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村人Aの異世界叙事詩  作者: ユッケ=ビビンバ
第五章 闘いの詩〜大統合武闘祭編〜
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第100話 影の分身

「お前は……影の“立体化”については天賦の才がある」


 道理だ。なんだって僕の内にいる紅蓮が操っているのだから。

 僕が関与しないところで影魔導に集中できるのだから、他の人とは違うのは当然だ。


「逆に……“操作”や“影潜り”については……悲しくなるほど絶望的だ」


 これまた道理だ。僕が体験してきたのは立体化のみだ。

 自身の体を通して行使してきた立体化については多少の心得はあるが、その他についてはからっきしなのだから仕方ないだろう。

 NBAプレイヤーの父と幼い頃からバスケに明け暮れた人が、いきなりサッカーやゴルフなんてしても凡人並の結果しか残せないもの、と言えば分かりやすいか?


「何故だ……何故、こんなにも……開きがあるのだ……」


 グリムが僕の才能に嘆いている間に、僕はその場にへたり込み荒い息を整える。

 今、僕は影使いのグリムとともに、影魔導のさらなる鍛錬を積んでいる。


 このグリムという男、陰気な見た目と話し方とは裏腹に、その指導方針は昭和時代のスパルタそのものであった。

 ろくな説明もせずにいきなり実践させ、できなければできるまで繰り返させる。

 まったく、こんな前時代的な指導はインテリな僕には合わないというのに。偉い人も『やってみせ、言って聞かせて、やらせてみせ、誉めてやらねば人は動かじ』と言っているだろう。それぞれに合った教育が多様性というものではないのか?

 などと声に出さずぼやいていると、グリムも考えを改めたようだ。


「仕方ない……。“操作”と“影潜り”の基礎は、引き続きやるとして……やはりまずは……予定通り、“立体化”を突き詰めてみるか……」


 ボソリと呟かれたそれを僕の耳は聞き逃さなかった。


「今更だけど、突き詰めるって言っても大概のことはもうできるけど? “立体化”にこれ以上の何かがあるのか?」

「簡単なところで言うと……扱える影の総量……立体化させた影の体積を増やすことができる……。……そもそも、影は二次元的な存在であり……体積という概念はない……。そこに魔力を含ませることで……擬似的に質量を与える……。つまり……使い手の魔力量によって……影の体積は無限大に増やすことが、できる……」


 うん、よし、わからん。

 わからんが、それを馬鹿正直に告げると長い講義が始まることをこの数時間で学んだ僕は、とりあえず理解した風に相槌を返すことにした。


「だが……この他にも……“立体化”には精密性……すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()が……作用する」

