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失敗作の僕は今日も生き続ける

【登場人物】

<カタストロフ>

・佐月慎也/サツキ

本編の主人公。好奇心旺盛で何かと面倒事に突っ込む。本作彼無しでは進まない。最近は自虐ネタに走る。


・里山モネ/モネ・フィーヴァル

メインヒロイン。政府に勤める裏で、政府反逆テロ組織<カタストロフ>を運営する。リーダー。黒髪碧眼の少女で、佐月の元クラスメイト。プライドが高い。重力魔法が得意な鎖使い。


・サリカ

とある理由で両目を失った少女。しかし能力でモノは見ることが出来る。また回復役。人には言えない過去を持っている。


・カディス

無口な映画オタク。いい所だけカッコつける。氷結の能力の持ち主。


・カノン

本編もう一人のヒロイン。左目にサツキの瞳を持つ。吸引と再成の能力を持つ。


・ミルファー=リークネクト

直接物事には加担しないが、裏でモネたちを支える<協力者>。



人ではない少年が、僕たちの前に、鉄格子を挟んで立っている。彼の年齢は中学生半ばぐらいか。疎らに散らばる鱗に覆われた肌が、艶めかしく光っていた。


「お兄さんたち<マグセレット>だよね?お姉さんもそうかな?匂いが人じゃないもん」

「…おいおい少年、<マグセレット>ってなんだ?」

「マグセレット症候群。文字から読み解けるでしょ?そのまんまの意味で感染者だよ。珍しいね、政府のおうちから出てきたの?」


初めて耳にする単語が出てきた。この少年はマグセレット症候群と言ったか。感染者?一体コイツは何の話をしているのだろうか。


「知りたい?」

挑発するような笑みを浮かべてこちらを覗きこむ。


「何にも知らないんだね!ボクが教えてあげるよ。但し、ボクらはここから出られない。だから、お兄さんたちがこっちに入ってきてね」


明白なまでの誘い文句。よく詐欺は騙される方が悪いと言う人がいるが、ここは敢えて騙されてみるのも手なのかもしれない。僕はカノンと顔を見合わせる。


「シンが何と言おうと私は行くけど」

「そうだよなぁ…。愚問だったな。うん、知ってた」


ケロッと答えられた。どうもこうも、この少女は肝が座りすぎている。僕はもう少し怖がり屋さんな女の子の方が好きだ。


「ねえ!そこの君、これどうやって侵入すれば良いのかな?この凄く強いお兄さんの馬鹿力でぶっ壊すべき?」

「絶対僕のこと馬鹿にしてるよね!?」


剣呑な発言をするカノンに冷や汗をかく。あと、僕のは馬鹿力じゃない。能力だ。

そんな問いに、少年は澄ました返答する。


「壁の下にレバーがあるんだ。それを押せば入れるらしいよ」


指示を受けて右側を見るといつの間にか、壁が存在していた。カノンは〝呼ばれた〟と言っていた。もしかしたら、僕が今いるここは異空間なのかもしれない。

そんなことを考えながら歩く。刺激臭を放つ水の中に、顔を顰めながら突っ込むと、指先に何かが当たった。


「おいお前。これを押せば良いのか?」

「そう、押せば良いだけだよ。しかし、〝お前〟って…。お兄さんは言葉が荒いなぁ。確かに僕から見たらお兄さんは年下に見えるかもしれないけど、人のことを〝お前〟って言うのはどうかと思うよ?」


少年のどうでも良い指摘を受けながらも僕はそのレバーのようなものを押した。無論、肝臓の方ではなない。

歯車が噛み合うような機械音が空間に鳴り渡る。カーテンのごとく閉じていた鉄格子が、音と共に左右に幕を開けて人1人が通れるぐらいの隙間を作り上げた。


「こんな仕組みがあったのね」

「感心してる場合か。つーかマジでこの水臭い」

「我慢しなって。私もかなりキツい…。謎の答えを持ち帰るまでは辛抱よ」


悪臭の漂う手袋を睨む。臭いに反応することなく、少年は隙間からこちらに手を差し出し、招く。


「ボクはルタ。お兄さんたちの知らないこと、教えてあげよっか?」


少年――――ルタは嫌らしい笑みを浮かべて、嗤った。



中は小さな街のようだった。街というよりも、世界史の教科書に載っている写真で見る古代遺跡のようだ。


天井はスーパーの駐車場ぐらいの高さで、大きさの安定しない歪なパイプが数多く通っている。

また、住処によく似たスペースを作るコンクリートの壁は、ところどころ腐食して欠けていたり、何かの衝撃で崩れたりしていた。入り組んだそれはまるで迷路である。おまけに、通路は段差が多い。まるで昔、存在していたものが無理矢理他人の手によって破壊させられたみたいだ。


足場の悪い道を歩きながら、ルタは顔の表情を綻ばせる。


「地下水邸に来客なんて久しぶり。ヴァンさんのところに、会いに行かせてあげるよ。きっとお兄さんが望むことが聞けるはずだよ」

「ヴァンさんってのは…。ここの偉い人?」

「主だよ。ボクらのまとめ役さ」


この地下水邸を統べる者か。

しかし、先程からここの住人が見られない。里山モネは狂人ばかりという内容を言っていた。もっと言葉が通じない人ばかりだと思っていた。胡散臭さはあるものの、目の前を歩むルタは理性を感じる。


