席の端に丸まっている群衆の更に片隅に視線を向ける。
「挨拶が遅れまして申し訳ありません。お久しぶりです、大婆さま」
声をかけた先には、今にも群衆に踏み潰されかねないほど身を小さく屈めた魔女の郷の長がいた。
彼女は怯える様子もなく、皺だらけの頬をさらに怪しげに歪ませる。それは、笑っているようであった。
「ゲッ、ゲッ、ゲッ……『久しぶりだの、ディアナ』」
もはや聞き取れないほど嗄れた声と同時に、鈴を鳴らすような美声が重ねて発せられる。
それは大婆による風魔導の応用、空気の振動を発生させてあたかも人の声のように鳴らす、秘術の一つだ。
誰もがその繊細な魔導操作に目を丸くするが、ディアナと大婆お付きの魔女だけはそれが当然というように顔色を変えていなかった。
「『ディアナよ、腕を上げたな。よもや、これほどまでの認識阻害の魔術を使えるとは。看破の術式を張っていないとはいえ、この儂の目をもってしても気付けなんだ』」
「お褒めに預かり、光栄ですわ」
「『……ディアナよ。郷を追放されたお主が、なぜこのような場に居るのか、そして何を為そうとしているのか。儂には全て些事……どうでもよいことじゃ。ただひとつ、追放された身であるにも関わらず、儂の前にその罪に穢れた身を晒したこと。その意味、分からないお主でもあるまい?』」
「当然です。大婆さま……いえ、昔のようにお婆さまとお呼びいたしましょう。お婆さま、貴女の命を奪いに参りました」
その一言に、場の緊張は更に高まる。
一触即発。指先一つ動かすことも、唾を飲み込むことすら、開戦の狼煙になりかねない。
緊張の糸が張り詰めたその場において、一人、“待った”をかける者がいた。
「……私の前で、堂々と殺害予告か。随分な自信だな、七つの美徳」
騎士たちの後ろに控えていた、アルトリウス帝であった。
彼は警護に当たっていた騎士たちを押し退け、剣をその手に戦いの舞台へと足をかける。
「『皇帝陛下や。これは我々、魔女の郷の問題じゃて。手出しは無用で頼むぞい』」
「そう言ってくれるな、魔女の郷の大婆よ。私とて部下に……大切な友に手を出されて、怒り心頭なのだよ」
「アルトリウス陛下、貴方も粛清の対象です。ですが、それは横の“信仰”の役割。というわけで、お願いしますわね」
「最初からそのつもりだとも。大婆の対処は君に任せる、“慈愛”よ」
帝国のトップである皇帝自身が武器を取って現れたこの場はもはや、ただの戦いの場ではない。
世界の三大国の一つ、ユニオス連合帝国の長。魔術使・魔導士の上位的存在である魔女の総元締め。その二人に対するは、テロリストの幹部が二人。
この場はまさに、銃弾飛び交う戦争の中心地と同義に他ならなかった。