「巧く扱えるか……?」


 グリムの言い回しが難解すぎるのか、いまいちピンとこない。

『巧く扱えるか』なんて言われても、立体化させた影の武器を振り回すだけだろう。


「お前も……知らず扱っている、はずだ……。お前が使う……あの……クル……クルウロシノ…………」

「……黒漆甲(クロウルシノカブト)?」

「……それだ。あれは……ただの鎧ではなく……お前の動きに連動して動くことで……お前の力を倍増させている……。……そう言っていたはずだ」


 ……なるほど。見えてきた。

 つまりは―――


「つまり、“立体化”はただ単純に『影を物体として呼び出す』だけじゃなくて、『呼び出した影も自分の意思で動かすことができる』ってこと?」

「……その通りだ」


 言われてみればそうだ。

 最初に紅蓮が影魔導を使ったときも、影の触手として逃げる相手を捕まえるために使用した。

 グリムだって同様に、影の触手を何度も僕の前で披露している。

『巧く扱う』というのは、『立体化させた影を如何に精密に扱えるか』ということなのだろう。


「“立体化”を極めれば……こんな芸当も……可能だ」


 そう言うとグリムは自身の影を僕の方にまで伸ばす。

 影はそのまま僕を通り過ぎて、背後へと伸びていく。

 伸びていった先に何があるのか。咄嗟に湧いた疑問を解決すべく、深く考えるより先に首を真後ろに回す。


 そこには、グリムが立っていた。


 いや、厳密には違う。彼の顔面に張り付いた白骨の仮面は、黒に染め上げられている。

 これは()だ。影で作った本物そっくりの人形なのだと、遅れて理解した。


「俺は……これを、“影法師”……と呼んでいる」


 ギョッとした。突然グリムに声をかけられたからではない。

 喋ったのが、目の前の影人形だったからだ。


「え、いま、しゃべっ、え?」

「肺と……声帯を……影で作った……」

「……声を出す機構を……完全に模倣すれば……影に声を出させることも……」

「「可能だ……!」」


 前と後ろの両方で話しかけられる感覚に、気持ち悪さとほんの少しのデジャブを感じる。

 ……思えば、驚くことではない。確か紅蓮も以前、同様のことをやっていたではないか。

 まあ、そのときと比べると、グリムのほうが練度は圧倒的に上だが。


 それはさておいて、確かにこの“影法師”というスキルは有用だ。

 これを応用すれば漫画のように、影の獣を大量に呼び出して相手を襲わせる、影で作った翼で空を飛ぶ、背後に巨人を出現させ敵を一網打尽にする、などなども可能なはず。

 そう考えると思わず感嘆の声が漏れ出た。


「それってどうやって……?」

「まず……影で……人形ひとがたを作る」


 グリムは影を引き戻し、再び自身の真横に自らの姿を写した影人形を作りだす。


「ふむふむ」

「そして……動かす」


 影人形は片手を挙げ、グーとパーの形を何度も繰り返す。


「ほうほう、それで」

「…………以上だ」

「なるほどー……ってそう簡単にできるか!」


 その辺の石ころを拾い、怒りを込めてグリムへと投げつける。

 だが敢え無く“影法師”に弾かれてしまう。


 そうだ、この男はこういう人間だった。

 まるで出来て当然という風に話を進める。

 聞くは一瞬の恥、という言葉を信じてコツを教わろうにも

「まずは……実践だ」

 と、この始末。『やってみないとわからない』とでも思っているのだろうか、この男は。


 仕方ないので駄目元でやってみる。

 まずは影の立体化で人の姿を作る。これが存外難しい。

 それもそうだ。いきなり粘土を渡されて『精巧な1/12スケールのフィギュアを作ってみせろ』とか言われても、ほとんどの人間は不出来なオブジェしか作れないだろう。

 しかし、ここは“黒漆甲”の応用だ。本来、僕の肉体に纏うはずの影の鎧を、目の前の何もない空間に纏わせることで、なんとか人の形を作ってみせる。……作ってみると、中々どうして良い線いっているのではないか?


「……人形の出来は……まあ、及第点だ……。次は……動かしてみろ……」

「言われずとも……!」


 人の形を崩さないように集中しながら、まずは手を挙げさせる。

 しかし上手くいかないもので、まるで初めてマリオネットを動かしたかのような、昔の洋画で見たロボットダンスのような……ともかく、有機的とは程遠い動きで影の右手が挙がった。


「……7点」

「……ちなみにそれは、10点満点で?」

「100点で……だ」

「ぐぅっ……」


 幻聴だろうか。彼の言葉の後ろに『莫迦者』とついていた気がする。

 いや、言葉にしなくても分かる。間違いなくそう思っている。

 分かっている。分かっているんだ。こんな出来で七割も取れるとは思ってもいない。

 だがしかし、夢くらい見てもいいだろう。


「……動きとは……連動的なものだ……。一つ一つの、動作のみに集中していれば……そうなる」

「……思ったんだけどさぁ、“影法師(これ)”って要領悪くない? 普通に影の触手とかで十分な気がするんだけど……」

「……それは……そうだろう」

「…………は?」


 またしても幻聴だろうか。“影法師”の存在意義について愚痴っていたら肯定された気がするのだが。


「“影法師”は……そもそも……練習用、大道芸用の……技だ。戦闘には……向いていない……」

「はぁ!?」


 今明かされる衝撃の真実! 今までの時間は大道芸の練習だった!