「どうした、カノン。何かあったのか?」


気になるものがあるのか。左から右へ、目線を忙しなく移しているカノンに声をかけた。なんだか僕まで落ちつかない。


「いや。ちょっと気になっただけ」

「聞いてみたらどうだ?お前が此処に来たいって言ったんだろう?」

「そう、ね。うんそうよ…」


カノンはふぅっと息を付いて、左の方の隅っこを指さした。


「…あれは何なの?」

「あれって…お姉さんは何を指してるのかな?」


小首を傾げるルタ。カノンは彼を抜かし、コンクリートに囲まれた一室を垣間見た。


「やっぱり」


確信した彼女の後ろから中を窺うと、ベルト付きの木製のベッドが置かれていた。その傍には、包丁、カンナ、千枚通などの凶器が掛けられている。


「拷問してるのね。あなたは何を考えてるの?私たちを閉じ込めて政府の内部情報を暴露させる気?言っておくけど、私たちは政府に反逆しといる立場だから勘違いしないで」

「お姉さん怖いなぁ…。違うよ、ここの元は、政府の研究所だったんだ。だからその名残。お姉さんの被害妄想は今は抑えてよ」

「…ちょっと、誰が被害妄想よ?」

「熱くなりすぎだ…落ち着けよ。僕たちがリスクを犯してまでここまで来た理由を思い出せって」

満足がいかないカノンを宥める。


「分かった。今は我慢しといてあげる。ヴァンという人にあったら詳しく追求してやるわ」

「そうしてくれるとボクも助かるね。あと少しだから付いてきてよ」


拷問部屋のような場を離れ、再び歩き出す。やはり幾ら歩いても人ひとり、全く見られない。


「ここの人はお前と主だけなのか」

「ううん。他にもいるよ。だけど、皆お兄さんたちのこと怖がってる。それだけさ」

「カノン、人の気配は感じるか?」


隣の少女に小声で質問する。カノンは目を閉じて、耳を澄ます。


「隠れている人がちらほら。そんなにいないんじゃないかな?…自信ないけど」

「じゃあいることはいるんだな」


これだけ壁があるのだ。人が隠れるのには最適だろう。


「ところでルタ。僕たちのことを<マグセレット>って言ったが、これはどういうことだ?」

「ボクもあんまり詳しくないんだけどね。ウイルスと言ったら語弊があるかもしれないけど、それに感染した精霊に噛まれることで発症する病だよ。分かりやすい言葉にすれば<兵器>ってやつ」

「…ウイルス?」

「うん。お兄さんたちは、施設で犬型の精霊に噛まれなかった?」


あの時の悲惨な状況を思い出す。確かに里山モネは犬のようなものを連れていた。即ち、あれだろう。僕は失敗作らしいが、僕よりも人として生きることが出来ずに、ブルーベリー色の変色死体になった永野太一らが瞼の裏に浮かぶ。それを踏まえれば僕は感染者の中で勝ち組なのだろうが。


「ルタは、私…そのマグセレット症候群を患った人たち生きていると思う?本来なら必要とする食事、排泄、睡眠を欠いても生きていける人たちは生きてると言っても良いと思う?」


「そうだね」ルタは続ける。「ボクには答えられないや」


「二択だよ、二択。生きているか、死んでいるか。それでも無理なの?」

「うん。でもボクが答えられない代わりに、ヴァンさんが答えてくれるよ」


何度目だか分からない角を曲がった。今まで存在しなかった、扉のある部屋に行きあたる。この先は壁しかない。故に、ここが地下水邸の末端なのだろう。


「いいよ、入って」


ルタが重そうな観音扉を開けた。中に入る。建物こそ汚いものの、取り繕った応接間みたいだ。


「いらっしゃい。おれがヴァンだ」


20代半ばの男性が椅子に座っている。カディスよりも長い髪は櫛で梳いていないようで、ボサボサに乱れているのが印象的だ。

彼は狼のような鋭い目を細める。その顔は、空疎に鱗が纏われていた。


「最凶の魔法使い風の隻眼の青年と、オッドアイの少女、ね。間違いなく政府の関係者って感じ?こりゃまた大物が来たな。大方把握したわ、そこに座っとけ」


ヴァンと名乗る男性に席を勧められ、腰掛ける。以外にも、平成のヤンキーみたいな話し方から気さくな人であると僕は感じた。


「それじゃあボクは失礼するよ。ヴァンさんと仲良くごゆっくりどうぞ!」

「お前はこの場にいないのか?」

「うん。ちょっと用事があってさ。じゃあねお兄さん」


胡散臭い少年が立ち去った。部屋の中には僕とカノンとヴァンの三人だけになる。


「今日はどうしてここに来たんだ?しかもこんな遅くに。良い子は寝る時間じゃね?」

「えっと…。私たちは自分たちの置かれている状態を少しでも把握する為に来ました。ルタっていう少年も言っていたマグセレット症候群…。あなたは知っているんですよね?」


僕の代わりにカノンが答える。流石、自分から行きたいと言っただけあり、話の初めから核心に触れようとしている。少女の堅苦しい質問に、ヴァンは手前に置かれていた皿を出した。


「おれはそんな硬っ苦しい話は好きじゃねぇんだよ。ま、雰囲気から分かるか。これでも食って落ち着け。おれたちの生命線の飯だ。美味いし、食べると落ち着くぜ?」


皿の上にはビーフシチューの肉だけを取り出したようなものが乗っている。ただ、見た目は筋が多い豚肉のようだ。


「ヴァンさんでしたっけ。これ、毒とか入ってるんじゃないよな?」

「安心しろ。おれはそんなことで人を殺すような人間じゃねぇよ。って言っても、こんな見た目じゃ、自分のことを人間とは言えねーか」


ハハッと乾いた笑い声を出すヴァン。それでも安心出来ない。今にも口に入れそうなカノンに「食べるなよ」と声をかける。世の中には別世界のものを口にしたら帰れなくなるという話が存在しているのだ。


「さぁて。おれは何から話せばいい?」

「ヴァンさんは…、マグセレット症候群の私たちは生きていると思いますか?」


「タメ口で良いっての」相変わらずペースを崩さずヴァンは続ける。


「じゃあ逆に質問しても良いか?」

「質問、ですか?」

「そう。おれたちは実験を繰り返し禁断症状が発生した故に、ここに閉じ込められてんだ。まあ、政府公認の監禁って言った方が正しい。あんたらと異なって、地下で暮らすことしか出来ねぇおれたち。そんなおれたちは生きてると思うか?」

「…答えなきゃ駄目ですか?」

「うん。答えなきゃダーメ」

「そこのお肉のようなものを食べて命を繋いでいるようですし…ヴァンさんたちは生きているのではないのでしょうか?」


意外だった。カノンの考えは相変わらず読めないが、彼女の視点からだと<ディスミス>は生きているように見えるらしい。


「理由とか、言った方がいいですか?」

「別に。考えるのは自由だ。因みにおれらはこんなところに居ても、生きていると思っている」


どこか哀愁を帯びた表情をするヴァン。その瞳は虚空を見つめていた。


「他にも聞きたいことがあるんです」


カノンはルタから聞いた疑問を提起する。


「ここって政府の研究所だって聞いたんですけど、本当ですか?」

「ああマジだよ。政府第一実験場っていう施設だ。俗に言う研究所と何も変わらん。で、おれはその被験者。つーか、ここにいる奴は同様の症状のせいでここにいる」

「実験場ですか」

「ちょっと殺人事件が起きて潰れっちまったんだよ。青年はなんか質問あるか?」

「僕?」

「青年じゃ呼びにくいな、名前を聞いても良いか?」

「僕の名前は――――」


口を開くものの、その質問に少しだけ考えた。一度見たら忘れられない特徴的なこのような見た目であるが故に、本名を割ったら里山の胡散臭いテロ活動に支障が出るかもしれない。別に僕が里山モネのことを心配している訳ではないが、迂闊に口に出さないのが吉だろう。


「…僕のことはダンテで良い。そうだな。<破壊を灯す青(フォージェリーダンテ)>と名乗っておこう」


カノンがドン引きの目で僕の顔を見つめる。


「やめてくれ!そんな目で僕のことを見ないで!」

「あなたって、初対面の時もそうだったけど、そのセンス本当に頭おかしいと思うよ…。サリカにヒーリングしてもらう?」

「余計なお世話だ!」


ゴミを見る視線のカノンと突飛な発言をする僕。そのような混沌を眺めてヴァンは笑った。


「はははっ…ダンテか。お前、最っ高に面白ぇわ。ひとつ良いこと教えてやんよ」

「良いこと?」

僕とカノンが声を揃えて鸚鵡返しする。


「そう。良いことだ。実はダンテ…お前じゃない方の<ダンテ>はこの土地を呪ったりなんかしてねぇんだよ」

「どういうことだ?それだったら、<エラ・ステラス>は、こんな終末絶好調状態なんかじゃないぞ?」


<エラ・ステラス>は女王が<ダンテ>に敗れたことによって受けた罰であり、呪いであると僕は解釈している。その戦いに勝利を掴み、呪いを与えた本人が不在ならば、この世界は現在成り立っていない。


「<ダンテ>は不可抗力でそうせざるを得なかったんだ」

「…不可抗力?」

「自傷魔法だ」


ヴァンがテーブルの皿に並んだ肉のようなものを爪楊枝で刺して口に放り込んだ。それをガムのように噛みながら彼は続ける。


「ステラの魔力自体がこの土地を蝕んでいるんだ。だから<ダンテ>は最凶の魔法使いなんかじゃないとおれは思うね。どちらかと言うと、自ら巻き込まれに行った第三者」

「そもそも僕は、この世界の魔法というのがどういうのかが分からないんだが」

「魔法は努力と才能で身につけるもの。能力は何らかの事故が原因で発生して生まれるもの。だから、シンのぶっ壊すやつは能力ね」


隣から割り込むカノン。つまり、里山モネを例にすれば能力使いよりも魔法使いという訳か。政府の施設の地下で目の当たりにした重力魔法のようなものも、きっとそれに値するのだろう。


「そう、ご名答だ」


ヴァンはそう言って起立した。

「もういいよな?おれたちも起きてるの結構辛いし、時間も遅いから帰った方が良い。途中まで送ってくから」

「気持ちだけでいいですよ。私たち二人で帰れますので」


丁重にカノンは断る。そんな中、僕はどうしても気になっているものがあった。伏線だらけのヴァンの台詞よりも、皿に置かれた肉のようなもの。


この人たちは地下に隔離されているのにどうして肉なんてあるのだろう。この肉は何処から来たんだ?そもそも<ディスミス>が僕たちと同じなら食事なんて不要な筈だ。考えられるとしたら里山のような料理好きか、食べることが趣味でもない限り。僕がこの世界に来てから、野菜は食しても肉は口にしてないのだ。つまりこの世界に肉はない。


――――では、どうして肉なんて出すのだろう?


「質問。してもいいか?なんでもいいんだよな?」

「好きに聞いてくれ」


「お前らのライフライン。これ、何の肉?」


僕が質問した途端、ヴァンの瞳が仄かに動いた。ビンゴだ。そもそもこいつらは僕たちを帰すことなんて無かったんだ。帰すどころか胃袋に還されるところだった。


「どういうこと?ちょっと説明してよ?」

「…あの拷問部屋は偽物なんかじゃなかったんだ」

「おいおい。本当に面倒な野郎だな?その無駄に冴えている脳味噌、うめぇことに間違いなさそうだ」

「ヴァン。僕の妄想を聞いてくれるか?」


頭の上にクエスチョンマークを浮かべるカノンが僕の裾を引っ張ってくるが、それでも僕は続ける。


「お前ら、カニバリズムだな?ここに来る奴は全員餌。だから、ライフラインってことか。そして〝起きているのが辛い〟って言葉からすると、飯不足だと考えられる。なるべくエネルギーを消費したくないもんな。その肉、かなり貴重なんだろうから大事にしまっておけよ。大事なものは人に見せないってママに教えて貰わなかったのか」

「…君たちに肉の美味しさを知って欲しかっただけだぜ。でもまあ、君の妄想の通りだ、気づけて良かったね。でも一度だけ<マグセレット>の肉、味わってみたかったなぁ……」


狂ったようにくつくつと高笑いを始めるヴァン。やはりあの肉を食わなくて正解だった。とにかく、今はこの部屋から出なければ。


「カノン、手袋を外せ!能力を使うんだ!」

「わ、分かった…っ!萌え死なないでねっ…!」


里山モネ手製の能力発動の枷となっている手袋を歯で挟んで脱ぎ捨てる。後ろからヴァンに抱き着いた。彼女の能力である活力吸引(エナジードレイン)が発動される。能力によって体力を吸われたヴァンは、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。死んだように眠っている。