「なんでそれを先に言わなかったんだよ!?」

「俺は、あくまで……『立体化の応用で、この程度はできる』……と伝えたかっただけ、だ。それに……教えを求めてきたのは……貴様の方から、だ」

「それはっ……そう、だけどさぁ」


 確かに、グリムの言う通りだ。僕が“影法師”のやり方を聞いたから、彼は教えたに過ぎない。

 僕が何も言えずにいじけていると、グリムもグリムなりに気を遣ったのか、鼻息を一つ吹いてから声をかけてきた。


「さっきも言ったが……“影法師”は、練習用の技でも……ある。“影法師”を極めれば……立体化の練度も……飛躍的に上がる……はずだ」

「……まあ、言い始めたのは僕の方だし、結果的に上達するんだったら頑張りますよ……っと」


 グリムの励ましに乗り、もう一度“影法師”の練習を再開する。

 まずは影の人形ひとがたを形成する。僕の一メートル先には黒漆甲のガワだけが、まるで城に飾られた甲冑よろしく生気なく立っている。

 ここまでは問題ない。問題はここからだ。作り出した影の人形を如何にして動かすか、そこに力量を問われる。


 何気に難しいのが、立体化させた影の形を維持しながら、それを動かさなければいけないことだ。

 ほんの少しでも気を抜けば、影は水をかけられた砂像のように崩れ去るだろう。なるほど、今更ながら影魔導の習得難度の高さを痛感する。

 今まではほぼ無意識のうちに影の触手や黒漆甲を使っていたが、いざ意識して使うと一体全体どのようにして動かせばいいのか分からない。

 ……よし、とりあえず本来の目的からは多少ずれるが、黒漆甲の応用で自分の動きと連動させて―――


(面白いことをしているようだね。私もまぜてくれよ)


 頭の中で声が響くと、眼前にいる影の武者に生気のようなものが宿ったのを感じた。

 武者は、初めて鎧に袖を通したかのように、体の細部の可動域を確かめるような挙動を取る。それは()()()()()()()()()()()()だった。


「ほお……。ここまで早く……習得するとは……、正直……驚きだ」


 ですよね。僕もです。

 幸いにも、僕が手を突き出した状態で硬直していたため、グリムは僕が集中のあまり受け答えできないものだと思っている。お陰で、この現象が想定外のものだとはバレずに済みそうだ。

 さて、それじゃあこの“想定外”は誰によるものか? そんな推測や考察は一瞬だっていらない。

 なぜなら、こんなことができるのは()()()くらいだ。


()()、何をやっている?)


 僕の呼びかけに武者は動きを止め、ゆっくりと僕のほうに向きなおる。

 その鉢金と面頬の隙間には、真っ赤な瞳が覗いていた。


(なぁに。楽しそうなことをしていたから、我慢できずつい参加してしまっただけさ)

(とぼけるな。ていうか、なんでお前が影法師(それ)を操れてるんだよ)

(そもそも影魔導の基礎を教えたのは誰だったか、覚えていないわけあるまい。それに、何度も言っているが、私と君は一つの体を共有している……文字通りの一心同体だ。君の魔力のパスを通って私の魔力を送ることなど造作もない)


 何を得意そうに言っているのだコイツは。

 こちらはお前のせいで影魔導の特訓をさせられているというのに。


(とりあえず、今はお前と遊んでいる暇はないんだ。こっちは一刻も早く“影法師”をマスターしなくちゃいけないん…だか、ら……)

(……? どうかしたか、ヒロ?)

(いや……できてるな、影法師)

(あぁ、うん、できてるよ。操作してるのは私だけど)


 ……そうか。思えば、最初からそうだったのだ。

 なにも、()()()()()()()()成し遂げなくても良いんだ。


「……グリム」

「…………なんだ?」

「少し、試してみたい技があるんだけど―――」



 ―――――――――



(ヒロが影魔導で分身体を作り、その分身を私が操る。これによりヒロは影の実体化のみに集中できる、というわけだ)

(攻撃の手数は僕と紅蓮、単純に二倍! 名付けて―――)


 影 分 身 !


(あいも変わらず、名付けが安直すぎないか?)

(他に思いつかなかったからいいんだよ)


 ヒロと影の分身―――紅蓮は、目の前の対戦相手を見据える。

 当の相手―――カルキは臆した様子も見せず、戦闘の態勢を崩さずに睨み返している。

 徐々に互いの距離は縮まり、そして、拳と小盾が触れ合った。


(紅蓮!!)

(応ッ!!)


 瞬間、影分身がカルキに躍りかかる。紅蓮本来の、鬼の膂力が乗せられた必殺の拳がカルキの頭蓋を破壊せんと襲い来る。

 しかし、予見していたのであろうか、カルキは開始と同時に飛び退くことで凶拳から難を逃れる。

 拳が触れた舞台は文字通り粉砕され、まるで爆弾でも炸裂したかのように土煙が天高く吹き上がる。これが命中していたかと思うと、脂汗が首を伝う。


 だが、これだけでは終わらない。

 分身はすぐさま体勢を立て直し、空中で身動きの取れないカルキに追撃の蹴りを見舞う。

 咄嗟に小盾で防ぐも、先程の拳と同様に凶悪な蹴りの一撃はそう簡単に防御できるものではない。

 小盾はあまりの衝撃に歪みながら、持ち主を伴ってさらに後方へ加速する。


 あわや場外へと落ちるものかと思われたが、カルキは即座に機転を利かし、短剣を舞台の溝に突き刺すことで勢いを殺し、寸前で場外へ放り出されることを避けた。


(……強い……)


 僅か一瞬の攻防ではあったが、相手の力量を推し量るには十分だ。

 少なくとも、目の前の影と真正面から戦うべきではないことは判る。

 石造りの舞台をただの一撃で粉微塵にする怪力。跳び退った直後でさえ追いつける、まるで獣のような敏捷性。更には影という体……攻撃を与えても効果が薄いのは明白だ。

 そして、後ろで控える本体。試合開始から微動だにせず立ち尽くしているところが、返って何を秘めているのか分からず不安を煽る。

 だがまずは―――


(本体を叩く……!)


 潰され使い物にならなくなった小盾を、円盤投げの要領で投げ捨てる。

 回転しながら空を駆けるそれは、影分身には目にもくれず、まっすぐと本体へと向かっていく。


 回避は……間に合わない。

 このまま直撃は免れぬと覚悟したとき、バチンという音とともに回転していた小盾が跳ね、明後日の方向へとフラフラと飛んでいく。

 一拍おいて、小盾を弾き飛ばしたのは自身の腕をムチのように伸ばした紅蓮だと理解する。


「ぐれ―――ッ!?」


 安心するのも束の間、紅蓮の脇を通り過ぎる黒い風にヒロは気付く。

 カルキだ。

 しまった、先程の小盾は陽動。本命はカルキ自身の直接攻撃だ!

 完全に隙をつかれた。紅蓮が追いつくより先にカルキの剣先が喉を突くほうが早い。

 絶体絶命。誰もがこの一撃で決着だろうと予感した。


 ―――しかし、


「まだだッ!!」


 ヒロ自身はまだ諦めてはいない。

 影分身を解除し、自身とカルキの間に影の壁を出現させる。

 突如現れた舞台を横断するほど大壁に、カルキの為す術はなく、後退を余儀なくされる。


(……なるほど。読めてきた)


 大壁によって手出しできない間に、カルキは相手の分析に意識を割く。


(恐らくは、あの影の分身体を出している間は()()()()()()()。小盾で攻撃したときやこの壁を出現させた状況から鑑みても、まず間違いない)


 カルキの推察は的を射ていた。

 事実、ヒロは影分身の形成の維持に集中を要し、その他の事柄をできるほどの余裕は持っていない。

 だからこそ、操作は紅蓮に一任し、自身は形の維持と敵の観察に専念しているのだ。

 だがそれこそ、この技の大きな欠点であった。


(術士本人は動けず、強力な分身による攻撃を主とする。この特性上、分身による遠距離攻撃に専念し、自身に近づけさせない戦法が最適。

 だが、それを逆手に取る。分身を十分に引き離した隙に一気に距離を詰め、無防備な本体を叩く!!)