「もしかしてやりすぎちゃったかな?」


外した手袋を元のように手に着せながら、心配そうにヴァンの顔を覗く。


「寧ろこれ位やってくれた方が助かる。ありがとう」


優しく彼女の薄墨色の髪を撫でると気持ち良さそうに目を細めた。


「あの、私よく分からなすぎて分からないんだけど」

「カノンが分からないことは分かったから落ちつけ」


崩れ落ちたヴァンに蹴りを入れ、本当に気を失っているか確認する。話し合いの最中に邪魔しに来られたら苛苛しい。


「実は僕もよく分かってないが、ここの住人、つまり<ディスミス>は食人種だ。だから隔離されているんだと思う」

「じゃあ、これって人のお肉?」

「そうだろうな。誰のものかは知らないが」

「ええ…無理…。気持ち悪っ」


肉のようなものを睨みつける。幾ら調理されているとはいえ、こんなものを勧めてくるなんてまさに狂人だ。生きる為かもしれないが、ゲテモノ料理を食す以上に僕の体は受け付けられない。里山モネが言っていたことが今更ながらよく分かる。


「…水!?」


気が付くと、踝ぐらいの水位だったはずが、徐々に上昇していた。膝くらいの高さにまで達している。扉の隙間から、タチの悪いことに流れ込んできていた。


もう臭いなんて気にならないぐらいの緊急自体だ。ここは地下。水位が上まで届けば僕らは間違いなく溺死に追いやられるだろう。


「扉が開かない…!」

「開かないならぶっ壊すだけだ…!僕の能力は使えそうか?」

「いけると思う。魔力紋が見られないし、これ、誰かの能力じゃないかな?シンの能力で対抗できるはず」

「閉じ込めて僕らを殺す気か。本当に趣味が悪い」


扉に向かって体当たりを繰り返すカノン。開かないことが分かると、扉にそっと耳を添える。


「…外に何人かいるみたい。それに、能力で扉を開けたら、水圧で流されちゃうかも」

「さっきの盗聴か、待ち伏せか。まあ主がこんな状態だと知れば外は戦場だろうな。…よし。少しグロッキーかもしれないから、目を瞑ってろ」

「…?うん。分かった」


カノンを後ろに向かせる。今の僕たちには能力しか武器がない。なら戦えるものが無ければ、作れば良いということだ。


やや前屈みの姿勢になる。息を思いっ切り吸って、止めた。背中から翼が生えていくような、そんなイメージを強かに思い浮かべた。初めてこの世界に来て、僕が犬に噛まれて、それから起こった反応だ。失敗作のレッテルを貼られる要因のひとつでもある。


血液が背中の皮膚を突き破り激痛を伴った。下唇を噛み、痛みを堪える。鮮血を滴らせながら、背中から剣山のように赤い結晶が顔を出す。カディスやサリカとは異なり、血液が凝縮して全く機能していない。<兵器>特有の羽だ。


「もう目を開いて良いぞ」


振り向いたカノンは顔を歪める。

「うっわ…痛そう。それに服も駄目にしちゃって怒られるよ?」

「仕方ない。武器にもなると思ってな。素手じゃきついだろ」


背に手を伸ばし、二本折って、その内の一本を、カノンに渡した。彼女は右手で僕の折れた羽を握る。


「今から僕の能力で扉を壊す。序に外で待ち伏せしてる野郎どもも巻き込むつもりだ。左手を貸してくれ」

「左手?」


彼女が差し出した手を握った。するとカノンの顔が茹でたタコのように真っ赤になる。手袋越しでもカノンの体温がじんわりと伝導した。


「顔が赤いぞ…。そんなに照れることか?」

「私、男の人の手を握ったの初めてだから…その…」

「緊張なんてするな。ただ、僕らが逸れないようにする為だ」

「うん。…ありがとう、シン」


片手に武器、もう片方に少女の温もり。今の僕の装備はあらゆる強敵にも立ち向かえる気がした。


「行くぞ、 |【crash】(ぶち壊せ)!」


羽を手にした手を掲げ、名付けた能力を叫ぶ。

子供が自身の作った砂の城を壊すぐらい鮮やかに、目の前の扉が崩壊した。それにより、勢いのついた水流が僕らを襲う。水位が腰までに上昇して流れによって体を持って行かれそうになった。

地に着いた二本足で必死に踏ん張る。


握りしめた少女の手を確かめる。しかし変だ。何かが不自然だ。こんなにしっかり握っているのに、どうして軽いのだろうか。


「カノ…ン…?」


恐る恐る振り向いたその先には、カノンはいなかった。ついさっきまでそこにいたのにだ。


――――僕の手の中にいたのは、肩口で切断された若い女性の腕だった。


鮮やかなほどの血飛沫を感じた。<カタストロフ>の戦闘服でもあるジャケット。それの、二の腕当たりが、血でべっとりと汚れて、破れていた。千切れた腕が、重力に逆らえずに、こてんと下に落ちる。

そして手袋とジャケットの裾を残して灰のように消えた。僕は驚愕で悲鳴を上げそうになった。


「何処だ!?カノン、何処に行った!?」


もう頭がどうにかなってしまいそうだった。水の流れる音が耳障りだ。鳴り止まない音が僕の脳内を攪拌する。彼女の名前を叫んでも応答する気配はない。残った手袋をズボンのポケットに突っ込み、辺りを見回す。彼女の姿は見えない。


「カノン…!やられたか。このままじゃ―――」


あいつらに食われる。異常な回復力のお陰で今は腕は彼女の元に戻っているだろうが、精神面が心配だ。あの子は傷を負うことに対して人の倍以上のトラウマを抱えていることを僕は知っている。