 大壁によって膠着状態となってから暫くして、壁が突然、形を失い地面へと溶け落ちた。

 そこから現れたのは、ヒロと再び生み出された影の分身だった。

 先程と違うのは、ヒロのほうも“黒漆甲クロウルシノカブト”を纏い、身を守っていることくらいだろう。


(弱点に気付き、身を守る鎧を着たか。しかし、同じことを……)


 再度、影分身が突撃してくる。合わせてカルキも走り出す。

 互いの距離は見る間になくなっていき、そしてぶつかり合う―――その瞬間、カルキは分身の脇をかいくぐり、その勢いのままヒロへと直行する。

 分身は間に合わない。勢いに乗ったカルキのスピードでは、影分身を解除して影の壁を作る暇すらない。

 “黒漆甲”で身を守っているとはいえ、鎧の隙間から突き立てられれば意味は無いだろう。


(獲った……!)


 カルキの剣が、ヒロの喉元―――兜と鎧の隙間に吸い込まれる。完全に致命傷だ。

 このまま剣を引き抜けば、次の瞬間には鮮血が飛び散り、確実に絶命させられる。

 そして今、剣を引き抜こうとした。


 だが、()()()()


「ッ……!?」


 有り得ない事態にカルキが困惑していると、ヒロの体がバカリと縦に裂けた。

 その姿は人の体に擬態していた蠅取草ハエトリグサ。大きく口を開き、間抜けにも近づいてきた獲物を逃すまいとカルキを挟み込む。


「ぐっ……このッ!」

「無駄だ。一度捕まえたからには離さない」


 声は背後から聞こえた。唯一動かせる首を限界まで回し、声の下方向へ目を向ける。

 そこには先程通り過ぎた影分身がこちらを見据えていた。


「貴様……まさか!?」

「そう、そのまさかだ」


 影の分身だと思っていたものはそう言い放つと、パカリ、と兜の口が開いた。

 そこからは生身の顔が、不敵にほくそ笑みながら現れた。


「僕だって『影分身を出している間、本体は動けない』なんて弱点、すぐに気付いたさ。それで、そのまま放置しておくほど間抜けじゃない。一回こっきりの奥の手だが、対策は取らせてもらった。

 まずは壁でこちらが見えていない間に、僕自身に影分身とそっくりな影の衣(シャドウスーツ)を纏わせる。そして、“黒漆甲”によく似せた影のダミー人形を作っておく。これで準備完了だ。

 さっきの戦いからも、強力かつ厄介な影分身を相手にするより、動くことのできない本体を叩きに行くのは明白だ。そこを逆手に取った、ってわけさ。まさか、影分身のほうが本体なんて、思ってもみなかっただろ?」

「貴様ァ……ッ!」

「おっと。その影の呪縛が簡単に振り解けるとは思わないが、念には念を、とっとと終わらせるとするか」


 そう言うと、ヒロは大きく腕を振る。

 影はその動きに合わせ、カルキを天高く持ち上げると、そのまま場外へと放り投げた。


「ぐァ……ッ!」


 カルキは為す術なく、なんとも呆気なく、背中に場外の土をつける。

 それすなわち、彼の敗北を意味した。


「そこまで! 勝者、フルーランス代表! センダ・ヒイロ!!」


 審判の宣言により、個人戦第三試合の勝者は確定した。

 いまいち盛り上がりに欠ける結果ではあったが、この勝敗に文句をつけようとする者は誰もいない。それはこの歓声からも明らかだ。


 ただ、一人を除いては。


「センダ・ヒイロォッッ!!」


 すでに勝利を確信し、気が抜けきっていたヒロの肩は、怒りに満ちたその怒声に思わず跳ねた。

 何事かと声の主に視線を移すと、そこには怒りと憎しみ、そして恨みに滲んだ凶悪な瞳があった。


「な、なんだよ。決着はついただろ? まだなんかあんのかよ!?」

「……許さん。許せん! 許して、なるものかッ!」

「ッ……」


 なんという怒気。なんという怨嗟。一体何が彼をここまでさせるのか。

 そも、本当にヒロとこの男との間には何もないのだろうか? ここまでの恨みを向けられてなお、『知らぬ間に傷付けていた』などと考えるのも不自然だ。

 なら、彼は……


「試合など、どうでもいい……。貴様のような者が、()()()の邪魔をするなどと……」

「ッ! 待て、あの方ってのは―――」

「黙れッ!! ……もういい。貴様は、今、ここで―――!」


 来る。殺意の込められた一撃が、自身の首を刎ねるために襲ってくる。

 これはもうただの対戦相手なんてものではない。明確な敵、共に命を奪い合いかねない外敵だ。

 カルキの敵意に当てられ、筋肉は硬直し、肌の表面には脂汗がふつふつと浮き出る。襲いかかる牙に対しての反射だ。

 だが、対応するには少し遅い。カルキの次の行動を予測し、最適な行動に移すには時間が足りていない。

 ああ、来る。あの剣が、あの鋭い刃が、自身の肉体を切り裂かんと襲い来る。

 来る。来る、来る来―――!