「―――僕が助けに行かなくては」


「そうはさせないよ」


後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。水の音にも負けない、よく通る中性的な声色だ。


「ルタか」


覚悟を決めて振り向く。にっこりと無邪気な笑みを浮かべるルタ。初対面の時と異なって顔の左部分を覆う鱗の量が、若干ながら増えている。


「ねえ、お兄さん。ボクたちが背負ったペナルティについて聞いていかない?」

「悪いな。今はカノンを助けることで精一杯なんだ。溺れる前に、直ぐに彼女のところに駆けつけないと」

「そんなこと言わないでよ?無慈悲だなぁ」


僕の頬に何かが掠った。手の甲で拭うと擦れたような痛みと出血が確認できる。


「ボクが授かった能力だよ。空気を収縮して矢のようなものを放てるんだ。でもね、使い放題じゃない。使用過多で<兵器>の体の何処かの皮膚が、次第に爛れていくのと一緒さ。ボクたちの場合は食人衝動が発生するんだ」


ルタは、まだ幼さが残る顔に涙を浮かべて俺に訴える。ヴァンの言っていた禁断症状。即ちそれが食人衝動なのだろう。


「だったら…、能力を使わなければ良いだけの話じゃないか」

「無理なんだよ…。これは呪いで、ボクは度を超えた失敗作であることが現実だ。お兄さん以上の劣化品なんだよ。何にもしなくても食人衝動が起こる。それ故にこの実験場は閉鎖。多くの人がボクたちのせいで命を落とした。空腹が満たされずに同族も食べた。本当に辛いんだ、苦しいんだ。だから―――」


ルタの皮膚を侵食する鱗が増えていく。もう目の前の少年には、ヒトの面影は感じられない。


「―――――お兄さん、ボクの胃袋になってよ?」


少年が目にも止まらぬ速さで僕の方に突進してきた。間一髪で回避。折った羽で反撃するものの、動きに付いて行けない。当たらない。


「実はね、ボクだけじゃないんだよ。みーんな、お兄さんのことを食べたくて食べたくて仕方ないんだ」


僅かな風を感じて避ける。すると、僕がいた位置には空洞が出来ていた。いつの間にか、背後にはルタ同様に肌が鱗の女が立っている。空洞はこいつの仕業のだろうか。

視認できる敵はルタと女のみ。他にいるかどうかは僕の感覚ではわからない。現在の水位は腰の辺りだ。ブーツの中に水が入り込んで非常に動きにくい。それにこの土地は初めて。右も左も分からない僕は圧倒的に不利だ。逃げるのも有りだが、追われて袋小路になってしまう場合を考えると、非常によろしくない。


背中の緋色の結晶を更に折って、気配の感じた方へ投げた。敵がそれを避けた刹那、ルタの上の天井の廃パイプを睥睨する。

ガシャンと耳を覆いたくなるような音が響き、パイプが崩落してルタに命中した。その隙に、女の顔面に向けて能力を放つ。僕は掌を突き出して構える。


「地獄で懺悔してろ。ヒトの道を外れた化け物が」


女が「ギャァッ」と短く悲鳴を上げ、顔を手で隠し悶えた。破壊の能力を応用して、女の顔の内部を破壊したのだ。殺すというよりも、僕は敵を戦闘不能に出来れば満足である。ただ、痛いのは僕も同じで。


「マジで痛てぇ…」


ジャケットの袖を捲ると僕の皮膚は赤く腫れ、所々裂けたように爛れていた。まるで重い火傷を負ったようで、血が滲んでいる。能力を使いすぎると発生する、<兵器>が担うことになった懲罰。


「この痛みが衝動に変わるんだよな」


彼らに同情をするつもりはないが。捲った袖を元のように正す。こうしてなんていられない、早くカノンの元へ行かなければ。大体だが彼女がいる場所は把握出来ている。拷問部屋改め、解体場の中にいるだろう。


埋もれているルタを、パイプが積み重なった上から僕の背中の羽で突き刺した。彼の腹部から紅の液体と臓器が溢れ、水を濁らせていく。急所は避けたから死にはしないだろうが、致命傷であることには違いない。

僕はこの場を離れ、彼女がいるであろう解体場へ向かう。


「カノン!どこだ!?答えてくれ!」


名前を連呼しても返事は相変わらず聞こえない。冷たく、臭いの強烈な水に体力を持っていかれそうになる。力を振り絞り、歩みに集中する。


「っ…!また敵か。全く何処から湧いているんだ」


目の前には焦点の定まらない女の子がいた。推定年齢は10歳ぐらいだろうか。長い前髪から白目と黒目が逆転した、奇妙な瞳が僕の姿を捉える。言うまでもなく、鱗も妖艶な光を放っている。バタフライナイフを手にしてこちらへ緩やかに接近してきた。


「許さない。殺す…偽ダンテ」

「偽ダンテ…?ああ、僕のことか」


ヴァンの話から思うに、<ディスミス>はこの世界の人の考えとは真逆の思考を持っているように思える。<カタストロフ>女性陣は<ダンテ>なんて単語を口に漏らしただけでも嫌悪するぐらいだ。ステラを崇拝する政府に反逆するだけにしてもおかしい。

ナイフを僕の下腹部に刺そうと飛んでくる少女。その手首を激しく掴み、お腹に蹴りを入れた。怯んだ隙にナイフを奪い、彼女の首筋に当てる。蹴られた少女は痛そうに呻く。


「すまない。死にたくなかったら、僕に情報を渡して欲しい」


僕に掴まれて抵抗しようと試みるが、身動きを取る度にナイフが首筋に小さな傷を作る。逃げられないと判断すると女の子は諦め、泣きそうな表情を浮かべて、辛そうに言葉を吐いた。


「あたしは何をあんたに教えればいい?」

「まずはお前の仲間。今ここに何人いる?」

「…ここにはあたしだけ。あとはあんたの相方のところにいる」

「本当か?」


僕は少女の頸動脈に当てる力を強める。

「ほ、本当だって!地下水邸にはあたし含めて7人しかいない。何度も言うけどあとの3人はあの部屋にいる!だから殺さないで…!」

「もうひとつ質問だ。政府の元施設の拷問部屋。ここからどう行けばいい?」

「右に曲がって、それからまっすぐの突き当たり。もういいでしょ!?もう危害を加えないわ!お願い…助けて……」

「教えてくれてありがとう。ごめん」


そう告げてナイフの柄で彼女の後頭部を叩いた。気絶させただけで、殺してはない。


「これじゃ僕は完全な悪役だな」


以前カノンが幽閉されていた場では、職員相手に何も出来なかった僕だが、今回は敵との相性が良いのか絶好調だ。

女の子に言われた通りの道順で進む。


「死んでいるのか…いや眠っているだけか」


歩みを進める途中に、男がぷかぷかとみっともなく浮かんでいる。彼の皮膚も鱗だらけだ。地下水邸に住むのは皆、同じ実験の被験者ってことで間違いないだろう。

しかし、この眠り方。まるで空気を抜いた浮き輪のように寝ている。この男に能力干渉したのはカノンか。


「まあ、僕が想像しているよりあの子は強いよな」


吸引と再生を繰り返せるのだ。<兵器>の弱点である粘膜(主に口内と眼球)さえ知られなければ、ある意味無敵だと言えるぐらいのとんだチートだ。僕にも少しだけで良いから分けて欲しい。腕が死にそうなほどに熱くて痛い。

部屋に着いた。崩れ掛けたコンクリートが特徴的な解体場だ。深呼吸をし、慎重に隙間から中を覗く。


「中は二人か…?」


8畳ほどの空間に男が髪がフサフサなのと、スキンヘッドの男が一人ずついて、その中心のベッドにカノンが寝かされている。彼女の口には猿轡が施され、両手両足も木製のベッドに枷で固定されていた、


「彼女を救助して、溺れる前に脱出しないと」


上騰し続けるこの水位。これも誰かの能力の仕業なのだろうか。だったら、その能力使いを殺せばいいだけだ。地下水邸には7人しかいない。残す人は2人だけで、他は倒した。どちらかの男を倒せば解決するだろう。

唯一の武器を手にして僕は部屋に飛び出す。


「カノン、力を抜け!」


涙目でこちらを見つめるカノンに言葉を投げて、腕を突き出した。彼女の手足の拘束具を破壊する。僕の気配に気付いた二人の<ディスミス>が、数秒遅れてこちら側に振り向いた。

カノンは解放された手で、咳き込みながら丁寧に猿轡を外した。


「遅くなってごめん。あの外道どもに食われたか?」

「ゲホッ…大丈夫…助けてくれてありがとう、シン。私の体は、切り落としたところから消失して再生するから、食べようとしても無理なの。だから平気」


彼女との話を割くように、スキンヘッド男は、握っている出刃包丁を僕の肩へと狙う。


「あぶねえ…。戦うしかないか」

「…私も手伝えるなら手伝いたい」

「怪我人は大人しくしてろって言いたいが…流石に僕と男二人じゃ無理があるかな。ひとり任せてもいいか?」

カノンは、「もちろん」と頷く。


それにしてもだ。彼女の、幽霊といっても過言ではないぐらいの顔色の悪さ。きっと何回も再生したのだろう。カノンの服装はぼろぼろで、タイツも激しく伝線し、ブラウスはジャケットも目を背けたくなるほどに血に染まり破れている。見ていて痛々しい。


「切っても食わせてくれない女、そしてヴァンさん相手に自称ダンテを名乗る個性の塊。こりゃびっくり変人だわ。お前達<赤い箱>か?」

「<赤い箱>…?」

「え…?違うのか?違うとしたら…、もしかして<カタストロフ>?」


ヴァンとの会話を盗聴していたのか。赤い箱というワードが引っかかるが、スキンヘッドが出刃包丁を振り回し、僕に思考を巡らせる猶予を与えない。僕はそれをかわして、彼の頭上のコンクリートを落砕する。


「…今は二人だけで行動してるから、正確には<カタストロフ>ではないよ」

「はは、でも見て分かるぜ。変人気質だけじゃない、その服装と能力、及び発言のセンスは<カタストロフ>に間違いないな」


コンクリートに潰されかけたスキンヘッド男が瓦礫から這い出てくる。ハゲは随分としぶといようだ。

他方で、フサフサ頭にエナジードレインを使用するカノンが音を上げた。


「シン…っ!無理!こいつ私のが効かない…どうしよう!?」

「どうすんだよ!何とかしろよ、カノンはやれば出来る子だろ!?僕よりも強いだろ!?」

「人を褒めても何も出てこないよ…だって、私の手が当たらなきゃ能力は発動しないもん!」


後退し続けるカノン。背後は壁だ。狭い部屋だからこそ、起こりうる行き止まり。髪の毛がフサフサの敵は彼女の目と鼻の先で、僕が今から全力を出してもカノンを助けられないはずだ。

今の僕の敵はスキンヘッドだ。逃げることは許されない。それに放棄して、彼女のところに駆けつけてもスキンヘッドに殺られる可能性の方が高い。僕はそこまでハイスペック男ではないのだ。


「もしかして詰んだか…?」


それだとしたら非常にまずい。なんとかしてこの状況を打破する手を探さなければ。さっきみたいに顔面を作画崩壊にするか?いや、もう僕の体は悲鳴を上げている。能力を使うのは無理だ。使ったらきっと、僕までも倒れてしまう。考えろ、考えろ。


「その必要はないわ」


辺りの時間を停止させるような、精霊の子守唄のような美声が木霊した。例え、目を閉じていても分かってしまうその麗しい声の主の名を僕は知っている。


「飛びなさい!」


アバウトな指示に従い、本能のままに木製ベッドに駆けつける。カノンも声に反応して、ほぼ同時にベッドに登った。その次の瞬間。


「――――凍てつけ【glacial】」


低い男声が響く。冷気が頬を痺れさせ、水面が凍りついた。さらに凍りついたところから鋭い円錐が大量に飛び出し、二人の<ディスミス>の腹部を貫く。吐血する赤さえ凍らせる、巨大な氷柱の威力。奴らが死ぬのも時間の問題だろう。


「…おいおい仲間を殺す気かよ。あと一秒遅れてたらどうなってたか。やっぱり里山が一番の狂人だ」


解体部屋の前には里山モネとカディス。動きにくそうな喪服のようなドレスに、例のジャケットを着ている。凍結しているのは僕らの周囲だけで、彼女を取り巻く周りは水のままだ。