「勝手な行動は慎め。カルキ」


 大きく振りかぶったカルキの腕は、その言葉を放った者に掴まれ、動きを止めた。

 カルキを諌めたのは、ソテルであった。


「ソ……テル、様……」

「………………」

「ッ! も、申し訳……申し訳、ありま、せ……」


 先程の威勢は鳴りを潜め、カルキはすっかり怯えきった表情を見せていた。

 そんな彼に一瞥だけくれてやると、ソテルは凍りつくような冷たい表情から一転、穏やかな笑みをヒロに向けた。


「いや、すまない。迷惑をかけたね。彼には私の方からキツく言っておくから、ここは私に免じて許してやってくれないか」

「あ……ああ。それはいいけど」

「ありがとう、感謝するよ。それでは私達は去るとしよう。最後に、勝利おめでとう。それでは」


 ソテルはそう言い残すと踵を返し、カルキを連れ立ってその場をあとにしようとする。


「待て」


 去ろうとするソテルを不意に呼び止めた。

 ソテルは足を止めども振り返ろうともせず、その姿勢のまま言葉だけ返す。


「……どうかしたかい?」

「お前は……お前たちは“七つの美徳”なのか?」


 瞬間、時が止まったような感覚に陥る。

 ソテルは後頭部を向けたまま、表情を見せない。カルキは未だ怯えを色は抜けないが、恐ろしい目をしてヒロを睨み、沈黙に徹している。


「……なんの事だい?」

「最初から疑っていた。お前たちモーラの代表が“七つの美徳”のメンバーじゃないかってな。そして、カルキの言動や行動から、それは疑いから確信に変わった。ここまで恨みを買うような相手、そしてカルキの言っていた“あの方”。それはお前じゃないのか?

 なあ、七つの美徳の()()()()


 返答は、ない。

 ただ、凍りつくかのような静寂が辺りを支配していた。


「…………」

「沈黙は肯定と取るぞ」

「……ふぅ」


 やれやれ、と言った調子の溜息を口から漏らすと、ようやくソテルはヒロの方へと顔を向けた。

 その顔面には、いつもと変わらぬ作ったような優しい笑みが貼り付けられていた。


「仮に、もしも私がその“七つの美徳”とやらのリーダーだったとして、今、この場で、君に何ができると言うんだい?」

「認めるのか」

「独り善がりな会話だね。質問しているのはこっちだよ」

「……。お前がもし、そうなら……今、この場で……!」


 ヒロの体から闘気が溢れ出す。

 目元には朱い隈取が。胸に下げた竜石からは小さな稲妻が。足元に落ちた影はチロチロと地上へと這い出してきている。

 ヒロはこの場で、今、自身が持つ全ての力を出そうとしていた。


()()は止めておいたほうが良い」


 ソテルから投げかけられたその言葉に、ヒロは一瞬、動きを止めた。


「君が私をそう決めつけるのは勝手だ。だが、状況をよく見てみると良い。君がもしも()()()()()をしたのなら、ここにいる観客や選手たちは君に何を思うだろうね?」

「ッ! お前……!」

「イヤだな。そんな怖い顔をしないでくれよ。私は今でも君のことは気にかけているんだ」


 飄々とそう言うと、ソテルは再びカルキを連れて闘技場の出口へと歩いていく。


「ソテルッ!!」


 入出場ゲートに足をかけようとしたそのとき、再三、彼を呼び止める声が背中にぶつけられた。


「お前の鼻、絶対明かしてやる」

「それは、愉しみだね」


 気に留める様子もなく、そのままソテルたちの姿はゲートの闇の中に消えた。

 残されたヒロは、すでに残像すらないその闇をいつまでも睨み続けることしかできなかった。

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