「助けに来てくれたヒーローになんてことを言うのかしら?それにこれはカディスの能力よ。私は知らないわ」

「モネ様、俺に罪を擦り付けるようなことは御遠慮下さい。…助けに来てやったぞ、サツキ」


何が起こったのか直ぐには理解出来なかった。ひょっとしてハゲとフサフサに殺されて夢でも見ているのではないかと思ったぐらいだ。しかし、これは現実らしい。その証拠に、僕の両腕は能力の使いすぎで疼いている。ゆっくりと彼女たちの顔を見上げると安堵で緊張の糸が解れていく。


「…うわぁぁぁぁ!!!ありがとうカディス様…モネ様…僕死ぬかと思った!!!まだ…手が震えてる!!!」

「ひっく…私も、死なないけど死ぬかと思いました…このご恩は忘れません。本当に、本当に勝手なことをしてごめんなさい…!!」

「わ、分かったからちょっと落ち着きなさいって。カディス、能力を解除して良いかしら?」

「はい、どうぞ」


里山モネはカディスが凍らせた水面を元の状態に直し、水分を消した。どういう仕組みなのかとても気になる。

しかし、本当に里山たちが来なければ、僕らの片方は運が良くて負傷、それか虫の息だったかもしれない。今回だけは里山たちに感謝しきれない。ひょっとして僕、返しきれない借りを背負っちゃった?


「サリカ、まずは佐月の体頼んだわよ。しかし、あんた…。その背中に腕、どうなってんの?」


ジト目でこちらを見る里山モネ。それもそうだ。僕の背中には未完成の羽が生え、腕は痛みの感覚が遠くなるほど大惨事になっている。

里山の後ろからサリカが出てきた。トラウマを抱えるだけあってやや辛そうだ。こういう時、僕はどう人と接したら良いか分からない。


「サリカ…その…」

「ふふ、カチカチ山みたいです」

「僕はタヌキじゃない…っじゃなくて!?」


彼女は口元を抑えて上品に笑った。予想もしていなかった彼女の反応に目を見開いてしまう。


「何ですかその目は。追求しないでくださいね?その内私のことを話しますので。背中のを削ぎ落としますよ、歯を食いしばってください」

「サリカ…、って痛ってぇ!もっと優しくしろよ…」

「これしか手が無いんですから。我慢してくださいよ?」


結晶を削ぎ落とすどころか乱暴に引き抜き、治癒を始めるサリカ。僕に話をさせるつもりはないらしい。


「佐月は元気そうね。カノン、ここに来て答えは見つかったかしら?」

「…多分見つかりました」

「そう?聞いても良いかしら?」


ニヤニヤ笑いながら、カノンの傷だらけの服を魔法のようなもので一瞬で元に戻す。カノンはやや間を開けて言葉を紡ぎ出した。


「ここの人たちは欲を満たすために生きるのに必死でした。生には欲が付き物です。生きる為に人を食うと聞いて、〝死んでいる〟なんて言えません。私は、心の音が鳴ることが減っても<兵器>及び政府の実験の被験者はそれでも生きていると思います」

「そう。〝死んでいる〟のも〝生きている〟のも考えるのは自由だわ。でも、私は『死ぬ』という表現よりも『生まれ変わった』って言う方が好きよ。それこそが死出の旅路ね」


里山モネは大きく伸びをする。

「この話、聞いてるみたいね。出てきなさいよ、<ディスミス>の少年くん」


部屋を跨いだ通路の奥から老人が顔を出した。しかし、それは老人ではなく老人のように限りなく腰を曲げて、内臓が零れ落ちるのを辛うじて防いでいる少年―――ルタだ。さらに、全身には鱗が増殖し、見るのも無惨な状態と化してしまっていた。


「盗み聞きとはマナーがなってないわね」

「…どうやって入ってきたのかな?ボクは君たちなんて呼んでいないよ」


肩でゼェゼェと息をする。ポーカーフェイスは崩していないが、その呼吸は辛そうで彼の体の重症さが窺える。お腹の傷は僕が作ってしまったものだから、正当防衛とは言え、何だか申し訳ない気持ちで満たされてしまう。


「塔から忍び込んで入ってきたわ。異空間とは言え、ここは塔の地下。私ぐらいの超一流魔術師なら容易い御用よ」

「魔女の巣から、か。お姉さんは本当に面白い冗談を言ってくれるよ」

「おい、ちょっと待て。…ここが異空間?」

「考えてみなさいよ。アホの代名詞の政府でも、カニバリズムを地下に野放しにするほど馬鹿じゃないわ」


だから、地下水邸に近付いた時、カノンは僕に『呼ばれた』と発言したのか。恐らく、自分たちから望んでこの空間に迷い込むことは不可能なのだろう。あとは、ある条件が揃わない限りといった内容であるとか。


「治癒終わりましたよ。まだ痛みますか?」


丁度、サリカが生暖かい光で治療していた腕と背中の傷が塞がった。跡は残っているが激しい運動をしない限り血が噴き出ることはないであろう。


「ありがとうなサリカ」

「いえいえ。能力を使う時は注意してくださいね」


サリカは僕の側から離れると、ルタへとその視線を移した。


「モネ様、私がここに来るのに了承した理由を忘れてませんか?そろそろ我慢の限界なんです」

「忘れてなんかいないわよ。地下水邸を崩壊させるんでしょ?」


話題の展開についていけない僕。いたたまれなくなってカディスに話かける。


「ここを潰すのか?」

「そうだ。サリカはお前らを助けに行くのを拒絶した。だからモネ様と約束をして、此処を崩壊させる条件で来たんだよ。感謝しとけよ?」


彼女の身に過去に何があったかは僕が知ることは出来ない。だが、自らが『呼んだ』とはいえ、一方的に侵入され、己の住処を荒らされたルタはどう思うのか。


「助けてよ…苦しいんだ」


涙で、鱗により変形した顔を濡らす。もう能力を解放する力も残っていないようだ。そんな少年に里山モネはゆっくりと歩み寄る。僕の左目を引き抜いた、あの忌々しく、且つ禍々しい光を放つ漆黒の鎖を、ドレスの下から取り出す。彼女に慈悲なんて無いのとを僕は知っている。記憶のストロボになって訪れるのは、僕の脳にも刻まれているあの悪夢だけだ。


「ええ。助けてあげるわ。――――おやすみなさい」


彼女は鎖を彼の首に巻き付けた。呆気ないほど簡単に首が千切れて、公園の噴水のように鮮血が飛び散る。


「私たちが出たら地下水邸を消すわ。さっさと移動しましょう」


里山モネがハイヒールの音を響かせながら僕の前を通り過ぎ、来た道へと戻っていく。


「里山、人は殺さないんじゃなったのか?」

「人じゃないわ。化け物よ」


「でも」僕は彼女を引き止めた。あれで本当に良かったのか。冷静な状況に置かれたからこそ見えてくる僕の意見。真実の模範解答はただ壊すだけなのか。綺麗事でも構わなかった。


「息の根を奪うことしか方法は無かったのか…?」

「<ディスミス>を生かしておいても、彼らは苦しむだけよ。だったら殺した方が楽になる。それだけ」

「…どうせこの土地を消すなら殺さなくても良かったじゃないか。まだ奥には気絶しているだけで、生きている女の子や地下水邸の主だっている。ルタだけ殺すなんておかしい」

「じゃあ佐月は奥にいるそいつらも殺せと?」

「そうじゃない…そうじゃないんだ」


里山モネは僕の肩にそっと手を置く。

「この世界を甘く見ないで。…もう朝になるから帰るわよ」


手を肩から離した。サリカもカディスも彼女の後に付いていく。行ってしまう。僕は、<ディスミス>を敵に回しただけで、何も出来なかった。無能であり、無力。愚かな自分に嫌気がさして心が痛む。

カノンだけは傍に佇んで、能力発動を抑える手袋を装着した手を僕に差し伸ばした。


「私はシンの言いたいことは何となく分かるよ。助けられなかったのが悔しいんでしょ」

「…なんであんな事を口走ったか分からない。死んで当然な、酷く最低な奴らなのに。いつの間にか同情してしまったのかな、僕は」

「彼らも元はヒトだった、同じ政府の被害者だもん。私たちのような<兵器>と同じ立場。只、住む世界が違っただけで」


カノンが寂しげに微笑む。異色の双眸で人の気配の感じられない、もうすっかり廃墟となってしまったこの空間を見渡す。僕は目の前に転がるルタの亡骸に、ハンカチを掛けて合掌した。

「偽善かもしれない。だけど僕なりの弔いだ…。僕は政府を絶対に許してはいけないと思うし、絶対に許さない」


カノンは黙って頷く。

「命がある限りこの世界に反逆し続けたい。その為に僕は<エラ・ステラス>に生まれ直したって思うぐらいだ」


独りごちって立ち上がった。遠くで里山モネがこちらに向けて手を振っている。どういう経路で地上に戻るのか分からないが、そちらに向かおうと歩き始めた。



それから数時間後。

里山家のダイニングテーブルに僕と里山モネ、そしてミルファーが並んでいた。里山モネとミルファーは、どうやら今日は仕事が休みだそうだ。カディスとカノンとサリカは買出し中で今はその場にはいない。

ミルファーが来た理由というのは、どうやら僕の腐れ縁な友人である夏目雅之の件について話したいらしい。


「…ところでモネ。貴女達、地下水邸に行ったって本当?」

「話が早すぎよ…。まあ佐月の腕の傷を見れば分かるわよね」

「これ、跡が消えないからな」


僕の腕は、肉割れしたような状態で今は包帯で巻き付けている。懲罰(ペナルティ)とは言え、少々居心地が悪い。


「でもタイミング、丁度良かった。<ディスミス>とサツキの友人、実は無関係じゃないの」

「え?夏目って<兵器>なのか?」

「それは無いわ。仮に夏目雅之が<兵器>だとすると、政府で働く私が知らないはずないもの。この私を気付かせないのだから、魔法の使い手でしょうね。…私と同じぐらいか、それ以上の」

「そう。モネのが正解」


確かに里山モネの言う通り、夏目は僕や里山モネと一年間、異世界ファンタジーな問題を起こさずに、共に過ごしている。その間、僕は夏目や里山モネの正体を全く知らなかったし、逆に里山モネも夏目のことは危険人物であると気にも止めていなかったみたいだ。

ミルファーは紅茶を一口啜り、再び口を開く。


「夏目雅之は<禁忌の赤い箱>の一員。別名<ブラッディパンドラ>」

「…<ブラッディパンドラ>?それに<禁忌の赤い箱>?」


聞き覚えのない単語に眉を顰める。いや、聞いたことはあるはずだ。地下水邸のハゲが言っていた<赤い箱>とはこのことだろう。


「多分サツキの考えてるのそのまま。<禁忌の赤い箱(ブラッディパンドラ)>は<ダンテ>崇拝組織。正確な活動内容は謎のままだけど、夏目雅之がしようとしていることは能力適正値の高い人間をこちらの世界へ送り込むこと」

「それって政府の仕事と変わらないじゃないか!?」

「そうね。政府のは公認。<禁忌の赤い箱(ブラッディパンドラ)>は非公認。この違いで分かるわよね?」


政府が公認していない実験というだけで怖気がする。ただでさえ、政府での実験での被害者が出てると言うのだ。非公認での被験だなんて僕には考えられない。


「じゃあ、<ディスミス>は<禁忌の赤い箱(ブラッディパンドラ)>によって地下水邸に閉じ込められた、ということになるのか?」

「違うと思う。政府の捨駒をあの邪集団が目を付けただけ。だから異様に<ダンテ>を敬ってたのもきっとそのせい」

「そこでね、私たちはテロ組織としてじゃなくて、政府の仕事として行くの。協力してくれるわよね?」


僕は無論、力強く頷いた。

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